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USS「マリアーノ・G・ヴァレーオ」〜メア・アイランド海軍工廠博物館

2019-05-09 | 軍艦

メア・アイランド海軍工廠では第二次世界大戦から潜水艦の建造、
あるいは改装を中心としてきました。

今日ご紹介する潜水艦「マリアーノ・G・ヴァレーオ」はその一つです。

最初に「ヴァレーオ」の名前に館内で出会ったのは、
この、海軍作業服の帽子の文字でした。

MINNELEYさんという元乗組員の着ていたものです。

その隣には「ヴァレーオ」の大きな模型、キールレイの時のペナント、
写真などのコーナーとなっていました。

潜水艦というと魚の名前をつけるのが普通ですが、たまに
人の名前が付けられることがあります。

「マリアーノ・G・ヴァレーオ」

は、カリフォルニア軍の指令であり、聖職者、政治家であった
マリアーノ・グアダルーペ・ヴァレーオ(1807−1890)
の名前から取られました。

カリフォルニアの英雄というような位置付けの人だそうです。
メア・アイランド海軍工廠のあるヴァレーオ(ヴァレーホということも)
の地名は、まさにこの人物の名前から取られました。

メア・アイランド生まれ、つまりヴァレーオ生まれなので
この名前が選ばれたのでしょう。

ところで、彼女と同じメア・アイランド産である
「ベンジャミン・フランクリン級」の潜水艦の3番艦は
USS「カメハメハ」といいます。

当級は全て人の名前が命名基準となっていて、スティムソンとか
マーシャルとか、我々も知っている名前が見られるのですが、
この「カメハメハ」(ハワイ王国の国王)のインパクトは強いわ・・。

 

手前の灰皿の真ん中にはカリフォルニア出身の彼女のために
クマと、それを取り囲む原潜を意味する原子力マークがあしらわれた
「ヴァレーオ」のマークがあります。

右は建造中の「ヴァレーオ」。
艦首の先が丸くくり抜かれており、そこに上っていく階段が地上から

長く続いています。
これは写真ではなかなか見ることがないシーンでしょう。

そして、左上の写真。
ここメア・アイランドに解体後展示されているかつての
潜水艦内部の前に立つ男性は、説明によると初代艦長、
J.K.ナンネリー氏だと書いてあります。

そう、この博物館には、「ヴァレーホ」の内部が残され、
展示されているのです。

それは、写真とは全く別の場所に背設置してありました。
解体された艦体から、コントロールルームと、それから潜望鏡を残し、
それをここに持ってきたのです。

潜望鏡は「生きて」いますのでのぞいてみて下さい、
と黄色い紙には書かれています。

潜望鏡とその周辺もそっくりここに再現されていました。
子供用に踏み台も用意されています。

急いでいたのでわたしたちは覗きませんでしたが、映画でよく
艦長がシャキーン!と下ろしてぐるぐると回すハンドルは、
さわれないように上げられたままになっていました。

潜望鏡の筒は固定されていて動かせないようになっていたのでしょう。

操舵手が二人で受け持つ操舵室。
映画「イン・ザ・ネイビー」では、ここに割り当てられた二人が、
賭け事好きと彼に賭けられた時ゴールを外したバスケットボール選手、
という組み合わせで、最初は喧嘩ばかりしていたという設定でした。

原子力潜水艦だからディーゼルエンジンとは全く違うというわけではなく、
あの時に彼らが乗っていたという設定の「バラオ」級潜水艦と、
この部分はほとんど同じという気がします。

従来と違うのはこの一番左のモニターでしょうか。

「ヴァレーオ」の推進はS5W (原子炉)でした。

原子炉型式名の S5W は

S = 潜水艦用
5 = 設計担当メーカにおける炉心設計の世代
W = 設計担当メーカー(ウェスティングハウス)

を意味します。

戦闘時に艦体が攻撃された時、原子炉だけは損傷に対する
完璧な抗堪性を備えている必要があります。

これは高安全設計の加圧水型炉であ理、高い信頼性を持ち、
耐久性もありました。

S5Wは1959年に建造された「スキップジャック」以降の潜水艦に搭載され、
1970年代中盤にS6G原子炉を搭載した「ロサンゼルス級」が登場するまで
アメリカ海軍原潜の標準型原子炉となりました。

 

上から見た潜望鏡。
これを覗こうと思えば、大人でも台の上に立たなければなりません。
その理由は、なんとかして外の景色を見せるため、
海軍工廠だったこの博物館の天井に潜望鏡を通したのだと思います。

それをするとスコープの部分がとても高いところになってしまったという・・・。

これが潜水艦部分全体を見たところ。
ハッチだった部分は木の蓋を作って塞いであります。

残された部分に人工呼吸のインストラクションがありました。
右側のキャビネットは

デジタル インターコネクティングボックス Mk9 Mod1

インターコネクトとは、、相互接続(する)という意味の英単語です。
電子機器や電子回路の分野で、半導体チップや電子回路間を接続し、
信号やデータを相互に送受信できるようにする伝送路のことです。

 

右上はこの博物館に「ヴァレーオ」を設置しているところでしょう。

下二つは進水式のときの写真です。
現在の自衛隊の潜水艦進水式は、全てピタゴラスイッチのように、
支鋼切断すればそれがシャンパンを艦首にぶつけて割り、
薬玉が割れて音楽隊は音楽を奏で、ピンが外れて艦体が滑り出す、
とそこまで流れるように進みますが、ここでの進水式は、
いわゆる「スポンサー」、偉い人の奥さんとか娘とか、とにかく女性が
艦首にシャンパンをぶつけて割る、ということを実際にしていたので、
艦首まで上っていく階段を作らなければなりませんでした。

進水式の時の各種報道です。
真ん中の写真に見える女性が「ヴァレーオ」のスポンサー、
ミス・パトリシア・O・V・ マクゲッティガン

添えられた説明によると、

「ヴァレーオのグレイト・グレイト・グランドドーター」

で、カリフォルニア大学のシニア、つまり四年生だそうです。
(大学4年にしては老け・・・落ち着きすぎてません?)
面白いなと思ったのが、「クレイストリートの何番」と
この人の住所まで載せてるんですね。

わたしが好きでよく行く代官山のTSUTAYAの中にあるライブラリーカフェは、
お茶を飲みながら周りに置いてある本を自由に読むことができます。

中でも昔の「平凡パンチ」などの週刊誌は当時の広告も含めて世相を知る意味で
いつも食い入るように読んでしまうのですが、昭和40年代、高度成長期の記事は
なんというかどれもこれもイケイケでアグレッシブなものが多く、今なら絶対に
アウトだろうと思うようなプライバシー無視の煽り記事が多いのに気がつきます。

投稿者の名前が必ず住所と一緒に掲載されていたり、それ以外にも
通りがかりの女性の後ろ姿を勝手に撮って載せて好き勝手に批評したり。
中にはいきなり男性経験を聞くシリーズ(もちろん写真付きで掲載)などもあって
驚かされます。

なんか当時はとにかく今と全く個人情報の扱いが違ったんですね。


閑話休題、右側の新聞には二人の海軍軍人の写真が掲載されています。
左が初代艦長、ナンネリー中佐、右が司令のようです。

新聞のタイトルは

「日曜日、17番目のPーサブが(進水台を)滑り降りた」

とあります。
P-sub の”P"がわからなかったのですが、「ポーポイズ級」潜水艦は
1930年代の潜水艦ですし、「ペルシャン」級はロイヤルネイビー、
「プラウダ」級はもちろんソ連の名前ですし・・・。

はて、何を指してPと言っているのかな?


さて、

 

「SSN」(原子力汎用攻撃潜水艦、あるいは攻撃型原子力潜水艦)

 と

「SSBN」(弾道ミサイル原子力潜水艦)

のタンク・アレンジメントという図解がありました。

上がSSNで、「スタージョン」級原子力潜水艦
下がSSBN、「ラファイエット」級原子力潜水艦の内部です。

適当にいうと、弾道ミサイルの方は隔壁とその他の装備がが前後に寄せられ、
艦体中央部分がごっそり何もありません。
「ラファイエット」級はポラリスミサイルを搭載しており、
昔グロトンの潜水艦基地併設の博物館見学記について書いたとき、

「41・フォー・フリーダム」(自由のための41隻)

と呼ばれていたということもお話ししたかと思います。

さて、「ヴァレーオ」ですが、彼女は就役後、、米国西海岸、カリブ海、
そしてフロリダの海岸沿いに沿ってシェイクダウン(慣熟航行)を行い、
パナマ運河通過も行いました。

そして1967年、母港であるハワイのパール・ハーバーに到着し、
第15潜水艦隊のもとで戦略的抑止哨戒業務を行いました。

初代艦長のナンネレイの似顔絵。
全てのサブマリナーがそうであるように、彼もまた
コネチカット州グロトンの潜水艦学校を出ています。

 

ところでこの変な潜水艦(艦体に84という謎の数字が)は
なんなのでしょうか。

もう一度、それからきっちり40年後の同一人物をご覧ください。
かつて自分が初めて息を吹き込んだ潜水艦のコントロールルームとの再会です。

こうしてみると背中が変な形ですね。

1994年、「マリアーノ・G・ヴァレーオ」は最後の哨戒を行いました。
最後にミサイルをオフロードし、最後にワシントンに寄港して、
「フリー・フォーティ・ワン」の一員としてその艦歴を終えました。

1994年、8月10日にパナマ運河を通過してサンディエゴから北上して
メア・アイランドに到着してから、「ヴァレーオ」は

11日間で3000回以上のツアーを主催

したとwikiに書いてあります。

一般人を潜水艦に乗せて航海することなど絶対にない我が国では
少し考えられませんが、この時には1日平均270回以上のツァーをしたと。

何かの間違いではないかと思い数字を確かめましたが確かにそう書いてあります。

 In port at the Mare Island shipyard the crew hosted
over three thousand tours of the ship in eleven days.

単にそれだけ人が来て中を案内したってことですよね?
最後に彼女を見ようと、人が訪れた、ということなんだと思います。

1995年、退役した「マリアーノ・G・ヴァレーオ」は、ブレマートンで
不活性化され、廃棄に伴うリサイクルプログラムに則って解体されました。
なので、ステイタスには「スクラップ」ではなく「リサイクル」と記されています。

彼女のセイルは今でもメア・アイランド造船所後のニミッツ・アベニュー沿いに
記念として設置されているのがグーグルビューで確認できます。

続く。