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「えのしま」出航~日向灘・掃海隊訓練

2015-12-26 | 自衛隊

というわけで、「えのしま」は朝出航した岸壁に帰ってきました。
その途端、一足先に隣にいた「つしま」が出航していくのを見届けたのですが、
実は「えのしま」はこれで訓練が終わったというわけではなかったのです。
参加者の一人が2時半に帰港したいという要望を述べたためそれに従って
メディアと見学者の一行を降ろすために一旦寄港しただけだったのでした。



岸壁にかけられたラッタルから参加者だけが下船することになりました。
早くなったとはいえ、朝7時から約7時間半乗り続けた掃海艇。

このわずかな時間の間に初めて目の当たりにした訓練と垣間見た艦内生活。
わずかな人数で機雷というわかりやすい「敵」に対峙するその「戦い方」は、
護衛艦とは違う少人数ならではの緊密な連携の賜物と思われました。

現に掃海艇について書かれたものは必ず、「チームワーク」「協力」
という文字でその任務の特性を言い表しています。
しかも理想は相互にカバーしあえるだけの「余力」を持ち合わせることで、
その域に達して初めて「強い船」ということができるというのです。

一つの掃海艇は3つの分隊に分けられ、

第1分隊・・機雷・掃海・水測・水中処分

第2分隊・・航海・通信・電測・電子整備・補給・給養

第3分隊・・ディーゼル・電気・応急工作

となります。
しかしこれはおおまかなもので、掃海隊司令の言うところの「自己完結」、
つまり自活能力を発揮するには、状況に応じて配置もフレキシブルになる必要があります。

例えば第1分隊の「掃海」という部署についていうと、
これは護衛艦で言うところの「砲雷科」で、ソーナー員や、
掃海艇独特の水中処分員(EOD)もここの配置になります。

分隊のトップには5人いる幹部のうちの「掃海長」が立ち、
現場のリーダーとなるのは海曹長で、掃海・掃討の任務時には
この分隊の14名ほどが作業を行うのですが、いざそのときになると、
人数が足りなくなるので、そんな時には他の分隊から応援を頼むのです。

休養員だって、ご飯を作って後片づけを済ませたら仕事はなし、ではなく、
戦闘モードのときには伝令に立つこともあるのだそうです。



他の自衛艦と同じく、掃海艇もまた「作業部署」「戦闘部署」「緊急部署」
といった大きな3つの状況による部署で分けられ、
たとえば「作業部署」一つとっても、その中で「出入港モード」「ハイラインモード」
「航行モード」など、細かい状況設定が行われています。

「うらが」との接舷作業で、ラッタルを接続するのに苦労していたときには
「ハイラインモード」であり「入港モード」であったということでしょうか。

とにかく、しばしの航海を終え、陸に降りる我々を、「えのしま」艇長が
自ら舷門に立って見送りをしてくれています。



全員が降りるのを見計らって、すぐさま出航作業。
せっかく岸壁に入港したのに、全く陸に降りないまま行ってしまうの?



他の船がいないので、出航作業を陸で支援するのは広報の自衛官や
地本の陸自隊員など。
adidasの人はどなたかしら。



ふと港の出口に目をやると、先ほど出航した「つしま」がもうこんなに小さくなりました。



今、山の麓にポツンと「つしま」の影が見えているところから港外です。



もやいを外す作業中。
艇長はすでに上に上がっています。



この程度の作業は掃海艇においてはヘルメットは着用しません。



このインカムを持っている隊員の帽子には、なんと、
「EOD」(水中処分員)と書いてあります。
左の人のサングラスはいかにもなので、こちらがEODというのはわかりますが、
水中処分員が出航のときにはインカムを使って通信を行う、これが掃海艇?

 

どうもこの二人とも地本の人ですね。

 

地本二人組、もやい外し中。
防眩物が引き上げられ、船体の横に穿たれた穴から水が出てきています。
これは一体何の水?



岸壁に置かれた三脚は、地元紙のカメラマンのもの。
艇を降りる直前、一生懸命お仕事していた同じ地元紙の若い女性記者が
わたしたちに話しかけてきました。

「どこからこられたんですか?」

どうも彼女は、同新聞の「当地に訪れた他府県在住の人が宮崎の魅力を語る」
みたいなコーナーの担当をしていたようで、掃海艇の取材ついでに
そのインタビュー対象にわたしたちに目をつけたのでした(笑)

わたしはもちろん遠慮して、ミカさんがインタビューを受けました。
彼女は宮崎弁がしゃべれるくらい、この地には精通しています。

というわけで、この二人は「えのしま」が出航してしまうまで残っていましたが、
他のメディアの人たちは上陸するなり消えてこのときには影も形もありません。



大活躍だった「えのしまくん」の愛らしい横顔を見せながら、
もやいの外れた「えのしま」が岸壁を離れます。
今回はバウスラスターについて実物を見、多少詳しくなったのも収穫の一つ。



記者のお嬢さんも、見送りの自衛官と一緒に並んで写真を撮ってます。
彼女にはいい記事を書いていただきたいなあ・・・。

そして10年後にも今日の熱意を失わないで仕事していてほしい。
決して「デスクの意向」がわたしの意向、と思い込んで
最初から結論ありきの記事の裏付けにインタビューを利用するような
そんな記者にはなってほしく・・・・・おっと(笑)



ちょうどこのとき、艦内放送で「帽振れ!」といったのが聞こえました。



おお!慣習だから当たり前といえばあたりまえなんだけど、
たった数人の岸壁の見送りに向かってクルーが帽振れをしてくれている!



サングラスをしているのはEODの隊員ではないかしら。
ちなみに、一つの掃海艇のEODチームは4人くらいのはずです。 

わたしの(答えの出ない)予想によると、左端と右端の4人がEOD。




艦尾に立っている一人も帽振れ。



艦橋で帽振れする一団の中に、艇長と掃海隊司令もいますよ。

で、わたしもちょうど荷物の中に帽子を持っていたので振りました!
つまり、わたしの生涯で初めての帽振れは「えのしま」出航です。

ちなみに、この帽子ですが、ホテルから持ってきたお茶の蓋がゆるくて、
その下にあったためほとんどミニボトル1本分のお茶を吸収してしまい、
この日1日全く用をなさなかったのですが、ここに来て初めて役に立ちました。



乗っていると決してそうでもないですが、こうやって陸から見ると、
やはり掃海艇というのは小さなものだなあと思います。
しかし、掃海艇の果たす役割はその小さな艦体の割に大きなもので、
しかもその任務というのは特殊であり、荒々しくもあり、
その分「海のプロ」、「船乗り」という言葉がぴったりのクルーたちの醸し出す
濃い緊張感で満たされているようなぴりりと引き締まった空気で満たされていました。



少人数ゆえに掃海艇の現場は一人に任される仕事があまりにも多く、
その分負担も大きくなって、「向いていない」者はたちまち淘汰されそうです。

海自隊員の間でも、掃海隊の仕事はキツいというのが定評であり、
配置を避ける者もいるのだそうです。
しかしそれだけに、志望してここにやって来る者たちは、
自分のやりたいことがはっきりと見通せている、つまり「覚悟がある」
ということなのではないかという気がします。
ゆえに、淘汰される割合は他の艦艇より少ないのではないか、
とわたしは思うのですが如何でしょうか。



「えのしま」が小さくなり、やがて港を出て行き姿を消しました。



「えのしま」の泊まっていた岸壁にも・・・・、



「つしま」のいた岸壁にも、ダズルグレーの艦艇は一隻もいません。

ところで、わたしたちが帰ってきたとき、「つしま」の見送りをしていたのは
どう見ても掃海艇の乗組員だったわけですが、彼らは一体どこの隊員だったの?
岸壁に寄せる前だったので、「えのしま」の隊員でもないはずなのに・・。



掃海艇たちが出て行ったあと、岸壁にはなぜか燦々と陽が照りました。
「えのしま」が出るときには雲が多く、ミカさんが「太陽出てほしい!」
と恨めしそうに言っていたくらいだったのに。



港を去る前に最後の一枚。
このあとわたしたちは日向駅前でご飯を食べました。
わたしはほとんど朝からおにぎり一個(しかもリバース済み)だったので、
空腹のあまり気分がまた悪くなるくらいでしたが、異常に値段のお安い
中華料理屋で、バンバンジーサラダと麻婆豆腐を取り、ようやく人心地ついて、
それから1時間運転して空港に到着しました。


続く。