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初期の観測用ロケットと「スペースモンキー」〜スミソニアン航空宇宙博物館

2022-06-17 | 博物館・資料館・テーマパーク

さて、前回「ロケット三兄弟」という言葉を紹介しついでに、
スミソニアンに乱雑に?立ててある各種ロケットについて
ちょっとだけご紹介してみた訳ですが、続きとまいります。

WACコーポラルロケットなどと同じ、観測用ロケットです。

■アエロビー AEROBEE 150
〜海軍初の打ち上げ観測ロケット


機体中央部の模様が中華丼風というかギリシャ風なのはなぜ。

アエロビー150ロケットは初期の観測ロケットで、
その期限を遡れば、酢電位1947年には打ち上げられています。

アエロビーシリーズもやはり、ナチスドイツのV-2ロケットの
技術転用による開発で生まれました。

こうやって見ていくと、本当にアメリカのロケット技術者は
ナチスドイツとフォン・ブラウンに足を向けて寝られないくらいです。

それはいいのですが、アメリカ、せっかく乱獲してきたV-2ロケットを
たくさんあるからと気を大きくして、惜しげもなく
宇宙線の性質や太陽スペクトル、大気中のオゾン分布など、
各種データ収集にふんだんに使いまくって消費してきたため、
だんだん数が足りなくなってきました。

そもそもV -2の組み立てと打ち上げには結構な費用がかかったのですが、
まあ基本的に、戦後のアメリカという国は、宵越しのV-2は持たねえ、
なくなりゃなんとかならあなくらいの感じだったんだと思います。

そして前回ご紹介したWACコーポラルは小さすぎて
積載量が少ないことから、新たに科学研究に使うための
安価で大型の観測ロケットを開発することになったのです。

建造の中心となったジェームズ・ヴァン・アレン応用物理研究所は、
エアロジェット社にその条件に合うロケットを発注し、
同社とダグラス・エンジニアリングの共同で開発が始まります。

ところでこの「エアロビー」の「ビー」ですが、ご想像の通り蜂のことです。

エンジン製造元の「エアロジェット」の「エアロ」
海軍の誘導ミサイル計画の「バンブルビー計画」「ビー」を合体させて、
「エアロビー」というわけです。

何度も言いますが、この頃はロケット開発を陸海空別々に行っていたので、
ネーミングまで別々となり、
海軍ではRTV-N-10(a)、空軍ではRTV-A-1と命名されています。

その後空軍はが949年12月に打ち上げた最初のロケットは、
宇宙からの写真を撮るのに成功しましたが、本体を翌年まで回収できず、
見つかった時には中身は無くなっていました。

しかし、その後打ち上げた32機のエアロビーはほとんどが成功し、
1951年にはを乗せて打ち上げたりしています。

今回は打ち上げられた猿についてお話ししようと思います。

■ エアロビーと「スペースモンキー」

あ、あんた俺が見えるのかい?ってそら見えるわ

Animals in Space - Aerobee 3 Sounding Rocket Documentary
お猿さん、アルバートVIヨリック生還の瞬間は12:33〜
エアロビーの説明は3:48〜

あまり話題になったことはありませんが、
アメリカはドイツから取ってきたV-2で猿を打ち上げているのです。

そのお猿さんたちの悲惨な運命について書いておくと、
初代は飛行中に窒息死、二匹目はパラシュートが開かず激突死、
三匹目は空中爆発死、四匹目はパラシュートが開かず激突死。

V-2に載せられた4匹の猿の名前は順番に
アルバート I、II、III、IVでした。

便宜上振り分けた名前なのに1世、2世って・・・。

それにアルバートだったらヨーロッパの王族に同じ名前の人がいるでしょ?
アルブレヒト6世とか、アルベール2世とか。
6世と2世がいるくらいだからきっと他にも実在してたはず。

アメリカ人には全く関係ないからって失礼じゃないの。

さて、エアロビーに載せられたのはアルバートのVからです。
彼は激突死しましたが、その次のアルバートVIは宇宙から生還しました。


生還したアルバート6世

アルバートという名前が失敗続きだったので、縁起を担いだのか、
アルバートVIにヨリックという「別名」(愛称かな)
をつけたのがよかったのかもしれません。

だがしかし。
宇宙から生還した初の霊長類に、アルバートVI、akaヨリックは、
着陸してから2時間後に死亡しました。

彼は高温のカプセルの中で、救出まで2時間の間に脱水症になったようです。
この時のアエロビーには、ヨリックの他にネズミも載せていましたが、
もちろん彼らも全員が生きてはいませんでした。

関係者は彼の功績を称え、デスマスクを製作しています。

アルバート6世デスマスク

エアロビーによる打ち上げでは、この後アルバートという名前は廃止され、
代わりにパトリシアとマイクという名前のつがいを乗せたところ、
彼らは生還した上、着陸後も長生きしたということです。

やっぱりアルバートがまずかったのでしょうか。


エアロビーはその後40年にわたって天文学、物理学、航空学、生物医学など
膨大なデータを収集するという役割を果たし続けました。

■スペース・モンキーズ

さて、アエロビーに乗せた猿の話が出たついでに、
今日はアメリカの実験で宇宙に打ち上げられた霊長類について、
お話をさせていただこうと思います。

ロケットに生命体を乗せることは、先ほどのビデオにもあったように
早くから試みられてきましたが、ソ連は犬を最初に取り上げたのに対し、
アメリカはネズミの次にいきなり霊長類を打ち上げようとしました。

もちろん最初は小さな猿からです。

V-2ロケットに最初に乗せたアルバート1世と2世、4世はアカゲザル、
アルバート3世はカニクイザルという種類で、
カップルのパトリシアとマイクもカニクイザルでした。

【ゴード Gordo】



1958年、ジュピターA M-13で打ち上げられたリスザルのゴード、
別名オールド・リライアブル(信頼くん?)は、
15分間の弾道飛行に成功しました。

しかもカプセルは着水予測の1m以内にどんぴしゃりで着水したのに、
その後カプセルごと行方不明になってしまいました。

つまり回収できなくて助からなかったということです。
衝突の瞬間までゴードが生きていたということはわかったため、
計画は成功🙌とされたようですが。

生きて帰ってくるまでが遠足、じゃなくて計画ってもんじゃないのか。

【エイブルAbleとミス・ベイカー】


わたしが行った時には貸出でもされていたのか、メンテ中だったのか、
見ることはできませんでしたが、スミソニアン博物館には、
ジュピターA M-18に搭乗したエイブルの実物があります。

実物、つまりご遺体の剥製です。

1959年、アカゲザルのエイブルリスザルのミス・ベイカーは、
宇宙旅行の生物医学的影響を調べるために計画された陸軍の実験で、
ジュピターに乗せられて、ケープカナベラルから打ち上げられました。

Space Monkeys Able and Baker

彼らの宇宙船は最高高度482kmから時速16,000kmで下降して
大気圏に再突入し、海軍艦船に回収されることに成功しました。
映像によると、彼らを回収したのは海軍のタグ「カイオワ」です。

コーンから艦上で引き出されているエイブルの姿がまさにこれ。


彼らはミッション成功後、記者会見まで行ったようです。
猿なのに。

しかし、エイブルは飛行後手術を受けることになりました。
おそらく体組成などを調べるための当人にはなんの必要もない手術で、
麻酔から覚めることなく死亡してしまいました。

陸軍が1960年にエイブル(の剥製)をNASM(スミソニアン)に譲渡し、
国立自然史博物館が保存することになったので、
宇宙博物館は宇宙開発関係の展示の一環として
時々ご遺体を「借りてくる」のかもしれません。

エイブルの剥製は宇宙に打ち上げられた時の姿をそのまま再現しています。

猿も打ち上げ中、身動きできないのは死ぬほど苦しかっただろうに、
死してなおこのような状態のままというのは本猿的にどうなんだろう。

ちなみに彼らの名前は、アメリカ式フォネティックコードのAとBで
エイブルとベイカーと付けられたそうですが、
この名前は(どちらもメスなのに)女の子っぽくないので
どちらも常に「ミス」をつけて呼ぶことになっていました。

自衛隊のフォネティックコード、アルファ・ブラボーではなく、
こちらは、

エイブル・ベイカー・チャーリー・ドッグ・イージー・フォックス・ジョージ

となります。

ついでにベイカー嬢のビデオもどうぞ。

彼女はあまりに賢くて可愛いかったため、
「親切に思いやりを持って世話をする」という意味の
「Tender Loving Care」からTLCと医師から呼ばれていたと言ってます。

アメリカにTLCというネットワークがあったけどそういう意味だったのか。

The Story of Miss Baker


そして彼女は、アストロノーならぬ「モンキーノー」(Monkeynaut)として
「正しい資質」The Right Stuff ザ・ライト・スタッフ
を持っていたと激賞されています。

ミス・ベイカーは帰還後ファンレターが殺到し、専用の秘書が付き、
死後は宇宙基地内に立派なお墓を作ってもらって、
連れ合いの隣に静かに眠っています。

お墓には、今も訪れる人がバナナ🍌を供えていくそうです。


【サムとミス・サム】


猿権なし

1959年12月、アカゲザルのサム
マーキュリー計画のリトルジョー2号機で、
1ヶ月後にミス・サムリトル・ジョー1Bに乗せられました。


ミス・サム(流し目美人)

ミス・サムは8分35秒の飛行に耐え、宇宙に行った猿の一頭になりました。
名前のSamは、テキサス州サンアントニオにあるブルックス空軍基地の
航空宇宙医学部 the School of Aerospace Medicine 
から取られています。

【ハム】



そういえば、昔アメリカにいた夏、MKが観たいというので
「スペース・チンプス」という映画を見に行ったことがあります。

Space Chimps - JoinMii.net Wii Trailer


実験ではなく、ちゃんと宇宙飛行士扱いされている猿たちが主人公で、
実験動物として乗せられていた実態とは全く別世界の話ですが、
主人公?のチンパンジーの名前は「ハム3世」だったのを覚えています。

これは誰でも知っている、マーキュリー計画で打ち上げられた
チンパンジーのハムの子孫という設定だったのでしょう。

Hamという名前も、ホロマン空軍基地の、

ホロマン航空宇宙医学部
Holloman Aerospace Medicine 

から取られています。

ハムは2歳からその名前の元となった、
ホロマン空軍基地航空医療フィールド研究所で
青い光の点滅を見てから5秒以内にレバーを押す訓練を受けました。

正しい反応をすればバナナペレットがもらえますが、
逆に失敗すると足の裏に軽い電気ショックがかかる飴と鞭作戦です。


1961年、ハムはマーキュリー計画のミッションの一環として
フロリダ州ケープカナベラルから軌道下飛行で打ち上げられました。

その生命反応と行動を、地球上のセンサーとコンピュータによって
常に監視されながら飛行を終え、カプセルは大西洋に落下し、
その日のうちにUSS「ドナー」によって回収されました。

ハムの身体的損傷は鼻の打撲だけ。
飛行時間は16分39秒でした。



回収されたLSD-20「ドナー」の甲板で、艦長の歓迎の握手を受けるハム。

ちなみに、ハムは帰還後ワシントンDCの国立動物園に移され、
その後17年を動物園で過ごし、1983年に亡くなりました。

死後、ハムの遺体は軍隊病理学研究所に送られ、剖検されています。
ハムの遺体も剥製にしてスミソニアンに展示する予定だったようですが、
この計画は、世論が否定的だったせいなのか、中止になりました。

しかし、結局最終的に骨格が残されて、そのほかは埋葬されているので、
「剥製が残酷だったから」とかそういう理由には当たらなさそうです。


ハムのお墓(立派)

ハムの骨以外の部分は、ニューメキシコ州にある国際宇宙殿堂に、
ちゃんとした正式の追悼式の後、埋葬されたそうですが、
その骨格は国立保健医療博物館が所蔵しているのだそうです。

ハムの骨格・国立保健医療博物館

思ったよりバラバラだった。

ハムのテスト飛行の結果は、1961年、アラン・シェパード
フリーダム7で行ったミッションに直接つながる貴重なデータとなりました。

もちろんハムの結果だけが役に立ったというわけではありません。

歴代の実験動物たちが命と引き換えに残したデータの積み重ねが、
人類を宇宙に送ることを可能にしたのです。

アメリカの宇宙開発実験で犠牲になった霊長類は以下の通りです。

 アルバートI 1948/6/11 V2ロケット内で窒息死

アルバートII 1949/6/14 V2パラシュートの故障で激突死

アルバートIII 1949/9/16 V2爆発で死亡

アルバートIV 1949/12/8 V2パラシュート事故で衝突死

アルバートV 1951/4/18 エアロビーパラシュート故障で衝突死

アルバートVI(ヨリック)1951/9/20 エアロビーで打ち上げ成功、着陸後死亡

ゴード 1958/12/13 ジュピターA M-13打上げ後パラシュート故障で死亡

エイブル 1959/5/28 ジュピターA M-18打上げ、帰国後麻酔で死亡

リスザル 
ゴライアス 1961/11/10 アトラスロケット爆発で死亡

赤毛猿 スキャットバック 1961/12/20 軌道飛行後着水後行方不明

ブタオザル ボニー 1969/7/8 バイオサテライト3号着陸後死亡

スペース・モンキーノーたちの尊い犠牲に、敬礼。∠( ̄^ ̄)

続く。