住職の独り言

~ご縁に触れて~

日曜礼拝当番法話

2024年11月11日 | 独り言
昨日の日曜礼拝は私の当番日
正信偈と和讃は「如来の作願をたずぬれば…」より六首とミニ法話。
法話は「疑蓋無雑」(ぎがいむぞう)について
親鸞聖人は信心を「疑蓋無雑(ぎがいむぞう)」と言われます。
蓋はおおう、かぶせるの意で、仏教の真理に対して自らの心を蓋で覆って受け入れない意味であります。
法然聖人の詩で
「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」とありますが
月はすべての里に月影を宿すが、庭に置いてある水鉢の水にも月影を宿すが、水鉢に蓋がしてあったならば月影を宿すことが出来ません。
この蓋は疑いであります。

川の水は上流より下流に流れ海に注いでいきます
それを「信じろ・疑うな」と言われても
本来、信じるか信じないかを確かめたり、言葉にしたりする必要もないことです。

火が燃えている有り様も然り、火が燃えていれば熱いのも然り
信じる必要も、疑う必要もない真実の姿
自然なる動き(はたらき)であります。

親鸞聖人の言われる「疑蓋無雑」とは
阿弥陀如来の本願の言葉に、この疑いの蓋を雑まじえないことであり
「信じている」という自覚さえなくなった時に、
本当の意味で「信心獲得」でありましょう
南無阿弥陀仏



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