慶ばしいかな、心を弘誓(ぐぜい)の仏地(ぶつじ)に樹(た)て、念を難思(なんじ)の法海(ほうかい)に流す
(「顕浄土真実教行証文類」『註釈版聖典』473頁)
〈現代語訳〉
我欲にとらわれてばかりで、仏さまのような智慧と慈悲をそなえた眼(まなこ)は私たちには無いけれど、心配しなくていいんだよ、我執に充ちた私と気づいたとき、苦海の闇で惑う私たちを、阿弥陀さまの願いの船が、かならず私を乗せて浄土へみちびいてくださる。まるで、暗闇にともる灯台の灯火(あかり)のように。
まことによろこばしいことである。心を本願の大地にうちたて、思いを不可思議の大海に流す
(同『現代語版聖典』645頁)
(同『現代語版聖典』645頁)
重力により大地に立ち、安心して飛び回ることが出来るように、私は、お念仏(南無阿弥陀仏)に任せきって大地に生きる。
