【メッセージ文について】
自分のいのちは、自分の所有物なのでしょうか。
この世に、自分の力でいのちを作り上げて生まれてきた人は一人もいません。
私たちが"自分のいのち"と思っているものは、父母から受けついだものであり、その父母もまた、それぞれの父母からいのちを受けついでこの世に生を受けたのです。
いのちは、はかり知れないほどのつながりの中で受けつがれてきたものなのです。
また、いのちは、父や母という縦のつながりだけで育まれるものではありません。
私の周りにいる人や、他の生き物、水や空気や太陽の光など、たくさんの縁のなかで、私は生きています。
そのような無量の縁に支えられ今ここにいることは、まさに不思議としか言いようがありません。
常に自己中心的なものの考え方しかできない私たちは、自分にとらわれて、いのちのつながりに気づくことができません。
そんな私が仏法に出あうとき、自分で生きていると思っていたそのままが、生かされて今ここにいるのだと気づかされます。つまり、価値の転換がなされるのです。
そして、生かされているという安心のなかで、自分にできることを精一杯つとめさせていただく生き方が開かれてくるのです。
(西本願寺)