アメリカのインターネット検索会社で、
「インターネット検索で回答を得ることの出来ない10の質問」
その第1位が「人生の意味は何ですか?」だったそうだ。
人生の意味?人生の価値?何のために生まれてきたのか?何のために生きるのか?…
私はこれから「どう生きようか?(生きる目的)」は良く考える。
家族の為、会社の為、金儲け、素敵な人と巡り会いたい。やりがいのある仕事…。
家族の為、会社の為、金儲け、素敵な人と巡り会いたい。やりがいのある仕事…。
その為に、朝早く起きて仕事して、仕事が終わりビールを飲んで寝る。
たまには美味しい料理を食べて、旅行へ行きたいな。…まさに「流転輪廻」。
蓮如上人は御文章に
「それおもんみれば、人間はただ電光朝露の夢幻のあひだのたのしみぞかし。たとひまた栄華栄耀にふけりて、おもふさまのことなりといふとも、それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。もしただいまも無常の風きたりてさそひなば、いかなる病苦にあひてかむなしくなりなんや。
まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず。されば死出の山路のすゑ、三塗の大河をばただひとりこそゆきなんずれ。
これによりて、ただふかくねがふべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり。信心決定してまゐるべきは安養の浄土なりとおもふべきなり。」(御文章1帖目11通)
思い通り生きたとしても、私たちがあてにしているものは何一つない。結局一人空しく人生を送るだけだ。
まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず。されば死出の山路のすゑ、三塗の大河をばただひとりこそゆきなんずれ。
これによりて、ただふかくねがふべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり。信心決定してまゐるべきは安養の浄土なりとおもふべきなり。」(御文章1帖目11通)
思い通り生きたとしても、私たちがあてにしているものは何一つない。結局一人空しく人生を送るだけだ。
安養の浄土へ参る人生を送りなさい。とのご教示であります。南無阿弥陀仏