ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

台湾を行く~国民革命忠烈祠の衛兵交代

2013-02-10 | お出かけ

「今台湾にいます」
と旅行しながらブログでそのようにアナウンスしたところ、
いくつか「今まで台湾に行ったことがある」という方々から
アドバイスやコメント、あるいはご提案をいただきました。

在台中に総統府の見学をしたかったのですが、総統府は
土日は公開していないことを知り、さて最後の日曜日、
台南から帰ってきて半日どうやって過ごそうと考えていたとき、
ある読者にこの「忠烈祠」のことを教えていただきました。

コメントによると
「中尉がもし行かれるなら、必ずや又様々な感想を持つと思います」
その理由は「台湾の靖国神社みたいなものなので」
お察しの通り、その一言で即見学を決め、調べると、
最後の衛兵交代儀式にちょうど間に合う時間。
さっそくタクシーで現地に向かいました。



いかにも中華圏の建物。
衛兵の交代は1時間に一度。
もうそろそろ始まるので人が集まり始めています。



この入口に立っている二人の衛兵がこれから次の衛兵と交代します。

右の人。

衛兵は陸海空全軍から選抜された兵士で、身長体重は勿論、
人物素行成績が優秀で家もちゃんとしていること、という条件があり、
これに選ばれることは大変な名誉なのだとか。

陸海空軍はそれぞれの制服を着用して衛兵業務に臨みます。
台湾軍の制服は陸(緑)海(白)空(青)であるとのこと。
この衛兵たちは空軍の兵士ということのようです。

左の人。

衛兵に立っている間、彼らは一時間微動だにしません。
なんでも、できるだけ瞬きも控えているそうです。
夏の間、鉄兜を被ることによって汗もかくわけですが、
その汗は係りの人が定期的に拭ってくれるのだとか。

左の人アップ。

衛兵には容姿も考慮されるのだそうです。
背が高くて太っていなければ、それ以上はあまり必要でないような気もしますが。

交代の儀式を行う衛兵と言えば、バッキンガムの近衛兵を思い出します。
バッキンガムの近衛兵と言えば、あの独特のモップみたいな帽子ですよね。
あの帽子を「ベアスキン帽」と言うのですが近衛兵と言えばベアスキン、
ベアスキンと言えば近衛兵ってくらい、象徴となっているデザインです。

というか、あれ、熊の毛皮だったのか・・・・。

話を戻します。
忠烈祠で衛兵交代をして、ちょっとした名物にしようじゃないか!
と決めた台湾の関係者の皆さんは、おそらくその衛兵のスタイルを決定するとき、
陸海空の制服をそのまま着用するからには、バッキンガムの近衛兵のベアスキンのように、
帽子をオリジナリティあふれるものにしようと考え、このような、
世界のどこにもないヘルメットを考案したのではないでしょうか。

あまりにユニークというか斬新なデザインなので、ついそのように考えてしまいました。
きっとこれ、指紋や汚れが付かないように毎日磨くんだろうな。

「ヘルメットに少しでも曇りがあれば、それは貴様の心が曇っているからだ!」

なんて言われながら。



これが忠烈祠。
いかにも中国人の建てた建築物、という感じですが、
ここには統治時代、台湾護国神社がありました。
つまり、靖国神社の祭神が祀られ、台湾に縁故のある英霊が祀られていたのです。
1942年に開かれたこの神社、終戦後、台湾から日本の神社がすべて姿を消したとき、
取り壊され、その後1969年に同じ場所に創建されました。
創建後も国の英霊を顕彰する場にしたということですね。

こんなことを言うのはなんですが、日本の神社を取り壊して、そのあとに、
主に抗日の戦争で亡くなった英霊を祀る、というのはいかがなものか。
この件について、蒋介石の正体を暴く目的でアップした稿で、
わたくしなりの考察をしてみましたので、後日ご照覧ください。

さて、そのちょっとした予告編?ですが。

我々日本は確かに戦争をして負けたわけですが、これも言わせてもらえば、
中国を相手に戦争をして負けたわけでもなんでもないわけでね。
中国が、しかもその中国本土から追われたも同然の蒋介石が戦勝国ヅラして
「抗日戦争に勝利し」みたいなことを言うのを見ると、ソ連にほどではないにせよ、
「あんたにそこまで威張られる筋合いはない」なんて言葉がついでてきます。

奥に交代する兵士とそれを守る儀仗兵が姿を見せています。



昔はきっと石畳と灯篭がここを続いていたのだと思われます。
やはり中華式の祠というのは、こういう空間を持て余している感があります。
この本堂から山門までの距離があるからこそ、衛兵交代という儀式も生まれたのでしょうが。






三人に見えますが、あまりにも動きがシンクロしているので、
後ろにいる二人が完璧に見えなくなってしまっています。
儀仗兵恐るべし。
この5人が奥から出てくるところからセレモニーは始まります。

真ん中にいる銃剣を持っていない兵士がいわゆる「引率係」。
セレモニーのリーダー役です。(たぶん)
左足を上げていますが、この動きは非常にゆっくりで、
この重たそうな銃を持ったまま全くふらつかないというのも、
なかなか大変なことであろうと思われます。



左に目つきのスルドイ黒スーツ黒ネクタイがいますが、
これはこの忠烈祠の係員で、このセレモニーの時に観客が邪魔したり、
必要以上に近寄らないように周りを警備しているのです。



ちなみに彼の左胸の赤いワッペンですが、右から読んで
「空軍儀隊」と書いてあります。
あの、どうでもいいことですが、この兵士たち、皆顔が似てませんか?



ゆっくりと行進する衛兵たちの周りを、こんな風に観光客が
ぞろぞろと撮影しながら取り囲んで付いていきます。



中華民国三軍儀隊、下には「Honor guard」(儀仗隊のこと)とあります。



でもね。
エリス中尉、防大でも自衛隊音楽隊でも、こういう
「軍的な」(←一応配慮)セレモニーや集団で行うあれこれを見るのが好きで、
無条件で「かっこいい!」とワクワクしてしまう人間であるはずなのに、
なぜかこの衛兵交代の儀式、この軍服の皆さんに対しては、失礼ながら
そのワクワクやドキドキを一ミリも感じなかったのです。
なぜなんだろう、と考えてみたのですが、まず、制服。

念のためにいま一度、陸海空と防大の儀仗隊の制服をチェックしましたが、
やっぱり文句なく我が自衛隊の儀仗隊はかっこいいんですよ。

まず、上半身はともかく、このズボンの長さがイケてないと思うの。
そして何と言ってもこのピカピカのヘルメット。
南国の兵士の日焼けした顔に、このシルバーといいブルーの明るさといい、
ことごとく似合っていない気がしてしかたありません。

それに、これはおそらくですが、ファッション的にどうの、という問題だけではなく、
どうやらこれが「他国の兵士である」という一点によって「かっこいい!」という気持ちに
リミッターのようなものがかけられてしまうらしく、センサーが全く反応しないんですよ。

そう、この世界に興味を持つようになって結構いろんな国の軍人の制服を見てきたけど、
たとえどんなにお洒落で粋であろうと、外国軍の軍服には、全くピンとこないのです。

・・・・ナチス親衛隊の軍服は例外ですが////




顔を全く本堂に向けず、目も動かさずに、どうやってわかるのか。
交代される方もゆっくりと準備を始めます。



台から降りるために足をあげて・・・・・たっぷり10秒微動だにせず。
向かいのバディも同じ動きをしています。

 

向こうから交代の兵が近づいています。
本当にどうやってタイミングを知るんだろう・・・不思議。
台から降りてようやく正面を向きます。

 

ゆっくり正面を向く間に、向こうからもかなりこちらに近寄ってきています。

この制服、ブーツをロングにして、ズボンを中に入れればかなりイケるんじゃないかしら。
この中途半端な長さのズボン、ブーツを脱いだらたぶんかなりかっこ悪いよ?

日本のように「靴を脱ぐ」ことが生活様式に無ければ、
それを考える必要もないのかもしれませんが。

あれ、そういえば台湾って家の中でも靴を履いているんだっけ?



向かいにいた衛兵とともに合流。





銃を振り回す儀式を行っています。
ここでの儀仗はそんなにアクロバティックなものではありません。
ただ、どの動作も一糸乱れず動きを合わせないといけないので、
そんなに簡単なことではなさそうです。



銃を回した後、交代の衛兵の銃となぜか交換。
真ん中の引率係はずっと立っているだけで終始楽な役回りです。
でも、きっと隊長とかだったりするんだろうな。



銃の交換後、敬礼。

 



銃にブルーの小さな布が付けられているのは空軍のしるしでしょうか。



もう一度銃を回します。



セレモニーをバックにしてなぜか自分の写真を撮らせる人。
うーん、その発想は無かったわ。



セレモニーが終わって、いよいよ交代の衛兵が位置につきます。

 

やっぱりさっきの衛兵と似ている気がするの。
言われなければさっきの衛兵がまた帰ってきたと思ったかもしれません。

 

敬礼をしてから任務に就きます。
交代前とも似ていますが、交代後の二人がまたそっくりなんですよ。
ちなみにこれが左の人なんですが、

これが右の人。

この二人がこのように似ていて、さらに念のため、

交代前の左の人。

ね?同じ顔でしょ?
こういう顔の人ばかり大量に採用しているんではないだろうかってくらい皆似ていました。

彼らは二年間の兵役の間だけ軍にいる兵士だったりするので、
いわばプロフェッショナルの軍人ではないようです。
今回、いろいろ情報を検索していたところ、あるブログに
「制服を脱いだらただの青年なので、見学の女性、特に日本女性に声をかける者も多く、
中には遠距離恋愛をしている衛兵もいるそうだ」
って書いてあるんですけど・・・・・。
いや、まあ、無い話ではないかもしれないけど・・。

だいたい、彼らは何語で意思疎通してるっていうのでしょうか。



銃剣をアップにしてみました。
ブルーのリボンだと思っていたのは房でした。
やっぱり空軍の色なんでしょうね。


ところでこの忠烈祠ですが、ここに誰かがいたり国宝があったりするわけではありません。
ただ、国のために亡くなった英霊が祀られているだけです。
バッキンガムの衛兵のように「女王」というはっきりとした対象があるわけでもありません。
つまり、国に命を捧げた人を顕彰する場を、軍が護衛している、という図式です。
この衛兵は完璧に「セレモニー」のためだけにここに配置されているわけです。

英霊を顕彰するという意味において挙国一致、
日本のような屈折した国には考えられません。




本堂の方には早々に交代した衛兵がここにも二人。

この交代の儀式は最終の回だったのですが、この時間を以て
内部の見学は締切になってしまっていました。

それを知らずにこの衛兵たちを見ながら中に入っていき、
黒服に「もう終わりだから出て行け」と言われました。
中の見学はできませんでした・・・・
この忠烈祠見学を薦めてくれた方が

「抗日関係の展示物には凄まじい怨念のようなものを感じた」

と感想を書いてくださっていたので、楽しみに?していたのですが。
わたし、この忠烈祠に祀られている人の「内訳」に興味があるのですよ。
で、忠烈祠についていろいろと検索してみたのですが、
「中華民国建国および抗日戦争の戦死者」
としか書かれていないのです。

うーん。

国民党の弾圧下で亡くなった台湾人たちは?
日本統治下で日本軍人として亡くなった、台湾人たちは?
高砂族、パイワン族などの少数部族は?


つまり、これは



こういう誇らしげな瞬間やら、



こういう神格化された蒋介石やらの絵からもわかるように、
台湾とはいってもすなわち「国民党」の立場でしか存在してないってことなんですね。

そこで、次回はその蒋介石とその夫人、宋美齢についてお話しすることにします。