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フライトオペレーションと空母「フォレスタル」の事故〜「ミッドウェイ」博物館

2018-08-20 | 航空機

空母「ミッドウェイ」飛行甲板の展示をご紹介しています。

正面から見るとピエロの顔みたいでいまいちかっこよくない、

A-7 コルセアCorsair II

は、アメリカ海軍が初めて導入した軽爆撃機(艦上攻撃機)です。
1967年以来ベトナム戦争から1991年の「砂漠の嵐作戦」まで活躍しました。

この独特なデザインのため、いろんなあだ名があったと言います。

「ザ・ハーレー(The Harley)」

「スラッフ(SLUF )」

「ザ・ゲーター(The Gator)」

SULFは Short Low Ugly Fellow、「チビのアグリーな奴」の意味で、
これがパイロットの間では一番ポピュラーな愛称だったようです。

「誰がSLUFって呼んでるって?」

あるコルセアIIのノーズ(ボディかな)ペインティング。
ハーレーというのはあのハーレーダビッドソンのことでしょうか。
「ゲーター」はアリゲーターのことで、甲板のスタッフが主にこう呼んでいました。

確かにコルセアII、どことなくワニを思わせるシェイプをしています。

wiki

ノーズ下のインテイクという発想はF-8「クルセイダー」からきています。
自慢ではありませんが、機体音痴のわたしなどは今でも時々両者を混同します。

見分け方は、インテイクが分厚いのがコルセアII、薄いのがクルセイダー。

機体の近くにボマージャケットが夏場にも関わらずかかっていました。
音響装置のようなので、ボランティアでトークをするベテランの私物でしょうか。

もしかしたらもうすぐイベントが始まるところだったのかもしれません。
テントの下には何人かがトークショーの始まりを待っているようでした。

残念ながらわたしは時間がないのでイベント関係は全てパスです。

このコルセアIIは、空母「コンステレーション」CVA-64
艦載機であったことがペイントでわかります。

コンステレーション(Constellation)というのは星座という意味ですが、
アメリカ国旗の星を表す言葉でもあります。
事実上「アメリカ合衆国の旗艦」だった「コンステレーション」の
艦載部隊だったVA-97「ウォーホーク」のテールコード「NH」が見えます。

テールコードとはアメリカの軍用機の垂直尾翼に記される
機体認識のためのイニシャルで、2つのアルファベットからなり、
機が所属する基地と、部隊マークからなる所属部隊を表す形で構成されます。

例えば横田エアベースの所属機は「YJ」で、「J」はおそらくジャパンを意味します。
二文字で基地を表さなくてはならないため、法則はかなりランダムで、
例えば、

AF エア・フォース・アカデミー

RA  ランドルフ・エアベース

のようにそのものがあれば

NV レノ・タホー (ネバダ)
OH  スプリングフィールド(オハイオ)

のように州名からの二文字のこともあります。
そうかと思えば

SA ロックランド・エアフォースベース(テキサス)

のように一体どこから取ってきたのか謎(多分TECKI-SA-S)なものも。

この「NF」は、VFA-97が海軍航空基地(NAS Lemoore)所属ということで
「ネイビー」とエアフォースの「フォース」から取ってきたのではないかと
わたしは推測してみたのですが、本当のところは知りません。

どなたかご存知でしたら是非教えてください。

 

ウォーホーク部隊はコルセアIIでベトナム戦争に参加し、ここでもお話しした、
アメリカ人とベトナム人を崩壊時のサイゴンから救出する大作戦、

「オペレーション・フリークェント・ウィンド(頻繁な風)」

に参加し、その支援を行なっています。

wiki

空母「ミッドウェイ」乗組で横須賀勤務も経験したアメリカ海軍下士官、
ジロミ・スミス氏の著書「空母ミッドウェイ」には、ある日ミッドウェイに着艦した
物資輸送のヘリから「ものすごい美人」なパイロットが降りてきて、
彼女がトイレを使用している間、前に立って見張りをしていたという話が出てきます。

今では普通に女性軍人が勤務している米海軍空母ですが、当時は男だけでした。
しかし、輸送艦などにはすでに女性の乗員が勤務していましたし、
コルセア IIの戦術電子飛行隊にはご覧のように女性パイロットもいました。

彼女らの後ろは間違えようのないインテイクの形をしたコルセアIIです。

ところでコルセアIIはよく見るとカタパルトに乗った状態で展示されています。

カタパルトとはご存知のように航空機の射出機ですが、
これは甲板に二箇所設置されている油圧式のH4-1型の一つとなります。

カタパルト発進するF/A-18

F/A-18 Hornet Catapult Launch - USS Nimitz

現在の空母上でのフライトオペレーションの様子です。
ところで、これも観ていただけますか。

Foreign Object Debris Walk-down On Supercarrier USS George H.W. Bush

色とりどりのシャツを着た人々が、甲板の上をぞろぞろといった感じで歩いて行きますが、
これは決して朝の朝礼に向かうところでも、ウォーキングしているのでもありません。

「FOD Walk Down」(フォッド・ウォークダウン)

といって FODとは

「Foreign Object Debris」

つまり簡単にいうと、ゴミ拾いのために甲板を歩いているのです。
空母ではフライトオペレーションの準備として必ずこの作業を行います。
フライトの前に、数十人から100人単位が、フライトデッキの艦首から艦尾まで
一列になって(この映像では参加者が多いので三列以上になっている)
下を見ながら歩いて落ちている小さなゴミを拾って歩く作業です。

どんな小さなゴミ、例えばネジ一本でも、耳栓でも、コインでも、
残っていて艦載機のエンジンに吸い込まれると大事故に繋がるからです。

このウォークダウンには、声がかかった時に甲板にいる者が
問答無用で全員参加しなくてはなりません。
天気が良いと、ウォークダウンは一休みの口実になるので、
フライトデッキ以外からも集まってきますが、寒い日や雨や雪が降っていると
誰も出て来ないので艦長が直接命令をする羽目になることもあります。

こういう時には、イエローのシャツを着た「ハンドラー」(航空機の移動を取り仕切る)
のためのパシリである歩兵部隊の水兵たちが、目の色を変えて
艦内を除いて周り、参加していない人たちを引きずり出して参加させるのです。

ちなみにこのパシリは「ハンドラー」から絶対の権限を与えられ、
ハンドラーの命令以外では一歩も動かず、やたらと威張っていたとか。


着艦では機体が甲板にタッチダウンした途端、フックがアレスティングワイヤーに掛かり、
艦載機が驚くほど急激に停止する様子がご覧になれます。

タッチダウンの瞬間、艦載機はパワーをフルにします。
ワイヤーは全部で3本ありますが、その全部をミスしても、
すぐにもう一度飛び立ち再びアプローチに向かえるようにです。

しかしほんの稀に、このパワーを失速させてしまい、
フックをかけることもできずに海に墜落する事故も起こります。
今は知りませんが、少なくとも「ミッドウェイ」では、
夜間着艦アプローチをして着た早期警戒機E-2がフックを引っ掛けず、
何を思ったかその瞬間パワーを落としてしまったため、
夜間の海に墜落するという事故が起こったことがあります。

E-2「ホークアイ」はご存知のように背中に大きな円盤を背負っており、
海に落ちた時、海上にはこの円盤だけが見えていたそうです。

おそらくこの円盤の浮力だけで機体は数十分浮いており、この間
プレーンガードのため飛んでいたヘリがホバリングを続け、
「ミッドウェイ」からはSAR(サーチ・アンド・レスキュー)隊員が
飛び込んで救出作業を行いましたが、7名の乗員のうち2名は
機体と共に暗闇の海に消えていったということです。


ビデオでは着艦の後、発進のシーンが見られます。
2:18~で、発進するF/A-18の後ろに鉄板が立ちあがります。

これはジェット・ブラスト・ディフレクター、JBDといい、
「ミッドウェイ」の時代にも同じように稼働していたものです。

フライト・オペレーションでは次に飛ぶ艦載機は後ろで待機していて、
前の機が発進しJBDが閉まるとカタパルトまで移動し、発進を行います。

 

この映像ではそんな風に見えませんが、昔も今もフライトオペレーションは
大変危険な事故が起こりうる時間で、たとえどんなに完璧にオペレーションが
行われたとしても、事故を完全に防ぐことは不可能だといわれています。

 

例えば「ミッドウェイ」でも、まさにこのカタパルトからF-4が発進した時、
先端のウォーターポンプが破損し、同時に艦先端がすっ飛んで
カタパルト前部がめちゃめちゃに壊れたという事故がありました。

この時に破損して飛び散ったデッキの破片がインテイクに吸い込まれ、
そのせいで「ファントム」は海に真っ逆さまに落ちていったそうです。


しかし、空母のフライト・オペレーション史上、最大かつ最悪の事故は
1967年7月29日、
空母「フォレスタル」で起きた「F-4誤射事故」でしょう。

発進を待つ「ファントム」から、なんと誤ってミサイルが発射され、
デッキの反対側にいた A-4「スカイホーク」の燃料タンクに命中、
大爆発を起こし、燃料満載で待機していた他の艦載機に誘爆してしまいました。

ちなみにこのスカイホークはあのジョン・マケイン大佐の機だったそうです。
機体にミサイルが命中したのによく大丈夫だったなと思うのですが、
マケインはすぐさま脱出し、爆発と火災が広がっていたので、
治療を受ける前に爆弾を海に投棄する手伝いを行なったと自伝で述べています。

(あかん・・・・)

この時のドキュメンタリーがヒストリーチャンネルで制作されています。

USS Forrestal Fire 1967 (extract from History Channel Documentary)

F-4のパイロットがスイッチを入れた途端、ちゃんと装着されていなかった
セイフティピンが外れて、(強風で外れることがあった)ミサイルの発射装置が
アクティベイトされ、A-4に命中。
燃料が甲板に広がり、爆発の瞬間、27名が死亡しました。
その中には、消火活動を行なっていた消防隊の指揮官も含まれていました。

それから4分の間に6つの爆弾が爆発し、火災を引き起こして、
さらに91名が死亡。
18人の遺体はついに見つからなかったということが述べられています。

こちら海軍が製作した長めのドキュメンタリー、というか「啓蒙ビデオ」。

Trial by Fire: A Carrier Fights For Life (1973)

4:00くらいから実際の甲板上の映像、爆発の瞬間と火災、
その凄絶な現場が淡々と映し出されます。

12:20ごろには総員による必死の消火作業が写っていますが、
小爆発を繰り返す地獄のような甲板で、ホースを抱えて
突進していく乗組員たちの姿には涙が溢れてしまいました。

このタイトル「ラーン・オア・バーン」(学ぶか燃えるか)は、
消火活動を行う部隊の教育のために作られ、海軍では全員が
必ず観ることを義務付けられています。(多分今でも)

一次火災を消火するために現場にいた消防士が
ほとんど最初の爆発に巻き込まれて死亡してしまい、
残りの消火活動は訓練が十分でない乗員が行うしかなかったこと、
火災の消火のために水を掛けたため、それによって燃料が広がり、
火災を下の階に広げたことなどが教訓として残されました。

「フランクリン・ルーズベルト」

この事故を受けて、全てのアメリカ空母には「デッキ・エッジ・スプレー」、
全甲板を水、あるいは泡で洗い流す消火システムが搭載されました。


それから蛇足ですが、この事故の原因がなぜかA-4のパイロットであった
マケイン大佐の「ウェットスタート」のせいであり、父親が提督であった
マケインのミスを隠すために海軍が情報を捏造したという説が流れているそうです。

どうしてミサイルをぶつけられた艦載機のパイロットに責任があるのか、
全くこの事故に詳しくなくとも理解できないデマの類だというしかないのですが、
どうもマケイン・シニア議員を貶めたい民主党支持派が流しているようですね。

北朝鮮のミサイル発射は安倍首相がやらせている!に始まって、
獣医学部がオープンするのも、官僚がセクハラを行うのも、
ポストが赤いのも、安倍が悪い!アベガー!

と主張している人たちをなんとなく思い出してしまいました。


防衛団体で以前「ロナルド・レーガン」を見学した時、
引率をしてくださった元海幕長が、

「過去幾度となくあった事故を教訓とし、困難を乗り越えて、
アメリカ海軍は今日の空母を作り上げた。
空母はその知恵と、努力と長きにわたる研鑽の賜物です」

と言っておられたのが忘れられません。

敗戦によって断絶した我が国の空母の系譜ですが、今後「いずも」が
カタパルトを先端に搭載した固定翼機艦載空母となった時、
その運用技術のほとんどは、アメリカが何十年もの間に亘り血の汗を流して
築き上げてきた「先人の知恵」に多くを負うことになるのでしょう。

その時にはそれを真摯に受け止め、アメリカ海軍の空母史において
安全の礎となった軍人たちの犠牲にもぜひ思いをいたしてほしいと思います。

 

 

続く。