♪じゃ~じゃっ、ど~ん じゃ~じゃっ、ど~ん じゃっじゃらっ!
どうもこんにちは! そうだいでございます~。今日もいいお天気ですね~。でもやっぱ、朝から外は寒かった!
いろいろ忙しい忙しいとばっかり言っているこの『長岡京エイリアン』なんですが、そんな私もいよいよ年末のスケジュールみたいなものの全容がつかめるようになってきました。
結論、今年は大晦日まで忙しいであろう!!
いいね~、いいね~。せいぜい死力を尽くしてがんばらせていただこうじゃあ~りませんか! 去年の年末はかなりマイペースにのんびり過ごした気がするんですが、バタバタのうちに年を送るのもいいでしょう。それだけ健康にしめくくれるってことなんですからね。残り少ないですが、最後まで気を抜かずにいきまっしょ~。
……あ、年賀状のことぜんぜん考えてなかった。どういう絵柄にしよっかな……そもそも、作る時間と体力あるかな……ま、がんばりましょう。
こんなバタバタドキドキが続く中、昨日は久しぶりに一日休みをとりまして、ちょっとある用事のために早朝から東京に行っていました。
いんや~、この用事は非常に良かったですね!! 実に素晴らしい体験をさせていただきました。
気分としては、そのすばらしさをとうとうとこの場で語らせていただきたい思いでまんまんなのですが、今回のことは特別のご厚意を受けてお呼ばれしたことでしたので、詳しい内容は私の判断で、控えることにさせていただきます。
でも、なんにしてもこういう場に誘ってもらえるというのは、本当にありがたいことであります……別にそういうものを期待して築きあげるものでもないし、私もそういう能力にたけているとはとうてい信じられないのですが、いろんなステキな方々とのつながりっていうのは大事ですよねぇ~。しみじみ感動させていただきました。
さて、ほんでま今回のお題は、その帰りにせっかく東京に来たんだからと思って、渋谷に寄って観た映画について。
映画『007 スカイフォール』(監督・サム=メンデス、主演・ダニエル=クレイグ 143分)
ギャ~!! ボンドぉ~、ジェイムズ=ボンドぉお~!
その日は、『スカイフォール』と『アルゴ』のどっちかを渋谷で観ようと思ってたんですけど、上映時間のタイミングが良かった109近くの渋谷 TOHOシネマズでの『スカイフォール』となりました。前回の『仮面ライダー』もそうだったし、TOHOシネマズにはお世話になりっぱなしですな。
時間的には、ビルの中で手間どったり、おなかがすいたのでキャラメルポップコーンを買ったりしたので、私は予告編の上映中に入場することとなったのですが、入ったときには AKB48の新作ドキュメンタリー映画の予告をやっていた最中で、指原さんがなにごとかを小声でつぶやきながら泣いているシーンでした。
……なぜだか知らないんですが、自然に背筋をのばして、堂々とスクリーンの前を横ぎっちゃいましたね。なぜなんだろうなぁ~!? ふつうだったらマナー的に、他のお客さんのことを気にして身をかがめて通るはずなのに。
しかし、観客200人規模の TOHOシネマズの大スクリーンは、私が前を通ったごときで彼女たちが見えなくなるようなせせこましさではありませんでした。おのれの身の小ささを痛感してこその、この『長岡京エイリアン』なんですよねぇ~。なに言ってんでしょうか。
でも、実際にその回の『スカイフォール』を観に来た客層は AKB48が見えないとストレスがたまるような方はほとんどおられなかったようで、ほんとにそうかは別としても、平日の昼過ぎということもあってか、10代のいる雰囲気はまったくないアダルトでビターな感じになっていました。9割男性、7割スーツといった陣容でしたね。でも、女性の方もかなり強い意志で007を観に来たというオーラをまとっている印象がありました。007っていうよりは、ダニエル?
今回の『スカイフォール』は、なんと今年で50周年を迎えるという「007シリーズ」の第23作に当たる作品で、「ご本家筋」ということになる映画制作会社イオン・プロダクションによるシリーズの中では「6人目のジェイムズ=ボンド」となるダニエル=クレイグの主演としては3作目のものとなります。
イオン・プロダクションというのは、ほぼ007シリーズを製作することだけを事業内容としているイギリスの制作会社なのですが、このプロダクションが1950~60年代に売れっ子作家だったイアン=フレミングのスパイアクション小説「007シリーズ」を1962年10月に初めて映画化したのが、かのショーン=コネリー主演による『007 ドクター・ノオ』だったというわけなのです。これがすべてのはじまり!
小説家のイアン=フレミングは第2次世界大戦中にイギリスの実在する諜報機関「 MI6」に本当に所属していたのですが、ご本人はデスクワーク中心で諜報活動を自ら行うことはなかったものの、その時の経験や同僚である第一線で活躍……じゃなくて暗躍していたスパイたちの業績をもとに、それ相応のフィクション的味つけをほどこして世に出したのが、いかにもカッチョいいヒーロー然とした、「殺人許可証」を持つという MI6所属の伝説の諜報員、コードネーム「007」ことジェイムズ=ボンドの活躍譚だったんですな。
フレミングの原作「007シリーズ」は1953年の長編『カジノロワイヤル』を皮切りとして、大評判のうちに12作の長編と9作の短編が発表されているのですが、フレミング自身は1964年8月に56歳という若さで心臓麻痺で死没してしまいました。なんか、ものすごい美食家だったことが災いしたらしいですね……なんだ、暗殺じゃないのか。
ともあれ、生みの親フレミングが去った後も、007シリーズはどんどん映画化されていき、生前のフレミングとも親交の深かったイオン・プロダクションのシリーズと、イオン・プロのタッチしていない「番外編007」の映画『カジノロワイヤル』(1967年版)と『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(1983年)もあわせて、この50年間に25本の作品が制作されることとなったのです。もうエンターテインメントの世界では伝統芸能みたいな扱いになってますよね! だからこそ、今年夏のロンドン・オリンピック開会式でも「007がモノホンの女王陛下と共演!!」というトピックが大きな出し物となりうることができたのでしょう。
ちょっと話は脱線しますが、今の日本でこの007ほどの存在感を持つ架空のキャラクターがいるのかどうか……仮面ライダーとかウルトラマンとかアンパンマンとか「あっちの世界」はもちろん相変わらず豊富なんですが、生身の役者さんが顔出しで演じている方面はあんまりいないような気がしますねぇ。かろうじて「寅さん」と「黒板五郎さん」、あと「バカ殿様」ぐらいかなぁ。それでも世界規模じゃあないしねぇ。
でも逆に言うのならば、いくらショーン=コネリーだロジャー=ムーアだダニエル=クレイグだといった世界を代表する名優たちが演じていたのだとしても、007というキャラクターはリアルというよりもよっぽどアニメや空想の世界に近い「全世界共通で楽しめるムチャクチャ感」を身にまとっているということになるんじゃないのでしょうか。この「うそっぽさ」が007の魅力のひとつなんだよなぁ!
50年という長い歴史の中で、フレミング原作による21の作品はあらかた映画化されてしまい、6人の俳優が演じたシリーズの中で、5代目ボンドのピアース=ブロスナンによる1995~2002年公開の4作と、ここ最近のダニエル=クレイグによる2作『慰めの報酬』(2008年)と今回の『スカイフォール』は、フレミングの世界を離れた完全オリジナル作品となっています(『慰めの報酬』というタイトルのフレミング原作短編は存在するが、内容はまったく関連がない)。でも確かに、フレミングの世界には荒唐無稽といえども「アメリカ VS ソヴィエト連邦の東西冷戦体制」という大前提があったため、それをあえて21世紀の今に持ってくる必要もないということなんでしょうねぇ。
ただし! ここがダニエル・ボンドシリーズに限って重要なことなのですが、ジェイムズ=ボンドや「M」や「Q」といった枠だけを引き継いで、それ以外のすべてを原作小説や過去の映画シリーズから脱却させて一新させたピアース・ボンドシリーズとも違って、いま現在進行形で進んでいるダニエルシリーズは、「過去の作品をふまえた新しい007世界をいちから作り直していく」という温故知新な魅力に満ちているのです。
これは非常におもしろい作風だと思うんですが、振り返れば、あのクリストファー=ノーランによる「ノーラン・バットマン3部作」もまた、過去のバットマン世界をいっさい「なかったことにしている」ようでありながらも、実は終盤で、一連の作品が「21世紀のバットマン世界が始まっていくまでの序章」だったということが明らかになるわけで、こういった「壮大なループ感」は『スカイフォール』とも大いに共通しているものがあると思うんだなぁ。そして、私はそういう新作の作り方は大好きです!!
でも、その構想がうまくできていることと、「その作品自体がおもしろいのかどうか」はまぁぁったくの別問題でありまして、その点、あの『バットマン ライゼズ』は「ジョーカーの不在」という前代未聞のハプニングが出来してしまったために、非常に不完全な完成度に終わってしまいました。それはそれでノーラン3部作は終焉したのですが、エンタテインメントとしてはとてもじゃないですが「円満」とは言いがたい感じになってしまったのです。
こういっちゃあナンなんですが、「ノーラン3部作」は板チョコレートでいう「カカオ70~100%のにがいやつ」なんだと思います。作品は非常にストイックでダークでいいんですが、それで最終的にはひたっすら苦いだけの黒い塊になっちゃったって感じでしょうか。
だが、しかし。007シリーズはあくまでも007シリーズ。見るからに顔色ひとつ変えずに人を殺しそうなダニエル=クレイグが主人公になったのだとしても、この名門タイトルはあくまでも「おいしい王道ミルクチョコレート」が身上なのです。そこをちゃんと守り通した上で、『スカイフォール』がどのような「新釈」をほどこしているのか、そこが大問題なんですなぁ~。壊せばいいってもんじゃあないんです。
ダニエル・ボンドの第1作が、原作小説の第1作でもある『カジノロワイヤル』(2006年公開)だったことからもわかるとおり、ダニエルシリーズは明らかに「ダニエルが演じる007が新しい歴史を最初から再構築していく物語」です。だからこそ、『カジノロワイヤル』のダニエルは007というコードネームをもてあましている血の気の多い危険なスパイだったし、『スカイフォール』の序盤でも、安楽な世界と酒におぼれてドロップアウト寸前にまで堕ちてしまう彼の姿が描かれているのです。このときのダニエルの充血しまくった目がなぜか色っぽい! でも、そこからふたたび復活して007らしい八面六臂の活躍を見せていくという流れがまた、ものすごくいいんだよなぁ~!!
つまり、ダニエルシリーズは過去の5人の歴代ボンドに比べて「もっとも007らしさが板についていないボンド」である、なのに! いや、だからこそ、そんな彼が007になった瞬間がものすごく頼もしくカッコいいカタルシスをもたらしてくれるんですよね。
確かに、ダニエル=クレイグはまさしく愚直な兵士といった風体で、ジョークもなかなか口にしないような寡黙な印象があるのですが、そんな彼が「世界一ウソくさいスパイ」を演じるというところに新しい歴史がつむぎだされていく可能性があるんじゃなかろうかと。今までの歴代ボンドはすべからく、顔の表情にわかりやすく色気とウィットが浮かんでいたと思うのですが、そこを思い切って切り捨てたダニエルのキャスティングは、第1作から6年の歳月がすぎた『スカイフォール』の公開をもって大輪の花を咲かせることになったと思います。
ダニエルはまぁ~、静止した写真の中ではいかにもお堅い顔つきでいまひとつピンとこないかも知れないのですが、ビシッときまったオーダーメイドのスーツを着込んで疾走するアクションの身のこなしがとにかく色っぽい!! やっぱ、スーツはオーダーメイドよねぇ~。
それこそ、甘い言葉を主な武器にしていた歴代ボンドとはまったく対極にある「無言の色気」を持ったダニエル・ボンドのアクションがド頭からしっぽの先まで思うさまに味わえる『スカイフォール』の大盤振る舞い感はハンパないですね! 今回の上映時間「2時間半」を長く感じるかどうかは個人個人の感じ方によると思うのですが、私は「幸せな方向で長かった」! おなかいっぱいになれたいい時間でした。
「無言のダニエル・ボンド」といえば、終盤の舞台となったスコットランドの荒涼とした大地を訪れて、自分の生家を前に無言で立ち尽くすボンドの後ろ姿ね! これはかっこよかったなぁ~。ここのボンドは、過去の誰でも演じることができないダニエルならではの「いろんな感情がないまぜになった」余人の立ち入ることのできない気迫があったような気がします。
また、ここは監督の構成力の話になるのでしょうが、有象無象の人々がわんさか行き交っていかにも国際都市らしい猥雑さのあったイスタンブール、上海、マカオ、ロンドンときて、いちばん盛り上がるはずのクライマックスに持ってきたのが必要最低限の関係者しかいないスコットランドの寒々しい荒野という無常観が、いかにもダニエル・ボンドらしい順番でしっくりきていました。最後は自分のルーツに戻るのかぁ~、みたいな。
そのスコットランドのシーンも、まさにその大地の寒さがスクリーンから伝わってくるような、映像の美しさがきわだっていましたねぇ。電気のない世界での日没の不安感と「なにかが起こる」緊張感とが絶妙にマッチした素晴らしいロケーションだったと感じ入りました。
さて、そんな感じにひたすら「リアルとウソっぽさのあいだ」を行き来するダニエルにたいして、「エンタテインメントの王道」としての007シリーズを考えると、この作品の肝ともいえる活躍をしているのはやっぱり、全身から「悪さ」と「うそ臭さ」を発散していた、本作のメイン敵である「元MI6 の凄腕諜報員」シルヴァを演じたハビエル=バルデムだったでしょう。
うをを~、バルデム! ハビエル=バルデム~!!
言うまでもなく、あの観た後に「あぁ~、とにかく恐かった……」感しか残らない黙示録映画『ノーカントリー』(2007年 監督・コーエン兄弟)で、血も涙もない問答無用の殺し屋シガーを演じたバルデムさんが007シリーズの敵に!? コレがおもしろくならねぇわけがねぇ!!
ところが実際に観てみると、バルデム演じるシルヴァは『ノーカントリー』のシガーとはまったく違うタイプの悪役だった……というか、意外なくらいに007シリーズにしっくりくる「ありえなさ」を持った、怖いのになぜか可愛らしさもあるキャラクターになっていたのです。これには、俳優ハビエル=バルデムの対応力の高さと、伝統のシリーズに挑みながらも「現場を楽しむ遊び心」を忘れないでいる豪胆さを感じないわけにはいきません。
今回『スカイフォール』のメイン敵という栄誉を勝ち取ったシルヴァは、インターネットを通じて世界中の情報を操作することができる神のようなハッカー能力を持ったテロリスト集団のリーダーでありながらも、「世界征服」などという野望にはいっさい興味を示さず、ただただイギリスの諜報機関「 MI6」を壊滅させ、そのトップである「M」(演・ジュディ=デンチ)を失意のうちに死に追いやることだけを目的に世界規模の大規模テロ作戦を発動させるという、非常にひねくれた行動をとる人物です。
そして、彼がそこまで MI6にこだわる理由はといいますと、なんと彼自身がかつて MI6に所属していた凄腕のスパイ工作員でありながらも(007のような「00課」所属ではなかったらしい)、行き過ぎた独断専行のために MI6に見捨てられ、地獄のような拷問の末に公式には死んだものとみなされていたという、いわば「007の同類にして大先輩」にあたる存在だったということと、それゆえのMに対する愛憎相半ばする怨念があったからだったのです。
「愛憎相半ば」! まさにこここそがシルヴァのキャラクターのミソで、彼は用意周到にMを殺害する計画を組み立てて実行するのですが、M本人に対峙した時には常に笑顔と優しい声で彼女に接し、MI6時代以来のクセなのか、007と同じように彼女のことを「マム」と呼ぶのです。そしてあの、スコットランドの廃教会の中で繰り広げられたシルヴァとMとのやりとり! まさしくバルデムだからこそ、複雑な人間性を的確に演じきってみせた名シーンと言えるのではないでしょうか。
とまぁ、このように実に屈折した犯行動機を持った狂気と復讐の鬼シルヴァだったのですが、それ以上に見逃せないのは、そんなシルヴァが常にオシャレなファッションに身を包み、笑顔とジョークをしょっちゅう振りまきながら、「僕は MI6時代に君(007)など足元にも及ばない業績を残した。」だの「バカバカしいスパイ兵器とか、蹴ったり殴ったりの格闘とか、そんなのはもう飽き飽きなんだよ、ぼかぁ~。」だのという大口をたたく魅力的なカリスマになっていることなのです。ここの、クールで一匹狼なダニエル・ボンドにはないおもしろみを持ったキャラクターが対峙するという、わかりやすいにも程がある対立構図こそが、「世界のエンタメ」007シリーズのゆずれない単純明快さなんですね!
ただし、ここが俳優バルデムのすごみなんですが、ふざけた言動をやめて真顔になったとたんに、その迫力ありまくりの顔面が、ダニエルも文字通り「顔負け」するような、復讐と狂気をはらんだ冷たさをむき出しにしてくる、そのギャップが怖すぎるんですよ!! 使い古された言い回しですが、「次の瞬間に何をしだすかわからない」恐ろしさ。ここが、バルデム起用の最大のポイントなんではないのでしょうか。
どんなに軽いノリでも、悪役のバルデムはやっぱり怖い!! でも、警官の制服は死ぬほど似あわない。
ところで、よくよく考えてみると、組織に見捨てられた元スパイという過去と、現在の「世界的ネットワークを持ったテロリスト集団の首魁」という立場とは、ちょっと簡単にはつながりそうにない距離と違和感があって、キャラクターとして現実味のない部分が多すぎるシルヴァなのですが、とにかく登場した時のバルデムの演技がおもしろすぎる! その一点で「まぁ、こまかいことは抜きということで……」とサクサクお話を進めていくストーリーラインに、いかにも007シリーズらしい大雑把感がただよっていますねぇ。
そんなわけで、私がこの『スカイフォール』でいちばん夢中になってしまったのは、やっぱりあのインパクトありすぎな、豪快な造作の顔から繰り出される笑顔と低音の美声が最高なバルデムさんでした。ただもちろん、これはダニエル・ボンドの冷静沈着なヒーロー像がしっかりできあがっているからこそ成立する計算されつくした構図のほんの一部であり、バルデム1人の才能があればいいという安易なレベルの話ではないことは明らかです。
でも、007と話をするときの新しいおもちゃをいじくるような喜々とした笑顔とか、007に「アッチ系?」をにおわせて迫ったのにすげなくされたときに見せたスネ顔とか、自分の死の直前に007の捨てゼリフを聞いたときに浮かべた、「おまえはいっつもそうやってカッコイイのな!」みたいな恨みがましい上目づかいとか、とにかくこの『スカイフォール』は、「悪役の楽しい演技があってこその007シリーズ」ということを再認識させてくれる作品でした。
ところで、やっぱり007シリーズといえば「今回のボンドガール」ということになるのですが、いちおう公式上はマカオでカジノの元締めをつとめているシルヴァの愛人を演じたフランス人女優のベレニス=マーロウと、007の同僚である MI6諜報員を演じたイギリス人女優のナオミ=ハリスの2名ということになっているらしいものの……
いやいや! 今回のボンドガールは別の人ですよねぇ~!! 観た方ならばみなさんそう思うでしょうよ。
ともかく、全体的にダニエルのアクションとバルデムの顔のつるべ打ちで女性の入り込むスキの少ない『スカイフォール』だったのですが、思わぬ人物にスポットライトが当てられ、あの印象的なラストシーンへと続いていく流れは、007シリーズ、特に1990年代以降にファンとなった人にはたまらない感動をもたらすものになってのではないでしょうか。ま、なにはともあれ「お疲れさまでした……」ということで。
でも、ここが007シリーズの老舗旅館なみに心づくしが行き届いているところで、ちゃんとそれ以前のオールドファンも喜ぶ「ボンドカー・アストンマーティンDB5 の復活」があったりもすんのね! ボンドカーってちゃんと役に立つんだねぇ。
さぁさぁ、ここにきてダニエル=クレイグの007シリーズは『カジノロワイヤル』から始めていた「007成長の物語」という部分をさらにおし進めていき、シリーズのレギュラーキャラである「M」「Q」「Ms.マネーペニー」「007の同僚タナー」といったあたりがそろい踏みすることとなりました。役者はみんな集まったぞ~!
次にいったい、ダニエル・ボンドはどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。
悪役好きな私といたしましては、ここはぜひとも「うそ臭さの最高峰」ともいえる「世界征服をたくらむ悪の秘密結社スペクター」と、その怪しすぎる首領「エルンスト=スタヴロ=ブロフェルド」に復活してほし~い!! そういえば、007パロディの『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』(2002年)のふざけすぎなオープニングであのケヴィン=スペイシーが Dr.イーヴルを演じてたけど、ほんとにケヴィンが本家のブロフェルドを演じることになったりして~!? きゃ~。
ま、ないか……とにかく次回作を首を長くして待つことにいたしましょう。あ~おもしろかった。
どうもこんにちは! そうだいでございます~。今日もいいお天気ですね~。でもやっぱ、朝から外は寒かった!
いろいろ忙しい忙しいとばっかり言っているこの『長岡京エイリアン』なんですが、そんな私もいよいよ年末のスケジュールみたいなものの全容がつかめるようになってきました。
結論、今年は大晦日まで忙しいであろう!!
いいね~、いいね~。せいぜい死力を尽くしてがんばらせていただこうじゃあ~りませんか! 去年の年末はかなりマイペースにのんびり過ごした気がするんですが、バタバタのうちに年を送るのもいいでしょう。それだけ健康にしめくくれるってことなんですからね。残り少ないですが、最後まで気を抜かずにいきまっしょ~。
……あ、年賀状のことぜんぜん考えてなかった。どういう絵柄にしよっかな……そもそも、作る時間と体力あるかな……ま、がんばりましょう。
こんなバタバタドキドキが続く中、昨日は久しぶりに一日休みをとりまして、ちょっとある用事のために早朝から東京に行っていました。
いんや~、この用事は非常に良かったですね!! 実に素晴らしい体験をさせていただきました。
気分としては、そのすばらしさをとうとうとこの場で語らせていただきたい思いでまんまんなのですが、今回のことは特別のご厚意を受けてお呼ばれしたことでしたので、詳しい内容は私の判断で、控えることにさせていただきます。
でも、なんにしてもこういう場に誘ってもらえるというのは、本当にありがたいことであります……別にそういうものを期待して築きあげるものでもないし、私もそういう能力にたけているとはとうてい信じられないのですが、いろんなステキな方々とのつながりっていうのは大事ですよねぇ~。しみじみ感動させていただきました。
さて、ほんでま今回のお題は、その帰りにせっかく東京に来たんだからと思って、渋谷に寄って観た映画について。
映画『007 スカイフォール』(監督・サム=メンデス、主演・ダニエル=クレイグ 143分)
ギャ~!! ボンドぉ~、ジェイムズ=ボンドぉお~!
その日は、『スカイフォール』と『アルゴ』のどっちかを渋谷で観ようと思ってたんですけど、上映時間のタイミングが良かった109近くの渋谷 TOHOシネマズでの『スカイフォール』となりました。前回の『仮面ライダー』もそうだったし、TOHOシネマズにはお世話になりっぱなしですな。
時間的には、ビルの中で手間どったり、おなかがすいたのでキャラメルポップコーンを買ったりしたので、私は予告編の上映中に入場することとなったのですが、入ったときには AKB48の新作ドキュメンタリー映画の予告をやっていた最中で、指原さんがなにごとかを小声でつぶやきながら泣いているシーンでした。
……なぜだか知らないんですが、自然に背筋をのばして、堂々とスクリーンの前を横ぎっちゃいましたね。なぜなんだろうなぁ~!? ふつうだったらマナー的に、他のお客さんのことを気にして身をかがめて通るはずなのに。
しかし、観客200人規模の TOHOシネマズの大スクリーンは、私が前を通ったごときで彼女たちが見えなくなるようなせせこましさではありませんでした。おのれの身の小ささを痛感してこその、この『長岡京エイリアン』なんですよねぇ~。なに言ってんでしょうか。
でも、実際にその回の『スカイフォール』を観に来た客層は AKB48が見えないとストレスがたまるような方はほとんどおられなかったようで、ほんとにそうかは別としても、平日の昼過ぎということもあってか、10代のいる雰囲気はまったくないアダルトでビターな感じになっていました。9割男性、7割スーツといった陣容でしたね。でも、女性の方もかなり強い意志で007を観に来たというオーラをまとっている印象がありました。007っていうよりは、ダニエル?
今回の『スカイフォール』は、なんと今年で50周年を迎えるという「007シリーズ」の第23作に当たる作品で、「ご本家筋」ということになる映画制作会社イオン・プロダクションによるシリーズの中では「6人目のジェイムズ=ボンド」となるダニエル=クレイグの主演としては3作目のものとなります。
イオン・プロダクションというのは、ほぼ007シリーズを製作することだけを事業内容としているイギリスの制作会社なのですが、このプロダクションが1950~60年代に売れっ子作家だったイアン=フレミングのスパイアクション小説「007シリーズ」を1962年10月に初めて映画化したのが、かのショーン=コネリー主演による『007 ドクター・ノオ』だったというわけなのです。これがすべてのはじまり!
小説家のイアン=フレミングは第2次世界大戦中にイギリスの実在する諜報機関「 MI6」に本当に所属していたのですが、ご本人はデスクワーク中心で諜報活動を自ら行うことはなかったものの、その時の経験や同僚である第一線で活躍……じゃなくて暗躍していたスパイたちの業績をもとに、それ相応のフィクション的味つけをほどこして世に出したのが、いかにもカッチョいいヒーロー然とした、「殺人許可証」を持つという MI6所属の伝説の諜報員、コードネーム「007」ことジェイムズ=ボンドの活躍譚だったんですな。
フレミングの原作「007シリーズ」は1953年の長編『カジノロワイヤル』を皮切りとして、大評判のうちに12作の長編と9作の短編が発表されているのですが、フレミング自身は1964年8月に56歳という若さで心臓麻痺で死没してしまいました。なんか、ものすごい美食家だったことが災いしたらしいですね……なんだ、暗殺じゃないのか。
ともあれ、生みの親フレミングが去った後も、007シリーズはどんどん映画化されていき、生前のフレミングとも親交の深かったイオン・プロダクションのシリーズと、イオン・プロのタッチしていない「番外編007」の映画『カジノロワイヤル』(1967年版)と『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(1983年)もあわせて、この50年間に25本の作品が制作されることとなったのです。もうエンターテインメントの世界では伝統芸能みたいな扱いになってますよね! だからこそ、今年夏のロンドン・オリンピック開会式でも「007がモノホンの女王陛下と共演!!」というトピックが大きな出し物となりうることができたのでしょう。
ちょっと話は脱線しますが、今の日本でこの007ほどの存在感を持つ架空のキャラクターがいるのかどうか……仮面ライダーとかウルトラマンとかアンパンマンとか「あっちの世界」はもちろん相変わらず豊富なんですが、生身の役者さんが顔出しで演じている方面はあんまりいないような気がしますねぇ。かろうじて「寅さん」と「黒板五郎さん」、あと「バカ殿様」ぐらいかなぁ。それでも世界規模じゃあないしねぇ。
でも逆に言うのならば、いくらショーン=コネリーだロジャー=ムーアだダニエル=クレイグだといった世界を代表する名優たちが演じていたのだとしても、007というキャラクターはリアルというよりもよっぽどアニメや空想の世界に近い「全世界共通で楽しめるムチャクチャ感」を身にまとっているということになるんじゃないのでしょうか。この「うそっぽさ」が007の魅力のひとつなんだよなぁ!
50年という長い歴史の中で、フレミング原作による21の作品はあらかた映画化されてしまい、6人の俳優が演じたシリーズの中で、5代目ボンドのピアース=ブロスナンによる1995~2002年公開の4作と、ここ最近のダニエル=クレイグによる2作『慰めの報酬』(2008年)と今回の『スカイフォール』は、フレミングの世界を離れた完全オリジナル作品となっています(『慰めの報酬』というタイトルのフレミング原作短編は存在するが、内容はまったく関連がない)。でも確かに、フレミングの世界には荒唐無稽といえども「アメリカ VS ソヴィエト連邦の東西冷戦体制」という大前提があったため、それをあえて21世紀の今に持ってくる必要もないということなんでしょうねぇ。
ただし! ここがダニエル・ボンドシリーズに限って重要なことなのですが、ジェイムズ=ボンドや「M」や「Q」といった枠だけを引き継いで、それ以外のすべてを原作小説や過去の映画シリーズから脱却させて一新させたピアース・ボンドシリーズとも違って、いま現在進行形で進んでいるダニエルシリーズは、「過去の作品をふまえた新しい007世界をいちから作り直していく」という温故知新な魅力に満ちているのです。
これは非常におもしろい作風だと思うんですが、振り返れば、あのクリストファー=ノーランによる「ノーラン・バットマン3部作」もまた、過去のバットマン世界をいっさい「なかったことにしている」ようでありながらも、実は終盤で、一連の作品が「21世紀のバットマン世界が始まっていくまでの序章」だったということが明らかになるわけで、こういった「壮大なループ感」は『スカイフォール』とも大いに共通しているものがあると思うんだなぁ。そして、私はそういう新作の作り方は大好きです!!
でも、その構想がうまくできていることと、「その作品自体がおもしろいのかどうか」はまぁぁったくの別問題でありまして、その点、あの『バットマン ライゼズ』は「ジョーカーの不在」という前代未聞のハプニングが出来してしまったために、非常に不完全な完成度に終わってしまいました。それはそれでノーラン3部作は終焉したのですが、エンタテインメントとしてはとてもじゃないですが「円満」とは言いがたい感じになってしまったのです。
こういっちゃあナンなんですが、「ノーラン3部作」は板チョコレートでいう「カカオ70~100%のにがいやつ」なんだと思います。作品は非常にストイックでダークでいいんですが、それで最終的にはひたっすら苦いだけの黒い塊になっちゃったって感じでしょうか。
だが、しかし。007シリーズはあくまでも007シリーズ。見るからに顔色ひとつ変えずに人を殺しそうなダニエル=クレイグが主人公になったのだとしても、この名門タイトルはあくまでも「おいしい王道ミルクチョコレート」が身上なのです。そこをちゃんと守り通した上で、『スカイフォール』がどのような「新釈」をほどこしているのか、そこが大問題なんですなぁ~。壊せばいいってもんじゃあないんです。
ダニエル・ボンドの第1作が、原作小説の第1作でもある『カジノロワイヤル』(2006年公開)だったことからもわかるとおり、ダニエルシリーズは明らかに「ダニエルが演じる007が新しい歴史を最初から再構築していく物語」です。だからこそ、『カジノロワイヤル』のダニエルは007というコードネームをもてあましている血の気の多い危険なスパイだったし、『スカイフォール』の序盤でも、安楽な世界と酒におぼれてドロップアウト寸前にまで堕ちてしまう彼の姿が描かれているのです。このときのダニエルの充血しまくった目がなぜか色っぽい! でも、そこからふたたび復活して007らしい八面六臂の活躍を見せていくという流れがまた、ものすごくいいんだよなぁ~!!
つまり、ダニエルシリーズは過去の5人の歴代ボンドに比べて「もっとも007らしさが板についていないボンド」である、なのに! いや、だからこそ、そんな彼が007になった瞬間がものすごく頼もしくカッコいいカタルシスをもたらしてくれるんですよね。
確かに、ダニエル=クレイグはまさしく愚直な兵士といった風体で、ジョークもなかなか口にしないような寡黙な印象があるのですが、そんな彼が「世界一ウソくさいスパイ」を演じるというところに新しい歴史がつむぎだされていく可能性があるんじゃなかろうかと。今までの歴代ボンドはすべからく、顔の表情にわかりやすく色気とウィットが浮かんでいたと思うのですが、そこを思い切って切り捨てたダニエルのキャスティングは、第1作から6年の歳月がすぎた『スカイフォール』の公開をもって大輪の花を咲かせることになったと思います。
ダニエルはまぁ~、静止した写真の中ではいかにもお堅い顔つきでいまひとつピンとこないかも知れないのですが、ビシッときまったオーダーメイドのスーツを着込んで疾走するアクションの身のこなしがとにかく色っぽい!! やっぱ、スーツはオーダーメイドよねぇ~。
それこそ、甘い言葉を主な武器にしていた歴代ボンドとはまったく対極にある「無言の色気」を持ったダニエル・ボンドのアクションがド頭からしっぽの先まで思うさまに味わえる『スカイフォール』の大盤振る舞い感はハンパないですね! 今回の上映時間「2時間半」を長く感じるかどうかは個人個人の感じ方によると思うのですが、私は「幸せな方向で長かった」! おなかいっぱいになれたいい時間でした。
「無言のダニエル・ボンド」といえば、終盤の舞台となったスコットランドの荒涼とした大地を訪れて、自分の生家を前に無言で立ち尽くすボンドの後ろ姿ね! これはかっこよかったなぁ~。ここのボンドは、過去の誰でも演じることができないダニエルならではの「いろんな感情がないまぜになった」余人の立ち入ることのできない気迫があったような気がします。
また、ここは監督の構成力の話になるのでしょうが、有象無象の人々がわんさか行き交っていかにも国際都市らしい猥雑さのあったイスタンブール、上海、マカオ、ロンドンときて、いちばん盛り上がるはずのクライマックスに持ってきたのが必要最低限の関係者しかいないスコットランドの寒々しい荒野という無常観が、いかにもダニエル・ボンドらしい順番でしっくりきていました。最後は自分のルーツに戻るのかぁ~、みたいな。
そのスコットランドのシーンも、まさにその大地の寒さがスクリーンから伝わってくるような、映像の美しさがきわだっていましたねぇ。電気のない世界での日没の不安感と「なにかが起こる」緊張感とが絶妙にマッチした素晴らしいロケーションだったと感じ入りました。
さて、そんな感じにひたすら「リアルとウソっぽさのあいだ」を行き来するダニエルにたいして、「エンタテインメントの王道」としての007シリーズを考えると、この作品の肝ともいえる活躍をしているのはやっぱり、全身から「悪さ」と「うそ臭さ」を発散していた、本作のメイン敵である「元MI6 の凄腕諜報員」シルヴァを演じたハビエル=バルデムだったでしょう。
うをを~、バルデム! ハビエル=バルデム~!!
言うまでもなく、あの観た後に「あぁ~、とにかく恐かった……」感しか残らない黙示録映画『ノーカントリー』(2007年 監督・コーエン兄弟)で、血も涙もない問答無用の殺し屋シガーを演じたバルデムさんが007シリーズの敵に!? コレがおもしろくならねぇわけがねぇ!!
ところが実際に観てみると、バルデム演じるシルヴァは『ノーカントリー』のシガーとはまったく違うタイプの悪役だった……というか、意外なくらいに007シリーズにしっくりくる「ありえなさ」を持った、怖いのになぜか可愛らしさもあるキャラクターになっていたのです。これには、俳優ハビエル=バルデムの対応力の高さと、伝統のシリーズに挑みながらも「現場を楽しむ遊び心」を忘れないでいる豪胆さを感じないわけにはいきません。
今回『スカイフォール』のメイン敵という栄誉を勝ち取ったシルヴァは、インターネットを通じて世界中の情報を操作することができる神のようなハッカー能力を持ったテロリスト集団のリーダーでありながらも、「世界征服」などという野望にはいっさい興味を示さず、ただただイギリスの諜報機関「 MI6」を壊滅させ、そのトップである「M」(演・ジュディ=デンチ)を失意のうちに死に追いやることだけを目的に世界規模の大規模テロ作戦を発動させるという、非常にひねくれた行動をとる人物です。
そして、彼がそこまで MI6にこだわる理由はといいますと、なんと彼自身がかつて MI6に所属していた凄腕のスパイ工作員でありながらも(007のような「00課」所属ではなかったらしい)、行き過ぎた独断専行のために MI6に見捨てられ、地獄のような拷問の末に公式には死んだものとみなされていたという、いわば「007の同類にして大先輩」にあたる存在だったということと、それゆえのMに対する愛憎相半ばする怨念があったからだったのです。
「愛憎相半ば」! まさにこここそがシルヴァのキャラクターのミソで、彼は用意周到にMを殺害する計画を組み立てて実行するのですが、M本人に対峙した時には常に笑顔と優しい声で彼女に接し、MI6時代以来のクセなのか、007と同じように彼女のことを「マム」と呼ぶのです。そしてあの、スコットランドの廃教会の中で繰り広げられたシルヴァとMとのやりとり! まさしくバルデムだからこそ、複雑な人間性を的確に演じきってみせた名シーンと言えるのではないでしょうか。
とまぁ、このように実に屈折した犯行動機を持った狂気と復讐の鬼シルヴァだったのですが、それ以上に見逃せないのは、そんなシルヴァが常にオシャレなファッションに身を包み、笑顔とジョークをしょっちゅう振りまきながら、「僕は MI6時代に君(007)など足元にも及ばない業績を残した。」だの「バカバカしいスパイ兵器とか、蹴ったり殴ったりの格闘とか、そんなのはもう飽き飽きなんだよ、ぼかぁ~。」だのという大口をたたく魅力的なカリスマになっていることなのです。ここの、クールで一匹狼なダニエル・ボンドにはないおもしろみを持ったキャラクターが対峙するという、わかりやすいにも程がある対立構図こそが、「世界のエンタメ」007シリーズのゆずれない単純明快さなんですね!
ただし、ここが俳優バルデムのすごみなんですが、ふざけた言動をやめて真顔になったとたんに、その迫力ありまくりの顔面が、ダニエルも文字通り「顔負け」するような、復讐と狂気をはらんだ冷たさをむき出しにしてくる、そのギャップが怖すぎるんですよ!! 使い古された言い回しですが、「次の瞬間に何をしだすかわからない」恐ろしさ。ここが、バルデム起用の最大のポイントなんではないのでしょうか。
どんなに軽いノリでも、悪役のバルデムはやっぱり怖い!! でも、警官の制服は死ぬほど似あわない。
ところで、よくよく考えてみると、組織に見捨てられた元スパイという過去と、現在の「世界的ネットワークを持ったテロリスト集団の首魁」という立場とは、ちょっと簡単にはつながりそうにない距離と違和感があって、キャラクターとして現実味のない部分が多すぎるシルヴァなのですが、とにかく登場した時のバルデムの演技がおもしろすぎる! その一点で「まぁ、こまかいことは抜きということで……」とサクサクお話を進めていくストーリーラインに、いかにも007シリーズらしい大雑把感がただよっていますねぇ。
そんなわけで、私がこの『スカイフォール』でいちばん夢中になってしまったのは、やっぱりあのインパクトありすぎな、豪快な造作の顔から繰り出される笑顔と低音の美声が最高なバルデムさんでした。ただもちろん、これはダニエル・ボンドの冷静沈着なヒーロー像がしっかりできあがっているからこそ成立する計算されつくした構図のほんの一部であり、バルデム1人の才能があればいいという安易なレベルの話ではないことは明らかです。
でも、007と話をするときの新しいおもちゃをいじくるような喜々とした笑顔とか、007に「アッチ系?」をにおわせて迫ったのにすげなくされたときに見せたスネ顔とか、自分の死の直前に007の捨てゼリフを聞いたときに浮かべた、「おまえはいっつもそうやってカッコイイのな!」みたいな恨みがましい上目づかいとか、とにかくこの『スカイフォール』は、「悪役の楽しい演技があってこその007シリーズ」ということを再認識させてくれる作品でした。
ところで、やっぱり007シリーズといえば「今回のボンドガール」ということになるのですが、いちおう公式上はマカオでカジノの元締めをつとめているシルヴァの愛人を演じたフランス人女優のベレニス=マーロウと、007の同僚である MI6諜報員を演じたイギリス人女優のナオミ=ハリスの2名ということになっているらしいものの……
いやいや! 今回のボンドガールは別の人ですよねぇ~!! 観た方ならばみなさんそう思うでしょうよ。
ともかく、全体的にダニエルのアクションとバルデムの顔のつるべ打ちで女性の入り込むスキの少ない『スカイフォール』だったのですが、思わぬ人物にスポットライトが当てられ、あの印象的なラストシーンへと続いていく流れは、007シリーズ、特に1990年代以降にファンとなった人にはたまらない感動をもたらすものになってのではないでしょうか。ま、なにはともあれ「お疲れさまでした……」ということで。
でも、ここが007シリーズの老舗旅館なみに心づくしが行き届いているところで、ちゃんとそれ以前のオールドファンも喜ぶ「ボンドカー・アストンマーティンDB5 の復活」があったりもすんのね! ボンドカーってちゃんと役に立つんだねぇ。
さぁさぁ、ここにきてダニエル=クレイグの007シリーズは『カジノロワイヤル』から始めていた「007成長の物語」という部分をさらにおし進めていき、シリーズのレギュラーキャラである「M」「Q」「Ms.マネーペニー」「007の同僚タナー」といったあたりがそろい踏みすることとなりました。役者はみんな集まったぞ~!
次にいったい、ダニエル・ボンドはどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。
悪役好きな私といたしましては、ここはぜひとも「うそ臭さの最高峰」ともいえる「世界征服をたくらむ悪の秘密結社スペクター」と、その怪しすぎる首領「エルンスト=スタヴロ=ブロフェルド」に復活してほし~い!! そういえば、007パロディの『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』(2002年)のふざけすぎなオープニングであのケヴィン=スペイシーが Dr.イーヴルを演じてたけど、ほんとにケヴィンが本家のブロフェルドを演じることになったりして~!? きゃ~。
ま、ないか……とにかく次回作を首を長くして待つことにいたしましょう。あ~おもしろかった。
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