私には色々な思いがあります。
宝くじが当たればいいな‥
病気が治ればいいな‥
死にたくないな‥
‥
そんな私の願いを横において
阿弥陀さまは、私に何を願っておられるのか聞かせていただくと、
臨終の一念至るまで、
腹を立てたり、泣いたり 笑ったり こうなりたい等々
煩悩に振り回されている私を
そのまま救い「仏にするとのお示しであります」
聞こえたまま、阿弥陀様に私の全体を投げ出して
唯、有難いことよとお念仏 南無阿弥陀仏 なまんだぶ…
私には色々な思いがあります。
宝くじが当たればいいな‥
病気が治ればいいな‥
死にたくないな‥
‥
そんな私の願いを横において
阿弥陀さまは、私に何を願っておられるのか聞かせていただくと、
臨終の一念至るまで、
腹を立てたり、泣いたり 笑ったり こうなりたい等々
煩悩に振り回されている私を
そのまま救い「仏にするとのお示しであります」
聞こえたまま、阿弥陀様に私の全体を投げ出して
唯、有難いことよとお念仏 南無阿弥陀仏 なまんだぶ…
今日は御隣寺J寺前住職の葬儀がある。
昨日はお通夜にお参りさせて頂いた。
出会ったものには別れがあり
生れたものには死がある‥
お浄土へのお見送りでありました。
葬儀の寺院葬でのお荘厳、
若干の違いはあるものの、
J寺さんのお荘厳はこんな感じでした。
1月5日(土)仙台から帰宅途中
上野に着くと携帯がないのに気づく
仙台で時間調整で寄った居酒屋か新幹線か?
とりあえず家に帰り、まずJR東日本に電話したら
携帯発見(笑)よかった
東京駅新幹線上越線ホームに取りに来て下さい
東京駅まで行って携帯と再会
携帯紛失して色々考えた…
私は今、終活中だから…このまま無くてもいいか…
電車の中で暇な時は携帯でニュースを見たりしているけど、ないと寂しいな
でも良かった…
「飛ぶ鳥 跡を濁さず」と言うけど、これからは注意します。
正月、3~4日仙台へ出張。
一泊二日の予定で薬・気がえを用意して出かけた
仙台に着くと、葬儀がもう一件入ったから二泊三日にしてくれと言う。
そう言う事あるんですよね…
せめて薬だけは余分に以て出かけるべきだった。
そんな時、思い出されるのが
親鸞聖人九歳の春のこと
得度(お坊さんになる式)が夕暮れ時となってしまった。
慈円院主が、今日は日も暮れかけたので、明日にしようと言われた時、
幼い親鸞聖人はこのような歌を詠み院主に訴えました。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
(咲き誇っている桜も今晩嵐にあって散ってしまうかもしれません。
今、得度式をしてほしいと懇願され得度式をされました)
まさに、何が起こるかも知れません、若干の余裕を持つべきでした。
〈今月の法座案内〉
★毎、日曜日 朝7時~「日曜礼拝」
正信偈のお勤め、御文章、ミニ法話
★定例法話会
1月20日(日)午後1時30分~
講師 柳川眞理子師(港区)
正月は毎年、寺務所で留守番しながら
箱根駅伝を見ていました。
今年は、死に物狂いで中継所までタスキを運んで来たのに
渡す相手がいないというトラブルが二件もあった。
1区から2区駒沢。3区から4区国士舘
選手は可愛そうだね…
この事で考えさせられたのが、
もし私が選手だったら
「何やってんの( -_・)?」と相手を責めるだろうな‥
自分を「正」とし相手を責める、
自分の姿を考えさせられた。
病気が治る
商売繁盛
金が儲かる
‥
これらの煩悩の
片棒を担ぐのは
神でも仏ではなく
同じ煩悩を持った人間!
神社ならそこの神主さん
お寺ならそこのお坊さん
が言っているんです
仏さまは苦悩している人を捨てずして
じっと抱きしめ苦悩からの解脱へと導きたもう。
「阿弥陀は光明なり、
光明は智慧の形なり」
(釋恵照)
光明は闇を破し
安穏ならしめる大慈のはたらき
我という闇を好み
これが正義と偏見す
移りゆく華やぎを求め
黄色い花を白色に見せしめ
一時の幸福を求め始終す
仏の慈愛を聞かされれしより
うかうかと我執にとらわれ
色メガネを以て見聞くする
危うさに気づかされる
阿弥陀は
我執のままに摂取して
安楽なる世界へと導きて
無分別なる智慧をさずけ
大悲を行ずる身とはなる
南無阿弥陀仏