正月、3~4日仙台へ出張。
一泊二日の予定で薬・気がえを用意して出かけた
仙台に着くと、葬儀がもう一件入ったから二泊三日にしてくれと言う。
そう言う事あるんですよね…
せめて薬だけは余分に以て出かけるべきだった。
そんな時、思い出されるのが
親鸞聖人九歳の春のこと
得度(お坊さんになる式)が夕暮れ時となってしまった。
慈円院主が、今日は日も暮れかけたので、明日にしようと言われた時、
幼い親鸞聖人はこのような歌を詠み院主に訴えました。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
(咲き誇っている桜も今晩嵐にあって散ってしまうかもしれません。
今、得度式をしてほしいと懇願され得度式をされました)
まさに、何が起こるかも知れません、若干の余裕を持つべきでした。