へなへなへな~。どうもこんにちは、そうだいでございまする~。
もォ~、今日は絵に描いたような一日中の雨、雨、雨! 冷たい雨ですね~。 Bonnie Pink 姐さんですね~。
このお天気にぴったりシンクロするかのようにですね、実はわたくし、数日前の火曜日以来、さいっあくのコンディションに見舞われております……はっきり言って自業自得そのものな経緯なんですが、我が身体がこんっなにオッサン化してしまっているとは思いもよりませんでしたわ!
火曜日は千葉でのお仕事が夕方に終わったのですが、そのあとのスケジュール構成で無理をしすぎてしまったようで、ものの見事に知恵熱&全身筋肉痛!! 肉体オール緊急閉店状態という大変な事態におちいってしまいました。この大事なときにィ~。
当初はそんなにキツいものにはならないはずだったのですが……私の火曜日の夕方以降の行程はこんなことに。
16:30~20:00
ひとりカラオケ
20:00~21:30
夕食とか書店でふらふら
21:50~23:50
郊外型シネコン「 T-ジョイ蘇我」で映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』を鑑賞
24:00~30
自転車で帰宅。めちゃくちゃ寒かった……
25:00~
明日も早いので、TBSラジオ『爆笑問題カウボーイ』を聴きながら就寝
ね? そんなに大変そうじゃないでしょ? でも、とにかくひとりカラオケと『Q』での肉体エネルギー消費量がハンパなかったんですよ。
私はふだんはひとりカラオケをする場合、「2時間ドリンクなし食事なし休憩なし着席なし(やむをえない場合トイレ休憩あり)」という、ちょい軍隊なルールをとっておりまして、次の曲を選ぶタイミングは「今唄っている曲の間奏のあいだ」ということにしております。要するに貧乏性なだけなんですけどね……
こんな場合、たった2時間でも平均して「1曲=5分間」と考えればトータルでぶっつづけ20曲以上を連続で唄うことになるので、けっこうな運動になるわけなんですね。それにくらべれば……「ふたりカラオケ」はほんっとにたのしいねェ~! 半分なんだもん。
ところが、今回の火曜日の場合はなんと言っても「21:50上映開始の『Q』を観る」という部分が揺るがない主眼になっていたため、それまでの時間はいくらでもありあまっているという状態だったのです。
え? もっと早い回の『Q』を観ればいいだろって? T-ジョイ蘇我では、21:50からの回は「レイトショー料金」で安くなるんだよ……ちょっと待ってれば安くなるっていうんですから、待たない手はないでしょ!? どこまでも貧乏性な男なんです……
そんなこんなで、理論上は16時半から21時くらいまでひとりカラオケを続けてから出発するという手もあったわけなのですが、私の会員登録しているカラオケボックスはフリータイムが「ブロック制」になっていたらしく、私が入った夕方の時点では20時が延長不能の使用終了時刻ということになっていました。
ってなわけで、個人的には初めての「3時間半ひとりカラオケ」とあいなったわけなのですが……
まぁ、「いつもよりもたった1~2時間ふえるだけじゃないか、いけるいける~☆」と楽観視していたわたくしの浅はかさね。
さっきの計算のしかたでいくと、「3時間半、立ちっぱなしで40曲唄う」ってことになるんですよね。MC なんてのもはさみませんからねぇ。
あと、単純にそれだけでも疲れたんですけど、だいたい2時間目から「さっきうまく唄えなかったあの曲(注・それにかぎらず基本的に全曲うまく唄えていません)にもう一度チャレンジしてみたい」という欲目が出てきてしまい、それがよりにもよって本人歌唱映像の流れる鬼束ちひろの『帰り路をなくして』(2009年)という超難曲&名曲だったがために惨劇の交響曲はピークに!! 余談ですが、私そうだいはこの『帰り路をなくして』が鬼束ちひろさんの「最後の」名曲だととらえております……
この『帰り路をなくして』、歌唱時間は6分30秒なんですが、んまぁ~疲れる疲れる! でも、疲れるように全力で唄わないと唄う意味がないムチャクチャな曲なんですね。
結局、ひとりのおっさんが個室で前傾姿勢になったり天井をあおいだりしながら「るぅおォ~!!」「てぇえぇェ~!」などと絶叫し続けるという、隣人迷惑にも程があるヒンズースクワットみたいな悪夢の儀礼が都合10回ほど展開されることとなり、最終的に19時半すぎくらいからは「マイクを持っていない」という境地にいたってしまっていました。そりゃそうだ、拡声する意味がないんですよね、ひとりカラオケなんだし……
こんなことやってたらさ、全身筋肉痛には、なるよね。自分でこうやって文にした段階でやっと気づくのって……こいつぁたしかに、死んでもなおらねぇわ!
ただ、それでも虚勢を張らせていただけるのならば、40曲くらいを全曲最後まで唄いとおして「ノドと腹筋」がダメにならなかったのはちょっぴりうれしかったんですよ。知らないうちにノドに負担がかからないように唄うようになってたんですね。好きこそ物の上手なれって、ここを追究すればなんとかなるのかなぁ。
ま、そしてそのあと、部屋を出てから「ノドと腹筋」以外の全筋肉がボロボロと崩壊していくわけなんですよね……外は酷寒の夜でございます。
特に「首」と「腰」の痛みがしつっこくてしつっこくて。その日や翌日は文句なしの全身筋肉痛だったのですが、この2ヶ所はそれ以降も重い痛みがなかなか引かなかったですね~。いやぁ、首が痛めばこまかい作業ができなくなるし、腰が痛めば大きな動きができなくなるし。ありゃりゃ、こりゃも~ヤバいじゃないっすかぁ~。
まぁこんなわけでカラオケも疲れるには疲れたんですけれども、今になって考えてみれば、そのあとの1時間自転車疾走で寒い思いをして、かと思えば定員400名ほぼ満員の熱気にあふれた映画館で脳みそをフル回転させながら2時間スクリーンに集中し続けて汗をかき、最後はまた自転車で寒い夜空の下を駆け抜けながら「アレはコレでコレはアレで……えっ、もしかして、ソレはミソだったのかしら!?」などと妄想しながら家路に着くと。
!! 体調を崩さないわけがなかった!! ひとりカラオケはやめておけばよかったんだね!
って思ったところで今やときすでに遅しであります。も~ボロボロ、ボロボロ! 首が痛くて食事する意欲もわかないから、水分と野菜・果物みたいな栄養のあるあっさりしたものしか食べてない状態に入っとります。ヘイ、や~せるや~せる~♪
とは言っても、仕事にはちゃんと行くわけなのでありますが、頭痛もズンズンしてきたよ~いっとな☆
とにもかくにも、今回の無理無理ツアーの「肉体面」がひとりカラオケとシネコンと寒空との温度差だったのだとしたのならば、「精神面」は確実に、くだんの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』の中身に起因するものなのでありました。ち、ち、知恵熱が~!
う~ん、なんって言ったらいいんでしょうか。
まず言えるのは、前回に私がぐじぐじ言っていた、『Q』にかんする「同時上映」と「エンディング曲」と「千葉で観るときの交通アクセスの悪さ」という3つの不満点以外、私が感じた不満はいぃ~っさいゼロだった! ということですな。
とにかくおもしろかった! 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』はとにかく展開がそのタイトルどおりに「急」で、そこに見とれているうちにあっという間におしまいになってしまうという幸福な時間を提供してくれました。
あとは~……なんて言ったらいい? なんて言ったらいい?
ん~と、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』はなんか、『機動戦士Zガンダム』みたいでした!
……あれ、これ、言いすぎ? ヤバいですか? でも似てんのよね~、ちょいちょい。
公開から1週間も経過しようとしていますし、もうご覧になられた方も多いかとは思うのですが、とにかく今回の『Q』は、これまでの『序』や『破』とは比較にならない「ぶっ飛びかた」をしているため、私の判断から言わせてもらえれば、本編開始数分の段階ですでに「な、なんだってぇ~!?」な展開になっていました。そんなこともありますので、極力、今回の時点でレビューみたいな文章をだらだらとつぶやくのはやめにしたいと思います。
そして!! 何を隠しましょう、我が『長岡京エイリアン』は、「東洋一『使徒のみなさん』を愛しているブログ」を標榜しているという重責を勝手に背負っているのであります。おなかをすかせた使徒が寄ってきたら熱い味噌おにぎりをにぎってさしあげるという、そんな町のほっとステーション! TVシリーズだけでしか活躍できなかった使徒が酒場のすみっこで愚痴をこぼしていたら、「そうやって元気にお酒を呑んでぐっすり寝てたら、またお呼ばれする日は来るわよ。」とそっと言葉をかけてさしあげるという、高島礼子みたいな包容力! そのへんを目指してるんですよ……
ということなので、今回めでたく公開となった『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』も、1本の映画の分析というよりは、その中に登場した使徒のみなさんを詳細に取り扱うべき時が来たら、どっしり!!と腰をすえて取り掛かることにしたいと思います。
つっても、観た人ならばおわかりかと思いますが、『Q』に出てきた使徒ったって、ねぇ……いや、いないわけじゃないからいいんですけど。そういう点では、サブタイトルで『シト新生』とでかでかと銘打っておきながらも、ほんとに新生してきたのはラスト数分で空から舞い降りてきた「エヴァンゲリオン量産型」だけだったという、いわゆる「シトシト詐欺」がまかり通ってしまった1997年の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH & REVERSE 』にくらべればすばらしい待遇になってはいるんですが、ねぇ……『序』は3体で、『破』は5体でしょ? ねぇ……
うちの『エヴァンゲリオン使徒大行進』シリーズも、どのくらい中断してましたっけね。
とにかく、この契機を逃がす手はないということでさっそく続きを再開したかったのですが、残念なことに体調がこげなこつになりもうしてしまい、スケジュールも忙しいさかりだし、おまけにお次の使徒さんが「そうだいが最も好きなマイフェイバリット使徒」なのだという、手の抜けないシチュエーション! つらいぜ~。
私の勝手な印象で言いますと、今回の『Q』によって、庵野秀明総監督は『新劇場版』シリーズなりの『旧シリーズ第24・25・26(最終)話』変換作業を完了させてしまったような気がします。作品の一部に、「それよりもさらにさかのぼった時点のあるエピソード」をうまく『Q』ふうにアレンジしたものもありますが、だいたいはこの3話ぶんをものすごい「ぶっ飛び調理」で仕上げた、ということになるのではないのでしょうか。
あ、ここで注意しなければならないのは、私のいう旧シリーズの『第25・26話』というのが、1996年の3月に TVで放送された『終わる世界』と『世界の中心でアイを叫んだけもの』のことではまったくなく、1997年の7月に「ほんとうの最終エピソード」として劇場公開された『Air 』と『まごころを、君に』のほうであるということなのです。
つまり、今回の『Q』ではっきりしたことは、かつて1990年代後半を席巻した『新世紀エヴァンゲリオン』大フィーバーの、ひょっとしたらアニメ本編以上に中核の部分に位置していたのかもしれない、TV放映ヴァージョンの最終2話分に凝縮されていたような「ある要素」を、今現在の庵野総監督は華麗すぎるほどにスルーしきってしまった、ということなのです。そしてだからこそ、リメイクではない『新劇場版』シリーズがほんとうの21世紀に誕生しているんですね。
『Q』は決して、『序』や『破』のようなすっきりしたカタルシスでしめくくられるわけではない「続く」な終わり方になっているのですが、あの『まごころを、君に』を強く意識させながらも、それとは気持ちいいくらいに正反対でポジティブなラストシーンになっています。
『Q』を観たことによって、あんなにズタボロで病みきった1990年代のエヴァンゲリオンブームを通り過ぎて15年ほど生き抜いてきた、私の中のなにかは、確実に「生きててよかった!」と救われたような気がするんだよなぁ。
旧シリーズと新劇場版シリーズは、ほんっっっっとに別の作品になりました。でも、こうなったらお次の『音楽記号でいうリフレイン』のついた最終作はどんなことになってしまうのか!? 旧シリーズはあらかた終わった領域に入ってしまうということで、皆目見当がつきませんなぁ。
また数年ですか!? またがんばって生きていくことにいたしましょ~、ハイ!
……ていうか、心身ともにキツすぎる……さみぃし……まず今年を生き抜けるのか、これ。
もォ~、今日は絵に描いたような一日中の雨、雨、雨! 冷たい雨ですね~。 Bonnie Pink 姐さんですね~。
このお天気にぴったりシンクロするかのようにですね、実はわたくし、数日前の火曜日以来、さいっあくのコンディションに見舞われております……はっきり言って自業自得そのものな経緯なんですが、我が身体がこんっなにオッサン化してしまっているとは思いもよりませんでしたわ!
火曜日は千葉でのお仕事が夕方に終わったのですが、そのあとのスケジュール構成で無理をしすぎてしまったようで、ものの見事に知恵熱&全身筋肉痛!! 肉体オール緊急閉店状態という大変な事態におちいってしまいました。この大事なときにィ~。
当初はそんなにキツいものにはならないはずだったのですが……私の火曜日の夕方以降の行程はこんなことに。
16:30~20:00
ひとりカラオケ
20:00~21:30
夕食とか書店でふらふら
21:50~23:50
郊外型シネコン「 T-ジョイ蘇我」で映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』を鑑賞
24:00~30
自転車で帰宅。めちゃくちゃ寒かった……
25:00~
明日も早いので、TBSラジオ『爆笑問題カウボーイ』を聴きながら就寝
ね? そんなに大変そうじゃないでしょ? でも、とにかくひとりカラオケと『Q』での肉体エネルギー消費量がハンパなかったんですよ。
私はふだんはひとりカラオケをする場合、「2時間ドリンクなし食事なし休憩なし着席なし(やむをえない場合トイレ休憩あり)」という、ちょい軍隊なルールをとっておりまして、次の曲を選ぶタイミングは「今唄っている曲の間奏のあいだ」ということにしております。要するに貧乏性なだけなんですけどね……
こんな場合、たった2時間でも平均して「1曲=5分間」と考えればトータルでぶっつづけ20曲以上を連続で唄うことになるので、けっこうな運動になるわけなんですね。それにくらべれば……「ふたりカラオケ」はほんっとにたのしいねェ~! 半分なんだもん。
ところが、今回の火曜日の場合はなんと言っても「21:50上映開始の『Q』を観る」という部分が揺るがない主眼になっていたため、それまでの時間はいくらでもありあまっているという状態だったのです。
え? もっと早い回の『Q』を観ればいいだろって? T-ジョイ蘇我では、21:50からの回は「レイトショー料金」で安くなるんだよ……ちょっと待ってれば安くなるっていうんですから、待たない手はないでしょ!? どこまでも貧乏性な男なんです……
そんなこんなで、理論上は16時半から21時くらいまでひとりカラオケを続けてから出発するという手もあったわけなのですが、私の会員登録しているカラオケボックスはフリータイムが「ブロック制」になっていたらしく、私が入った夕方の時点では20時が延長不能の使用終了時刻ということになっていました。
ってなわけで、個人的には初めての「3時間半ひとりカラオケ」とあいなったわけなのですが……
まぁ、「いつもよりもたった1~2時間ふえるだけじゃないか、いけるいける~☆」と楽観視していたわたくしの浅はかさね。
さっきの計算のしかたでいくと、「3時間半、立ちっぱなしで40曲唄う」ってことになるんですよね。MC なんてのもはさみませんからねぇ。
あと、単純にそれだけでも疲れたんですけど、だいたい2時間目から「さっきうまく唄えなかったあの曲(注・それにかぎらず基本的に全曲うまく唄えていません)にもう一度チャレンジしてみたい」という欲目が出てきてしまい、それがよりにもよって本人歌唱映像の流れる鬼束ちひろの『帰り路をなくして』(2009年)という超難曲&名曲だったがために惨劇の交響曲はピークに!! 余談ですが、私そうだいはこの『帰り路をなくして』が鬼束ちひろさんの「最後の」名曲だととらえております……
この『帰り路をなくして』、歌唱時間は6分30秒なんですが、んまぁ~疲れる疲れる! でも、疲れるように全力で唄わないと唄う意味がないムチャクチャな曲なんですね。
結局、ひとりのおっさんが個室で前傾姿勢になったり天井をあおいだりしながら「るぅおォ~!!」「てぇえぇェ~!」などと絶叫し続けるという、隣人迷惑にも程があるヒンズースクワットみたいな悪夢の儀礼が都合10回ほど展開されることとなり、最終的に19時半すぎくらいからは「マイクを持っていない」という境地にいたってしまっていました。そりゃそうだ、拡声する意味がないんですよね、ひとりカラオケなんだし……
こんなことやってたらさ、全身筋肉痛には、なるよね。自分でこうやって文にした段階でやっと気づくのって……こいつぁたしかに、死んでもなおらねぇわ!
ただ、それでも虚勢を張らせていただけるのならば、40曲くらいを全曲最後まで唄いとおして「ノドと腹筋」がダメにならなかったのはちょっぴりうれしかったんですよ。知らないうちにノドに負担がかからないように唄うようになってたんですね。好きこそ物の上手なれって、ここを追究すればなんとかなるのかなぁ。
ま、そしてそのあと、部屋を出てから「ノドと腹筋」以外の全筋肉がボロボロと崩壊していくわけなんですよね……外は酷寒の夜でございます。
特に「首」と「腰」の痛みがしつっこくてしつっこくて。その日や翌日は文句なしの全身筋肉痛だったのですが、この2ヶ所はそれ以降も重い痛みがなかなか引かなかったですね~。いやぁ、首が痛めばこまかい作業ができなくなるし、腰が痛めば大きな動きができなくなるし。ありゃりゃ、こりゃも~ヤバいじゃないっすかぁ~。
まぁこんなわけでカラオケも疲れるには疲れたんですけれども、今になって考えてみれば、そのあとの1時間自転車疾走で寒い思いをして、かと思えば定員400名ほぼ満員の熱気にあふれた映画館で脳みそをフル回転させながら2時間スクリーンに集中し続けて汗をかき、最後はまた自転車で寒い夜空の下を駆け抜けながら「アレはコレでコレはアレで……えっ、もしかして、ソレはミソだったのかしら!?」などと妄想しながら家路に着くと。
!! 体調を崩さないわけがなかった!! ひとりカラオケはやめておけばよかったんだね!
って思ったところで今やときすでに遅しであります。も~ボロボロ、ボロボロ! 首が痛くて食事する意欲もわかないから、水分と野菜・果物みたいな栄養のあるあっさりしたものしか食べてない状態に入っとります。ヘイ、や~せるや~せる~♪
とは言っても、仕事にはちゃんと行くわけなのでありますが、頭痛もズンズンしてきたよ~いっとな☆
とにもかくにも、今回の無理無理ツアーの「肉体面」がひとりカラオケとシネコンと寒空との温度差だったのだとしたのならば、「精神面」は確実に、くだんの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』の中身に起因するものなのでありました。ち、ち、知恵熱が~!
う~ん、なんって言ったらいいんでしょうか。
まず言えるのは、前回に私がぐじぐじ言っていた、『Q』にかんする「同時上映」と「エンディング曲」と「千葉で観るときの交通アクセスの悪さ」という3つの不満点以外、私が感じた不満はいぃ~っさいゼロだった! ということですな。
とにかくおもしろかった! 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』はとにかく展開がそのタイトルどおりに「急」で、そこに見とれているうちにあっという間におしまいになってしまうという幸福な時間を提供してくれました。
あとは~……なんて言ったらいい? なんて言ったらいい?
ん~と、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』はなんか、『機動戦士Zガンダム』みたいでした!
……あれ、これ、言いすぎ? ヤバいですか? でも似てんのよね~、ちょいちょい。
公開から1週間も経過しようとしていますし、もうご覧になられた方も多いかとは思うのですが、とにかく今回の『Q』は、これまでの『序』や『破』とは比較にならない「ぶっ飛びかた」をしているため、私の判断から言わせてもらえれば、本編開始数分の段階ですでに「な、なんだってぇ~!?」な展開になっていました。そんなこともありますので、極力、今回の時点でレビューみたいな文章をだらだらとつぶやくのはやめにしたいと思います。
そして!! 何を隠しましょう、我が『長岡京エイリアン』は、「東洋一『使徒のみなさん』を愛しているブログ」を標榜しているという重責を勝手に背負っているのであります。おなかをすかせた使徒が寄ってきたら熱い味噌おにぎりをにぎってさしあげるという、そんな町のほっとステーション! TVシリーズだけでしか活躍できなかった使徒が酒場のすみっこで愚痴をこぼしていたら、「そうやって元気にお酒を呑んでぐっすり寝てたら、またお呼ばれする日は来るわよ。」とそっと言葉をかけてさしあげるという、高島礼子みたいな包容力! そのへんを目指してるんですよ……
ということなので、今回めでたく公開となった『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』も、1本の映画の分析というよりは、その中に登場した使徒のみなさんを詳細に取り扱うべき時が来たら、どっしり!!と腰をすえて取り掛かることにしたいと思います。
つっても、観た人ならばおわかりかと思いますが、『Q』に出てきた使徒ったって、ねぇ……いや、いないわけじゃないからいいんですけど。そういう点では、サブタイトルで『シト新生』とでかでかと銘打っておきながらも、ほんとに新生してきたのはラスト数分で空から舞い降りてきた「エヴァンゲリオン量産型」だけだったという、いわゆる「シトシト詐欺」がまかり通ってしまった1997年の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH & REVERSE 』にくらべればすばらしい待遇になってはいるんですが、ねぇ……『序』は3体で、『破』は5体でしょ? ねぇ……
うちの『エヴァンゲリオン使徒大行進』シリーズも、どのくらい中断してましたっけね。
とにかく、この契機を逃がす手はないということでさっそく続きを再開したかったのですが、残念なことに体調がこげなこつになりもうしてしまい、スケジュールも忙しいさかりだし、おまけにお次の使徒さんが「そうだいが最も好きなマイフェイバリット使徒」なのだという、手の抜けないシチュエーション! つらいぜ~。
私の勝手な印象で言いますと、今回の『Q』によって、庵野秀明総監督は『新劇場版』シリーズなりの『旧シリーズ第24・25・26(最終)話』変換作業を完了させてしまったような気がします。作品の一部に、「それよりもさらにさかのぼった時点のあるエピソード」をうまく『Q』ふうにアレンジしたものもありますが、だいたいはこの3話ぶんをものすごい「ぶっ飛び調理」で仕上げた、ということになるのではないのでしょうか。
あ、ここで注意しなければならないのは、私のいう旧シリーズの『第25・26話』というのが、1996年の3月に TVで放送された『終わる世界』と『世界の中心でアイを叫んだけもの』のことではまったくなく、1997年の7月に「ほんとうの最終エピソード」として劇場公開された『Air 』と『まごころを、君に』のほうであるということなのです。
つまり、今回の『Q』ではっきりしたことは、かつて1990年代後半を席巻した『新世紀エヴァンゲリオン』大フィーバーの、ひょっとしたらアニメ本編以上に中核の部分に位置していたのかもしれない、TV放映ヴァージョンの最終2話分に凝縮されていたような「ある要素」を、今現在の庵野総監督は華麗すぎるほどにスルーしきってしまった、ということなのです。そしてだからこそ、リメイクではない『新劇場版』シリーズがほんとうの21世紀に誕生しているんですね。
『Q』は決して、『序』や『破』のようなすっきりしたカタルシスでしめくくられるわけではない「続く」な終わり方になっているのですが、あの『まごころを、君に』を強く意識させながらも、それとは気持ちいいくらいに正反対でポジティブなラストシーンになっています。
『Q』を観たことによって、あんなにズタボロで病みきった1990年代のエヴァンゲリオンブームを通り過ぎて15年ほど生き抜いてきた、私の中のなにかは、確実に「生きててよかった!」と救われたような気がするんだよなぁ。
旧シリーズと新劇場版シリーズは、ほんっっっっとに別の作品になりました。でも、こうなったらお次の『音楽記号でいうリフレイン』のついた最終作はどんなことになってしまうのか!? 旧シリーズはあらかた終わった領域に入ってしまうということで、皆目見当がつきませんなぁ。
また数年ですか!? またがんばって生きていくことにいたしましょ~、ハイ!
……ていうか、心身ともにキツすぎる……さみぃし……まず今年を生き抜けるのか、これ。