鬼束ちひろ『 LAS VEGAS』(2007年10月31日リリース UNIVERSAL SIGMA)
時間 50分50秒+17分(初回限定盤付属DVD)
『LAS VEGAS』(ラスベガス)は、鬼束ちひろ(当時27歳)の4thオリジナルアルバム。
小林武史プロデュース第3弾。作品のキャッチコピーは「すべての光と影のために」。2007年8月に小林のオフィシャルホームページで本アルバムの発売が告知された。オリジナルアルバムとしては、2002年12月にリリースされた3rdアルバム
『 Sugar High』以来、実に約4年10ヶ月ぶりのリリースとなる。
タイトルは、『 Sugar High』の制作時にはすでに次作アルバムのタイトルとして決めていたという。アルバム全体を通して「旅」をイメージして制作されており(ちなみに鬼束本人は旅は嫌いであるという)、カントリー、バラード、ロック、ポップス、賛美歌など、過去作品には見られなかった規模で楽曲ジャンルのバラエティに富んだ内容となっている。鬼束は本アルバム制作段階の2007年5月のインタビューで、「赤い歌だったり青い歌だったり黄色い歌だったり、いろんなサウンドがあって、それぞれが立っているアルバムになりそう」と語っている。収録曲順は主に小林が決定したという。作詞に関して鬼束は、小林プロデュース第1弾となった収録曲『 everyhome』(12thシングル 2007年5月リリース)を契機に書き方が変わっていったと話している。
初回限定盤は DVD付で、12thシングル『 everyhome』と13th『僕等 バラ色の日々』のプロモーションビデオに加え、この DVD収録が初出となる『 everyhome』プロモーションビデオの別バージョンも収録している。
なお、11thシングル『育つ雑草』(2004年10月リリース)、12thシングル『 everyhome』のカップリング曲『秘密』、13thシングル『僕等 バラ色の日々』のカップリング曲『 NOW』は本アルバムには収録されていない。
オリコンウィークリーチャートで最高6位を記録した。台湾では11月14日に発売され、週間チャートで1位を記録した。
収録曲
全作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 小林 武史(当時48歳)
1、『 Sweet Rosemary』 3分53秒
カントリーミュージックを基調とした楽曲。映画『ギルバート・グレイプ』(1993年 主演・レオナルド=ディカプリオ)をモチーフとして書いた曲であり、鬼束本人曰く「このアルバムの中心になると考える曲」。また、普遍的な歌詞を書いていきたいという願望に近づけた曲であり、小林武史がこの曲を1曲目に決定した時、鬼束は納得できたという。
2、『 bad trip』 4分22秒
映画『スパン』(2002年 アメリカ)を見て書かれたというバラード。本人曰く「(映画の音楽を担当した)スマッシング・パンプキンズのビリー=コーガンだったらこういう曲を書くだろう」というイメージで書かれた。全編英語詞。
3、『蝋の翼』 5分26秒
ギリシア神話の登場人物イカロスをモチーフにして作られた曲。ポップス要素を押し出したバンドサウンドになっている。編曲が加わる前の段階から明るいイメージだったという。
4、『僕等 バラ色の日々』
13thシングル。
5、『 amphibious』 4分45秒
本人曰く「小林武史の編曲が衝撃的だった」というロックナンバー。タイトルの意味は一般的には「二重人格」であるが、鬼束は「両性具有」の意味をもって書いたという。
6、『 MAGICAL WORLD アルバムバージョン』 4分50秒
ボーカル・ピアノ・チェロの構成だったシングルバージョンに、ストリングスとパーカッションが加わっている。
7、『 A Horse and A Queen』 5分21秒
2002年3~5月に行われたライブツアー『 CHIHIRO ONITSUKA LIVE VIBE 2002』で初披露され、そのまま長らく未発表となっていた曲。当時はピアノロックを基盤として構成されていたが、本作に収録されるにあたり、サックスを新たに加えている。
8、『 Rainman アルバムバージョン』 3分44秒
鬼束自身のピアノ弾き語りだったシングルバージョンに対し、こちらはバンドサウンドで構成されている。また、文法に忠実にするため一部英語詞が加筆修正された。
9、『 Angelina』 5分54秒
鬼束が20歳の時(2000~01年ごろ)に作った曲で、本アルバムの中で最も古い作品。タイトルはアメリカの女優アンジェリーナ=ジョリーから付けられた。
10、『 BRIGHTEN US』 1分36秒
賛美歌をイメージして衝動的に作ったという曲で、アカペラで歌唱されている。全編英語詞。この曲のみ日本語訳詞が付けられていない。
11、『 everyhome』
12thシングル。
初回限定版付属DVD
1、『 everyhome』ミュージックビデオ( version1)
映像ディレクターは牧鉄馬。ピアノ演奏で小林武史も出演している。
2、『 everyhome』ミュージックビデオ( version2)
映像ディレクターは名取哲。主に歌唱する鬼束のアップカットで構成されている。
3、『僕等 バラ色の日々』ミュージックビデオ
映像ディレクターは井上強。井上が鬼束のミュージックビデオのディレクターを務めるのは、2001年の4thシングル『眩暈』以来となる。
ついにここまできてしまったか……と、個人的には非常に感慨深いものがある4th アルバムでございます。
もともと、この零細ブログで、誰が期待するでもないのに鬼束ちひろさんの諸作に関するしろうと感想記(レビューだなんてとんでもねェ)をつづる契機となったのは、「昔あんなに好きで、今は全く関心が無くなった」彼女について、どうしてそんなに好きだったのか、その魅力の本質を自分なりに振り返ってみようという発心からでありました。当然、2015年現在も鬼束さんは歌手として健在ですので、そんな現在の彼女をくさすようなつもりは毛頭ありません。ただ、わたくし個人はそこから離れた、というだけでございます。
デビュー当時からそんなに好きなんだったら、人間歳だってとるんだし多少の変化があっても鬼束さんを好きでい続けたらいいじゃないのと感じるむきもあるかと思うのですが、かつて我が『長岡京エイリアン』でもつづったように、私としては歌手としての鬼束さんの音楽性とか声質だとか、ましてや容姿がどう変わったからとかいう問題でなく、「プロフェッショナルとしてその発言はどうなんだ」という根本的な部分でどうにもこうにも承服しえない出来事があったので(2012年)、その時点以降の彼女の活動は「知ろうとしない」ことにしたわけです。気にはなるけど、し~らないっと!
そんでもって、このブログ内での鬼束さんのデビュー時からの作品群を聴き直してみるというくわだては、2012年にリリースされた彼女の作品をもって終了するつもりですので、最初っから「終わりが決まっている」ものとなります。それ以降の作品は購入していませんし、視聴もしておりません。
ほんと、自分でもどうしてこんなに「もう知らないから!」状態をこじらせ続けているのかと不思議でしょうがないのですが、それだけ好きだったってことなんでしょうかねぇ。
とまぁ、そういう経緯から見てみますと、今回とりあげる4th アルバムはかなり重要な位置を占める作品となっていまして、そんなに鬼束さんが大好きだった私にとりまして、ホントのホントに初めて「嫌いな曲」に出会ってしまったのが、このアルバムなんですよね。まさに「終わりの始まり」。もちろん、それが好きという方もたぶんこの広い世界のどこかにはいらっしゃるのでしょうが、私はちょっと……
その曲というのは5曲目の『 amphibious』なのですが、理由は言わずもがな、一回でも聴いていただければわかるのではないでしょうか。
いや、英語に堪能な鬼束さんならば、その単語を連呼することがどんだけひどいことなのかをわからんでもないでしょうに……
でも、そこを承知の上でバンバン叫んでいるのでしょうし、その勇気(……か?)をイイと言う人もいるのかも知れませんが、私は嫌だなぁ。
また、小林さんのヴェルヴェット・アンダーグラウンドみたいな古臭いアレンジもあえてなのでしょうが、そこがまたひどいんだよなぁ。新しさなんかもちろんないし、もともと鬼束さんの歌声はどうにもぬぐいきれない「醒めた冷静さ」が本質にあると思うので、演奏をどうしようが突き抜ける瞬間的な爆発性がなかなか生まれないんですよね。太陽じゃなくて月、ラテンじゃなくて日本民謡、長嶋茂雄じゃなくて野村克也だと思うんです! なに、このたとえ。
ライブ会場でノリで唄うのならば別によろしいかと思うのですが、なんてったってコンセプトアルバムの一曲なんですよ? 前後の曲とのバランスもへったくれもありゃしませんよ……本当に、この曲には衝撃的に拒否反応を感じたのでした。
音楽アルバム、特にスタジオでじっくり録音したコンセプトアルバムでいちばん大事なのは、一曲一曲のクオリティもさることながら、続けて聴いた時に有機的につながって立ち上がってくる味わいだと思うんですよ。当然、鬼束さんに関しては過去のアルバム3作も、なんだったらベストアルバム2作にだってそういう「全曲集まった時の空気感のまとまり」を重視する姿勢はあったと思います。それは、鬼束さんや当時のプロデューサーのスタイルに確固としたものがあったからなのでしょう。
ところが、それが悪いとは言わないのですが、今作における小林さんのプロデュース姿勢には、自由放任主義というか、鬼束さんのその時々に唄いたいものを唄わせて、自分も実験的にやりたいアレンジを加えてとりあえず並べるといった「ゆるさ」を感じてしまうのです。それはまぁ、鬼束さんがもはや新人ではないという互いの関係性もあるからのオトナな距離感なのでしょうが、それだけにガッチリとしたコンセプトのある作品を作ろうという意気込みが、この4th アルバムに絶妙に欠けている原因なのではないでしょうか。だからこそ、けっこう長い沈黙期間を経て新しい鬼束さんを聴きたいと渇望していた当時の私のような人間にとっては、フルアルバムが聴けること自体はうれしいけれども、な~んか新しくもなくアツくもない変な温度の作品に感じられたのではないでしょうか。
いや~、やっぱりね、アルバム作品なもんですから、ドライブなんかで流し聴きするわけですよ。そういう時に、2~3時間くらい流しっぱなしにするじゃないですか。そしたら1枚1時間前後のアルバムなんて何回もループするでしょ? そういう時に、ある曲にくるたんびに内心で舌打ちをしてスキップボタンを押すのって、致命的なんですよね。ほんと、このアルバムに関してはしみじみ残念に思うのです。
なにが残念って、このアルバム、名曲いっぱいあるんですよ! ま、確かに突き抜けた明るい曲が少ないというか、全体的に内省的なじめっとした曲が多いような気もするのですが、やっぱり怜悧に計算され尽くした鬼束さんの歌声というものは古今無双、稀代の美しさに満ちているのです。
すでにシングル曲として世に出ている2曲がズンとアルバムの重要なところを押さえているのは当然なのですが、本アルバム初出の曲としては、やっぱりご本人も語っているようにど頭の『 Sweet Rosemary』の、そうとうに過酷な「人生のなにか」を乗り越えた人物にしかかもし出せない「軽さ」をたたえた味わいが最高ですよね。これはもう、当時の年齢の鬼束さんだからこそたどり着ける境地だと思います。これがひとつの楽曲になったという幸運と奇跡!
「人生は長いのだろう」……いい言葉ですねぇ。今日明日どうなるもんでもねぇというあきらめと共に、肩の荷がふっと軽くなる名曲だと思います。まさにブルースだと思うなぁ。
そんな悟りの境地に達したかと思ったら、すぐに次の曲『 bad trip』でダウナーな状態に落ちてしまうのも、鬼束さん伝統のジェットコースター情緒、いつものやつですね。ここでピアノに弦楽器という羽毛田時代まんまのアレンジがつきまとってしまうのは、ちと残念な気もするのですが、これはもはやプロデューサーが誰とかいう問題ではなく、鬼束さんにとってしっくりくるスタイルがこれだからなのでしょうね。『 MAGICAL WORLD』のアルバムバージョンも、「アレンジ変える意味、ある?」ってくらいに印象が変わりません。ちょっとやそっと楽器を増やしてにぎやかにしたって、鬼束さんの孤高の哀しみをたたえた歌声はまったくゆらぎもしないのです。
ただ、本アルバムにおいて圧巻なのは、やっぱり7曲目『 A Horse and A Queen』から10曲目『 BRIGHTEN US』までの流れだと思います。
鬼束さんの楽曲としてはハイテンポなリズムにサックスが加わってノリの良い『 A Horse and A Queen』のあと、いつも通りにその反動でず~んと沈んだバラードが始まるのかと思いきや、バンドアレンジとなって非常にポジティブな雰囲気となった『 Rainman アルバムバージョン』となります。この2曲のつながりは、小林プロデュース時代のはっきりしない色調の中でも、わりとくっきりと独自性が出た部分なのではないでしょうか。
そして、その次はさすがに落ち着いたバラード『 Angelina』となるのですが、6分ちかいこの大曲は本アルバム収録曲の中でも特に制作時期が古い曲であるのにもかかわらず、「私はまだ死んではいない」という、当時の鬼束さんファンならば誰もが聴きたくて待ち焦がれていた彼女の肉声を伝える超重要な曲となっているのです。
これ! こういう叫びを聴きたいんですよ!! ここまでずいぶんと待たせてくれましたねぇ。『 Angelina』は若き日の鬼束さんの鬱屈とした精神環境を赤裸々につづるもの……だったのかも知れませんが、それが奇しくも日本中で認められるプロの歌手となった20代半ばを過ぎた鬼束さんにとっても実にしっくりくる曲になっているのは、原点回帰というかなんというか、天才の「業」を感じさせるものがあると思います。
また、この曲が本格的にメジャー作品に出演して現在の世界的な名声を得る直前のハリウッド女優アンジェリーナ=ジョリーをモデルにしているらしいというところも、不思議な縁を感じさせる話ですね。あの名曲
『ダイニングチキン』も、アンジェリーナさんの出ていた『17歳のカルテ』つながりですよね。でも、タイトルの由来を知って「なんで『トゥームレイダー』のむちむちくちびる姐さんがモデルで、こんなに内省的なバラードが?」と疑問に感じる方も多かったのではないでしょうか。誰しも、人に歴史あり!
死んではいない。この曲、語る内容はおそらく、あの問題作
『育つ雑草』と全く同じかと思うのですが、変換の仕方がこんなにも変わる鬼束さんにとってのこの3年間とは、いかような過酷な風の吹きすさぶ季節だったのでありましょうか。どっちもとっても良い曲だと思います。室町幕府最後の将軍・足利義昭とか異次元人ヤプールのテーマソングにしても、ぴったり☆
さらに、この『 Angelina』のあとにくる『 BRIGHTEN US』がすてきじゃないですか。重い曲の後に、ほんとに翼を得た(イカロスの蠟の翼なんかじゃなく、こっちは本物!)かのように軽やかに、高らかに唄う鬼束さんの楽しそうなこと! アカペラの小品なので他の曲とはちょっと毛色が違うのですが、それだけにアルバムのみごとなエピローグを飾る妙手だったと思います。
それだけに、その後に『 everyhome』がのこのこと続いてしまうのが解せない……『 BRIGHTEN US』が最後でいいじゃないかよう! なぜ、その後にまたぞろ重い曲で締めてしまうのか!? でも、ハッピーエンドで終わらせないこういうとこが鬼束さんワールドなのか。
そんなこんなで、この4th アルバム『 LAS VEGAS』は、かえすがえすも一曲だけパクチーみたいなクセありすぎの短絡的な駄作が入っているのが惜しいのですが、それ以外は当時の鬼束さんの健在っぷりを証明する作品となっております。さほど新時代の空気を感じさせる冒険がないのも物足りなさの一因ではあるのですが、良くも悪くも小林プロデュース時代を象徴する仕上がりとなっているのではないでしょうか。
アルバムのタイトル『 LAS VEGAS』の由来ですが、ベガスのカジノルーレットのような大いなる賭けに出るアルバム……というわけではなく、地名のスペイン語での意味「肥沃な土地」を採用したものだと思います。アルバムのジャケット写真のイメージもそんな感じですよね。
でも、ジャケット写真の土地って、ススキみたいな草が一面に生い茂る大地っていう見た目で、ちょっと肥沃には見えないんだよなぁ。そこらへんも鬼束さん一流の皮肉な表現なのかもしれませんが、そこは見渡す限りの田んぼの中で田植えか稲刈りをしている鬼束さんをジャケットにしていただきたかったですね。豊穣の女神・鬼束ちひろ!!
豊穣の女神と言えば、日本神話において、原初に大地の恵みたる全ての食べ物を生んでいた神様は「ウケモチの神」という女神だったのですが、月の神である「ツクヨミの尊(みこと)」をもてなした時に、ご飯だの魚だのお肉だのといったごちそうの全メニューを自分の口からオボロロロと出して提供するところを見られて、「きったねぇ!!」と激高したツクヨミに斬られて死んでしまいます。
そして、ツクヨミがウケモチを殺したことがきっかけで、姉のアマテラス(太陽の女神)がツクヨミと決別したためにこの世界には「月の守る夜」と「太陽の守る昼」ができ、ウケモチの遺体から生まれたさまざまな食べ物のたねをアマテラスの治める国の人々が持ち帰ったために、太陽の照らす国で農業や漁業、狩猟の文化が生まれたという起源神話があるのです。なるほどね~。
つまり、他の女神を斬り殺すような荒ぶるツクヨミ(『月光』)の姿をした時代があった鬼束さんも、ついには全ての人々に豊かさをもたらす「ゆるし」のウケモチ時代に入るようになった、ということなのでしょうかそういうことにしといてくださいお願いします!!
この後、鬼束さんはまたしても、翌2008年までしばし沈黙の時期に入るのですが、その後に出たのが、私にとって個人的に不動のベスト1となる、あの歴史的傑作シングルなんですよね。これだから鬼束さんはすごいんだ!!
大地に根ざして生きる人々の哀しみとねがいを謡いあげる神の曲、ついに次回!!