長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

あの夫婦にも、昔はこんな時があったのねぇ……  ~映画『アルゴ探検隊の大冒険』本文~

2022年02月20日 21時23分06秒 | 特撮あたり
≪資料編は、こちら~。≫

 ハイど~もみなさん、こんばんは! そうだいでございます。いや~、山形のこの冬はもう雪がめっちゃくちゃ多い! バレンタインデーも過ぎて、もうそろそろ桃の節句だって言うのに、外は気持ちいいくらいの白一色でございます! いい加減にしてほしいね……仕事する前に雪かきですでにヘトヘトになっちゃってるんだもん。春が待ち遠しいよ!

 お知らせがいつ来るのかな~と首を長くして待っていた、NHK BSプレミアムの池松壮亮金田一シリーズの最新シーズンの放送日時の告知が、ついに先日出ましたね! 来たる2月26日土曜日の午後11時から1時間30分、一挙3作品連続放送ですって! え、一晩で全部やっちゃうの!? なんという大盤振る舞いか!
 大盤振る舞いっていうか、もったいなさすぎじゃないですか? 通例通り1週に1本で1ヶ月くらいもたせてもバチは当たらないでしょうに……なんてったって、『シン・仮面ライダー』にて第10代(声優を含めて)・本郷猛を演じる話題の池松さんなんですから、そのくらいの扱いにしてもいいんじゃなかろうかと。どうせ北京オリンピックの編成のあおりを受けてのものなんでしょ? いくらメインディッシュがいぶし銀の『女怪』だからって、そんなに邪険にしなくたっていいじゃねぇかよう! 非常に楽しみにしております。

 さて、それはそれとしまして、今回はお題がまったく別! 日本に円谷あれば、欧米にハリーハウゼンありと讃えられる、「ストップモーション特撮の神様」こと、レイ=ハリーハウゼンの代表作とも呼ばれる映画『アルゴ探検隊の大冒険』についてのあれこれでございます。いつも通り、映画の資料だけをあげておいて5年ぶりの本文よ! ひどいもんだなぁ。

 のっけから脱線してしまうのですが、この映画は英語圏で制作されていますので、登場人物の名前の発音は全員英語読みになっています。つまり、イアソンは作中ではふつうに「ジェイソン」と呼ばれているので、なんだか国の命運を賭けた密命を帯びたアルゴ探検隊も、リーダーがジェイソンくんだと週末のキャンプみたいなラフさが漂っちゃいますね。ヘラクレスの「ハーキュリーズ」はカッコいいなぁ!
 ちなみに、1980年代生まれの私が「ジェイソン」と聞くと、どうしてもボロッボロのホッケーマスクをかぶったスキンヘッドの大男という、ホラー映画『13日の金曜日』シリーズの名キャラクター、ボーヒーズさんをイメージしてしまうのですが、最近の若いもんは、ステイサムさんのほうを思い起こすんじゃないの? 世の中のジェイソン事情も変わってきましたなぁ。でも、「ジェイソン=パワー系」という印象は共通してるんだなぁ。もしイアソン役がステイサムさんだったら、ヒュドラなんか、かば焼きにして食べちゃいそうですよね。

 閑話休題。

 『原子怪獣現わる』(1953年)の恐竜リドサウルスや、『地球へ2千万マイル』(1957年)の金星竜イーマをはじめとして、『タイタンの戦い』(1981年)の海竜クラーケンにいたるまで数多くの魅力的なクリーチャーを創造してきたハリーハウゼンなのですが、彼に負けず劣らず、ゴジラやラドン、我が『長岡京エイリアン』では信仰の対象となっておられるおキングギドラ様といったスター怪獣たちを生んできた日本の特撮界とは、根本的に自分たちの仕事や作品に対する姿勢が違っている気がします。

 端的に言ってしまえば、ハリーハウゼンがこだわっていたのは「映像表現の可能性の広がり」で、日本の円谷英二、というか、円谷英二の後継者たちがこだわっていたのは「キャラクター世界の広がり」だったのではないかと思います。着ぐるみ怪獣だけでなく、『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年)での、精巧きわまりないミニチュア戦闘機による爆撃シーン、『美女と液体人間』(1958年)での、重力に逆らって自らの意思を持ち這いまわる液体といった、「不可能を可能にする表現」にこだわっていた円谷英二の姿勢は、円谷プロ時代の『怪奇大作戦』や、『ウルトラQ』とか『ウルトラセブン』で、ワクワクして観たのに「あれ、怪獣出てこないぞ……?」と肩透かしをくらった幼児体験のある方ならば、誰でもお分かりかと思います。ハリーハウゼンと円谷英二自身は、やっぱり同じ天才としてよく似ているんですね。ただし、欧米と日本それぞれの特撮界は、彼ら天才が身を引いた後の展開の方向性がまるで違っていたわけなのです。かたや技術革新の追求による CGへの道、かたや着ぐるみという伝統を固守した内世界の拡大への道、といった感じで。
 それが、文化のグローバル化、ごった煮化、均一化が激しい21世紀の映像世界では状況がだいぶ変わってきて、ゴジラシリーズしかりウルトラシリーズしかり東映ヒーローものしかり、海を渡れば DCユニバースしかりマーヴェルCU しかり……面白いキャラクターがいれば、それを何度もブラッシュアップして再登場させるのが当たり前、という商業パターンが洋邦を問わず一般化してしまったわけです。今さら、ハリウッドがゴリゴリに固太りして顔だけ小さいゴジラを作ろうが、日本がニンジャバットマンやらノブナガジョーカーを作ろうが、だぁれも驚きませんよね。
 それはそれでいいんですが、そんな今の世の中から振り返れば、思ったよりもストップモーション特撮キャラの活躍時間が少ないハリーハウゼン作品は、いかにも「もったいない! もっと活躍させてよ!」と思わずにはいられないおあずけ感覚に陥ってしまいます。面白いんだけどね! 人間、腹八分目だけれども!!

 今作に関して言えば、ストップモーションで動きまわるキャラとしては「青銅の巨人タロス」、「怪鳥ハーピー」、「7首竜ヒュドラ」、「7人の骸骨剣士」が登場するわけなのですが、こういったラインナップを予備知識のない現代人に見せて、「最強のラスボスキャラ、どれにする?」と聞いてみたら、おそらく9割がたの人はヒュドラにするのではないでしょうか。強そうだし、7本の首がうねうね動きまくるのなんか、いかにも画になるしねぇ。

 ところが、本作を観てごらんのとおり、ラスボスはなんと骸骨剣士なんですよ! こんなもん、下手したら最弱の「スライムのちょい上」になっててもおかしくないですよね? しかも、骸骨剣士ってハリーハウゼンさん、以前に『シンドバッド七回目の航海』(1958年)でもやってるでしょ? なんでそれがラスボス!?
 ちなみに、本作のほんとうの原作である『アルゴナウティカ』(紀元前3世紀)におけるラスボスはタロスであり、さらにそのタロスを倒すのはイアソンでなくメデイアです。ハリーハウゼンさん、映画としての盛り上がりを最優先させて物語の順番やキャラの役割をアレンジしまくりですから、ギリシア神話にご興味のある方は注意しましょう。ヒュドラ、イアソンの地元ギリシアの怪物なのにコルキスに出張させられてるし! そりゃコンディションも最悪になるでしょ。

 本作で骸骨剣士がラスボスに選ばれた理由はもう、観てもらったらわかると思うのですが、とにかく「撮影が大変」!! そうなんですよ、デカさで言ったらタロス、飛行で言ったらハーピー、迫力で言ったらヒュドラなわけなんですが、剣と剣、剣と槍といった「生身の演者との絡みと手数」が圧倒的に多い骸骨剣士をラスボスに選んだのは、「不可能を可能にする表現」に挑戦し続けるハリーハウゼンとしては至極まっとうな選択だったのでしょう。彼がこだわったのは骸骨剣士というキャラクターのガワではなく、「あいつが7人もいたら殺陣どうするよ~!?」という、そんなこと言い出さなかったら誰も苦労しなかったであろう、むちゃくちゃな難易度の設定だったのです。できあがった作品を客として楽しむ分には全く問題ないけど、制作スタッフにはなりたくねぇなぁ~!! 業界はちがえども、手塚治虫、宮崎駿、そしてハリーハウゼン……天才は、近くにいる人にとっては天災なんだなぁ。

 それにしても、7人の骸骨剣士とイアソンたち3人の探検隊員との約3分におよぶ剣劇シーンは、本当にすごい。殺陣の振付の一手一手がまず面白い上に、骸骨剣士の動きと同期して背景に映り込む影までも再現し(当然生身の人間の影と同じ角度!)、首が取れて慌てふためいたり、あばら骨の隙間に剣が入っただけなのでノーダメージなのに、生前のクセからか「ぐわーっ!」とやられた振りをしたりするような骸骨剣士のユーモアまでちゃんと差し挟んでいる、ハリーハウゼンのサービス精神の旺盛さには、心の底から頭が下がります。しかも、よく見ると骸骨剣士の見た目も全員同じではなく、盾の装飾がそれぞれ違っていたり、剣の戦士と槍の戦士がいたりして微妙な違いがあるという……どんだけ自分を追い込めば気が済むんだい、ハリーハウゼンさんよう!!
 まぁ、その骸骨剣士たちの尺的なあおりを喰らってか、かなりラスボスっぽい見かけのわりに、なんとイアソンの剣の一刺しで死んでしまうというひどい扱いになってしまったヒュドラは不憫でなりませんでしたね。黄金の羊の毛皮の守護竜(ヒュドラの弟)の代理で登場してるのに、あっけなさすぎ! 切った首が次々に再生する展開とか、もっとこう……さぁ!! 7本の首を常にランダムにくねらせるヒュドラの動きは言うまでもなく素晴らしいのですが、巨匠ハリーハウゼンの飽くなきチャレンジ魂とどM 気質をもってしても、これ以上のスペクタクルの表現は、少なくとも1960年代の段階では無理であったか。でもヒュドラの消化不良感に関しては、最後の作品『タイタンの戦い』での、もはや伝説ともいえる「魔女メデューサとの決戦」における、メデューサの頭の無数の蛇のモーションで、見事リベンジを果たしてるんだよなぁ。さすがはハリーハウゼン、ただでは転ばない漢だ!!
 この『アルゴ探検隊の大冒険』において、ハリーハウゼンは青銅の巨人タロスによる「重厚な質量感のある動き」、怪鳥ハーピーによる「激しいはばたき」、7首竜ヒュドラによる「爬虫類のぬるぬる動き」、そして骸骨剣士による「軽快なカクカク動き」と、テンポの自由自在な変化によるストップモーション特撮の可能性の拡大に挑戦したのでしょう。まさに、ハリーハウゼン魔術のショウケース! ここらへん、コロッケさんのものまねレパートリーに近い鬼気を感じますよね。

 昨今、世界の空想フィクション世界では、「ヒーローは徒党を組まなければならない」、「怪獣は強く大きくカッコよくなければならない」、「仮面ライダーはフォームチェンジしなければならない」、「プリキュアは1チーム3人はいなければならない」などの、誰が言うでもなく慣習化した「数と力のインフレ」の歯止めが利かなくなっている状況が続いていますが、これは言い換えれば、「とりま、これやっとけば人気とれるっしょ。」という安心を求める甘えの産物でもあると思います。ひとりの人間として、その気持ちはよくわかるのですが、それは、クリエイターの仕事の姿勢として、どうなんだろうか。
 もう一度いま、作り手が全てをリセットし、「自分が心から燃える課題(表現)にひたむきにチャレンジする」ための、実験精神に満ちたゼロの大地を創り出す必要があるのではないでしょうか。そうしないと、業界全体が飽きられちゃうような気がするんだよなぁ。もう似たようなキャラばっかで、そんなんだったら、まだ新しいものに挑戦する緊張感のあった10~20年前の過去シリーズ作品でいいじゃんみたいな停滞感、なくない!? 特にニチアサとか。おもちゃを売るためだけにしか、新作つくってません?
 かの西洋ねずみ帝国の植民地と化してしまった『スター・ウォーズ』シークエルの腐臭ふんぷんたる大失敗は、決して対岸の火事ではありません。あなたが幼い頃に大好きだったヒーローやヒロインが、ある日突然、「お金になりそうだから」という理由だけで、敬意の全くないタスケン・レイダーにすら劣る輩によって墓から掘り出され、無理矢理操り人形にされてしまう悪夢が、明日来ないとも限らないのです! こわいね~。
 日本の特撮界が、マンネリ化による求心力の低下によって人気の空洞化現象をまねき、怪獣の死体をネタにしたコントが「日本伝統の特撮映画でござ~い。」みたいな顔をしてのさばるような世の中にならないように、切に祈りま……あ、もうなってるか。

 過去作品に材を取った『シン・~』の流れも別にいいんですけど、とにかく作り手が燃えている作品が観たい! 燃えている人が創り出した映像なのであれば、ラスボスがお骨だろうが、いきりまくった大怪獣が剣の一突きで死のうが、なんでもいいんです!! だって、ラスボスが必ず強くなきゃいけない理由なんて、どこにもないだろ! あのヒュドラだって、たまたまあの日は風邪かインフルでめちゃくちゃ調子悪かったのかもしれないし、もしかしたら直前に闘ったアカストス王子が異様に健闘していたせいで、HP が1/90000くらいにまで削られていたのかもしれないんですよ!! そう考えれば、イアソンが出遭った時に、ヒュドラがその尻尾で捕らえていた瀕死のアカストス王子を、かなり優しく地面に降ろしてからイアソンと対決すしていたのにも得心できますね。あれはヒュドラなりの、強敵への敬意のあらわれだったのだ……
 ところで、イアソンをまんまと策略に陥れ、そのすきに先に黄金の羊の毛皮を発見した時の、アカストス王子の「ちょろいぜ☆」と言わんばかりの、世の中をナメきった表情が実にステキですね。『鬼滅の刃』の名キャラクター・サイコロステーキ先輩の偉大なる祖先だと思います。

 蛇足ですが、私は『シン・ウルトラマン』でも『シン・仮面ライダー』でも大歓迎で観に行くつもりではあるのですが、なんかあの、よくわかんない「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」っていう企画、あれなに? あれだけは絶対に許容できません。ふざけんな! 何がユニバースだ!!
 だって、『キューティーハニー』(2004年)が入ってねぇじゃん!! サトエリさんを入れろ!! ついでに『シン・キューティーハニー』だか『キューティーハニー1984』みたいな感じで新作をつくれ!! 欧米のガル=ガドットに勝てるのはサトエリさんだけだろ! 18年前のね……
 『シン・~』シリーズの原点はゴジラでもエヴァンゲリオンでもなく、キューティーハニーですよ! それを「なかったこと」みたいにする姿勢は、絶対に許せるものではありません! まぁ、それが成功したかどうかは別の問題としても、『キューティーハニー』や『仮面ライダー THE FIRST』などのチャレンジの軌跡は、未来に活かしていくべき財産とするべきものなのです。忘れ去る、黙殺するなど、とんでもない!!

 すみません、取り乱しました。

 話を戻しますが、この作品は、ハリーハウゼンの特撮技術の研鑽を、さらに一段階レベルアップさせる格好の舞台となったわけなのですが、「シンドバッド」シリーズから『タイタンの戦い』へと通じる重要な「歴史ロマンもの」の一作であり、当然ながら、ロマン作品ならばラストシーンはカッコいいヒーローと美しいヒロインとの熱い抱擁でチャンチャン、となるわけなのですが……

 イアソンとメデイア、だもんねぇ。

 映画『アルゴ探検隊の大冒険』の原作は紀元前3世紀の古典叙事詩『アルゴナウティカ』であり、『アルゴナウティカ』はメデイアを妻としたイアソンとアルゴ探検隊(アルゴナウタイ)が神器『黄金の羊の毛皮』を手に見事、ギリシアのテッサリア地方、イアソンの真の仇敵ペリアス王の待つイオルコス王国に帰国して終わるわけなのですが……問題は、『アルゴナウティカ』で語られない、その後なのよねぇ。とてもじゃないけどハッピーエンド、円満な夫婦生活にはならないという。

 帰国後、イアソンはメデイアの魔力によって悲願だったペリアス王の抹殺に成功するのですが、メデイアのすさまじい魔力を恐れたイオルコスの民はイアソンが次期国王となることを拒否し、イアソンはメデイアを連れて近隣の、ペロポネソス半島にあるコリントス王国に亡命することとなります。
 しかし亡命者とはいえ、勇気あるアルゴナウタイのリーダーであり、イオルコス王家の王子でもある英雄イアソンの血統を重んじたコリントスのクレオン王は、娘のクレウサ王女をイアソンの正室にしようと提案し、クレウサの若さと清楚な美しさに惹かれたイアソンは、メデイアとの関係を「側室か愛人」に堕とし、クレウサと婚姻しようとします。
 このイアソンの、今まで何度となく命を救ってきた自分に対する恩も、それ以上に大切な愛情のかけらも残っていない判断にブチ切れたメデイアは、イアソンへの復讐としてクレウサとクレオン王を呪い(出力フルパワー)で焼き殺し、イアソンとの間にもうけた2人の幼子さえも自らの手で殺し、絶望するイアソンを尻目に、ドラゴンの牽く戦車に乗って実家のコルキス王国へと帰るのでありました。全てを失ったイアソンは、放浪の果てに朽ち果てたアルゴ船の下敷きになって死んだとか……

 チャンチャン……じゃねぇ!!

 このへんの経緯は、ある意味で『アルゴナウティカ』よりも有名な、エウリピデスによるギリシア悲劇『メデイア』(紀元前431年)と、それを原作とするルイジ=ケルビーニのオペラ『メデア』(1797年初演)、それをあのマリア=カラスが20世紀に演じて復活させた縁で、いわくつきの天才監督パゾリーニの手により再びカラスがメデイアを演じた映画『王女メディア』(1969年公開)でつとに有名なのではないでしょうか。日本だったら、「世界のニナガワ」蜷川幸雄の演出によるバージョンの『王女メディア』(1978年初演)を思い出す方も多いのですよね。ひらみきの衣装とメイクがすごいやつ!
 蛇足ですが、私、あのひらみきメディアの格好を見た瞬間から、「あれ、これ、どっかで見たことあるぞ……?」とミョーな既視感を覚えていたのですが、あれ、『電撃戦隊チェンジマン』(1985年放送)の、中間管理職の悲哀をこれでもかという程に体現した悪の大幹部ギルーク司令官(演・山本昌平)の、左遷時代のフォーム「ゴーストギルーク」のデザインの元ネタなんだそうですね! この情報を知った時はしっくりきたなぁ。ちなみに『王女メディア』の衣装デザインは辻村ジュサブローさんで、ゴーストギルークのデザインは出渕裕さんです。メデイアと特撮との意外なつながりは、なにもハリーハウゼン経路だけではなかったのですな。
 でも、メデイアの美女の面を抽出したのが『アルゴ探検隊の大冒険』で、魔女の面を抽出したのが『王女メディア』系の諸作であると解釈して間違いはないのですが、パゾリーニの映画版の『王女メディア』は、うん……面白くは、ないよね! 美術や衣装風俗こそ時代考証的には正しいのかもしれないけど、ハリーハウゼンがあれほどまでに重視していた「テンポ」というものを、気持ちいくらいにかなぐり捨てているのがパゾリーニ版なんだよなぁ。ヨーロッパ映画における、芸術性と睡魔の相関関係って一体……

 う~ん、やっぱり私は、『アルゴ探検隊の大冒険』のほうが好きだな! イアソンとかメデイアとかがどう描かれているかなんかは、ぶっちゃけどうでも良くて、問題は、それを現代に語る者、その語り方に情熱があるかどうかなのだ。大事なことね……


 ってなわけで、今回も字数がこんな感じにかさんでまいりましたので、最後に『アルゴ探検隊の大冒険』を観ていて私が感じた備忘録と、パゾリーニ版の『王女メディア』の情報をまとめておしまいにしたいと思います。


・バーナード=ハーマンの勇壮な音楽と、物語のハイライトをつづっていく壁画風映像のオープニングが、まさに正統派古代ロマン時代劇という感じで素晴らしい。親子で観ても安心!
・野心に満ちた武将ペリアスのクーデターと、のちにイアソンとなる赤ん坊が助けられる一連のくだりが非常にわかりやすい。なんてったって大神ゼウスの予言なんだから、イアソンを殺せるわけがないんだよなぁ……
・私は西洋の歴史にはそんなに詳しくはないのだが、そんな私が観ても、イオルコス王国の兵士の甲冑が、たぶん1500年くらい未来のローマ帝国みたいなデザインになっているような気がする違和感はぬぐいきれない。末端の兵士にいたるまで、そんなに惜しげもなく金属は使ってないんじゃ……日本で例えれば、聖徳太子がネクタイにスーツ姿になってるみたいなもんじゃないの? ま、いっか。コロンビア映画だし。
・ギリシア神話名物「ゼウスとヘラの夫婦漫才」がさっそく炸裂! 「ヘタレのペリアスが悪いんじゃよ……」と伏し目がちにヘラに反論するゼウスが実に人間くさい。神の中の神なのに!
・イアソンの仇討ちをなんとしても助けたる!と言い張るヘラに押し切られる情けないゼウスだが、「じゃあ5回助けるチャンスをやる。」と、とんでもないルールをこともなげに設定してしまうところが地味に大神らしくてあなどれない。やるな、オヤジ!
・作中の映像時間から察するに、ゼウスとヘラのいる天界での1分間は、地上での20年間に相当するらしい。ペリアス王の栄華、1分で終わっちゃったよ!
・いくら自分の神殿を血で汚されたからといっても、20年間もペリアス王をストーキングするヘラの執念がこわい。まさに、メン……いえ、なんでもないです。
・単に川で溺れている男(ペリアス王)を救助した純真な青年のような顔をして野営の宴に招かれておきながら、口を開いたとたんに俺は前王の遺児だと言い出し、ペリアス王への復讐を公言するイアソンの目つきが非常にアブない。助けた男、どう見てもペリアス王に近いテッサリア王国の有力人物だよね(実はペリアス王本人)!? バカなのか!?
・テッサリア王国を悪政から救うために神器「黄金の羊の毛皮」を見つける冒険の旅に出るという流れが、まさに RPGの元祖中の元祖という感じでわかりやすい。ワクワクするなぁ!
・女神ヘラの加護のあるイアソンを殺せないのなら、なるべく自分から遠ざけようと画策するペリアス王の判断が実に現実的で賢い。さすが、20年間おびえ続ける男なだけはある。
・なんか、最初に登場した時からミョ~に老けたメイクをした予言者だなぁと気になってたら、あんたオリンポス十二神のヘルメスだったんかーい! そりゃ予言も当たるわ。
・コルキスへ行けとヘラに言われて「世界の果てだぞ……」とひるむイアソン。でも、コルキスなんて黒海の東岸でしょ? もっともっと世界の果てジパングに住む人間からしたら、そんなもんねぇ。日帰りの温泉旅行みたいなもんでしょ!
・大神ゼウスとオリンポスの神々の圧迫面接にも物怖じしない姿を見てもわかる通り、イアソンは天才的な特殊能力こそないものの、勇気と弁舌に長けている、劉備玄徳のようなリーダー気質のある大人物らしい。またこの後の展開から、男に異様に好かれる人望も持ち合わせているようである。その一方で女運はどうかというと……不安!!
・非常に男むさい、イアソン主催の探検隊員募集のオリンピック大会のもようを、天界から実になごやかに笑顔で観戦するオリンポスの神々。ひまか!?
・エーゲ海と黒海を航行可能な大船アルゴ号を建造した天才アルゴスだが、まばたきをして眼球が動くギミックを取り入れたヘラそっくりの船尾像をオプションで造るほどのヘラ信者とは……これにはさすがのヘラもドン引き!?
・やっぱり、実物大のアルゴ船をちゃんと海に浮かべて行う撮影は、迫力と臨場感がちがう! いいなぁ。
・ギリシアからコルキスまでの距離は、片道およそ2400キロ(日本で言うとだいたい北海道~鹿児島間)の船旅。現在は陸路で片道およそ30時間かかるそうです。まぁ、古代の海路の感覚では長旅ですよね。
・いくら船旅で体力が落ちていたと言っても、天下の英雄ヘラクレスがクレタ島のヤギ1匹捕まえられないとは……でも、ヘラクレスはゼウスの隠し子でヘラからかなり憎まれていたという神話があるので、これもアルゴ船でヘラそっくりの船尾像ににらまれ続けていたがための呪いなのか!? あわれヘラクレス!
・本作で初めてクリーチャーが登場するのは、本編が始まって35分後というけっこう遅めのタイミングなのだが、それまでのドラマが面白いことと、なによりも青銅の巨人タロスの迫力がハンパないので、まったくダレない。青銅像なので当たり前だが表情ひとつ変えず、金属的なにぶいきしみ音だけを響かせてゆっくりと機動するタロス……こわすぎ!!
・複雑な海岸線沿いに重厚に進撃するタロスの見事な合成テクニックと、ハーマンの重々しい音楽が見事に調和した特撮シーン。日本に円谷英二&伊福部昭があるのならば、西洋にはハリーハウゼン&ハーマンがいる!
・男どもが汗だくで漕ぎ進めるアルゴ船の先に、岬にまたがったタロスの青銅の股間が迫る! なんなんだ、このむくつけき映像は。
・タロスは、武器の剣を右手に持って歩くのだが、右手でアルゴ隊員やアルゴ船を捕まえようとするときには、いちいち剣を左手に持ち替えて右手を使っている。タロスをわざわざ右利きに設定する、映画には一切出てこない開発者ヘーパイストスの異常なこだわり! ヘーパイストスっていうか、ハリーハウゼンか。
・タロスが軽々とアルゴ船を海面から持ち上げて、突然興味を無くしたようにぽいっと捨てる動作が、1954年の『ゴジラ』を意識していると見るのは、日本人のひが目か? ともかく、アルゴ船の精巧なミニチュア撮影と、実際に実物大の船セットから船員たちが落下するスタント撮影との絶妙な編集の組み合わせがすばらしい!
・タロスの攻撃で難破したアルゴ船から命からがら逃げてきた船員たちと海岸で合流するヘラクレス。イアソンの「掟を破ったな!」という詰問に、迷いなく「うん!」といった感じでうなずくところが、さすが脳筋中の脳筋ヘラクレス……憎めないヤツ!
・およそ10分間にわたる機動の末に、ヘラの助言を受けたイアソンの勇気ある行動により、かかとの栓から蒸気と血だかガソリンみたいな液体を放出して倒れるタロス! 利き手があったり、機動停止の直前に両手で喉元をおさえて苦しむなど、不必要に人間っぽい動作オプションが目立つステキなキャラでした。お疲れ!
・親友ヒュラスを探すためにアルゴ探検隊から脱退するヘラクレス。情に厚い、いかにも英雄らしい判断だが……自分のせいだもんねぇ。
・登場時から腰巻ひとつで、そのだらしない中年体型を惜しげもなくさらし続けていたアルゴスだが、下船する時はちゃんとした衣服を着て露出度がグンと減ってしまうのが、節度を守っていてほほえましい。でも、船に戻るとすぐ裸になる……アルゴ探検隊のグラビア担当は彼だ!
・盲目の預言者ピネウスをすぐに殺すでもなく、足でつつく、杖を盗む、テーブルをひっくり返して食べ物を台無しにする、衣服をはぎ取るという最低ないじめを繰り返す怪鳥ハーピー! その性格の悪さが妙に印象に残る。
・実在の俳優が持っていたり身に着けたりしているはずの杖や衣服をミニチュアのハーピーが奪い取るという合成撮影の連携が実に見事! さすがはハリーハウゼン、おのれに課す特撮難易度の高さがハンパない!!
・ゼウスの仕掛けた「吠える岩」の関門を、イアソンを助けるためにいとも簡単におさえてクリアさせる海神トリトン。お前、叔父さんに逆らうのか! でも、トリトンはヘラの甥っこでもあるんだよなぁ。難しい立場ね!
・吠える岩の落石で難破したコルキス船からイアソンが助けた、水もしたたるイイ女……その名はメデイア!! あ~あ、イアソンやっちまったな! メデイアを演じるナンシー=コバックの目力がものすごい。えっ、ナンシーさん、今もご存命(2022年2月時点でおんとし86歳)? 本物のメデイアじゃないの!?
・アカストス王子との決闘で負ったイアソンの腕の傷を、薬草でたちどころに完治させるメデイアの献身的な愛……のちの2人の顛末を思えば、なぜか自然と涙が。それにしてもメデイア、ウエストほっそ!
・全身に金粉を塗りたくり、ヘカテ教ダンサーチームのどセンターを張り、恍惚のおももちで踊りまくるメデイア。その光景を見て若干引き気味のイアソンの表情が興味深い。コイツ重いな! この時のイアソンの予感は正しかったのだ……
・ペリアス王といいメデイアといい、イアソンはその人の素性を知らないまま気安く接近して本心をさらけ出してしまう悪いクセがある。お人よしっつうか、無防備っつうか。
・アカストス王子の差し金とはいえ、国賓のようにさんざんっぱら歓待しておきながら、祝宴が盛り上がったところでいきなり手のひらを返してアルゴ探検隊をひっ捕らえるアイエテス王の情緒不安定さも、娘メデイアに負けず劣らずめんどくさい。この娘にしてこの父ありか。ちょっと『お父さんは心配症』を想起させる。
・コルキス王女の身でありながら、イアソンとの愛のために国や父王を捨てることを即決するメデイア。この激しさがくせものなんだよなぁ……
・見事に骸骨剣士たちの追撃から逃れてアルゴ船に生還し、愛するメデイアと熱いキスを交わすイアソン。これをもって本作の物語はハッピーエンドに終わるのだが、天界からこの2人の様子を見て若干表情を曇らせるヘラと、ゼウスの「イアソンの冒険はまだ終わっておらんぞ。さぁ、ゲームを続けよう。」という言葉がいかにも意味深なエンディングである。さぁ、イアソンとメデイアの夫婦人生航路は、これからどうなるのカナ~!?


映画『王女メディア』(1969年 106分 イタリア・フランス・西ドイツ合作)
 『王女メディア( Medea)』は、イタリア・フランス・西ドイツ合作のファンタジー映画。古代ギリシアの劇作家エウリピデスによるギリシア悲劇『メデイア』(紀元前431年)を原作とする。監督・脚本はピエルパオロ=パゾリーニ(47歳)。主演は世界的オペラ歌手のマリア=カラス。カラスが長編映画に出演したのはこの作品のみだが、当時すでにオペラ歌手としては事実上の引退状態にあり、歌唱はしていない。
 物語の舞台の異国感を出すためにトルコ・カッパドキア地方のギョレメ岩窟教会群で撮影し、音楽には日本やイラン、チベットの伝統音楽が使われた。

主なキャスティング
王女メディア        …… マリア=カラス(45歳)
英雄イアソン        …… ジュゼッペ=ジェンティーレ(26歳 当時現役の陸上三段跳びオリンピック選手)
コリントス王クレオン    …… マッシモ=ジロッティ(51歳)
ケンタウロスのケイロン   …… ローラン=テルズィエフ(34歳)
クレオンの娘クレウサ    …… マルガレート=クレメンティ(?歳)
ペリアス王         …… ポール=ヤバラ(?歳)
メディアの弟アプシュルトス …… セルジオ=トラモンティ(23歳)


 いや、パゾリーニ版の緊張感も、たま~に観たくはなるんですけどね。なんで2時間もない映画なのに、あんなに眠くなるんだろうなぁ……これも、時を超えたメデイアの魔力かな?
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