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遠洋練習航海出航行事〜平成三十年 海上自衛隊練習艦隊

2018-05-23 | 自衛隊

海保の観閲式のことをお話ししたと思ったら昨日は練習艦隊の出航だったため、
体験航海も海保もまだ全く触れていない海自基地隊見学も一切置いておいて、
この出航行事をお伝えしたいと思います。

 

冒頭画像は儀式が始まる前の横須賀地方総監部岸壁の様子です。
手前の白い塊が実習幹部たち、その向こう儀仗隊と海曹海士です。

これら一連の写真は、以前も降下始めの時に写真をお借りしたKさんの撮ったもの。

それにしても、これらはどこから撮った写真なんでしょうか。
逸見岸壁をこんなに見下ろす場所・・・。

ちなみに不思議に思ってグーグルアースを見ると、現在のグーグルアース画像、
DDH「いずも」と書いてあるところに「いずも」でなく「しらせ」がおります(笑)

それはどうでもいいんですが、この瞬間わたしはどこにいるかというと、
おそらく、ゲートを入る車の後ろを車で走行していたはずです。
わたしの車はもちろんゲートには入れず、手前で左に誘導されました。

車を停めて入っていくと、ゲート左のテントで受付をします。

これも同じKさんの写真。
整列が済んでいますがまだヘリが来ていないので開始前かと思われます。
ヴェルニー公園か、それとも参加するとおっしゃっていた軍港めぐりの船の上から?

9時半から受付というお知らせをいただいていたのですが、外から見ると
岸壁には乗員の家族などがすでにたくさん来ておられる上、
実習幹部の整列が始まったので、入場することにしました。

車のナンバーはあらかじめ知らせてあり、門を入ってすぐに
名簿を持った自衛官が目視でチェックをしてそれを警衛のゲート前に伝え、
そこではダッシュボードに置く許可証をもらえます。

車を停めたところから岸壁に入っていくと、岸壁では自衛官が
赤絨毯に立つ自衛隊高官とVIPの名札をつける作業をしていました。

ここが招待客の席です。
なんと、今年はテントがありません。

視界を良くするために今年はテントを無しにしたと聞きましたが、
わたしは、去年、強風の中テントが倒れないように、自衛官たちが総出で
一生懸命テントのポールを抑えていたことを思い出しました。
あれがテント中止の本当の原因だと思うな。

ただ、この日の日差しは結構強烈で、じっと座っていると結構大変でした。
帽子を着用してきてまだしも助かったと思ったものです。

わたしが席に着いたのは受付開始まであと10分といったところでしょうか。
彼らがすでに整列しているのは、招待客を迎えるためらしいことがわかりました。
式の開始まで小一時間、彼らは同じ姿勢で立っていたことになります。

儀仗隊に女性隊員が三人いるので少し驚きました。
こんなところにも男女平等か・・・・。

彼女らには悪いけど、こういう男女平等、わたし個人的に嫌いなんですよね。

この件についてはリベラル派からの非難を覚悟ではっきり言います。
儀仗隊はセーラー服の一団だけで行っていただきたい。
もし女性を混ぜるのなら、彼女らにセーラー服を着せてください。以上。

そして練習艦隊司令官はじめ、各艦艦長と幕僚が登場です。

家族席にも今年はテントがありません。
あまりの辛さに顔まで覆ってしまっている人あり。

日焼けを死ぬほど嫌う日本人女性のほとんどには
地獄のような試練だったかもしれん。(一応シャレ)

来年横須賀で練習艦隊お見送り予定のご家族の皆様、この仕様は来年も
同じである可能性が高いので、ぜひ帽子と日焼け対策を万全になさってください。

横須賀音楽隊も到着しました。
岸壁を走りぬけていく海曹の躍動感、ハンパ無し。

練習艦隊幕僚を先頭に、実習幹部たちが岸壁を指揮台の前に移動し始めました。
写真のクレジットを見ると0929、「海軍1分前」に発動したらしいことが判明。

いつも自衛官の幹部常装第一種夏服姿を撮ると、彼らの日焼けした顔色が
白の効果で暗く写ってしまうのですが、どうしたらいいでしょうか(相談)

まあ、気持ちマスク効果にもなっていいかなという気もしますが。

最近自衛隊の制服論議がこのブログでもありましたが、
幹部の夏の制服はやはり海自が最高だと思います。

このスタイルが世界基準であり、海軍の第二種軍服と似ているのもよろしい。

写真を下さったKさんのおばあちゃまは日本橋で鰻屋の看板娘だった頃、
此の制服で来る海軍士官に

「お嫁さんになる」

とつい言ってしまわれたそうです。
昔はこれに加えて腰に短剣でしたからね。破壊力もすごかったかと。

泉海将補、練習艦隊司令官として今から出航の儀式に臨みます。

泉海将補の向こうは「かしま」艦長金子一佐。

「かしま」乗員のうち海曹海士代表がここに立ちます。
「気をつけ」などの号令は右側の女性三尉が下していました。

海幕長が儀仗令を受け、巡閲を行う間は敬礼を行います。
それらの行事一切、わたしの座っているところからは見えませんでした。

式典の間「かしま」甲板から写真を撮っていた海上自衛隊写真員。

海自の写真員は千葉県柏市にある海上自衛隊第3術科学校で技術を学びます。
第3術科学校は哨戒機P-3C基地のある下総にあります。
そういえば、下総に表敬訪問した時、コクピットで撮ってもらった写真が
その少し後にはプリントアウトされて(文字入り)渡されたということがあったっけ。

なぜ航空基地に写真員養成期間があるかというと、写真員は海軍時代、
航空機による写真偵察を行うことを目的に誕生したからだそうです。

「かしま」前部寄り舷門にも二人立っています。

海幕長、現在巡閲中。

「かしま」VIP専用、特別仕様のボートを撮っておきました。

「いつかあれに乗ってみたいものです」

わたしの隣の方がわたしに向かって囁きました。
うーん・・これだけは国賓級の来客でないとダメじゃないかな。

今年はついに小野寺防衛大臣のご来臨を仰ぐことになりました。

いつ見ても腰の低い防衛大臣でいらっしゃいますが、この時は
御年91歳、元衆議院議長の綿貫民輔先生がここにおられたので、
もうほとんど平身低頭状態でご挨拶なさっています。

右側に仁王立ちしているのは防衛相のSPですが、
いつ何があっても小野寺防衛相に覆いかぶさって守る気満々な態勢。

練習艦隊出航に向けて、防衛大臣からの挨拶。

防衛大臣の激励の辞に耳を傾ける実習幹部たち。
練習艦隊出航行事に防衛大臣本人が出席するのはわたしの知る限り初めてです。

国会の期間でもあるため、いつも政務官とかせいぜい副大臣なので。

そしてこの方も練習艦隊行事では初めてお見かけしました。
「文藝春秋」の腕章を携帯されているところを見ると、
どうやら次の写真集はここから出版されるようですね。

防衛大臣の次に挨拶されたこの方、みなさんどなたかご存知ですか?

元スピードスケートの選手で、引退後政治家に転身された
堀井学外務大臣政務官です。

練習艦隊は日本の親善大使の役割も担って世界を周航するのが任務です。
本日の式典には訪問先関係者である、メキシコ、スウェーデンの駐在武官や
在日大使館関係者も何人か来賓として参加していることから、
外務省代表として彼らを激励するために出席したのでしょう。

リンク先を読んでいただければわかりますが、堀井政務官は、日本では
オリンピックのメダリストとして初めて代議士になった人物だとか。

最後に村川海幕長の激励の辞。

「いかようにも変化する海の厳しさ、美しさを学んでほしい」

「伝統のユーモア精神を発揮して」

「半年後の諸君の帰りを一日千秋の思いで我々は待っている」

などといったフレーズは、練習艦隊出航の際の定型句です。
訓示の最初に練習艦隊の出航のことをして

「鹿島立ち」

と表現したのは、もしかしたら去年の真鍋練習艦隊司令の一句から
着想を得られたのかなとちらっと思いました。

続いて練習艦隊司令官の出航あいさつが行われました。

「行ってまいります」

という内容のあいさつと敬礼を、普通の観閲官は黙ったまま受けるのですが、
律儀で心優しい(知らんけど多分)小野寺大臣は、アドリブで

「行ってらっしゃい」

とそれに返答したため、一瞬泉司令は戸惑ったように見え、
一旦下ろした敬礼を改めて
行っておられました。

ちなみに最前列は全員政治家で、白髪のブルースーツはHSK議員です。
HSK先生、政界の大物綿貫氏には、

「先生!HSKでございます!」

と大声でアピールしておられました。

儀式が終わり、行進曲「軍艦」の調べの中、総員乗艦となりました。
今年の練習艦隊司令官は花束を持ったまま乗艦を行うようです。

例年、花束をもらったあと、すぐに副官に渡す司令官がほとんどで、その結果、
副官が
花束を持って行進するということになるのですが、泉司令の場合、
持ったまま歩くのがご自身の雰囲気に似合っているような気がしました。

司令官がそうすれば当然艦長たちもそれに倣い花束を持って歩くことになります。
「まきなみ」の大日方艦長も。

そして、目の前を敬礼した実習幹部たちが通り過ぎていきます。

  

  

   

艦長乗艦。
次にこの逸見岸壁に彼らが降り立つのは、半年後の10月30日となります。

 

続く。