ハワード・フィリップス=ラヴクラフト
ハワード・フィリップス=ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft、1890~1937年)は、アメリカ合衆国のホラー小説家、詩人。「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」などと呼ばれる SF的なホラー小説で有名である。ラヴクラフト自身の死後、彼の小説世界は、自身も作家である友人のオーガスト=ダーレスによって、ダーレス独自の善悪二元論的解釈とともに体系化され、「クトゥルフ神話」として発表された。そのため、ラヴクラフトはクトゥルフ神話の創始者であるとも言われる。ただし、ラヴクラフトの宇宙的恐怖を主体とする小説世界を「原神話」や「ラヴクラフト神話」と呼び、ダーレスがラヴクラフトの死後に体系化したクトゥルフ神話と区別する場合もある。
スティーヴン=キングや菊地秀行といった後代の人気作家にも愛読者は多く、アメリカの怪奇幻想文学の重要な担い手と評されることも多い。一方で、ラヴクラフトはあくまでも学問的な研究書では触れられない大衆小説家であって、文学者としてはポオの亜流に過ぎないという評価もある。事実、生前は低俗雑誌(パルプ・マガジン)の作家としてはそれなりの人気はあったものの、文学的に高い評価は受けておらず、出版された作品も極めて少なかった。その死後に、ダーレスの創立した出版社「アーカム・ハウス」から彼の作品群が出版されたことで再評価が始まったという経緯がある。
1890年8月20日、ロードアイランド州プロビデンスに、宝石商人ウィンフィールド・スコット=ラヴクラフトの長男として生まれる。商才豊かな父は地元の名士として知られていたフィリップス家から妻を得るなど社会的成功を収めたが、ラヴクラフトが幼少の時に神経症を患い、1898年に精神病院で衰弱死している。
父の死後は、母方の祖父フィップル=フィリップスの住むヴィクトリア朝式の古い屋敷に引き取られた。経済的には先に述べた通り、母方の一族が裕福であったことから不足はなかった。早熟で本好きな少年は、ゴシック・ロマンスを好んでいた祖父の影響を受け、物語や古い書物に触れて過ごした。6歳の頃には自分でも物語を書くようになったが、架空の怪物「夜妖(ナイトゴーント)」にさらわれる悪夢に悩まされるなど、父に似た精神失調を抱えて育った。悪夢については、8歳で科学に関心を持ち宗教心を捨てると見なくなったという。
青年期には学問の道に進むことを志し、名門校であるブラウン大学を希望して勉学に励んだ。並行して16歳の時には新聞に投稿するようになり、主に天文学の記事を書いていた。しかし肝心の神経症は悪化を続け、通っていた学校も長期欠席を繰り返し、成績は振るわなかった。追い打ちをかけるように唯一の理解者であった祖父が死去すると、精神的にも経済的にも追い詰められ、結局、高等学校は卒業せずに中退している。それでも独学で大学を目指したが挫折し、18歳の時には趣味であった小説執筆を中断し、なかば隠者のように世間を避けて暮らすようになった。こうした神経症が改善されてきたのは30歳になった頃だったが、青年期の挫折はラヴクラフトにとって常に苦い記憶であった。
1914年4月、アマチュア文芸家の交流組織に参加したことをきっかけに、ラヴクラフトは小説との関わりを取り戻した。その3年後には小説の執筆を再開して同人誌に作品を載せるようになった。また、1915年には文章添削の仕事を始めていたが、ラヴクラフトが大幅に手を加えた結果、元の原稿とはかなり違う作品になることもままあった。これは彼の主要な収入源となっていたが、無料奉仕も多かった。女流ホラー作家のヘイゼル=ヒールド(1895~1961年)やゼリア=ビショップ(1897~1968年)など、ラヴクラフトの添削によってクトゥルフ神話作品を執筆することになった作家も少なからずいる。前述のダーレスの他、ロバート=ブロック、クラーク・アシュトン=スミス、ロバート・アーヴィン=ハワードらとは膨大な量の書簡を交換している。長年高い評価を得られず、生活は貧しいものだった。旅行が好きで、経済的に余裕があって健康だった時代にはケベックやニューオーリンズまで長距離バスを利用して旅行することもあったが、その目的は古い時代の細かい事情を調査するためだったという。自身の貧困が幸いして、長い間希望していた古い家に住むという願いがかなった。
1922年になってようやく自身の作品が売れるようになったが、文才に自信が無かったため文章添削の仕事を続けて腕を磨き続けた。45歳を過ぎてギリシア語をマスターしたが、1936年6月に、ロバート・アーヴィン=ハワードが母親の重病を苦に自殺したこと(享年30歳)に衝撃を受け、また、同年に自身も腸ガンの診断を受け、その後の栄養失調も重なり、翌年1937年3月15日に病死した。享年46歳。彼の生前に出版された単行本は、1936年に出版された『インスマウスの影』1作だけであった。 彼の没後の1939年に、文通友達で同業者でもあるオーガスト=ダーレスらが発起人となり、彼の作品を出版する目的でアーカム・ハウス出版社が設立された。
食べ物の好みに関しては海産物が特に嫌いなようで、その嫌悪感は説明のできないほど激しいものであった。このことが彼の作品に登場する邪神たちの造形に強く影響を及ぼしたことは想像に難くない。好きなものはチーズ、チョコレート、アイスクリーム。これはラヴクラフトの母が彼の好むものだけを与えたことによるものである。タバコは吸わず、酒も飲まなかったという。創作はホラーや幻想的作品を主としていたが、本人は迷信や神話の類は一切信用せず無神論者を自認していた。エドガー・アラン=ポオ、ダンセイニ卿、ウォルター=デラメア、バルザック、フローベール、モーパッサン、ゾラ、プルーストといった作家が気に入っており、小説においてはリアリズムを好んでいた。一方でヴィクトリア朝文学は嫌いであった。幼い頃にヴァイオリンを無理矢理習わせられていたため、音楽に関する好みは乏しかった。絵画に関しては風景画を好んでおり、叔母の描いた風景画を階段の壁にかけていた。ちなみにラブクラフト自身は絵を描くことはなかった。建築に関しては機能的な現代的建築を嫌っており、ゴシック建築が好きだったと言われている。あらゆる種類のゲームやスポーツに関心がなく、古い家を眺めたり夏の日に古風な風景画のように美しい土地を歩き回ることが好きだった。
また、ニューヨークに象徴される現代アメリカ文化に対する嫌悪感も強く描写されており、ラヴクラフトの恐怖と嫌悪は人種云々以前に現実全般(自身の生活階層をも含む)に及んでいたものと思われる。
彼の生きた時代は西洋白人文明の優越性が自明のものとされ、それを人種論や優生学から肯定する学説が受け入れられており、彼の発言や作品の中にも現代視点から見れば人種差別的にとられる考えがしばしば指摘される。ただし、ラヴクラフトはそれぞれの民族は性向や習癖が異なっていると述べ、ヒトラーの人種的優越感による政策やユダヤ人弾圧を批判しており、ムッソリーニには敬服しているがヒトラーは劣悪なコピーだと批判している(ただし、ヒトラーの『我が闘争』を読んだ当初はひどく感銘し、友人に対しこの本は最高の書であると絶賛している)。さらに自身の土壌であるアングロサクソン文明よりも、アジアの中華文明がより優れていると考えており、また日本の俳句や浮世絵を鑑賞したことを知人宛の書簡で述べている。しかし、多くの人種の平等を唱えながらも、ネグロイドとオーストラロイドだけは生物学的に劣っているとして、この二者に対しては明確な線引きが必要だと主張している。晩年は社会主義的傾向を強め、ソビエト連邦を礼賛していた。
初期の作品はアイルランド出身の幻想作家ダンセイニ卿やエドガー・アラン=ポオの作品に大きく影響を受けていたが、後期は、宇宙的恐怖を主体としたより暗い階調の作品になっていく。ブラヴァツキー夫人が著した『シークレット・ドクトリン』をはじめ神智学の影響も見受けられる。19世紀末から20世紀初頭にかけては世界的にスピリチュアリズムが流行しており、ラヴクラフトもその潮流の中で創作活動を行った。作品は彼自身の見た悪夢に直接の影響を受けており、中には『ナイアルラトホテップ』など、自身の夢にほぼ忠実に書かれた作品もある。このことが潜在意識にある恐怖を描き出し、多くの人を惹きつけている。現在も、世界中で彼の創造した邪神や宇宙的恐怖をモチーフにした小説、ゲーム、映画などがつくられ続けている。
略歴
1890年8月20日 誕生。父はウィンフィールド・スコット。母はプロビデンスの旧家出身のサラ・スーザン(旧姓フィリップス)。グリム童話やジュール=ヴェルヌ、アラビアン・ナイトやギリシア神話を愛読し、夜ごと悪夢に悩まされる子供であった。
1898年7月19日 父が不全麻痺により死去する。このころエドガー・アラン=ポオの作品と出逢う。
1906年 雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』などに天文学関係の投書やコラムを寄稿するようになる。
1908年 神経症のため高等学校を中退する。
1915年 文章添削の仕事を始める。
1916年 文通グループ「Kleocomolo」を結成する。
1917年 徴兵検査で不合格となる。これは彼に生涯つきまとうコンプレックスの一因になった。
1918年 「Kleocomolo」を解散し、新たな文通グループ「Gallomo」を結成する。
1919年 母が神経障害で入院する。
1921年5月22日 母が死去する。
1923年 創刊したばかりの怪奇小説専門パルプ雑誌『ウィアード・テールズ』10月号に短編『ダゴン』が掲載される。
1924年3月3日 文通で知り合った実業家ソニア=ハフトグリーンと結婚し、ニューヨークのブルックリン地区に移住。しかし翌年に別居する。
1929年 ソニアと離婚し、プロビデンスに帰郷する。
1937年3月15日 腸ガンのため死去する。享年46歳。
おもな作品
『エーリッヒ=ツァンの音楽』(1921年)
日本で初めて翻訳されたラヴクラフト作品で、『宝石』1955年9月号に掲載された。クトゥルフ神話で知られるラヴクラフトの短編小説だが、オーガスト=ダーレスは、本作をクトゥルフ神話に数えていなかった。しかし、後に別の作家によって本作の続編がクトゥルフ神話作品として書かれたこともあって、今ではクトゥルフ神話作品の一作として知られている。
『クトゥルフの呼び声』(執筆は1926年、雑誌発表は1928年)
この作品で初めて「Cthulhu (クトゥルフ)」という、発音すら定かでない固有名詞が仄めかされる。物語の全貌は読者それぞれが推理することを求められるような形式になっている。実在する大学名や地名、ジェイムズ=フレイザーの『金枝篇』などが登場し、読者の教養を前提とする点も特色である。
初出は雑誌『ウィアード・テイルズ』1928年2月号だったが、『ウィアード・テイルズ』はこの作品を一度ボツにしていた。ラヴクラフト自身はこの作品を「そこそこの出来、自作のうち最上のものでも最低のものでもない。」と評した。同業作家のロバート=アーヴィン・ハワードは、「人類史上に残る文学の金字塔であり、ラヴクラフトの傑作」と激賞している。
この作品のモティーフとなったものとして、アルフレッド=テニスンのソネット『クラーケン』(1830年)、ギー=ド・モーパッサンの『オルラ』(1887年)、アーサー=マッケンの『黒い石印』(1895年)、ロード・ダンセイニの『ペガーナの神々』が指摘されている。
『宇宙からの色』(1927年)
ラヴクラフト自身が手紙で、この作品を自己ベストとして挙げたことがある。本作の「宇宙からの色」という存在は、他の生物の生命力を糧とする宇宙生物で、この生物の影響を受けた生き物は精神を病む。主人公はガス状の生命体であろうと推測しているが、正体は不明であり最後は再び宇宙へ帰って行った。
『ダンウィッチの怪』(執筆は1928年、雑誌掲載は1929年)
ダンウィッチおよびアーカムを舞台に、ヨグ=ソトースが人間の女性と交接したことにより生まれた双子の恐怖を描ききる本編は、魔道書を所蔵するミスカトニック大学附属図書館の描写、『ネクロノミコン』からの引用、とりわけヨグ=ソトースの双子の描写によって、『クトゥルフの呼び声』や『インスマウスの影』と共に、後に展開されるダーレスのクトゥルフ神話の決定的な中核となっている。もっとも、『ネクロノミコン』の引用から分かるように、クトゥルフが旧支配者の存在をうかがうことしかできない末裔であるとされ、のちのクトゥルフ神話の解釈とは全く異なっている点も見逃してはならず、ラヴクラフト自身は、クトゥルフを旧支配者に比べて格段に力の劣る、取るに足らない存在として描いている。実際にラヴクラフトの作品では、クトゥルフよりもヨグ=ソトースのほうが数多く扱われており、「クトゥルフ神話」というよりも、むしろ「ヨグ=ソトース神話」と呼ぶべきだという意見も存在する。また、「絶対的な力を持つ異形の存在に翻弄され、なす術もなく握りつぶされる人間」という構図のラヴクラフト作品の中では珍しく、本作は「異形の存在たちに立ち向かう人間」という構図があり、作中の登場人物たちは他のラヴクラフト作品とは違って異形の存在に立ち向かい勝利している。クライマックスでの怪物の死の場面は、イエス=キリストのゴルゴダにおける受難のパロディーだと解釈する意見もあるという。
『インスマウスの影』(1936年)
『ダンウィッチの怪』や『クトゥルフの呼び声』と並ぶラヴクラフトの代表作であり、1936年に彼の崇拝者たちによって初めて出版された単行本に収録された。この作品は彼の生前に書籍として出版された唯一のものである。書き上げたときに、パルプマガジン雑誌『ウィアード・テイルズ』に投稿するつもりだったが、自信をなくして見送ったという経緯がある。
作品は、不幸続きの少年時代に自らの家系を呪われたものと信じたラヴクラフトが血筋への恐怖を描いたものとも、20世紀初頭の保守的なアメリカ人の例に漏れず、ユダヤ人や有色人種・異教徒を嫌悪していたラヴクラフトが、その嫌悪感を作中の怪物に重ねて書いたものとも言われているが、同時に異世界住人への憧憬、自己同一視、逆の選民意識も見て取れる。ニューイングランドの荒廃した古い漁村の描写は恐怖小説の域を超えて秀逸である。これは実際にラヴクラフトが小旅行で取材したものによるが、このようなリアルな描写が入ることは、ラヴクラフトの作品においては珍しい。
この作品にはラヴクラフトの世界観がよく表れており、ダゴン秘密教団や「深きものども」などの、クトゥルフ神話には欠かすことのできないキャラクターたちが登場している。物語の舞台となった町「インスマウス」も、クトゥルフ神話ではしばしば登場することになる。
1992年には TBSが佐野史郎主演・小中千昭脚色で翻案ドラマ『インスマスを覆う影』を制作するなど、日本での知名度も高い作品である。
『狂気の山脈にて』(1936年)
ラヴクラフト作品でも珍しい長編小説である。 わずか1ヶ月で書き上げられ、ラヴクラフトの自信作でもあったが、当初、雑誌『ウィアード・テイルズ』には「長すぎる」として採用を見送られてしまった。 ラヴクラフトは知人宛ての手紙で断筆をほのめかすほど落胆したが、その後、雑誌『アスタウンディング・ストーリーズ』に掲載されることになった。 現在では彼の代表作の一つに挙げられている。
ラヴクラフトは子供の頃から南極に関心を持っていた。なお、同じ南極を舞台にしたエドガー・アラン=ポオ唯一の長編小説『ナンタケット島出身のアーサー=ゴードン・ピムの物語』(1838年)の一部設定が引用されており、登場人物がポオは事実をもとに執筆したのではないか、と解釈する描写がある。
ラヴクラフトはまた、宇宙にも強い関心を持っていた。 彼の作品はのちの「クトゥルフ神話」と関連づけられるが、内容的には違いも見られる。 本作でも、作中に登場する「クトゥルフの末裔」は神というよりも、ミ=ゴと同列の宇宙生物のような扱いになっている。 ここには、善悪二元論的なクトゥルフ神話との根本的な違いとして、ラヴクラフトの宇宙観がもとになった、人間の視点とは異なる超越的な視点があるとされている。 特に本作は、「幻想宇宙年代記」や「ラヴクラフト宇宙観の総決算」と評価されている。
※登場する神話生物
・古のもの
「旧支配者」とも呼ばれる(ただし、のちにオーガスト=ダーレスが定義した「旧支配者(グレート・オールド・ワン)」とは異なる)。樽状の胴体と五芒星型の頭部を持つ半植物的な宇宙生物。太古のまだ生命が存在していない地球に到来して文明を築いた。『ネクロノミコン』には、彼らが戯れか誤りによって地球上に生命を創造したと記されている。生物としては極めて生命力が強く、また陸上と水中の両方の環境に適応する。超常的な力は持たないが、科学技術が非常に発達していた。南極は彼らが宇宙から最初に降り立った土地である。
・ショゴス
古のものによって創造された不定形生物。力が強く、都市の建設などで使役された。身体は形状を変えるだけでなく、一時的に様々な器官を作り出すことが可能である。やがて偶然に得た知性を発達させ、次第に反抗的になり、ついには古のものに対して大規模な反乱を起こした。「テケリ・リ! テケリ・リ!」という特徴的な鳴き声をあげるが、これは古のものの発声を真似ることで身につけたものである。
・クトゥルフの末裔
タコに似た形状の宇宙生物。古のものよりもさらに遠い宇宙世界から到来したとされている。身体が地球上の生命とは異なる物質によって構成されており、変身や組織の再生が可能である。古のものよりも遅れて地球に到来し、地上の支配を巡って古のものと激しく争った。この戦いでは一時的に、全ての古のものを海に追い落としている。後に和平が成立して領土を分け合ったが、突如として本拠地のルルイエもろとも海に沈んだという。本作では「陸棲種族」であるとされている。
・ミ=ゴ
外見は甲殻類、性質としては菌類に近い宇宙生物。クトゥルフの末裔と同様に地球上の生命とは異質な生物で、変身や再生も可能である。地球に現れたのはクトゥルフの末裔のさらに後であり、すでに衰退が始まっていた古のものから北方の地を奪っている。ただし、海の中の古のものには手出しができなかった。現在も地球上に潜んでおり、ヒマラヤの雪男の正体であるともされている。
『チャールズ=ウォードの奇怪な事件』(執筆は1927年、雑誌掲載は1941年)
ラヴクラフトの死後、1941年に雑誌『ウィアード・テイルズ』に掲載された。『狂気の山脈にて』と並ぶラヴクラフトの長編小説である。「クトゥルフ神話」体系に位置づけられる作品で、他の作品の内容、登場人物、怪物ないし神、魔道書への言及がなされる。一方、ラヴクラフトの後期作品は人間精神の限界から生まれる恐怖を大いなる存在に対峙させて描く手法を取っているが、中期にあたる本作の段階では、錬金術、生贄や呪文による召喚儀式などの初期のゴシック的雰囲気も濃厚に残している。
ラヴクラフトの小説は登場人物の会話の描写がほとんどないが、本作ではクライマックスで珍しく会話が描写されている。
本作は、1963年にアメリカの AIPによって『怪談呪いの霊魂』(原題 The Haunted Palace )のタイトルで映画化された(監督・ロジャー=コーマン、主演・ヴィンセント=プライス)。原作はエドガー・アラン=ポオの詩『幽霊宮殿( The Haunted Palace )』であるというふれこみだが、内容はラヴクラフト原作の本作である。ただし、舞台がアーカム村になったり、主人公ウォードが妻帯者で妻も探検に参加するなど、原作とはかなりの相違がある。
さらに1991年にもアメリカで『ヘルハザード 禁断の黙示録』(原題 The Resurrected )のタイトルで再度映画化されている(監督・ダン=オバノン)。舞台設定は1990年代に置き換えられているが、こちらはおおむね原作に忠実な内容になっている。
「ラヴクラフト神話」とは
ラヴクラフト神話は、ラヴクラフト研究者であるS=T=ヨシが、ハワード・フィリップス=ラヴクラフトの小説世界を表すために使用した言葉。 同様の内容を指す言葉として、「原神話」や、アメリカの神学者ロバート=マクネイア・プライスによって用いられる「クトゥルフ神話プロパー」などがある。
ラヴクラフトの後輩作家であるオーガスト=ダーレスらが後に体系化した「クトゥルフ神話」と区別するための用語であり、ラヴクラフト自身が「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」のコンセプトに則って記した作品、および彼の生前に彼の監修・許可の元に書かれた作品群のみを主体とする点が、「クトゥルフ神話」と相違している。ダーレスらの「クトゥルフ神話」体系には、ラヴクラフトの全作品およびラヴクラフト自身の実人生までもが含まれるが、「ラヴクラフト神話」体系では、ラヴクラフトの「非コズミック・ホラー」作品や彼の死後に創作された作品・設定は全て除外される。
このような定義が生まれた背景には、クトゥルフ神話の「フィクションの上に積み上げられたフィクション」としての性格があり、線引きと拡大解釈に関する問題が常につきまとう点が挙げられる。
また、ダーレスによって後世に追加されたクトゥルフ神話の設定としては、「旧神」が邪悪な「旧支配者」を封印したとする設定、およびそこから来る善悪二元論的な側面、また、旧支配者と四大元素の関連がよく挙げられる。
前述のラヴクラフト研究者S=T=ヨシによれば、ラヴクラフト神話には以下の4つの重要な要素が存在する。
・「人類の存在、歴史、価値観は全宇宙から見れば微々たるもの」という「宇宙主義」の思想
・アーカムに代表される架空のニューイングランド都市
・アザトースやヨグ=ソトースなどの「擬似神話的」な神性
・『ネクロノミコン』に代表される謎の古文書
なお、これらの要素は多くのラヴクラフト作品に登場するが、ラヴクラフト自身が体系立てて考えていたものではなく、著作を進めていく過程で築き上げていったものである。
つまり、ラヴクラフト作品における「神話」もまた、時間をかけて統合されていったものであるため、ここでも「神話」に含まれる作品を一律に判定することは難しい。
特に問題となることが多いのは、『未知なるカダスを夢に求めて』などの、ラヴクラフトの初期の「夢の国」ものの作品である。一部のガイドブックでは、「固有の神格や魔道書がストーリーに密接に関わるもの」を「ラヴクラフト神話」と定義し、「夢の国」ものを除外しているものもあるが、この区別の違いによって体系全体が全く違った印象を与えるものとなっている。
今日、多くの出版社が刊行しているクトゥルフ神話のガイドブック類でもこの判別は一様でなく、注意が必要である。
ハワード・フィリップス=ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft、1890~1937年)は、アメリカ合衆国のホラー小説家、詩人。「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」などと呼ばれる SF的なホラー小説で有名である。ラヴクラフト自身の死後、彼の小説世界は、自身も作家である友人のオーガスト=ダーレスによって、ダーレス独自の善悪二元論的解釈とともに体系化され、「クトゥルフ神話」として発表された。そのため、ラヴクラフトはクトゥルフ神話の創始者であるとも言われる。ただし、ラヴクラフトの宇宙的恐怖を主体とする小説世界を「原神話」や「ラヴクラフト神話」と呼び、ダーレスがラヴクラフトの死後に体系化したクトゥルフ神話と区別する場合もある。
スティーヴン=キングや菊地秀行といった後代の人気作家にも愛読者は多く、アメリカの怪奇幻想文学の重要な担い手と評されることも多い。一方で、ラヴクラフトはあくまでも学問的な研究書では触れられない大衆小説家であって、文学者としてはポオの亜流に過ぎないという評価もある。事実、生前は低俗雑誌(パルプ・マガジン)の作家としてはそれなりの人気はあったものの、文学的に高い評価は受けておらず、出版された作品も極めて少なかった。その死後に、ダーレスの創立した出版社「アーカム・ハウス」から彼の作品群が出版されたことで再評価が始まったという経緯がある。
1890年8月20日、ロードアイランド州プロビデンスに、宝石商人ウィンフィールド・スコット=ラヴクラフトの長男として生まれる。商才豊かな父は地元の名士として知られていたフィリップス家から妻を得るなど社会的成功を収めたが、ラヴクラフトが幼少の時に神経症を患い、1898年に精神病院で衰弱死している。
父の死後は、母方の祖父フィップル=フィリップスの住むヴィクトリア朝式の古い屋敷に引き取られた。経済的には先に述べた通り、母方の一族が裕福であったことから不足はなかった。早熟で本好きな少年は、ゴシック・ロマンスを好んでいた祖父の影響を受け、物語や古い書物に触れて過ごした。6歳の頃には自分でも物語を書くようになったが、架空の怪物「夜妖(ナイトゴーント)」にさらわれる悪夢に悩まされるなど、父に似た精神失調を抱えて育った。悪夢については、8歳で科学に関心を持ち宗教心を捨てると見なくなったという。
青年期には学問の道に進むことを志し、名門校であるブラウン大学を希望して勉学に励んだ。並行して16歳の時には新聞に投稿するようになり、主に天文学の記事を書いていた。しかし肝心の神経症は悪化を続け、通っていた学校も長期欠席を繰り返し、成績は振るわなかった。追い打ちをかけるように唯一の理解者であった祖父が死去すると、精神的にも経済的にも追い詰められ、結局、高等学校は卒業せずに中退している。それでも独学で大学を目指したが挫折し、18歳の時には趣味であった小説執筆を中断し、なかば隠者のように世間を避けて暮らすようになった。こうした神経症が改善されてきたのは30歳になった頃だったが、青年期の挫折はラヴクラフトにとって常に苦い記憶であった。
1914年4月、アマチュア文芸家の交流組織に参加したことをきっかけに、ラヴクラフトは小説との関わりを取り戻した。その3年後には小説の執筆を再開して同人誌に作品を載せるようになった。また、1915年には文章添削の仕事を始めていたが、ラヴクラフトが大幅に手を加えた結果、元の原稿とはかなり違う作品になることもままあった。これは彼の主要な収入源となっていたが、無料奉仕も多かった。女流ホラー作家のヘイゼル=ヒールド(1895~1961年)やゼリア=ビショップ(1897~1968年)など、ラヴクラフトの添削によってクトゥルフ神話作品を執筆することになった作家も少なからずいる。前述のダーレスの他、ロバート=ブロック、クラーク・アシュトン=スミス、ロバート・アーヴィン=ハワードらとは膨大な量の書簡を交換している。長年高い評価を得られず、生活は貧しいものだった。旅行が好きで、経済的に余裕があって健康だった時代にはケベックやニューオーリンズまで長距離バスを利用して旅行することもあったが、その目的は古い時代の細かい事情を調査するためだったという。自身の貧困が幸いして、長い間希望していた古い家に住むという願いがかなった。
1922年になってようやく自身の作品が売れるようになったが、文才に自信が無かったため文章添削の仕事を続けて腕を磨き続けた。45歳を過ぎてギリシア語をマスターしたが、1936年6月に、ロバート・アーヴィン=ハワードが母親の重病を苦に自殺したこと(享年30歳)に衝撃を受け、また、同年に自身も腸ガンの診断を受け、その後の栄養失調も重なり、翌年1937年3月15日に病死した。享年46歳。彼の生前に出版された単行本は、1936年に出版された『インスマウスの影』1作だけであった。 彼の没後の1939年に、文通友達で同業者でもあるオーガスト=ダーレスらが発起人となり、彼の作品を出版する目的でアーカム・ハウス出版社が設立された。
食べ物の好みに関しては海産物が特に嫌いなようで、その嫌悪感は説明のできないほど激しいものであった。このことが彼の作品に登場する邪神たちの造形に強く影響を及ぼしたことは想像に難くない。好きなものはチーズ、チョコレート、アイスクリーム。これはラヴクラフトの母が彼の好むものだけを与えたことによるものである。タバコは吸わず、酒も飲まなかったという。創作はホラーや幻想的作品を主としていたが、本人は迷信や神話の類は一切信用せず無神論者を自認していた。エドガー・アラン=ポオ、ダンセイニ卿、ウォルター=デラメア、バルザック、フローベール、モーパッサン、ゾラ、プルーストといった作家が気に入っており、小説においてはリアリズムを好んでいた。一方でヴィクトリア朝文学は嫌いであった。幼い頃にヴァイオリンを無理矢理習わせられていたため、音楽に関する好みは乏しかった。絵画に関しては風景画を好んでおり、叔母の描いた風景画を階段の壁にかけていた。ちなみにラブクラフト自身は絵を描くことはなかった。建築に関しては機能的な現代的建築を嫌っており、ゴシック建築が好きだったと言われている。あらゆる種類のゲームやスポーツに関心がなく、古い家を眺めたり夏の日に古風な風景画のように美しい土地を歩き回ることが好きだった。
また、ニューヨークに象徴される現代アメリカ文化に対する嫌悪感も強く描写されており、ラヴクラフトの恐怖と嫌悪は人種云々以前に現実全般(自身の生活階層をも含む)に及んでいたものと思われる。
彼の生きた時代は西洋白人文明の優越性が自明のものとされ、それを人種論や優生学から肯定する学説が受け入れられており、彼の発言や作品の中にも現代視点から見れば人種差別的にとられる考えがしばしば指摘される。ただし、ラヴクラフトはそれぞれの民族は性向や習癖が異なっていると述べ、ヒトラーの人種的優越感による政策やユダヤ人弾圧を批判しており、ムッソリーニには敬服しているがヒトラーは劣悪なコピーだと批判している(ただし、ヒトラーの『我が闘争』を読んだ当初はひどく感銘し、友人に対しこの本は最高の書であると絶賛している)。さらに自身の土壌であるアングロサクソン文明よりも、アジアの中華文明がより優れていると考えており、また日本の俳句や浮世絵を鑑賞したことを知人宛の書簡で述べている。しかし、多くの人種の平等を唱えながらも、ネグロイドとオーストラロイドだけは生物学的に劣っているとして、この二者に対しては明確な線引きが必要だと主張している。晩年は社会主義的傾向を強め、ソビエト連邦を礼賛していた。
初期の作品はアイルランド出身の幻想作家ダンセイニ卿やエドガー・アラン=ポオの作品に大きく影響を受けていたが、後期は、宇宙的恐怖を主体としたより暗い階調の作品になっていく。ブラヴァツキー夫人が著した『シークレット・ドクトリン』をはじめ神智学の影響も見受けられる。19世紀末から20世紀初頭にかけては世界的にスピリチュアリズムが流行しており、ラヴクラフトもその潮流の中で創作活動を行った。作品は彼自身の見た悪夢に直接の影響を受けており、中には『ナイアルラトホテップ』など、自身の夢にほぼ忠実に書かれた作品もある。このことが潜在意識にある恐怖を描き出し、多くの人を惹きつけている。現在も、世界中で彼の創造した邪神や宇宙的恐怖をモチーフにした小説、ゲーム、映画などがつくられ続けている。
略歴
1890年8月20日 誕生。父はウィンフィールド・スコット。母はプロビデンスの旧家出身のサラ・スーザン(旧姓フィリップス)。グリム童話やジュール=ヴェルヌ、アラビアン・ナイトやギリシア神話を愛読し、夜ごと悪夢に悩まされる子供であった。
1898年7月19日 父が不全麻痺により死去する。このころエドガー・アラン=ポオの作品と出逢う。
1906年 雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』などに天文学関係の投書やコラムを寄稿するようになる。
1908年 神経症のため高等学校を中退する。
1915年 文章添削の仕事を始める。
1916年 文通グループ「Kleocomolo」を結成する。
1917年 徴兵検査で不合格となる。これは彼に生涯つきまとうコンプレックスの一因になった。
1918年 「Kleocomolo」を解散し、新たな文通グループ「Gallomo」を結成する。
1919年 母が神経障害で入院する。
1921年5月22日 母が死去する。
1923年 創刊したばかりの怪奇小説専門パルプ雑誌『ウィアード・テールズ』10月号に短編『ダゴン』が掲載される。
1924年3月3日 文通で知り合った実業家ソニア=ハフトグリーンと結婚し、ニューヨークのブルックリン地区に移住。しかし翌年に別居する。
1929年 ソニアと離婚し、プロビデンスに帰郷する。
1937年3月15日 腸ガンのため死去する。享年46歳。
おもな作品
『エーリッヒ=ツァンの音楽』(1921年)
日本で初めて翻訳されたラヴクラフト作品で、『宝石』1955年9月号に掲載された。クトゥルフ神話で知られるラヴクラフトの短編小説だが、オーガスト=ダーレスは、本作をクトゥルフ神話に数えていなかった。しかし、後に別の作家によって本作の続編がクトゥルフ神話作品として書かれたこともあって、今ではクトゥルフ神話作品の一作として知られている。
『クトゥルフの呼び声』(執筆は1926年、雑誌発表は1928年)
この作品で初めて「Cthulhu (クトゥルフ)」という、発音すら定かでない固有名詞が仄めかされる。物語の全貌は読者それぞれが推理することを求められるような形式になっている。実在する大学名や地名、ジェイムズ=フレイザーの『金枝篇』などが登場し、読者の教養を前提とする点も特色である。
初出は雑誌『ウィアード・テイルズ』1928年2月号だったが、『ウィアード・テイルズ』はこの作品を一度ボツにしていた。ラヴクラフト自身はこの作品を「そこそこの出来、自作のうち最上のものでも最低のものでもない。」と評した。同業作家のロバート=アーヴィン・ハワードは、「人類史上に残る文学の金字塔であり、ラヴクラフトの傑作」と激賞している。
この作品のモティーフとなったものとして、アルフレッド=テニスンのソネット『クラーケン』(1830年)、ギー=ド・モーパッサンの『オルラ』(1887年)、アーサー=マッケンの『黒い石印』(1895年)、ロード・ダンセイニの『ペガーナの神々』が指摘されている。
『宇宙からの色』(1927年)
ラヴクラフト自身が手紙で、この作品を自己ベストとして挙げたことがある。本作の「宇宙からの色」という存在は、他の生物の生命力を糧とする宇宙生物で、この生物の影響を受けた生き物は精神を病む。主人公はガス状の生命体であろうと推測しているが、正体は不明であり最後は再び宇宙へ帰って行った。
『ダンウィッチの怪』(執筆は1928年、雑誌掲載は1929年)
ダンウィッチおよびアーカムを舞台に、ヨグ=ソトースが人間の女性と交接したことにより生まれた双子の恐怖を描ききる本編は、魔道書を所蔵するミスカトニック大学附属図書館の描写、『ネクロノミコン』からの引用、とりわけヨグ=ソトースの双子の描写によって、『クトゥルフの呼び声』や『インスマウスの影』と共に、後に展開されるダーレスのクトゥルフ神話の決定的な中核となっている。もっとも、『ネクロノミコン』の引用から分かるように、クトゥルフが旧支配者の存在をうかがうことしかできない末裔であるとされ、のちのクトゥルフ神話の解釈とは全く異なっている点も見逃してはならず、ラヴクラフト自身は、クトゥルフを旧支配者に比べて格段に力の劣る、取るに足らない存在として描いている。実際にラヴクラフトの作品では、クトゥルフよりもヨグ=ソトースのほうが数多く扱われており、「クトゥルフ神話」というよりも、むしろ「ヨグ=ソトース神話」と呼ぶべきだという意見も存在する。また、「絶対的な力を持つ異形の存在に翻弄され、なす術もなく握りつぶされる人間」という構図のラヴクラフト作品の中では珍しく、本作は「異形の存在たちに立ち向かう人間」という構図があり、作中の登場人物たちは他のラヴクラフト作品とは違って異形の存在に立ち向かい勝利している。クライマックスでの怪物の死の場面は、イエス=キリストのゴルゴダにおける受難のパロディーだと解釈する意見もあるという。
『インスマウスの影』(1936年)
『ダンウィッチの怪』や『クトゥルフの呼び声』と並ぶラヴクラフトの代表作であり、1936年に彼の崇拝者たちによって初めて出版された単行本に収録された。この作品は彼の生前に書籍として出版された唯一のものである。書き上げたときに、パルプマガジン雑誌『ウィアード・テイルズ』に投稿するつもりだったが、自信をなくして見送ったという経緯がある。
作品は、不幸続きの少年時代に自らの家系を呪われたものと信じたラヴクラフトが血筋への恐怖を描いたものとも、20世紀初頭の保守的なアメリカ人の例に漏れず、ユダヤ人や有色人種・異教徒を嫌悪していたラヴクラフトが、その嫌悪感を作中の怪物に重ねて書いたものとも言われているが、同時に異世界住人への憧憬、自己同一視、逆の選民意識も見て取れる。ニューイングランドの荒廃した古い漁村の描写は恐怖小説の域を超えて秀逸である。これは実際にラヴクラフトが小旅行で取材したものによるが、このようなリアルな描写が入ることは、ラヴクラフトの作品においては珍しい。
この作品にはラヴクラフトの世界観がよく表れており、ダゴン秘密教団や「深きものども」などの、クトゥルフ神話には欠かすことのできないキャラクターたちが登場している。物語の舞台となった町「インスマウス」も、クトゥルフ神話ではしばしば登場することになる。
1992年には TBSが佐野史郎主演・小中千昭脚色で翻案ドラマ『インスマスを覆う影』を制作するなど、日本での知名度も高い作品である。
『狂気の山脈にて』(1936年)
ラヴクラフト作品でも珍しい長編小説である。 わずか1ヶ月で書き上げられ、ラヴクラフトの自信作でもあったが、当初、雑誌『ウィアード・テイルズ』には「長すぎる」として採用を見送られてしまった。 ラヴクラフトは知人宛ての手紙で断筆をほのめかすほど落胆したが、その後、雑誌『アスタウンディング・ストーリーズ』に掲載されることになった。 現在では彼の代表作の一つに挙げられている。
ラヴクラフトは子供の頃から南極に関心を持っていた。なお、同じ南極を舞台にしたエドガー・アラン=ポオ唯一の長編小説『ナンタケット島出身のアーサー=ゴードン・ピムの物語』(1838年)の一部設定が引用されており、登場人物がポオは事実をもとに執筆したのではないか、と解釈する描写がある。
ラヴクラフトはまた、宇宙にも強い関心を持っていた。 彼の作品はのちの「クトゥルフ神話」と関連づけられるが、内容的には違いも見られる。 本作でも、作中に登場する「クトゥルフの末裔」は神というよりも、ミ=ゴと同列の宇宙生物のような扱いになっている。 ここには、善悪二元論的なクトゥルフ神話との根本的な違いとして、ラヴクラフトの宇宙観がもとになった、人間の視点とは異なる超越的な視点があるとされている。 特に本作は、「幻想宇宙年代記」や「ラヴクラフト宇宙観の総決算」と評価されている。
※登場する神話生物
・古のもの
「旧支配者」とも呼ばれる(ただし、のちにオーガスト=ダーレスが定義した「旧支配者(グレート・オールド・ワン)」とは異なる)。樽状の胴体と五芒星型の頭部を持つ半植物的な宇宙生物。太古のまだ生命が存在していない地球に到来して文明を築いた。『ネクロノミコン』には、彼らが戯れか誤りによって地球上に生命を創造したと記されている。生物としては極めて生命力が強く、また陸上と水中の両方の環境に適応する。超常的な力は持たないが、科学技術が非常に発達していた。南極は彼らが宇宙から最初に降り立った土地である。
・ショゴス
古のものによって創造された不定形生物。力が強く、都市の建設などで使役された。身体は形状を変えるだけでなく、一時的に様々な器官を作り出すことが可能である。やがて偶然に得た知性を発達させ、次第に反抗的になり、ついには古のものに対して大規模な反乱を起こした。「テケリ・リ! テケリ・リ!」という特徴的な鳴き声をあげるが、これは古のものの発声を真似ることで身につけたものである。
・クトゥルフの末裔
タコに似た形状の宇宙生物。古のものよりもさらに遠い宇宙世界から到来したとされている。身体が地球上の生命とは異なる物質によって構成されており、変身や組織の再生が可能である。古のものよりも遅れて地球に到来し、地上の支配を巡って古のものと激しく争った。この戦いでは一時的に、全ての古のものを海に追い落としている。後に和平が成立して領土を分け合ったが、突如として本拠地のルルイエもろとも海に沈んだという。本作では「陸棲種族」であるとされている。
・ミ=ゴ
外見は甲殻類、性質としては菌類に近い宇宙生物。クトゥルフの末裔と同様に地球上の生命とは異質な生物で、変身や再生も可能である。地球に現れたのはクトゥルフの末裔のさらに後であり、すでに衰退が始まっていた古のものから北方の地を奪っている。ただし、海の中の古のものには手出しができなかった。現在も地球上に潜んでおり、ヒマラヤの雪男の正体であるともされている。
『チャールズ=ウォードの奇怪な事件』(執筆は1927年、雑誌掲載は1941年)
ラヴクラフトの死後、1941年に雑誌『ウィアード・テイルズ』に掲載された。『狂気の山脈にて』と並ぶラヴクラフトの長編小説である。「クトゥルフ神話」体系に位置づけられる作品で、他の作品の内容、登場人物、怪物ないし神、魔道書への言及がなされる。一方、ラヴクラフトの後期作品は人間精神の限界から生まれる恐怖を大いなる存在に対峙させて描く手法を取っているが、中期にあたる本作の段階では、錬金術、生贄や呪文による召喚儀式などの初期のゴシック的雰囲気も濃厚に残している。
ラヴクラフトの小説は登場人物の会話の描写がほとんどないが、本作ではクライマックスで珍しく会話が描写されている。
本作は、1963年にアメリカの AIPによって『怪談呪いの霊魂』(原題 The Haunted Palace )のタイトルで映画化された(監督・ロジャー=コーマン、主演・ヴィンセント=プライス)。原作はエドガー・アラン=ポオの詩『幽霊宮殿( The Haunted Palace )』であるというふれこみだが、内容はラヴクラフト原作の本作である。ただし、舞台がアーカム村になったり、主人公ウォードが妻帯者で妻も探検に参加するなど、原作とはかなりの相違がある。
さらに1991年にもアメリカで『ヘルハザード 禁断の黙示録』(原題 The Resurrected )のタイトルで再度映画化されている(監督・ダン=オバノン)。舞台設定は1990年代に置き換えられているが、こちらはおおむね原作に忠実な内容になっている。
「ラヴクラフト神話」とは
ラヴクラフト神話は、ラヴクラフト研究者であるS=T=ヨシが、ハワード・フィリップス=ラヴクラフトの小説世界を表すために使用した言葉。 同様の内容を指す言葉として、「原神話」や、アメリカの神学者ロバート=マクネイア・プライスによって用いられる「クトゥルフ神話プロパー」などがある。
ラヴクラフトの後輩作家であるオーガスト=ダーレスらが後に体系化した「クトゥルフ神話」と区別するための用語であり、ラヴクラフト自身が「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」のコンセプトに則って記した作品、および彼の生前に彼の監修・許可の元に書かれた作品群のみを主体とする点が、「クトゥルフ神話」と相違している。ダーレスらの「クトゥルフ神話」体系には、ラヴクラフトの全作品およびラヴクラフト自身の実人生までもが含まれるが、「ラヴクラフト神話」体系では、ラヴクラフトの「非コズミック・ホラー」作品や彼の死後に創作された作品・設定は全て除外される。
このような定義が生まれた背景には、クトゥルフ神話の「フィクションの上に積み上げられたフィクション」としての性格があり、線引きと拡大解釈に関する問題が常につきまとう点が挙げられる。
また、ダーレスによって後世に追加されたクトゥルフ神話の設定としては、「旧神」が邪悪な「旧支配者」を封印したとする設定、およびそこから来る善悪二元論的な側面、また、旧支配者と四大元素の関連がよく挙げられる。
前述のラヴクラフト研究者S=T=ヨシによれば、ラヴクラフト神話には以下の4つの重要な要素が存在する。
・「人類の存在、歴史、価値観は全宇宙から見れば微々たるもの」という「宇宙主義」の思想
・アーカムに代表される架空のニューイングランド都市
・アザトースやヨグ=ソトースなどの「擬似神話的」な神性
・『ネクロノミコン』に代表される謎の古文書
なお、これらの要素は多くのラヴクラフト作品に登場するが、ラヴクラフト自身が体系立てて考えていたものではなく、著作を進めていく過程で築き上げていったものである。
つまり、ラヴクラフト作品における「神話」もまた、時間をかけて統合されていったものであるため、ここでも「神話」に含まれる作品を一律に判定することは難しい。
特に問題となることが多いのは、『未知なるカダスを夢に求めて』などの、ラヴクラフトの初期の「夢の国」ものの作品である。一部のガイドブックでは、「固有の神格や魔道書がストーリーに密接に関わるもの」を「ラヴクラフト神話」と定義し、「夢の国」ものを除外しているものもあるが、この区別の違いによって体系全体が全く違った印象を与えるものとなっている。
今日、多くの出版社が刊行しているクトゥルフ神話のガイドブック類でもこの判別は一様でなく、注意が必要である。