長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第41回 『モーニング再び。 2010年以降 資料編』

2011年07月28日 23時30分18秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 はい~どうも。

 そうだいはちからをためている……

 っときたもんだ~い。
 やりますよ~、今月もねぇ! なんか、ここ数日は雨が降りつつも気温のおだやかなお天気になるらしいんでね。炎天下での20キロ行は前回さんざん味わわせていただきましたんで、もうちっとおだやかにまいることにいたしましょう。映画も観たいものがいくつかたまってきましたんでね。どれにしようかなぁ~。

 ミッチー公、結婚おめでとうございます!
 しかし、公には完全にやられてしまいました……ニュースを聴いた時、自動的に私は「ふうん、あねさん女房かぁ。」と思いこんでしまったのですが、よくよくお2人の年齢を見てみて「ぜんぜん年上じゃねぇ!」
 さすがは元王子。ちなみに公は、1998年8月22日に富士急ハイランドで「王子」位をしりぞかれておられます。
 結婚記念にまた『民俗探偵八雲なんちゃら』やってくんないかなぁ。私、テレビ朝日の金曜夜11時のドラマ枠であれがいちばん好きだったんですよ。

 こういう時代だからこそ、他の人のものでもおめでたい話題はありがたいですよね。
 この前も、久しぶりに知人と彼女の10ヶ月のご長男に会って生きる活力をいただきました。身のまわり、子どもふえるよね~! 週末にも2人のお知り合いの子どもたちに会う予定です。


 さぁさ、さまざまな局面でニュージェネレーションがあらわれつつある2010年代。今回の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」は、1997年の結成から波瀾万丈の歴史をあゆんできたモーニング娘。の2011年現在にいたる流れをみていきたいと思います。
 感慨深いっすねぇ。なんだかんだいって、この40回あまり続いている「アイドルグループ史」のだいたい20回あたりからモーニング娘。のみなさんは登場してきていましたからね。ほとんど半分よ!?

 「私情をはさみたくない」としょっちゅう言っている私ではあるのですが、やっぱり私の青春とほぼかぶる時期に活躍したモーニング娘。という影響も多少はあったのかな……
 でも、今回の調べで私は痛感しました。

「おれはモーニング娘。の『モ』の字をうつ時の子音の『m』さえも知っちゃあいなかった!!』

 モーニング娘。その歴史のあつみ、活動や楽曲の表情豊かさ、ブレイクしたことでかかえることになった問題の意味深さ、そしてなによりも現在も現役で活躍し続けていることのすばらしさという点で、決して軽くあつかえるグループではありませんでした。「アイドルグループ史」の読んでいただいて、私がその大部分をモーニング娘。についやしたのが決してひいき目でないということがわかっていただければ非常にうれしいのです。
 できればもっと深くいきたいところだったんですが、ただでさえ文章なっげえし……ほんとに毎度毎度、読んでくださるみなさまの眼球にはあわせる顔もありません。ゆるしてつかぁさ~い!!

 それじゃ、万感の想いをこめてまいりましょう~。


そうだ! We're ALIVE モーニング娘。未来へつなぐ2010年以降

2010年
2月
・エース久住小春が卒業した8名体制初のシングルとなる42nd『女が目立ってなぜイケナイ』がリリースされる(オリコン最高5位)
 ※この8名体制によって、メンバーの平均年齢がモーニング娘。史上初の「20代」となる(当時10代だったのはリンリンと光井愛佳の2人)
 ※2011年1月の第9期メンバーの加入によって平均年齢は「17歳」にさがっている
(同月にリリースされたAKB48の15thシングル『桜の栞』がオリコン1位を獲得する)

4月
・TBSの深夜バラエティ番組『あいまいナ!』(毎週金曜1時30分から)に道重さゆみがレギュラー出演し、モーニング娘。現役メンバーのハロー!プロジェクト系列以外でのバラエティ番組レギュラーは、矢口真里の『やぐちひとり』(2004~09年 テレビ朝日)以来のこととなる
 ※バラエティ番組以外では、かつてリーダー高橋愛が連続ドラマの主演、田中れいなと亀井絵里がTVアニメの主人公をつとめたことがあった
 ※『あいまいナ!』は現在も、同じ時間帯、同じレギュラー出演陣(アンタッチャブル山崎弘也、矢口真里、道重、里田まい、元AKB48の大島麻衣、小倉優子ら)で『ザキ神っ! ザキヤマさんとゆかいな仲間たち』にリニューアルして放送されている
・前年12月にモーニング娘。を卒業した久住小春(17歳)が芸能活動を再開する(テレビ東京毎週土曜日朝放送の子ども向け番組『おはコロ』へのレギュラー出演)

5月
・中国の上海万博で、モーニング娘。が日本代表としてコンサートを上演する
 ※上海万博には9月にぱすぽ☆も出演しているが、「日本代表」枠での招聘はモーニング娘。のみ
(スターダストプロモーションの6人組アイドルグループ「ももいろクローバー」がシングル『行くぜっ!怪盗少女』でメジャーデビューを果たす)

6月
・43rdシングル『青春コレクション』がリリースされる(オリコン最高3位)

7月
・フランス・パリの「JAPAN EXPO 2010」でコンサートを上演する

8月
・東京・中野でのコンサートでメンバー亀井絵里(21歳)、ジュンジュン(22歳)、リンリン(19歳)の同年12月での卒業が発表される
・同時に、4年ぶりとなる「モーニング娘。9期メンバーオーディション」の募集が告知される

9月
・ジョージアの缶コーヒー「ご褒美ブレイク」のイメージキャラクターとしてモーニング娘。卒業メンバー7名が期間限定スペシャルグループ「アフタヌーン娘。」を結成する
 ※メンバーは中澤裕子(37歳)、飯田圭織(29歳)、安倍なつみ(29歳)、保田圭(29歳)、矢口真里(27歳)、小川麻琴(22歳)、藤本美貴(25歳)
 ※CMではモーニング娘。のメジャー1stシングル『モーニングコーヒー』の歌詞をアレンジした『アフタヌーンコーヒー』を歌唱している

10月
・おもに関東以西で展開している回転寿司チェーン「無添くら寿司」のイメージソングとなる番外シングル『あっぱれ回転ずし!』がリリースされる(オリコン最高13位)
(同月にリリースされたAKB48の18thシングル『Beginner』がオリコン1位を獲得する)

11月
・8名体制でのラストシングルとなる44th『女と男のララバイゲーム』がリリースされる(オリコン最高6位)

12月
・コンサートへの出演をもって亀井絵里、ジュンジュン、リンリンがモーニング娘。およびハロー!プロジェクトを卒業する
 ※その後、亀井は芸能活動を休止、ジュンジュンとリンリンは中国での芸能活動の準備に入っている

2011年
1月
・前年8月からおこなわれていた「モーニング娘。9期メンバーオーディション」の最終審査の結果、約9000名の応募者の中から4名が合格・加入する
 譜久村聖(ふくむら みずき 14歳)、生田衣梨奈(えりな 13歳)、鞘師里保(12歳)、鈴木香音(かのん 12歳)
 ※今回の鞘師・鈴木の加入により、史上初めて「モーニング娘。が結成された時に生まれていなかった」メンバーが誕生した
 ※譜久村は現役でハロプロエッグに所属していながらオーディションに参加し、最終審査の前の3次審査で落ちていたのだが加入メンバーに昇格した(ハロプロエッグはモーニング娘。加入とともに卒業)
 ※鞘師はアクターズスクール広島の出身なので、Perfume の直接の後輩にあたる
・第9期メンバーの加入と同時に、同年秋のコンサート終了をもってのリーダー高橋愛(24歳)のモーニング娘。卒業が発表される
・2009年ごろから「モーニング娘。OG」「アフタヌーン娘。」として期間限定の活動をしていたモーニング娘。卒業メンバーが、本格的に新グループ「ドリームモーニング娘。」を結成して活動を開始する
 ※メンバーはアフタヌーン娘。だった7名に、吉澤ひとみ(25歳)、石川梨華(26歳)、久住小春(18歳)が加わった10名
 ※10名と同じアップフロントエージェンシーの「M-line club」に所属している辻希美(23歳)は、育児に専念するために不参加
 ※ドリームモーニング娘。は2011年には4~5月と9~12月に全国ツアーをおこなう予定

3月
・ハロプロエッグ出身の6人組アイドルグループ「アップフロントガールズ(仮)」の結成が発表される
 ※アップフロントガールズ(仮)は5月に7名体制となり、6月にグループ名を「アップアップガールズ(仮)」にあらためて現在にいたる

4月
・第9期メンバーが加入した9名体制での初のシングルとなる45thシングル『マジですかスカ!』がリリースされる(オリコン最高5位)
・ドリームモーニング娘。の1stアルバム『ドリムス。1』がリリースされる(オリコン最高10位)
 ※オリジナル曲もあるが、モーニング娘。の楽曲は『そうだ! We're ALIVE』(2002年2月)までの前期5年分のものをカヴァーしている

5月
・東京・中野でのコンサートで「モーニング娘。10期メンバー『元気印』オーディション」の募集が告知される
 ※同年秋ごろに合格者が決定する予定で、6月時点で約1万3000名の1次審査応募者があったと発表されている
(プラチナム・プロダクション系列の10人組アイドルグループ「ぱすぽ☆」のメジャー1stシングル『少女飛行』がオリコン1位を獲得する)

6月
・46thシングル『Only you』がリリースされる(オリコン最高4位)
 ※これによって、モーニング娘。のシングル46作連続オリコンチャートトップ10入りが、日本の男女を含めた音楽グループの連続トップ10最長記録となる
 ※記録の第2位はSMAPの45作連続(2011年6月時点)


2011年に結成されたハロー!プロジェクトのアイドルグループ

アップアップガールズ(仮)(2011年3月~)7人組
 13~20歳 仙石みなみ(20歳)、佐保明梨(さほ あかり 15歳) ら
 2011年3月に6名のハロプロエッグ卒業生により「アップフロントガールズ(仮)」として結成される
 4月からスカパー!でレギュラー番組『アップフロントガールズ』を放送している
 特にリーダーは設定しておらず、パイ投げやバンジージャンプなど、「アイドルの枠にとらわれない活動」に取り組むグループ
 5月に「第2期あぁ!」メンバーだったハロプロエッグ・佐保明梨が加入して7名体制となる(ハロプロエッグは加入とともに卒業)
 6月にグループ名を「アップアップガールズ(仮)」にあらためる
 結成時からライヴ・イベント活動を旺盛におこなっているが、2011年6月時点ではまだCDデビューはしていない


 いや~、ついに出ちゃった、「モーニング娘。よりも年下のモーニング娘。メンバー」! ここまできたねぇ。
 ということで、最後のモーニング娘。雑想は次回でございま~す。

 えりり~ん!! おげんき~!?
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第40回 『どうするどうなるAKB48包囲網 2010年以降』

2011年07月26日 23時45分01秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 はいーん、どうもこんばんは、そうだいでございます。みなさま、今日も1日お疲れさまでした~。
 そん~なには!まだ暑くないですよねぇ。夜なんかはだいぶ過ごしやすい気温におさまってくれてますな。ありがたいことですよぉ。

 どうでもいいのですが、最近、近所にある豪邸の草ボーボーぶりが気になってしょうがありません。
 どのくらいのスペースだと言ったら伝わりやすいのかがわからないのですが、だいたい「幼稚園の敷地」以上「小学校のグランド」未満という広さなんですけど、まぁ~ご立派な豪邸があるんですね。
 ただ、基本的に人の気配もないし、たま~の夜に、もう100%グランドピアノがあるとしか思えないだだっ広い間取りの大広間に灯りがついているのが確認できる、といった感じなので、おそらく人が常に住んでいるわけではない別邸なんじゃなかろうかと私は勝手にふんでいるのですが、最近とみに、正門や塀まわりの雑草の野ばなし感がすごいことになってきてるんですねぇ。
 今年のはじめくらいまで、だいたい3ヶ月に1回のペースで造園業者が入って手入れをしているのは見ていたんですが、今年の夏はまだなにもしていないようなんです。
 雑草はすごいですね。もう見る見るうちに大きくなってきてますから。そんな豪邸なので塀も2メートルちかい高さがあるんですが、もうその高ささえも乗り越えんとする勢いで、向こうの庭からみどりが塀の外に進出せんと顔をのぞかせているんですねぇ!
 なんか、庭に据え付けてあるらしい街灯もツタにからまれて傾いちゃったりしてんのがチラッと見えるんですよ。正門ももう、人が気楽に通れるようなスペースはありませんからね。足元はいちめんのみどり。

 う~ん……中の庭の様子が見てみたい。「廃園」っていう言葉、いいですよね。

 かといって、勝手に入ったらいけませんからねぇ。あれはセコムしてますよ。
 草むしりでもなんでもするから、あの豪邸の管理人にさせてもらえないかなぁ。そしたらもうがんばっちゃうんだけどなぁ。燕尾服来て、レンズだけのメガネを片目につけて。あの、くさりのついてるやつね。


 さぁさぁ、そんなメルヘンチックな上流階級へのあこがれはここまでにしておきまして、今回も扇風機がガタガタ言っているコンパクトなお部屋から、20世紀生まれのアンティークパソコンの「ぶいーん!!」という機動音の調べにのせて「ざっくりすぎるアイドルグループ史」をお送りしていきたいと思います。うん、2人とも、自分の存在を主張するということはいいことだ。

 いよいよ来ました。ついに現在、2011年にたどり着いた最初の第1歩、まずはAKB48軍団やハロプロ陣営を「のぞいた」諸勢力の動きでございます。

 メジャーじゃないからと言ってナメてはいけません。とにかく可能性に満ちた新グループのご紹介で~す。


東京女子流(2010年1月~)5人組
 年齢非公開 山辺未夢(みゆ リーダー)
 2010年11月時点の情報では「平均年齢12.8歳」という若さ
 SweetS(2003~06年 瀧本美織らが在籍)以来のエイベックス正統派ヴォーカルダンスグループ
 各メンバーの歌唱力が高い
 デビュー時からライヴ活動を精力的におこなっており、2010年には19回のライヴを上演していた
 同じエイベックスであるAAAのツアーにも参加した経験がある
 2011年6月には台湾と香港で海外デビューをはたしている
 2011年6月時点までに6枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしている(オリコン最高19位)が……ブレイクはこれから?
 来月2011年8月に7thシングルがリリースされる予定

さくら学院(2010年4月~)12人組
 11~14歳 武藤彩未(14歳 生徒会長)ら
 グループのコンセプトは「学校」で、メンバーは「生徒」、リーダーは「生徒会長」と呼ばれている
 完全な「成長期限定!!」がテーマの3年制グループで、メンバーが実際の中学校を卒業すると同時にグループも自動的に「卒業」となる
 正統派アイドル路線
 2010年4月に8名体制で「開校」し、現在は12名が在籍している
 生徒はすでにモデルやジュニアアイドルとして活動している場合が多い
 ※2009年にアニメとのタイアップで活動していた期間限定アイドルグループ「可憐Girl's」のメンバーだった生徒もいる
 2010年12月に1stシングル『夢に向かって』をリリースしたが(オリコン最高35位)ブレイクはこれから?
 生徒のうち7名が所属しているバトン部「Twinklestars」もグループ内ユニットとして活動している

SUPER☆GiRLS(スーパーガールズ 2010年6月~)12人組
 13~21歳 八坂沙織(21歳 リーダー)ら
 グループ名の「i」だけが小文字なのは、「idol(アイドル)」の意味を強調するため
 2009年12月~2010年6月にエイベックスが初めて本格的に実施したアイドルオーディション「avex アイドルオーディション 2010」の結果、約7000名の中から選ばれた12名によって結成される
 キャッチフレーズは「みんなで育てるアイドル」で、CDを購入したりライヴを観たファンが公式サイトのアンケートを通じてグループの活動方針決定に影響を与えることができる
 エイベックス初のアイドル専門レーベル「iDOL Street」の第1弾アーティスト
 非常に正統派なアイドル路線
 結成当初から精力的にライヴ・イベント活動をおこなっている
 楽曲に特定のプロデューサーはいない
 2010年12月に1stアルバム『超絶少女』でCDデビューをはたし(オリコン最高32位)、翌2011年4月に1stシングル『がんばって青春』をリリースしている(オリコン最高5位)
 2011年6月時点までにリリースした2枚のシングルはどちらもオリコン最高5位


 どうですか~。
 まぁ、はっきり言っちゃうと、結成して1年ほどしかたってないっていうのは、まだまだ未知数! さっそく現在のアイドルグループ戦国地図に名乗りをあげている超高校級ルーキーはまだ見当たらないのですが、これからどうもまれていくかですよね。
 全体的に「ライヴ活動をしっかりおこなう」「ファンの声を聴く」というあたりはやっぱり偉大なる先輩方の功績にならっているわけなのですが、これからどう独自色を見せていくかですなぁ。もう、ちょっとやそっとのかわいさでは目立たないという、このインフレ時代のおそろしさね!
 あの~……ほぼ同時に「アイドルグループ」と「ヴォーカルダンスグループ」を売り出しちゃってるエイベックスさんは、いったいどんな目算があってそうしてらっしゃるんでしょうかね。「どっちつかずのアイウォンチュウ」とはこういうことを言うんじゃないの?


 2010年以降に結成したアイドルグループはやっぱり全体的にういういしさが見受けられるのですが、実は2010年以降に登場して、そのとたんにたちまち世間の話題をさらっていったグループが他にちゃんといたことはもう、みなさんご存じですよね?

 そう、2010年以降にはK-POPがやってきた! 彼女たちも忘れるわけにはいきません。

KARA(カラ 2010年2月に日本デビュー)5人組
 ギュリ(21歳 リーダー)、スンヨン(21歳)、ニコル(18歳)、ク・ハラ(18歳)、ジヨン(15歳)
 ※特にク・ハラに人気があり、「韓国の安室奈美恵」と呼ばれている
 2007年3月に結成された当初は4人組だったが、翌2008年7月から現在の5人体制となる
 グループ名の「カラ」は、ハングルで「甘いメロディー」、ギリシア語で「喜び」という意味がある
 2010年2月に東京・赤坂BLITZでおこなわれた自身初の単独コンサートにより日本デビューをはたす
 2010年8月にリリースされた日本版1stシングル『ミスター』が、海外の女性アーティストグループのシングルCDとしては過去最高のオリコン初登場5位を記録する
 ※かつて2003年に大ブレイクしたタトゥーと女子十二楽坊は、シングルをリリースしていない
 『ミスター』の「ヒップダンス」など、セクシーな振り付けが話題となる
 2010年10月には韓国国会で「芸能界の性的に過激な露出と表現」が問題となり、KARAの芸能事務所の代表者が国会に召喚された
 2010年上半期のメンバーの月給が「日本円にして1万円」だったことが発覚し、事務所のタレント待遇の低さが問題となる
 2010年11月に発売した日本版1stオリジナルアルバム『ガールズトーク』が約31万枚の売り上げを記録
 ※海外女性アーティストグループのアルバムとしてはディスティニーズ・チャイルド以来5年ぶり、アジアの女性アーティストグループのアルバムとしては女子十二楽坊以来6年ぶりのヒット
 2011年1~4月には、海外のアイドルグループとしては異例の主演ドラマ『URAKARA』が製作・放送されていた(テレビ東京毎週金曜深夜0時10分から)
 2011年4月にリリースした3rdシングル『ジェットコースターラブ』で自身初のオリコン1位を獲得し、売り上げ約20万枚のヒットとなる
 ※海外女性アーティストグループのオリコンシングルチャート初登場1位は史上初で、海外女性アーティストのオリコンシングル1位獲得はBOA以来6年ぶり

4Minute(フォーミニッツ 2010年5月に日本デビュー)5人組
 ジヒョン(20歳 リーダー)、ガユン(20歳)、ジユン(19歳)、ヒョナ(18歳)、ソヒョン(15歳)
 2009年6月に結成される
 2010年5月に日本版1stシングル『Muzik』をリリースして日本デビューをはたす
 セクシーな雰囲気の本格的ヴォーカルダンスグループ
 2011年6月時点までに日本では4枚のシングルと5枚のアルバム(ミニを含む)をリリースしている(オリコン最高17位)が……ブレイクはこれから?
 来月2011年8月に5thシングルがリリースされる予定

BROWN EYED GIRLS(ブラウン・アイド・ガールズ 2010年8月に日本デビュー)4人組
 ジェア(28歳 リーダー)、ミリョ(28歳 ラップ担当)、ナルシャ(28歳)、ガイン(22歳)
 2006年3月に結成される
 2010年8月に日本版1stアルバム『SOUND-G』をリリースして日本デビューをはたす
 リズミカルなエレクトロポップにヒップホップを導入したセクシーな楽曲
 2011年6月時点までに1枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしている(オリコン最高24位)が……ブレイクはこれから?

少女時代(2010年8月に日本デビュー)9人組
 19~21歳 テヨン(21歳 リーダー)ら
 グループ名は韓国では「ソニョシデ」もしくは略して「ソシ」と発音される
 メンバーは身長158~170cmで体重が全員40キロ台というモデル体型グループ
 美脚を強調したダンスとスタイリッシュな楽曲が話題となる
 2007年8月に結成され、「韓国のモーニング娘。」と呼ばれ人気を集める
 2010年8月に日本版1stシングル『GENIE(ジニー)』をリリースして日本デビュー(オリコン最高4位)
 2010年10月の2ndシングル『Gee(ジー)』の記録したオリコン最高2位は当時、海外の女性アイドルグループとしては最高の順位だった
 ※その半年後、2011年4月のKARAの『ジェットコースターラブ』(1位)に更新される
 2011年4月にリリースされた日本版3rdシングル『MR.TAXI』もオリコン最高2位を記録しているが、シングルで1位を獲得したことはまだない
 2011年6月にリリースした日本版1stオリジナルアルバム『GIRL'S GENERATION』が約50万枚の売り上げを記録する
 ※韓国出身アーティストのアルバムとしてはBOA以来9年ぶりの50万枚達成


 まぁ、K-POPブームというよりはKARAと少女時代の2大巨頭の対決といった様相を呈しておりますな。

 「海外カルチャー」のブームという見方をしますと、2010年のこの活況ぶりは、

2003年のタトゥーと女子十二楽坊のブーム
2003年の末~05年に巻き起こった『冬のソナタ』を筆頭とした韓流ブーム
2005~10年に日本でブレイクしたBOAや東方神起のブーム

 ということで、なんとなく地続きになっていた、と解釈できなくもないものだったんですね。

 こうやって韓国から多くのアーティストがやってくるようになったのは、やっぱり21世紀に入ってからアメリカのリーマン・ショックの影響だの世界的金融危機の波及だのがアジア各国にも押しよせてきまして、日本も無論のことひどいわけなんですが、ウォン安に頭を悩ませ続けている韓国も外貨獲得のためにきゅうきゅうとしている、ということは無視できないでしょう。
 2008年のしらべによりますと、日本の音楽業界市場が約41億アメリカドルであるのに対して、韓国の音楽業界市場は約1億4000万アメリカドル。単純にCDの値段も日本は韓国の約3倍となっているため、日本進出はブレイクすれば非常においしい出稼ぎになると。
 また、楽曲リリースを受けもつ日本のレコード会社も、最低1年は母国韓国で活躍して名をあげる実力をつけていたグループに来てもらうほうが、自分たちでいちから無名のアーティストを育てていくよりも手間がかからなくていいということで、受け入れる側にとってものりやすいビジネスだということもあるんでしょうなぁ。ショーバイショーバイ。でも、あれだけおしりをふって月給1万円はちょっと……

 まだまだKARAと少女時代のデッドヒートは続くようなんですが、お互いに身体には気をつけてセクシーにがんばっていただきたいと!

 さてさて、外国勢やメジャー音楽企業の若手ばかりに先をとられるわけにもいかんとばかりに、こんな人たちも気勢を上げております。

 こっちもこれからだ! 全国で名乗りをあげるロコドルたちも大変なことに。

ひめキュンフルーツ缶(2010年8月~)8人組
 13~18歳 愛媛県のロコドル
 オーディションによって選ばれた愛媛県出身のメンバーで構成されている
 正規メンバーの「ひめキュン」と研修生チームの「ひなキュン」の2部制
 ※現在はひめキュンが8名、ひなキュンが2名となっている
 愛媛県松山市のキティビル(1階がライヴハウス「松山サロンキティ」)5階にある「松山キティホール」(客席定員120名)を拠点に県内で活動する
 ※毎週末にライヴを上演している
 2011年に入ってから2枚のインディーズシングルを発表している
 近い!2011年7月30日に第2期オーディションを開催し、翌8月に新曲を発表する予定

K.K.いれぶん(2010年8月~)9人組
 11~20歳 京都府のロコドル
 グループ名は「京都小町11区」の意味
 オーディションによって選ばれたメンバーが歌唱かダンスのどちらかを担当する形式のグループ
 メンバー全員の芸名が京都市11区内の地名になっている(「三千院」「京極」など)
 2011年6月時点では「木屋町」と「祇園」が卒業したため9名体制となっている
 ※区名でなく有名な土地の名前なので、11名そろっていなくても問題はないわけなのだが……名前で「いれぶん」って言ってるからねぇ……
 現在はヴォーカル4名とダンサー5名という編成になっている
 衣装に京都の伝統産業である「着物」や「飾り金具」をふんだんに取り入れている
 京都にとどまらず、大阪や名古屋などでも活動を展開している

AKBN 0(エーケービーエヌ・ゼロ 2010年5月~)10人組
 13~27歳 高橋キャサリン玲海(15歳)、茜チュインあい(27歳)ら
 東京・赤羽(あかばね)のロコドル
 キャッチフレーズは「会って、話せて、デートができる募金アイドル」
 「綾瀬まニャ麻奈夏」「吉川コトノンことの」「大隅トウィンクルりよん」など、メンバー名には「ミドルネーム」がついている
 メンバーの卒業・加入もひんぱんに行われており、2011年6月時点では1~5期生、10名が活動している
 林家ペー・パー子夫妻が初代応援団長に就任しており、2010年9月にガッツ石松が第2代応援団長に就任してからは終身名誉監督になっている
 「予算ゼロ」、「タレントゼロ」から出発した超低予算アイドルグループ
 ライヴ・イベントや関連商品による売上金だけを資金にして活動していく「自給自足アイドル」
 特定の芸能事務所に所属していなくても「やる気」と「自信」さえあれば加入できる(オーディションあり)
 各メンバーの「売り上げ成績」が重要視されており、成績によってグループにおける立ち位置が決定する
 ※最悪の場合、売り上げ成績のよくないメンバーは強制的に引退させられるというシビアすぎるシステム
 最終的なグループの目標は「NHK『紅白歌合戦』への出場」で、その達成と同時に解散する予定
 資金をためるごとに「中期目標」が設定されており、「200万円ためてCDリリース(インディーズ)」と「300万円ためて北区赤羽会館でコンサート」は2011年5月に達成している
 2011年7月26日時点では資金は「379万円」たまっていて、次の目標は「1000万円ためて中野サンプラザでコンサート」
 地元の北区赤羽会館を「聖地」としているが、王子・代々木・渋谷などでの定期的なライヴ・イベント活動を積極的におこなっている
 グループ恒例のイベントは「ゆるぐだカラオケ大会」(2011年6月時点までに5回開催)
 今週末!2011年7月30日の北区赤羽会館での2ndコンサートでは、1期生3名の卒業と2ndシングルのリリースが発表されるらしい
 一目瞭然だが、AKB48とはなんっっっっの!!!関係もない


 いや~、もりあがってまいりました。もうてんてこまいですね。

 ロコドルは今あげた若手たちの他にも、いよいよタワーレコードからCDデビューすることとなった新潟の「Negicco(ねぎっこ)」や、2000年結成という最古参ロコドルでありながら、2010年にいたって新たな顔ぶれで新生することとなった青森県弘前市の「りんご娘」も忘れてはならないでしょう。東北新幹線も通ったし。
 「りんご娘」はかわいいねぇ~!! 現在は結成メンバーは1人もおらず、ジョナゴールド(18歳)、レットゴールド(20歳)、金星(15歳)、とき(12歳)の4名体制になっているのですが、グループメンバー全員、かわいいね! さすがはりんご、顔のつくりだ衣装だではハンパないお金をかけてるグループには勝てないとしても、内面のきよらかさからくる肌ツヤが全国トップレベル……に見えます。あの、みなさんのお名前はりんごの品種名からきているものですよ。

 それ以外にもSKEだNMBだHKTだと、ロコドルの時代はこれからもリアルタイムで加熱し続ける勢力となるもようです。みんながんばってね~。


 いやー。でも、「AKBN 0」。
 気になるねぇ~!!

 私はとみにそう思うのですが、このAKBN 0 を応援できる人はねぇ、正真正銘の「アイドルファン」ですよ。
 もう、特定の誰が好きだとかあの歌が好きとか、そういう個別の問題じゃあなくなってますからね。アイドルという職業の生み出す「異形さ」や「悲哀」というところを総体でめでることのできる宇宙サイズでの「博愛のこころ」を持っている人のためにこそAKBN 0 は存在している、と私は信じ、たい。
 だからねぇ、彼女たちをさして「AKB48のパクリだ!」とか「パッチモンアイドル」などといちいち批判してはいけません。あれこそが、まさしくアイドルからもっとも遠いようでいて実は一番アイドルの核心をついている集団なの……かなぁ~みたいな。だいいち、天下のAKB48と比較すること自体、AKBN 0 の術中にまんまとハマッているわけなんですからね。なにごとも「寛容」が大事です、うん。

 したがって、私はもうちょっと精神的に成長してからAKBN 0 を応援したいと思います。今はいいや。

 でも、「現役アイドルグループ中、最年長センター」と言われている茜チュインあい(27歳)さんのステージは、いつか必ずこの眼で観たいね!!
 こわいな~、こわいなぁ~、こわいなァア~!!
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第39回 『勇躍!AKB48 2008~09 雑想編』

2011年07月24日 21時22分24秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 み~んみ~んみんみんみんみんみ~……じじじじじ。

 あっ、どうもこんばんは、そうだいです。なんかまだちゃんとセミの声を聴いていないような気がしましたので、かわりにやらせていただきました。
 もう7月も終わりなんですけどねぇ。これからうるさくなるのかしら。

 そんなに重大なことではないのですが、最近わたくし、ある計画を進めております。
 いや、ほんとにたいしたことじゃないんですけど、少なくともある1人の方には秘密にしておきたいので、具体的にどんなことなのかをここでつまびらかにすることができないのね。
 ワクワクしますねぇ~、こういうのって。ふだんの私とはまったく接点のない世界をのぞいてみて、

「うわっ、意外とたのし~。」

 という気分になることはいいことですな。
 いつかはこのへんの経緯もぜ~んぶ説明できることになるかと思います。その時になったらぺろ~んとつつみかすさずお話しいたしますので、もうちっとだけお待ちくださ~い。
 長かった……この計画、なんだかんだいって今年のはじめくらいからいろんな偶然が重なりあって動き出してましたからね。やっぱり人生はおもしろいわ。


 さてさて! んだったらもう、こんだもえっつらおっつらどおっぱずめでいぐがしたん。
 ほ~ら、よっこらしぇ~のSyedd。

 2005年の暮れに東京・秋葉原の専用劇場でうぶごえをあげることとなったアイドルグループ・AKB48。
 その初期における実態が、かっちりしたチーム分けと楽曲CDの「選抜メンバー制度」によるサラリーマン顔負けの峻烈な競争社会だったことは、この前の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」第34回でも触れさせていただきました。
 そのへんの「ガチ感」は、第3回選抜総選挙が盛大に実施された2011年にも彼女たちにしっかり継承されているわけなのですが、私は2008~09年のある出来事をきっかけに、AKB48の内部に、きたるべき全国的ブレイクに向けての重大な改革がなされていたのではないかと見ました。

 その出来事とは、2009年8月に開催された日本武道館コンサート「AKB104 選抜メンバー組閣祭り」でおこなわれた人気メンバーのチームがえ(シャッフル)だったのではないかと。
 これは、その時点までに発足していたAKB48を構成する3チーム「A」「K」「B」で、これまでの楽曲で選抜メンバーの常連となっていた人々が所属チームを変えたり、研修生がいずれかのチームの正規メンバーに昇格するといった人事が発表されたもので、はっきりいってAKB48のチーム分けの意味がわからない2009年当時の私のような門外漢にとっては、

「ッど~でもいいじゃない、そんなこまけぇこと!!」

 というレベルのささいな改編にしか見えませんでした。まぁ、別に誰かがグループそのものを卒業するとか脱退するとかいう話じゃなかったわけですしね。

 しっかし! 今になってやっとわかる。これはかぁ~んなり重大な方針転換でした。

 つまり、「ほんの一部の変更人事」とはいえ、結成以来ながらくメンバーとファンにとって非常におも~い意味を持ってきていた各チームの違いというものを、ある程度破壊する効果を生んだのがこの「組閣」だったんじゃないかと思うんですね。それまで各チームがはぐくんでいた独自の気風というものがうすまり、全体的に雰囲気が統一される動きとなったのです。

 チームAは「伝説の結成メンバー」、チームKは「団結力の強い努力家」、チームBは「愛される妹」。
 それまではAKB48劇場という共通の戦場でしのぎを削って戦ってきたこの3つのアイドルグループが、この時にいたってついに1つの「AKB48」という集団になったんじゃないでしょうか。

 そういう見方でいいますと、今現在、テレビの中で引っぱりだこになっているAKB48が誕生した瞬間というものがこの2009年8月の武道館コンサートであり、それまでの約4年という歳月は、すべてこの時をむかえるための「トレーニング期間」だったんじゃないか、とも思えてきます。なげぇ準備期間だなぁ……

 「海の殺し屋」ホオジロザメは、生まれた直後から兄弟、姉妹どうしで闘いあい、生き残った者だけが卵の入れ物から外に出てくる権利を手にするのだという。

 サメや……AKB48はアイドルグループ界のサメや、百戦錬磨のキラーコンテンツなのや……
 おそろしなんどもおろかなり。ついに最強にして最凶の生物が野にはなたれてしまった!! いや、ほんとにサメが野にはなたれたら息ができなくなってすぐ死んじゃうんですけど……

 まさにここで誕生した新生AKB48は、アキバでのチーム間の競争の次の局面へとうつっていく、日本全国の「えーけーびぃ? 何?」や「あぁ、あのおたくのメイドカフェみたいなやつ?」といった不特定多数の人々を相手にした「挙国一致内閣」となったわけだったのです。確かに「組閣」はダテではなかった。
 もちろんそれまでの、劇場でのファンとの距離の近さを大事にしたライヴアイドルAKB48の過去をすべて「なかったことにする」というわけでもないのでしょうが、前回にもあげたようなテレビ番組にアニメにゲームにインターネット、グラビア雑誌に果ては納豆までといった膨大なタイアップ戦略も功を奏し、AKB48は秋葉原のライヴを観たこともない、観に行くことのできない人々にもその名前を訴えかけていくこととなりました。

 当時、地上波テレビの看板番組だった『AKBINGO!』は関東ローカルでの放送にとどまっていたのですが、かつて同じ関東ローカルの看板番組という規制によって知名度が伸び悩んでしまった20世紀終盤の「チェキッ娘」とはもはや時代が違っており、ネット上での口コミや無料動画チャンネルの普及などによって、放送局の少なさもたいした支障にならず、「東京にAKB48あり。」の報はみるみるうちに日本全国に広がっていくこととなりました。

 こういった戦略は、まず「AKB48という、やたら大人数でミニスカ制服のアイドルグループがいる。」という情報を広めていくこととなったのですが、それと同時に重要になってくるのが、

「じゃあ、具体的にどんなかわいいコがいるわけ?」

 という次なる質問に雄弁に回答できるAKB48側のリアクションです。
 私は、その「メンバー紹介」の役割をになったのが、AKB48の2008年ごろから演出の変わってきた高橋栄樹(えいき)監督による楽曲プロモーションビデオ諸作だと思うんですね。

 高橋監督は1965年生まれの映像ディレクターで、1990年代ごろからTHE YELLOW MONKEY などの有名ミュージシャンのプロモーションビデオの監督をつとめてきたお方です。
 AKB48の楽曲は、2007年4月の3rdシングル『軽蔑していた愛情』からプロモーションビデオの監督を担当しており、それ以降は全作品ではないものの『ポニーテールとシュシュ』まで9つの重要な作品を手がけてきています(2011年6月時点)。
 そういった感じで、けっこう深めにAKB48のイメージづくりにかかわってきた高橋監督なのですが、特に私が注目したいのは、AKB48関連としては監督3作目となる8thシングル『桜の花びらたち2008』(2008年2月)からの「ドラマパート」の急増です。

 それまでのAKB48のプロモーションビデオは、ふつうのミュージシャンやアイドルのほとんどのそれがそうであるように、楽曲が最初から流れていって、それにあわせたダンスやセリフのない物語が映像として映し出されていく形式となっていたのですが、この『桜の花びらたち2008』からは、ずいぶんと多めの割合で選抜メンバーがなにかしらの役をうけもってセリフのある芝居を演じるドラマパートが、楽曲の流れていない序盤や終盤に挿入されていくこととなります。
 だいたいの場合、前田敦子さんが主役を演じているケースが多いこれらは、とりようによってはすべて「同じ学園で同一人物の学生たちが出ている」と解釈できなくもない連作となっており、学園祭やクラスメイトどうしのケンカやサプライズ誕生会、そして卒業後10年ほどたってからの同窓会といった、「あわ~い」&「あまずっぱ~い」物語が展開されていきます。時間は短いですがかなり本格的な撮り方がされている映像作品になっていますね。

 たぶん、このへんのドラマパートの導入は、本人が本当にそういうキャラクターの人物なのかどうかは別の話としまして、初めてAKB48というものたちの存在に触れる世間の人々にとっては、「あぁ、AKB48にはこういう女の子たちがいるんだなぁ。」という個別認識をしてもらう手っとりばやい最初のとっかかりになったのではないでしょうか。そしていうまでもなく、この延長線上にあるのがその後の人気メタドラマ『マジすか学園』シリーズであるわけなのです。
 そのへんの1人1人の全国向けの自己紹介のような作業は『AKBINGO!』でも毎週繰り広げられていたと思うのですが、バラエティ番組のようなあけすけなやり方よりももっとロマンティックで大人たちのノスタルジアをきゅっきゅきゅーきゅっきゅきゅーと刺激するプロモーションビデオは、より効果的にAKB48の存在を世に知らしめることになったんじゃなかろうかと私は思うわけなんですよ。

 個人的な思い出とからめますと、私は『大声ダイヤモンド』のプロモーションビデオが正視できなくてねぇ……恥ずかしくって。私はれっきとした男子だったんですが、女子グループに1人だけまじって、文化祭であんなことやったのよ。まさしく「なかったことにしたい記憶」シリアルナンバー203番なのですが、これを捨てられずに生きているからヒューマンなんですよね……しみじみ。

 ともあれ2008~09年のAKB48は、アイドルグループとしての音楽活動もさることながら、それよりももっと、「彼女たちはいかにしてAKB48に所属することとなったのか」「いかにしてその他大勢の中から選抜メンバーにえらばれることとなったのか」、そして「あなた(視聴者)のいちばん好きなメンバーは誰なのか」、という部分のアピールに力を入れて、日本全国の人々に「まず興味を持ってもらうこと」を目標にしていたといっても過言ではなかったんじゃないかと思います。徹底的な「お試し期間!」だったわけです。

 ところで、私はこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の中で一貫して、あのモーニング娘。のことを、「看板は同じだがアトラクションが時期にあわせていろいろと変わっていく遊園地」というたとえをもって説明していたかと思うのですが、それに比較して言いあらわすのならば、AKB48は、

「どこからが敷地なのかさえはっきりせず、どこにどんなアトラクションがあるのかもわからない、ガイドブックのないパノラマ島」

 ということになるのかしら。
 要するに、遊園地1コにとどまらない膨大な広さの中でさまよい歩き、その途上で見つけたさまざまな楽しみをつなぎ合わせて自分なりの「地図」を作っていくこと、その作業そのものが最大のアトラクションになっている謎のアイランドなわけなんですな。
 ちょ~っと、こわい! でも、どこに何があると入り口のパネルにちゃんとかいてある遊園地にはない、お客さんの脳みそに直接うったえかけるおもしろさがあるのよねぇ。わぁ、やっぱこえぇ~。


 せっかくモーニング娘。との比較が出てきたのでついでに触れておきたいのですが、私は「グループと楽曲との関係」という点でも、両者はかなりわかりやすい違いがあるんじゃないかと思うんですね。


 まずモーニング娘。をあげてみますと、彼女たちの歌唱も含めてのアピールスタイルは、

「いいからまずは、彼女たちのステージを観てみてちょーだい!」

 というもので、いっぽうのAKB48はといいますと、

「いいからまずは、彼女たちがステージに上がるまでの話を聞いてちょーだい!」

 というアピール法なんじゃないかと思うんですね。

 ここの違いははっきり言って、実際にグループにいる女の子たちよりも、彼女たちをプロデュースしている人の資質の違いに起因しているんじゃないかと思うのですが、要するに、自身がまぎれもないミュージシャンでもあるつんく♂さんが守りたい「オンステージは魅せる!」と「オフステージは見せない!」の差をはっきりさせたモーニング娘。にたいして、作詞家ではあるものの楽曲全体を支配しているわけではない秋元康さんの、「歌もいいけど、それよりももっとおもしろい物語があるよ。」というステージ裏への手まねきがたまらない魅力となっているのがAKB48なんですね。

 そう考えてみると、モーニング娘。が時期によってだいぶグループの性質が変化している、ということは前にも触れましたが、どの時期でも一貫しているのは「目をひいてナンボ!」「唄いあげてナンボ!」という個性重視体制であることです。歌がうまいのなら、もしくはダンスがうまいのならまじめにステージで輝くもよし。変声や変顔が好きなのならするもよし、お笑い芸人と互角に渡りあえるトーク力があるのならそれをいかんなく発揮するもよし、コントがうまいのならコントで大暴れするもよし、福井弁がなかなかなおらないのならテッテケテーとイジられるもよし。なつかし~!

 それにたいして、AKB48のステージには、ど~にも「規制」がよく似合う。「規制」というよりも「理性」と言ったほうがいいでしょうか。
 そういえば、いくらかわいくアレンジされているといっても、AKB48の衣装は「学生服」です。学生服というものは、着ている人の事情を基本的に考えてくれない規制ですよね。
 もひとつ規制というか、メンバーをいまひとつハッチャケさせなくする「安全弁」となっているのが秋元さんの歌詞でして、だいたいのAKB48楽曲って、つんく♂さんや普通のアイドルグループの唄う楽曲の歌詞に比べると、ずいぶんとカタいというか、「言いたいメッセージがギッチギチにしっぽまで詰まっている」内容になっていますよね? 『軽蔑していた愛情』なんかは、もはやアイドルの唄う楽曲ではないような重さの作品になっています。それに少なくない数、歌詞の内容が「男性から目線」になっているととったほうが自然な楽曲もありますね。
 つまり、こういう歌詞の楽曲は、唄っている人の「個性」はあまり必要ありません。というか、唄い手さんがなるべく透明な存在にならなければ、歌詞の良さや「かわいい女子が男子の気持ちを唄っている」ということのあやうい距離感が伝わってこないわけなのです。
 ダメおしで言うのならば、その楽曲を唄う「選抜メンバー」がはっきり確定していない、だいたいのメンツは決まっているにしても確定していないことが建て前になっているAKB48においては、「ここは低音の響くあの子に唄ってもらって、ここらへんは高音が得意なあの子のコーラスで……」という作戦づくりが成立しないということになるし、だとするのならば、「ある一定のレベル以上の人なら誰でも唄える楽曲」ということがAKB48の楽曲の条件ということになるのではないでしょうか。

 これをもって、なにも私は「AKB48がアイドルグループとして劣っている」ということを主張したいのでは決してありません。だいいち、「歌のうまいへた」がアイドルグループの実力を指し示す基準に「ならない」ことは、今までこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」におつきあいいただいてこられた方ならばおわかりのことかと思います。歌がヘタでもビッグアーティストに成長したグループもあったし、いくらうまくてもまったくブレイクできなかったグループもありました……

 要は、AKB48は「理性的で個性をおさえられた楽曲」とコミで、自分の個性をフルに発揮する「それ以外の自分の姿」も提供している戦法をとっている、ということなんですな。まさに24時間ガチ。
 モーニング娘。を含めたハロー!プロジェクト陣営が、素の自分をさらけ出しているかのようなバラエティ番組でのフリートークを得意としていながらも、恋愛関係などでの「本当の素」をかたくなに見せようとしなかったこととは実に好対照な戦い方だと思うのですが、どうでしょうか。


 まぁとにかくこんな感じで、「使える物は机の上に置いてあるエンピツでも武器にする」という『ボーン・アルティメイタム』もビックリのフルコンタクトアイドル戦士集団・AKB48だったのですが、彼女たちのまなざしには、目の前に広がる日本全国民の「好奇の視線」はどれほど恐ろしいものに見えたのでしょうか。
 いろいろと年表にもあらわしましたが、2007~08年のAKB48への風当たりは、彼女たちにはなかなかキツいものがあったかと思います。そして、そのころから現在の栄華を想像することはむずかしい。2009年の「組閣祭り」以前に、それぞれの判断でグループを去っていった当時の人気メンバー、大島麻衣さんや中西里菜さんの決断も無理からぬことではあります。
 劇場に足繁く通っていたコアなファンの方々との結びつきは強いようなのですが、第3回選抜総選挙での選挙後の前田さんや大島優子さんらのコメントには、まだまだ顔の見えない「世間」という巨大な存在への微妙な距離感、緊張関係が見てとれましたよね。
 そこが魅力でもあるのでしょうが、AKB48はどこか、大変な盛況ぶりとなっている現状に「戸惑い」を隠せない表情を浮かべているような気がします。まぁ、戸惑って当たり前なバブルっぷりであるわけなんですけど。今あえてAKB48をやめるのは、そうとうな勇気がいるぞ~!
 私は、2005~08年の苦労を知らない、あの前期のモーニング娘。におけるごっちんのような「空気を読まないスター」が登場して、「神7」と呼ばれているメンバーたちに伍する人気を得た時。その時こそ、AKB48はさらに次のステップに進むグループになれるのではないかと思うのですが……ど~でしょうかねェ!?


 ともあれ、2009年最後のシングル『RIVER』の大ヒットをもって、ついに本格的な全国的ブレイクに乗り出すこととなったAKB48なのですが、その次の2010年から現在にいたるまでの趨勢はまた、ということで。
 次回は2010~11年の、AKB48やハロプロ陣営「以外」のアイドルグループについてくっちゃべっていきたいと思いま~す。

 ギャー!! 2011年って今じゃ~ねぇか!
 ついた! 現在についたよ、おっかさ~ん。約60年の時間旅行にも、ゴールがやってきたんだねェ。3ヶ月かかったねェ。

 よ~あ~けはァちかい~、よ~あ~ァけはァちかい~……
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第38回 『勇躍!AKB48 2008~09 資料編』

2011年07月23日 23時25分39秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 うなぎ食べたぁ~!? どうもこんばんは、そうだいでございます。
 なんか、まだまだそんなに暑くはなっていないのですが、じわ~じわ~と気温と湿度が上がってまいりました……まいったねェこりゃ。

 アナログ放送終了なんですって。
 どぉ~オでもいいッスねぇ~!! 私もう、TVがなくなって1年がたとうかとしております。
 それ以来はずっとラジオ、特にTBSラジオのヘヴィリスナーになっているわけなのですが、私個人の今の実感としては、「TVやっぱほしい!」と「TVもういらない!」という感情を比率であらわすとだいたい1:9くらいになっていますね。
 TVって、観たい番組もあるけど、それよりもはるかに多く観なくていい番組がありますよね。そっちのほうに振り回されなくてよくなるからすっごくラクなんですよ。
 TBSラジオおもしろいですからねぇ~! もうTBSラジオとパソコン1台があったらあとはもういいや。

 1年前の私にはとても想像つかない生活でしょうなぁ。

 あっ、そういえば、こんな感じでNONBENN&DARALYと続けているこの『長岡京エイリアン』も、そろそろ来月8月で開設1周年を迎えようとしているんですよ。
 よもや、ここまで続けてきちゃうとはねぇ……思えば遠くへ来たもんだ。はひ~。

 おっと、感傷にひたっているヒマはねぇや。今日も今日とて「ざっくりすぎるアイドルグループ史」なんだずぁ~。

 今回はいよいよ! 現在のアイドルグループ界の覇王となっているAKB48、彼女たちが「あやしいアキバのアイドルグループ」から「だいたいの日本人が名前くらいは知っている国民的アイドルグループ」に急成長をとげていった2008~09年の動きを追っていきたいと思います。

 えっ? ハイご名答! 今回は資料だけ! タイトルにそうかいてあるからね。
 だって多いんですもの、情報がぁ……
 っつうことでまぁ、ズンドコいってみましょう~。


アキバから全国へ、AKB48の2008~09年

2008年
1月
・AKB48初のベストアルバムとなる『SET LIST グレイテストソングス 2006-2007』がリリースされる(オリコン最高29位)
・7thシングル『ロマンス、イラネ』がリリースされる(オリコン最高6位)
・AKB48の初の看板番組『AKB1じ59ふん!』(日本テレビ関東ローカル 毎週木曜深夜1時59分から)が放送開始となる

2月
・自身初のリメイクとなる8thシングル『桜の花びらたち2008』がリリースされる(オリコン最高10位)が、その際の特典となったスペシャルイベントへの参加条件が独占禁止法の「不公正な取引」にあたるのではないかと物議をかもし、世間のバッシングの対象となる
 ※当初、スペシャルイベントに参加するためには「初回盤にランダムについてくる特製ポスター全44種類をすべてそろえられたら」という条件が設定されていたが、最終的にイベント企画は中止となった
 ※この騒動によって、それまでのAKB48の楽曲リリースを担当していたレコード会社デフスター(ソニー系列)がレコード契約を解除する
 ※この『桜の花びらたち2008』のプロモーションビデオ(監督・高橋栄樹)から、AKB48メンバーによるセリフつきドラマが積極的に導入されていくようになる

4月
・AKB48の看板番組『AKB1じ59ふん!』が、毎週月曜深夜0時59分から放送の『AKB0じ59ふん!』にリニューアルされる(日本テレビ関東ローカル)

6月
・ネット配信限定の9thシングル『Baby!Baby!Baby!』がリリースされ、メンバー全体・個別ともに水着姿を前面に押し出したPVが撮影される

7月
・篠田麻里子(22歳)がAKB48メンバー初のソロ写真集『Pendulum』(ワニブックス)を発表する
 ※これ以降、メンバー全体のグラビア展開が雑誌・写真集・DVDなどで本格化する
・AKB48の全国展開第1弾として、名古屋・栄を拠点としたアイドルグループ「SKE48」のメンバーオーディションが開始される

9月
・メンバー板野友美(17歳)が、ギャル系ファッション雑誌『Cawaii!』(主婦の友社)の専属モデルとなる
・AKB48第2のグループ内ユニット「ノースリーブス」(チームAメンバー)の結成が発表される

10月
・7月からおこなっていたオーディションの結果、16名による名古屋・栄を拠点としたアイドルグループ「SKE48」が結成される
 ※おもなメンバーに、松井珠理奈(じゅりな 11歳)、松井玲奈(17歳)がいる(通称「松井JR」)
・レコード会社をキングレコードにうつし、移籍後初のシングルとなる10th『大声ダイヤモンド』がリリースされる(オリコン最高3位)
・『大声ダイヤモンド』の選抜メンバーに結成したばかりのSKE48から松井珠理奈が選出され、前田敦子(17歳)とのダブルセンターに抜擢される
・AKB48の看板番組『AKB0じ59ふん!』が、毎週水曜深夜0時29分からの『AKBINGO!』にリニューアル
 ※『AKBINGO!』は2010年10月から放送地域を全国に拡大しており、現在はAKB48の旗艦番組となっている
・AKB48第3のグループ内ユニット「渡り廊下走り隊」(チームBメンバー)の結成が発表される
 ※渡り廊下走り隊は2010年7月から7人組の「渡り廊下走り隊7(セブン)」に増員されている

11月
・チームAに所属していた人気メンバー中西里菜(20歳 のちのAV女優やまぐちりこ)がAKB48を卒業し、グラビアアイドルとしての活動を続ける

12月
・東京秋葉原のAKB48劇場に併設されてファンの交流の場となっていた喫茶店「48's Cafe」が、2008年いっぱいの営業をもって閉店する
(この年のNHK『紅白歌合戦』にはAKB48もハロー!プロジェクト陣営も出場しなかったが、アイドルグループとしてはPerfumeと、活動を再開したばかりの第2期SPEEDが出場していた)

2009年
3月
・メンバーの中核的存在だった大島麻衣(20歳 チームA)が選抜された最後のシングルとなる11th『10年桜』がリリースされ、AKB48としては初めて売り上げ枚数10万枚を突破する

4月
・東京NHKホールで上演されたコンサート「神公演予定」への出演をもって、大島麻衣がAKB48を卒業する
 ※その後、大島はタレント・グラビアアイドル・歌手として活動

6月
・12thシングル『涙サプライズ!』がリリースされる(オリコン最高2位)
・次期シングルの選抜メンバーをファン投票で決定するイベント「AKB48 13thシングル選抜総選挙『神様に誓ってガチです』」が開催され、チームAの前田敦子がトップ当選を果たす
・AKB48の「お姉さん」的存在と言われるアイドルグループ「SDN48」が結成される
 ※グループ名の由来は、秋葉原のAKB48劇場で「土曜日の夜(SaturDay Night)」を中心に公演をおこなっていることから

8月
・13thシングル『言い訳Maybe』がリリースされる(オリコン最高2位)
(同月にリリースされたモーニング娘。の40thシングル『なんちゃって恋愛』もオリコン最高2位だった)
(ちなみに、AKB48の首位獲得をはばんだのはSMAPの『そっと きゅっと』で、モーニング娘。の首位獲得をはばんだのは浜崎あゆみの『Surise/Sunset LOVE is ALL』だった。勝てねぇ~!!)
・日本武道館で開催されたコンサート「AKB104 選抜メンバー組閣祭り」で、AKB48史上初となるチームA・K・B・研究生の一部メンバーのシャッフル(組閣)が実施される
 ※ここで各チームに初めて「キャプテン制」が導入され、チームAキャプテンに高橋みなみ(18歳)、チームKキャプテンに秋元才加(21歳)、チームBキャプテンに柏木由紀(18歳)が就任する
・「第1回AKB48総選挙」の上位メンバーが参加した水着写真集『AKB48総選挙!水着サプライズ発表』(集英社)がリリースされ、約10万部の大ヒットとなる
 ※ヒットの原因は内容以外にも、写真集としては比較的安価(定価1000円)で、コンビニでも販売される「ムック」形式だったことが大きかった

10月
・14thシングル『RIVER』がリリースされて売り上げ約25万枚の大ヒットとなり、グループ初のオリコンチャート1位を獲得する
 ※『RIVER』の売り上げ枚数は、それまでのAKB48がリリースしたすべてのシングルの累計枚数を上回るものとなった
(同月にリリースされたモーニング娘。の41stシングル『気まぐれプリンセス』がオリコン最高4位だったため、ここにいたって、ついにAKB48がチャート順位でモーニング娘。を上回ったことになる)

12月
・NHK『紅白歌合戦』にAKB48が2年ぶり、初の単独枠での出場を果たす



第1回「AKB48 13thシングル選抜総選挙『神様に誓ってガチです』」について
・開票日 2009年7月8日
・当選者順位 1~30位
・当選者に投票された総票数 5万4026票
・立候補者 AKB48、SKE48、研修生の98名
・1位(前田敦子)の獲得票数 4630票
・最終当選者(30位)の獲得票数 1050票
・当選者の権利
 1位~12位  歌番組や音楽雑誌などのメディアで活動できる「メディア選抜」
 13位~21位 タイトル曲のレコーディングに参加できる「選抜」
 22位~30位 カップリング曲を担当できる「アンダーガールズ」
・有権者
 投票券つき12thシングル『涙サプライズ!』の購入者、ファンクラブ「柱の会」会員、
 AKB48モバイル有料会員、DMM「AKB48 LIVE ON DEMAND」の月額会員
 ※したがって、「1人1票」という制限はない


2008~09年に結成されたAKB48関連のアイドルグループ・ユニット

SKE48(2008年7月~)16~48名
 松井珠理奈(11歳)・松井玲奈(17歳) ら
 愛知県名古屋市中区栄(さかえ)のサンシャインSAKAE2階にある劇場「SUNSHINE STUDIO」(定員300名)が拠点
 チームはS・K2・E・研修生の4組に分かれている
 AKB48とは違ってメンバー全員が同じ芸能事務所「ピタゴラス・プロモーション」に所属している
 メンバーの多くが東海地方出身
 2008年7月からメンバーオーディションを実施し、16名の結成メンバー(現在のチームS)によって10月から活動を開始する
 SKE48の追加メンバーオーディションはおよそ年に1回のペースで実施されている
 2009年2月に追加加入したメンバーによって「チームK2」が発足する
 2009年8月にシングル『強き者よ』でCDデビューを果たす(オリコン最高5位)
 2010年12月に追加加入したメンバーによって「チームE」が発足する
 2011年3月にリリースした5th『バンザイVenus』が売り上げ枚数20万枚を突破し、自身初のオリコン1位を獲得する
 4日後!7月27日に6thシングル『パレオはエメラルド』がリリースされる予定

SDN48(2009年6月~)21~40名
 大堀恵(25歳 元チームK)、佐藤由加理(20歳 元チームA)、小原春香(21歳 元チームB) ら
 AKB48の「お姉さん」的存在のセクシーアイドルグループ
 AKB48在籍経験者もいるが、ほとんどのメンバーはオーディションによって新規加入している
 AKB48関連のグループでは例外的に「恋愛」と「結婚」が容認されているが、「妊娠・出産」は禁止
 メンバーの中には、AKB48のイベント運営アシスタントや研修生の講師をつとめている者もいる
 2009年6月にオーディションによって選ばれた17名とAKB48メンバーの4名によって21名体制で結成
 SDN48の追加メンバーオーディションはおよそ年に1回のペースで実施されている
 ※年齢規定は「20歳以上、上限なし」
 2011年6月現在は40名となっている(うち、AKB48在籍経験があるのは7名)
 AKB48には見られないセクシー路線の楽曲とパフォーマンス
 東京・秋葉原のAKB48劇場での公演も、夜7~8時から深夜にかけて上演される
 2010年11月にシングル『GAGAGA』でCDデビューし(オリコン最高3位)、2011年6月現在までに2枚のシングルをリリースしている

ノースリーブス(2008年9月~)3人組
 小嶋陽菜(20歳)、高橋みなみ(17歳)、峯岸みなみ(15歳)
 AKB48第2のグループ内ユニット
 ※AKB48史上初のグループ内ユニットである「Chocolove(チョコラヴ)」は2007年のみの活動で自然消滅している
 ※チョコラヴについては「ざっくりすぎるアイドルグループ史」第34回の2007年6月の項を参照のこと
 AKB48チームAのメンバーに所属していた3名で結成される
 ※3名は2007年ごろからライヴ公演で3人組として歌唱していることが多かった
 3名とも、「渡り廊下走り隊」のメンバーと同じく芸能事務所は「プロダクション尾木」に所属している
 2008年11月にシングル『Relax!』でCDデビューを果たす(オリコン最高13位)
 3名のしっかりしたヴォーカルが特徴的
 衣装は制服ではないノースリーブのキャミソールなどで、AKB48よりもハードな曲調であることが多い
 2011年1月にリリースした1stアルバム『ノースリーブス』が、AKB48内ユニットとしては初のオリコンアルバムチャート1位を獲得する
 2011年6月にリリースした最新7thシングル『唇 触れず…』が、自身初の売り上げ枚数10万枚突破を記録する(オリコン最高3位)
 代表曲 6th『Answer』(2009年10月 オリコン最高2位)

渡り廊下走り隊7(2008年10月~)7人組
 14~16歳 渡辺麻友(14歳 センター)、平嶋夏海(16歳 リーダー) ら
 AKB48第3のグループ内ユニット
 AKB48チームBのメンバーから結成される
 牧歌的でノリの軽いアイドルソングを唄う、グループ内で比較的もっともおニャン子クラブに近いユニット
 ※秋元康の設定ではおニャン子クラブのグループ内ユニット「うしろゆびさされ組」(1985~87年)と「うしろ髪ひかれ隊」(1987~88年)の正式な妹分ユニットということになっている
 ※実際に、メンバーは全員それらと同じ「プロダクション尾木」所属で、楽曲CDも同じ「ポニーキャニオン」からリリースされている
 2008年3月にNHK教育の番組でエンディング曲『恋のチューイング』を歌唱していた3人組ユニット「お菓子なシスターズ」が母体となっている
 同年10月に加入した平嶋夏海がリーダーに就任して正式に4人編成の「渡り廊下走り隊」が発足する
 2009年1月にシングル『初恋ダッシュ』でCDデビューを果たす(オリコン最高10位)
 同年2月からの1名の追加加入により5人組となる
 2010年7月からはさらに2名が追加加入し、グループ名も「渡り廊下走り隊7(セブン)」に改称して7人組となり現在にいたる
 2011年6月までに7枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしており、来月8月には8thシングルが発売される予定
 代表曲 4th『アッカンベー橋』(2010年3月 自身初のオリコン1位獲得)


《字数の都合上、この「ざっくりすぎるアイドルグループ史」ではAKB48関連の「期間限定・活動場所限定のグループ内ユニット」は詳しくはあつかいません。ここで名前と簡単な説明だけをあげておきます。》

ほね組(2007年)板野友美・小野恵令奈ら4名
 NHK教育の番組で『ほねほねワルツ』を歌唱

ICE(2007年)大島優子・小野恵令奈・河西智美ら5名
 秋元康プロデュースのオリジナルビデオアニメ『ICE』の声優やテーマ曲を担当

クレヨンフレンズ(2007年)大島麻衣ら4名
 アニメ『クレヨンしんちゃん』のオープニングテーマ『ユルユルでDE-O!』を歌唱

ナットウエンジェル(2009年~)宮崎美穂ら
 全国納豆協同組合連合会と提携して国民の納豆消費を推進

AKB卓球部(2009年~)8~10名
 テレビ東京で放送される「世界卓球選手権」を応援するために毎年グループから選抜

Queen&Elizabeth(2010年)板野友美・河西智美
 『仮面ライダーW』にゲスト出演した2名により結成

チームドラゴン(2010年)篠田麻里子をのぞいた「神7」と柏木由紀の7名
 アニメ『ドラゴンボール改』のエンディング曲を担当

ミニスカート(2010年)研修生のみ3名
 タカラトミーのゲーム機「プリティーリズム・ミニスカート」のPR

チームキネクト(2010年)SKE48の松井珠理奈と松井玲奈の2名
 マイクロソフトのゲーム機X-box360のアタッチメント商品「Kinect(キネクト)」のPR

野菜シスターズ(2010年~)25~30名
 カゴメの飲料「野菜1日これ1本」のPR

MINT(2010年)前田敦子・河西智美ら5名
 サイバーエージェントのインターネットサービス「アメーバピグ」との連動企画により結成

Team KISHIN(2010年)倉持明日香ら6名
 写真家・篠山紀信の企画写真集のモデルにより結成

チームPB(2010年)柏木由紀・宮澤佐江ら7名
 集英社の青年向け雑誌『週刊プレイボーイ』との連動企画

チームYJ(2010年~)峯岸みなみ ら7名
 集英社のマンガ雑誌『週刊ヤングジャンプ』との連動企画(2011年には「YJ7」としてメンバー再編成)

YM7(2011年)河西智美ら7名
 講談社のマンガ雑誌『週刊ヤングマガジン』との連動企画


 ちかれたび~。
 いやぁ、2009年には、AKB48とモーニング娘。との頂上決戦、凄絶なるアイドルグループ「夏の陣」と「冬の陣」があったんですなぁ。しらなんだしらなんだ。

 もう~、次回、次回! あれもこれも、み~んな次回ッッ!!
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第37回 『モーニング守誠。 2008~09 雑想編』

2011年07月22日 23時39分07秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 こんばんはぁ~いっと。みなさんお元気ですか? そうだいでございます。
 いやぁ~過ごしやすいね! すずしいすずしい。熱帯性のじめじめした台風の反動なんですかね。なんか、風のにおいが「夏の終わり」なんですよ。夏休みの終わりのころの「24時間日曜日の『サザエさん』以後」状態を思い出しちゃってムダにおセンチになっちまったぜい。このむなしさ。好きなんだけど別に明日から秋になるわけでもないんすよねぇ。8月はこれから。燃えるようなホッサマーがやってくんのよねぇ~!! 今のうちにこの涼しさを楽しんでおきましょう。

 ちょっとおセンチといえば、ついさっきに友人(って呼ばせて!)のブログを拝見したところ、あの、芸能人の似顔絵の表紙で有名な総合情報週刊誌『ぴあ』が今週で最終号なんだという話題が。
 『ぴあ』。お世話になったねぇ……
 私、ちょうど20世紀と21世紀をまたぐ感じで大学生の時期を過ごしたんですけど、当時はケータイもパソコンも持っていないというだいぶ遅れがちな生活をしてたんですよ。そういう私は重宝したねぇ~、『ぴあ』!
 入学してからは毎週かかさず買ってました。毎晩、眠くなるまでニヤニヤしながら『ぴあ』をながめては、

「なんだろ、この美術展? 誰だか知らないけど行ってみよう。きっとこれが芸術ってやつなんだ!」
「すげぇ! 普通の映画よりも安い料金で何本も名作が観られるんだ。東京はおそろしかとこばい。」

 などとまなこをキラッキラさせながら蛍光ペンで情報をチェックしていました。おまえはメルヘン少女か。
 思えば、パソコンを1人1台持っているのが当たり前になりつつあった(ケータイやPHSにいたっては、私以外に持っていない学生さんに会うことはありませんでした。)当時、ここまで熱心に『ぴあ』を買っていた人は少なくとも私の身のまわりにはいなくなっていましたね。所属していたサークルでも、私が買ってきた『ぴあ』をみんなで読んであーだこ-だ他愛のないフリートークを展開するというのがなんとなくの定型になっていました。
 うん。パソコンを去年ぐらいからやっと使いはじめてみてわかったんですけど、『ぴあ』の需要は私が大学生になった1990年代末期にはすでに縮小をはじめていたんですね。
 でも、私はお世話になったよ。パソコンで自分の好きな話題だけを検索していたらとうてい気づけなかったような未知の場所に行けたのも『ぴあ』のおかげ。山形からやってきた「Everyday おのぼりさん」状態だった私が東京を勉強することができたのも『ぴあ』のおかげだったのです。
 確か、三鷹かどっかの、駅からもけっこう歩かなきゃならない場所にあったコミュニティセンター(そこに着いた時、私は「東京の公民館はでげぇなやぁ~。ビルヂングみでぇな。」と喫驚したものです。)でひっそりと上映していた映画『本陣殺人事件』(監督・高林陽一 金田一先生・中尾彬)を観たのも、『ぴあ』を調べたおかげだったなぁ。私が生まれて初めて、かの名画『惑星ソラリス』を観た大森の名画座での特集上映企画を見つけたのも『ぴあ』で。あの時、映画館から帰るときに見た、夕陽に真っ赤に染まる大森の街の異様な美しさは忘れられません。

 こんな感じでえらく恩義のある『ぴあ』だったのですが、私も大学卒業の間際にぱったりと買うのをやめてしまいました。
 確か理由は、「表紙イラストの仲間由紀恵さん(だっかか誰か)が異常に似ていなく感じた」から。
 いや~……なんかショックだったのよね。たぶん、単に私の気分の問題だったのでしょうが、私の中のなにかがはじけた。

 それ以来、現在にいたるまで10年ちかく離れてしまっていたので、ここで急に「残念だなぁ!」と言うつもりはないのですが、まずは「どうもありがとう! あの時はお世話になりました。」と言わせていただきたいと思います。お疲れさぁーっした!


 さぁ、昔話はここまでにしておきまして、さっそく今回の本題である「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続き、2008~09年におけるモーニング娘。とハロー!プロジェクトの趨勢についての雑想をつづっていきたいと思います。って、こっちも昔話じゃねぇかァ!!

 2008年以降、ハロー!プロジェクトは依然としてモーニング娘。、Berryz工房、℃-uteの3本柱にエルダークラブ(現在のM-line club)のモーニング娘。卒業メンバーといった陣容を変えずに押してはいたのですが、モーニング娘。の企業CM出演やNHK『紅白歌合戦』への出演がぱったりなくなったことなどからもわかる通り、かつてのメディア露出の多さからは比べるべくもない「静けさ」を呈するようになっていました。

 かつてハロプロは、アイドルグループの他にも卒業後のごっちんやなっち、「最後のアイドル歌手」あややといったソロアイドルで強力な顔ぶれを擁していたのですが、2008~09年のころにはごっちんはエイベックスに移籍して、なっちやあややはそれぞれの次なるステージを模索して各自が「アイドル歌手」というくくりから去っていくこととなりました。これを無理に止める筋合いは他人の誰にもないでしょう。
 問題はその後継者なのですが、彼女たちの巨大すぎる穴を埋めるには「ハロプロエッグ」のみなさんはあまりにも「エッグ」すぎ、唯一のソロアイドルとも言える真野恵里菜さんは「穴を埋めます!」といった気合いをこめてギラッ、シャキッ、ドジャ~ン!と舞台に立つといった方向の似合う人ではなかったのです。
 これをさして真野さんを「ダメだなぁ!」とか「パッとしねぇなぁ~。」と言うむきがあるのもわかりますが、真野さんのあり方は「前にグイグイ出ない」魅力というか、「前にグイグイ出ざるをえないアイドルという職業に新鮮に真剣に戸惑いながら、それでもアイドルをやっている」という未完成の美、プロフェッショナルというものを常に自問自答し続けている苦悩の美というものを体現しているアイドルのあり方なのです。
 私は真野さんを「アイドル界の徳川秀忠」と言いたい。「悩まなくてなにが後継者だ」って話なんですよ! ともすれば真野さんは現在、実につらい日々を送っておられるかも知れないのですが、ぜひともここは我慢のしどごろと考えて快活にその道を歩んでいってほしいのです。
 「ガチでナンボ」と言われているせちがらい昨今のアイドル乱世事情にヘキエキしている人々にとっては、真野さんの透明でもろい存在感は非常に貴重なアジールになっているはずです。歌の実力も着実についてますし。がんばって、ちょ~だい!

 さて、ハロプロのソロアイドルについてはここまでにしておきまして、ここからはモーニング娘。の話であります。

 2007年にはからずも連続してしまった吉澤リーダーの卒業と藤本リーダーの脱退、そして新たに加入した光井愛佳・ジュンジュン・リンリンの第8期メンバーによって、モーニング娘。は以前にも増して21世紀初頭の「黄金期」のかおりを少なくした独自色を強めるグループに変容していきました。
 その2007年のなかばからほぼ2009年いっぱいまで続いた9名体制が、モーニング娘。史上最長の顔ぶれとなっていたことは前回にも触れたのですが、この「2年半ずっとメンバーがいっしょ」という選択にこめられたものは、まさに「キャンディーズ型からピンク・レディー型」への変身を通じて、彼女たちなりのアイドルグループとしての「誠」を頑として守り抜いていくという鋼のような決意だったのではないでしょうか。
 ここでの「誠」とは、今までも、そしてこれからも自分たちのパフォーマンスを観ようとしてくれる人たちに、その期待以上のものをご覧に入れてやるゼ!と立ち向かっていく「誠意」です。う~ん、ロマンだ!

 それまでのモーニング娘。は、必ず1年に1回は誰かが卒業するか誰かが加入するという、モーニング娘。そのもののアーティストとしてのクオリティとは別のところでの話題性を打ち出すやり方で世間の耳目を集めていました。もちろん、つんく♂さんの作詞家・作曲家としての資質も言わずもがなではあるのですが、むしろ「総合プロデューサーつんく♂」としての真骨頂は、新メンバーを入れて現役メンバーを成長させ、そんな現役メンバーにならって新メンバーも成長していく物語を継ぎ足していくタイミングセンスにあったような気がします。こういった定期的な「若返り」があるということは、言い換えればモーニング娘。の「中身」がいつまでたっても成熟しない「成長のリセット」が繰り返されていた、ということになります。
 この、「アイドルグループの成長をひとつのドラマとして提供する」やり方は、時代や人数こそ違うものの、あのアイドルグループの祖ともいえるキャンディーズの、無名からみるみるうちに成長してビッグアーティストになっていき、そしてグループの成熟をもって解散とするやり方を踏襲したものだったのです。

 しっかし! 2007年のなかばからメンバーを固定させたモーニング娘。は、当然のごとく着実にグループとしての成長を開始してゆくこととなりました。これはつまり、モーニング娘。の中で当たり前となっていた「成長のリセット」がなくなり、そのままズンズンと歌唱力やダンスパフォーマンスといった部分でのレベルが上昇してゆき、ビッグアーティストとしての「本物の」魅力をつけていく形態にかわったことを意味します。そして時は動き出す! ウリイィィィィャアァ!!
 ここで忘れてならないのは、モーニング娘。メンバー中屈指のベテラン(といっても20代前半)、2008年11月の時点でそれまでの在籍最長記録保持者だった2代目リーダー飯田圭織の7年3ヶ月を超えたツートップ、高橋愛と新垣里沙の2人が、2008年8月に放送された日本テレビの大型特別ドラマで、他ならぬ「ピンク・レディー」の役を演じていたということです! これ以上にわかりやすい意思表示はありませんやねぇ。

 ピンク・レディーといえば、「キャンディーズ型」、つまり自身の成長物語から生まれる感動をファンとともに分かちあっていくタイプとはまったく違った、圧倒的に独特な歌詞世界や他に類を見ないダンス、力強いヴォーカルなどでファンをグイグイとみずからの世界に引き込んでゆく「最初から完成された作品のクオリティ先行型」の最たるアイドルグループでした。
 つまりは、結成以来実に10年の長きにわたって「キャンディーズ型」を繰り返していたモーニング娘。が、ここにきてついに「ピンク・レディー型」に移行していく実力を発揮するにいたったことの象徴が、この「モーニング娘。によるピンク・レディーの再演」だったのです。まぁ、黙って再演させるほどピンク・レディーのお2人も老いていなかったわけなのですが。

 成長ドラマの舞台から、実力本位のプロ集団へ。この大きな方針転換がつんく♂さんの判断によるものだったことは言うまでもないのでしょうが、彼にそれを決めさせたことに当時のメンバーの実力が大きく関わっていたことは間違いないでしょう。上が実力本位と決めたとしても、肝心のグループにその力がなければどうしようもないからなのです。
 でも、当時のモーニング娘。はすごかった。なんといっても、リーダーの高橋さんの歌唱力と、汗だくでみせるパフォーマンスの美しさは本物なんですよ。

 2001年の加入当初、まだTV番組での露出も多かった時期での第5期メンバーおひろめがあった時、私はまだおさない高橋さんを観て、
「なんだか、えんどうまめみたいな顔の娘ッコが入ってきたなぁ……大丈夫かな?」
 と感じてしまいました。
 2007年の急な5代目リーダー就任の報を聞いても、
「え、高橋愛ちゃんがリーダーなのか。ミキティの後だからなおさら大変だろうなぁ。」
 といらぬ心配をかけていたものです。

 しかし。高橋さんの実力は本物だ。
 今まではモーニング娘。のメンバー10名ほどが持ち回りで曲を唄っていても、それぞれの声のくせや高低によって誰が唄っているのかをなんとかさぐり当てることはできました。
 ところが、どこを高橋さんが唄っているのかを判断する手がかりは、くせや高低ではありません。

 「声に芯があるかどうか」! 芯があったら、たやすくねじ曲がりそうにない強さがあったら高橋さん。

 はっきり言えばごっちんやミキティのようなわかりやすい華やかさや特徴はないのですが、高橋さんの歌唱の安定力はすでにアイドルの範疇を軽く凌駕しています。
 高橋さんのパフォーマンスは、激しいダンスも一瞬の軽いしぐさも、呼吸の取り方も汗のかき方さえもが彼女の歌声に説得力をあたえる血肉となっています。どれも邪魔にならない。っていうか、それらはすべて「歌手・高橋愛」のコントロール下におかれている武器なのであって、それらのぶれによって本体である歌声がおろそかになることなどありえないような気がしてくるのです。この安定感たるやもう、死線をかいくぐってきた一流のサムライのそれに近いと! いや、サムライに会ったことはないんですけど。
 言ってみれば、高橋愛さんは「アイドル界の近藤勇」なのね。こんなたとえばっかですみません!
 とりあえず最初に目立つのは他のメンバーだったとしても、最終的にいちばんグループにとって必要な頼れるリーダーが高橋さんなんですよ。

 そういえば、振り返ってみるとなっちに始まりごっちん、石川さんと歴代それぞれの時代でモーニング娘。の「エース」ともくされるメンバーはいたわけなのですが、グループの中で正式に決定されている「リーダー」でもありながら「エース」にも数えられていた方は、5代目リーダーのミキティと6代目現リーダーの高橋さんしかいません。そのミキティが突如としてグループを去ってしまった以上、この難局を打開できるお人は高橋さんしかいなかったというわけなのです。

 やたらメンバー全員をベタぼめしてもしょうがないので高橋さんだけにしてしまうのですが、この2008~09年の時期のモーニング娘。は、メディア露出を少なくした分、なおさらコンサートでのクオリティが上がったような気がします。
 黄金期に比べると「なんだかパッとしない。」「落ち着きすぎ。」と言われる当時の楽曲も、それはそれでストイックにハロプロの「アダルト歌謡部門」をになっていったことのあらわれであり、第一それなりの実力がともなっていなければとうていサマにならないレベルの高さの楽曲の連続であったことは確かです。
 つまり、かつての黄金期をふまえて成長を続けるモーニング娘。は、今さら『LOVEマシーン』や『恋愛レボリューション21』と同じ路線の歌に取り組む必要はなくなっていたのです。

 そういった、とびきりブッ飛んだモーニング娘。の新曲が聴けなくてさみしいのならば、コンサート会場に行ってそれらの名曲を唄う彼女たちを観に行けばよいのです。こういった意味でも、モーニング娘。は完全にTVの露出度やCD新曲の売れ行きに一喜一憂する存在ではなくなっていたのだと、あたくしは思うんだにゃー。コンサートに行けば会える。これこそが現役であることの最高のすばらしさです。
 私はこういった点では、音楽の方向性はまったく違いますが、モーニング娘。は現在の安室奈美恵さんに近い選択をしたような気がします。最大公約数の人々に薄く広く人気を得る時期はもう必要ではない、みたいな決然たる表情がかいま見えるんだなぁ。

 とまぁ、鍛えあげる日本刀のようにどんどんレベルを上げていった当時のモーニング娘。だったわけなのですが、2009年の終わりに起きたエース久住小春さんの卒業によって、リーダー高橋というかなめは押さえつつも、再びモーニング娘。は流動を始めていくこととなります。
 こうなるとねぇ。やっぱり現在のモーニング娘。とAKB48とが、同じアイドルグループとは言いつつも、いずれが優れているとか劣っていると議論できる関係では土台ないんだってことがわかりますよねぇ。闘っているフィールドがまるで違うんですな。「ライオンとトラ、強いのはどっち?」みたいな話なんですよ。


 さぁ~そんなわけで、みずからいくさ場を変えるようなかたちを選んだモーニング娘。だったわけなのですが、トップを得る回数こそ少なくなったものの、依然として他のアイドルグループからはひとつ頭の抜きんでた存在ではあり続けていました。しかし、そのバランスももはや累卵の危うきにあり。
 かろうじてPerfume が最初にその牙城を奪う栄誉にあずかったのですが、2008~09年にはついに! さきほども名前の出たAKB48が本格的に全国の注目をあび、モーニング娘。の次の時代をになうアイドルグループと呼ばれていくこととなります。

 っつうことで次回は、AKB48が単なる「アキバのおたくアイドルグループ」というカラを破って、まさに2011年現在につながる知名度を手に入れることとなった「AKB48の2008~09年」にうつりたいと思いま~す。
 いやぁ~、ここまできちゃいましたねぇ! ゴールまであと少し。がんばっちゃうぞ~。7月中には終わらないかもしんないけど。


 ……別に『しょうがない夢追い人』が1位でなくてもいいと思うんですけどね……もっと他にあるでしょ!?
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