長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第36回 『モーニング守誠。 2008~09 資料編』

2011年07月20日 23時44分53秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 ばばばばば。どうもきょんばんは~、そうだいでございます。蒸すわぁ~。
 台風が近づいてるんですか……ねぇ? でも、関東に上陸することはないとか。超大型とか言われてはいるんですが、大丈夫なのかしら。

 いやいや、でもそんなことよりも、私にとってはもっと重大なニュースがありました。
 ひとつは「よしおさん、さようなら~!!」、そしてもうひとつは「親友に第1子が。いらっしゃ~い!!」

 まさに去る者あれば来る者ありでございます。
 原田芳雄さんはもういろんな時代のいろんな映画に出ていらっしゃるので、どれが代表作かと考えることさえ意味がないような気がしてくるんですよね。若い芳雄さんもいいし、最近の枯れたようで枯れてない、俗人のようで俗人じゃない老人を演じている芳雄さんも独特の味わいがありました。山形県出身の私としてはどうしてもNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)の名ライヴァルキャラ「最上義光(よしあき)」役が思い出されるのですが、史実に合っているのか、これがNHKの大河ドラマなのか、そもそもこの人が戦国大名を演じようとしているのかどうか、そこらへんの一切を疑うことをまるでアホらしく感じさせてしまう、あの圧倒的な「どこからどう見ても原田芳雄」感には心底驚嘆したものです。どの時代のどんな役をやっても、善人はもちろんいくら悪人をやっても、必ず芳雄さんという人間の地のあたたかみが、セリフを言った後に相手の反応をちゃんと見つめる視線からにじみ出てきちゃうんですね。「憎めない人」とはこういう人のことなのかとしょっちゅう魅了されていました。合唱。

 んで、それに哀しんでいるヒマもなく、私の同年の親友に第1子が誕生したとのメールが。おめでとう!!
 2日も陣痛が続いたらしくて。大変だったね……男にゃあ想像もつかない命のやりとりですよね。
 お子に早く会いたいねぇ~。子どもに気に入られるためだったら犯罪以外のことならなんでもやるっていうのが私のポリッシーなんですよ。

 だって、次の時代をになう人には笑顔でいてほしいじゃねぇか。

 ……って、ウッソ~! ウッソ~! ただかわいいのが好きなだけなんですよ!! きゃわいい~きゃわいい~、イィ~っヒッヒッヒッヒ。※


 さぁ、こんな命の卒業と加入が絶え間なく続いている現世の中で、今日も今日とて「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きに入っていきたいと思います。
 前回からついに2008~09年に入ってきましてね、いよいよこの長い旅路のゴールも近づいてきた……らしいのですが、なんかますます情報量が多くなってきてゴールの「ゴ」の字も見えてきやしません。
 7月中に終わるかどうか……とにかく突っ走るのみですが、たぶんある瞬間に「あれっ、もうなくなっちゃった?」とぱったり終わるんでしょうなぁ。それはそれでややさみしい気もするのですが、も~うこんな調べもの調べものの日々はいい加減おしまいにさせていただきたいと! しんどいんだからしんどいんだから。「ブログって……こんなんだっけ。」とハッと気づく瞬間が自分でいちばん恐いんだから!
 でも、出てくる人出てくる人みんなかわいいからやっちゃうんだよねェ~。きゃわいい~きゃわいい~、イィ~っヒッヒッヒッヒ。(※にもどる)

 今回は同じ2008~09年でも、「王者」モーニング娘。とハロー!プロジェクトの流れを取り上げてみたいと思います。なにかと「落ち目」だ「パッとしない」だなどとくだらない言説の的となっていた当時のみなさんだったのですが、具体的に彼女たちはどのような路をあゆんでいたのでしょうか。
 じゃあ~いってみよう、高橋愛ひきいる「守誠のアイドルグループ」モーニング娘。の章にろっくお~ん。


これぞ王道・モーニング娘。いぶし銀の2008~09年

2008年
3月
・ハロプロエッグ所属で音楽ガッタスメンバーの真野恵里菜(16歳)がソロ歌手デビューのために音楽ガッタス、ハロプロエッグを卒業する

4月
・36thシングル『リゾナントブルー』が日韓同時でリリースされる(オリコン最高3位)
 ※韓国は金大中大統領政権の「文化開放政策」によって1998年から日本文化(映画・音楽・マンガなど)の輸入解禁を始めており、日本の音楽CDの輸入販売は2004年から解禁されていた
・ハロプロ関西の所属タレント4名によってアイドルグループ「SI☆NA(シーナ)」が結成される
 ※「ハロプロ関西」は芸能事務所アップフロントグループの関西エリア支部「アップフロント関西」のタレント養成部門で、関東のハロプロにおけるハロプロエッグのようなもの
 ※SI☆NAはおもに関西地区でのライヴ活動を精力的におこなっていたが、CDをリリースすることなく2011年4月に解散する

5月
・この月から翌6月にかけて、モーニング娘。初の本格的海外コンサートが台湾・韓国・中国で上演される(ツアーではない)

6月
・同年8月に東京・新宿コマ劇場で公演されるモーニング娘。と宝塚歌劇団との合同ミュージカル『シンデレラ』の宣伝のためにスペシャルユニット「High-King(ハイキング)」が結成され、1stシングル『C/C(シンデレラ・コンプレックス)』をリリースする(オリコン最高6位)
 ※High-King のメンバー構成は、モーニング娘。の高橋愛(21歳)と田中れいな(18歳)、Berryz工房キャプテンの清水佐紀(16歳)、℃-uteリーダーの矢島舞美(16歳)、ハロプロエッグの前田憂佳(13歳 のちのスマイレージ)の5名
 ※High-King は当初は期間限定結成の予定だったが、現在までコンサートなどでの活動を継続している
・真野恵里菜がインディーズ1stシングル『マノピアノ』でソロ歌手デビューする
 ※真野は翌2009年3月のメジャーデビューまでに3枚のインディーズシングルを発表
 ※真野は翌2009年6月の単独コンサートまでに、モーニング娘。やBerryz工房、℃-uteなどのコンサートに出演している
 ※真野の楽曲をつんく♂がプロデュースすることはほとんどなく、作詞はベテラン作詞家の三浦徳子(よしこ)、作曲は主にシャ乱Qのはたけ、たいせい、『愛は勝つ』で有名なKANが担当している
・前年から芸能活動を休止していた後藤真希(22歳)が芸能事務所をエイベックス・エンタテインメントに移籍して活動を再開する
・ニュージーランドに語学留学をしていた元モーニング娘。5期メンバーの小川麻琴(20歳)が帰国し、ハロプロでの芸能活動を再開する

7月
(テクノアイドルグループPerfume がシングル『love the world』で自身初のオリコン1位を獲得する)

9月
・モーニング娘。としては2枚目のカヴァーシングルとなる37thシングル『ペッパー警部』がリリースされる(オリコン最高3位)
 ※前月8月に放送された日本テレビの開局55周年記念特別ドラマ『ヒットメーカー阿久悠物語』(監督・金子修介 主演・田辺誠一)には、モーニング娘。の高橋愛と新垣里沙がピンク・レディーの役で出演
 ※ちなみのこの『ヒットメーカー阿久悠物語』には、℃-uteの鈴木愛理も桜田淳子役として出演している
・モーニング娘。の看板番組『ハロモニ@』(テレビ東京 毎週日曜昼12時30分から)が放送を終了し、2000年4月以来8年間続いていた旗艦番組『ハロー!モーニング。』の歴史に終止符がうたれる
 ※モーニング娘。の看板番組はその他にテレビ東京深夜枠のものがあり、そちらは現在放送中の『ハロプロ!TIME』(毎週木曜深夜1時から)にいたるまで継続されている

2009年
2月
・38thシングル『泣いちゃうかも』をリリースする(オリコン最高3位)

3月
・ハロー!プロジェクトの年長タレントグループ「エルダークラブ」全員のハロー!プロジェクト卒業が発表
 ※エルダークラブはハロプロメンバーの人数が増加した2006年に発足したくくりで、当初はモーニング娘。卒業メンバー、ココナッツ娘。メンバー、カントリー娘。メンバー、太陽とシスコムーン、メロン記念日、美勇伝、音楽ガッタス、後藤真希、松浦亜弥が所属していた
 ※エルダークラブにたいして、現役モーニング娘。メンバー、Berryz工房、℃-ute、真野恵里菜、ハロプロエッグは「ワンダフルハーツ」に所属していた
 ※これ以降はワンダフルハーツの所属メンバーがそのままハロプロのメンバーをさすということになる
 ※とは言っても、エルダークラブがアップフロントグループから離脱したわけではないので、コンサートなどでの共演は基本的にさほど変わらず続いている
・真野恵里菜が1stシングル『乙女の祈り』でメジャーデビューする(オリコン最高3位)
 ※真野は2011年6月時点までに10枚のシングルと2枚のアルバムをリリースしているが、オリコンチャート最高順位はこの時の3位となっている

4月
・先月にハロー!プロジェクトを卒業したモーニング娘。卒業メンバーと音楽ガッタスの16名が所属するファンクラブ「M-line club」が発足する
 ※2011年6月時点で所属しているのはモーニング娘。卒業メンバーの11名のみ
・ハロプロエッグから選抜された和田彩花(14歳)ら4名による新アイドルグループ「スマイレージ」の結成が発表される
 ※翌2010年3月までスマイレージは4枚のインディーズシングルを発表するが、所属はハロプロエッグのままとなっている

5月
・39thシングル『しょうがない夢追い人』がオリコン1位を獲得する
 ※2011年6月時点ではモーニング娘。最後のオリコン1位獲得作品となっており、女性アイドルグループ史上最多のシングル1位獲得数を更新している(11作)
 ※この作品の1位獲得によって、モーニング娘。第1~8期の歴代メンバー25名全員がオリコン1位を経験したことになる

6月
・ハロー!プロジェクトの夏恒例企画だったシャッフルユニットが4年ぶりに再開され、モーニング娘。、Berryz工房、℃-ute、真野恵里菜、ハロプロエッグをシャッフルした「タンポポ♯(シャープ)」、「プッチモニV」、「新ミニモニ。」、「ZYX-α」、「続・美勇伝」が結成される
 ※同時に、「あぁ!」からリーダー田中れいなが卒業し、かわりにハロプロエッグの佐保明梨(14歳)が加入して夏焼雅(16歳 Berryz工房)が2代目リーダーとなった「第2期あぁ!」が発表される
 ※第2期あぁ!のメンバー佐保は2011年4月にあぁ!とハロプロエッグを卒業し、5月に結成されたアイドルグループ「アップアップガールズ(仮)」のメンバーになっている

7月
・モーニング娘。がアメリカ・ロサンゼルスで開催された「アニメエキスポ2009」でコンサートを上演する
・モーニング娘。が矢口真里とともにテレビ東京の「地上デジタル放送化推進キャンペーン」のTVCMに出演する(自身の楽曲宣伝以外では4年半ぶりのCM出演)
・前月に結成されたシャッフルユニット5組と第2期あぁ!とHigh-King が参加したカヴァーアルバム『チャンプル1 ハッピーマリッジソングカバー集』がリリースされる(オリコン最高37位)
 ※『チャンプル1』はオリジナル曲のないカヴァー曲集で、結婚式で唄われることの多い『てんとう虫のサンバ』『ダイアモンド』『世界は二人のために』『秋桜(コスモス)』などの名曲が収録されている
 ※このアルバムに参加した7組のユニットはすべて、現在もコンサートなどで組まれて活動している
・ハロプロ関西のSI☆NAが、メンバー山田菜々(17歳)の卒業(ハロプロ関西も)により3人組となる
 ※山田はのちにNMB48メンバーとなっている

8月
・40thシングル『なんちゃって恋愛』をリリースする(オリコン最高2位)
・元モーニング娘。メンバーの「モーニング娘。OG」としてのグループ活動が増え始める
 ※メンバー構成は中澤裕子・飯田圭織・安倍なつみ・矢口真里・保田圭・吉澤ひとみ・石川梨華の7名

9月
・モーニング娘。のエース久住小春(17歳)が、12月でのモーニング娘。およびハロー!プロジェクトの卒業を発表する

10月
・エース久住小春の在籍最後のシングルとなる41st『気まぐれプリンセス』をリリース(オリコン最高4位)

12月
・宣言どおり、エース久住小春がモーニング娘。およびハロー!プロジェクトを卒業して芸能活動を休止する
 ※これによって、2011年6月までの時点ではモーニング娘。史上最も長く続いた(2年半)リーダー高橋愛・エース久住小春の9名体制が終結する
 ※久住は翌2010年7月からM-line club に所属して芸能活動を再開している


2009年に誕生したハロー!プロジェクトのアイドルグループ

スマイレージ(別表記「S/mileage」 2009年4月~)4人組
 13~14歳 和田彩花(14歳 リーダー)、前田憂佳(14歳)ら
 ハロプロエッグ出身のアイドルグループ
 グループ名の由来は、「スマイルをマイレージのようにためる」と「スマイルのエイジ(世代)」をかけたもの
 キャッチフレーズは「日本一スカートの短いアイドルグループ」
 どんな衣装でも必ずミニスカで、4人の脚線美をアピールしたコミカルなダンスが特徴的
 同年代の女子の日常をおもしろおかしくつづった歌詞と軽快なリズムが楽曲の魅力
 2009年につんく♂の提唱によりハロプロエッグの中から結成される
 2009年はモーニング娘。やBerryz工房、℃-uteなどのコンサートに参加しており、真野恵里菜のバックダンサーもつとめていた
 2010年2月につんく♂が提示した、「1ヶ月で1万人の笑顔写真を集めて笑顔のモザイクアートを作ったらメジャーデビュー」というミッションを成功させる(実際に集まったのは1万6000人分だった)
 2010年3月にハロプロエッグを卒業し、5月に1stシングル『夢見る15歳(フィフティーン)』でメジャーデビューを果たす(オリコン最高5位)
 メジャーデビュー以来オリコンシングルチャート10位内の常連になっているが、いまだ4位以上にランクインした経験はない
 2010年10~11月には東京・名古屋・大阪・横浜で初のライヴツアーをおこなう
 2011年5月に追加メンバーオーディションの実施が発表され、同年秋に新メンバーが加入する予定
 来月8月に6thシングルがリリースされる予定


 こんな感じでしょうか~。
 アダルト一直線のモーニング娘。におだやか一直線の真野さんということで、なにかと落ち着いた印象の多いそのころのハロプロ陣営だったのですが、後半にいよいよはっちゃけ一直線のスマイレージが登場してまいりましたねぇ! でも、若いからって生足の出しすぎは身体に毒よ。

 具体的なつれづれについては、まった次回で~す。

 真野さんって、現在のアイドル界でも屈指の美形というか、「男前」ですよね……ほめてんのよ!?
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第35回 『沸騰!第5次モーニング包囲網。 2008~09』

2011年07月18日 23時21分49秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 おうおうおうおうっ、邪魔するぜいっ。失礼いたします、そうだいでございます。
 いやー、なんか相当に危険な台風が近づいているようで。まぁ今日のところは特に影響のない暑い1日だったのですが。
 まぁ気温が下がってくれるのはありがたいんですが、極端な環境の変化は体調に気をつけないとねぇ。

 最近は近所の道端をうろついている野良猫が暑さで目に見えて激ヤセしており、日影の「すずしいポイント」を手足をめいっぱいに広げて寝そべりながら道行く人たちをにらんで、
「この場所は誰にもゆずらねぇ! ニャー! なんかくれ。」
 とがんばっている子もいたりして、「すさんだ世の中になったもんだ。」と感じていたのですが、台風になったらなったでそりゃ野良猫にとっちゃあ一大事ですよね。生物のいかんを問わず、フリーは大変だよぉ。


 そんじゃねぇ、今日もいっちゃいましょうか、えっちらおっちらと。とてつもない台風が来る前に、こっちの「嵐のような時代」にふれてみよう!

 さぁ、いよいよ絶対強者不在の戦国時代となってきたアイドルグループ界、2008~09年の動きを追ってみたいと思います。
 モーニング娘。ひきいるハロー!プロジェクトとAKB48軍団はそれぞれまた次回にあらためてやることにいたしまして、今回はそれ以外の方々を見ていくことにしますね~。
 ほんじゃおぱっ、おぱっ、おっぱじめていきますか! 現在とほぼ地続きのつながりになっているプチ過去に、た~いむすり~っぴゃ。


Perfume(パフューム 2000年~)3人組
 あ~ちゃん、かしゆか、のっち
 ※リーダーは決まっていないが、基本的にあ~ちゃんがグループの意志をとりまとめていることが多い
 広島出身の元祖ロコドル
 3人が中学3年生になった2003年4月に芸能事務所アミューズに所属し、活動の拠点を東京にうつす
 アミューズ所属を契機に、グループ名表記を「ぱふゅ~む」から「Perfume」にあらためる
 2003年8月にリリースしたインディーズシングルから、テクノポップユニット「capsule(カプセル)」の中田ヤスタカ(23歳)が楽曲プロデュースを手がけるようになって現在にいたる
 ※広島時代をふくめて5枚のインディーズシングルを発表している
 本格的なテクノポップ楽曲を歌唱しているが、プロデューサーの中田はメンバーの歌声も音源のひとつとして収録しているため、ライヴ歌唱では再現不可能な音声加工を施されていることも多い
 ※そのため、「口パク」であることが前提となっているライヴパフォーマンスも多い
 クールなテクノ楽曲と、歌以外での天真爛漫な3人の雰囲気とのギャップがたまらないグループ
 2005年9月に1stシングル『リニアモーターガール』でメジャーデビューし、2006年の暮れごろからネット上で配信された楽曲が話題となる
 2007年9月にリリースされた5thシングル『ポリリズム』がはじめてオリコンチャート10位内にランクインし(最高7位)、2008年7月の7thシングル『love the world』で自身初の1位を獲得する
 ※ハロー!プロジェクト陣営以外の女性アイドルグループによるオリコン1位獲得は、1998年のSPEED以来10年ぶりのことだった
 2008年以降は2010年までNHK『紅白歌合戦』に連続出場を果たしており、その他にもTV番組やCMへの出演などによって全国的な知名度を得るようになる
 2011年6月までに13枚のシングルと2枚のオリジナルアルバム、1枚のベストアルバムをリリース

恵比寿マスカッツ(2008年4月~)25名
 蒼井そら(25歳 初代リーダー)、麻美ゆま(21歳 2代目リーダー)、吉沢明歩(24歳)、Rio(21歳) ら
 テレビ東京の深夜バラエティ番組『マスカット』シリーズ(毎週月曜深夜2時)のレギュラーアシスタント陣により結成
 ※現在はシリーズ第4作『おねだりマスカットDX!』(放送時間は毎週水曜深夜2時20分からに変更)に出演している
 メンバーはAV女優かグラビアアイドルで構成されている
 グループ名の「恵比寿」は、番組の総合演出を手がけるマッコイ斎藤(38歳)の制作会社が東京・恵比寿にあるからという理由で、特に恵比寿を拠点に活動しているわけではない
 ※マッコイ斎藤は『マスカット』シリーズの他には『とんねるずのみなさんのおかげでした』の演出も担当
 約半年に1回の割合で、番組改編にあわせてメンバーの大幅な加入・卒業がおこなわれる
 いったん卒業したメンバーが再びOGとして復帰する場合も多く、2011年6月時点でのメンバー数は25名
 ※そのうち、番組第1作『おねがい!マスカット』から参加している第1期メンバーはは9名
 初代リーダーの蒼井は2010年3月に卒業(現在はOGメンバーとして復帰している)
 結成当初は単なる番組レギュラー出演者の集まりだったが、2010年ごろから本格的な歌手グループとしての活動を開始する
 2011年6月時点までに4枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしている
 2011年5月から開始された初の全国ツアーは10月に終了する予定
 代表曲 1st『バナナ・マンゴー・ハイスクール』(2010年2月 オリコン最高8位)

ももいろクローバーZ(2008年5月~)5人組
 12~15歳 百田夏菜子(ももた かなこ 13歳 リーダー)ら
 2011年4月までのグループ名は「ももいろクローバー」だった
 芸能事務所「スターダストプロモーション」の芸能ジュニア部門に所属していた女性タレントによって6名で結成される
 結成当初からメンバーの異動が多く、一時期は9名で活動していた
 結成メンバーで現在も所属しているのは百田、高城れに(14歳)、玉井詩織(12歳)の3名
 ライヴ活動を積極的におこなっており、キャッチフレーズは「今、会えるアイドル」
 ファンとの握手会、ハイタッチ会、抽選撮影会もライヴと同時に開催している
 インディーズシングル2枚をリリースし、2010年5月に1stシングル『行くぜっ!怪盗少女』(オリコン最高3位)でメジャーデビューを果たす
 メジャーデビュー以降は作曲家の前山田健一(28歳)がプロデュースを手がけている
 ※前山田はアニメ関連楽曲の制作を中心に活躍しており、作曲家として有名になる以前からニコニコ動画投稿者「ヒャダイン」として知られていた
 ※前山田は楽曲プロデュースの他、歌手「ヒャダイン」としても活動している
 メジャーデビュー以降はアニメ調で激しいリズムの楽曲とアクロバティックなダンスが持ち味となっている
 楽曲は常にオリコンチャート10位以内に入っているが、まだ1位を獲得したことはない
 2011年4月のメンバー早見あかり(16歳)の脱退をもって現在の5名体制となる
 2011年7月までに5枚のシングルをリリースしており、27日には待望の1stアルバムが発表される予定

YGA(よしもとグラビアエージェンシー 2008年7月~)10名
 17~21歳 谷侑加子(17歳 センター)ら
 よしもとクリエイティブ・エージェンシー(旧・吉本興業)のグラビアアイドルグループ
 2008年7月に東京・新宿の専用劇場「ルミネ the よしもと」の設立7周年を記念して結成され、東京を拠点に活動している
 「よしもと内の架空のグラビアアイドル事務所」という設定で、南海キャンディースの山里亮太(31歳)が社長、ハイキングウォーキングの鈴木Q太郎(34歳)がスーパーバイザーを務めている
 結成当初は吉本新喜劇の女優やよしもと所属の女芸人がメンバーとなったパロディ企画だったが、翌2009年8月にメンバーが全員グラビアアイドルとなってからは本格的アイドルグループとして活動
 月1回のペースでルミネ the よしもとや秋葉原の石丸電気などでのライヴをおこなっている
 メンバーの追加加入と卒業が定期的におこなわれており、現在は第2~6期メンバーが所属している
 2011年6月までに4枚のシングルCDと多くのグラビアDVDをリリースしており、シングルはじょじょにチャート順位を上げてきている
 代表曲 4th『情熱ヒロイン』(2011年6月 オリコン最高5位)

アフィリア・サーガ・イースト(2008年11月~)12名
 全国に展開しているカフェ&レストラン「アフィリア・グループ」から結成されたアイドルグループ
 カフェ&レストラン&バーを経営している池袋・上野・六本木店で働いている「魔法っ子メイド」従業員がメンバーとなっている
 グループのコンセプトは「学院」ということになっており、メンバーの入学・卒業もひんぱんにおこなわれている(現在のメンバーは12名)
 メンバーに関する詳細情報は非公表で、名前も「アヤミ・チェルシー・スノウ」や「ミィナ・M・フラーチェ」などとステキな感じになっている
 ライヴ活動の他に、ネットラジオやスカパー!チャンネルなどでレギュラー番組を持っている
 5枚のシングル(つんく♂作曲もあり)と1枚のアルバムをリリースしているが……ブレイクはこれから?

ぱすぽ☆(2009年1月~)10人組
 14~18歳 根岸愛(16歳 キャプテン)、藤本有紀美(16歳 チーフパーサー) ら
 若槻千夏・木下優樹奈らが所属する芸能事務所「プラチナムプロダクション」の新人育成部門「プラチナム・パスポート」に所属している女性アイドルによって結成される
 コンセプトは「みんなでつくるアイドルユニット」、「十人十色」
 グループメンバーとファンがブログやTwitterで議論しながら活動方針を決定していくスタイル
 活動の世界観が「空の旅」で統一されており、使用される用語も「メンバー=クルー」「リーダー=キャプテン」「ファン=パッセンジャー」「ライヴ=フライト」となっている
 メンバーは基本的にフライトアテンダントを意識した衣装を着ていて、キャリーバッグを使ったダンスも披露
 2009年1月に候補メンバー19名の体制で活動を開始し、ライヴや2回の選考会をへて同年6月に現在の10名となる
 結成当初からライヴ活動や演劇公演を積極的におこなっている
 2010年9月には中国・上海万博で初の海外ライヴを上演している
 1980年代洋楽ロック調の軽快な楽曲
 インディーズ時代に4枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしている
 2011年5月にメジャー1stシングル『少女飛行』をリリースして初登場1位を記録する(初週での売り上げ枚数は約4万3000枚)
 ※女性アイドルグループのデビュー曲のオリコンチャート初登場順位としては史上最高となる(それまでの最高記録は2007年2月の℃-uteの初登場5位)
 ※初登場1位ではないが、女性歌手グループのデビュー曲がオリコンチャート1位を記録したものとしては、あみんの『待つわ』(1982年7月 登場6週目で1位)とkiroroの『長い間』(1998年1月 登場9週目で1位)がある
 ※1位を獲得した翌週には順位が100位圏外に急落しており、話題性を獲得するために事務所がファンに複数枚購入を呼びかけていたことが物議をかもす
 来月2011年8月には2ndシングルがリリースされる予定だが……どうなる?

Tomaton'Pine(トマトゥンパイン 2009年4月~)3人組
 18~21歳 小池唯(18歳)ら
 メンバー個人のグラビアアイドルや女優としての活動も重視しているグループ
 2009年4月に、講談社『週刊ヤングマガジン』主催の「ミスマガジン2008」の受賞経験者である小池と奏木純(かなき じゅん 18歳)によってデュオとして結成される
 小池と奏木が同じ生年月日だったため、2人の誕生日である4月4日にインディーズCDをリリースしてデビューする
 同年の夏ごろから奏木が学業優先のために芸能活動を休止したため、デュオとしての活動は3ヶ月たらずで終了する
 翌2010年5月の奏木の正式脱退により、小池に新メンバーの草野日菜子(21歳)と和田えりか(18歳)が加入した3人組体制となって現在にいたる
 2011年3月にメジャーデビューをはたし、来月8月には2ndシングルがリリースされる予定だが……ブレイクはこれから?
 結成から所属している小池は、スーパー戦隊シリーズの最新作である『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011年~)にゴーカイピンク役で出演しブレイクしている
 現在は脱退した奏木純も芸能活動を再開している

bump.y(バンピー 2009年10月~)5人組
 10~18歳 桜庭ななみ(17歳)ら
 メンバー全員が個人の女優としての活動に重点を置いている「女優による歌手グループ」
 「でこぼこ」という意味のグループ名の通り、結成時からメンバーの年齢差が大きい
 実の姉妹である宮武美桜(13歳)と祭(10歳)が所属している
 TBSのネット配信ドラマ『bump.y』に出演していた6人の女優によって結成される
 結成当初は6人組として活動していたが、2010年ごろにメンバーの1名が学業優先のために芸能活動を休止したため5人組体制となって現在にいたる
 ライヴ活動の他にbump.yとしての演劇公演もおこなっている
 2011年6月時点までに3枚のシングルと1枚のカヴァーアルバムをリリースしているが……ブレイクはこれから?(オリコン最高30位)

DANCEROID(ダンスロイド 2009年10月~)4人組
 18~20歳 いとくとら(「いくら」と読む 20歳 リーダー)ら
 史上初の本格的ネットアイドルグループ
 ※「個人で活動するネットアイドル」自体は1996年ごろから存在が認知されている
 ※「ネットアイドル」とは、「専用サイト」を持って「自身の写真・画像を公開」して「一定の認知を受けている」、インターネット上を中心に芸能活動を行うアイドルのこと
 ニコニコ動画の「踊ってみた」カテゴリで活動している
 動画投稿以外にも、ライヴ活動やイベント出演を精力的におこなう
 2008年ごろからすでにソロ動画投稿を始めていたネットアイドルたちが集まってグループを結成
 結成当初は3人組だったが、メンバーの加入・脱退を繰り返して2011年7月からは4人組となっている
 メンバーの愛川こずえ(18歳)はアイドル好きを公言しており(特にハロー!プロジェクト陣営)、同年輩のアイドルグループでは中野腐女シスターズやバニラビーンズと交流がある
 2011年6月時点までに3枚のダンスDVDと1枚のアルバムCDをリリースしている


 ぜい、ぜい、ぜい……こんなもんかしらね。

 相変わらず「包囲網」のていをなしていない方々をムリヤリひっくるめて扱わせていただいているのですが、ついに包囲開始10年にしてやっと! ハロプロを超えてオリコン1位を獲得するアイドルグループが登場してまいりましたよ~。
 その栄誉に輝いたのは、AKB……じゃなくて! パフュームだったんですね~。

 パフュームの魅力はなんなのかと考えてみますと、それはもう3人の天性のものとしか言いようのない「ふんわり感」なのではないでしょうか。

 なにもアイドルの世界に限ったことではないのですが、プロフェッショナルとは自分の仕事に誇りを持ち、それが評価されることを無上の喜びとして、そのためならどんな努力も惜しまない人種であると思います。
 その一環として、時代によってその差はあるものの、美人だったりかわいかったりする女の子たちが汗水を流して歌やダンスのレッスンをかさね、それがうまくいかなかった時もうまくいった時も惜しみなく涙を流して感情をあらわす、といった姿をファンに提供することさえも立派な「プロとしてのアイドルの伝統コンテンツ」となっていきました。本人たちがどこまでそれを「武器」として認識しているのかは別としまして。
 そして、21世紀に入ってくるとアイドルグループのお仕事の中心は「歌を唄ったレコード(CD)の販売」から大きく「ファンの目の前でライヴをやる」のほうへと動いていき、あのAKB48の総選挙を見てもわかるように、「アイドルはファンの目の前で感情をあらわにして自分を主張してナンボ!」という風潮はいやましに増していくこととなり、その結果として世間の人々は……

 飽きた。

 ままま! 全国民がそうなったら2011年のAKB48天下は来なかったわけなので、正確には「加入だの卒業だの、汗だの涙だのに飽きてきた層がじょじょに増えてきた」と。で、そこを実に見事にさらっていったのがパフュームだったんじゃなかろうかと思うんですね、あたしゃ。

 パフュームには加入も卒業もありません。音楽性を変えようとしてヘンな方向に行くこともありません。競争意識を持つ必要などまったくなく、かといって単なる「仲良しクラブ」であるわけでもない非常に希有な空間に浮遊し続けているのがパフュームの魅力なのです。
 おそらくこれは、楽曲プロデュースはすべてを中田ヤスタカさんにゆだねておきながら、「パフュームがパフュームであること」に関しては他人の干渉を一切許さない、もしかしたら「時の流れ」にさえ介在させるスキを与えていないかのような3人独特の強力な「バミューダトライアングル」的結界が形成されていることに起因しているようなのです。こういうところの強さは実に広島っ子らしいと思うんですよねぇ!

 とにかくパフュームのあり方は、現在おおいにはやっているアイドルグループの全ての「ネガ」になっているのです。自分たちの楽曲への過剰なこだわりもなく、熱狂もなく、変化も起伏もなく不変の存在であるパフューム。その存在は太陽の光が強ければ強いほどその色を濃くしてゆく影のように、お寿司がおいしければおいしいほどほしくなる渋いお茶のようにますます存在感を高めていくのです。もう『ドラえもん』とか『サザエさん』の域ですよね……『水戸黄門』は終わっちゃうけど。

 それ以外のアイドルグループのみなさんも、2011年に入ってもまだまだ活躍している、というか現在になっていよいよノッてきたという勢いになっている感じですよね。

 しっかしまぁ……前回にもやったように、「握手券」だの「撮影券」だの「複数枚購入」だのといったセールス法は2006年ごろにAKB48が始めたのが最初ではあったのですが、ももいろクローバー(Z)さんやぱすぽ☆さんもよくやるよねぇ~。
 繰り返しますが、こういったいわゆる「AKB商法」はファンにとって大いにその意味があることだから成立することなのです。ぱすぽ☆のオリコン1位獲得も、事務所の戦略ということよりも、この不景気の世の中でも彼女たちのためにそれだけのことをしようとするファンがいた事実に注目するべきかと思います。

 でも、ぱすぽ☆のみなさんも大変ですよ……だって1stシングルの『少女飛行』には、中身がおんなじなのにジャケット写真が違う11種類のヴァージョンがあって、それを全部あわせた限定BOX(300セット販売)を購入した人は、自分の指定したメンバーと5分間話ができる権利がもらえたんですって。
 5分間×300人! でもこれ、メンバーの方は選ばれても選ばれなくてもどっちみちタイヘンだよねぇ。

 このへんは本当にガチというかガテン系といった感じの身体を張った仕事が目立つのですが、Tomaton'Pine や bump.y のように個人活動と並行したあり方の「各メンバーの成長の場」としてのアイドルグループや、恵比寿マスカッツやアフィリア・サーガ・イーストといった「企画もの」としてのアイドルグループも、みんながみんな地道なライヴ活動をちゃんと積極的にやっているのが21世紀ならではの特徴的ですね。昔はレコードやCDのリリースついでにちょっとイベント、といった程度だったのですがね~。ご苦労様でございます!
 bump.y はまさに女優グループといったおもむきで、りきんだ主張のない控えめで清純な空気感が独自の色となっていますね。かつての菅野美穂さんや上戸彩さん、瀧本美織さんや川島海荷さんのような方がグループからどう出てくるのか? もう時間の問題でしょうか。
 恵比寿マスカッツさんは今年なんと全国ツアーをやってるんだってんだからてえしたもんだよ。AVの歴史も1980年の誕生からはや30年。来るところまで来たねェ。

 YGAはかつて「企画もの」だったグループがよしもと色に頼らない本格路線に転向するといった道をたどったわけなのですが、こちらもそれまでのグラビアアイドルグループの、「グラビアのついでにちょっと歌でも。」という雰囲気とは一線を画した本気っぷりがじょじょに人気を伸ばしてきています。この方々も熱心にライヴをやっとりますよね。

 こうやって全体的に見渡してみますと、21世紀に入ってからAKB48軍団の始めた「ガチを見せるアイドル」「近いアイドル」といったあたりの影響を、全体的にそもそも体質からして違うグループまでもが色濃く受けていることが見えてくるかと思います。これはまさに2011年現在までに続いている流れです。
 応援しているグループが目の前で唄い踊ってくれるというのは素直にうれしいことなのですが、それとそのグループが全国的な知名度を得るということは次元のまったく違うことなんですよね。そういう意味でも、デビューにして堂々の1位をとったという「重み」を背負うことになってしまったぱすぽ☆が、これからどんな動きを見せるのかが非常に気になります。「ファン」と「世間」とのねじれという乱気流(タービュランス)の中でどんなフライトを見せてくれるのかしらん。うまくねぇ~!!


 っつーことで! 次回はそんな乱世の中を雄々しく生き抜いていこうと奮闘した「王者」モーニング娘。とハロー!プロジェクトに焦点をあてていきたいと思います。パフュームだAKB48だと言われていたそのころ、チャンピオンはどう苦悩し、どう決断して自身の活路を見出していったのでしょうか。
 そんじゃま、今回はぁこれまでっ。バーイニ~っ(知らないのに使ってます)。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第34回 『蠢動!AKB48 2006~07』

2011年07月16日 23時58分31秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 ど~もこんばんはー。そうだいです。みなさん、楽しく夏をお過ごしでしょうか? あたしゃもう、家が暑くて暑くてしんどうございます。労働意欲がさほどあるわけでもないのに、節電しつつも一応はクーラーのきいてある仕事場が恋しくなる季節ですなぁ。
 うちの昭和型扇風機はまさにフル回転の状態です。これがもし壊れたら、それはすぐさま私の死そのものを意味します。運命共同体っていうやつですね。頼んだぜ相棒、「サンヨー ダイナミック・ウインズ」!!

 なんかね~、ここ数日ず~っと毎日のように「アジの南蛮漬け」を食べてるんですよ。やっぱ夏バテなのかなぁ、アジの南蛮漬けしか食べる気がしねぇよ~。
 魚ブームがなかなか去らないんですねぇ。そこに来て最近の「汚染牛肉」問題ですからねぇ。
 自主退避区域が8月に縮小されるとか、じょじょにいいニュースも届くようになっているんですけど、やっぱり、3月の影響を色濃く残したまま夏はやって来ましたねェ。
 まぁ「魚肉は大丈夫だ!」ということもなかなか言い切れないところはあるんですが、もうオッサンになって重いものもしょっちゅう食べられなくなってきたので、もうしばらくは魚でいきたいですね~。
 さかなさかなさかな~ですよ。今も、うるめいわしの煮干しをかじりながら画面に向かっております。水と酢と塩と愛があれば生きてけるだろ。いえ~。


 そんじゃまぁー今回もこんな感じでね、さっそく「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きにはいっていきたいと思います。
 いよいよ! いよいよAKB48に本格的にふれていく時がやってまいりましたよ~。もうシリーズも34回かい。そろそろゴールも見えてきたかナ?

 今回は、2005年の後半に結成されて東京・秋葉原の専用のAKB48劇場(「劇場」は「シアター」と読みます)での毎日の精力的なライヴ公演を始めていくこととなったAKB48、その後の「全国的にブレイクするまで」となる2006~07年の動向を見ていきたいと思います。
 まずはじゃらじゃら~っといつものように年表にしてみることにいたしましょう。
 こんなかーんじっ!


AKB48「謎のアキバ系アイドルグループ」の時代

2006年
1月
・AKB48劇場に併設されていた喫茶店「48's Cafe」(2008年いっぱいまで営業)に勤務していた篠田麻里子(19歳)が秋元康の直接スカウトによりチームAに所属する
 ※篠田は最初の結成メンバーオーディションに参加していたが不合格になっていた

2月
・AKB48劇場での定期公演で、開始3ヶ月目にして初めて客席満員(キャパシティ250人)を記録する
・インディーズ1stシングル『桜の花びらたち』がリリースされる
 ※この次にリリースされた『スカート、ひらり』もあわせて、インディーズ時代の楽曲はAKB48チームAのメンバーが歌唱している
 ※同時に、ジャケット写真が違うだけの20枚BOXも500セット限定で販売され(価格2万6000円)、購入者は指定したAKB48メンバーとのツーショット写真撮影ができた
・AKB48メンバーと直接会話できるテレビ電話サービス(NTTドコモ)が開設される(翌2007年9月まで)
 ※『桜の花びらたち』はNTTドコモのテレビ電話のCMソングにもなっていた
・第2期追加オーディションが実施され(応募者総数約1万2000名)、大島優子(17歳)、秋元才加(さやか 17歳)、宮澤佐江(15歳)、河西智美(14歳)、小野恵令奈(えれな 12歳)らが合格する
 ※大島は子役、ジュニアアイドル(昔でいうチャイドル)としてすでに7歳のころから芸能経験があり、アイドルグループ「Doll's Vox」(ドールズボックス 2005年)のメンバーでもあった
 ※ドールズボックス時代にはのちのアイドリング!!!の横山ルリカと同期で、2009年の期間限定の選抜合同グループ「AKBアイドリング!!!」でも再び共演している

4月
・第2期生が所属するAKB48チームK(結成当初17名)が正式に発足し、主に大島がセンターをつとめる
・テレビ朝日の深夜バラエティ番組『三竹占い』のアシスタントとしてAKB48メンバーが初のTVレギュラー出演を果たす

6月
・インディーズ2ndシングル『スカート、ひらり』がリリースされる
 ※シングルの購入者特典は、「AKB48メンバーといく花やしきツアー」招待抽選券(300人)
・AKB48がインディーズ音楽グループとしては異例の音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日)初出演を果たす

9月
(東京・中野ブロードウェイを拠点としたライヴ活動中心のヲタクアイドルグループ「中野腐女子シスターズ」が結成される)

10月
・AKB48のメジャーデビューシングル『会いたかった』がリリースされる(オリコン最高12位)
 ※チームAとKの中から選ばれたメンバーが楽曲を歌唱する「選抜メンバー制度」が初めて導入される
・ファンクラブイベントでAKB48メンバー自身が出店で食べ物などを販売する「AKB秋祭り」が開催される
(フジテレビ専属のアイドルグループ「アイドリング!!!」が結成される)

11月
・AKB48による劇場以外での初のコンサートが東京・新宿の日本青年館ホール(キャパシティ1360人)で上演される

12月
・第3期追加オーディションが実施され(応募者総数約1万3000名)、渡辺麻友(12歳)、柏木由紀(15歳)らが合格する
 ※ここでの渡辺の加入をもって、いわゆるAKB48の「神7(かみせぶん)」が全員出そろったことになる
 ※柏木はかつて「モーニング娘。Happy8期オーディション」(2006年)にも参加しており、3次選考まで進んでいた

2007年
1月
・メジャー2ndシングル『制服が邪魔をする』がリリースされる(オリコン最高7位)
 ※現在のAKB48の楽曲のほとんどを担当している作曲家・井上ヨシマサ(41歳)が初めて手がけたAKB48作品
 ※井上は1980年代後半からアイドル歌手の作曲を始めており、小泉今日子・浅香唯・渡辺美奈代・中山美穂らの楽曲を担当

3~4月
・AKB48による初の全国コンサートツアーが東京・大阪・名古屋・福岡の4大都市で上演される

4月
・メジャー3rdシングル『軽蔑していた愛情』がリリースされる(オリコン最高8位)
 ※シングルの購入特典は、同年9月に開催される「AKB48メンバーの水泳大会」の観覧抽選券(170人)
(同月にリリースされたモーニング娘。の33rdシングル『悲しみトワイライト』はオリコン最高2位)
・前年に加入した第3期生によるAKB48チームB(結成当初16名)が正式に発足する

5月
・第4期追加オーディションが実施され、これ以降は合格者は「研修生」という待遇となってから各チームに昇格するという制度となった
 ※以後、約半年に1回のペースで定期的に研修生が追加されていくこととなる(2011年6月時点で最新の研修生メンバーは第12期生)

6月
・チームAの中西里菜(19歳 のちのAV女優やまぐちりこ)とチームKの秋元才加(18歳)と宮澤佐江(16歳)の3人組による、AKB48史上初のグループ内ユニット「Chocolove(チョコラヴ)」が結成される
 ※チョコラヴは2007年に2枚のシングルと1枚のアルバムをリリースする(オリコン最高18位)などして活動していたがそれ以後は活動を休止し、2008年11月にメンバーの中西がAKB48を卒業したために自然消滅している

7月
・メジャー4thシングル『BINGO!』がリリースされる(オリコン最高6位)
 ※チームBの渡辺麻友が選抜メンバーとして楽曲に参加した初のシングル
(同月にリリースされたモーニング娘。の34thシングル『女に幸あれ』はオリコン最高2位)
・この頃から、AKB48の人気メンバーのホリプロ、太田プロなど大手芸能事務所各社への移籍が始まる

8月
・メジャー5thシングル『僕の太陽』がリリースされる(オリコン最高6位)
・『週刊プレイボーイ』(集英社)と『週刊ビッグコミック・スピリッツ』(小学館)のグラビアページで、AKB48が結成以来初めて水着グラビアを披露する

9月
・AKB48が中国・北京で開催された「日中文化人懇談会2007」に招聘され、初の海外ライヴを上演する

10月
・メジャー6thシングル『夕陽を見ているか?』がリリースされる(オリコン最高10位)
・AKB48にとって初の冠番組となるラジオレギュラー『AKB48 明日までもうちょっと。』が放送開始となる(毎週月曜日夜23時35分から)

12月
・NHK『紅白歌合戦』に「アキバ枠」としてAKB48が初出場(2010年までの時点では、AKB48とモーニング娘。がどちらも出場した最初で最後の紅白)

※AKB48が約20億円の赤字をかかえている、などのネガティヴな噂が流れる
※いわゆる「AKB48商法」が世間のバッシングの対象となり、翌2008年2月にリリースされた8thシングル『桜の花びらたち2008』の販売方法をめぐるトラブルにより、AKB48の楽曲リリースを担当していたレコード会社デフスター(ソニー系列)はレコード契約を解除、AKB48は同年10月にリリースされた10thシングル『大声ダイヤモンド』からキングレコードに移籍することとなる


 まぁ~こんな感じですか。

 2005年の暮れの時点では20名だったAKB48ですが、2007年の暮れには50名を超える大所帯になっちゃいましたね。
 AKB48は定期的に約半年に1回の割合で追加オーディションを実施してメンバーを増加させていて、第4回からは合格者は「研修生」という枠におかれることとなり、そこから不定期にチームA・K・Bなどに昇格していくというシステムになっています。また、すでに結成から半年とたっていない2006年3月の時点で初の「卒業生」が出ていたり、素行不良などの理由から「脱退」処分となるメンバーもいたりして、AKB48は常にメンバー構成が流動的なアイドルグループとなっているんですね。
 ちなみにAKB48といえば有名なのが「恋愛禁止」というグループ規則なのですが、これはまぁ「職業アイドル」伝統の建て前のようなもので、さほどの厳密さは全国的にブレイクする時期以前には求められていなかったらしく、むしろ、「AKB48の品位をけがす」「ファンを失望させる」「グループ内の和を乱す」という点での行いを問題視する、いわばメンバー個人個人に組織的でプロフェッショナルな意識を要求するものとなっていたようです。カッチリしてるなぁ。

 ところで、AKB48の「48」という数字なのですが、これは別に「48名のメンバーによるアイドルグループである」という意味ではなく、総合プロデューサーである秋元康さんがグループメンバーの所属を芸能事務所「office48(オフィスフォーティエイト)」に依頼したときに、事務所社長の要請から社名の「48」をそのままくっつけただけなのだったとか。じゃあ「office48」の「48」の由来はなんジャラホイといいますと、これは社長のお名前が「芝(しば 48)」さんだったからだったのです。なんたる奇縁!!
 ただ、もともと「50名前後の大人数アイドルグループ」を構想していた秋元さんの意志にも沿ったものだったし、今から考えるとミョ~に「AKB48」というネーミングがダサくもなくおぼえにくくもなく絶妙なものに見えてくるのだから、世の中の「縁」というものは実に不思議なものです。


 さて、この時期のAKB48の成長ぶりを見てみると、現在の全国的な大ブレイクもまったく理にかなったことだと言える、過去のアイドルグループにはなかなか見られなかった「3つのエネルギー源」があったのではなかろうかと考えられます。
 
 すなわち、「チーム同士の激しい競争意識」、「ファンとの今までにない距離の近さ」、そして「総合プロデューサー秋元さんのガチすぎる先行投資」!! この3本柱ですよ。

 まずは「チーム同士の激しい競争意識」についてなのですが、AKB48はまだTVなどでのメディア露出が少ない初期において、拠点となるAKB48劇場での連日のライヴ公演がその存在のすべてと言っても過言でない重要度を持っていました。
 そのライヴ公演は、2005~07年の段階ではチームA・K・Bの3つが持ちまわりでそれぞれ別の公演をおこなうタイムスケジュールとなっていて、基本的にそれぞれは独立したチームとして活動していたのです。
 しかも時期をずらして結成された3つのチームはお互いに独自の空気感を持ったグループになっており、2009年におこなわれた大規模なメンバー再編成によってチームの中身がシャッフルされるまでには、同じAKB48と言ってもまるで「別のアイドルグループ」であるかのような各自の性格を持っていたのでした。

 2005年12月のシアターでの初舞台を踏んだチームAはまさにAKB48の結成メンバーであり、まったく無名でのスタートからさまざまな苦難を乗り越えて歴史をきざんできた伝説のチームとも言える立場で、以後に結成された他チームにとっても「お姉さん」のような大きな存在であり続けていました。2006年のインディーズCD2曲がチームAの歌唱によるものであったこともまったく無理からぬ話です。
 そのチームAにおくれること約5ヶ月、2006年4月に活動を開始することとなったチームKは、たかが5ヶ月されど5ヶ月、舞台経験という点で大いにチームAに差をつけられる屈辱的な立ち位置でのデビューを飾ることとなりました。交替で自分たち以上のパフォーマンスを見せつけるチームAの舞台に、どうしても自分たちとチームAとを比較して観てしまうファンの視線。チームKの公演は当初大幅な動員の減少を見せ、メンバーは非常に悔しい思いをしたといいます。
 ただ、そこから必死にチームAに追いつけ追い越せと一致団結していったのがチームKの素晴らしいところで、メンバーの結束の強さと根性は随一のものを持っていました。まさに苦労の「次女」!
 それに比べて2007年に結成されたチームBは「ちょっと年の離れた三女」といったおもむきで、そうは言っても他のチームとは1~2年の差しかないわけなのですが、彼女たちがデビューした頃にはすでに公演はチームにかかわらず連日満員という盛況ぶりになっており、ファンからも「おさない妹」の成長を見つめるかのようなあたたかい目で見守られる存在となっていました。
 しかし一方で、結成前にチームBに所属する人数が13名に減少してしまい、急遽チームAから数名がチームBに異動するという対処がなされた時、チームAではまるで誰かが左遷されるかのような重苦しい空気が流れたと言われています。いい意味でも悪い意味でも、AKB48はチームごとに完全に分化した集団になっていたんですなぁ。
 また、メジャーデビューから楽曲CDづくりの際に一貫して適用されている全チームとりまぜての「選抜メンバー制度」も、グループ全体メンバー1人1人の競争意識の向上に不可欠なシステムになっていると言えるでしょう。なんだかモンゴル帝国みたいな戦闘に明け暮れる集団に見えてきました……

 ここで注目しておきたいのは、チームKで結成当初からセンターポジションをとっていた大島優子さんの存在で、彼女の当時17歳にして芸歴10年という経験の豊かさはチームAの面々に対してもまったくひけをとらないものがありました。
 かつてまったく認知されずに消えていったアイドルグループのメンバーでもあった経歴のある大島さんは、チームKの中でも特に「上を目指していく姿勢」の中心となり得た人で、彼女たちチームKのつくり出した競争意識がAKB48全体の「切磋琢磨」の原動力ともなり、めざましい躍進の結果、現在の栄光をつかむこととなったということは間違いないでしょう。そういう意味では、大島さんがチームKに所属したことはAKB48にとって最大級の「天佑」だったのではないでしょうか。

 次に「ファンとの今までにない距離の近さ」ということなのですが、定員250名という規模のシアターでの連日公演(チケット代は1000~2000円)という段階で、すでにただのTVの中のアイドルグループとは一線を画した身近さがあったものの、ライヴ以外でのファンとの交流のしかたも大いにサービス満載なものとなっていました。
 初期ではライヴ後の「お見送り」から始まって、ひんぱんに行われる握手会やテレビ電話でのメンバーとの直接会話、ツーショット写真の撮影にメンバーのつくった焼きそばやたこ焼きが食べられる交流イベントの開催、はてはメンバーと一緒に花やしきで遊ぶバスツアーまでやるというエル・ドラドオぶり。
 もちのろん、それなりの「出費」をともなった上での現役アイドルとの常識外の近さではあったのですが、これはまさに秋葉原を中心に活動していた頃のAKB48ならではの体当たりのサービス体制でした。
 これにあわせて忘れてならないのが、アイドルだけではなく運営側とファンとの距離も非常に近いものがあったという点で、2006~07年ごろには運営者、時には秋元康おんみずからがファンとの直接対話をはかってAKB48の活動にかんする意見を聞き今後の方針を語り合うということもあったのです。それ以外にもAKB48はファンの要望に柔軟に対応したさまざまな企画を実行に移しており、ファンはただお金を払って応援するというだけではなく、まさに「AKB48というアイドルグループをつくることに貢献している」というこれまでになかった楽しみを味わうことができていたのです。
 昨今は「なんでおんなじCDを何枚も買うんだ?」や、「どうして自分の顔をおぼえているわけでもないアイドルのために何万、何十万とお金をつぎ込めるんだか……」といった、いわゆる「AKB商法」にたいする疑問や批判の声があがっていますが、これが単なる「運営者側の一方的な搾取」だけで成り立っていることなのではなく、その一方で「自分の要望をかなえてくれるAKB48だから」「お金という形でも、確かに応援しているメンバーに思いを届けることができるから」というファンの熱烈な期待があってはじめてできあがる相互関係なのだということを忘れてはいけないでしょう。そういったつながりの延長線上に、あの名高い「AKB48総選挙」もあるんじゃなかろうかと思うんです。

 ただ、現在こうやってAKB48がシアター時代を何万倍という規模で上回る人気を持つ集団になってしまった以上、今後のファンとの関係がファンの期待どおりのものになってくれるのかどうかは未知数なのですが……どうなるでしょうねェ。

 3番目の「秋元さんのガチ感」というところなのですが、これはもう、秋葉原に無名のアイドルグループのために全面昇降可能のステージと充実した音響・照明設備を持つ専用劇場をつくったり、まだインディーズの時代からシングルが深夜ドラマのテーマソングになるは天下のNTTのCMソングになるは、レギュラー出演の番組を持つは『Mステ』に出演するは。だいたい、2005年12月の初ステージの段階ですでにAKB48のためだけに11曲ものオリジナル曲を用意していたというところから、まだ50歳を前にする若さだった秋元さんの「ガチ」のほどが伝わってきます。あの『川の流れのように』の秋元さんがよ!?
 この秋元さんのただならぬ本気モードに業界は震撼し、一般にはまだまだ認知されていなかった2006年の段階でもAKB48という新人グループのステージには多くの関係者が足を運んでいたようです。まさに「ざわ、ざわ……」の空気ですね。
 要するに、同じライヴ活動中心のアイドルグループだったとしても、AKB48と中野腐女子シスターズ(現・中野腐女シスターズ)とではできることのポテンシャルが違いすぎたということなのです。いや、中野さんのほうがふつうなのよ!?
 思えば、よく「おニャン子クラブの生みの親」とも言われることの多い秋元さんなのですが、当時の実態としては「複数いる放送作家の1人」で「楽曲の作詞家」だったというだけのことで、AKB48でこそ、秋元さんは初めて「生みの親」たる総合プロデュースに全力で取り組んだのだと言えるのではないでしょうか。まさにすべてを賭けています。
 そういえば、よく見てみるとおニャン子クラブとAKB48とでは、ショートケーキとウェルダンステーキほど中身が違いますからねぇ。AKB48はあまくねぇよ。

 とにかく、「AKB商法」と言われるものだって、限定盤CDに劇場盤CDにメンバー別ポスターに特製ゆかたに、いい感じにパンツがチラッと見える(私そうだいは容認できません。)メンバー全員分のミニスカ衣装にイベントのためのプール貸し切りに果ては花やしきの貸し切りと、無名のアイドルグループには不相応すぎる異常なまでの規模の「先行投資」がなければ成立しえないものでした。そういう点では2007~08年にまことしやかに流れていた「AKB48大借金」のうわさも、秋元さんの長期的な計画の計算内の出費だと言えたのではないでしょうか。
 それまでのアイドルグループならば、「出したレコード(CD)のヒットなどで得られたもうけや知名度を使って次の仕事をスケールアップさせる」という、一歩一歩進んでいくブレイクの手順が常識だったのに対して、秋元さんのやり方は数年先の効果を見越した戦略だったというわけなのです。現在のAKB48が、活動初期の先行投資をなんなくペイできる巨大な利益と名声を手にしていることは議論を待たない事実でしょう。よっ、天才! さすがは『もしドラ』のお師匠。


 まぁこんなわけで、大いなるブレイクの可能性を秘めたまま暮れていったAKB48の2007年だったのですが、その最後の日に放送されたNHKの『紅白』でも、まだまだ「よくわかんないアキバ系のおたく向けアイドルグループ」というイメージは容易にぬぐいがたくまとわりついていました。
 その年の『紅白』はハロー!プロジェクト設立10周年ということで、ハロプロ陣営からはモーニング娘。を筆頭とした総勢46名がドド~ンと出演していたのですが、たいするAKB48の43名はしょこたんやリア=ディゾンとひとからげにされた「アキバ枠」というかたちでの出演となり、唄う歌が終わったらチャッチャと退場するというなんとも対照的なあつかいになっていました。しかも、同じアキバ枠にいたディゾンさんのあまりにもアレな歌声のために、まじめにがんばった分だけAKB48が目立たなくなるという悲劇が。ちなみに、その年の『紅白』は「白組」の勝ちでした。全員負けかよ!

 という『紅白』の待遇を見てもおわかりのように、少なくとも2007年の段階ではモーニング娘。とAKB48との関係は、全国的な知名度という点ではまだまだモーニング娘。優勢という状態が続いていたのですが、一例をあげると、当時のそれぞれの楽曲のCD売り上げ枚数ではAKB48がだいたい2万枚クラスであったのに対し、モーニング娘。は4~5万枚という実績をたもっていました。
 まぁ、「ダブルスコア」っちゃあ確かにそうなんですけど、たかだか2~3万枚という差は、追われるモーニング娘。にしても追うAKB48にしても非常に肉薄した一触即発ギリギリの関係になっていました。こりゃてえへんだ!

 こんなスリリングな状況をふまえつつ、次回からはいよいよ日本のアイドルグループ界が加熱していくこととなった2008年以降の動向に迫っていきたいと思います。
 さぁ、盛り上がってまいりました!!


《追記》
 実は今回の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の第34回、私そうだい、文章をまるごと1回うちなおしております……最初っから最後まで。
 なんでかって? 暑さでパソコンがフリーズしちゃったからさ。そして、パソコンが古すぎてブログのバックアップ機能を反映できないからだになっていたからさ! 笑うなら笑えよ、ギャハハハ!!

 いったんは「もうアイドルグループ史自体やめにしちゃおうかなぁ……あっちいし。」というところまで自暴自棄になりかけた私だったのですが、その時、復旧したパソコンのスクリーンセイヴァーに写っている亀井絵里(モーニング娘。第6期生)さんが私にほほえみかけてこう言ってくださいました。

「もう1回うちなおせばいいんじゃないっすかぁ~? どうせヒマなんだし。あひゃひゃひゃひゃ。」

 ……もういちど、立ち上がってみるか。

 ということで、今回のブログは亀井絵里さんの笑顔なしでは完成しませんでした。ひいてはこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」全体も。

 今回の文章を、何度スベッてもまた再び立ち上がる勇気を失わなかったエリック亀造さんに捧げます。


 ……AKB48の話題だったんだけどね。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第33回 『モーニング苦境。 2005~07 雑想編』

2011年07月14日 22時52分51秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 ばもら~。どうもこんばんは、そうだいです。今日も暑かったですね……みなさま、体調もそこなわずにお元気でいらっしゃいますでしょうか?
 暑いは暑いんですけど、まあまあ、今のところ私の町はさほどヒドいということもなく、適度に風も吹いて適度に夕暮れ時あたりから気温がさがってくれる常識の範囲内の夏におさまっていてくれているような。これからがこえぇよ~。8月フォーウッ。
 高校球児はすげぇな、ほんと。こんな状況で全力を出し切らなきゃならんのですからね。そりゃかりんとうみたいな容貌になっちゃいますよ。燃えつきろォ~。

 話は変わるんですけど、宮尾すすむさんが亡くなられましたね。
 私、はっきり言って全盛期の宮尾さんは知りません。ギリギリ1980年代生まれだったためかTV番組の司会をバリバリやっておられた宮尾さんを観た記憶はとんとなくて、もっぱらCMに出ていた姿か、そのマネを脈絡なく突然しだす井手らっきょさんしか観たことがなかったのです。
 でも……好きだねぇ~、あの「ハイッ!」てやつ。意味ねぇ~。でもなんか真剣にやってる~。ホント好きでした。一発芸は「行為の徹底的な意味のなさ」と、「本人にしか筋の通っていないそこでそれをやる必然的な理由」という両極端な価値観が正面切ってぶつかりあうところがいいんだろうなぁ、と子供心に感じていたものです。そういう意味では「ガチョ~ン」とか「アジャパー」の系譜を継ぐ正統な「昭和最後の一発芸」だったんですねぇ。
 またお1人、昭和の「うさんくささ」を体現できる方がこの世を去ってしまいました。非常に残念です。
 いや、TVであれラジオであれ、ショウの司会者の「うさんくささ」って、すっごく大事だと思うんですよ。だいたい、観た人全員が感動できたり全員が笑えたりするエンタメなんてないんですから。観た人それぞれが信じたり疑ったりいろんなことを考えるのが「情報」の正しい受け取り方だと思うので、それを提供する顔も、観る人に注意をうながす「うさんくささ」があった方が親切だと思うんです。そういう点でも、宮尾さんのオーラには「誠意あふれるうさんくささ」があって芸能人こそ天職だったんだろうなと思うんですね。
 (顔の前や周辺で両手を高速で交差させてからビッとキメて)ハイッ、ハイッ、ハイッッッッ!! R.I.P.


 しゃてしゃて、そりでは今回も、いよいよ佳境に入ってきたような気がする「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きにまいるといたしましょう。
 もうね、いよいよ5年以内にせまってきましたから、2011年が。今月中には終わる……かなぁ!?

 前回はいよいよモーニング娘。の様相が変化してきた2005~07年のおもなハロプロ関連トピックをあげてみたんですけど、まずはやっぱり、モーニング娘。のメンバーの顔ぶれというおおもとの所が急激にガラガラッと変わったことがわかりますね。
 2007年5月のよっすぃ~こと4代リーダー吉澤ひとみの卒業をもって、ついにミリオンヒットを連発したころの黄金の1999~2000年に在籍していたメンバーが全員グループを去ることとなったのです。
 とは言っても、中澤・飯田・矢口といった元リーダーの面々はソロ活動を通して同じハロプロのメンバーとしてモーニング娘。とは常に近い距離の場所におり、TV番組でも当たり前のように共演している姿がしょっちゅう見受けられたので、さほどハロプロ自体がさみしくなったというイメージは持たせないものとなっていました。卒業したばかりの吉澤前リーダーと石川元エースもそれぞれ「ガッタス・ブリリャンチス(ならびに音楽ガッタス)」と「美勇伝」という形で強力に後輩たちをサポートしていました。
 こういった点から見ると、2005~07年は「新生モーニング娘。」「Berryz工房」「℃-ute」といったハロプロ次世代グループを、なっち・ごっちん・あややといったソロアイドルやモーニング娘。在籍経験者が顔となったユニットやそれら全体がシャッフルされた期間限定のスペシャルユニットが盛り立てていくという新体制ができあがった理想的な時期となっていたのです。

 だが、しかし。

 実のところ、そういったビッグな世代交代がせちがらい芸能界の中でスムースに進むはずもなく、だいたい2005年の矢口リーダーの電撃脱退あたりから加護ちゃんのハロプロ謹慎・アップフロント解雇騒動、モーニング娘。5期メンバー紺野・小川のちょっと早い卒業や藤本リーダーの電撃脱退にごっちんの不幸なハロプロ卒業(翌2005年の事務所移籍)と、ちょっと立て続けにさまざまな形での「退場劇」が演じられたことは、少なからず世間に「あぁ……ある時代が終わろうとしてんのかねェ。」というよくない空気を広げるものとなりました。

 いっぽうで7期にあたる久住さんや8期となる光井・ジュンジュン・リンリンといった新たな面々もどんどんモーニング娘。に加入していったわけなのですが、まぁ~成長しながらトップアイドルという地位を守り続けていかなくちゃならないんですから、大変なもんですよ。
 特に、1回分のオーディションがまるまる「なしよ」になった上で鳴り物入りで新エースとして登場してきた久住さんはがんばったことでしょう。

 しかし、久住さんって、圧倒的にビジュアルが「浮きます」よね……いや、これは悪いことじゃないですよ!? むしろスターの条件ですよね。
 まぁ~とにかくあの典型的な「あま~い」顔立ちが古風なんですよ。ここでいう「古風」とは、戦前の美人顔とか平安時代の美人顔とかじゃなくて、「1980年代」にもてはやされたアイドル顔って感じがするんですけど、どうでしょうか。あのたれ目が気になる気になる! どうしても目がとまってしまいます。
 映画の『フォレスト・ガンプ』みたいに、CG映像処理でおニャン子クラブの中に久住さんがまじってても違和感ないくらいですよね。

 いやぁ~その手がまだ残っていたか!という感じで、はや20名ほどの美人、個性的、さまざまな顔ぶれを数えていた中でも、さらに今までにないタイプの新エースを迎えたモーニング娘。だったわけなのですが、実のところ、ど~もこの時期での久住さんの加入は1999年でのごっちん加入ほどのセンセーショナルな効果をあげるものにはなりませんでした。
 しかしその原因は、久住さんの素質や他のメンバーたちとの相性だなんだといった1人や1つのグループの責任で語られる規模のものではなかったように思えます。久住さんと他のメンバーとの相性については、ライヴやその他の番組でのからみかたを観れば問題なぞあるはずもないことは一目瞭然ですし、久住エースをむかえての2年半の9名メンバー体制が、15年にもなろうかというモーニング娘。の歴史の中でもっとも長く固定されたものだったこともその証拠となるでしょう。だいたい久住さんの「浮き方」はグループの批判にはならないでしょう。だって「久住さんの容姿が浮かない集団」なんか、芸能界であれ普通の世界であれ当時の日本に存在していたでしょうか、いやない。
 それだけに、ソロでアニメの主人公として歌を唄うという、たとえプロのアイドルだったとしても生半可なヴィジュアルでは1秒たりとてもたないような荒行をやってのけた「月島きらり」としての活動を、久住さんがこれ以上ないようなフィット感で楽しんでいたのはまさに本領発揮というか「モーニング娘。以外にこんな仕事もあってほんとによかったね~。」というか。ヒットもしてたしねぇ。や・ら・な・い・か!

 だとしたら、この2005~07年におけるモーニング娘。の動向がいまひとつそれまでに比べてパッとしなかったのはなぜなのか。
 そりゃもうやっぱり、モーニング娘。というかハロー!プロジェクト全体が、いろんな意味でファンやお茶の間から「遠い存在」になってしまったからだったのではないでしょうか。
 いや、ハロプロはスケジュールとしてコンサートツアーやミュージカルを引き続いて精力的におこなっており、その点ではファンの期待にこたえることを決して忘れてはいませんでした。
 問題は、そのころからハロプロなりつんく♂さんなりが打ち出してきた「理念」のようなものが総じていささか大きすぎるものになったのではないかと。

 2003年ごろからハロー!プロジェクトは日本のスポーツ業界の振興にも大いに参入してくるようになり、女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」を応援するかたちでの本格的なフットサルチームの運営や、設立したばかりのプロ野球東北楽天イーグルスの公式応援歌担当をつとめ、そうかと思えばごっちんやあややが総理大臣や外国来賓のディナー会場で歌唱したり犯罪防止キャンペーンの大使をつとめたり、2004~07年には地球温暖化・環境破壊問題を啓発するエコイベント「熱っちぃ地球を冷ますんだっ。文化祭」を大々的に主催したりして、次第に大きな「国民的アイドル」としての仕事をになうようになっていきました。
 かと思えば、2006年の暮れにはつんく♂さんが「アジアの中の日本としての新しいモーニング娘。の形を表現していきたい。」という、ちょっと唐突ともいえる発言をしており、現に翌07年にはアジア的・世界的な規模でのコンサート活動や中国人2名のメンバー加入といった新機軸をズビズバと決行していくこととなりました。

 こうなると、やってること自体に異議はないんですけど、やっぱり存在が遠くなるというか、身近なアイドルという印象はなくなってしまいますよね。
 そもそも、モーニング娘。の魅力のひとつには、特に愛情関連でのあんまりおおっぴらには言いたくない嫉妬とか未練、ストレートな怒りといった感情を正直にぶっちゃけてしまう「人の弱さ」をいとおしんで、そこから逆境をうち破っていこうと唄いあげていく赤裸々さがあったかと思うのですが、こうも国家やエコやアジアといった「まさにその通り!」な大義名分をふりかざす集まりになっちゃうとね……

 ただ、そこらへんを敏感に感じ取ったのか、モーニング娘。が2005~07年にリリースした楽曲は、ある程度は上のようなテーマにそったものもあったものの、むしろ多くは1997~98年のシンプルだった頃の原点に回帰したかのような「女のアグレッシブさ」を唄うアダルト歌謡になっています。『SEXY BOY』とか『女に幸あれ』とかは痛快なくらいに言いたいことがハッキリしている王道の「情念ソング」ですよね。湿度の差はありますけど。

 でも、そこがいかんのよ! 結局、そういったモーニング娘。とハロプロとの色の違いがどっちつかずのアイウォンチュウに見えるようになってしまったんですね。イメージがきれいに半々になってしまったので、総合的な印象がボンヤリしちゃった。

 また、引き続き悪化していたCDの売り上げ不振というところも無視できなくなっておりまして。
 2007年は、モーニング娘。にとってシングル総売り上げ枚数とオリコンチャート1位獲得回数が女性アイドルグループの中でトップとなるという記念すべき年となったのですが……まぁ実状は簡単にこれからのことを楽観視できるようなものではありませんでした。
 
 同じオリコントップでも、売り上げ枚数などでは大きな違いができていたんですね。
 まさに2000年代前半のトップ獲得が徳川幕府でいう3代将軍家光のありあまる力をもっての京都上洛だったとしたら、2007年の『歩いてる』でのトップ獲得は将軍暗殺計画のうわさとか「天誅!」とかがムンムンしていた幕末に14代将軍家茂(いえもち)が「これをやんなきゃ幕府の威信にかかわるから……」という理由でムリクリ息も絶え絶えで敢行した京都上洛だったってぐらいに落差があったんですな……って、このたとえで「そうなのかぁ!!」って納得できる方、いらっしゃる?

 物は言いようなんですが、こういった一連のハロプロのマクロ化とモーニング娘。の原点回帰ミクロ化という分裂現象は、「迷走」というよりも今まで「モーニング娘。=ハロー!プロジェクト」という一枚看板体質をなかなか変えられなかったアップフロントエージェンシーなりつんく♂さんなりが、CD業界の不振とともに共倒れになるのをふせぐために必死に分離してそれぞれを独立させようとした前向きな試みだったのではなかろうかと思えるんですね。
 だいたい、いくらデビュー時からず~っとトップアイドルグループとしてのひとかたならぬ修養を重ねていたとはいえ、当時のモーニング娘。に残ったうら若い5・6期メンバーにハロプロ全体を背負ってもらうことは無体な話であり、おぎゃーと生まれたばかりの7・8期の世話をすることで手一杯だった彼女たちには、とにかく「地味だ。」と言われても「最近TVで見なくなったわねぇ。」と言われても、まずファンのみなさんに満足してもらう基本的なところをおさえたプロになる修行に専念してもらう時間は不可欠なものだったのです。

 実際、2005~07年の歌番組のスタジオ収録でモーニング娘。が歌唱している映像をいくつか観てみると、ちょ~っとPVとのあいだに無視できないクオリティの差があるように見受けられるんですね。まずはライヴの経験値を重ねること。まさにこの時期、モーニング娘。はあせってツブれるか実力を積んでのちに花を咲かすかの瀬戸際に立っている時だったのです。ここはガマンだ高橋リーダー!
 この時期は大事ですよ。こういう雌伏の時期があったからこそ、モーニング娘。は2011年の今、いぶし銀の権威あるアイドルグループ王者の座をたもつことに成功しているわけなのです。

 確かに現在、世はまさにAKB48の天下に見えるようなのですが、さぁこれからどうなるのか……権力のAKB48はんと権威のモーニング娘。はん。はたして何年後かに生き残っておじゃるのはどっちでおまっしゃろなぁ?って、今度はモーニング娘。が京都の朝廷になっちった。もうむちゃくちゃです。

 最後にちょっと、AKB48の話題が出てきたのであるひとつのポイントでのモーニング娘。とAKB48とのグループの違いをあげておひらきにしたいと思います。

 AKB48といえば、いろんな局面で一般のファン層が(お金を払えば)チームの運営に直接自分たちの意志を反映させることができるという「総選挙」がよく引きあいに出されるのですが、実はモーニング娘。も、かつて一度だけファンの意見をメンバー作りに導入してみようか、という動きがあったことがありました。

 2002年10月から2003年1月にかけて行われたモーニング娘。の「LOVEオーディション2002」のことなので、今回とりあげた時期のことよりもちょっと前のことになるのですが、最終的には亀井・田中・道重にソロアイドルだったミキティのサプライズ加入という結果となったこの時のオーディションは、途中で突然降って湧いたように「ネットでの国民投票」というイベントが12月22日に開催されていました。
 これは募集開始のあとでつんく♂さんから発表された新企画だったのですが、応募者からスタッフによって選抜された10名の候補者の情報をTVで公開して、22日にインターネットを通しての一般からの人気投票を開催し、そこで得票数1位になった人物は自動的に最終選考に上がることができるという趣向になっていました。つまりは、今までつんく♂さんの直感だけで選抜されていた最終選考者枠に、初めてファンの意志が参加できる可能性が生まれたのです。

 ところが。

 予定通り2002年12月22日にネット投票が開催された結果(有効投票総数約11万票)、しっかりとトップ当選(得票数約1万8千票)を果たす候補者が生まれはしたのですが、翌月に行われたオーディション恒例の秘密の某所での泊まり込み最終選考に、くだんのトップ当選候補が参加することはありませんでした。
 結局いつものとおり、最終選考に残ったのはつんく♂さんによって選ばれた亀井・田中・道重のお3方。ちなみにネット投票では田中さんは9位、道重さんは6位。亀井さんにいたってはネット投票に参加することを拒否していました。亀井さんに限らず、応募したあとで急にTVで全国に顔が公表されることに戸惑い、あわてて投票参加を拒否した応募者は多かったようです。まぁその時点ではまるっきりのしろうとさんですからね。最終選考の結果、3人は全員6期メンバーに合格することとなりました。
 こうやって2002年のモーニング娘。オーディション幻の「国民投票」はきれいさっぱりなかったことにされてしまったのですが、いろいろ初回に不備があったらあったで次回から修正して続ければよかったものの、以降この企画はいっさい再導入されることはありませんでした。

 ここからわかることは、いくらファン第一とはいっても、あくまでも提供するまでの作業一切は「提供する側のプロ」であるところのつんく♂さんなりアップフロントなりの実績に基づいたセンスに任せてくれ!という譲れないラインがモーニング娘。にはあったということです。
 このあたりを観て「独裁だ!」と悪く言うこともできるでしょうし、そこらへんのファン層の欲求を見事にピコーンとついたのがAKB48だったのではないかと思うのですが、こういう点ひとつをとっても、まさにモーニング娘。とAKB48はお互いを常に意識しながらまったく違うエンタテインメントを志向した好対照の存在だと言えるんじゃないでしょうか。


 さて、そんなわけで次回は、いよいよアキバを拠点に本格的に始動することとなった2006~07年のAKB48についてつらつら考えてみたいと思います。今回取り上げたようなトップたる新生モーニング娘。の「トップゆえの苦悩」に対して、下から旭日の勢いでのし上がることとなったAKB48はどんな時間の中を駆け抜けていたのでしょうか。乞うごきた~い。

 え~っと、幕末だとしたらハロプロが江戸幕府でしょ? AKB48が薩摩藩でアイドリング!!!が長州藩で中野腐女シスターズが土佐藩で、あとそれから……
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第32回 『モーニング苦境。 2005~07 資料編』

2011年07月12日 22時38分52秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 みなさんこんばんは~、そうだいでございます。

 はじまって早々あやまっておきたいのですが、今回は長い!! 文章量めちゃくちゃですよ~。たぶん、『長岡京エイリアン』史上最長のひどさかと思います。
 ほんとすんません……このあっつい盛りになんでこんな重さにならなきゃならんのかと! 太平洋戦争末期の戦艦大和どころじゃありませんよ、第2次世界大戦末期のナチスドイツの幻の188トン超重戦車モイゼですよ。当時のふつうの戦車の5~6倍。輸送がたいへんすぎて実戦投入なし。自爆破棄。

 でもさぁ~、今回紹介するモーニング娘。とハロー!プロジェクトの2005~07年の歴史はどうしてもブツ切りはできないんですよ……
 ということで、世間話もカットしてチャッチャといっちゃいます!! ドド~ンといぐべや。


がんばれ! モーニング娘。ふんばりどころの2005~07年

2005年
1月
・前年9月から募集していたモーニング娘。の新エース発掘が目的の「モーニング娘。ラッキー7オーディション」の最終審査が実施され、ハロー!プロジェクトのオーディション始まって以来の「該当者なし」となる
 ※このオーディションにはのちのAKB48の梅田彩佳(15歳)、SKE48の古川愛李(15歳)らが参加しており、最終審査にはバニラビーンズのレナが双子の妹だと言いはる辻本はるか(17歳)も残っていた
・前年10月から放映されていたEPSONの写真複合機「カラリオ」のCM出演(松浦亜弥と共同)をもって、モーニング娘。の企業CMへの出演が2009年までとだえる
・モーニング娘。結成メンバーで最後の在籍者だった2代目リーダー飯田圭織(24歳)が卒業する
 ※翌2月にリリースされたモーニング娘。の新曲には参加している
 ※結成時からいた飯田の在籍期間7年5ヶ月(リーダーとしては約3年10ヶ月)は、もちろん当時のメンバー経験者の中では最長
・飯田の卒業にともない、矢口真里(22歳)が3代目リーダー、吉澤ひとみ(20歳)が3代目サブリーダーに就任する
 ※この矢口のリーダー就任により、「現サブリーダーが次期リーダーになる」という法則がはじまる

2月
・飯田リーダーが在籍している12名体制での最後のシングルとなる25th『THE マンパワー!!!』がリリースされる(オリコン最高4位)
 ※この曲は、2004年12月に創立したプロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの2005年公式応援歌となっているが、歌詞が一部関西弁
・あらためてモーニング娘。の新エースを発掘する「モーニング娘。オーディション2005」の募集が告知
 ※前年の「ラッキー7オーディション」にくらべて、募集対象年齢が「中学1年生~22歳」に拡大されている

4月
・エース石川、そして結果としてリーダー矢口の在籍最後のシングルとなる26th『大阪恋の歌』がリリースされる(オリコン最高2位)
・3代目リーダー矢口真里が、写真週刊誌『FRIDAY』に自身の男性俳優との交際が報道されたことによる騒動の責任をとるかたちでモーニング娘。を自主脱退する
 ※実際には問題の記事の載った『FRIDAY』が発売される前日に脱退していた
 ※正式な「卒業宣言」をとらずに即日脱退した初の例
 ※脱退後の矢口は、特に芸能活動を自粛することなくハロー!プロジェクトでのソロ活動を開始している
 ※矢口の脱退により、モーニング娘。第1~3期のメンバーは全員いなくなる
 ※一般的に広まってはいないが、この矢口の脱退から2007年までに多くのハロー!プロジェクト在籍者に突発的な卒業・脱退が相次いだことから、この一連の流れを「第2次ハローマゲドン」と解釈する声もある
・矢口の脱退にともない、吉澤ひとみが4代目リーダー、藤本美貴(20歳)が4代目サブリーダーに就任

5月
・前年の宣言どおり、エース石川梨華(20歳)がモーニング娘。を卒業する
 ※石川は以後、美勇伝としての活動に専念する
・「モーニング娘。オーディション2005」の最終審査の結果、約2万1600名の応募者の中から久住小春(くすみ こはる 13歳)が合格、追加加入する

6月
・ハロー!プロジェクト夏恒例のシャッフルユニットが発表されるが、今までのような「ほぼ総出演」の形式ではなく「選抜11名」による3ユニット構成となっている
 ※セクシーオトナジャン(藤本ら)の『オンナ、哀しい、オトナ』とエレジーズ(高橋・田中れいな ら)の『印象派ルノアールのように』とプリプリピンク(中澤裕子・飯田・保田圭ら)の『人知れず胸を奏でる夜の秋』をまとめたミニアルバムの形(オリコン最高6位)
 ※以降、ハロー!プロジェクトのシャッフルユニット企画は2009年までとだえる
・前年2004年1月のBerryz工房メンバーにならなかった残り7名のハロー!プロジェクト・キッズによる新グループ「℃-ute(キュート)」の結成が発表される

7月
・新エース久住小春が加入した10名体制での初のシングルとなる27th『色っぽい じれったい』がリリースされる(オリコン最高4位)

8月
・先月の『色っぽい じれったい』のリリースにともない、モーニング娘。としては1999年の『LOVEマシーン』の発売記念イベント以来6年ぶりとなる「発売記念東名阪握手サーキット」が実施される
 ※購入者特典としてCDに「握手会応募券」が封入されているというもの

9月
・ハロー!プロジェクトの期間限定スペシャルユニットとしては3組目となる安倍なつみ(24歳)、後藤真希(20歳)、石川梨華(20歳)、松浦亜弥(19歳)による4人組ユニット「DEF.DIVA(デフ・ディヴァ)」の結成が発表される
 ※グループ名は、英語の「DEFINITIVE」とイタリア語の「DIVA」をかけあわせた「イカす歌姫」という意味のつんく♂の造語

10月
・DEF.DIVAの1stシングル『好きすぎてバカみたい』がリリースされてオリコンチャート1位を獲得し、ハロプロ勢としては2003年4月リリースのモーニング娘。の18thシングル『AS FOR ONE DAY』以来2年半ぶりの首位となる

11月
・自身の6thアルバム『愛の第6感』(2004年12月)の収録曲『直感 時として愛は』のリメイクとなる28thシングル『直感2 逃した魚は大きいぞ!』がリリースされる(オリコン最高4位)

12月
・NHK『紅白歌合戦』に松浦亜弥、DEF.DIVA、旧メンバーも加わった19人組モーニング娘。が出場する

2006
2月
・写真週刊誌『FRIDAY』にダブルユーとして活動していた加護亜依(18歳)の喫煙写真が掲載され、事実と認めた加護は芸能活動を無期限謹慎、ダブルユーも事実上の活動終了となる

3月
・29thシングル『SEXY BOY そよ風に寄り添って』(オリコン最高4位)の累計売り上げ枚数が約4万3000枚(オリコン調べ)となり、結成以来はじめてインディーズシングル『愛の種』の手売り販売枚数だった5万枚を割りこむ
 ※以後も、CDの全体的な売り上げ不振もありモーニング娘。の売り上げ枚数は減少していく

4月
・メンバーの紺野あさ美(19歳)が学業専念のために7月、小川麻琴(18歳)が語学留学のために8月にモーニング娘。を卒業することが発表される

5月
・この月から7月まで、℃-uteのインディーズシングルが4枚連続でリリースされる(7月は2枚)

6月
・紺野、小川の在籍最後のシングルとなる30th『Ambitious!野心的でいいじゃん』がリリースされる(オリコン最高4位)
・エース藤本美貴(21歳)と松浦亜弥(20歳)によるハロー!プロジェクト4組目の期間限定スペシャルユニット「GAM(ギャム)」の結成が発表される
 ※卒業後の活動を前提としたもの(ダブルユー、美勇伝)でないモーニング娘。メンバーの他ユニット活動は、カントリー娘。に参加した紺野・藤本以来2年ぶり
 ※ユニット名の「GAM」は、「Great Aya&Miki」の略と「脚のきれいな女性」の意味のスラングをかけたもの

7月
・エース久住小春が、テレビ東京の人気アニメ『きらりん☆レボリューション』で自身が演じている主人公「月島きらり」としてのソロ1stシングル『恋☆カナ』をリリースする(オリコン最高12位)
 ※久住の「月島きらり」としての声優・歌手活動はアニメ終了の2009年まで続いており、楽曲はシングル6枚、オリジナルアルバム3枚、ベストアルバム1枚をリリースしている
 ※アニメ自体の人気や『おはスタ』への出演などもあって楽曲活動は好調であり、特に3rdシングル『ハッピー☆』はオリコン最高2位を獲得している
 ※「月島きらり」としての楽曲活動にはつんく♂はかかわっていない
・モーニング娘。の第8期メンバーを募集する「モーニング娘。Happy8期オーディション」の告知が開始
・メンバー紺野あさ美が学業専念のためにモーニング娘。を卒業、ハロー!プロジェクトも卒業して芸能活動を(いったん)終了する

8月
・メンバー小川麻琴が語学留学のためにモーニング娘。を卒業し、芸能活動を休止する(ハロー!プロジェクトには引き続き在籍)
・つんく♂プロデュースによりハロプロタレントが歌・ダンス・演劇を劇場形式で公演していく『つんく♂タウン THEATER(2007年2月からは『つんく♂ THEATER』)』の旗揚げ公演が、東京・秋葉原の石丸電機2号店「SOFT 2」で上演される
 ※のちにこの『つんく♂THEATER』活動をになうこととなる女性アーティスト集団「NICE GIRL プロジェクト!」が2008年5月に発足するが、その中核的存在となるハロプロエッグ出身グループ「THE ポッシボー」はすでにこのころから活動を開始している

9月
・松浦亜弥主演の映画『スケバン刑事 コードネーム麻宮サキ』(監督・深作健太 共演・美勇伝)が公開
 ※「スケバン刑事」シリーズとしては18年ぶりの映画第3作
 ※制作した東映による300館規模での全国上映ではなく、系列シネコンでの100館規模のものだった
・映画『スケバン刑事 コードネーム麻宮サキ』の主題歌ともなったGAMの1stシングル『Thanks!』がリリースされる(オリコン最高5位)
・スペシャルユニット「DEF.DIVA」が東北楽天イーグルスの公式試合中のイベントに参加し、これがDEF.DIVAとしての最後の活動となる
 ※DEF.DIVAは東北楽天イーグルスの2006年公式応援歌も担当している
 ※ということは、松浦亜弥は個人としてとDEF.DIVAとしてとGAMとしての活動を2~3ヶ月並行しておこなっていたことになる

10月
(AKB48がシングル『会いたかった』でメジャーデビューしオリコン最高12位となる)

11月
・31stシングル『歩いてる』がモーニング娘。としては3年ぶりのオリコン1位を獲得する
 ※これによってモーニング娘。のオリコン1位獲得シングル数は10作となり、ピンク・レディーの9作を抜いて女性アイドルグループではトップとなる

12月
・「モーニング娘。Happy8期オーディション」の最終審査が実施され、約6900名の応募者の中から光井愛佳(13歳)が合格・追加加入する
 ※総応募者数が1万人をきったのは1998年の「第1回追加メンバーオーディション」以来
 ※のちのAKB48メンバーとしては2次審査に田名部生来(みく 14歳)、3次審査に柏木由紀(15歳)、最終審査に佐藤すみれ(13歳)が参加していた
・総合プロデューサーのつんく♂が、「2007年はアジアの中の日本として新しいモーニング娘。の形を表現していく。」と宣言する
・NHK『紅白歌合戦』にGAMとモーニング娘。が出演する(光井は不参加)

2007年
1月
・4代目リーダー吉澤ひとみ(22歳)の5月いっぱいでのモーニング娘。卒業が発表される
・モーニング娘。卒業メンバーの安倍なつみ(25歳)・飯田圭織(25歳)・後藤真希(21歳)と現メンバーの新垣里沙(18歳)・久住小春(14歳)による期間限定ユニット「モーニング娘。誕生10年記念隊」が結成され、1stシングル『僕らが生きる MY ASIA』がリリースされる(オリコン最高8位)
 ※「誕生10年記念隊」は9月まで活動しており、8月には2ndシングル『愛しき悪友(とも)へ』をリリース

2月
・第8期メンバー光井の加入した9名体制での32ndシングル『笑顔 YES ヌード』がリリースされる(オリコン最高4位)
・℃-uteのメジャー1stシングル『桜チラリ』がリリースされ、女性アイドルグループのデビューシングルとしては史上最高となるオリコン初登場5位を記録する

3月
・中国でのハロプロオーディションに合格するなどしていたジュンジュン(19歳 湖南省出身)とリンリン(16歳 淅江省出身)がモーニング娘。の初の留学加入を果たす
 ※便宜上、ジュンジュンとリンリンも光井と同じ「第8期メンバー」ととらえられている
・週刊誌『週刊現代』で活動謹慎中だった加護亜依(19歳)の喫煙写真がふたたび掲載され、ハロー!プロジェクトを統括する芸能事務所アップフロントエージェンシーは加護の解雇処分を発表する
 ※加護が女優・タレントとしての活動を再開するのは翌2008年の5月から

4月
・33rdシングル『悲しみトワイライト』(オリコン最高2位)のリリースによってモーニング娘。のシングル総売り上げ枚数が1108万枚を超え、ピンク・レディーの記録を抜いて女性アイドルグループではトップとなる
 ※リーダー吉澤と、結果としてエース藤本の在籍最後のシングル(ジュンジュンとリンリンはまだ不参加)
 ※このシングルからCDに「購入者限定イベント参加抽選券」が封入されるようになる
・2000年から続いていたモーニング娘。の旗艦番組『ハロー!モーニング。』が放送時間を毎週日曜昼12時30分からにずらした30分番組『ハロモニ@』に縮小リニューアルされる
 ※番組タイトル名の『ハロモニ@』は「@」を読まない
 ※もともと『ハロー!モーニング。』も30分番組だったのだが、2001年から45分、2003年から1時間番組に拡大していた

5月
・1月の宣言どおり、4代目リーダー吉澤ひとみ(22歳)がモーニング娘。を卒業する(リーダーとしての在任期間は2年1ヶ月)
 ※吉澤の卒業によって、第4期メンバーも全員モーニング娘。を去る
・吉澤の卒業にともない、藤本美貴(22歳)が5代目リーダー、高橋愛(21歳)が5代目サブリーダーに就任
・写真週刊誌『FRIDAY』に、リーダー藤本とお笑いタレントとの交際写真が掲載される

6月
・交際報道による騒動の責任をとるかたちでリーダー藤本がモーニング娘。を自主脱退する
 ※藤本はハロー!プロジェクトは卒業していないものの、翌2008年2月までのソロ活動を自粛
・藤本の脱退にともない、高橋愛が6代目リーダー、新垣里沙(19歳)が6代目サブリーダーに就任する
 ※この時点での9名体制が、2009年のエース久住の卒業までのモーニング娘。史上最長(2年半)のメンバー構成となる
・元モーニング娘。メンバーで芸能活動を休止していた紺野あさ美(20歳)の、翌7月に結成される新グループ「音楽ガッタス」メンバーとしてのハロー!プロジェクト復帰ならびに芸能活動再開が発表される

7月
・ジュンジュンとリンリンが加入した9名体制での初のシングルとなる34th『女に幸あれ』がリリースされる(オリコン最高2位)
・フットサルチーム「ガッタス・ブリリャンチスH.P.」からの選抜メンバーにハロプロエッグ4名、復帰した紺野あさ美を加えたグループ「音楽ガッタス」が結成される
・10月からの放映開始となるテレビ東京のアニメ『しゅごキャラ!』のテーマソングを担当するBerryz工房、℃-uteの選抜ユニット「Buono!(ボーノ)」の結成が発表される
(アイドリング!!!がシングル『ガンバレ乙女(笑)』でメジャーデビューしオリコン最高13位となる)

8月
・単独コンサートツアーの終了をもって、松浦亜弥と藤本美貴のスペシャルユニット「GAM」が活動を終了
 ※GAMは期間限定のスペシャルユニットとしては珍しくシングル3枚とアルバム1枚をリリースしており、プロ野球東北楽天イーグルスの2007年公式応援歌も担当している

9月
・音楽ガッタスの1stシングル『鳴り始めた恋のBell』(オリコン最高10位)がリリースされる

10月
・モーニング娘。誕生10周年を記念したベストアルバム『ALL SINGLES COMPLETE 10th ANNIVERSARY』がリリースされる(オリコン最高6位)
 ※アルバムには歴代シングルA面全曲とともに、つんく♂の書き下ろしによるハロー!プロジェクト10周年記念テーマ『HELLO TO YOU』も収録されている
・自身のライヴツアー最終日で、後藤真希(21歳)が実弟の強盗傷害罪逮捕による騒動の責任をとるかたちでハロー!プロジェクトを卒業することを電撃発表する
 ※後藤はその後芸能活動を休止し、翌2008年6月に芸能事務所をエイベックスに移籍して活動を再開
・つんく♂が歌・ダンス・演劇を劇場形式で公演していく新たな女性アーティスト集団「NICE GIRL プロジェクト!」構想を発表する
 ※NICE GIRL プロジェクト! が本格的に始動するのは翌2008年5月からだが、ハロプロエッグ出身グループ「THE ポッシボー」はこの時点でハロー!プロジェクトから移籍する
・Berryz工房、℃-uteの選抜ユニット「Buono!」の1stシングル『ホントのじぶん』がリリースされる(オリコン最高5位)
 ※Buono!の活動は、テーマソングを担当したアニメ『しゅごキャラ!』シリーズが放送終了した2010年以降も続いている

11月
・35thシングル『みかん』をリリースする(オリコン最高6位)

12月
・NHK『紅白歌合戦』にモーニング娘。、Berryz工房、℃-uteが出演し、モーニング娘。としての出演は連続10回目にして最後のものとなる(2010年までの時点)


2005~07年に結成されたハロプロ系アイドルグループ

℃-ute(キュート 2005年6月~)5人組
 9~14歳 矢島舞美(13歳)、鈴木愛理(11歳) ら
 ハロー!プロジェクト・キッズのうち、Berryz工房(2004年1月~)に所属しなかったメンバー7名によって結成される
 2006年1~10月は、ハロプロエッグの1名を加えて8名で活動していた
 ※「ハロー!プロジェクト・キッズ」と「ハロプロエッグ」の違いは、「ざっくりすぎるアイドルグループ史 第29回 2003~04年資料編 2004年4月の項」を参照のこと
 2006年10月以降メンバーがじょじょに減少していき、2009年10月からは5名体制で現在にいたる
 ハロプロ随一のクオリティをほこるダンスパフォーマンス
 同年代で同じハロー!プロジェクト・キッズの出身だったBerryz工房が低年齢層向けの楽曲を唄っていたのに対し、メジャーデビューが3年遅れた℃-uteはやや大人びた印象の楽曲を唄っている
 ※「大人びた」といっても「青年期のさわやかな」という意味で、先輩にあたるモーニング娘。が得意とする「アダルト歌謡」とはまったく違う
 ※最近はBerryz工房も同年齢向けの楽曲を唄っていることが多くなり、両者の違いは楽曲の印象だけでははかれなくなってきている
 インディーズ期を含め約2年の準備期間があった℃-uteは、グループとしての統一感がすぐれている
 2006年には翌年のメジャーデビューに向けて大々的なライヴキャンペーンを実施し、5~7月にはインディーズシングルを4枚リリースしている
 翌2007年2月に1stシングル『桜キラリ』でメジャーデビューを果たし、この楽曲のオリコン初登場5位は女性アイドルグループ史上最高の記録となる
 ※ただし、すでに前年9月にDVDデビュー、10月にアルバムデビューはしていた
 メジャーデビュー以来常にオリコン10位圏内に入っている実力派だが、まだ1位を獲得したことはない
 ハロー!プロジェクト伝統のプロ野球東北楽天イーグルス公式応援歌を担当している(2008年度)
 2011年6月時点までに16枚のメジャーシングル、6枚のオリジナルアルバム(ミニを含む)、1枚のベストアルバムをリリースしている
 代表曲 10th『EVERYDAY 絶好調!!』(2009年9月 オリコン最高2位)

THE ポッシボー(2006年8月~)5人組
 13~17歳 諸塚香奈実(17歳)、秋山ゆりか(14歳)、橋本愛奈(14歳)
 つんく♂プロデュースによるNICE GIRL プロジェクト!のヴォーカルダンスエアバンド
 ライヴ活動を中心としているが、舞台に本格的なバンドセットを用意しておきながら基本的には一切生音を出さないスタイル
 メンバーはハロプロエッグ出身だが、2007年10月のNICE GIRL プロジェクト!創設にともないハロー!プロジェクトを卒業している
 ※NICE GIRL プロジェクト!では他に7人組アイドルグループ「キャナァーリ倶楽部」が活動しているが、こちらはハロプロに在籍していた経験はない
 2006年8月の「つんく♂タウン THEATER」旗揚げ公演に出演したハロプロエッグ時代の諸塚・秋山・橋本の3名によって結成され、同年10月から3名を追加した6名メンバーとなる
 2008年4月のメジャーデビュー以来何度かオリコン10位圏内を経験しているが、まだ1位を獲得したことはない
 2009年8月にメンバーの1人が卒業し(NICE GIRL プロジェクト!も卒業)、現在の5名体制となる
 2011年6月時点までに5枚のメジャーシングルと1枚のアルバムをリリースしている
 代表曲 3rd『幸せの形』(2009年1月 オリコン最高4位)

音楽ガッタス(2007年7月~)6~10人組
 吉澤ひとみ(22歳 キャプテン)、石川梨華(22歳)、里田まい(カントリー娘。 23歳)、紺野あさ美(20歳)、真野恵里菜(16歳) ら
 パワフルなカッコよさを押し出した楽曲
 2007年7月に、フットサルチーム「ガッタス・ブリリャンチス H.P.」から選抜された5名とハロプロエッグ4名、ハロプロに復帰した紺野の10名で結成される
 2007年9月に1stシングル『鳴り始めた恋のBell』でCDデビューする(オリコン最高10位)
 2008年2月に真野がソロ歌手デビューのために卒業して以降、じょじょにメンバーが減少していく(主にハロプロエッグの学業優先のため)
 2011年3月に紺野がテレビ東京アナウンサーに採用されたため卒業し、現在は6名編成となっている
 2011年6月時点までに4枚のシングル(うち1枚はコンサート会場・通信販売限定)と1枚のアルバムをリリースしている

Buono!(ボーノ 2007年7月~)3人組
 嗣永桃子(15歳 リーダー)、夏焼雅(15歳)、鈴木愛理(13歳)の3名
 Berryz工房の嗣永と夏焼、℃-uteの鈴木により結成される
 ※モーニング娘。在籍経験者のまったく参加していないハロプロ初のスペシャルユニット
 もともとテレビ東京の人気アニメ『しゅごキャラ!』シリーズのテーマを担当するために結成されたスペシャルユニットだったが、シリーズの放送が終了した2010年以降も活動が継続されている
 ほとんどの楽曲の制作につんく♂がかかわっておらず、ハロプロ勢では珍しい本格的なロック路線
 ※つんく♂色のうすい楽曲という点では、同じTVアニメタイアップの活動だった「月島きらり」としての久住小春のものと共通
 2011年6月時点までに11枚のシングル、3枚のオリジナルアルバム、1枚のベストアルバムをリリース
 代表曲 9th『Bravo☆Bravo』(2009年12月 オリコン最高4位)


 ……うぷっ。もうひどい。長すぎ晋作。
 いろいろ考えたことは、ま、また次回~。
コメント
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