アメリカのCNNが報じた安倍首相戦後70年談話。
アメリカでも、メディアが置かれた「しがらみ」抜きでは
物事を報じることをしないという点では日本と同じなんだなと
あらためて確認することになったわけですが、メディアが左派寄りであるというのは
これも世界共通の現象であるらしいですね。
父上が予備学生として海軍にいたというアメリカ人の知人(GEの偉い人)は、
やはりアメリカのメディアは民主党の都合の悪いことは報じない、といっていました。
オバマ政権はマスコミの扇動によって2期連続成立したという見方です。
日本のマスコミが、椿事件のときに露呈した、
「なんでもいいから共産党を除く野党で非自民政権を成立させる」
という目的を最終的に2009年の政権交代で達成したように。
そういえば、共和党の第一候補は放言大魔王のドナルド・トランプ氏。
誰が見てもこんなやつ大統領にすべきではない、という困ったちゃんなのに、
17人もの候補が乱立する共和党の中では一番人気があるらしく、共和党は
実は頭を抱えているのだとか・・。
アメリカでは毎日のようにトランプ氏ばかりがメディアに露出し、
その度にとどまるところを知らない放言で顰蹙を買っているわけですが、
こうやって晒し者にして共和党のまともな候補者を霞ませているのは、
実は民主党とメディアの策略ではないのか、とすらわたしは思ったくらいです。
多分、この 想像は割と当たってると思う(笑)
さて、そんなCNNですが、安倍談話の同日にこんなニュースもやっていました。
「平和のミッションを行う日本男性」
これはどういうことでしょうか。
大東亜戦争中、B-29といえばアメリカという「鬼畜」の代名詞でした。
対空砲で撃墜されたB-29は多く、作戦に投入したB-29の機体数約3,900機に対して
喪失数714機、戦死した乗員は3,041人と言われます。
1942年、4月2日のことです。
東京上空にに空襲のために飛来した一機のBー29が対空砲火で撃墜され、
乗組員11人が乗った機体は、ある民家の軒先に墜落しました。
そのときそれを自宅の防空壕から目撃していた日本人の親子がいました。
空襲がおさまってから、男性は乗員の遺体を探し出し、
自分たちの墓所に彼ら11人全員を丁寧に埋葬しました。
父親とともにそれを手伝った16歳の息子は、戦後34年経って50歳になったとき、
あのとき亡くなった搭乗員たちの遺族に連絡を取る活動を始めました。
戦後、搭乗員たちの遺体は米軍によって横浜の軍地基地に埋葬され直しましたが、
男性は、どこでどのように自分の愛する人々が亡くなったのかを
彼らの家族が知るべきであると考え、行動を起こしたのです。
家族に供養をさせてあげたいという父の願いを受け継いだ男性は、
その後の人生をかけて米国各地にいる遺族の所在を突き止め、
彼らの日本への訪問を実現させてきました。
左側の父親と思しき男性の表情が硬いですが・・・。
彼らの菩提を弔うために竟の地に仏像を建てて、家族をそこに招き、
その最後を話し伝えることをライフワークにしてきたのです。
この男性は小俣さんとおっしゃいます。
小俣さんは34年間、アメリカを何度も訪問し、そのため訪れた州は7州にも登ります。
これまで搭乗員のうち10人の家族を探し出し、彼らを日本に招待してきました。
そして最後の11人目の搭乗員の家族が、ようやく戦後70年目に判明しました。
イリノイ州出身のウォラース・J・ピッツ軍曹の甥という人を見つけたのです。
ピッツ軍曹は21歳でこの爆撃に参加し、戦死しています。
Bー29の落下地点にある、小俣さんの父親が作った碑にはこのように刻まれているそうです。
先の世界大戦中にこの地に墜落した爆撃機B-29の
勇気ある米国の11人の乗組員の霊を慰めるために この碑を建立する
勇敢な兵士たちよ 永遠に安らかに眠りたまえ
(訳文)
甥のビル・ピッツさんと妻のブレンダさんはこの度小俣氏の招きによって来日し、
おそらくは会ったことのない自分の叔父さんの慰霊碑に手をあわせました。
観音像なので、仏教式に両手を合わせているのが微笑ましい。
ビルさんは、小俣さんがその半生をかけて探し続けた、最後の家族となりました。
「父が敵国の兵士たちを弔ったのは、人間を尊重する気持ちからだろう」
と小俣さんは語り、85歳になってようやく自分の使命は終わった、と語りました。
ビルさんは、このことについてこう語りました。
「このことにはただ驚くばかりです。
敵国人なのに埋葬をしてくれたなんて、こんな素晴らしいことはない。
どのように、何回お礼を言ってもいいたりないけれど、それでも言いたい。
ありがとうございますと」
彼らにとって70年の旅が終わろうとしています。
自分の半生をかけて慰霊のミッションを続けてきたこの小俣さんという方には
日本人の一人として心からお礼を申し上げたい気持ちです。
無差別爆撃で一般市民が数多く犠牲になるようになってから、生きたまま不時着した
Bー29の搭乗員の中には、興奮した人々によって惨殺されたというケースもあります。
しかし、死んだ者にまで鞭を打たないという日本人は、戦死した搭乗員の遺体を
埋葬して慰霊碑を建てることもありました。
丹沢山、青梅には慰霊碑がありますし、病院で亡くなったり落下時に死亡して、
陸軍墓地やお寺のお墓に埋葬されたアメリカ兵はたくさんいます。
さて、終戦の日の2日前、CNNでは、元零戦搭乗員である男性の証言を
取り上げていました。
99歳のH氏です。
昔、ミッドウェー海戦式典を報じたハワイの新聞を参加した元搭乗員にいただいて、
それを翻訳してさしあげたことがあったのですが、その記事には
主にH氏の語った体験を中心に構成されていたため、名前と戦歴を知りました。
この3時間にわたってのインタビューの中でH氏は、
「最初の頃、敵機は零戦とドッグファイトするなと言われていました。
銃撃が敵機にヒットし、空中で機体が四散した時、助かったという気持ちと
優越感のような気持ちが私の中を駆け抜けました」(英文を翻訳)
と語っています。
H氏が撃墜したある戦闘機搭乗員は
「絶望に満ちた目でこちらを見て、憐れみを乞うような手振りをしてきました。
しかし、彼を見逃せば生きて帰ってきて仲間を殺すだろう。
戦場ではどちらかが生き残るしかないのです」
H氏は数年前に妻を亡くし、現在娘と二人で住んでいます。
「母艦乗りとして戦闘に参加した時、着艦した甲板には
戦闘で手や足を失った人たちが苦しみの叫び声をあげていました。
”みずをくれ!””苦しい””お母さん”・・・」
「わたしは軍医に彼らの手当を優先してくれるように言いました。
しかし軍医は”戦える者が先だ”と答えたのです。
戦場では人権などなく、皆が『武器』にすぎないのです」
こういった氏の戦争体験は、以前翻訳したのとほぼ同じでありましたが、
ここからが問題です。
「安倍晋三首相は、日本が軍を海外で展開できるように平和憲法を手直ししようとしている」
「それが(集団的自衛権)議会で承認されて日本が分断された」
「わたしは戦争が嫌いだ。戦争ほど醜いものはない」
この日には報道されませんでしたが、その数ヶ月前のNYTの報道では、はっきりと
「安倍首相は戦前の指導者を思わせる」
と批判を語り、それを日本のメディアが大喜びで取り上げました。
誤解のないように先に言っておくと、わたしはH氏がその壮絶な経験を経て
戦後を生き抜かれたことに対し心からの敬意を払うものですし、
その証言は決して途絶えさせることなく後世に語り続けるべきだと思います。
しかし、それはそれとして、H氏はその体験からくる戦争忌避感ゆえ、
メディアに誘導されてこういった発言をさせられたのではないかと思えて仕方ありません。
おそらく氏は99歳というご高齢で、テレビや新聞という媒体だけが
世相を知る唯一の手段であることでしょう。
我々のように、ネットでの報道の全般にわたって検証したうえで、
報道各社の傾向や主義主張までを考慮して判断しておられるわけではないと思います。
憲法改正の動きと今回の集団的自衛権についての情報を全て新聞とテレビで
知ったのだとしたら、氏がこういう考えに至っても当然のことに思われます。
しかし残念なのは、こういった戦争体験者の意見であれば金科玉条の
絶対的真実なので逆らえまい、と言わんばかりに報道するメディアであり、
そのメディアにH氏は利用されていると思わずにはいられないことです。
「戦前の指導者たちと安倍首相は同じ」
とH氏は切り捨てますが、そもそも日本がなぜ戦争を選ばなくてはいけなかったのか、
当時の日本の置かれていたのっぴきならない状況を踏まえておっしゃっているのでしょうか。
今の日本には自ら戦争を起こす理由も必要必然性もなく、両者を同列では語れないということも。
仮に、日本が戦争をあくまでも避けていたら、H氏は「人殺し」にならなくて済んだでしょう。
しかしその結果、日本は大国の支配下に置かれることとなったはずです。
そうなってなお、日本人は幸せでいられたでしょうか。
そもそも日本国という国はその後存在することができたでしょうか。
H氏のこういった考えに喝采する種類の人がいう、
「安倍首相は戦争法案を通して戦争をしたがっている」
という安保反対論。
「戦争したくなくて震える」
H氏の「戦争が嫌いだ。戦争は憎い」とこれは比べるのも失礼すぎますし、
重みが違いすぎて同じ意味でも次元が全く違うということを百も承知で言うのですが、
H氏がもし、
「戦争が嫌いだ」→「だから日本だけは戦争ができるようにしてはいけない」
と本気で思っておられるのだとしたら、それは結果としてあのデモ学生と同列だと思います。
いつも思うのですが、こういう人たちの言う平和とは、
「中国や韓国には土下座をしながらお金を出し続け、尖閣も竹島も差し出して、
主権はもちろん下手すれば自由も人権も全て他国の支配下にある隷属の平和」
なのです。
中には、
「殺すくらいなら殺されよう」
などと、日本の平和にあぐらをかいてこんなことまでいう輩までいますね。
隷属の平和とは、かつての日本が経済封鎖で世界に追い詰められたとき、
唯々諾々とハルノートを受け入れれば即座に手に入った
「戦争のないだけの平和」の姿でもあります。
個人の権利も尊厳も捨てたうえにある平和、それは本当の平和と言えるのでしょうか。
戦争の恐怖から守る最良の手段なんです」
尊い決意だと思います。
しかし、大変失礼ながら、後半は情緒的かつ漠然としすぎてよくわかりません。
「空想」していればいつか平和がくると歌ったジョン・レノンは悪意の凶弾に斃れました。
彼がボディガードをつけていればおそらくそれは防げたでしょう。
H氏のおっしゃることはジョン・レノンの「イマジン」の歌詞のようなものです。
「安倍首相は必死で日本の戦争放棄を取り消そうとしたがっているように見える」
「戦後の長い平和がひとつの達成であったということを忘れているように思えてならない」
H氏は日本に自衛隊がなかった頃、竹島に韓国人が侵攻し、
我が国の漁民が惨殺されたことをご存知ないのでしょうか。
現在形で中国が侵略を狙っていて、毎日のように海保が哨戒を行い、
1日に何度となく自衛隊がスクランブル発進していることを。
北朝鮮の日本人拉致は、日本が武力行使をできないからこそ起こったという事実を。
おっしゃる「戦後の長い平和」は、日本の戦争放棄の上にではなく、
日米同盟の武力の抑止力あってこそ可能だったとはお考えになれないでしょうか。
いつも刮目するような持論をお持ちの元陸幕長閣下が、
「しかし実際に戦争経験した人は、もうとにかく自衛であろうが
なんであろうが、武力そのものを否定するものなんですよ」
とおっしゃったことを思い出します。
そうあらずにはおれないことそのものが、H氏や、その他多くの方々の
苛烈な戦争体験の傷跡であることに、深く想いを致さずにはいられません。
しかしながら、わたしがこれまでお話を伺う機会のあった戦争体験者は、
彼らの多くが
「もし日本が他国の侵略に遭ったら、わたしは今でも武器を取って戦う」
というようなことをおっしゃっていたことも、あえて付け加えておきたいと思います。
おそらくこういう人たちの言葉を、メディアがH氏のように
大きく取り上げることは決してないと思いますが。