元号が変わり、タイトルも「令和元年」となった練習艦隊が出国する予定の日、
天気予報は驚くことに「降雨確率100パーセント」となっていました。
昔こそ「晴れ、然らずんば雨」という潔い態度で二つに一つの予報を行い、
外れたときの非難も甘んじて受けていた(らしい)のに、いつの頃からか
降水確率などという曖昧な予報で逃げを打っている()気象庁が
ここまでキッパリと言い切るからには、必ず、しかもかなりの雨が降るのでしょう。
わたしは前日から覚悟を決め、急遽、
「テントなしの観覧席に座るための日除け重視の装備」
から、レインコートにブーツといった雨装備に変更を行いました。
朝起きると、一緒に行く予定だったTOは、申し訳なさそうに
「昼からの会議に間に合わなくなったら困るから今日はパス」(´・ω・`)
仕事なら仕方ないね。
というわけでわたしは一人で車に乗り、横須賀に向かいました。
家を出るなりワイパーのセンサーは大雨に反応して激しく動いております。
高速道路も皆いつもより2割くらいスピードを落として慎重に走っている感じ。
横須賀に入るランプは今まで見たことがないくらい車の渋滞が伸びていて、
そのおかげで窓から「かしま」の写真を撮ることができました。
艦上には自衛官以外の人の姿も見えています。
実習幹部や乗員の家族は、ホテルに泊まっていた人が多かったようですが、
あとでホテルの人に聞くと、皆さん朝7時半からロビーに集合して出かけたとか。
一般招待客の受付は9時から始まりますが、家族は8時くらいから
艦内の見学ができることになっていたのでしょう。
自衛艦のラッタルでは傘を差すことは禁じられているので、見学も大変だったと思われます。
自衛官は土砂降りでも傘をささないことになっている人種ですが、
流石にこんな日は黒いナイロンのレインコートを着用します。
しかし完全防水ではないし、帽子だって靴だって、濡れたら不快でしょう。
何と言っても一晩で服を乾かしてアイロンがけをするのが大変そう。
さて、横須賀に到着するなり、ちょっとしたトラブル発生。
この日、わたしは車のナンバーをちゃんと出欠ハガキに記しておいたのですが、
入り口で一度承認を受け、許可証をフロントガラスに置いていたのにも関わらず、
警衛の隊員が自転車でわざわざわたしの車を追跡してきて、車を停めたところで
声をかけてきました。
「車のナンバーがこちらの控えには見つからないんですが」
「おかしいな・・ハガキが届かなかったんでしょうか」
「通知のない方は面会の手続きを取って入っていただくことになります」
なんのこっちゃ、とはびしょ濡れで自転車を漕いできた彼には気の毒で
とても言えませんでしたが、言われたからには仕方がないので門まで戻り、
受付のテントで車を降りて聞いてみると、
「こちらの控えにはちゃんと名前も車もちゃんと書いてありますよ」
つまり、警衛にのリストだけナンバーの記載漏れがあったということのようです。
まあ、余裕を見て早めに到着していたので、これだけごちゃごちゃやっても
体育館(会場)に着いたら招待客の中では一番乗りに近い感じでした。
海軍五分前を旨としておいてよかったっす。
席に案内してもらい、コートを脱いで、開式まで時間があったので
化粧室に行っておくことにしました。
この日は体育館のフロアから一階下の洗面所が女性用にあてられており、
すでに廊下に沿って長蛇の列ができていたのですが、そのおかげで
そのフロアにある自衛官用の施設(食堂や理髪店)を見学することができました。
ここは隊員食堂とは別の、民間経営のラウンジというかカフェかと思われます。
シャンデリアがこの体育館が作られた時代を表していますね。
同じ階には広報資料室もあって、写真を撮ってきましたので、
またいつか紹介したいと思います。
化粧室から帰る時、すでに階段には練習艦隊幹部たちが待機していました。
来賓席にはまだほとんど人がいない状態です。
この写真に写っている幕僚幹部や幹部学校長は早くから到着していたようですが、
制服の自衛官以外は本当にギリギリになって入場してきましたし、
わたしの座っている招待者席は、後ろを振り返ってみると
ただの一人も座っていませんでした。
ガランと空いた多数のパイプ椅子の後ろには、隊員の家族がぎっしりと立っています。
招待客のほとんどが、出席の返事を出しながら、この天気で来なかった
(来られなかった)というわけですが、式が始まってから来る人なんかどうでもいいから、
この空いた席に後ろで立っている家族を座らせてあげればいいのに、と思いました。
具合が悪くなって倒れそうになったおばあちゃんもいたんですよ?
10時の開式に先立ち、実習幹部と練習艦隊乗員代表が入場してきました。
晴れていれば純白の制服に身を固めた彼らが「かしま」から岸壁に降りてくる様子が
見られたはずですが・・・。
今回は前日から雨が降ることが決定していたので、実習幹部たちは体育館で
前もってリハーサルを行ったに違いありません。
土砂降りの「かしま」から歩いてきた割には全く濡れた様子がないので不思議です。
練習艦隊の出国行事はいつも全身純白の第1種夏服を着用して行われます。
この制服が採用になったのは昭和33年のことだったそうですが、
自衛隊開隊後4年目で、旧海軍の夏服を思わせるデザインに決まったとき、
旧海軍出身者は皆一様に快哉を叫んだのではなかったでしょうか。
わたしはこの第一種夏服とともに、旧軍と同じデザインの海上自衛隊旗、
そして海軍兵学校とそっくりの防衛大学校の制服に
「よくぞ残してくれました三大デザイン賞」
を差し上げたいとかねがね思っております。
ちなみに「よくぞ残してくれました大賞」はもちろん行進曲「軍艦」です。
神戸での入港歓迎行事にも各種自衛隊支援団体の方々がかけつけていましたが、
この日の豪雨の中でも出航を見送る各種団体は熱心に参加しておられます。
会場の自衛官は全員が白い夏服に身を包んでいます。
将官や佐官などの着こなしには長年着慣れた余裕が感じられますが、
実習幹部の様子が特にパリッとして見えるのは、おそらくこの日が
士官として着る初めての第一種夏服だからでしょう。
官品の制服については「体を制服に合わせろ」などと言われると聞きましたが、
階級が上になると、こだわる自衛官はお気に入りの店で誂えたりします。
今後ろから歩いてくるのはタイ王国からの留学生です。
実習幹部の前に艦長と司令官、右側には練習艦隊の乗員代表が立ちます。
中央の式台付近に座る来賓はこの頃にはきっちり到着していました。
二列目の自衛官は海幕勤務とかではないかと思われます。
各国武官と大使館から、政治家、防衛省関係、アメリカ海軍の軍人、そして
海上保安庁からも何人か列席していました。
右側の背の高いアメリカ海軍の大佐は、部下らしい女性軍人と連れ立って来場していましたが、
座る席が見つからず、ウロウロさせられていてちょっと気の毒でした。
防衛副大臣が入来し、儀仗を受ける時に軍人が立ち上がったので、
その間に挟まった民間の来賓たちも全員が立ち上がってしまっています。
アメリカ軍の女性軍人は、わたしのさらに斜め後ろに座っていて、
前で何が起こっているかわからないらしく、とりあえず、
大佐が敬礼するのを見て慌てて敬礼する、という形で乗り切っていました。
どうして二人の席を並べてあげなかったんだろう。
さらにこの後、来賓の紹介が行われたのですが、いつもは名前を呼ばれたら、皆
「行ってらっしゃい」とか「頑張ってください」などと一言コメントをいうのに、
最初の人(どこかの大使)が返事をしなかったものだから、続く全員が
黙っているしかない雰囲気になってしまいました。
後になって返事をしたら、返事をしなかった最初の人に恥をかかせると思ったのでしょうか。
なんだか、フィンガーボールの水をゲストが飲んでしまったので、ホストが
恥をかかせないため自分も飲んだ、という話を思い出してしまいました。
防衛副大臣が儀仗令を受けている間の敬礼。
女子幹部は髪の毛は後ろでまとめるかショートカットが原則です。
男性のように刈り上げてしまっているボーイッシュ女子もいますね。
防衛副大臣原田賢治氏の訓示。
練習艦隊司令官、梶元大介海将補。
流石の堂々たる立ち姿、全く隙がありません。
続いて、新海幕長山村海将の訓示が行われました。
海幕長の訓示は大体の雛型が決まっていて、それを人によって
少しずつアレンジして行うことが何回も出席して分かってきました。
「千変万化に姿を変える海」
「諸君は様々なことを学ぶであろう」
「伝統のユーモア」
「乗員の諸君は実習幹部のお手本となって欲しい」
「家族の皆様、感謝いたします」
こういったキーワードは必ず訓示に登場します。
続いて、横須賀市長や水交会会長などからの花束贈呈。
練習艦隊司令は、花束を副官に一旦預けます。
そして、原田防衛副大臣に出航報告を行います。
そして、家族席、来賓席に向かって敬礼をしながら歩き、体育館を出て乗艦を行います。
行進はもちろん行進曲「軍艦」の演奏に乗って行われます。
一般人たちは拍手で、軍人たちは敬礼で見送ります。
家族席の前は自分の家族を探して視線がそちらに向いてしまう幹部多し。
さて、練習艦隊が出て行ってしまった後、アナウンスがありました。
「本日は天候のため、岸壁での見送りは行いません。
皆様は観覧席からお見送りください」
はて、観覧席って何かしら。
近くの自衛官に聞いてみると、体育館観覧席のこと。
体育館フロアから一階上がってみると、狭い通路にが巡らされ、
胸の高さくらいに横長の小さい窓があり、皆そこから下を覗き込んでいます。
わたしが見ると、もう「いなづま」は出航しようとしていました。
とりあえず窓ガラスを開けてレンズを外に出すようにして撮影しました。
すでに最後の舫が今岸壁から離れようとしています。
艦首では、出航の瞬間を待って国籍旗を降ろそうとしている乗員の姿がありました。
そして出航。
艦体が岸壁から離れていきます。
「いなづま」の舷側にも実習幹部が登舷礼に立っています。
ここを出て行くやいなや乗艦し、次の瞬間レインコートを着て立つという超早業です。
それにしても、この写真を見て、出航当時の雨の強さがおわかりいただけるでしょう。
この日一日を通して出航の瞬間がもっとも風雨が強かったのではないかと思われます。
おそらく彼らの帽子はあまり役に立たず、
その顔には遠慮会釈なく激しい雨が吹き付けていたに違いありません。
そして皆の姿勢が心持ち前かがみに見えるのは、風があまりに強いせいだと思います。
そこであゝ無情にも「帽振れ」の号令が・・・!
言っておきますが、この画面の白いのは雪ではありません。雨粒です。
おそらく艦内のシャワーくらいの水量だったと思われます。
どうしても俯き加減になってしまう幹部もいますが、
昂然と面を上げて、しっかりと帽振れを行なっている強者もいます。
わたしの近くで窓越しに見ていた年配の方が、
「本人たちは大変だけど、雨の中の出航っていいもんだねえ」
と感に絶えぬように呟きました。
自衛官を志して、防大なり幹部候補生学校の門をくぐったその日から、
幾多の厳しい訓練に耐えてきた彼らにとって、雨に降られるなどは
わたしたちが思う「大変なこと」のうちに全く入らないのかもしれません。
続く。