~中外日報日報より~
「出あい」
私たちは、出あいと別れのくり返しの中に生きています。
毎日、顔をあわせている人、たまにしか顔をあわさない人…。
日頃、私たちはどのような出あいをしているのでしょうか。
「出あい」と言っても
「出会い」「出逢い」「出遇い」と文字に違いがあるように
「出あい」の中身がちがいます。
人と顔をあわす「会」。
その人とあえると思うだけで胸ときめく「逢」。
そして、その人との出あいによって私自身の生き方が一変する「遇」。
仏さまの教えを聞くということは、
具体的にいうと教えに生きている人に出遇うということです。
そこに、私が確かなものとしてきた善悪の真偽の尺度に照らされ、
自身が問いとなる歩みが始まります。
よき「出あい」を。
(真宗仏光寺派 大阪別院輪番 中井賢隆)