住職の独り言

~ご縁に触れて~

集中

2020年09月10日 | 独り言
人がやっていることより、

自分がやることに

集中する!

例えばお掃除の時間に、他の子がちゃんとやっていないからと言って、君がやらなくてもいい理由にはならないよね?
君がやるべき事は、周りと関係なくちゃんとやろう。勉強やクラブ活動でもそう。
誰の為でもなく”自分の為”と言う事を忘れずに、自分がやることに集中しよう。



他人がしたこと、しなかったことに目を向けない。ただ自分がやったこと、やらなかった事だけを見つめなさい。

~ダンマパダ50より~
(日めくりブッダ語録)

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尊敬しちゃう

2020年09月09日 | 独り言
台風の風雨にさらされても動かず

その場で耐える木を見ていると尊敬しちゃいます。



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謙虚

2020年09月08日 | 独り言
全ての人に対し、

生きとき生けるものに対して、

一切のものに対して、

謙虚であれ…

南無阿弥陀仏


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一枚起請文(意訳)

2020年09月07日 | 独り言
一枚起請文 (法然聖人の御遺言であります)

中国や日本の智慧ある方々が議論を重ねて言っておられるような、乱れ心を修めて、阿弥陀如来のお姿やお浄土の世界を思い描く観念の念仏ではありません。

また、学問して念仏の功徳や意味を詳しく知った上で申すような特別な念仏でもありません。

  ただ、極楽往生の為には、南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生すると思いとりて念仏する他には、これといって特別なことではありません。

念仏者は三心(至誠心・深心・廻向発願心)という心の持ち方や、四修(長時修・無間修・恭敬修・無余修)という態度を具えなければならないと申しますが、これらはみな、南無阿弥陀仏の念仏によって必ず往生させていただくと思い定めて念仏申す人の上に、おのずから具わるのもなのです。

もし仮に、これ以外にも奥深い教えがあって私が隠しているとしたら、私は釈迦・弥陀二尊の大悲にはずれ、弥陀の本願のお救いにあずかることは出来ないでしょう。

念仏の教えを信ずる人は、たとえ釈尊一代の教法をよく学ぶとも、一文字さえも知らない無学・無智の身になりきって、尼や入道などの無智のともがらと同じ身であるとわきまえ、智者のような振る舞いをせず、ただ一向に念仏申すべきです。 

証の為に両手印をもってす。

浄土宗における安心と起行は、この一枚に記したことに尽くされています。私、源空の考えはこの外にまったく別の儀はありません。私が亡くなった後、よこしまな説をなすものを防ぐ為に、ここに所存を記しました。

 建暦二年正月二十三日 大師在御判



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日曜礼拝

2020年09月06日 | 独り言
今日は私の当番。

正信偈和讃は「源空讃」
 源空存在せしときに~より六首

御文章「吉崎建立章」

お話 
法然聖人は阿弥陀さまが勢至菩薩と示現し、
あるいは道綽禅師・善導大師と現れて,
私たちが救われる道をお示し下さった。
その、み教えの全体は「一枚起請文」に帰着せり。

一枚起請文
唐土(もろこし)我朝(わがちょう)にもろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。又学問をして念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。

ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細(しさい)候(そうら)わず。

ただし三心(さんじん)四修(ししゅ)と申すことの候(そうろ)うは、皆決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。
この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候(そうろ)うべし。

念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学(がく)すとも、一文不知の愚鈍の身になして、
尼入道(あまにゅうどう)の無智のともがらに同じうして、
智者(ちしゃ)のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。

 証の為に両手印をもってす。
浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存、この外に全く別義(べつぎ)を存ぜず、
滅後(めつご)の邪義(じゃぎ)をふせがんがために所存をしるし畢(おわ)んぬ。
 
建暦二年正月二十三日 大師在御判(原文には「源空(花押)」とある) 

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こどもの詩

2020年09月05日 | 独り言
「すきなきのこ」

えのき  じゃなくて
しめじ  じゃなくて
しいたけ  じゃなくて
きいろくて
ふわふわしてて
おもちにかけるきのこ
(兵庫県西宮市・津門保育園 平田綾5歳)

綾さんが好きなものは「きのこ」じゃなくて「きなこ」のようです。
(平田俊子)

~読売新聞より~
詩もコメントも微笑ましかったので、そっくり転記しました。(笑)


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生まれて初めて歩く道

2020年09月04日 | 独り言
昨日と同じ道であっても

昨日とは違う進化した私

日々、生まれて初めて歩む

未知なる連続

新鮮なる出会いが待っている




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2020年09月03日 | 独り言
雨となり雪となり

大地に降り注ぎ

地球を潤し

コンコンと大地に湧き出で

一切の命の源となる

私を生かす すべてのはたらき

南無阿弥陀


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二つの道

2020年09月02日 | 独り言
人生には二つの道がある

一つは、奇跡は 起こらないと思い 進む道
一つは、総てが 奇跡だと思い 進む道

さぁ…あなたはどっち?

私は、こう思います。
物事が忽然と起こる奇跡はなく、自分に分からなくても必ず因縁があり生起する。それを理解した上で総てが奇跡の出来事。

有り難し  南無阿弥陀仏



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掲示板

2020年09月01日 | 独り言
9月です。秋の足音が聞こえてきました。彼岸法要があります。

だいじょうぶだぁ


ほとけさんの

うでのなか

〈9月の行事〉
☆毎、日曜日・朝七時「日 曜 礼 拝」
  (正信偈和讃繰り読み・御文章・ミニ法話)

☆秋の彼岸法要
9月22日(秋分の日)午後一時半 
 講師  福間義朝師(広島県))

※コロナウイルス感染防止から本堂内には40名限定
    その他の方は庫裏和室にての 参拝・聴聞となります。
 また、インターネットの「天真寺チャネル」にてライブ放映。



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