ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ボストン雑感〜トランプとテスラと金太郎飴パン

2016-07-12 | アメリカ

ボストンについてからテレビなどで見たものを中心に雑談します。
今アメリカは例の警察官が黒人男性を射殺した事件と、ヒラリー対トランプの
大統領選一色(二色か)で、空港の爆破事件やバングラデシュの人質事件も
もちろん報じますが、特にCNNなどは朝から晩までこの問題だけを報じている感があります。

先日のトランプの演説ですが、相変わらずのトランプ節でした。

Mosquito Interrupts Donald Trump Rally! Funny


散々「蚊がいるよ、いやだねえ」と言ったあと、

"Okay, speaking of mosquitoes. Hello, Hillary, how are you doing?” 

何が面白いのかと日本人は思ってしまうわけですが、これが大受け。

ヒラリーはずっと独走状態でキワモノのトランプ相手にならず、という感じでしたが
メール問題(国務長官時代、公務に私的なアカウントを使っていた)が

すでに失速のきっかけになっているという説もあるし、ファーストレディ時代の
「ホワイトウォーター疑惑」が尾を引いているといいますし、どうなるんでしょうね。


もちろん日本にとって誰がアメリカの大統領になるかは大きな問題ですが、とはいえ、
自分の国じゃないので、所詮他人事感でわくわくしている自分がいます。



グレード8、というのは日本の中学校2年にあたりますが、
大小がトランプの喋り方を真似ている様子をご覧ください。

 Donald Trump and Little Donald (8th Grade Impressionist)

悲しいのは、彼らのどちらよりも本物の髪の毛の方がずっと前衛的なことでしょう。



さて、ボストンでいつも行くモールに行ってみたら、
去年はなかったテスラのショールームができていました。
こじはボストン郊外のリッチな層に向けて、唯一モールの中に
ヴィトンやボッテガ、グッチなどの店があり、ニーマンマーカスがあり、
アップルもついでにウィンドウズもあるという、ハイエンド仕様ですが、
やはりテスラはそういう層にアピールしているのですね。



西海岸では日本のメルセデス並みに増えてきたテスラ。
東海岸では去年一台も見ませんでしたが、今年は2台に遭遇しました。
一台はモールの駐車場で、ガルウィングのドアを開けて家族が乗り込んでいるところでしたが、
あまり人のことをジロジロ見ないアメリカ人も、この光景には興味深そうに見いっていました。



テスラは(テス、と書いている)自動運転システムを採用しているのが売りです。
この5月、アメリカではその自動運転システムが原因かと言われる事故が発生しています。



事故車は前方で交差点を左折しようとしていた大型トレーラーに突っ込んだそうです。
後方の空が明るく光っていて、白い色をしたトレーラーの側面を自動運転機能が認識せず、
ドライバーもそのとき前方を注意していなかったため、ノーブレーキのまま

トレーラーの車体の下に滑り込む形でクラッシュしたそうです。



オーナーはテスラの自動運転をする様子をYouTubeにあげていました。
彼は車を「テッシー」と呼び、子供が玩具を自慢するように無邪気にテスラを賞賛しています。
彼はテクノロジーコンサルタント会社の社長で、決して技術に無知な層ではありませんでした。



手をあげてもほら、大丈夫、とやったり、横から入ってきた他の車を感知して
車の自動ブレーキが作動する様子などが助手席から撮影されています。




テスラモータースは、13億マイルの実績で初めての死亡事故だとして、

「自動運転だからといって、ドライバーはよそ見をしながら運転していいわけではない」

割り込んできたトレーラーに責任があるのはもちろんのこと、
それを機能が感知できなかったとしても、ドライバーが安全監視をしていれば
事故は起こらなかった、(つまり当社には責任はない)という立場を取っているようです。

ちなみにわたしの愛車は、オートクルーズ機能作動中、前方に車がいる時には
一定の車間距離を取りながら走ってくれ、前方が急停止すれば
急ブレーキを踏んで制御してくれるというものなのですが、わたしは必ず
これを高速走行で使用している時にも、前方を必ず注視してブレーキに足を置いています。

ここでも一度書きましたが、機械任せの機能には、今回の死亡事故のように
人間には読めない状況でのアクシデントが起こる可能性があると思っているからです。



テスラのオートドライブ機能も、車に乗ったら寝ていればいいというものではなく、
むしろ安全監視を人間が行うことが大前提なのだとわたしは思います。

現場の状況によると、死亡したオーナーはDVDを見ていたという話もあります。



日本でこの事故が報じられたとき、インターネットではテスラの声明を
言い訳だとか責任逃れだとか非難する声もあったようですが、今日のニュースによると、
事故車はに搭載されていたのは「高度運転支援システム(ADAS)」という機能にすぎず、
走行中のハンドルや速度の調整は自動で行うが、安全確認を継続することが必要だった、
ということなので、やはり事故原因はドライバーにあるということになりそうです。

NHTSAの区分では、運転中の主要な動作を行うレベルが設けられていますが、
事故を起こしたテスラは下から2番目の「レベル2」に区分されます、
前の車への衝突を回避する
「クルーズ・コントロール」と、車線の外に出ていかないようにする
「レーン・センタリング」機能が付いていただけ、ということなのです。



ちなみにこの区分でいうと、わたしの車は「レベル1」ということになります。
渋滞の時など本当に助かっていますし、走行中取る車間距離が広いのも安心。
高速で後ろから「前を空けるな」という意味不明のクラクションを鳴らされたことが
一度あったり(−_−#)時々前に割り込まれたりされますが、有用な機能だと思っています。



「バトルシップコーブ」に戦艦「マサチューセッツ」を見に行ったとき、
ナビの指示を無視して乗ってしまったら()高速沿いにこんなものが!

おおお!なんだなんだ、マサチューセッツにはこんなところに原子炉があるのか?
と思って調べてみたら、これはサマセットのブレイトンポイントに
わずか3年前にできたばかりの石炭火力発電所だったことがわかりました。



戦艦「マサチューセッツ」に乗ったとき、甲板から撮ってみたプラント。
この糸巻きみたいなのは正確には冷却塔らしいですね。
ニューイングランドにはいくつかの(10くらい?)火力発電所がありますが、
ここのは最大級で、マサチューセッツ州の電気の5分の1をここでまかなえるそうです。

この部分をグーグルマップでみると、写真には稼働前の蓋をした状態が映っていますが、
地図に戻すと、まだ埋め立て前の海のままです。
グーグル、仕事しろ。 

 

さて、突然ですが、テスラのショールームがあるモールには、
なんとアメリカには珍しく、スタインウェイも扱っているピアノ屋さんがあります。

3年くらい前にできたのですが、今年ボストン入りした時に店に入って行って、

レッスンなどが入っていないときの練習室を借りられないか聞いてみました。
日本なら絶対に無理ですが、アメリカは責任者がいいといえば
貸してくれることが多く、ここでもボストンピアノ(地元のピアノメーカー)
の入っている練習室を滞在中毎日朝に借りられることになりました。

昔は楽譜の入ったCDを持っていったものですが、今はiPadにいくらでも
練習したい曲をダウンロードして持ち歩くことができます。



音符やピアノの鍵盤がモチーフのグッズも扱っているので、
記念に鍵盤模様のブレスレットを買いました。



さて、このモールには、アニメや映画のキャラクターグッズ専門店があります。
冷やかしで一度行ってみたのですが、そのときにTOがこんな本を勝手に買いました。

「Men & Cats」という誰得企画本です。



「猫好き」「いい男好き」「ネタ好き」の全てに媚びを売る企画。



すごい筋肉ともふもふの競演。

 

いったい誰をターゲットにしてるのか・・・・。
と言いながらまんまと買ってしまった(わたしじゃないけど)わけだが。



次にほのぼのニュースを。

日本人が見たら「なんだ、珍しくもない金太郎飴パンじゃん」ということ間違いなし。

なんとアメリカではこれしきのことがニュースになっているのです。

金太郎飴の原型である元禄飴はその名の通り元禄時代からあり、
しかも、このしょぼいパンくらいで驚いているアメリカ人には悪いけど、
画像検索すれば、クックパッドですらもっとできのいいパンを
素人の奥さんたちが作ってしまってるんですわ。

金太郎飴パン 画像検索

アメリカの「インチキジャパニーズ」レストランのシェフは、インターネットで
クックパッドとかのレシピを自動翻訳して盗んでいるときいたことがありますが、
このパン屋さんもクックパッドからこのレシピを盗ったのではないだろうか(確信)



えーと、もしかしてハローキティのつもりかな?

ところで、そのニュースの下にさりげなく、

「高校生が学校の外で銃に撃たれて死んだ」

というニュースが・・・。
もう珍しくもなくて日本ではあまりこの事件が報じられなかった気がしますが、
これは今世間を騒がしている警官の黒人銃殺事件、そのリベンジである
警官の銃撃事件が起こる前の話です。



ときを同じくして、車の運転席で検問を受けて、免許書を出そうとしたら
問答無用で4発も胸を撃たれて死亡した黒人男性の事件が起き、
ダラスで抗議する人々が警察と対峙しているときのニュース映像です。
このとき、字幕にもあるように、警官が狙撃されて5名死亡しています。

現在もCNNはこの件について次々と著名人のコメントを求め、
(ビヨンセがいたのには笑った)それをニュースにしています。

「お互いが憎み合う連鎖はやめよう」

といった感じでみんなわりと当たり前のことしかいってないみたいですが。

オバマ大統領は外遊を注視して急遽帰国し、対応に当たっていますが、
こういうときに大統領がアフリカ系なのは良かったかもしれない、と
わたしは子供が考えるようなことをつい思ってしまいました。
  


 


紐育の一日

2016-07-11 | アメリカ

今年ノーウォークに滞在したのは5日だけだったので、
ニューヨークに行けたのは一日だけでした。
やはり来たからにはミュージカルを観たいと思い、カードデスクに調べてもらって
次の日のマチネー(昼公演)で見られる演目を挙げてもらった中から、
今年選んだのは「レ・ミゼラブル」。

去年「シカゴ」を観てやはり英語の台詞の多いのはダメ、ということになり(笑)
曲が有名で筋を知っているものにしました。
調べていて知ったのですが、ブロードウェイで9月から「フローズン」(アナと雪の女王)
が始まるということです、やっぱりミュージカルでも「レリゴー」やるのかしら。



15号線を走っていると、まるでトースターのような
キャンピングカーを引っ張っている車発見。



ハドソンリバーに浮かぶ空母「イントレピッド」が見えたらそれが目印。
左に曲がってブリードウェイに向かってまっすぐ進んでいきます。

 The International Union of Operating Engineers (IUOE) 

のビルが横に見えてきました。



IUOEは全米の主に土木関係の技術者相互協会のようなもののようです。
技術者の派遣をしてトレーニングを行うということもやっています。

 

911で亡くなった関係者が4名おられたようですね。
「わたしたちは決して忘れない」と書かれています。
ニューヨークを歩いていると、ときどきこんな「911の痕跡」を目にします。 



車を運転しながら写真を撮っているのではなく、車が動かんのです(笑)
なぜかというと、それはニューヨークの通行人のせい。

信号が青になると横断歩道を渡る、それはよろしい。

黄色になる。渡るのをやめない。赤になる。まだ渡り始める。
車は進むと人を轢いてしまうので進めない。するとまた次が渡る。
って具合に、車は青になっても一向に動くことができません。

ニューヨーカーが信号を守らないのは世界的に有名ですが、
明らかに赤で車が来ているのに直前に飛び出してくる人もいて、
命知らずなのか車をなめているのか・・・。

歩くより遅い速度で進みやっとジャズライブハウス「バードランド」まで来ました。
手前に「牛角」があるのは知りませんでした。

で、次の問題が駐車場。
街中で車を止めることができるなんて最初から期待していないので、
最初から預かり式のパーキングに入れるのですが、これがもう、

「ニューヨークに行くのが嫌なのはあのパーキング」

という意見が二人で一致するくらい、全体的に従業員が荒々しくて荒んでいて態度が悪い。
チップはもらうのが当たり前、みたいな感じで感謝すらしないし、
最低レートが38ドルからなので、東京の都心より、つまり世界一高い。



去年「オペラ座の怪人」を見た「マジェスティック」まで来ました。
この先のパーキングに皆が入れようとするので待っている車が道にあふれ、
断られたので、もう少し先まで行ったら今度はガラガラでした。



車を降りて劇場まで歩きだしました。
「ライオンキング」がかかっているのは「ミンスコフ」という劇場で、
ここはセブンスアベニューと44thの交わるところです。



ニューヨークに来て道路工事を見なかったことがありません。
いつもどこかで地面を掘り返したり張り替えたりしています。
交通の邪魔にならないように夜中にやる、という考えは全くなさそうです。
 
 

世界の大都市の中でも、混沌としていることではナンバーワンのニューヨーク。
本当にニューヨークだけはアメリカのどこにもにていません。 

そして、ニューヨークに比べると、東京は良くも悪くも清潔だなと思います。




2時からのマチネーのために、とにかくお昼を食べようということになり、
考えている時間もなかったので、去年と同じフードコートで同じものを食べました。
このフードコートには、周辺の劇場の昼公演を観ようとする人が、
みんな同じように腹ごしらえしにくるので激混みで、
座るところを確保するのがとにかく大変でした。
サンドウィッチくらいなら立って食べてもいいんですが、ラーメンはねえ・・。

 

そして劇場に到着し席に着きました。
前日にお願いしたチケットですが、トラベルデスクのあるカード会社が
「専用席」を確保しているので、ぎりぎりでもいい席が取れるのです。
前から5列目の真ん中席でした。



袖の上に「桟敷席」がありますが、ここは実際は観にくいかもしれません。



去年の「オペラ座の怪人」では、冷房が効きすぎていて
冷え性のわたしはサンダルで行って大変つらい思いをしたため、
今年は靴下をバッグに忍ばせていました。

それほど冷房を効かせていなかったらしく寒いとは思いませんでしたが、
靴下のおかげで快適でした。(これから行かれる予定の方、ご参考に)

それから、前にどんな人が座るかも大きな問題です。

去年は、わたしたちの前に巨漢のお父さんお母さんと子供一人、
という家族が座り、わたしはお父さんの後ろだったのでTOと代わってもらったら、
前の子供はすぐに寝てしまったため広々と見ることができたのですが、
TOの前のお父さんは動かざること山の如しだったので結構辛いものがあったそうです。



上映前のスクリーンには「ビクトル・ユーゴー」のサイン入り絵が。



どこの劇場でも結構キャラの立ったジュース売りがいたりするものですが、
ここの人も、ジュースを高々と差し上げ、態度がやたらでかかったです。



待っている間iPadを開けてみたら、WiFiがフリーだったので
繋いでみると、「こんにちは ELLIS(仮名)」と出てきました。



「ああ無情」は、昔読んで知っているつもりでしたが、直前にwikiで(笑)
ストーリーを検索してみたら、随分覚えているのと違いました。
もしかしたら、児童用に簡単にしたものだったのかもしれません。

実はわたし、映画もみていないのですが、これを調べていて、
あの映画で本当にヒュー・ジャックマン、アン・ハサウェイ、 ラッセル・クロウが
吹き替えなしで歌っていたということを知ってショックを受けています。
みんなうますぎないかー?

Oscar 2013 -Les Miserables Live Performance- Entire cast


最後、拍手しているスティーブマーチンとトミーリージョーンズが映ってます。


このときのミュージカルですが、小さいときに話を読んで思った疑問を
もう一度思い出しました。

「脱走した囚人がなんで市長にまでなれたんだろう」

皆さんも不思議じゃありません?
このころの社会というのは今みたいに素性を明らかにされないので、
こういう成り上がりも可能だったってことなんでしょうかね。

それから、配役なんですが、コゼットと結ばれるマリウスに思いを寄せる
テナルディエの娘、エポニーヌがアフリカ系なんですよ。

いや、別にアフリカ系でもいいんです。すこしイメージは違いますが。
でも、テナルディエ夫妻が白人ですよ?
で、子役のときのエポニーヌは白人の女の子なんですよ?

どうして大きくなったら黒人になってるの?

ミュージカルにも一定数黒人を使わなければいけないみたいな掟があるのか
そこのところはよくわかりませんが、これはやめてほしかったなあ。
彼女はうまかったんですけど、とにかく「見た目が違う」という感じ。

さきほどの「ライオンキング」は、ここぞという感じでほぼ全員が
アフリカ系のミュージカル俳優を使っているらしいですし、「シカゴ」も
まあすこし不自然ではあるけど主人公が黒人(うまかった)でした。
黒人キャストでもおかしくない舞台が他にいくらでもあるのだから、少なくとも
1800年代、王政復古時代のフランスが舞台の話にねじ込まなくても・・。

なんか、「海外からの招聘歌手」としてチビデブの韓国人歌手を
よりにもよって「椿姫」のアルフレードにねじ込んだ「金返せオペラ」思い出しました。

新国立劇場の2011年2月17日公演、おめーのことだ!



演劇が終わると、今まで壁だと思っていた部分も全部外につながっていて、
迅速な客の追い出しにかかる劇場でした。

で、外に出てみると、車道にまではみ出す人垣ができています。
たった今演出していたミュージカルスターが、もう着替えて外に出、
ファンサービスのサイン会を行っていたのでした。



で、この野球帽を後ろ前にかぶったにいちゃんが誰かというと、
コゼットの恋人役のマリウスを演じた人。
昔読んだ小説でも印象的だったのは、地下道を延々とジャン・バルジャンが
「娘が愛している憎い男」であるマリウスを背負って歩くシーンでした。

上手い人ぞろいの配役中ジャン・バルジャンを演じた人の歌唱力は素晴らしく、
ファルセットの美しさに思わず涙が滲んでくるほどでしたが、
マリウス役のこの人の声は若干金属的で深みがなかったかな。
テクニックはあるのだし、若いから頑張ってください、っていう感じ。

しかし、ミュージカルの衣装ってあっという間に着替えられるうえ、
男の人はお化粧とかしないみたいですね。



さて、いつも、ミュージカルが終わって車に乗ると、大変な渋滞で
そもそもニューヨーク市内を出ることもままならないので、今年は
ブルックリンで買い物をして時間を潰し、渋滞が無くなってから帰ることにしました。



バットマンとか、いわゆるアメコミヒーローたちがいました。
ニューヨークはこんな人たちがいてもあまり皆立ち止まったりしません。
さっき、グーグルマップを見ていたら、横断歩道をサンタクロースとシカのカップルが
歩いていましたが、周りは全く気にしている様子はないので笑いました。



車を(また嫌な思いをしつつ)取りに行って、チャイナタウンを抜け、
マンハッタン橋を渡ります。



ブルックリンに渡るのには有名なブルックリン・ブリッジとこの橋がありますが、
車のナビはこちらを案内しました。
この時間ブルックリン橋は混むのかもしれません。



ブルックリンのスターバックスで飲み物を買いました。
ここに、ニーマン・マーカスの「ラストコール」というアウトレットがあるので、
一度来てみたかったのですが、わたしは収穫なし。

ラックにBrunello Cucinelliのカシミヤカーディガンがあったのでいいなあ、
と思って着てみるとやたら大きくて、ボタンが逆についているので、

「これ男物だから着てみたら」

とTOに着せてみたらぴったりで気に入ったのでお買い上げしました。
なんと、最終値段は元の値段の4分の1以下になっていました。

ところで、ブルックリンのスターバックスはスタッフも客もほとんどがアフリカ系。
外を歩いている人もほとんどがアフリカ系。
ニーマンマーカスで一生懸命はたらいていた男性もアフリカ系で、
やる気なさそうに働いていた太った若い女性もアフリカ系でした。

 

晩御飯を食べて帰ることにし、「メゾンカイザー」のカフェに入りました。 

金夜だというのにわたしたちしかいないのは、このあたりの黒人の皆さんには
晩御飯にフレンチカフェに行こうという人がいないからでしょうか。



朝食用のバケットを買ったら、おまけにパンをつけてくれました。



カフェを出て駐車場(こちらは預かり式ではない公営のパーキング)に
戻るとき、近辺の建物の中でも取り分け立派なこの建築物に目を止めました。
金曜の夜だというのにまだ二階にも電気が付いています。



歴史的建築物として保存されている「ブルックリン・バーローホール」で、
キューポラに天秤と剣を持っている「正義の女神」が立っています。
今はガバメント・センターとして使用されているそうです。



ブルックリンを離れる橋もう一度渡りながら夕焼けに沈むマンハッタンを撮ってみました。

さようなら、ニューヨーク。

次は来年の夏かな。




 


WELCOME HOME "PANOPOS" ! 〜原子力潜水艦「ノーチラス」

2016-07-09 | 軍艦

さて、何回かに分けて語ってきた「ノーチラス」シリーズ最終回です。
「ノーチラス」の内部について説明しながら、彼女の誕生、そして
偉大なミッション「オペレーション・サンシャイン」についても説明しました。

今まで名前しか知らなかった世界初の原潜ですが、これだけ毎日そのことだけ
集中してエントリを制作していると、愛着すら湧いてきます。
特に、リッコーヴァー提督やジェンクス中尉、初代艦長のウィルキンソン中佐、
乗員にもすっかり興味が出てきたので、また何か関連書が出ていたら
今度はじっくりと書かれた本を読んでみようかなと思っています。

さて、今日は歴史に一人一人の名前は出てこないけれど、「ノーチラス」
が凱旋帰還したとき、「A HEROES」と呼ばれたクルーたちの居室から
ご紹介しようと思います。



せめてリネン類に濃淡のブルーを使っているところが心安らぐ感じ。
我が自衛隊では全て白一色にせざるを得ないみたいなのですが、
この空間が白とグレーだけだったら、と考えてみれば、色の効用は
バカにできないものだと実感しますね。

究極のスペース利用術。ベッドの外側に布の物入れをつけました。
ロッカーには限られた私物しか入れられそうにありません。
彼らは出帰港や寄航のために正式な軍服も必要だったはずですが、
あのかさばりそうなセットは一体どこに収納していたのか・・。



右側の跳ね上げ収納式のベッドに寝られるのはじゃんけんで勝った人(嘘)



いや、ベッドの下にみんなの物入れがあるので、たいへんだったかな。
写真には写っていませんが、ベッドは4段あります。

 

左の部屋の前に立ったとき、「狭いねー」といっていたら、
さらに奥にある右の写真の部屋の前で絶句しました。
写真では分かりにくいですが、こちらの方がドアが狭くて、
わたしでも体を横にしないと部屋に入ることすらできないくらい。

こんな狭くても空気の循環はちゃんと行われているので、少なくとも
匂いがこもったり息苦しくなるようなことはないでしょう。

まあ、人間立って半畳寝て一畳(アメリカではどういうのか知りませんが)
のスペースさえあれば十分、ということをひしひしと感じますね。



これは魚雷発射管室横にあったバンク(寝台)。
部屋全体が広い上、ベッドは三段。
さっきの部屋と比べれば天国のような開放感に違いありません。

昔から潜水艦乗りの間では魚雷発射室のベッドは人気だったと言いますが、
その理由はこの開放感ですね。



さて、それではその乗員たちのお腹を満たす「クリューズ・メス」キッチンへ。

色が変わってしまって何かわからなくなってますが、これはコーヒー豆。
コーヒーがないと生きていけない(潜舵席にも一つづつカップホルダーがあった)
うえに、潜航中は寝ないという噂もあるアメリカの潜水艦乗りが
1日に消費するコーヒー量100人分は考えただけで眩暈がするほどです。



クルーのための食事を調理中。



こちら、同じ場所で屈んでいる賄係。
キッチンも当然ですが狭いですね。
彼のかぶっているキャップには「USS ノーチラス」と書いてあります。



ちなみに、キッチンに貼ってある当時の予定表によると、

700 朝食
600 朝食用意

0315 液体物浄化

1115 夕食
1500 夕食片付け

1315 訓練ブリーフィング
   チーフ・ロバートによる試食の用意

1415 艦内清掃

1515 スープ煮込み

1615 離艦訓練

1515 supper(夜食)

2045 映画「マンハッタン物語」映写係:誰それ


「マンハッタン物語」(Love with the Proper Stranger)は1963年作品。
つまりこれはサンシャイン作戦以降のある日の予定表です。

艦内の食事の時間ってなんか無茶苦茶っぽいですね。
ランチがなくて夕食が11時15分、の次が夜食というのが。



朝食か夕食か夜食かはわかりませんが、いずれにしてもハンバーガー(笑)



パンの後ろにはビーツとひよこ豆の缶詰。



アメリカ人は滅多に筆記体で字を書きませんが、これがそうなのは
せめてものレストラン風の演出ってやつでしょうか。
一回の食事にずらずらと品数があるのでどんなフルコースかと思ったら、

ある日の夜食

ポークチョップスメキシカン風

フランセーズ・ポテト

コーンのオー・ブリアン風

ナチュラルソース

コールスローサラダ

暖かいディナーロール

ココナッツ・カスタード・パイ

冷たい飲み物(多分コーラとかのこと)

コーヒー・ティー・ミルク


このようにソースまで一品として書いているのでたくさんあるように見えるだけ。
でも、これを見たクルーが「美味しそうだな」と思うように
(実際はそんなに変わったものでなくても)書き方に工夫しているようです。
ポテトフライのことをアメリカ人はフレンチフライといいますが、
「ポテトフランス風」ではなく「フランス人ポテト」にはジュール・ベルヌもびっくりだ。




ウォータークーラー。
この頃はペットボトルなどというものはありませんでした。



この狭い空間に人多すぎ。
関係ないクルーがなぜか入ってきていますね。



キッチンの隅に冷蔵庫のような扉があり、さらに小さな扉が付いています。



各状況の際のリグつまり艤装と、ダメコンの機材目録などが
ここに収納されているということでしょうか。

(この件については正解をコメント欄でどうぞ)



救命ベストは海上でも目立つようにオレンジに蛍光テープ付き。



ここにも武器関係の収納庫があります。



さて、というところで最初に降りてきた階段の下に戻ってきました。
左の奥が魚雷発射装填装置になります。



「ノーチラス」が北極点潜行通過を成功させて帰国してきたときには
アメリカは国を挙げてこれを迎えました。

まず、左ですが、ニューヨークに到着した彼らを歓迎するため、
ニューヨークのファイアーボート(消防艇)が、水を噴射して
その意を表すデモンストレーションを行っているところ。

上陸した彼らは、そのまま全員がオープンカーに乗って、
市街をパレードし、市民は旗を振ってそれを迎えました。

彼らがパレードしたのは、「キャニオン・オブ・ヒーローズ」とよばれている
ブロードウェイの基点から、市庁舎前のシティ・ホール・パークまでの道。

赤の部分

フィナンシャル・ディストリクトの真ん中を貫く道で、
両側を金融機関などの超高層ビルが立ち並びますが、ここは
宇宙飛行士や帰還した兵士、スポーツ選手などの凱旋が行われ、
そのときには両側のビルから「ティッカーテープ」が英雄に降り注がれます。

ティッカーテープというのはもともと銀行員が電信用のティッカーテープを
凱旋行進に向かって振りかけたのが起源でそう呼ばれています。
現在では市が紙吹雪を配布するそうですが、トイレットペーパーやシュレッダーにかけた
事業ゴミ?を使用するオフィスもあるそうです。

 

ニュース映像はこのように大々的にノーチラスの作戦成功を報じました。



熱狂する市民にオープンカーの上から手を振るクルー。
純白の軍装に身を包んだ海軍軍人が、このように迎えられたのは
少なくとも先の大戦が終わってから初めてだったはずです。



本日のタイトルにも使った「PANOPOS」ってなんだと思います?
乗員の一人が名付けた自らのあだ名で、これは

「 Pacific to Atlantic via the North Pole」
(太平洋から北極点を通過して大西洋に行った)

からきています。

そして「パノポス」してきたノーティラスが一般公開されるとご覧の騒ぎに。
見たところ背広とつなぎと海軍の軍服ばかりなので、一般人じゃないかもしれません。

しかし潜水艦の上ってたくさん人が乗れるものなんですね。

やっぱり100人乗っても潰れ・・・るわけないだろうが!
どれだけの水圧に耐えてるんだっての。




というわけで、最後に発射管室の広々としたベッドで気持ちよさそうに寝ている
この乗員のおじさんに別れを告げて、「ノーチラス」を後にしました。

おやすみなさいー。



最後に出入り口になっている建物から艦首部分を撮ってみました。
舫の巻き方がなかなか芸術的です。
というかこういう風に巻くことは普通なのでしょうか。




さて、潜水艦博物館を見たあと、ニューヘブンの右下に当たるところにある、
ブランフォードという街で夕食をとりました。
港にあるシーフードの店、で適当に調べた「ドックサイド・シーフードアンドグリル」。



ヨットハーバーの前のおっしゃれーな白いレストランです。
 


オマールのビスクとクラムチャウダーをまず。
ここは普通のレストランのようにパンは出てこず、その代わりに
コールスローサラダが結構な量でてきます。
スープとコールスローを食べていると、メインのロブスターがきました。



なぜか時間が経っても固まらない不思議なバターをハサミで抱えております。
ハサミを割る独特の道具の使い方を教えてもらって食べた茹でたてのロブスターは
リーズナブルなお値段の割に満足度が高い一品でした。



一応一人一つづつ皿を頼もうとスキャロップサラダを頼みましたが、
ロブスターがあまりに巨大すぎて一口も食べられず、持って帰りました。

アメリカでは残したものをバッグに入れてもたせてくれます。



でもデザートは別腹なのだった。
キーライム・パイを二人で一つ食べて大満足の夕食でした。 



この博物館で見たことは、またそのうちお話しすることもあるでしょう。


ノーチラスシリーズ・終わり


 


ダメージコントロールと艦内祭壇〜原潜「ノーチラス」

2016-07-08 | 軍艦

さて、北極点の氷の下を浮上せずに見事通過した「ノーチラス」。
サンタも登場し、ケーキも焼いてお祭り騒ぎでそれを祝ったわけですが、
彼らの成功は決して運だけでなく、そのための準備に負うところが大でした。

作戦決行の直前に空から氷の様子を偵察して詳細報告をあげたのもそうですし、
事前の練習として、「ノーチラス」はイギリスに航行していますが、
このときにわざわざグリーンランド寄りの航路で、氷の下を潜水しています。

このときの練習航行はけっこういろいろあって、通信機器が使えなくなり、
ジャイロスコープでの計算に失敗し、潜望鏡が氷にあたり破損しています。 

こんなんで北極点の氷の下を通過するなんて大丈夫なのか、と関係者一同は
思わず天を仰ぎたい気分だったに違いありません。

写真は、スコットランドに到着して、現地にいた潜水母艦、
「フルトン」USS FULTON (AS-11)に横付けして、スペアを譲ってもらい
破損した潜望鏡を取り替えている「ノーチラス」。

問題の部分には空撮を防ぐために白い布がかかっていますね。



さて、操舵室を見ながら通路に向かって進むと、
「ICVパネル」 とかかれたテーブルがありました。

ボルテージパネルは各区画のバッテリーの状態をモニターするためのものです。 
小さいプラグ穴一つ一つが区画を表し、ここにつないで状況を把握します。




おっと、いきなり日本の自衛艦で時々見るような優勝トロフィーが!
艦対抗のボウリング大会で「ノーチラス」が一位になったそうです。



「ノーチラス」対「コンスティチューション」とあるのですが、
「コンスティチューション」って、帆船ですよねたしか・・・。

このころの最新式映写機が備えてあります。
乗員たちの楽しみのために映画なども上映されたのでしょうか。

後ろにあるのは各区画への電力供給パネルです。



アメリカ大統領は就任のときに聖書に手を置いて宣誓しますが、
こうしてみるとキリスト教がアメリカの国教なんだなと改めて思います。

戦艦などには従軍牧師が(しかも士官の階級を持つ)乗っていましたが、
潜水艦は昔も今も人数に限りがありますし、とくに「ノーチラス」のような
特別の任務を帯びて任命される乗員しか載せられない潜水艦の場合、
ボランティアで乗員が神父の役を務めるというふうにしていました。

潜水艦勤務は一旦海に出てしまえば月月火水木金金で、だれも休みを取れません。
そこで、ホリデイに見張り業務などにあたった人は「安息日」として
祈りの時間がもらえたりしました。 

こういう勤務だと日頃不信心な人でもつい祈りたくなるんだろうと思います。

というわけで、にわか牧師でも祈りの心は同じ。
ちゃんと艦内祭壇セットが搭載されているのでした。



ガスマスクして遊んでる人がいるー!
こんな状態で遊ぶとなると、トランプくらいしかできないですよね。

この人たちは「ダメコン係」。(正式にはなんていうのか知りません)
火事などに備えて酸素マスクの限界時間を実際に使用して調べています。
(苦しくなったら外すんだろうか)

彼らが使用しているのは消防士が消火活動に使う特殊な酸素マスクで、
ポタシウム(カリウム)スーパーオキシドだそうです。超酸化?




祭壇の横で椅子に脚を上げるなんてお行儀が悪い、というのは
あくまでも日本人の考え。

あの映画「パールハーバー」には、帝国海軍の乗員が「マイ仏壇」を持っていて、
乗員寝室でそれにローソクを何本も備えているシーンが登場しましたが、
(艦内教会がこれなので、そんなもんだろうと思った模様)
そこまではまあ許せるとしても(許せないけど)、
あろうことか、乗員が祭壇の前で褌のお尻を向けて着替えしてましたよね。
彼らの辞書にはきっと「罰当たり」に相当する言葉がないのに違いない。


椅子の上には飛行機にあるようなベストが置いてあります。



潜水艦は狭いので医務室というものもありません。
というわけで、何かあった時にはここで手術も行われます。

いくら限りある乗員数でも、メディックまでボランティアではないですよね?



透明のドアがありますが、これは展示に際して改装し、
中が見えるようにしたものでしょう。
中には医学書などがあって、その一つはその名もずばり「手術」。
まさか緊急事態にはこれを見て手術するつもりだったんだろうか。



普段は兵員が食事をするスペースですが、いろいろ展示されています。
これがダメコンツール。

ダメコンツールが一切合切セットされている赤い布はそのまま
くるくると巻いて狭い艦内に収納しておく仕組み。

電気関係の修理道具と損傷を想定したツールが全て揃っています。

このテーブルの下に、おそらく当時からあったのであろう
「ダメコン10則」のプレートがありました。
曰く、

1、自分の艦を水から守れ

2、最低材料条件に違反するな(ある材料でなんとかせよ)

3、自分の艦がダメージに耐えうる力に自信を持て

4、自分がどこにいるか、たとえ暗闇でも知っておけ

5、ダメコン機材の使い方に知悉せよ

6、近くのダメコンステーションにダメージを報告せよ

7、自分の行うべき役割をいつの場合でも確認せよ

8、最小単位の自分をダメコンによって守れ。自分を守れば艦を守れる

9、たとえ望みが少ないと思われても艦を守るために全ての可能性を試せ

10、冷静であれ 艦を諦めるな!(KEEP COOL:DON'T GIVE UP THE SHIP!)


どちらかというと精神的な戒めに近い10則です。



一人でお食事中。
彼が食べているのがハンバーガーに食後はクッキーというメニュー。



ここは兵員のメス、兵が自分で勝手にソフトクリームを食べることもできます。
やっぱりありましたね。ソフトクリームメーカー。



右はミルクディスペンサー。
ミルクはカルシウム摂取に必須と考えられていたからでしょうか。
左なんですが、「BUG JUICE MACHINE」とあります。
バグ(虫)ジュースって何かしら、と思ったら、これは1950年代に
出回った、粉末ジュースのことらしいですね。
日本でも「ジュースの素」として流行りましたが、チクロ、ズルチン、サッカリンなど
人工甘味料の健康への影響がいわれて使用禁止になり、さらには
缶ジュースと自動販売機の普及で完全に廃れました。

「ノーチラス」では、この粉末ジュースをマシンで作って飲んでいたようです。
アメリカではクールエイドという粉末ジュースが今でも軍のレーションにも使われています。



アフリカ系の下士官のおじさんがこれからお食事?
写真を見る限りアフリカ系の乗員は「ノーチラス」に一人もいなかったけど・・。

この区画は「チーフ・クォーターズ」といって、14人の下士官の居住区ですが、
「ノーチラス」の下士官にアフリカ系がいたかどうかはわかりません。

調べてみても実際アフリカ系の乗員がいたかどうかは言及されていませんでしたが、
少なくともこのころ(1950年代)アフリカ系は明確に差別されていましたし、
公民権運動そのものもようやく緒についたころでした。

巨大な戦艦ならともかく、狭い潜水艦に当時の白人たちがアフリカ系を乗せることを
「生理的に」問題視した結果なんだろうなとなんとなく思います。


ところでちょうど今、アメリカでは無抵抗のアフリカ系男性が警官に撃たれ、
その時のビデオが出回って連日大変なニュースとなっています。

なんども音声付きでその瞬間が流れるのですが、地面に二人掛かりで
男性を抑えている警官の一人が「ガン!」というと、男性が、
「ヘイ、ブロー(ブラザー)、神に誓って何もしてない」と叫ぶのにも耳を貸さず、
その直後もう一人の警官が自分の銃を抜き、彼に二発撃ち込むショッキングなものです。

車の窓から運転席のフィアンセを撃たれ、彼が死んでいく一部始終をビデオに撮って

発表した女性もいます。

Woman streams aftermath of fatal officer-involved shooting
(中ほどのビデオ参照。血の苦手な人は注意)


定期的に起こるこの種の事件を受け、黒人社会の不満は高まっており、
皆で「We shall overcome」を歌いながら抗議するデモが広がりを見せ、
今夜はオバマ大統領が声明を出すことになりました。
たった今も男性の遺族が

「Only wrong thing he did was being bladk」(彼の罪は黒人であったということだ)

と述べたとテレビでは報じています。
公民権法設定半世紀以上が経っても、アメリカの社会には根に差別問題があり、
それは日本におけるいわゆる「被差別側」の言うところの「傷ついた」などという
主観的な弊害などではなく、実際に公権によって命を奪われる事態が 
なんども繰り返されているのですから、病巣は深いと言わざるを得ません。

ただ、現実問題として警察官が被疑者に射殺されることが普通によくある状況で、
自分の身を守るためにオーバーキルしてしまう傾向も無視できない事実です。


話が逸れましたが、この部屋にアフリカ系乗員を配したのにはなにか
その筋からの配慮でもあったのでしょうか。
というのは、画像を検索していて知ったのですが、昔の「ノーチラス」の写真では
この部屋にいるのは白人のマネキンだったのです。



話がそれましたが、そのアフリカ系乗員が今から食べようとする
ジスイズ・アメリカンフード。

さっきのおじさんと同じく、チーズバーガーベーコン添えにクッキー。
アメリカンブラック(彼らミルクは入れないのね)コーヒーにコカコーラ。
日本人だったら1日で飽きてしまいそうですが、彼らはほぼ毎日、
ランチには同じようなものを食べていたと思われます。



ここでいきなり1954年のノーチラス進水式の写真が出てきました。

先頭のご婦人はいわゆる進水式にシャンパンを割る係で、
マミー・アイゼンハワー、アイゼンハワー夫人です。



そしてその3年後、1955年1月3日に、「ノーチラス」の原子炉は臨界点に達し、
彼女は初めて全力運転をここグロトンのテムズ川で行いました。

この木のメモリアルボードには、艤装&初代艦長ウィルキンソン中佐が

"Underway on nuclear power"(当艦原子力にて航行中)

と発した歴史的な通信文がそのままコピーされています。

UNDERWAYの後の消してあるのは、もしかしたら間違い?



前半で適当に「ここはバッテリー?」などと書いてしまってすみません。
バッテリーが上の階にあるわけなかったですね。

何しろ、バッテリーというのは一つが1000lbs(453.6kg)のセルが、
126個もあるものですから。

ちょっとまて、原子力潜水艦になぜそんなにたくさんの電池が必要なのか、
と思われた方、あなたは正しい。
もちろん原潜というものは全ての電力を原子力で生み出しているからこそ
原潜なのですが、そこはそれ、k-19みたいな事故だってあるかもしれないじゃないですか。

そこで、原子炉に異常があって推進力が失われたときの非常用に、
これだけで完全に電力を賄えるだけのバッテリーを搭載しているのです。



左側はなぜか80日間世界一周と海底二万マイルの合成イメージ。
そして右側のおじさんがジュールベルヌ。
「科学ー地理学ーフィクション」という文字も見えます。

これも下のフランス語の説明によると、ナント(金属加工業が有名)
に寄航したときの思い出に、ここで注文して作ったということが書かれています。


さて、フランスに寄航後、本国に凱旋帰国をしたノーチラスですが、
どのような歓迎を受けたのでしょうか。


続く。



 


8月2日のサンタクロース〜原子力潜水艦「ノーチラス」

2016-07-07 | 軍艦

さて、アタックセンターとかナビゲーションルーム、EMSベイ、
といったところを見学しつつ、「ノーチラス」の北極点到達までの
いろいろについてお話ししてきました。



前回貼り忘れた写真。
誰かはわかりませんが、通信系の士官(イケメン)であろうと思われます。


「レイディオ・シャック」が「通信室」という意味であることを
アメリカのモールにある小型電気店だとしか思っていなかったわたしは
初めて知り、また一つ物知りになったわけですが、そのラジオシャック・ベイを
見学し終わると、通路は階下へと続いていました。



階段の角が金属製なのにもかかわらず、人に踏まれるところが
磨耗して形が変わっているのに驚き。
就役して26年、記念艦になってから36年、この艦ほぼ毎日
人々が同じところを歩いてきたということです。



このステーションはDIVING PLANE(潜舵)を司る部署です。
三人の下士官らしい乗員が席についています。



同じところのかつての写真。
中央の席の操舵を皆で見守っている感じですね。

まず、右の席から説明しましょう。
ここに座っている人は潜水艦のセイルから横に突き出した舵で、
潜水艦の潜行時の深度を調整する係です。

「BOW PLAINSMAN」

と呼びます。
潜行時、潜舵はヴァーティカル・ポジション(垂直)に固定させます。



ここにすわっているのがヘルムスマン(Helmsman)つまり舵手です。
艦の推進をコントロールします。



この真ん中の席が多分一番、いわゆる重職なんだろうなと想像するわけですが、
上の写真でも皆が操舵と彼の前にある艦の状態を示す計器を見ています。

前回お話しした「くさび型のトンネル」を通っているので、皆が
息を殺して彼の操舵を見守っているのではないかと思われます。
冒頭の写真は同じ時を横から撮ったものですね。



このとき、「ノーチラス」が完全に氷の下にいたのは62時間でした。
この間、「ノーチラス」は原子力推進と慣性航法装置にによって、
「エフォートレスリー」(努力することなく)航行したといわれます。

二日後の1958年8月5日、「ノーチラス」は氷の下を抜けて
グリーンランド海に浮上し、そのまま大西洋を目指しました。



その3日前、8月2日、北極点まであと100マイルと近づいたとき、
ソナーが突然、海底の接近を示しました。
この図で右側に針のように高くなっているのが、そのロモノソフ海嶺で、
「ノーチラス」はそれを操舵で無事に乗り切ったということもありました。



ともかくも、北極点を無事に通過したのです。
その瞬間、サンタクロースが「ノーチラス」艦内に降臨。

「HO-HO-HO! Welcome to MY HOME!」

ちなみにサンタのヒゲは医療用わた、赤い旗を利用して
乗員が手作りした衣装を着ています。





そしてキッチンのメンバーは、北極通過を寿ぐスペシャルケーキを・・。
日本人の感覚であまり美味しくなさそう、などと言ってはいけません。





一人の器用な乗員が、靴底のゴムを彫ってスタンプを作成しました。
このスタンプによって、ここ「ノースポール郵便局」から、
特別の手紙を出すことができることになったのです。

みな大喜びで北極から家族に手紙を出しました。

少し見にくいですが、左の大きな丸のスタンプには、「ノーチラスくん」が
アメリカの旗を持って北極点を表す立て札を見ています。
(いつのまにか人間の手が生えている)

ちなみに、この「ノーチラスくん」をデザインしたのは、
おなじみ皆さまのウォルト・ディズニー・プロダクションでございます。




さて、ここにはいかにもこの道何十年のベテランの風格漂う
おじさん下士官がなにやら捜査中。



ここは、圧縮空気によってバラストタンクをブローさせる装置があります。



右側に「ハイプレッシャーエア・サービス:と書かれたプレートがあります。



左のほうは、「サービスエア」、低気圧の空気がでるところで、
艦内のいろんな箇所に供給されます。



左から「メイン・シュノーケル・イグゾースト(マフラー)」
「セイフティ・フラッド」「ネガティブ・フラッド」(おそらくタンクのこと)
「シュノーケル・マスト」

この場合のシュノーケルとは水中でディーゼルエンジンを運転するために用いられる
吸気管のことをいいます。



Mk.19型のジャイロコンパス。
艦のプライマリーコンパスです。
防衛省の公示にこの型があったので、自衛艦にも搭載されているのかもしれません。



「ジェネラル・アナウンシング・コントロールパネル」
全艦放送のためのアンプです。
下のほうにずらっと並んでいるのが各コンパートメントのスイッチ。



「レイディオ・ルーム」
外のガラス戸越しにしか見ることができませんでした。
ここには他艦や陸地との通信に必要な機器がまとめてあります。



さて、潜水艦乗りなら知っているとは思いますが、潜水艦の中というのは
太陽が見えないため、非常に不自然なバイオリズムで生活することを
余儀なくされますから、艦内ではしばしばこんな風にアイマスクをして
動き回る人もいたようです。(見えてるのかしら)



ノーチラス乗員の皆さん。
潜水艦乗りというのはどこの軍隊でも、選ばれた人がなるという傾向がありますが、
特にこの「ノーチラス」乗員は、選びに選び抜かれた超優秀集団でした。

全員が何年にも渡って理数系、数学、物理学、そして原子力工学の講義を受け、
おまけに全員があのリッコーヴァー大将の眼鏡にかなった俊英ばかりです。

アメリカ海軍の歴史において、これほど乗員が一人残らず、自分の艦と
そのメカニズムについて知悉していた潜水艦はなかったと言われるくらいでした。



一番右は、「ノーチラス」のキールに入れたトルーマンのイニシャル、
「HST」の場所を示すためのモデル。
「ノーチラス」起工は1952年で、まだ大統領はトルーマンでした。



トルーマン大統領ただいまキールにサイン中。
この写真にも大統領のサインがしてあります。
この特別なサインがなされた時点で、退役後の保存は決まっていたのかもしれません。

おそらくこれから先もこのサインが余人の目に触れることはないでしょう。

真ん中は、初代「ノーチラス」乗員が作ったオリジナルカップ。欠けてます。

左にちょっぴり見えているのは、「ノーチラス」が進水した時の楔です。



さて、北極点を無事に通過し、あとは大西洋に出て、西側諸国に
凱旋寄航を行うばかりになりました。

フランスのル・アーブルに寄航して、ノミ元帥から「海底二万マイル」
の初版本をプレゼントされたのもこの時ですが、「ノーチラス」乗員は
ヨーロッパ寄航に向けて、「フラッグ・コンテスト」を開催することにしました。

まあ、もうすることがなくなって暇になったってことなんでしょうけどね。

各部署がオリジナルの旗をデザインして、優秀賞を競うのです。
写真は、嬉々としてその旗をミシンで縫っている乗員。
ていうか、ミシンを乗せてたんですね。潜水艦なのに。



コンテストで優勝した旗は、イギリスのポートランドに寄航した時に
ちゃんと飾ってもらえたそうです。

ポートランドでは駐英アメリカ大使のホイットニー大使が、「ノーチラス」に
殊勲部隊章を授与しました。



現在もそれは「ノーチラス」に翻っています。(左端)



フランスで上陸した「ノーチラス」乗員は、この地から
自由に母国への電話通信を楽しみました。

その間、彼らの頭上には、ビービーという音(着信音)が「Tell-tale」
(何かが起こることを視覚や聴覚で示す注意警報的な機材などのこと)である、
ソ連の人類初の人工衛星、
「スプートニク」がすでに軌道に乗って地球を回っていたのです。

このキャプションはこの写真に付けられていたものですが、つまりこれは
『ノーチラス』の偉業も、『スプートニク』が人類にもたらしたそれに比べれば
僅少なものであった、とか及ばなかった、と暗に言ってるんでしょうか。
だとしたら、アメリカ海軍内部の人なのに客観的な表現をするものだと感心します。


客観性は科学に通ず。

アメリカ人のこんなところが、その後のソ連との科学競争に
勝利をした(一応)と言えるのかもしれませんけど。 



続く。

 


スプートニク・ショックとサンシャイン作戦〜原潜ノーチラス

2016-07-06 | 軍艦

さて、オフィサーズ・ワードルーム(士官居室)、
キャプテンズ・ステートルーム(艦長室、stateには特別室の意味あり)
と進んでまいりました。

 

ここでもう一度艦内図を見ておきましょう。
艦内は片側ずつ一方通行で進み、アタックセンター付近まで来たら
そこで折り返して戻る形で見学するので、つまりこの図のセイル下部分しか
公開されていないということになります。

後部のエンジンルームや乗員居室などは別に見せても良かったんでしょうが、
そこに行くには原子炉の横を通らざるを得ないので、こうなったのでしょう。

お節介船屋さんの教えてくれた「世界の艦船」情報によると、除籍後、
原子炉撤去工事を含む解役工事が実施されているということなので、
つまりここにはすでに原子炉すら存在していないということですが、
それならそれで「原子炉跡」としてそのスペースを見せてくれればいいのに・・・。

こういうときにわたしのような人間は「何か見せたくないものがまだあるのでは」
と勘ぐってしまいがちですが、そういうことになっているのでそうしておきます(笑)



なんと、武器庫がありました。
航行中に飛び道具が必要な事態というと、まず真っ先に
海賊に襲われるという可能性が思い浮かびますが、
潜水艦なのでまずそれはないし・・・となると、

乗員の反乱
・・・・とか?


アメリカ海軍に限ってそんなことが起こるわけがない、と思いたいですが、
「K-19」だって艦長に造反する乗組員が反乱起こしてたしな。

まあ、北極に行けば何が起こるかわからないからってことで。



「コミニュケーションセット」とあるので何かと思ったらソナーです。
昔の装置なので巨大ですね。
このころはコンピューターも今のスパコンみたいな大きさでした。



ペリスコープ(潜望鏡)ルームにやってきました。
天井が凹凸のある金属で張り巡らされているのはなぜ?

画面手前に伝声管がありますが、原子力潜水艦でも最も効率的に
いかなる場合も確実に声を届けるのはこの原始的な方式なんですね。



熱心に潜望鏡を覗いている乗員あり。
ところで注意していただくと、潜望鏡が2種類あるのがお分かりですね。

こちら側の潜望鏡には昔の電話コードみたいなのがぶら下がっています。



このセイル上部でいうと、乗員が使用中なのは一番高い金色の潜望鏡。
こちらを「タイプ2F」といい、こちらを日中は常用していました。

その前の白いのが電話コード付きの「夜用潜望鏡」で、「タイプ8B」。
レーダー、ラジオ内蔵でESMスタブアンテナを内蔵しているのです。



ところで、博物館の展示に「潜望鏡体験コーナー」がありました。
子供でも見られる高さに調整したものから、アメリカ人の大人用(つまりすごく高い)
ものまで三種類の潜望鏡が部屋にしつらえてあり、覗くことができます。



なんと潜望鏡は建物の外を見ることができるというものでした。
ちなみに日本海軍の潜水艦の潜望鏡は最初イギリス製に頼っていましたが、
第一次世界大戦の勃発で輸入ができなくなったため、
海軍は三菱に要請して
光学兵器製造メーカー設立に乗り出します。

1917年、東京計器の光学計器部と、サーチライトの製造を行っていた
岩城硝子製作所の探照燈反射鏡部門を統合し、日本光学工業株式会社、
つまり現在のNikonを設立したのです。

「海のニッコー」と言われていたのはなんのことはない、海軍の要請で
創られた会社だったからだったんですね。
なお、日本光学は独自の潜望鏡を作るため、ドイツから技術者を招聘しています。 

ドイツのUボートの潜望鏡は当たり前ですがカール・ツァイス製。 
現在のアメリカ海軍がどこの潜望鏡を使っているかはわかりませんでした。
アメリカのことだから全部海軍で作ってるかもしれませんね。 



ペリスコープルームの外側には警報装置がありました。(アラームパネル)
浸水、衝突などの一般的な非常事態事態、推進や発電機能が損害を受けた時
作動させます。

真ん中の赤いのは衝突による非常事態専用。



 チャートルームを見ていると、後から追いついてきたおじさんが、
地図を指差して、

「ほら、これ見てごらん。このサブは北極点に行ったんだよ」

と、おそらくここにやってくる大人であれば10人中9人は知っていることを
重大ニュースのように教えてくれました。
それに対してまるで初めて聞くかのように”Oh, really?"と驚いてみせるTO。



おじさんが指差したオペレーション・サンシャインのときの
原子力潜水艦「ノーチラス」の航路。



この時に記された歴史的なノーチラスの「艦位」。

1958年8月3日、北極までの距離、ゼロ。

緯度 90°00.0'N。

この記録を刻んだのはShepherd M. Jenkesという中尉でした。
ちなみにこの人は、一度原子力士官の試験を受けて落ちているのですが、
2度目に「ノーチラス」の通信士に応募しています。
そして例の「頑固なことでは悪名高い」リッコーヴァー大将の面接を受け、
昔一方的にチラ見しただけだというのに、いきなり

「僕のこと覚えていませんかー?」(^o^)/

と超フランクに語りかけて怒りを買い()即座に部屋を追い出されました。

ところがなぜかその後彼は採用されることになりました。
こういうボスだと何が気に入られるかわからないですね。 

ジェンクス中尉

ちなみにジェンクスはその後大尉まで昇進し、2013年に亡くなりました。


て、ところでどうして世界初の原潜であったノーチラスは
北極点を通過するというミッションを課せられたのでしょうか。

その理由は冷戦にあります。
1957年にソ連は人類初の無人人工衛星スプートニクを打ち上げました。
このときに西側諸国、ことに世界の科学技術の雄を辞任していたアメリカが陥った
「スプートニクショック」は大変なものだったと云われています。
対抗策として立ち上げた人工衛星の「ヴァンガード計画」が失敗したことが、
さらにショックに追い打ちをかけました。


しかしそこは腐ってもアメリカ、当時のアイゼンハワー大統領は政策を変更して
以降、ソ連との宇宙戦争へと舵を切っていき、最終的に
これに勝利することになったのは歴史が示すところです。


ついでに、このときは日本にもその余波がありました。
これからの宇宙時代に乗り遅れまいと、まず理数教育のカリキュラムを強化しています。

映画「地球防衛軍」のラストシーンには、この報を受けて急遽人工衛星が登場し(笑)
アイザック・アシモフはこの騒ぎの余波で作家への道を開き、その後続く一連の
SFものは、星新一や筒井康隆などによる日本でのSF小説ブームの嚆矢となりました。
つまり西側諸国にとっては、むしろメリットの方が多かったような気もしますね。


話が逸れましたが、つまり


「原子力潜水艦ノーチラスが太平洋から北極点を通過して大西洋に抜ける」

という計画は、スプートニック・ショックに打ち克つためにアイゼンハワー大統領が
提案した、アメリカの威信をかけた国家事業でもあったのです。

彼らの課題はつまるところこうでした。

「ロシア人のスプートニクを(とにかく)上回ること」




左航海士官のジェンクス中尉、右アンダーソン艦長。
気のせいかジェンクス中尉の態度がでかい・・・。

1958年、「ノーチラス」は母港のここグロトンを出港し、
パナマ運河を抜けて西海岸に到達し、太平洋艦隊にお目見えして、
その後はシアトルからハワイを通過しました。



6月28日にはパールハーバーに到着、彼らはハワイを一ヶ月も楽しみました。
この間、我らがジェンクス中尉は、偽名で偵察機に乗り込み、これから通過する
北極点上空に飛んで、
現地の氷の様子を下見して報告書を作っていたのです。

ジェンクス中尉の報告によって、水深の浅い部分や氷の厚いところを確認し、
ノーチラスがハワイを出港したのは7月22日のことでした。



アラスカにて。
8月1日、ついにノーチラスは北極点の氷の下を通過するため、
ここから潜行を行いました。
北極点まで1,094マイルの距離でした。



さて、そのジェンクス中尉が活躍していたナビゲーションルームです。
これがジェンクスだったらよかったのに、ジョーダンとなっていますね。

ここナビゲーションルームの装備は当時の最新機器が搭載されていました。
たとえば、方向探知機AN/BRD-6B、ロラン電気航法システムなど。

氷の下を潜行しながらも方向を探知する機能はノースアメリカン航空の
N6A-1によって可能になりました。

この区画には換気のための二種類の速度の違うロータリーもあります。



最新式の航法・天則装置を装備しながらも、
昔ながらの六分儀もちゃんと搭載しています。

ちなみに赤いシャツが「北極に行ったんだよ」と教えてくれたおじさん。



狭いところに巨大なロッカー状のものがたくさん。
説明がなかったので何かわかりませんでした。



ここはESMベイ
主に探索のための機器が集められている部分です。


 
この人が引き寄せているのはマイクかなんか?

 

レーダー音を録音するためのテープレコーダーだそうです。
録音時間に限りがあるのにどのように録音したのか気になります。

 

おじさんの後ろにかかっている周波数のチャンネル表らしいもの。



ところで、このアコースティックグラフに表れているのは、
「ノーチラス」が60ftの深海を航行中、海底から15ft(4.5m)しか離れておらず、
しかも浮遊する氷の塊に衝突する危険が近づいていたということです。

ノーチラスはこのとき、まさにくさび形のトンネルのようなところを
ゆっくりと進んでいましたが、この間「アクセス・ディナイド」、
つまり外部からは通信も途絶えていたということなのです。


いやー、よくぞなんの事故もなく無事に通り抜けられたものですね。



続く。






フランス海軍提督の贈り物〜原潜「ノーチラス」

2016-07-04 | 軍艦

さて、お待ちかね?士官居住区です。
ノーチラスの乗員は思っていたのより少なく105名。
うち士官15名、先任兵曹12名、下士官兵80名という内訳です。

たった士官が15名なのですから、艦内生活それなりに快適だったのでは、
と思ったのですが、さて、実態はどうだったでしょうか。

魚雷発射室と居住区の間には、トイレやバス、洗面の区画があり、
それを過ぎるといきなりどーん!と現れたのが冒頭写真の食堂。

いやー、ゴーヂャスです。
何がゴージャスって、シルバーのセットがまるでフレンチレストランのように
ちゃんとテーブルセッティングされているところ。




部屋の内装も木目調、テーブルクロスは綺麗な青。
そういえば我が海上自衛隊でも士官室のテーブルクロスは青でした。
示し合わせたわけでもないのにこれは世界の海軍共通みたいです。

なんとコーヒーポットも銀で、中央にはフィンガーボールらしきものが・・。

席数は8しかないので、士官食堂といってもきっと上層部だけでしょう。



たとえばこういう人が乗り込んできたときにはここでお食事が出されるに違いありません。
別の展示で見たのですが、とにかく潜水艦は食事が良かったそうです。
特にこのノーチラスは「サンシャイン作戦」で何ヶ月も深海を潜行していたので、
せめて食事に楽しみがないと乗員の精神が持たないってことだったんだと思います。



スープから始まるフルコースメニューのセッティングですね。
陶器の皿には金で部隊章があしらわれており、ラインも金と青。
きっとディナー開始のときにはここに真っ白なナプキンがセットされていたのでしょう。



これを読んで初めて知ったのですが、カトラリーは銀でなく
チタンだったそうです。
それならわざわざ磨かなくてもいいから楽ですよね。

札の向こうに見えているのは電極棒。
"keel laying ceremony"とありますが、これは木造船の頃からのアメリカの伝統で
新造艦の起工のときに行うセレモニーのことです。
日本の棟上げ式みたいなものでしょう。

キールというのは日本語では「竜骨」と称します。

重船舶の船底を船首から船尾にかけて通すように配置された構造材のことですが、
英語でkeel キールは船舶の下に配置された水中構造体も含めます。

船の背骨ともいうべき部分なので、ここを敷設することで船の建造の
開始とする、ということなんだと思うのですが、現在の船ではそれから派生して
「キール・オーセンティケイション」つまりキール認証ということをします。

なぜそれに電極棒が必要かというと、最初のモジュール接合をもって
キール認証とするからです。 
 



右側にあるのが、「ノーチラス」のキール認証に使われた電極棒。
ケースには金のプレートがはめ込まれ、「ノーチラス」起工日の
1952年6月14日の日付が刻まれています。


さて、このカトラリーですが、このような艦隊勤務に置いて
この製品が特注で作られた初めての金属カトラリーだったそうです。
アメリカでは現在でもカトラリーメーカーとして有名な
ユーティカ・カトラリー・カンパニーが特注を受けて制作しました。
 


ワードルーム・メスというのは士官食堂のことです。

「FIRST AND FINEST 」というモットーがここにも刻まれています。
昔は席札だったのでしょうか。 

ちなみに左のフォークの先が広がっているのはフルーツ用だからです。



士官食堂では音楽を流しながら食事をしたこともあったのでしょうか。
当時の最新装置であったopen reel式のテープレコーダーが
なんと壁に備え付けてあります。
まだテープが入っていますが、何が録音されているのだろう。

横にある「プロジェクターステレオ」というのも謎ですが、
もしかしたら8ミリ投影機でも内蔵されているのでしょうか。



食事をしながらも艦の深度を把握していたい。
というわけでちゃんと深度計も完備。



この士官食堂の隅に佇んでいる人がなんかじわじわくる(笑)
中の人が見たら、「あーこれビルだ」「あいつこんなんだったよな」
とわかってしまったりするんでしょうか。
ちなみにビルの(勝手に名前つけてるし)顔をアップすると、
なんと眉毛とまつ毛もちゃんと植わっております。
もしかしたら本人のライフマスクから作ったんではないかってくらいリアル。



キッチンは他にもありました。
士官と下士官兵用が分かれているのかもしれません。
まあ、食べるものも違うわけですしね。



さて、この辺で水回りの施設を紹介しましょう。
まずは洗面所。
もちろんこの辺の区画は士官専用です。



クレストという歯磨き粉とアメリカ人の使うでかい歯ブラシ。
アメリカ人は日本だと靴磨きに使うような大きな歯ブラシを使います。
こんな大雑把な作りで、歯と歯の隙間とかましてや歯周ポケットの
掃除なんてできっこない、といつも思うのですが。

わたしはアメリカ在住時、歯ブラシは幼児用を買っていました。 



すべての施設は展示のために扉を取ってアクリルの板をはめ込んであります。
トイレのフラッシュは自衛隊のと同じ、ノズルを回して流す仕組み。



TOがこのシャワーブースを見た瞬間、

「こんなシャワー室は嫌だ!」

と叫んでいました(笑)
アメリカ人なので、日本人ほど「湯船に浸かりたい欲望」=入欲はないとはいえ、
この、まるで棺桶を立てたようなスペースはきつかったでしょう。



ここで区画が分かれており、こちら側に先ほどのメスがあります。

 

100人単位の居住が行われている潜水艦ですので、トイレはふんだんにあります。



洗面所その2。



さて、ここからは士官寝室の区画です。
ちゃんと自分のタオルをセットしてくれるんですね。
こういう世話も、かならず従兵みたいな人がやるんだと思いますが、
アメリカで従兵という役目があると聞いたことがありません。



寝室のベッドは2段と3段の部屋があります。
15名の士官のうち、艦長以外が共同部屋となりますので、このような部屋が
少なくとも4〜5はあることになります。



引き出し式のデスクには女優さんの写真がありますが、
三人部屋なのでこれはなかったかも・・。



一番上のベッドに寝る人はきっと一番上の階級に違いない(笑)

こういった「エグゼクティブ・オフィサー」の部屋のことを

「XO STATE ROOM」

 と称します。
Xはエグゼクティブのことですね。



これらは「セカンドシニア」である士官のための居住区であり、
またワークスペースでもあります。 



当たり前ですが、艦長には個室が与えられます。
上の段のないベッド、狭いながらも自分だけの空間。
海軍軍人は艦長になって初めてこの部屋を与えられた時、
ああ、俺もやっとここまできたか・・と感無量なのでしょう。

ベッドの上には艦長の位の軍服が寝かせてありますが、
肩章は中佐(Commander CDR)です。



机上に置かれた「ライフ」の表紙には、オペレーション・サンシャインのときの
艦長であるウィリアム・アンダーソン中佐(イケメン)の顔写真が。



当たり前ですが、彼を艦長に抜擢したのも「オヤジ」ことリッコーヴァーでした。
2年間「ノーチラス」の艦長を務めたあと、アンダーソンはオヤジのもとで
補佐のような仕事をしていたようです。
海軍を引退した後は、政治家となって共和党の牙城であるテネシー州で
民主党議員として活動しました。




ここはやはりXOルーム。
ベッドが一つ収納式になっています。



右はUNCLASSIFIED(それほど重要ではない)とされる海軍メッセージ。
何月何日に艦長が誕生日なので皆でお祝いしましょう、みたいな
(たとえばですよ)当たり障りのないメッセージが書かれていると思われます。

左は、なんと手書きの食事メニュー。
食後のコーヒーかティー、なんてのまで丁寧に書かれて、
だいたい毎日デザートまで7品出ていたようです。 




あれ?ここも一人部屋だ。

ここはコマンディングオフィサー・ステートルームといいます。
艦の「シニア・クルー」に与えられ、艦長だけでなく
コマンディング・オフィサー(司令クラス)だけが一人部屋を与えられました。

この左利きの司令(推定)は「DEAR 誰々」で始まるお手紙を書き始めたところ。
なみなみと入ったブラックコーヒーが落ちないかハラハラします。



ここは艦の「事務所」。
忙しそうに働いているのはYeoman、事務系の下士官です。
ヨーマンはエグゼクティブ・オフィサーの右腕とでもいうべき重要な役目を担い、
記録と予定の調整などを行うなど、艦の事務関係を全て掌握しています。

実際にそうだったのかどうかわかりませんが、彼は眼鏡をかけています。

さて、この区画の壁に、小説「海底二万マイル」のフランス語版
(1892年発行の初版らしい)が埋め込む形で展示されていました。

これは、北極点を潜行することを目標にした「サンシャイン作戦」で
ノーチラスがフランスのルアーブル(セーヌ河口の港)に寄港した時、
フランス海軍のアンリ・ノミ提督からノーチラスのアンダーソン艦長に
プレゼントされたものです。

貫禄のノミ提督

ノミ提督自身は航空出身であまり潜水艦のことは知らなかったと思いますが、
自国の名作である架空小説に登場するそれと同じ名を持つ潜水艦、
「ノーチラス」艦長に、冒険の成功を祝って初版本を贈ることを考えつくとは
さすがエスプリの国の「マリーヌ」(海軍軍人)だけのことはあります。


続く。



ファースト・ネイビー・ジャックと魚雷発射室〜潜水艦「ノーチラス」

2016-07-03 | 軍艦

さて、いよいよ原潜「ノーチラス」の内部に入っていくわけですが、
その前に少し説明をしておきます。



これが世界初の原潜「ノーチラス」模型。
二色に色が分かれているように見えますが、ウォーターラインなのだと思います。



「潜水可能な船ではなく真の潜水艦」であるためには、給油に動力を頼らない、
原子力に推進力を負う全く新しい概念の導入が必要である、と考え、
それを推進したのが「原子力海軍の父」と言われる

ハイマン・ジョージ・リッコーヴァー海軍大将

です。
この写真ではリッコーヴァー大将は軍帽をかぶりラッタルを降りてきています。

名前を見てピンときた人もいるかもしれませんが、リッコーヴァー大将は
ポーランド系ユダヤ人の家系の出で、父親は反ユダヤ主義の社会から
1906年に移住してきており、もしこの判断がなければ、リッコーヴァーは
のちのユダヤ人排斥でおそらく命がなかっただろうと言われています。

ユダヤ人移民の仕立て屋の息子でも優秀であれば海軍大将になれる、
それがアメリカという国であり、たとえば原子力潜水艦のような
新機軸をも世界に先駆けて現実のものにしてしまうパワーも
こういう社会であればこそということの好例ですね。

さて、リッコーヴァー大将の艦隊勤務は掃海艇だったということですが、
コロンビア大学で電気工学の学位を取っていたため海軍工廠勤務になり、
エンジニアリング局の電気の部門で副主任を務めています。

この頃、リッコーヴァーはオッペンハイマーが率いたマンハッタン計画に

参画した物理学者と交流を深め、そのことから核を艦艇の推進動力として利用する
という計画を進めようという考えに至ります。

ただし、それはどちらかというと少数派の考えであったため、
リッコーヴァーは海軍がその着想を取り上げてくれるまでかなりの苦労をしています。
そこで彼はあのチェスター・ニミッツ提督に直訴までして実現化にこぎつけました。

まあそれでいろいろあって、「ノーチラス」が誕生するわけですが、
このリッコーヴァーという人、なかなかキャラの立った人だったみたいです。
当然かもしれませんがとことんこだわり派で、なんと原潜の乗組員は
大将になっているというのに彼が一人一人面接して、気に入らなければ採用しない、
というくらいだったそうです。(現場からは面倒な人だったかも)

今でも、原子力推進の艦艇勤務の経験のある海軍士官は、退役後
原子力発電所のポストにつくことが多いといいますが、その体制は
リッコーヴァーのおかげで成立したと思われます。

そしてありがちな話ですが、海軍軍人からは
"The Old Man"とか"The Old Guy" と呼ばれていたそうです。
「オヤジ」って感じですかね。
ハルゼー提督なら「俺はまだオールドマンじゃねえ!」と言いそうですが、
(というか本当にそう言った)
リッコーヴァーはこの「尊称」をあまんじて受けたのでしょう。 




「ノーチラス」内部。

出入り口が摂津されているのはちょうど前部発射管室の上です。
今日はこの前部発射管室をご紹介しようと思います。

ところで、話は戻るようですが、前回気になった海軍軍人たち。



旗の下に立っている士官のキャップには彼の乗っている潜水艦名が
書いてあるようなのですが、残念ながら読み取ることはできません。
その右側のメガネの人が一番後から来た偉い人だったかも・・。

そして後部に皆で集まって、三人を残して皆が入って行った部分なんですが、
後部から入っていくと、上の図によるとまず乗員のベッドのある「クォーターズ」
あり、エンジンルームがあり、そして・・・「リアクター」(原子炉)が・・。

原子炉?

ノーチラスの原子炉って、もう廃炉というか停止してますよね?
まさかとは思いますが、まだ原子炉動いてたりして。
今回、どこを見ても「ノーチラス」の原子炉が今どうなっているのか
全く言及されていなかったのです。

そういえば見終わってものすごく何かを見落とした感があったのですが、
それはこの展示で

原子炉部分は見学させてもらえなかったという・・。

というわけで、画竜点睛を欠くというか、それを見せずにどうするよ、という
残念感は否めなかったのであります。
やっぱり原潜のリアクターって、初代のものといっても極秘なんですね。

で、後部から入って行った軍人さんたちは、未だに廃炉になっていない
原子炉部分で、その部分についての操作のトレーニングをしている。

・・・・とかだったらすごいなあ。違うと思うけど。



少し見にくいですが、冷却システムについての図解がありました。
原子力を動力に変えるにはどうすればよかったですか?

そう、原子炉で作った熱源によって高温高圧の水蒸気を発生させ、
その水蒸気によるエネルギーを利用してスクリューを回すんですね。

この図によると、「ノーチラス」は動力を電力に変換させることなく、

直接タービンを回していたらしいことがわかります。
(電力を作りスクリューを回すターボ・エレクトリック方式の原潜もある)

原子力を潜水艦に導入するのには、潜水艦ならではの特殊な事情を
考慮しなければなりませんでしたが、その一つが、原子力の発生方式。

原子炉には、核分裂反応によって生じた熱エネルギーで軽水を沸騰させ、
高温・高圧の蒸気として取り出す「沸騰水型」と、
核分裂反応によって生じた熱エネルギーで、まず水を300℃以上に熱し、
それを蒸気発生器に通し、そこで発生した別の水の高温高圧蒸気により
タービン発電機を回す「加圧水型」の2種類があります。

潜水艦の場合、前者は海の状態や気象条件によって原子炉が傾いたりするので、
十分に冷却できなくなる可能性があり、ゆえに使われません。

それから、リッコーヴァーがそのモットー、

”Keep it simple!"

にもかかわらず、こだわらないわけにいかなかった、
潜水艦ならではの問題が、
艦内の酸素の供給の問題でした。

目からウロコというか、思わず膝を叩いて納得してしまったのですが、
原子力潜水艦が浮上しなくても潜航していられる理由は、

原子力が酸素を必要としない動力だからです。

しかし、人間は酸素がなくては1分も生きていられませんから、
せっかく無酸素で動く乗り物を作っても「潜行を常態とする真の潜水艦」
は、人を乗せて動かす限り内部に酸素がなくては成り立ちません。

そこで、酸素を発生させるのは電力によって海水を電気分解する仕組み、
そして二酸化炭素を除去する「CO2スクラバー」を開発しました。


さて、艦内に入る入ると言いながらなかなか説明が終わらないのは、
結局この部分については見学することができなかったからですが、
もう解説はええ、という声が聞こえてきた気がするので、先に進みます。



おおお!こんなところでこの旗にお目にかかるとは!

DON'T TREAD ON ME (私を踏みにじるな)

と蛇が言っている(らしい)この旗、FIRST NAVY JACKといって、
アメリカの軍艦旗なんです。
1977年より、現役最古参の軍艦のみこの艦首旗を掲揚している、ということなので、
「ノーチラス」は未だに現役最古参扱いってことでよろしいでしょうか。

アメリカの愛国のシンボルは「ガズデン・フラッグ」といって、黄色地に
蛇がやっぱり「私を踏むな」と言っているモチーフのものなのですが、
こちらは海軍のみの仕様で、赤い線は建国当時の13州を表す赤線13本。
蛇はガラガラヘビ一匹です。

ガズデンというのは独立戦争時の軍人で、旗をデザインした人の名前です。
ちなみに、2009年からアメリカでは、オバマ政権へのアンチテーゼとして

「ティーパーティ運動」

という保守回帰運動が行われているそうですが、このグループが掲げる旗が
まさにこのガズデン・フラッグなのです。

ところで今世界を揺るがすブリグジットも、結局民族自決への回帰本能だと捉えれば、
つまりジョンレノンがいくらイマジンしても、それがたとえ「Not the only one」
でも、「No country」には代償が伴い、決して「The world will be as one」なんて
絵に描いた餅のようなことは簡単に実現しないということに
イギリス人が気づいてしまったってことなんじゃないでしょうか。


知らんけど。 



いい加減に中に入ってください。という声が本当に聞こえたので、
次に進みます。

これが甲板レベルに立って見た「ノーチラス」だ!
もちろん昔は手すりなんかありません。
ここに手すりがつけられたということは、ごく稀に
甲板に立つことができることもあるってことですよね?



昔のハッチ跡。
今は使用されていないのでわざわざ柵で囲ってしまいました。
柵をしておかないとつまずく人がいたり、ダイヤルを回して
ハッチを開けようとする奴がでてくるからですねわかります。



エントランスには海軍迷彩の人が立っていて、皆に音声モニターを
渡してくれていました。
わたしは写真を撮るのに忙しく、全てをTOに聞いてもらって翻訳してもらいましたが、
後でここを通りかかった時に、日本語のモニターがあったことに気付きました。
日本語だったら聞いてみたかったな。



さて、階段を降りていきます。
内部は一方通行になっていて、狭い艦内で進む人と戻る人が鉢合わせしないように
ちゃんと仕切られているのがさすが海軍です。

この階段はもちろん記念艦になってから増設されたものでしょう。



前回のエントリで退役した同年に記念艦になったのだと勘違いして
そのように書いたのですが、実は6年後だったそうですね。
内部の展示の充実ぶりを見れば、企画から公開までに6年かかっても
全く不思議ではないことがわかります。
上部を切り取ってこんな入口を作ったのですからね。



関係者の中に絵心のある人がいた模様。
「ノーチラスくん」がミスターアメリカの扮装でお出迎え。

 

階段を降りたところは、前部発射管室となります。
ツアー的には簡単に「トルピード・ルーム」。



「ノーチラス」が搭載することのできた魚雷は何種類もあって、
Mk14、Mk37、Mk45、そしてMk48など。
今見えているのはおそらくMK48であろうと思われます。



上の緑のがMark48。
ちなみにその下の白いのは「サブロック」、サブマリンロケット。
1967年から使用されました。



この上の緑色のがMk37魚雷です。
下の黒いのはMk49マイン、つまり海中に敷設する機雷。



こちらが Mark14。

下の緑のはおそらくMk45。(違ってたらすまん)



説明によると、ここを「トルピード・リロード・ステーション」といいます。
発射するためのチューブに魚雷を装填する仕組みがこれ。

魚雷が収納されている部分は「クレイドル」(ゆりかご)です。



なんと、トルピードルームの横で修理中の人がいるー。
見に来ている士官がコーヒー持参なのがいかにもアメリカ。
でまたあっちこっちに出てくるこの乗員マネキンがリアルなのよ。
デパートの洋服を着ているあの嘘くさい男前なんかじゃなくて、
いかにもこんな人いたんだろうなって感じの顔ばかり。
実在の人物をモデルにしたと言われても信じるレベル。



マニュアルブックを見ながらレンチを回しております。
なんか読むのも面倒くさそうなマニュアルだなあ。



訳もなくこの混沌とした計器とバルブを撮ってみました。
どうも計器の目盛りから、発射管の圧力調整器のようです。

さあ、どんどん次に進むことにしましょう。

続く。





 


海軍軍人謎の乗艦〜潜水艦「ノーチラス」

2016-07-01 | 軍艦

アメリカに来てから毎日のように小旅行並みの移動が続き、
PCを開ける間もなく、潜水艦博物館の話を始めたと思ったら、
映画「海の神兵」のエントリを日付を間違えてアップしてしまい
(お節介船屋さん、コメントまで頂きましたが、
後日アップの際に掲載させていただきます。申し訳ありません)
ろくにコメントへのお返事もできない状態で誠に遺憾な状態です。

アメリカ国内の旅行中の移動は車がないとほぼ不可能なのですが、
我が家はわたし一人しか免許を保持していないため、
帰ってきたらもう運転疲れでもう使い物にならんのです。(自分が)


ただ今回借りたのはトヨタカムリですが、安定していて長距離が楽。
燃費もいいし、やっぱり日本車は信頼出来ると思います。
GPSが付いていなかったため、(日本車にはなぜかナビがないことが多い)
わざわざ次の日空港まで戻って携帯式のGPSシステムを借りたのですが、
このシガーソケットから電源を取るナビが超優秀。

渋滞情報や迂回路を教えてくれるなどという機能はありませんが、
小さな画面(5cm×7cm)に、乗り換えの時にどの車線にいればいいか、
わかりやすく示してくれ、地道と高速をつなぐ最短距離を選んでくれ、
これはもしかしたらわたしの車についているナビより優秀ではないか、
と思うくらいで、今ではすっかり信頼しています。

そんな信頼できるナビが付いているのに、入口を間違え、
海軍基地に突入してしまったわたしですが、このために
本物のアメリカ軍人と言葉を交わすことになったので、これもまた
ナビの計らいだったと思うことにしています。




潜水艦博物館は展示室だけでなく、ホールにもこのような
歴代潜水艦の型模型が一目で見られる展示があり、これが
潜水艦の大きさを理解するのにとても便利。



ここからは「モデルウォール」が通路の片側に続きます。

「全部同じスケールなので、20世紀の潜水艦のサイズと形を
ドラマチックにご覧いただけます」

と高らかにこの企画を自慢しております。
この模型はアメリカ海軍が歴史上所持したすべての潜水艦の型を網羅しているため、
アメリカ海軍が特に第一次、および第二次世界大戦のために集中的に潜水艦を
建造したということなども視覚的に理解できる仕組みです。




左の二列に書かれた潜水艦の最初はSS182「サーモン」1935年建造。
最後はSSS312「バーフィッシュ」で、1943年就役です。
この期間に建造された潜水艦がいかに多いかがこれだけでわかりますね。
ちなみに「バーフィッシュ」は何度か日本海域で戦闘を行っていますが、
撃沈スコアが記録されているアメリカ潜水艦の中で、
スコア中に日本の艦船が含まれない、おそらく唯一の潜水艦だそうです。



ガラスが光ってしまって写真が撮れないのが困りものですが。
 一番上の大きなのが「オハイオ」級の原子力潜水艦。
右側が「ロスアンジェルス」級、その下「バージニア」級。

「ボストン」「ラホーヤ」「マイアミ」「シカゴ」「アナポリス」・・。 

昔は潜水艦といえば魚類の名前をつけていたものですが、それもなくなり、
今ではたくさん作りすぎて名前が軒並みアメリカの地名になっております。



オハイオ級が鯨なら、こちらはまるでめだかのよう。
形もなんとなくめだかですよね。
SS1、その名も「ホランド」。
こちらは開発者の名前がホランドさんだったから。

「ホランド」はいわば試作品だったので、データを収集したあとは
海軍水雷ステーションで士官候補生の訓練やアナポリスでの訓練に使用され、
1910年に除籍あとはスクラップとして100ドルで売却されています。
スクラップ会社は艦が解体され船として使用されないことを保証するため、
5,000ドルの契約を要求されたということです。

最初から潜水艦といえば機密のかたまりみたいな扱いだったんですね。 

さて、実はこの後わたしは外に係留してあるノーチラスを見る前に、
がっつりと室内の展示によって潜水艦の歴史を勉強したのですが、
それは後日お話しすることにして、2階の展示を見ながら海寄りの部屋に来ると、



窓からは原子力潜水艦「ノーチラス」をのぞむことができました。



上を見上げるとバナーが。

「FIRST AND FINEST」(最初にして最善」

は史上初の原子力潜水艦としての「ノーチラス」を表す言葉です。
史上初の潜水艦「ホランド」と同じく、試験艦として生まれた「ノーチラス」ですが、
潜行状態で一度も浮かび上がることなく北極点の氷の下を通過し、
潜水艦を「潜航可能な船(submergible ship)」ではなく、水中活動をこそ常態とする
「真の潜水艦(submarine)」に進化させたその功績は偉大です。

 「ノーチラス」が初めてここテムズ川において、原子力で航行したとき、

  "Underway on nuclear power."(「原子力にて航行中」)

という言葉は、「オペレーション・サンシャイン」において、
北極点を潜行しながら通過したときのナビゲーターの

” Nautilus, 90°N, 19:15U, 3 August 1958, zero to North Pole.”

という電文と共に歴史にその瞬間を刻みました。



海軍迷彩が潜水艦に向かって歩いていきます。



建物の出口には「ノーチラス」のトレードマークが。
潜水艦の鯨が顔を出しているのは原子力を表すモチーフ。

「我々の誇らしい歴史遺産保存」

とは、ここにノーチラスが展示されることになった1980年からのロゴでしょうか。



写真を見て気づいたのですが、潜水艦と展示館の間に一つ建物があります。
もしかしたら海軍迷彩はここに入っていったのかもしれません。



さて、わたしたちも階下に降りていよいよ「ノーチラス」を見学することにしました。
前もって展示室でその業績と、潜水艦の歴史についてもざっとおさらいして
準備も心構えもバッチリです。



ところで、潜水艦の前に単線の線路があります。
廃線にしてあるにしては線路が錆びていないし、海軍時代の輸送線路かな?
と思い、地図で線路をたどっていくと、延々とテムズ川をさかのぼり、
そのあとはずっと名前の変わった川の河畔に沿って伸びていき、
なんといつの間にかボストンの通勤線とつながって、マサチューセッツ湾まで
続いていました。
全米を網の目のように走る線路の一部だったんですね。

なお、向こうの方に見えているのはインターステート95です。



ここで後ろを振り返ってみると、ミュージアムはこんな形。
手前の小さな建物は軍人さんの休憩室かな。



「ノーチラス」は日本で言うところの文化財的な扱いとなっています。
真ん中のプレートは、「海軍建築家・エンジニア協会」の認定。
最初に北極点に達した歴史的な潜水艦であり、世界的見ても
潜水艦の技術的革命を起こしたことを顕彰する、とあります。

その向こうは、ノーチラスが世界で初めて原子力で推進した潜水艦である、
と書かれたプレート。



記念艦としてここに固定繋留されているのですが、イントレピッドのように
底を固定するということはせず、テムズ川に浮かんでいるようです。
2本ずつ舫がクロスして舫杭につないであります。

ところで、潜水艦のこの部分を説明しておきます。




まず、セイルの左に旗がありますが、これは「PUC」、
Presidential Unit Citation、つまり殊勲賞だそうです。
ノーチラスは北極点に達したことでこの栄誉を得ました。

上に煙突のようなものがいっぱい立っていますが、
左から

●IFF/UFF (極超短波アンテナ)●VLF loop(超長波アンテナ)

●BRD-6B(敵の通信、レーダーを探知する)

といった感じで(おい)つまり全てアンテナ関係です。

● 一番高い金色のがペリスコープ、つまり潜望鏡。

● その右側の白いのも潜望鏡です。
同じようなところになぜふたつあるかというと、昼夜の使い分けみたいです。
夜用にはレーダーも内蔵されているのだとか。

● 白い潜望鏡の右側のものはなんと「ピッグ・スティック」といいます。
「豚棒」?
取り外しのできるフラッグスタッフだそうです。

● 一番右は見てもわかるとおり、ビーコンライト。
ナビゲーション・エイドを略してNAVAID(ナヴァイド)と呼びます。
なんでも省略する傾向は日本だけでなく米海軍も同じなんですね。



舫だけで繋留しているなんてことはなかろうと思ったら、やっぱり
こんな風に岸壁に固定してありました。



だったら舫なんて必要ないよね?と思ってしまうわけですが、
やはりそこはそれ、雰囲気というやつだと思われます。

繋留されて以来おそらく一度も動かされたことのない丸めたロープ。



そのときわたしのネイビーセンサーが鳴り響きました。
海軍迷彩の一団が続々と「ノーチラス」艦尾に向かっている?



艦尾には国旗が立てられているのですが、全員がラッタルを渡ると
国旗に敬礼して艦上に乗り込んでいきます。

あーなんかすごくいいものを見せてもらってる気分。
皆その瞬間は背筋がピンと伸びて直立する様子がかっこよす。

最後に一人でやってきた軍人さんは、わたしの予想通り、この中で
「一番偉い人」だったようで、この人が乗り込むと全員が
シャキーン!<(`・ω・´)と敬礼をしておりました。



そういえば、この人たちはわたしたちが展示物を見学しているとき、
ロビーで待ち合わせをしていたんでした。
海軍五分前はアメリカも同じらしく、早くきた人たちはすることがないので
展示物の「各国の潜水艦部隊章」など見ておしゃべりしていたのですが、
そのうち見学客にせがまれて写真を全員と撮らされておりました。

わたしも頼んでみればよかったかな・・。



で、7〜8人のこの団体、全員揃ってから何人かが後部から
ノーチラスの中に入って行ってしまいました。

「ノーチラス」で公開されているのは全部ではありません。
後部発射室とその近くの、全体から見るとごく僅かといっていいでしょう。
で、彼らが入って行った部分には何があるのか・・・?



なんと、見学を終えてでてきたときも、この三人は同じところにいました。
ということは、後の人たちはまだ中にいるということになります。
もしかしたら、中には公開されていないシミュレーターかなんかあって、
数人の人たちがトレーニングをしている・・とか・・?



星条旗と海軍迷彩の軍人たち、かこいいなあ・・・。



さて、後部の海軍さんに心を残しながらも、中に入ってみることにしました。
見学者用に潜水艦の上にガラス張りのエントランスが増設されており、
ここでやっぱり海軍迷彩の人が解説のモニターを貸してくれます。



「ノーチラスに乗る前に」

● セルフガイドですので配られたガイドに従って進んでください

● ツァーには30分から45分くらいかかります

● 階段をおりていかなくてはいけないのでハンディキャップの方の見学はできません

● 内部は大変狭いのでそれで気分が悪くなるかもしれません

● 子供達は大歓迎


さあ、それでは乗り込んでいくとしましょう。


続く。