長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『陽炎』

2015年09月12日 22時16分21秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『陽炎』(2009年9月2日リリース UNIVERSAL SIGMA )

時間 11分13秒

チャート最高順位13位(オリコン)

 『陽炎(かげろう)』は、鬼束ちひろ(当時28歳)の17thシングル。
 本作も前作『帰り路をなくして』と同様に、「レコーディングの都合」として公式サイト以外でのプロモーション活動は行われなかった。CD ジャケットのイラストは、画家の東學(あずま がく 当時45歳)による書き下ろしの墨画で、鬼束本人をイメージして描かれている。鬼束が東の墨画に感銘を受け、直接個展に赴いてオファーしたことから、本作でのコラボレーションが実現した。


収録曲
作詞・作曲  …… 鬼束ちひろ
プロデュース …… 坂本 昌之

1、『陽炎』
 バンドサウンドを主体としたロックバラード。「日本の美」をテーマに、春夏秋冬の情景を取り入れたラブソングとなっている。

2、『愛の台詞』
 ロックンロール色の強い楽曲。歌詞にはマリリン=モンロー、ジェイムズ=ディーン、エルヴィス=プレスリー、ジーン=ハーロウといった往年のスターたちの名前が登場する。




《本文まだまだ》
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『帰り路をなくして』

2015年09月03日 23時07分44秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『帰り路をなくして』(2009年7月22日リリース UNIVERSAL SIGMA )

時間 10分34秒

 『帰り路をなくして(かえりみちをなくして)』は、鬼束ちひろ(当時28歳)の16thシングル。
 本作は「レコーディングの都合」を理由に、公式サイト以外でのプロモーション活動は行われなかった。オリコンウィークリーチャート最高13位を記録した。


収録曲
作詞・作曲  …… 鬼束ちひろ
プロデュース …… 坂本昌之

1、『帰り路をなくして』
 ピアノ、ストリングス、およびバンドサウンドで構成されるバラード。歌詞は本人曰く、「仕事に、人生に疲れた男たちの応援歌」として、「光と闇」をテーマに制作された。

2、『 I Pass By Darksmoke Version 』
 英語詞による楽曲。これまで主にピアノやキーボードを用いて作曲を行ってきた鬼束にとって、初めてギターを用いて作曲した作品。アコースティックギターのみによる構成で、本作のオリジナルバージョンは、同年10月28日発売の5thアルバム『 DOROTHY 』に収録されることとなった。本作のギター演奏は、フュージョンバンド「 PARACHUTE(パラシュート)」のギタリストで、スタジオミュージシャンとしても活動している今剛(こん つよし 当時51歳)によるものである。




《イヤンなっちゃう本文マダヨ 2000》
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『 X / ラストメロディー』

2015年08月31日 11時12分05秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『 X / ラストメロディー』(2009年5月20日リリース UNIVERSAL SIGMA )

時間 9分57秒

 『 X(エックス)/ ラストメロディー』は、鬼束ちひろ(当時28歳)の15thシングル。
 前年2008年9月の体調不良による休養宣言からの復帰後初となるシングルで、前作シングル『蛍』から9ヶ月ぶりの新作発表となる。オリコンウィークリーチャート最高11位を記録した。


収録曲
作詞・作曲  …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 坂本 昌之

1、『 X 』 5分02秒
 2008年8月に開催された野外ロック・フェスティバル『 ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008』への出演時に、新曲として初披露されていた楽曲。その際はピアノ伴奏のみで歌唱されたが、本作ではバンドサウンドとストリングスのアレンジが主体となっている。なお、バンドサウンドの楽曲がシングルの A面として発表されるのは、2004年の11thシングル『育つ雑草』以来のことである。曲のタイトルについては、リリース当時のインタビューにて「曲の制作途中で思い浮かんだ記憶があり、それが呼び寄せたタイトル」とコメントしており、由来やイメージは一切ないという。
 ミュージックビデオでは、鬼束との共演としてコンテンポラリーダンサーの森山開次(当時35歳)が出演している。

2、『ラストメロディー』 4分57秒
 ピアノとバンドサウンドで構成されるロックバラード。本作はミュージックビデオが制作されておらず、鬼束の A面扱いの楽曲でミュージックビデオが制作されないのは本作が初となる。


 ということでありまして、前作『蛍』でそうとうすごい新境地に至ったかのように見えたものの、折悪しく「極度の疲労による体調不良」ということで長期休養してしまった鬼束さんの、9ヶ月ぶりの復帰シングルでございます。
 前作から始まった坂本昌之プロデュース時代ではあったのですが、シングルを1作出したのっけから休養に入ってしまい、当時予定されていた全国コンサートツアーも中止になってしまったため、「今度も11thシングル『育つ雑草』(2004年)の二の舞か……」という不穏な空気が流れていた中での本作リリースとなったのですが、さて今回はどのような作品となったのでしょうか。

 実際に聴いてみれば明らかなのですが、今度の復帰は、間違いなく「完全復活」どころか、それ以上の「進化」を高らかに宣言するものになっていたと、今現在の私は確信し、この2つの A面曲のすばらしさを楽しむことができています。もはやそこに、『育つ雑草』にあったような無秩序・制御不能な感情の爆発は無い、と断言してよいでしょう。

 ただ、その~、恥ずかしながら私、このシングルがリリースされた当初は、あんまりいい印象は抱いていなかったんですよね~! たかだか6年前の話ではあるのですが、まだまだ私もガキンチョだったというか……歌の本質を観ようとしてなかったんだなぁ。

 なんで私がこのシングル……というか『 X』を好きになれなかったのかといいますと、その理由はミュージックビデオにあったんですよね。

 上の情報記事にもある通り、『 X』のミュージックビデオはほぼ全編で鬼束さんがひたすら踊っているという内容になっており、後半からはプロのダンサーの森山開次さんも参戦して、周囲の物が破裂し、稲妻が絶えずほとばしる異様な状況の中で2人が対峙して踊り狂うという、ものすごい迫力の映像となっております。『ゴジラ VS キングギドラ』(1991年)のオープニングタイトルみてェ!

 これがね~……これが好きじゃなかったんですよ。鬼束さんが元気ハツラツなのはいいんですけどね。元気に長髪を振り乱しすぎて顔がぜんぜん見えないんですが。

 なんでかっていうと、鬼束さんが本領発揮の歌じゃなくて、全く別のジャンルの「踊り」で想いを爆発させてるっていう、その意味がよくわからなかったんですね。
 いや、そりゃ確かに5分以上ずっと画面の中で踊り続けているというのは目を引くんですが、しばらく見続けているとわかってくるのです、鬼束さんは両足から胴体を経て頭にいたるまでの「身体の芯」がまったくブレてないと!
 当然、激しく踊っているので身体は大きく動いているかのように見えるのですが、そう見えるのは両手がぶわー!ぶわー!と回っていて、カメラワークの都合で横に歩きながら踊っているからそう見えるだけなのであって、よくよく見れば……実に「安定した」振付の連続になっている、と私は感じたんですね。いや、疲れるとは思うのですが。

 これは……この踊りは、一体なんなんだ? 鬼束さんの体幹のゆるぎなさを見て楽しめばいいのか? プロのダンサーでも5分間もソロダンスでもたせるのはかなり至難の業だと思うのですが、鬼束さんは昔からダンスの素養があったのか? それとも、この半年以上の休養期間の中でダンスの猛練習でもしたのか?
 そしてさらにこのミュージックビデオをキツくしているのは、やはり最後まで一人で踊り続けるのを断念したかのように、後半から正真正銘のプロダンサーの森山さんを召喚しちゃってるってところなんですよね。
 いやいや、それやっちゃ元も子もないでしょ!? ホレ見い、プロのダンスが近くにあるおかげで、鬼束さんの可動域の少なさが一目瞭然になっちゃったよ! ダイソーで売ってる「着せ替え人形エリーちゃん」の隣で、三人遣いがガッツリついた文楽人形を舞い踊らせちゃいかんでしょ!! 次元が違いすぎるって話なんですよ……

 でも、当時の状況をかんがみるだに、鬼束さんとしても、自らの得意とする歌だけでなく何か別の世界に身をなげうって新境地を開拓したい、何か新しい自分を見つけ出したいという切なる願いがあったのかも知れません。そのあらわれが、成果はともかくやってみようと賭けに出た、この『 X』のミュージックビデオだったのかも知れず。

 そんなことしなくても、『 X』は充分すぎるほどに名曲だったのにねぇ。でも、あれほどの奇跡的名曲だったのにもかかわらず、前作『蛍』もそれほど当時の J-Pop業界を騒然とさせるほどの話題にはならなかったので、なにかしらの不安を抱えたあせりはあったのかも……


 さて、それでいよいよ本題の曲の内容のほうにいってみたいのですが、まずは両 A面のうちの『 X』から。

 こちらは、先ほどから何かと比較している『育つ雑草』と同じ、激しいテンポと訴えかけるような鬼束さんの絶唱が印象的なバンドサウンドなのですが、よくよく聴いてみると、やはりおよそ5年を経ての鬼束さんの成長が著しいといいますか、プロの歌手としての安定感が段違いに身についている成熟した一曲となっております。
 その安定感というのは、鬼束さんが武器として持っている自らの声の使い方をことごとく知り尽くしていることがわかるからでして、冒頭のささやくような「誰かの追憶……」では、その呼吸する音すらをも繊細かつ自由自在にコントロールするさまは、歌の第一声から聴く者の心をわしづかみにする伝説の怪物セイレーンの魔力を見るかのようです。船長、舵がとれねぇだ!!

 序盤のささやきからいきなり入る野太い語り口、そしてサビ前の「 I`m just calling you!」でぐんぐん高くなるテンションは、もうジェットコースターの最頂点に昇りつめる寸前といったふぜいで、「きたきたきた~!!」と興奮せずにはいられません。「あいじゃす、こーりんぐ、ゆ~う~うぅ~!!」の「ゆ~う~うぅ~!!」の高まりに胸躍らない鬼束さんファンはいないでしょう。絶対この時、鬼束さん肩ちぢこまって左手あがってるよ!!
 そして、サビの「この腕を掴んで」や「この胸を溶かして」での「この」で一瞬だけシャウトするテクニックも、鬼束さんお得意の制御され尽くした感情の発露です。そして、激しいサウンドの合間に突然入る、真空の裂け目のような無重力感のある「 So far……」のファルセット部分。もはや、『育つ雑草』とは比較することさえバカバカしい、聴く者を大いに意識したスキのない鉄壁の構成となっているのです。つまり、わかりやすく言えば『育つ雑草』の暴威は所詮は「新免のたけぞう」のバイオレンスであり、『 X』の猛威はまさしく「剣聖・宮本武蔵」の太刀筋なのです。井上先生~、巌流島の小次郎みたいに読者を待たせないでくんさい!!

 ともかくこの『 X』は、こんな感じで鬼束さんがこれまで培ってきた歌唱テクニックの見本市のようなファンサービスたっぷりの一曲となっているのです。鬼束さんのものまねをしたい人は『 X』で練習するといいかも!? でも、唄っても「うま~い!」と賛同してくれる同志がそう多くはなさそうなのが哀しい……

 一方、『 X』の歌詞について考えてみますと、こちらもまた、ただひたすらに「私は今、死んでいる!!」と叫び続けていた『育つ雑草』とは違って、かなり強い想いをもって唄いかける相手が確実におり、

「 I`m calling you」、「 I`m just calling you」、「 We`re calling」、「 We`re going high」

 などなど、堕ちようが歪もうが狂おうが全然かまわないという覚悟に満ちたラブソングとなっているのです。
 ラブソング……うん、内容から見ると、ラヴソングということになるんじゃないか、なぁ!? でも、こうやって呼びかけているのはよく分かるのですが、それに対して果たして相手がどう応えているのか、どう感じているのかがさっぱりうかがえない不穏さはぬぐえませんよね。とにもかくにも鬼束さんによる、曲は違いますが「♪あなーたがァ ほしぃ~い!!」な一方通行のパワーだけはものすごいという。
 なんか、この曲を聴いてると、あの松本人志の『新・一人ごっつ』(1997~98年放送)の中で、松ちゃんが全身全霊をかけてやっていた神コーナー「マネキンとコント」を想起せずにはいられないんですよね。天才と木偶人形、この温度差が時空のはざまに「伝説」という名の真空の裂け目を切りひらくのです! もうすぐ彼女が来るんだよキミ~!!

 ま、ま、そんな感じでこの『 X』は、半年以上の間隙を挟みはしましたが、歌手としての鬼束さんも、坂本昌之さんのプロデュース体制もまったく健在どころかさらに意気軒高であることを高らかに宣言するものになっていたかと思います。ほんと、ダンスなんてする必要なかったんだって!
 ただ、一時期鬼束さんが標榜していた「誰か別人に仮託して曲を制作する」スタイルのようでもなく、ましてや前作『蛍』にあったような分かりやすい物や情景をつづる描写もきれいさっぱり消えてしまって、「最後の秘密」やら「禁断の迷路」やら「危険な正義」という一見さんお断りなワードのてんこ盛りとなってしまったので、確かにそういう意味では、『育つ雑草』とそう変わりないのでは……と思わせてしまうとっつきにくいイメージは出てしまったかな、といううらみはありますね。ちゃんと聴けばぜんぜん違うんだけどなぁ。

 まぁ、だからこそ、もう一方の『ラストメロディー』を B面曲でなく「両 A面曲」にするという措置で比重を上げてバランスを取ろうとしたのでしょうが……う~ん、鬼束さんがノリにノッてるのがどう聴いても『 X』のほうなんだものなぁ。


 それでもう片っぽの『ラストメロディー』なのですが、こちらは一転して、非常に聴きざわりの柔らかい、優しいバラードとなっております。
 ただ、こちらは歌詞を聴いていくと、

「すべては夢で あとは目を覚ますだけ」
「季節を彷徨う 最後の言葉が まるで貴方のように横切る」
「待ち続けてる 途方も無いことくらい 分かっていても」

 といった、ぬぐいようのない喪失感や寂寥感が、歌全体を寒い冬の空気のように包み込んでいることがよくわかります。こちらも『 X』と同様に、具体的な情景描写はないに等しいのですが、「聴こえないメロディー」と「涙をうかべて」という言葉が繰り返し謳いあげられるので、何かの「わかれ」があったのだろうな、というイメージは結びつきやすいですよね。

 ただ、この15thシングルの面白いところは、相手がいて満たしあえているはずの『 X』が異常な精神の不安定さを提示しているのに、相手がいなくなって孤独でいる『ラストメロディー』が、すっぱりと解脱したような清澄さをたたえているという事実なのです。う~ん、これが愛欲というものなのか!
 でも、この『ラストメロディー』も自分のもとを去った「貴方」を待ち続けていると明言していますし、「聴こえないメロディー」を感じ取ることも、いなくなった「貴方」を無意識に探してしまうくせを象徴しているようで、そういった未練がましさを十二分に「ゆるした」状態で心の安定にたどり着いているというこの境地は、まさに「わかっちゃいるけどやめられない」を許容する鬼束教の宗旨を象徴するものであると言えるでしょう。これはもう、鬼束さん初期に見られた厳格なキリスト教信仰の範疇を優に超えた、隠れキリシタン的なボーダレス神仏習合のかたちと言えると思います。さっすが九州人! でも、日向国に隠れキリシタンって、いたのかな……

 これはもう、鬼束さん中期以降の定番カップリングとも言えるのですが、「アゲて落とす! そして底辺からまた浮かび上がる!」という、心の死と再生を2つの両極端な楽曲でどうどう巡りさせる、ダンテの『神曲』とか小野篁卿の地獄往還のような精神修養ツアーお得セットとなっていると思います。だから、『 X』だけをもって鬼束ちひろという歌手を語ることは不可能なのです。毒を飲んだら、解毒剤も飲まなきゃダメよ!

 また、こちら『ラストメロディー』においても鬼束さんのプロフェッショナルな仕事は当然ありまくりでありまして、特にラストサビ直前の「日々は静かに過ぎる」の「過ぎる」からビヨ~ンとお雑煮のもちかトルコ風アイスのように急上昇する高音の無理やりすぎるギアチェンジ感がたまりません。♪すぅう~ぎぃ~っ、るぅ~ううぅ~!!

 そして、最後の最後の歌詞「聴こえないメロディー」の唄い方なんて、もう……神業ですよね。ここでも、音声だけでなく吐息までをも物語の構成要素に組み込んだ匠の技が光ります。プロだねェ~!!


 こんな感じでありまして、突然の活動休養宣言から、けっこうなブランクをおいて発表された本作は、かつての「変になっちゃった」トラウマを粉みじんに打ち砕く実力を鬼束さんが持つ歌手になったことを満天下に知らしめる大傑作となっていました。いやほんと2曲とも、聴けば聴くほど鬼束さんのものすごさがわかるスルメ曲の好例です。

 ただ……このシングルがリリースされた当時の私は奇抜なミュージックビデオの方に目がいってしまい、歌でないジャンルに挑戦する鬼束さんに「そんなんせんでええのに」という違和感を持ってしまっていたのでした。その気持ちは今でも変わらないのですが、チャレンジする姿勢に難癖をつけるのはいけませんよね。

 もっと寛容であるべきであったと反省するのですが……でも、ほんとにあの鬼束さんのダンスは、なんつうか、その……激しいわりに動きが少ないんですよね。そういう意味ではオンリーワンで稀有な踊り方なのです。どんなに踊っても、頭の高さが10cm くらいの範囲でしか上下しないし、基本的に腕しか動かないのでイソギンチャクの早回し映像みたいな感じなんですよね。
 ま、それだけ鬼束さんは地に足の根付いた「芯の強い」女性なのだ、ということで。ハハハ、ハ……
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『蛍』

2015年08月11日 21時51分10秒 | すきなひとたち
 はいどうもこんばんは! そうだいでございます~。
 さてさて、今年の夏も半ばに入りまして、待ち遠しいお盆休みが始まろうとしております。
 あの……山形もあっちぃよ! 日中の暑さ自体は千葉とそんなに変わんないよ!!
 でも、やっぱり朝夕ちゃんと涼しくなってくれることと、台風がなかなかやって来ないことというアドバンテージはでかいですね。山形市は堂々たる盆地なので湿気はちゃんとあるのですが、千葉市みたいな潮くさい日もないしね。あ~やっぱ実家はいいわぁ。

 そういえば、山形市じゃないんだけど、私の勤務先の近くの山では毎年夏に「ほたる祭り」っていうのをやってるんですって。7月だから今年はもう終わっちゃってるんですけど、生の蛍鑑賞を楽しめるっていうのも、千葉の一人暮らし時代にはなかなかできないことでしたねぇ。いつか行ってみたいね!

 ということで今回は、鬼束ちひろさんの数ある名曲の中でも、私そうだいが文句なしのナンバーワンで大好きなこの曲についてでございます! 相変わらず導入がぎこちない!!


鬼束ちひろ『蛍』(2008年8月6日リリース UNIVERSAL SIGMA )

時間 11分31秒

 『蛍(ほたる)』は、鬼束ちひろ(当時27歳)の14thシングル。本作で初めて、坂本昌之(当時43歳)を音楽プロデュースに迎えて制作された。
 オリコンウィークリーチャート最高11位を記録した。

 本作リリース後の9月26日、2002年以来およそ6年ぶりの全国コンサートツアーとして予定されていた『 CHIHIRO ONITSUKA CONCERT TOUR 2008 VEGAS CODE 』全5公演が、極度の疲労による体調不良のため中止となったことが所属事務所から発表され、これによって鬼束は、翌2009年5月20日の15thシングル『 X/ラストメロディー』のリリースまで、約8ヶ月間の休養期間に入ることとなる。


収録曲
作詞・作曲  …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 坂本 昌之

1、『蛍』 5分59秒
 ピアノとストリングスを基調としたバラード。リリース直前の同年7月のインタビュー記事によれば、楽曲そのものは復帰前後の2007年3月に書き上げられ、レコーディングは翌2008年1月に行われた。「美」を念頭に置いて歌詞を書き上げるために、本人曰く「あえて小説を書くようにして書いた。」という。
 そのため、8月公開の映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』(監督・神山征二郎)への主題歌としてのタイアップは楽曲が制作された後に決定したが、鬼束自身は「この曲は映画の主題歌になるんじゃないかなと思っていた。」と語っている。

2、『 HIDE AND SCREAM 』 5分32秒
 アコースティックギターを基調とした楽曲。楽曲そのものは2008年2月に書き上げたもので、本作のカップリングのために制作された。リリース当時のインタビュー記事によれば、作品の構想は前年の2007年頃からあり、NHK の子ども向け音楽番組『みんなのうた』で使用されるような楽曲を意識して作ったという。


 いや~、ついにここまで来ましたか。14thシングル!

 私ね、ほんっとに大好きなんですよ、この『蛍』が。次に好きなのは『 Sign』となります。
 個人的な話をしますと、このシングルは私が記憶する限り、最後に CDショップの店頭で買った CDシングルとなります。あとはもう、もっぱらネットでポチーで。
 懐かしいですね……この2008年あたりまでは、ヒマさえあったら自転車で JR千葉駅周辺のお店に通ってたんですよ。ヨドバシカメラの上とか。
 それで、ある日ふと見たら新譜の棚にひっそりとこのシングルが置いてあったので、「あっ、久しぶりに見たな鬼束さん。」と思ってなにげなく買ったんですよね。
 当時の鬼束さんに関する記憶をたどってみますと、昨年にどどっと出た感じの小林武史プロデュースによる2シングルと1アルバムだったのですが、個人的にアルバム『 LAS VEGAS』が「う~ん……まだ様子見か。」という印象だったので、ほんとにさほどの期待感もなく買っただけのことだったのです。バイトの給料が入りたてとかで財布のひもがゆるんでたのかな?

 それがあーた、家に帰って聴いてみたら、とんでもねぇ大傑作、大名曲だと感動してしまいまして。いやほんとにビックリしたんですよ。ベテラン歌手の域に入った鬼束さんの新境地、もうばっちりできてるじゃんと!

 何がすごいって、作品の質と言いますか、聴いてイメージする映像の解像度が、過去作品とは別次元になってるんですよね。油絵と4K デジタル映像くらい違う!

 いや、別に油絵的なイメージ世界が劣っていると言うつもりはないのです。抽象的な世界の良さもあると思いますし、特にキャリア初期の鬼束さんにいたってはその曖昧模糊とした世界が持ち味と言いますか、楽曲同士で生じる感情の矛盾さえも「それが人間でしょ!」と許容するところを出発点としていたと思うのです。
 ただ、私が2007年の活動再開後の鬼束さんについて感じていたのは、当時「自分の主観ではなく客観的に作詞していくことにした。」と表明していたかと思うのですが、その手法にのっとった作品はそれほど目立たず、結局はそれまでの作詞法と変わらないぼんやりした世界観の作品が多いなという不満だったのです。小林武史プロデュースという新体制にありながらも、なんか新しい地平を本格的には実感できないと思っていたんですね。
 これに関しては、どうやら鬼束さんがそうとう昔に制作していた楽曲も織り交ぜてリリースしていたから、という事情もあったようなのですが、そういったまだらな印象も、直近のアルバム『 LAS VEGAS』には色濃く影を落としていた気がします。

 ところが、それからおよそ1年も経とうかという頃になってポツンと世に出たこの『蛍』こそが、鬼束さんが言っていた客観的な、物語としての確固たるディティールを持った世界を本当に体現した作品だったのです! 有言実行、鬼束さんの新時代はここに完成した!!
 でも、そこに小林武史さんはいないという、このすれ違いね……やっぱ九州人と山形県民は合わねぇんだがず!?

 小林さんはどうしていたのかと言いますと、2008年頃はおそらく自身のミュージシャン、作曲家としての活動に力を入れていたようなので(映画や TV向け音楽のベストアルバム発売や環境保護などを目指す団体「 ap bank」としての活動など)、仲たがいとかそういうことではなく単純に他アーティストをプロデュースするヒマが無くなったということのようです。自由人ね……

 そうなのです。この『蛍』以降、鬼束さんの楽曲のプロデュースを務めるのは、ご自身キーボーディストとしても大活躍なさっている坂本昌之さんに代わります。しれっと坂本プロデュース時代に入っちゃってたよ!

 でも、この「しれっと」感こそが坂本プロデュースの真の魔力なのでありまして、坂本昌之さんは数多くの錚々たるアーティスト達の楽曲の編曲を手がけており、平原綾香さんの『 Jupiter』(2004年 共同プロデュース)や徳永英明のカバーアルバム『 VOCALIST』シリーズ(2005~15年)のほぼ全曲の編曲を務めるなど、幅広い才能の傍らに「しれっと」寄り添うことを得意とするプロの現場肌ミュージシャンなのです。この名参謀感……黒田官兵衛孝高かな? あ、あと『おジャ魔女カーニバル!!』の編曲も手がけておられるそうです。守備範囲広いな~!!

 それで、話を『蛍』に戻すのですが、この作品の楽曲世界をイメージする時の、映像としての解像度、ドラマ性の高さはかなり用意周到で、聴けば聴くほど「見事なりィ!」とうなってしまうものがあるんです。

 『蛍』の歌詞の特筆すべき点は、タイトルにも出てくる「蛍」というモノが、「あたし」と「あなた」の間にはっきり存在していて、あたしが自分の想いを仮託し、濃厚にあなたの記憶を思い起こさせるキーアイテムとして機能しているということです。つまり、あたしとあなたという2つの関係か、あたしだけしかはっきりしていなかったような鬼束ワールドにあって、ここまで第3の存在がばっちりクローズアップされている作品は、かなり珍しいのではないでしょうか。
 そしてもっと重要なのは、蛍に仮託しなければいけない状況にあたしが陥っており、それでもなお蛍に想いを訴え続けることでしか、あなたとのつながりを確かめることができないという、あたしとあなたとの「絶対的な距離」を、この蛍が明確に証明する存在になっているということなのです。これは、物語をドラマティックにする「逆境」の存在を、直接言わないのにはっきり感じさせるかなり高等なテクニック!

 これまでも、多分なんかの事情であたしとあなたとの間に物理的もしくは精神的に大きな隔たりがあって、その溝を謳っている設定の鬼束さんの作品は、それこそ『月光』の頃から山のようにあったと思います。
 しかしそこは「なんか事情があるんです。」というふわっとした前提扱いであえてはっきりとは語られず、またそこに聴く人がそれぞれの実生活での隔絶の事情を当てはめて感情移入するという楽しみ方があったわけなのですが、それがゆえに楽曲全体のイメージがかなりボヤっとしたものになるという弱点も鬼束ワールドにはあったかと思うのです。また、実生活でそんなに隔絶なんて感じないナというリア充な階級の方々にはぜんぜんピンとこないという諸刃の剣でもあったでしょう。

 しかし! 今回の『蛍』では、日本人だったらたいていの人は簡単にイメージすることのできる「蛍」という映像がサビのたびに強調され、そのはかない光を見つめるあたしという姿も、ありありと想像することができるのではないでしょうか。そしてこの蛍をサポートするかのように、歌詞の中では「一縷の雨」、「指を絡める」、「汗ばむ熱」、「涙で霞む夜空」、「ガラス越しでもかまわない」などと、ちょっと今までの作品には見られなかったような、具体的で生々しい描写がちりばめられているのです。いろいろとドギツい表現もざらに流れているこの平成の御世では、そんなもん大したことはないと言われるかもしれませんが、これらの言葉を、あの宮崎県木フェニックスのように真っ直ぐで芯が太く、宮崎名産マンゴーのように情熱的な鬼束ちひろの歌声が語っているのかと思うと、ドキッとしちゃいますよ! そこはパッションフルーツじゃないんか……

 情景をはっきりイメージできる過去の鬼束作品というと、ほぼ唯一の例外として『いい日旅立ち・西へ』が挙げられるのですが、これはもう言うまでもなく作詞者と作曲者が鬼束さんじゃなかった(ちんぺい)から当然のことです。なので、この『蛍』における文学的な詞世界は、まさにエッセイが短歌になった、くらいの大変革&深化なのではないでしょうか。どうした鬼束さん!? 女流文学者ちひろ!?

 あたしが仮託する存在という点で鬼束さんの諸作をもうちょっと振り返ってみますと、たとえば『 Sign』における「星くず」なんかは仮託するものとして機能しているように聴こえるのですが、よくよく聴いてみるとあたしが君の部屋の窓を叩くための、ほぼ手そのものみたいな「手段」になっちゃってるので、仮託とは言えないような気がします。今回の蛍とは、ちょっと切実度が違うんですよね。まだまだお子ちゃま!

 ただ、こうやって鬼束さんの諸作の中での「キーアイテム」をざっと見ていきますと、『月光』とか『流星群』とかって、タイトルにはでかでかと出ているのに歌詞の中では一っ言も触れられないんですよね! つまり、具体的にイメージできる単語なのに、肝心の作品の中ではいっさい使用しないのです。この修行僧ばりに厳しすぎる「自分縛り」な作詞法も魅力的ではあるのですが、ついにここにきて鬼束さんは自らに課した禁をやぶり、「タイトルどストレート、内容どストレートじゃい!!」という、2013年夏の甲子園準優勝の宮崎県代表・私立延岡学園高校も整列して脱帽する正面突破攻勢に出たのです。かなり分厚いもやが消えたかと思ったら、全軍「車懸かりの陣」で攻めてきやがった(異説あり)!! 越後の龍かな?

 いや~、ほんとに腰を抜かしました。なんだこのフォームチェンジはと。
 いえいえ、スタイルを変えること自体は、鬼束さんもキャリアが長くなりましたし一度や二度のことではなかったのですが、ここまでバチコーン!とハマった変更は無かったのではないでしょうか。
 聴くものの心に同化することで感動を呼び起こしていた鬼束ワールドが、ここにきてついに、「いつどこで誰が聴いても心を揺り動かされる」絶対的な力を手にしたのではないか。相対的から絶対的への変化。正直言って、どっちが勝っているとかいう優劣の問題ではなく、初期の鬼束作品だって永遠の生命を得ている名作はたんとあるのですが、ただひとつ言えることは、この『蛍』こそが、鬼束さんが名実ともに初めて世に出した「歌謡曲」だったのではないか、ということなのです。それまでの作品はほぼ全て「 Jポップ」か「節をつけた一人がたり」の範疇ですよね。もちろん、それでも良いものは良いのですが。

 ここで「歌謡曲」と言ってしまうとガクンとスケールダウンしてしまうような心配もあるのですが、老若男女、鬼束さんより年上の世代も、デビュー時の鬼束さんを知らない新世代も、全員が聴いて心を動かす歌。それこそが歌謡曲だと思うのです。哀しい出来事があって気持ちが落ち込んでいても、陽気に居酒屋やカラオケボックスではしゃいでいても、いつ聴いてもじんわりと心にしみてくる歌謡曲。この域に、『蛍』は絶対に到達しているのです。
 その証拠と言っては何なのですが、この『蛍』が神山征二郎というそうとうにシブい映画監督の作品の主題歌に抜擢されたというのも、決して事務所的なタイアップというだけでは済まされない必然だったのではないでしょうか。しかも純然たる反戦映画ですよね。最高じゃないですか!

 とにもかくにも、この『蛍』は、それ以前の鬼束作品とは一線も二線も画するとてつもない名曲だと思います。その良さはもう、私が何万字使って述べ立てるよりも、ちゃっちゃと聴いていただくことが一番に決まっているのですが、それでもここまでだ~らだらとしゃべらせていただきました。この曲、ボリュームが約6分ということで鬼束さんの作品の中でもけっこう長い方なのですが、その長さを微塵も感じさせない構成もものすごいですよね。聴いていると、もしくは唄っていると、あっという間に終わりますよね。まさに「一瞬が永遠」で、「全ての時が一瞬」……魔力です。

 この曲を制作した時の鬼束さんのお喉のコンディションも最高だったのではないでしょうか。この『蛍』が録音されたのは2008年1月だったとのことなのですが、この後は4、7、8月と単独コンサートやライブステージを順調にこなしており、主題歌となった映画の公開に合わせて8月にこの『蛍』をリリースしています。このシングルがもっと早く、4月のコンサートの勢いに乗る形でリリースされていれば話題性も抜群だったのに……とも考えてしまうのですが、映画の公開が夏って決まってただろうし、だいいち春に「蛍」を売るわけにもいかないもんねぇ。つくづく、シングルリリースの翌月に全国ツアーをキャンセルする事態になってしまった悲運が悔やまれます。タイミングぅ~!!

 たぶん、「もうちょっと反響があってもいいんじゃないか」という印象を当時の鬼束さんも抱いたんじゃないかと思うのですが、これがベテラン歌手のつらいところなのか、作品の良さだけじゃなくて、それをひっさげたツアーとか媒体露出もセットでこなせないと、いろいろ大変なんですねぇ、芸能界って。
 ともあれ、坂本昌之プロデュースという新体制はしれっとながらも産声をあげました! ここから鬼束さんは一体どのような路を進んでゆくのでありましょうか!?
 我が『長岡京エイリアン』における鬼束さん作品の振り返り企画といたしましては、ついに最終コーナーを回ったかという局面に入りました。入ってしまいました……自分で勝手に設定しておいてなんなのですが、寂しくつらい気にもなってしまいます。でも最後の作品まで愛をこめて、はりきってまいりましょう!!


 ……え? カップリングの『 HIDE AND SCREAM 』? あぁ、う~ん……

 完全なる「鬼束さん節」ですよね。『蛍』であそこまで変わったからと言って、全部まるっとチェンジしたってわけでもないという、この「ふりだしにもどる」みたいな脱力感というか、連環の理というか……実家に帰ってきた感!? 
 タイトルからして「かくれんぼ」を意味する英語「 hide and seek」のもじりのようなのですが、「 seek(探す)」の代わりに「 SCREAM(叫ぶ)」があるということは、「君」という相手がどこにいるのか見当もつかず、探すきっかけさえつかめずに泣き叫ぶだけという「僕」の心情を象徴している言葉のようです。サビの部分で執拗に繰り返される「知ってるつもりだよ」という言葉も、僕が確信を持って君のことを知っているよと断言できない不安をあらわしていますよね。
 そして、ここでも鬼束さん流、昔ながらの「タイトルと内容が直結しない」法の典型となるのですが、「 SCREAM」と言いつつも、曲自体は表面上きわめて穏やかでゆったりとした、それこそ NHKの『みんなのうた』で流れていてもおかしくない子守歌のような体裁を取っているのです。
 ここもまた、鬼束さんのすごいとこなんですよね! 静かに唄えば唄うほど逆に怖くなると言いますか、内に秘めた叫び出したくなるような不安と狂気を感じさせるというね。もうなんか、聴いてるだけで、それを唄う鬼束さんのかんばせにべったりと貼りついた作り笑いが見えるようではありませんか。怖いな~、ヤだな~!!

 歌詞を読めば僕と君はすぐ近くにいるようでもあるのですが、心はかなり離れた距離にある、もしくは離れそうになっていることを不安に思っている心理を、まさに鬼束さんの独擅場といった感じで謳いあげているコワい一曲だと思います。この2人の関係は、果たして恋人同士なのでしょうか。幼なじみのようでもあるし、はたまた親子なのか。異性か? それとも同性か。
 この曲、決して『蛍』といい位置関係にあるとは言えない水と油みたいな異質の作品だとは思うのですが、これもまた隠しようのない鬼束ワールドのひとつということで、ね。

 しっかしまぁ、日によって視界が澄み切ったり五里霧中になったりと、鬼束ワールドの天候は情緒不安定どころじゃありませんな!

 やはり、この世界をケルティックサウンドで飾ろうとした羽毛田さんの直感は、正しかった、とでも、言うのだろうか……キャ~!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『 LAS VEGAS』

2015年08月06日 20時38分15秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『 LAS VEGAS』(2007年10月31日リリース UNIVERSAL SIGMA)

時間 50分50秒+17分(初回限定盤付属DVD)

 『LAS VEGAS』(ラスベガス)は、鬼束ちひろ(当時27歳)の4thオリジナルアルバム。
 小林武史プロデュース第3弾。作品のキャッチコピーは「すべての光と影のために」。2007年8月に小林のオフィシャルホームページで本アルバムの発売が告知された。オリジナルアルバムとしては、2002年12月にリリースされた3rdアルバム『 Sugar High』以来、実に約4年10ヶ月ぶりのリリースとなる。
 タイトルは、『 Sugar High』の制作時にはすでに次作アルバムのタイトルとして決めていたという。アルバム全体を通して「旅」をイメージして制作されており(ちなみに鬼束本人は旅は嫌いであるという)、カントリー、バラード、ロック、ポップス、賛美歌など、過去作品には見られなかった規模で楽曲ジャンルのバラエティに富んだ内容となっている。鬼束は本アルバム制作段階の2007年5月のインタビューで、「赤い歌だったり青い歌だったり黄色い歌だったり、いろんなサウンドがあって、それぞれが立っているアルバムになりそう」と語っている。収録曲順は主に小林が決定したという。作詞に関して鬼束は、小林プロデュース第1弾となった収録曲『 everyhome』(12thシングル 2007年5月リリース)を契機に書き方が変わっていったと話している。
 初回限定盤は DVD付で、12thシングル『 everyhome』と13th『僕等 バラ色の日々』のプロモーションビデオに加え、この DVD収録が初出となる『 everyhome』プロモーションビデオの別バージョンも収録している。
 なお、11thシングル『育つ雑草』(2004年10月リリース)、12thシングル『 everyhome』のカップリング曲『秘密』、13thシングル『僕等 バラ色の日々』のカップリング曲『 NOW』は本アルバムには収録されていない。
 オリコンウィークリーチャートで最高6位を記録した。台湾では11月14日に発売され、週間チャートで1位を記録した。

収録曲
全作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 小林 武史(当時48歳)

1、『 Sweet Rosemary』 3分53秒
 カントリーミュージックを基調とした楽曲。映画『ギルバート・グレイプ』(1993年 主演・レオナルド=ディカプリオ)をモチーフとして書いた曲であり、鬼束本人曰く「このアルバムの中心になると考える曲」。また、普遍的な歌詞を書いていきたいという願望に近づけた曲であり、小林武史がこの曲を1曲目に決定した時、鬼束は納得できたという。

2、『 bad trip』 4分22秒
 映画『スパン』(2002年 アメリカ)を見て書かれたというバラード。本人曰く「(映画の音楽を担当した)スマッシング・パンプキンズのビリー=コーガンだったらこういう曲を書くだろう」というイメージで書かれた。全編英語詞。

3、『蝋の翼』 5分26秒
 ギリシア神話の登場人物イカロスをモチーフにして作られた曲。ポップス要素を押し出したバンドサウンドになっている。編曲が加わる前の段階から明るいイメージだったという。

4、『僕等 バラ色の日々』
 13thシングル。

5、『 amphibious』 4分45秒
 本人曰く「小林武史の編曲が衝撃的だった」というロックナンバー。タイトルの意味は一般的には「二重人格」であるが、鬼束は「両性具有」の意味をもって書いたという。

6、『 MAGICAL WORLD アルバムバージョン』 4分50秒
 ボーカル・ピアノ・チェロの構成だったシングルバージョンに、ストリングスとパーカッションが加わっている。

7、『 A Horse and A Queen』 5分21秒
 2002年3~5月に行われたライブツアー『 CHIHIRO ONITSUKA LIVE VIBE 2002』で初披露され、そのまま長らく未発表となっていた曲。当時はピアノロックを基盤として構成されていたが、本作に収録されるにあたり、サックスを新たに加えている。

8、『 Rainman アルバムバージョン』 3分44秒
 鬼束自身のピアノ弾き語りだったシングルバージョンに対し、こちらはバンドサウンドで構成されている。また、文法に忠実にするため一部英語詞が加筆修正された。

9、『 Angelina』 5分54秒
 鬼束が20歳の時(2000~01年ごろ)に作った曲で、本アルバムの中で最も古い作品。タイトルはアメリカの女優アンジェリーナ=ジョリーから付けられた。

10、『 BRIGHTEN US』 1分36秒
 賛美歌をイメージして衝動的に作ったという曲で、アカペラで歌唱されている。全編英語詞。この曲のみ日本語訳詞が付けられていない。

11、『 everyhome』
 12thシングル。

初回限定版付属DVD
1、『 everyhome』ミュージックビデオ( version1)
 映像ディレクターは牧鉄馬。ピアノ演奏で小林武史も出演している。
2、『 everyhome』ミュージックビデオ( version2)
 映像ディレクターは名取哲。主に歌唱する鬼束のアップカットで構成されている。
3、『僕等 バラ色の日々』ミュージックビデオ
 映像ディレクターは井上強。井上が鬼束のミュージックビデオのディレクターを務めるのは、2001年の4thシングル『眩暈』以来となる。


 ついにここまできてしまったか……と、個人的には非常に感慨深いものがある4th アルバムでございます。

 もともと、この零細ブログで、誰が期待するでもないのに鬼束ちひろさんの諸作に関するしろうと感想記(レビューだなんてとんでもねェ)をつづる契機となったのは、「昔あんなに好きで、今は全く関心が無くなった」彼女について、どうしてそんなに好きだったのか、その魅力の本質を自分なりに振り返ってみようという発心からでありました。当然、2015年現在も鬼束さんは歌手として健在ですので、そんな現在の彼女をくさすようなつもりは毛頭ありません。ただ、わたくし個人はそこから離れた、というだけでございます。

 デビュー当時からそんなに好きなんだったら、人間歳だってとるんだし多少の変化があっても鬼束さんを好きでい続けたらいいじゃないのと感じるむきもあるかと思うのですが、かつて我が『長岡京エイリアン』でもつづったように、私としては歌手としての鬼束さんの音楽性とか声質だとか、ましてや容姿がどう変わったからとかいう問題でなく、「プロフェッショナルとしてその発言はどうなんだ」という根本的な部分でどうにもこうにも承服しえない出来事があったので(2012年)、その時点以降の彼女の活動は「知ろうとしない」ことにしたわけです。気にはなるけど、し~らないっと!

 そんでもって、このブログ内での鬼束さんのデビュー時からの作品群を聴き直してみるというくわだては、2012年にリリースされた彼女の作品をもって終了するつもりですので、最初っから「終わりが決まっている」ものとなります。それ以降の作品は購入していませんし、視聴もしておりません。
 ほんと、自分でもどうしてこんなに「もう知らないから!」状態をこじらせ続けているのかと不思議でしょうがないのですが、それだけ好きだったってことなんでしょうかねぇ。

 とまぁ、そういう経緯から見てみますと、今回とりあげる4th アルバムはかなり重要な位置を占める作品となっていまして、そんなに鬼束さんが大好きだった私にとりまして、ホントのホントに初めて「嫌いな曲」に出会ってしまったのが、このアルバムなんですよね。まさに「終わりの始まり」。もちろん、それが好きという方もたぶんこの広い世界のどこかにはいらっしゃるのでしょうが、私はちょっと……
 その曲というのは5曲目の『 amphibious』なのですが、理由は言わずもがな、一回でも聴いていただければわかるのではないでしょうか。

 いや、英語に堪能な鬼束さんならば、その単語を連呼することがどんだけひどいことなのかをわからんでもないでしょうに……

 でも、そこを承知の上でバンバン叫んでいるのでしょうし、その勇気(……か?)をイイと言う人もいるのかも知れませんが、私は嫌だなぁ。
 また、小林さんのヴェルヴェット・アンダーグラウンドみたいな古臭いアレンジもあえてなのでしょうが、そこがまたひどいんだよなぁ。新しさなんかもちろんないし、もともと鬼束さんの歌声はどうにもぬぐいきれない「醒めた冷静さ」が本質にあると思うので、演奏をどうしようが突き抜ける瞬間的な爆発性がなかなか生まれないんですよね。太陽じゃなくて月、ラテンじゃなくて日本民謡、長嶋茂雄じゃなくて野村克也だと思うんです! なに、このたとえ。
 ライブ会場でノリで唄うのならば別によろしいかと思うのですが、なんてったってコンセプトアルバムの一曲なんですよ? 前後の曲とのバランスもへったくれもありゃしませんよ……本当に、この曲には衝撃的に拒否反応を感じたのでした。

 音楽アルバム、特にスタジオでじっくり録音したコンセプトアルバムでいちばん大事なのは、一曲一曲のクオリティもさることながら、続けて聴いた時に有機的につながって立ち上がってくる味わいだと思うんですよ。当然、鬼束さんに関しては過去のアルバム3作も、なんだったらベストアルバム2作にだってそういう「全曲集まった時の空気感のまとまり」を重視する姿勢はあったと思います。それは、鬼束さんや当時のプロデューサーのスタイルに確固としたものがあったからなのでしょう。

 ところが、それが悪いとは言わないのですが、今作における小林さんのプロデュース姿勢には、自由放任主義というか、鬼束さんのその時々に唄いたいものを唄わせて、自分も実験的にやりたいアレンジを加えてとりあえず並べるといった「ゆるさ」を感じてしまうのです。それはまぁ、鬼束さんがもはや新人ではないという互いの関係性もあるからのオトナな距離感なのでしょうが、それだけにガッチリとしたコンセプトのある作品を作ろうという意気込みが、この4th アルバムに絶妙に欠けている原因なのではないでしょうか。だからこそ、けっこう長い沈黙期間を経て新しい鬼束さんを聴きたいと渇望していた当時の私のような人間にとっては、フルアルバムが聴けること自体はうれしいけれども、な~んか新しくもなくアツくもない変な温度の作品に感じられたのではないでしょうか。

 いや~、やっぱりね、アルバム作品なもんですから、ドライブなんかで流し聴きするわけですよ。そういう時に、2~3時間くらい流しっぱなしにするじゃないですか。そしたら1枚1時間前後のアルバムなんて何回もループするでしょ? そういう時に、ある曲にくるたんびに内心で舌打ちをしてスキップボタンを押すのって、致命的なんですよね。ほんと、このアルバムに関してはしみじみ残念に思うのです。

 なにが残念って、このアルバム、名曲いっぱいあるんですよ! ま、確かに突き抜けた明るい曲が少ないというか、全体的に内省的なじめっとした曲が多いような気もするのですが、やっぱり怜悧に計算され尽くした鬼束さんの歌声というものは古今無双、稀代の美しさに満ちているのです。

 すでにシングル曲として世に出ている2曲がズンとアルバムの重要なところを押さえているのは当然なのですが、本アルバム初出の曲としては、やっぱりご本人も語っているようにど頭の『 Sweet Rosemary』の、そうとうに過酷な「人生のなにか」を乗り越えた人物にしかかもし出せない「軽さ」をたたえた味わいが最高ですよね。これはもう、当時の年齢の鬼束さんだからこそたどり着ける境地だと思います。これがひとつの楽曲になったという幸運と奇跡!

 「人生は長いのだろう」……いい言葉ですねぇ。今日明日どうなるもんでもねぇというあきらめと共に、肩の荷がふっと軽くなる名曲だと思います。まさにブルースだと思うなぁ。

 そんな悟りの境地に達したかと思ったら、すぐに次の曲『 bad trip』でダウナーな状態に落ちてしまうのも、鬼束さん伝統のジェットコースター情緒、いつものやつですね。ここでピアノに弦楽器という羽毛田時代まんまのアレンジがつきまとってしまうのは、ちと残念な気もするのですが、これはもはやプロデューサーが誰とかいう問題ではなく、鬼束さんにとってしっくりくるスタイルがこれだからなのでしょうね。『 MAGICAL WORLD』のアルバムバージョンも、「アレンジ変える意味、ある?」ってくらいに印象が変わりません。ちょっとやそっと楽器を増やしてにぎやかにしたって、鬼束さんの孤高の哀しみをたたえた歌声はまったくゆらぎもしないのです。

 ただ、本アルバムにおいて圧巻なのは、やっぱり7曲目『 A Horse and A Queen』から10曲目『 BRIGHTEN US』までの流れだと思います。
 鬼束さんの楽曲としてはハイテンポなリズムにサックスが加わってノリの良い『 A Horse and A Queen』のあと、いつも通りにその反動でず~んと沈んだバラードが始まるのかと思いきや、バンドアレンジとなって非常にポジティブな雰囲気となった『 Rainman アルバムバージョン』となります。この2曲のつながりは、小林プロデュース時代のはっきりしない色調の中でも、わりとくっきりと独自性が出た部分なのではないでしょうか。
 そして、その次はさすがに落ち着いたバラード『 Angelina』となるのですが、6分ちかいこの大曲は本アルバム収録曲の中でも特に制作時期が古い曲であるのにもかかわらず、「私はまだ死んではいない」という、当時の鬼束さんファンならば誰もが聴きたくて待ち焦がれていた彼女の肉声を伝える超重要な曲となっているのです。

 これ! こういう叫びを聴きたいんですよ!! ここまでずいぶんと待たせてくれましたねぇ。『 Angelina』は若き日の鬼束さんの鬱屈とした精神環境を赤裸々につづるもの……だったのかも知れませんが、それが奇しくも日本中で認められるプロの歌手となった20代半ばを過ぎた鬼束さんにとっても実にしっくりくる曲になっているのは、原点回帰というかなんというか、天才の「業」を感じさせるものがあると思います。
 また、この曲が本格的にメジャー作品に出演して現在の世界的な名声を得る直前のハリウッド女優アンジェリーナ=ジョリーをモデルにしているらしいというところも、不思議な縁を感じさせる話ですね。あの名曲『ダイニングチキン』も、アンジェリーナさんの出ていた『17歳のカルテ』つながりですよね。でも、タイトルの由来を知って「なんで『トゥームレイダー』のむちむちくちびる姐さんがモデルで、こんなに内省的なバラードが?」と疑問に感じる方も多かったのではないでしょうか。誰しも、人に歴史あり!

 死んではいない。この曲、語る内容はおそらく、あの問題作『育つ雑草』と全く同じかと思うのですが、変換の仕方がこんなにも変わる鬼束さんにとってのこの3年間とは、いかような過酷な風の吹きすさぶ季節だったのでありましょうか。どっちもとっても良い曲だと思います。室町幕府最後の将軍・足利義昭とか異次元人ヤプールのテーマソングにしても、ぴったり☆

 さらに、この『 Angelina』のあとにくる『 BRIGHTEN US』がすてきじゃないですか。重い曲の後に、ほんとに翼を得た(イカロスの蠟の翼なんかじゃなく、こっちは本物!)かのように軽やかに、高らかに唄う鬼束さんの楽しそうなこと! アカペラの小品なので他の曲とはちょっと毛色が違うのですが、それだけにアルバムのみごとなエピローグを飾る妙手だったと思います。

 それだけに、その後に『 everyhome』がのこのこと続いてしまうのが解せない……『 BRIGHTEN US』が最後でいいじゃないかよう! なぜ、その後にまたぞろ重い曲で締めてしまうのか!? でも、ハッピーエンドで終わらせないこういうとこが鬼束さんワールドなのか。


 そんなこんなで、この4th アルバム『 LAS VEGAS』は、かえすがえすも一曲だけパクチーみたいなクセありすぎの短絡的な駄作が入っているのが惜しいのですが、それ以外は当時の鬼束さんの健在っぷりを証明する作品となっております。さほど新時代の空気を感じさせる冒険がないのも物足りなさの一因ではあるのですが、良くも悪くも小林プロデュース時代を象徴する仕上がりとなっているのではないでしょうか。
 アルバムのタイトル『 LAS VEGAS』の由来ですが、ベガスのカジノルーレットのような大いなる賭けに出るアルバム……というわけではなく、地名のスペイン語での意味「肥沃な土地」を採用したものだと思います。アルバムのジャケット写真のイメージもそんな感じですよね。

 でも、ジャケット写真の土地って、ススキみたいな草が一面に生い茂る大地っていう見た目で、ちょっと肥沃には見えないんだよなぁ。そこらへんも鬼束さん一流の皮肉な表現なのかもしれませんが、そこは見渡す限りの田んぼの中で田植えか稲刈りをしている鬼束さんをジャケットにしていただきたかったですね。豊穣の女神・鬼束ちひろ!!

 豊穣の女神と言えば、日本神話において、原初に大地の恵みたる全ての食べ物を生んでいた神様は「ウケモチの神」という女神だったのですが、月の神である「ツクヨミの尊(みこと)」をもてなした時に、ご飯だの魚だのお肉だのといったごちそうの全メニューを自分の口からオボロロロと出して提供するところを見られて、「きったねぇ!!」と激高したツクヨミに斬られて死んでしまいます。
 そして、ツクヨミがウケモチを殺したことがきっかけで、姉のアマテラス(太陽の女神)がツクヨミと決別したためにこの世界には「月の守る夜」と「太陽の守る昼」ができ、ウケモチの遺体から生まれたさまざまな食べ物のたねをアマテラスの治める国の人々が持ち帰ったために、太陽の照らす国で農業や漁業、狩猟の文化が生まれたという起源神話があるのです。なるほどね~。

 つまり、他の女神を斬り殺すような荒ぶるツクヨミ(『月光』)の姿をした時代があった鬼束さんも、ついには全ての人々に豊かさをもたらす「ゆるし」のウケモチ時代に入るようになった、ということなのでしょうかそういうことにしといてくださいお願いします!!


 この後、鬼束さんはまたしても、翌2008年までしばし沈黙の時期に入るのですが、その後に出たのが、私にとって個人的に不動のベスト1となる、あの歴史的傑作シングルなんですよね。これだから鬼束さんはすごいんだ!!

 大地に根ざして生きる人々の哀しみとねがいを謡いあげる神の曲、ついに次回!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする