長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

まぁ……こんなんも、ね。 ラヴクラフト暗黒神話メモ

2014年10月18日 22時56分21秒 | ホラー映画関係
ハワード・フィリップス=ラヴクラフト
 ハワード・フィリップス=ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft、1890~1937年)は、アメリカ合衆国のホラー小説家、詩人。「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」などと呼ばれる SF的なホラー小説で有名である。ラヴクラフト自身の死後、彼の小説世界は、自身も作家である友人のオーガスト=ダーレスによって、ダーレス独自の善悪二元論的解釈とともに体系化され、「クトゥルフ神話」として発表された。そのため、ラヴクラフトはクトゥルフ神話の創始者であるとも言われる。ただし、ラヴクラフトの宇宙的恐怖を主体とする小説世界を「原神話」や「ラヴクラフト神話」と呼び、ダーレスがラヴクラフトの死後に体系化したクトゥルフ神話と区別する場合もある。
 スティーヴン=キングや菊地秀行といった後代の人気作家にも愛読者は多く、アメリカの怪奇幻想文学の重要な担い手と評されることも多い。一方で、ラヴクラフトはあくまでも学問的な研究書では触れられない大衆小説家であって、文学者としてはポオの亜流に過ぎないという評価もある。事実、生前は低俗雑誌(パルプ・マガジン)の作家としてはそれなりの人気はあったものの、文学的に高い評価は受けておらず、出版された作品も極めて少なかった。その死後に、ダーレスの創立した出版社「アーカム・ハウス」から彼の作品群が出版されたことで再評価が始まったという経緯がある。

 1890年8月20日、ロードアイランド州プロビデンスに、宝石商人ウィンフィールド・スコット=ラヴクラフトの長男として生まれる。商才豊かな父は地元の名士として知られていたフィリップス家から妻を得るなど社会的成功を収めたが、ラヴクラフトが幼少の時に神経症を患い、1898年に精神病院で衰弱死している。
 父の死後は、母方の祖父フィップル=フィリップスの住むヴィクトリア朝式の古い屋敷に引き取られた。経済的には先に述べた通り、母方の一族が裕福であったことから不足はなかった。早熟で本好きな少年は、ゴシック・ロマンスを好んでいた祖父の影響を受け、物語や古い書物に触れて過ごした。6歳の頃には自分でも物語を書くようになったが、架空の怪物「夜妖(ナイトゴーント)」にさらわれる悪夢に悩まされるなど、父に似た精神失調を抱えて育った。悪夢については、8歳で科学に関心を持ち宗教心を捨てると見なくなったという。
 青年期には学問の道に進むことを志し、名門校であるブラウン大学を希望して勉学に励んだ。並行して16歳の時には新聞に投稿するようになり、主に天文学の記事を書いていた。しかし肝心の神経症は悪化を続け、通っていた学校も長期欠席を繰り返し、成績は振るわなかった。追い打ちをかけるように唯一の理解者であった祖父が死去すると、精神的にも経済的にも追い詰められ、結局、高等学校は卒業せずに中退している。それでも独学で大学を目指したが挫折し、18歳の時には趣味であった小説執筆を中断し、なかば隠者のように世間を避けて暮らすようになった。こうした神経症が改善されてきたのは30歳になった頃だったが、青年期の挫折はラヴクラフトにとって常に苦い記憶であった。
 1914年4月、アマチュア文芸家の交流組織に参加したことをきっかけに、ラヴクラフトは小説との関わりを取り戻した。その3年後には小説の執筆を再開して同人誌に作品を載せるようになった。また、1915年には文章添削の仕事を始めていたが、ラヴクラフトが大幅に手を加えた結果、元の原稿とはかなり違う作品になることもままあった。これは彼の主要な収入源となっていたが、無料奉仕も多かった。女流ホラー作家のヘイゼル=ヒールド(1895~1961年)やゼリア=ビショップ(1897~1968年)など、ラヴクラフトの添削によってクトゥルフ神話作品を執筆することになった作家も少なからずいる。前述のダーレスの他、ロバート=ブロック、クラーク・アシュトン=スミス、ロバート・アーヴィン=ハワードらとは膨大な量の書簡を交換している。長年高い評価を得られず、生活は貧しいものだった。旅行が好きで、経済的に余裕があって健康だった時代にはケベックやニューオーリンズまで長距離バスを利用して旅行することもあったが、その目的は古い時代の細かい事情を調査するためだったという。自身の貧困が幸いして、長い間希望していた古い家に住むという願いがかなった。
 1922年になってようやく自身の作品が売れるようになったが、文才に自信が無かったため文章添削の仕事を続けて腕を磨き続けた。45歳を過ぎてギリシア語をマスターしたが、1936年6月に、ロバート・アーヴィン=ハワードが母親の重病を苦に自殺したこと(享年30歳)に衝撃を受け、また、同年に自身も腸ガンの診断を受け、その後の栄養失調も重なり、翌年1937年3月15日に病死した。享年46歳。彼の生前に出版された単行本は、1936年に出版された『インスマウスの影』1作だけであった。 彼の没後の1939年に、文通友達で同業者でもあるオーガスト=ダーレスらが発起人となり、彼の作品を出版する目的でアーカム・ハウス出版社が設立された。

 食べ物の好みに関しては海産物が特に嫌いなようで、その嫌悪感は説明のできないほど激しいものであった。このことが彼の作品に登場する邪神たちの造形に強く影響を及ぼしたことは想像に難くない。好きなものはチーズ、チョコレート、アイスクリーム。これはラヴクラフトの母が彼の好むものだけを与えたことによるものである。タバコは吸わず、酒も飲まなかったという。創作はホラーや幻想的作品を主としていたが、本人は迷信や神話の類は一切信用せず無神論者を自認していた。エドガー・アラン=ポオ、ダンセイニ卿、ウォルター=デラメア、バルザック、フローベール、モーパッサン、ゾラ、プルーストといった作家が気に入っており、小説においてはリアリズムを好んでいた。一方でヴィクトリア朝文学は嫌いであった。幼い頃にヴァイオリンを無理矢理習わせられていたため、音楽に関する好みは乏しかった。絵画に関しては風景画を好んでおり、叔母の描いた風景画を階段の壁にかけていた。ちなみにラブクラフト自身は絵を描くことはなかった。建築に関しては機能的な現代的建築を嫌っており、ゴシック建築が好きだったと言われている。あらゆる種類のゲームやスポーツに関心がなく、古い家を眺めたり夏の日に古風な風景画のように美しい土地を歩き回ることが好きだった。
 また、ニューヨークに象徴される現代アメリカ文化に対する嫌悪感も強く描写されており、ラヴクラフトの恐怖と嫌悪は人種云々以前に現実全般(自身の生活階層をも含む)に及んでいたものと思われる。
 彼の生きた時代は西洋白人文明の優越性が自明のものとされ、それを人種論や優生学から肯定する学説が受け入れられており、彼の発言や作品の中にも現代視点から見れば人種差別的にとられる考えがしばしば指摘される。ただし、ラヴクラフトはそれぞれの民族は性向や習癖が異なっていると述べ、ヒトラーの人種的優越感による政策やユダヤ人弾圧を批判しており、ムッソリーニには敬服しているがヒトラーは劣悪なコピーだと批判している(ただし、ヒトラーの『我が闘争』を読んだ当初はひどく感銘し、友人に対しこの本は最高の書であると絶賛している)。さらに自身の土壌であるアングロサクソン文明よりも、アジアの中華文明がより優れていると考えており、また日本の俳句や浮世絵を鑑賞したことを知人宛の書簡で述べている。しかし、多くの人種の平等を唱えながらも、ネグロイドとオーストラロイドだけは生物学的に劣っているとして、この二者に対しては明確な線引きが必要だと主張している。晩年は社会主義的傾向を強め、ソビエト連邦を礼賛していた。
 初期の作品はアイルランド出身の幻想作家ダンセイニ卿やエドガー・アラン=ポオの作品に大きく影響を受けていたが、後期は、宇宙的恐怖を主体としたより暗い階調の作品になっていく。ブラヴァツキー夫人が著した『シークレット・ドクトリン』をはじめ神智学の影響も見受けられる。19世紀末から20世紀初頭にかけては世界的にスピリチュアリズムが流行しており、ラヴクラフトもその潮流の中で創作活動を行った。作品は彼自身の見た悪夢に直接の影響を受けており、中には『ナイアルラトホテップ』など、自身の夢にほぼ忠実に書かれた作品もある。このことが潜在意識にある恐怖を描き出し、多くの人を惹きつけている。現在も、世界中で彼の創造した邪神や宇宙的恐怖をモチーフにした小説、ゲーム、映画などがつくられ続けている。

略歴
1890年8月20日 誕生。父はウィンフィールド・スコット。母はプロビデンスの旧家出身のサラ・スーザン(旧姓フィリップス)。グリム童話やジュール=ヴェルヌ、アラビアン・ナイトやギリシア神話を愛読し、夜ごと悪夢に悩まされる子供であった。
1898年7月19日 父が不全麻痺により死去する。このころエドガー・アラン=ポオの作品と出逢う。
1906年 雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』などに天文学関係の投書やコラムを寄稿するようになる。
1908年 神経症のため高等学校を中退する。
1915年 文章添削の仕事を始める。
1916年 文通グループ「Kleocomolo」を結成する。
1917年 徴兵検査で不合格となる。これは彼に生涯つきまとうコンプレックスの一因になった。
1918年 「Kleocomolo」を解散し、新たな文通グループ「Gallomo」を結成する。
1919年 母が神経障害で入院する。
1921年5月22日 母が死去する。
1923年 創刊したばかりの怪奇小説専門パルプ雑誌『ウィアード・テールズ』10月号に短編『ダゴン』が掲載される。
1924年3月3日 文通で知り合った実業家ソニア=ハフトグリーンと結婚し、ニューヨークのブルックリン地区に移住。しかし翌年に別居する。
1929年 ソニアと離婚し、プロビデンスに帰郷する。
1937年3月15日 腸ガンのため死去する。享年46歳。

おもな作品
『エーリッヒ=ツァンの音楽』(1921年)
 日本で初めて翻訳されたラヴクラフト作品で、『宝石』1955年9月号に掲載された。クトゥルフ神話で知られるラヴクラフトの短編小説だが、オーガスト=ダーレスは、本作をクトゥルフ神話に数えていなかった。しかし、後に別の作家によって本作の続編がクトゥルフ神話作品として書かれたこともあって、今ではクトゥルフ神話作品の一作として知られている。

『クトゥルフの呼び声』(執筆は1926年、雑誌発表は1928年)
 この作品で初めて「Cthulhu (クトゥルフ)」という、発音すら定かでない固有名詞が仄めかされる。物語の全貌は読者それぞれが推理することを求められるような形式になっている。実在する大学名や地名、ジェイムズ=フレイザーの『金枝篇』などが登場し、読者の教養を前提とする点も特色である。
 初出は雑誌『ウィアード・テイルズ』1928年2月号だったが、『ウィアード・テイルズ』はこの作品を一度ボツにしていた。ラヴクラフト自身はこの作品を「そこそこの出来、自作のうち最上のものでも最低のものでもない。」と評した。同業作家のロバート=アーヴィン・ハワードは、「人類史上に残る文学の金字塔であり、ラヴクラフトの傑作」と激賞している。
 この作品のモティーフとなったものとして、アルフレッド=テニスンのソネット『クラーケン』(1830年)、ギー=ド・モーパッサンの『オルラ』(1887年)、アーサー=マッケンの『黒い石印』(1895年)、ロード・ダンセイニの『ペガーナの神々』が指摘されている。

『宇宙からの色』(1927年)
 ラヴクラフト自身が手紙で、この作品を自己ベストとして挙げたことがある。本作の「宇宙からの色」という存在は、他の生物の生命力を糧とする宇宙生物で、この生物の影響を受けた生き物は精神を病む。主人公はガス状の生命体であろうと推測しているが、正体は不明であり最後は再び宇宙へ帰って行った。

『ダンウィッチの怪』(執筆は1928年、雑誌掲載は1929年)
 ダンウィッチおよびアーカムを舞台に、ヨグ=ソトースが人間の女性と交接したことにより生まれた双子の恐怖を描ききる本編は、魔道書を所蔵するミスカトニック大学附属図書館の描写、『ネクロノミコン』からの引用、とりわけヨグ=ソトースの双子の描写によって、『クトゥルフの呼び声』や『インスマウスの影』と共に、後に展開されるダーレスのクトゥルフ神話の決定的な中核となっている。もっとも、『ネクロノミコン』の引用から分かるように、クトゥルフが旧支配者の存在をうかがうことしかできない末裔であるとされ、のちのクトゥルフ神話の解釈とは全く異なっている点も見逃してはならず、ラヴクラフト自身は、クトゥルフを旧支配者に比べて格段に力の劣る、取るに足らない存在として描いている。実際にラヴクラフトの作品では、クトゥルフよりもヨグ=ソトースのほうが数多く扱われており、「クトゥルフ神話」というよりも、むしろ「ヨグ=ソトース神話」と呼ぶべきだという意見も存在する。また、「絶対的な力を持つ異形の存在に翻弄され、なす術もなく握りつぶされる人間」という構図のラヴクラフト作品の中では珍しく、本作は「異形の存在たちに立ち向かう人間」という構図があり、作中の登場人物たちは他のラヴクラフト作品とは違って異形の存在に立ち向かい勝利している。クライマックスでの怪物の死の場面は、イエス=キリストのゴルゴダにおける受難のパロディーだと解釈する意見もあるという。

『インスマウスの影』(1936年)
 『ダンウィッチの怪』や『クトゥルフの呼び声』と並ぶラヴクラフトの代表作であり、1936年に彼の崇拝者たちによって初めて出版された単行本に収録された。この作品は彼の生前に書籍として出版された唯一のものである。書き上げたときに、パルプマガジン雑誌『ウィアード・テイルズ』に投稿するつもりだったが、自信をなくして見送ったという経緯がある。
 作品は、不幸続きの少年時代に自らの家系を呪われたものと信じたラヴクラフトが血筋への恐怖を描いたものとも、20世紀初頭の保守的なアメリカ人の例に漏れず、ユダヤ人や有色人種・異教徒を嫌悪していたラヴクラフトが、その嫌悪感を作中の怪物に重ねて書いたものとも言われているが、同時に異世界住人への憧憬、自己同一視、逆の選民意識も見て取れる。ニューイングランドの荒廃した古い漁村の描写は恐怖小説の域を超えて秀逸である。これは実際にラヴクラフトが小旅行で取材したものによるが、このようなリアルな描写が入ることは、ラヴクラフトの作品においては珍しい。
 この作品にはラヴクラフトの世界観がよく表れており、ダゴン秘密教団や「深きものども」などの、クトゥルフ神話には欠かすことのできないキャラクターたちが登場している。物語の舞台となった町「インスマウス」も、クトゥルフ神話ではしばしば登場することになる。
 1992年には TBSが佐野史郎主演・小中千昭脚色で翻案ドラマ『インスマスを覆う影』を制作するなど、日本での知名度も高い作品である。

『狂気の山脈にて』(1936年)
 ラヴクラフト作品でも珍しい長編小説である。 わずか1ヶ月で書き上げられ、ラヴクラフトの自信作でもあったが、当初、雑誌『ウィアード・テイルズ』には「長すぎる」として採用を見送られてしまった。 ラヴクラフトは知人宛ての手紙で断筆をほのめかすほど落胆したが、その後、雑誌『アスタウンディング・ストーリーズ』に掲載されることになった。 現在では彼の代表作の一つに挙げられている。
 ラヴクラフトは子供の頃から南極に関心を持っていた。なお、同じ南極を舞台にしたエドガー・アラン=ポオ唯一の長編小説『ナンタケット島出身のアーサー=ゴードン・ピムの物語』(1838年)の一部設定が引用されており、登場人物がポオは事実をもとに執筆したのではないか、と解釈する描写がある。
 ラヴクラフトはまた、宇宙にも強い関心を持っていた。 彼の作品はのちの「クトゥルフ神話」と関連づけられるが、内容的には違いも見られる。 本作でも、作中に登場する「クトゥルフの末裔」は神というよりも、ミ=ゴと同列の宇宙生物のような扱いになっている。 ここには、善悪二元論的なクトゥルフ神話との根本的な違いとして、ラヴクラフトの宇宙観がもとになった、人間の視点とは異なる超越的な視点があるとされている。 特に本作は、「幻想宇宙年代記」や「ラヴクラフト宇宙観の総決算」と評価されている。
※登場する神話生物
・古のもの
 「旧支配者」とも呼ばれる(ただし、のちにオーガスト=ダーレスが定義した「旧支配者(グレート・オールド・ワン)」とは異なる)。樽状の胴体と五芒星型の頭部を持つ半植物的な宇宙生物。太古のまだ生命が存在していない地球に到来して文明を築いた。『ネクロノミコン』には、彼らが戯れか誤りによって地球上に生命を創造したと記されている。生物としては極めて生命力が強く、また陸上と水中の両方の環境に適応する。超常的な力は持たないが、科学技術が非常に発達していた。南極は彼らが宇宙から最初に降り立った土地である。
・ショゴス
 古のものによって創造された不定形生物。力が強く、都市の建設などで使役された。身体は形状を変えるだけでなく、一時的に様々な器官を作り出すことが可能である。やがて偶然に得た知性を発達させ、次第に反抗的になり、ついには古のものに対して大規模な反乱を起こした。「テケリ・リ! テケリ・リ!」という特徴的な鳴き声をあげるが、これは古のものの発声を真似ることで身につけたものである。
・クトゥルフの末裔
 タコに似た形状の宇宙生物。古のものよりもさらに遠い宇宙世界から到来したとされている。身体が地球上の生命とは異なる物質によって構成されており、変身や組織の再生が可能である。古のものよりも遅れて地球に到来し、地上の支配を巡って古のものと激しく争った。この戦いでは一時的に、全ての古のものを海に追い落としている。後に和平が成立して領土を分け合ったが、突如として本拠地のルルイエもろとも海に沈んだという。本作では「陸棲種族」であるとされている。
・ミ=ゴ
 外見は甲殻類、性質としては菌類に近い宇宙生物。クトゥルフの末裔と同様に地球上の生命とは異質な生物で、変身や再生も可能である。地球に現れたのはクトゥルフの末裔のさらに後であり、すでに衰退が始まっていた古のものから北方の地を奪っている。ただし、海の中の古のものには手出しができなかった。現在も地球上に潜んでおり、ヒマラヤの雪男の正体であるともされている。

『チャールズ=ウォードの奇怪な事件』(執筆は1927年、雑誌掲載は1941年)
 ラヴクラフトの死後、1941年に雑誌『ウィアード・テイルズ』に掲載された。『狂気の山脈にて』と並ぶラヴクラフトの長編小説である。「クトゥルフ神話」体系に位置づけられる作品で、他の作品の内容、登場人物、怪物ないし神、魔道書への言及がなされる。一方、ラヴクラフトの後期作品は人間精神の限界から生まれる恐怖を大いなる存在に対峙させて描く手法を取っているが、中期にあたる本作の段階では、錬金術、生贄や呪文による召喚儀式などの初期のゴシック的雰囲気も濃厚に残している。
 ラヴクラフトの小説は登場人物の会話の描写がほとんどないが、本作ではクライマックスで珍しく会話が描写されている。
 本作は、1963年にアメリカの AIPによって『怪談呪いの霊魂』(原題 The Haunted Palace )のタイトルで映画化された(監督・ロジャー=コーマン、主演・ヴィンセント=プライス)。原作はエドガー・アラン=ポオの詩『幽霊宮殿( The Haunted Palace )』であるというふれこみだが、内容はラヴクラフト原作の本作である。ただし、舞台がアーカム村になったり、主人公ウォードが妻帯者で妻も探検に参加するなど、原作とはかなりの相違がある。
 さらに1991年にもアメリカで『ヘルハザード 禁断の黙示録』(原題 The Resurrected )のタイトルで再度映画化されている(監督・ダン=オバノン)。舞台設定は1990年代に置き換えられているが、こちらはおおむね原作に忠実な内容になっている。

「ラヴクラフト神話」とは
 ラヴクラフト神話は、ラヴクラフト研究者であるS=T=ヨシが、ハワード・フィリップス=ラヴクラフトの小説世界を表すために使用した言葉。 同様の内容を指す言葉として、「原神話」や、アメリカの神学者ロバート=マクネイア・プライスによって用いられる「クトゥルフ神話プロパー」などがある。
 ラヴクラフトの後輩作家であるオーガスト=ダーレスらが後に体系化した「クトゥルフ神話」と区別するための用語であり、ラヴクラフト自身が「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」のコンセプトに則って記した作品、および彼の生前に彼の監修・許可の元に書かれた作品群のみを主体とする点が、「クトゥルフ神話」と相違している。ダーレスらの「クトゥルフ神話」体系には、ラヴクラフトの全作品およびラヴクラフト自身の実人生までもが含まれるが、「ラヴクラフト神話」体系では、ラヴクラフトの「非コズミック・ホラー」作品や彼の死後に創作された作品・設定は全て除外される。
 このような定義が生まれた背景には、クトゥルフ神話の「フィクションの上に積み上げられたフィクション」としての性格があり、線引きと拡大解釈に関する問題が常につきまとう点が挙げられる。
 また、ダーレスによって後世に追加されたクトゥルフ神話の設定としては、「旧神」が邪悪な「旧支配者」を封印したとする設定、およびそこから来る善悪二元論的な側面、また、旧支配者と四大元素の関連がよく挙げられる。

 前述のラヴクラフト研究者S=T=ヨシによれば、ラヴクラフト神話には以下の4つの重要な要素が存在する。
・「人類の存在、歴史、価値観は全宇宙から見れば微々たるもの」という「宇宙主義」の思想
・アーカムに代表される架空のニューイングランド都市
・アザトースやヨグ=ソトースなどの「擬似神話的」な神性
・『ネクロノミコン』に代表される謎の古文書

 なお、これらの要素は多くのラヴクラフト作品に登場するが、ラヴクラフト自身が体系立てて考えていたものではなく、著作を進めていく過程で築き上げていったものである。
 つまり、ラヴクラフト作品における「神話」もまた、時間をかけて統合されていったものであるため、ここでも「神話」に含まれる作品を一律に判定することは難しい。
 特に問題となることが多いのは、『未知なるカダスを夢に求めて』などの、ラヴクラフトの初期の「夢の国」ものの作品である。一部のガイドブックでは、「固有の神格や魔道書がストーリーに密接に関わるもの」を「ラヴクラフト神話」と定義し、「夢の国」ものを除外しているものもあるが、この区別の違いによって体系全体が全く違った印象を与えるものとなっている。
 今日、多くの出版社が刊行しているクトゥルフ神話のガイドブック類でもこの判別は一様でなく、注意が必要である。
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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『 infection / LITTLE BEAT RIFLE 』

2014年10月17日 23時02分10秒 | すきなひとたち
『 infection / LITTLE BEAT RIFLE 』(2001年9月7日リリース 東芝EMI)

 『 infection / LITTLE BEAT RIFLE(インフェクション/リトルビートライフル)』は、鬼束ちひろ(当時20歳)の5thシングル。作詞・作曲は鬼束ちひろ、プロデュースは羽毛田丈史。
 このシングルがリリースされた4日後の2001年9月11日にアメリカ合衆国で同時多発テロ事件が発生し、奇しくも『 infection 』の歌詞にある「爆破して飛び散った心の破片」という部分が事件を髣髴とさせるということで、同年11月まで同曲のプロモーションは自粛され、『 LITTLE BEAT RIFLE 』のプロモーションのみが行われた。
 オリコンウィークリーチャートでは最高5位を記録した。

収録曲
1、『 infection 』(5分44秒)
・テレビ朝日系列連続ドラマ『氷点2001』主題歌
 オーケストラ演奏をバックにしたバラードになっている。『月光』以来約1年ぶりに TVドラマ主題歌に起用された。ドラマ制作側が「人間の陰の部分・感情を豊かに歌い上げる歌声と世界観が完全にドラマと一致する。」と賞賛して楽曲起用を決定したが、この作品自体は鬼束がデビュー直後に書き上げていたストック曲のひとつであったという。リリース直後に発生したアメリカ同時多発テロ事件を予見していたかのような歌詞から、リリース後2ヶ月間はこの曲のプロモーションは自粛された(ただしドラマ主題歌であったため、楽曲はドラマで毎週使用されていた)。鬼束本人のコメントによると、次回作『流星群』に直接つながる歌詞内容になっている。
 レコーディングもプロモーションビデオも、イギリスのロンドンで収録が行われた。

2、『 LITTLE BEAT RIFLE 』(4分35秒)
 カントリーロック調に制作されたアップテンポなナンバー。『 infection 』のプロモーションが自粛されていた期間はこの曲で音楽番組に出演していたが、もともと『 infection 』のプロモーションはリリース直前まで行われず、この『 LITTLE BEAT RIFLE 』の方がラジオで先行オンエアされていたりプロモーションビデオがオンエアされるなどしていた。


 はい~出ました、『 infection 』。私、好きですねぇ、この曲。

 前にも言ったように、私が初めて「鬼束ちひろという歌手がいる。」ということを認識したのは、ドラマ『トリック』シーズン1の最終回だったのですが、「どうやらこの人はすごいみたいだぞ!」とまで意識するようになったのは、リリース直後のこの曲のプロモーション映像が『カウントダウン TV』で流れていたのを、友人の家でなにげなく観たときでした。

「はぁ~へんがぁあ! はぁ~へんがぁああ!!」

 と何やらものすごい表情で髪を振り乱して絶叫している女の人がいたら、そりゃあ目を見張らずにはおられないですよねぇ。

 でも、この『 infection 』が9.11テロの影響で自粛されていたという情報は、今回初めて知りました。いやぁ、知らなかったなぁ!
 ということは、私はこの曲のプロモーション映像を、2001年9月8日(土曜日)の深夜(正確には翌9日日曜日の午前1時ごろ)に放送された『カウントダウン TV』の新譜紹介コーナーあたりで観た、ということになるのでしょうか。
 あらー、私が大学生だった当時は、友だちの家で夜明けまでダベるなんてことは日常茶飯事だったわけなんですが、そんな中のなにげないある一日の日付がこういう特殊な事情で限定されるのって、なんだかヘンな感じですよねぇ。ミステリー小説みたい。そうそう、9月だった。だって、遊びに行った先の友だちも、卒業制作の課題でヒーヒー言ってたもんね。うわ~13年前! どうあがいても13年前!!

 基本的にバックはピアノくらいで、なにはなくとも鬼束さんの声を重視するという羽毛田プロデュース時代の中でも、オーケストレーションという形式で演奏に相当な力を入れた大作となっております。
 私は、この『 infection 』の大いなる序曲として見逃せないものに、リリース順でいくとこの前作ということになる1stアルバム『インソムニア』の最終収録曲だった『月光 アルバムバージョン』があると思います。

 この『月光 アルバムバージョン』は、シングルバージョンの制作時にボツになったという「ピアノだけ伴奏バージョン」が元になっているということなのですが、アルバムバージョンは単なる没テイクのボーナス収録という意味合いではなく、アルバムの締めを飾る鬼束さんの最新バージョン(当時)のアップデート、そしてこれから始まる新たな動きの予告編となるものでした。
 このアルバムバージョンがシングルバージョンとどう違うのかと言いますと、実は「ピアノとストリングス」という形式はほとんど変わっていないのですが、遠い所から響いているようなコーラスがかなり淡く入ったり、鬼束さんの声自体にもエコーが入っていたりして、「かなり広い空間の中で鬼束さんが唄っている」という印象が強くなっているのです。
 つまりこれは、鬼束さんがいよいよ、あまり広くなさそうな録音スタジオで1本のマイクから想いを発信していくスタイルにとどまらず、もっと自分と周囲の空気とが同化したひとつの「世界」を持ちうる強度をそなえた楽曲を生み出すフェイズに突入した、という証なのではないのでしょうか。

 もちろん、これから創りあげていく作品の全てがそうなるということではないでしょうし、そんなに毎回毎回スペシウム光線ばっかぶっぱなしていたら本人もファンも疲弊してしまうわけで、あくまでも「そんな必殺技も出せるようになりました。」ということなのでしょうが、とにかくその人ならではのオンリーワンがあるのとないのでは、エンタテインメントの世界における実力の差はお話にならないものがあるとあると思うんですね。
 そして、商業的にどの曲がいちばん売れたのかとか有名なのかとかいう話はわかりませんが、あの『月光』をさしおいてでも、「どの曲が鬼束さんを『ジャンル:鬼束ちひろ』にしたのか」という疑問の答えになる一曲こそが、この『 infection 』であると私は確信しているのであります。

 この『 infection 』では、まず、気持ちいいくらいに他者がいません。
 これまでの楽曲では、『月光』もそうでしたが、何らかの理由で自分の想いが届かない「あなた」との距離から物語が始まるものがあったり、他者がいない歌詞だったとしても、自分と、自分を受け入れてくれない「環境」との対峙を訴える構図になっていたのですが、この『 infection 』では、もはや自分の鬱屈を生み出す要因は外にはなく、いつの間にか「愚かな病」に「感染」して弱くなってしまった自分自身そこにこそある、という異常に硬度の高い確信がひたすら語られていくのです。

 『月光』でなんやかや言いましたが……私は神の子なんかじゃありませんでした!

 まさにこれは、デビューして間もなく期待の新人歌手として世間の脚光を浴び、「王道のアイドル路線にはあんまり乗っていけない人たちのためのアイドル」的な時代の寵児となった鬼束ちひろの「人間宣言」だったのではないのでしょうか。

 ただし、なんとも周到なことに、この『 infection 』は『月光』以下、過去の曲の否定にはまったくつながっていません。むしろ、今までの「独白形式」をさらに強化した延長線上にある作品ですし、歌詞の中では「夜になればこの心の境地に陥ってしまう」という、「夜になれば」の限定が繰り返し語られていくのです。スタイルにまったくブレがないんですね。
 つまり、自分の今おかれている状況に関して、環境のせいにして嘆くのも、他人との関係に一喜一憂するのも、全てを自分自身のせいにしてガクーンとくるのも、ぜ~んぶ生きているひとりの自分なんですという、人間ならではの「一貫した支離滅裂っぷり」! それこそが鬼束ちひろの世界であり、多くの人々の強い共感を得る理由なのではないのでしょうか。

 だからこそ、「あ~、スッキリ♪」といった感じで『 LITTLE BEAT RIFLE 』もいい感じに聴こえてくるんじゃないのかなぁ。ホントに、この2曲が合わせられてひとつの商品になっている、その振り回しっぷりというか情緒不安定っぷりこそが、鬼束さんの魅力の本質なのでしょうねぇ。まさしく夜の『 infection 』があってこそ、夜が明けた後の『 LITTLE BEAT RIFLE 』があるのです。
 『 LITTLE BEAT RIFLE 』は、もう勧誘ですか?ってくらいに神、神って言ってますね。いや、勧誘って言うとずいぶんつまんない例えになって申し訳ないんですが、ジャンヌ=ダルクって言うと大げさになりすぎるしねぇ。でも、鬼束さんとジャンヌ=ダルクって、やっぱりどちらも「……こわっ。」っていう空気がありますよね。

 ジャンヌ=ダルクは16歳から世界史の表舞台に姿をあらわして、4年後に19歳で処刑されたわけなんですが、鬼束さんはまさに、その没した年齢から歌手としての活動を始めた、ということになります。
 よもや臆面もなく「転生」なんてアホなことをぬかすつもりはありませんが、まぁ『ドリフ大爆笑』の1コーナー「もしもジャンヌ=ダルクが歌手になったら?」をやれるくらいのオーラは、2001年当時の鬼束さんははなっていたのではないのでしょうか。

 ててれ てててっ てーれ ふぁぁ~ん♪
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『軍師官兵衛』  視聴メモ 第39回『跡を継ぐ者』

2014年10月09日 11時27分55秒 | 日本史みたいな
『軍師官兵衛』第39回『跡を継ぐ者』(2014年9月28日 演出・田中健二)


登場する有名人・武将の『信長の野望』シリーズでのだいたいの能力評価(テロップ順)

黒田 官兵衛 孝高  …… 知力84、統率力67
 (演・岡田准一)

徳川 家康      …… 知力102、統率力65
 (演・寺尾聰)

黒田 長政      …… 知力77、統率力63
 (演・松坂桃李)

浅井 茶々姫     …… 知力16、統率力21
 (演・二階堂ふみ)

母里 太兵衛 友信  …… 知力44、統率力80
 (演・速水もこみち)

後藤 又兵衛 基次  …… 知力14、統率力75
 (演・塚本高史)

石田 三成      …… 知力92、統率力60
 (演・田中圭)

井伊 直政      …… 知力69、統率力81
 (演・東幹久)

北条 氏政(うじまさ)…… 知力101、統率力106
 戦国北条家第4代総帥。家督は嫡男・氏直に譲っているが実権を掌握し続けている。(演・伊吹吾郎)

増田 長盛      …… 知力85、統率力37
 豊臣家重臣。主に外交交渉を担当していた。(演・有薗芳記)

豊臣 秀長      …… 知力83、統率力75
 (演・嘉島典俊)

本多 忠勝      …… 知力66、統率力84
 (演・塩野谷正幸)

榊原 康政      …… 知力45、統率力78
 (演・中村育二)

福島 正則      …… 知力45、統率力83
 (演・石黒英雄)

北条 氏直(うじなお)…… 知力64、統率力79
 戦国北条家第5代総帥。北条氏政の嫡男。(演・羽田昌義)

千 利休
 (演・伊武雅刀)

豊臣 秀吉      …… 知力95、統率力94
 (演・竹中直人)


ざっとの感想

○天正十七(1589)年五月。黒田孝高44歳、黒田家家督を嫡男・長政22歳に譲り、隠居(ぜんぶ数え年計算です)!
 でも、そうか、かつて永禄十(1567)年に、孝高22歳は父・黒田職隆44歳に家督を譲られていたんでしたっけ。
 え!? 似てるもなにも、年齢の関係がまったくいっしょじゃありませんこと!? すごいなぁ~、黒田家! 実は豊臣家の後継者うんぬんなんか関係なく、タイミングがいいから、もともとこの年に隠居するって決めてたんだったりして!?
 現代の感覚からすればずいぶんと早い隠居のような気がするのですが、無論のこと、これが官兵衛の政治活動の終了を意味しているはずがなく、官兵衛は引き続き、というか以前にも増して中央の豊臣政権に活動の重心をおいてくるわけでして、疑われているからこそ、疑っている人物との距離を縮めるという捨て身の決意が込められている隠居であることは間違いがないのでありました。

 それにしても、かつての小寺家に相当する脅威が、今の豊臣政権とは……スケールちがいすぎ!!

○非常に心温まる、長政とお糸の方との晩酌シーンです。お糸の方は、いいね……

○ダーイシ三成、額にぶっとい青筋をおったてて「官兵衛なんか、隠居させりゃあいいじゃない!」と秀吉に嘆願。男のジェラシーは醜いったらありゃしねぇや! 女のジェラシーは怖くて、たま~に魅力的ですけど、男はただただ、その人物が小さく見えるだけですからねぇ……
 実際の石田三成がどういう人物だったのかはよくわからないんですけれども、私はどっちかっていうと、石ノ森章太郎の『マンガ日本の歴史』に出てきた三成のような、まじめだけどどこか抜けたところもある、バブル期に浮かれてしまった悲劇の凡人のようなキャラクターのほうが好きです。田中さんの三成は、とにかくいっしょにいて肩がこりますよね、たぶん。

○「懐妊しました。」という事実で、鬼の首を取ったかのように傾城ぶりをバリバリ発揮しはじめる茶々姫。でも、別に政治にまで口出しをしてるわけじゃないから、激務に疲れた秀吉にとっての、そういうシチュエーションのお店のような存在で、たまにはけっこうなのではないのでしょうか。
 秀吉、茶々姫を抱きながら『茶々の子守唄』的なオリジナルソングを唄おうとしてたでしょ……やっぱり竹中秀吉は、油断のスキもありゃしませんな!

●茶々バッシングで100人処刑! まさに、狂王秀吉。
 でも、いくら怒ったからって、落首の燃える炎をかたわらにしながら「うおおぉ~!!」と絶叫するとは……わかりやすすぎ!

○「主君を諌めるは、家臣の務め。」とつぶやいて、なんの躊躇もなくすくっと立ち上がる官兵衛、ステキすぎです。なんとアクティヴな隠居生活か!

○100人処刑かと思ったら、今度は黄金ばらまきサービス……日本史上でも屈指の「王さまっぷり」をほしいままにしている秀吉です。単純っつうかなんつうか。でも、これほど明解な「アメとムチ」政策もないわけでして、ある意味で人を殺しもするし元気にもする太陽に酷似している君主、とも言えるのではないのでしょうか。確かに官兵衛の言うとおり、その強権ぶりが豊臣家そのものの安泰に直結するものでないことは明らかなわけなんですけれど。
 この時代の京都に住むのは、かなりのギャンブルだったんだろうなぁ~。でも、それは794年以来、ず~っとそうか。

●この『軍師官兵衛』におけるおねの方はホンットに性格が悪いというか、いいかっこしいというか……だって、自分の言いたいグチをひとしきり侍女のマグダレナに言わせきってから「これこれ、そのようなことを言うでない。」みたいなフォローを入れるパターンの繰り返しなんだもんね! しまいにゃ自分の亭主を叱るのも40すぎの大の大人に丸投げする始末。
 自分の口を汚さずに他人にブラックなことをさんざん言わせてから形だけいなして済ます……おまえはビートきよしか、コノヤロー!!

○甲斐守に推挙されたということで、これを期に口ヒゲルックにリニューアルして変化をアピールする黒田長政なのですが、それ以上にしれっと変化しているのが、秀吉の白髪の増量&勝新みたいなサイド逆毛の強調! いよいよ、『秀吉』で語られなかった晩年ゾ~ンへの突入が間近になってまいりました!! どうするどうなる、竹中秀吉☆

●うをを、織田信忠の悲劇ふたたび! 徳川家康との会見という超重要な席で、北条家代表の主席を隠居した親父に譲る、現当主・北条氏直!! 当主の威厳、1ミクロンもなし……まぁ、親父が伊吹吾郎さんなんだから、しかたねぇけどよう!
 事実を言いますと、北条氏政は天正八(1580)年八月の時点で43歳で北条家家督を嫡男の氏直19歳に譲っています。

 ね、どっちも若いでしょ!? だからたぶん、戦国時代の大名における「隠居」という言葉に込められたニュアンスを、現代のものと全く同じだと考えるのはおかしいんですよ。実際に、史実の官兵衛も北条氏政も、隠居したからといって「引退」したわけではまるでなかったわけなんですから。
 つまり、官兵衛の隠居宣言イコール「政治の喧騒から離れた生活をしたい」という、今回のエピソードに流れていた空気はドラマオリジナルの架空だと考えたほうがいいと思うんです。おそらく、官兵衛は秀吉に慰留されて政権の中枢におさまることを前提にして家督を長政に譲ったのでしょう。隠居すると聞いて、「えぇ~、やめないで!」と感じた人間はいなかったはずなのです。もちろん、長政は「うわ~、大変だ……」と気を引き締めたでしょうし、三成は「あぁ、官兵衛さんが京あたりに引っ越して来るんだな。」と理解したことでしょう。
 「軍師」とか「隠居」とか、歴史ドラマにおける日本語のあつかいはほんとうに注意が必要ですよね~。おもしろい!


結論、「第40回がとてもたのしみです。」

 さぁさぁ、秀吉の天下統一に向けて、事実上の「最後の脅威」となった北条氏政(当主は氏直……)が登場してきました! しかも伊吹吾郎さん!! 盛り上がってきましたねぇ~。そして、次回第40回で、黒田官兵衛の物語はついに放送第1回のオープニングに巡り還ってくるようであります! うわ~官兵衛さん、老けてるのになぜかなつかしい!!

 今回さんざん出産ハッピームードが満開になった豊臣家も、まぁ……歴史をちょっと調べてみればああいうことになるわけですし、まだまだ官兵衛の前途に苦難のタネは消えません。
 でも、いよいよ残すところ10回ほどとなった『軍師官兵衛』。最後までがんばっていってくださ~い!!

 蛇足ながら、自分で引用しておいて違和感を訴えるのもなんなんですが、上の戦国武将たちの能力値、いくらなんでも北条氏政のやつは優遇しすぎだろ……伊吹吾郎さんだけどさぁ。
 これは『信長の野望』シリーズ第2作の『全国版』をもとにしている数値なのですが、この氏政は、多分に親父の北条氏康のキャラクターも加味しての能力値になっているし、ある意味、居城の天下の名城・小田原城の難攻不落さも個人の技能に入ってる部分があるし……私自身も、別に氏政が特に好きというわけでもないので相当にまゆつばな値であると理解しております。こっちは第3作の『戦国群雄伝』から引用した能力値なんですが、氏直も地味~に高いですよね。
 でも、まいっか! ラスボスはそうこなくっちゃね☆
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さぁ、あと何日の、30代?  ~江戸糸あやつり人形座創立10周年公演『人間人形世代』~

2014年10月07日 23時33分16秒 | 日記
 へぇへぇへぇ、どうもこんばんは、そうだいでございます! みなさま、今日も一日お疲れさまでした。
 いやぁ、昨日の千葉県、というか関東地方全域は深夜からとてつもないお天気になりまして! 朝は南からやって来た生ぬる~い大気のなか、言うまでもない強風に大粒の豪雨ということで、おそらくは今年最後となるであろう(なってほしい)台風デーになってしまいました。むろんのこと、こういう異常気象な日には尋常でない確率の高さで出勤することになる私もご他聞にもれず働きに出まして、うひょ~うひょ~と絶叫しながら通勤することとなりました。雪じゃないから、電車はダイヤがやや遅れるくらいで問題なく運行していましたね。
 ただ、だいたいお昼ごろになると千葉の空はだいぶ明るくなり、午後にはすっかり晴れて夕方にはおおかたの道路は乾いているというめまぐるしい一日になりました。全国的には被害は甚大だったわけですが、私の生活圏では意外なほどにあっさりと通過して行った台風18号でした。助かった……

 そんなこんなもありましたが、まぁ~今年は比較的はやめに涼しい気候になりまして、9月も日が照れば暑いといいつつも、まぁ外に出て歩けば汗がでるかな、といった程度の好日にとどまっていたのが助かりました。去年はそんなもんじゃなかったですよね!? 8月も9月も変わらない酷暑だった記憶がありますもんね。
 数日前まではキンモクセイのかおりが強くただようすごしやすい気温だったのですが、昨日の台風通過をしおに、いよいよ朝夕の空気も肌寒くなってまいりました。秋のただなかにあり、冬の気配を強く感じる頃合いになってきたわけです。

 昔の思い出になるのですが、私にとっては一年の中のどの季節よりも、この9~10月のちょい寒いくらいの空気が、いちばんセンチメンタルな気分にひたりやすくなる「におい」を持っているんですよね。好きじゃあないです! こんな空気にしょっちゅうまとわりつかれていたら憂鬱になっちゃいますからね。いろいろ考えすぎて。
 この季節の空気にいちばん「いろんなこと」を思い出させられてしまうのは、この空気を呼吸していた時間、つまりは、ただ単に外にいた時間がいちばん長かったから、というような気がします。私の短い半生の中で、しじゅう外をほっつき歩いていた期間といったら、(今よりもさらに)後先のことを考えずに好きなことを好き放題やっていた大学生時代の4年間になるわけですが、特にこの秋という季節は、大学祭になにかしでかしてやろうと企てて、台本ともいえない台本を片手に、つきあってくれる貴重な親友といっしょに2人芝居かその程度の小規模な稽古っぽい打ち合わせを、閉鎖された講義ホールの出入り口の外廊下で、飽きもせずにしょっちゅう夜更けまでやっていた記憶がありました。
 まぁ、それ自体は非常に他愛のない子どものたはむれでしたし、それ以上に激しく感動的な体験も、大学卒業後にいくどとなく経験したつもりではあるのですが、安全で人工的な屋内で得たどの思い出よりも、季節を肌身で感じながら暗い街灯の下でボソボソやった打ち合わせのほうが印象に残っているのはなぜなのか……しょせん私も、脳みそより皮膚で感じた記憶のほうが鮮烈に残る原始動物である、ということなのでしょうか。みとこんどりゃあ~。
 バカまるだしな時代でした……感謝こそすれ、あのころに戻りたいとは死んでも思いません。だって、今だってバカまるだしなんだからよう!


 閑話休題。先日、久しぶりに東京にお芝居を観に行きました。
 話はまたそれますが、秋が深まれば自然と、来年の頭に予定している私の帰郷も次第にせまってきた、とひしひし感じるようになってきました。

 今月はついに正念場となった資格試験の最終試験もありますから、またしばらくは息抜きのお楽しみともおさらばの期間に入るわけでして、私がこうやってフラリと気軽に東京に出てお芝居を楽しめるのも、果たしてあと何本くらいになるのか……もちろん、山形県に住むからといって、お芝居を観ることがまったくできなくなるというわけでもないのでしょうが、東京だってそりゃあ格段に遠くなりますし、故郷と呼ぶには時間的なブランクがいささかあきすぎてしまった新しい土地で生活の基盤を築いていくためには、そりゃあもちろん多くの時間を割いてふんばらなければいけない時期もそうとう長く続くことでありましょう。むろんのこと、今までのようなペースで好きなことを楽しむのだって、まずできなくなると考えていいでしょう。
 ただ、それはまぁ他の誰でもない私が選択した道なので、苦労は百も承知の上なわけでして、そういったことをしみじみ実感しながら、今回も貴重な数時間を堪能することとなりました。

 いよいよ、引越しは当然のこと、新天地での生活に向けての準備も始めなければいけないわけでして、こっちで休日を好き勝手に過ごす、という時間も限られてくるようになってきました。今月の後半にも観に行きたいお芝居があったのですが、こちらはどうやら、観に行くことはかなわないようで……まぁ、これも新しい日々のための惜しむべからざる犠牲なのであります! お誘いくださった方には本当に申し訳ないんですけどね。


江戸糸あやつり人形座・創立10周年公演 『人間人形世代 可能涼介の世界』(演出・関美能留、脚本・可能涼介、2014年10月1~5日 東京・上野ストアハウス)


 江戸糸あやつり人形座さんといえば、2010年に赤坂レッドシアターで上演されたエウリピデスの『バッカイ』を観劇して以来だったのですが、今回はとにもかくにも三条会の演出家と俳優がドッキングしての創立10周年記念公演ということで、一も二もなく休みをいただいて上野に直行することとなりました。

 批評家として有名な作家・可能涼介さんの小説『エピファニー3 紳士淑女名鑑』(2001年6月)を戯曲化した作品である、ということなのですが、もともとこの小説は、9人の登場人物のモノローグだけをならべた10章構成になっているため、可能さんがその活動の最初期から発表形式のひとつに選んでいる「レーゼドラマ(上演を前提としていない戯曲)」として読んでもおかしくないものになっています。

 この作品が収録されている『圧縮文学集成』(2010年 論創社)を読んでみても、単行本にして30~40ページぶんほどしかないきわめてシンプルなモノローグ集であるわけなのですが、おそらくはその中につづられた言葉を一字一句変えないかたちで1時間40分ほどの物語に立体化し、さらにはそれを「人間の俳優とあやつり人形が交錯する」形式にするということで、なかなか一筋縄ではいかない舞台になると、心して観入ることにいたしました。

 内容は、物語の中では最後まで明かされることのない「なんらかのルール」にのっとって選ばれた「8人の40歳の男女」が、同じくその年に40歳になった男「法一」のインタヴューを受けてそれぞれの半生を語るというもので、法一が、それらの証言を編纂して毎年1巻の『紳士淑女名鑑』に書籍化する会社に勤務しているらしいということが、じょじょにほのめかされていきます。そして、40歳の男女が選ばれることだけは確からしいものの、インタヴューする人間も会社から聞かされていないという人選方法や、そもそも、その書籍化という事業にいったいなんの意味があるのか、ということについて、ちょうどその年に自分も40歳になった法一が思索するというモノローグも加わってくるのですが、観客(読者)は、この法一も含めた9人の40歳のひとり語りを聞くというかたちになります。インタヴュアーもいつのまにかインタヴューされる人間とまったく同じ立ち位置にいるというパラドックスなんですね。早くもここに、観る側の立っている「認識」という土台をぐらりと揺さぶる仕掛けがしこんであるんですね~。これはなかなか容易ならざるビックリハウスのご登場です。

 ビックリハウスというワードも関連づいてくるのですが、この『人間人形世代』は、ふつうの人形劇公演という言葉から受ける印象とはまったく違うビックリの連続で構成されているといっても言い過ぎではなく、一言でいうのならば、「人間がグイグイ前に出てくる人形劇」になっていると感じました。まさにこれ、人間 VS 人形!!

 まず、人形劇という形式は、私の浅いイメージからすれば「人形が人間に成り代わる」ことが前提になっているはずで、たとえばまれに生身の人間と人形とが同じ舞台の上で共演することがあったのだとしても、人形を操っている人形遣い師の存在はその2者が意識できない「無」の世界にいる、というお約束があると思うんです。人形遣い師さんの技術やセリフが、すべて操る人形の中にいったん入ってから世界に放出される、その過程を経て人形が生きてくるということなんですよね。

 しかし! 今回の『人間人形世代』は、人形遣い師さんといっしょに多くの舞台俳優さんがキャスティングされていることからも予想できたように、ほぼ全シーンで人形と人間が共演してセリフのやり取りをするお芝居ではあったのですが、さらにそれに加えて、人形遣い師さんがまるで人形の肩をむんずとつかんで前に出るかのような存在感を発揮してセリフを発しているのです。いちおうそれは、従来どおりに人形が発言しているという見方もできるわけなのですが、ふと見れば人形遣い師さんは、「黒子」にあまんじる気など一切ないかのように、おのおのの操る人形と同じような衣装を着ているので、まるでひとつのセリフを2人の役者が共有しているかのような、あるいはカメラのズームや角度が違う2画面を観ているかのような奇妙な感覚におちいってしまうのです。人間 VS 人形 VS 人形遣い師の、手に汗握る異種格闘技戦! ウルトラマン A VS 蛾超獣ドラゴリー VS メトロン星人Jr.戦をほうふつとさせる熱い決戦ですね。グロテスクな描写もないので、こっちのほうが安心です!

 他にビックリさせられる要素としては、従来の人形劇は「人形遣いの存在を無いものとする」というルールというか、観劇上のマナーがあるかと思われますので、観る者の意識を人形に向けさせるためにたくみに「闇」を使って舞台の人形を目立たせるというテクニックが発揮されることが多いと思うのですが、今回はオープニングこそ、大人っぽいジャズ音楽が流れる中で俳優たちが無言で舞台上に人形たちをならべていくという静けさこそあったものの、物語が始まると、「闇」とはまるで正反対な「むやみに明るい」舞台美術の中で、ひとりのキャラクター、つまりは2つの身体と1つの言葉とが自身の40歳になるまでの半生をあっけらかんと語っていくというモノローグが順番に展開されていくこととなります。

 この舞台美術というものもまた、なかなかのクセもので、キャパシティ100名ほどの上野ストアハウスの客席に対峙する舞台には、全体的に階段のような、遊園地か水族館の野外ステージのような簡単な段差がもうけられており、まるで客席の前に客席があるかのような構図になっています。そして遠景には、ピンク色に彩られたシンデレラ城のような西洋風のお城が建っており、そこにはでかでかと「2010」という看板が掲げられているのです。
 ストーリー上、登場するキャラクターたちが実際に法一のインタヴューに応じて話している場所は、どこかの屋内であることが多いかと思われるのですが、お芝居は舞台転換もすることなく進んでいき、それぞれのキャラクターは舞台上にある明るい配色のプラスティック製の椅子だけを動かしたり重ねたりして、背景をかたちづくっていくのです。

 まず、少なくとも私個人は「人形劇といえば、照明が暗い。」という先入観があったために、この赤やら黄色やらピンクやらが臆面もなく咲き誇る舞台美術にビックラこいたわけなのですが、お話を観ていくにしたがってさらにビックリしたのは、「人間サイズの段差で構成されている舞台に小さな人形がいる」ということのテクニック上の難易度のものすごさでした。
 つまり、人形それぞれは、自身の40年の半生を自慢げに、時には自嘲気味に語っていくわけなのですが、そのテンションに応じて段差を登ったり降りたりして、人形のサイズにしてみれば十二分に広い舞台を縦横無尽に駆け巡ります。それが、自分の背丈ほどもある段差をよっこらせと全身運動で移動することになるため、いちいち達人級に難しいと思われるテクニックを必要とする人形の身のこなしが要求されてしまうわけなのです。

 うをを、なんなんだ、この異常に「人形遣い師」の労力を上げる舞台構成は!? それで、人形遣い師さんも例外なくセリフを闊達にしゃべくりながら人形を操っていかなければならないわけなのですから、もはやこれは江戸糸あやつり人形座さんの技術の粋のフル動員を前提とした「どこまでやれるか?」公演であると感嘆せざるを得ないのであります。そこまでして、どうして人形を操るのですか!?

 さらに話が進んでいくと、人形遣い師さんが操る対象はなんと「人形」にとどまらなくなり、かと思えば、話す相手の挙動によって操る対象をコロコロ変えなくてはならなくなったり、その対象も自分で自由に歩き回るもんだから、人形遣い師さんは走ってそれに追いつかなければいけなくなるし……といった感じで、最終的には人形も人間も追い越して人形遣い師さんがいちばん舞台上で目立つという、ビックリハウスならではの「イメージがひっくり返った」世界の中で、『人間人形世代』は大団円を迎えるのでありました。


 いろいろなビックリに感じ入って気がついたのは、この公演が、驚くほど正確に、江戸糸あやつり人形座さんの「創立10周年公演」という部分を祝うにぎやかさに彩られており、それと同時に、原作が語る「40歳になったけど、楽しくいってみようか。」という、確とした根拠はないけれどもなんとなく自信が湧いてくる明るさを持ったものになっている、ということでした。

 実際にこの公演に出演している人形遣い師や俳優の皆さんの年齢は40歳きっかりではないようで、まだ40歳になっていない方もいればすでに60歳を越えておられる方もいるようなのですが、この、ある程度、自分の人生というものの可能性も行く末も見えてきたような、いやいやそうでもなくまだまだ若いような……という微妙な年齢「40歳」。若くもないけど、老いたというわけでもないし……というトワイライトなゾ~ンに焦点をあてた感覚には、非常に畏れ入りました。要するに、他の年代ほどの明確な像がないだけに、俳優おのおのの個性的な40歳がとっても自然体に見えてくるんですよね。肉体上の、お肌ピッチピチで身のこなしにキレがなくてはならないとか、逆にヨボヨボで腰を曲げて緩慢に動かなければならないとかいう、社会通念上の「記号」が見事にないんです、40歳って。これが50歳になると、もう動きがゆったりしてくるような気がしますもんね、なんとなく。
 だいたい、「四十にして惑わず。」っていう言葉だって、40歳になってもなにかと惑っている方々がちまたにあふれていたからこそ、わざわざ孔子さまが檄を飛ばしたんでしょうからね。
 かく言う私自身は、まだまだ40歳に届いていないし、そろそろ近くなってきたとは言うものの、いまだに「40歳になった自分」というヴィジョンを想像することもできない30代中盤ですので、全ては憶測にとどまってしまうのですが、40歳というものは、行動するエネルギーはあるものの、自分の選択できる人生の範囲のようなものもぼんやりと見えてくるという、自分が牧場の中で生きているということを知ってしまった馬のような、きわめて静謐な「観念」の境地をもたらすものなのでしょうか。

 そう考えると、自分が自分である以上、自分が常に自分の物語の中の、退場することのない主人公であり続ける日々の中で、「そうは言っても、いつかは終わるんだろうな。」ということを、決して悲劇的にではなく、秋の訪れを空気から肌で感じるように自然にふっと気づくのが、「誕生日を迎えて40代になりました。」という日に受けとめる実感なのでしょうか。

 とは言うものの、この『人間人形世代』に登場するキャラクターは、『紳士淑女名鑑』に掲載される人間に選ばれたことによって、やっと自分が40歳になったという事実に「あ、そういえば。」と気づくような、実にあっけらかんとした日々を送っている人ばかりのようで、実業家、小説家、画家、葬儀屋、バーテンダー、元女優、執筆していない小説家、謎のおばさん、そしてそれらのインタヴューをした会社員。みなさんが、40歳になったからどうこうという感慨も持たないままいつの間にか40歳になって、こういう生き方をする人間になっているんだな、ということをインタヴューされた、もしくはした、という体験をきっかけにようやく振り返るという文脈になっています。

 この物語の登場人物すべてに共通しているのは、自分が生きていることに対して、特にこれといった根拠もないけれども、確固とした自信を持っていて、それが40年間生きてきた自分の半生にもとづくものである、ということです。それはそのまま、多くの場合は自身の現在の職業に対する誇りにつながっているし、その時点では明確な活動をしていない元女優や執筆していない小説家、それに謎のおばさんも、逆に他のキャラクター以上に強固な信念を持って、実に楽しげに自らの人生を語っているのです。


 ここ! まさにこここそが『人間人形世代』の魅力の本質で、生も死も今ひとつピンと来ない日々の中にありながらも、根拠はないけれども、とにかく生きることはしっかり生きているという40歳の男女の群像が、絶妙に観客の肩の力を抜く「のんきだねぇ~☆」感を生んでいるのです。
 「根拠がない」ということは、すなはちおもむきを変えれば「よるべがない」という感覚と隣り合わせになっているものでもあると思います。つまり、何者の制約にも縛られない自由な軽さがありつつも、考えようによっては全身の力を失い絶望の淵に陥ってしまいかねない孤独さも持ち合わせている危険な要素でしょう。
 自分の将来について悩み苦しみつつも、一睡もできずに不安に惑う夜を越えて、やけに雲ひとつなく晴れた朝の青空を見ただけで「そのうちなんとか、なるだろう!」と一瞬にして前向きに観念する人間の、バカバカしくも元気の出るでこぼこワインディングロード!

 舞台上で長々と泣き続けながらも、森高千里の『私がオバさんになっても』が陽気に流れる中でストレッチ運動をしただけであっという間に元気になり、笑顔で根拠のないポージングを決めて「決まった!」という会心の表情を浮かべるおじさん……これに勇気をもらわずして、なにが人生だというのでしょうか。涙が出るほど根拠のない生の躍動でした。


 今回の公演のチラシには、

「見目麗しく春秋に富むことを、無意識に誇っている。それはあなたが人形である証しである!
 老い先短く病を抱えていることを、無自覚に自慢している。それはあなたが人形である証しである!」

 といった、「それはあなたが人形である証しである!」という実に印象的なフレーズがちりばめられていたのですが、物語自体は、確かにおのおのの生を無意識に、無自覚に、ことさらに主張しながら、わけもわからずに謳歌している群像に彩られていながらも、それらをラディカルに告発するような鋭いデウス・エクス・マキナも登場しないまま、「これからも、おれはこうして生きていくぞ!」という法一の高らかな宣言をもって終演します。つまり、舞台上には確かに人形と人間とに分裂したキャラクターたちがいくたびとなく現れるわけなのですが、ついに最後まで「ちょっとあなた、人形ですよー!」と呼びかける存在は登場しないのです。

 この、「超人」がまったく登場しないお芝居という形式のものすごさ。まぁ、確かに登場人物の中には並みの人よりも飛びぬけた才覚を持つ人間もいるわけなのですが、スタートでもラストスパートでもない40歳という中だるみな時期に入って少なからず自身の能力に飽きを感じている空気もただよっているし、登場人物の中には「業界の黒幕?」とでも言えるかのような得体の知れぬ迫力を持っている「執筆していない小説家」というキャラクターもいるのですが、怪物のような権力を持っていそうな彼こそが、誰よりも自分の持っている「天才かくあるべし」というイメージに囚われた「人形を操縦しようとする人形」になっているのは、ものすごく印象的でした。なぁつこォオ~! じゃないですよ、まったく。


「人形でもいいじゃないか 人間だもの」

 というか、

「根拠などいらん。オレが根拠なのだから!!」


 というか……ともかく、自分のつむいできた人生が生んだ「責任」や「立場」の自縄自縛に身動きを制限されながらも、それでも、というか、その制限をむしろ個性に変えて40歳を楽しむ人々と、10年という歳月をつむいできた江戸糸あやつり人形座さんの記念公演という祝うべきタイミングとが見事に合致した今回の『人間人形世代』に、私は大いに元気をいただいたような気がしました。生きることにこれほど前向きなエネルギーを放出する40歳のみなさんがた、ほんとうにありがとう。

 40歳。なってみたいなぁ~、私も!
 とはいえ、私が無事に40歳になれるのかどうか、なったとしても、その時に果たして私はどんな40歳になっているのか。こればっかりはお天道さまのみぞ知る、ですからねぇ。

 私自身はまだ、大病を患って自分の人生の残り時間をリアルに意識するという状況には、はなはだ幸運なことにいまだに至っていないわけなのですが、非常に少ないながらも、私がお世話になった方の中には、すでに40歳を迎えることなく生を終えられる方もぽつり、ぽつりとでてこられるようになっています。
 今回の『人間人形世代』は、ひたすら陽気で元気いっぱいな物語でありつつも、実際に観に来られたお客さんだけでなく、お客さんがたや、公演に携わっている人形遣い師さんや俳優さんがたをはじめとした関係者のみなさん全員の記憶の中に残る「去った人々」への、

「おーい、まだ生きてるよー!」

 という呼びかけのような気がして、あくまで途中経過を伝えるのみで、これからも休みなく邁進していくぞという宣言といった意味合いから、これまた10周年記念公演にこの上なくふさわしい内容であると感じ入りました。なんというブレのなさか!


 こういうわけで、私はやけに熱く感動した『人間人形世代』だったわけなのですが、興味がものすごくあるのは、この作品を観劇した「10~20代」の方がどう感じたのか、ということなんですよね。私は30代の人間としていろんなことを考えたわけなのですが、わこうどはどう観たんでしょうかねぇ。
 私は今回の作品に、相当な達人たちが力を結集させて絶妙なバランス感覚の「風景画」を完成させるというコラボレーションを観て、そこに感動したのですが、私も10~20代のころには、単純に看板俳優の飛びぬけた魅力の爆発が観たいとか、演出家の予想もできない奇想天外のアイデアが観たいとか、そういうことで舞台を観に行っていたような気がするしな。青いねぇ~! 発想がお子様ランチ。脳内がハッピーセットでしたね。


 個人的なことを申せば、私も40歳になるまであと5~6年、30代もそろそろ後半戦に差し掛かりますか。

 せいぜいきばって、曲がった身体をシャンとさせてくれる「糸」をつむいでいきたいもんですね~。ハイッ、ピーン☆
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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『インソムニア』

2014年10月02日 23時36分22秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『インソムニア』(2001年3月9日リリース 東芝EMI )

 『インソムニア』は、鬼束ちひろ(当時20歳)の1stオリジナルアルバム。タイトルは英語で不眠症( Insomnia )の意味だが、本人は「響きが良いから。」との理由で意味を考慮することはなく、デビュー当初から考えていてつけたという。
 オリコンウィークリーチャート初登場1位を記録、発売から1ヶ月で約150万枚のセールスとなるミリオンセラーを記録し、鬼束ちひろ最大のヒット作となった。ヒットシングル曲の『月光』、『眩暈』をはじめ、自身が初めて作った楽曲だという『 call 』や、フランス映画『 WASABI 』(リュック=ベッソン監督)で挿入歌として使用された『螺旋』などが収録されている。ちなみに『螺旋』とアルバム収録曲の『イノセンス』、『 BACK DOOR アルバムバージョン』は、全てアルバムのリリース後にタイアップが決定した。このアルバムは「第16回ゴールドディスク大賞ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。
 このアルバムと初のプロモーションビデオ集『 ME AND MY DEVIL 』(2001年4月リリース)の連動特典で、シングル『眩暈 / edge 』のリリース時まで配布されていたフリーペーパー『 Pretty Witch 』を製本化した公式ファンブック『 Pretty Witch Complete Books 』が抽選で当たるというキャンペーンが行われた。

収録曲
全作詞・全作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース  …… 羽毛田 丈史(『 Cage 』のみ編曲は土屋望と羽毛田丈史の共同)

1、『月光』(2ndシングル 5分0秒)
 シングルバージョンとほぼ同じだが、歌唱後のアウトロ部分(9秒間の無音)がカットされている。

2、『イノセンス』(5分17秒)
・Applied Material 社 CMソング
 初めて一人称に「僕」、二人称に「君」を使用した楽曲。当時のライブでもよく披露されていた。また、アルバムリリース後には Applied Material 社の CMソングとして CBC(カナダの公共放送局)や CNBC(アメリカのニュース専門放送局)を中心に世界でオンエアされ、「あの楽曲を歌う歌手は誰なのか」という問い合わせが国際的に殺到したという。

3、『 BACK DOOR アルバムバージョン』(5分5秒)
・人物ドキュメント番組『夢伝説 世界の主役たち』( NHK総合 2001年4月~02年3月放送)エンディングテーマ
 ロックを基調としていたシングルバージョンに対し、ピアノとチェロのみで歌唱されるバージョンになっている。

4、『 edge 』(4thシングル)

5、『 We can go 』(4分47秒)
 カントリーロック調の楽曲で、自身が1999年の春に上京して初めて作った作品であるという。プロモーションビデオはノーカットで撮影されている。

6、『 call 』(5分16秒)
 鬼束ちひろの原点であるという楽曲。17歳の時に文化祭の劇で、周囲からいじめられて最後に死ぬエイズ患者の役をやったことから死について触発され、初めて作詞作曲した。もともとは英語詞の楽曲でオーディションでも英語詞で披露したが、アルバム収録にあたって日本語詞に書き直したという。

7、『シャイン アルバムバージョン』(4分54秒)
 『 BACK DOOR アルバムバージョン』と同様に、ピアノのみをバックに歌唱している。このアルバムバージョンと同じ構成でプロモーションビデオ『シャイン unplugged 』(『 ME AND MY DEVIL 』収録)も制作されているが、歌唱や編曲の細部のアレンジがアルバムバージョンとは異なっている。

8、『 Cage 』(3rdシングル)

9、『螺旋』(4分2秒)
・映画『 WASABI 』挿入歌
 この楽曲はもともと『 My Fragile Life 』というタイトルで、シングル『 Cage 』が2ndシングルとしてリリースされる際のカップリング曲として制作されていたが、リリースがお蔵入りとなってしまったため、この初期バージョンは聴くことができない。今回のアルバム収録のために新たに録音し直した際に、本人曰く「塔の螺旋状の階段を上り、塔のてっぺんから飛び降りる映像が浮かんだ。」とのことから、タイトルが『螺旋』に変更された。

10、『眩暈』(4thシングル)

11、『月光 アルバムバージョン』(5分8秒)
 1曲目のアレンジを変えたアルバムバージョン。このアルバムが『月光』で始まり『月光』で終わるという本人・制作者側の意図が込められている。プロモーションビデオ(『 ME AND MY DEVIL 』収録)は、東京・八王子ホテルニューグランド内のウェディングチャペルで撮影された。


 はい。というわけでありまして、2000年2月のプロ歌手デビューからほぼ1年、4作のシングルを収録して満を持してリリースされた1stアルバムということで、ポップス歌手の発表ペースてしてはまさしく教科書みたいな順調さ&勤勉さで世に出た『インソムニア』なのでありました。
 収録されているラインナップを見てみても、11曲中7曲がすでに発表されている楽曲で、このアルバムが本邦初公開となる曲が4曲ということで、オリジナルフルアルバムならではのお得感にもしっかりと配慮がゆきわたっている、磐石な1枚となっていますね。

 ただここで見逃せないのは、既発表になっている7曲のうち、シングルバージョンと同じ編曲のものが4曲で、それ以外の3曲(『 BACK DOOR 』、『シャイン』、『月光』)がまったく違う印象のものに変わっているという点なんですよね。
 特に、記念すべきデビューシングルであるはずの『シャイン』の2曲が、当初のバックバンドの後押しの強いにぎやかなバージョンを完全に捨て去って、いかにも羽毛田丈史プロデュースな鬼束さんの声とピアノ、ストリングスだけの少数精鋭編成にしたのは象徴的で、このアルバム全体のカラーと、その後数年間の鬼束ワールドの方向性を力強く宣言する決断だったと思います。

 それがいいのかどうかは別にしても、このアルバムを2曲の『月光』でラッピングしているという構造からして、確信的にこのアルバムを単なる「デビューから1年間のまとめ」でなく、いわば『大長編 鬼束ちひろ』ともいうべき、約54分間のひとつの作品に仕上げていると解釈してよろしいでしょう。『ちひろの恐竜』みたいな!
 そういう意味で、この『インソムニア』は歌手・鬼束ちひろのデビューアルバムとしては最良の判断だったのではないのでしょうか。たぶん、シングルバージョンだけを集めたごくごくまっとうなアルバムになっていたら、かなり悪い方向で『月光』以降の良さが目立ってしまい、玉石混交で雑多な印象を強めてしまっていたと思います。
 つまり、アルバムを制作する2001年の時点でいったん過去作品をアップデートしなければならなくなってしまうほど、鬼束さんの1年間における成長のほどは急速なものだったということなんですね。さすがは20歳、のび~るのび~る!

 今回バージョンの改まった『 BACK DOOR 』と『シャイン』をかつてのシングルバージョンと聴き比べてみれば明らかなのですが、『インソムニア』当時の羽毛田プロデュースは鬼束さんの「高音ののび」を特に重視しているというか、そのために彼女にとっての「天井」をとっぱらうための、いろんな前準備を整えている縁の下の力持ちっぷりが実に甲斐甲斐しいですね。デビュー時の2曲は聴きざわり自体は演奏もにぎやかで華やかなのですが、いかんせん鬼束さんの声に演奏と同調しないかたくなさがあり、そのために最後まで「やけにドスのきいた低音だなぁ……」という印象しか残らないのですが、自分の叫びたいことを自由に叫ぶことができる、そのために叫びが叫びである必要がなくなり、叫びは自然に「祈り」になっていくという、歌詞の流れともまた違った「鬼束さんの声」にまつわる物語が展開する背景が周到に配置されている静謐な羽毛田ワールドは、いい意味でも悪い意味でも鬼束さんの声を世界に知らしめていく最大の貢献者になったと思います。

 当時の鬼束さんの魅力を最大限に発揮させる演出をほどこした羽毛田さんは、果たして彼女の才能を自由に開花させたのか、それともあくまでも個人の理想のアーティスト像の中に限定させてしまったのか……孫悟空を自らのたなごころの中に閉じ込めたお釈迦様とは、果たして何者なのか?という問題を考えるようなふか~い話なのですが、いずれにせよ、鬼束さんと羽毛田さんの出逢いが多くの人々の感動を生んだことは間違いないわけで、そのひとつの結晶となった『インソムニア』の完成度の高さは、非常にすばらしいものがあると思います。
 でも、最初のアルバムがとてつもなくいいって……キッツいよねぇ~!!

 このアルバムを聴いていきますと、全体的にゆったりしたテンポの曲がほぼメインなのですが、それだけにアルバム初収録の『 We can go 』と4thシングルの『 Cage 』のアップテンポが実に絶妙な配置で加えられていることがよくわかります。この2曲だって決してにぎやかな曲ではないのですが、最初から聴いていてそろそろ、重苦しくもある世界に疲れてきたかな~といったタイミングで、肩の力の抜けた『 We can go 』であるとか、思いのたけをぶちまけている感じの『 Cage 』が入ってくると、こっちも気がラクになるってもんなんですよね。いたれりつくせりのお気づかい!
 余談ですが、そこまで重要な「息抜き」という役割を担っているのにもかかわらず、『 We can go 』のプロモーションビデオは異常に緊張感……というか、「ワンカット撮影なんて思いついた奴、だれ!?」といった主演・鬼束さんのガチガチ感のみなぎる特異な作品になっています。いや、別に鬼束さん自身はそんなに大変な演技をしているわけでもないように見受けられるんですが、あの明るい楽曲を完全に無表情な鉄面皮で口パクしている鬼束さんと、彼女にからんでいるようでまったくからんでいない外界の人々という不思議な隔絶感が、曲調と完全に乖離しているんですよね。他の曲だったら良かったのかもしれないですけど、なんでよりにもよって『 We can go 』でその演出になっちったの!?

 そしてこの『インソムニア』は、2001年の鬼束さんの充実した歌唱力が堪能できるアルバムであると同時に、唄われる作品が過去の、歌手になるまでの鬼束さんの半生があゆんできた苦悩と、そこからの飛翔、その瞬間までにかなりこだわったものに限定されているため、ひとつの作品としてのカラーが見事に統一されたものになっています。
 もちろん、それはとりもなおさず「また『あなた』との話!?」とか、「『この腐敗した世界』とか『盲目の日々』とか……窮屈きわまりなし!!」という狭さにもつながりかねないしつこさであるわけなのですが、そこを、そういった煩雑な日常のもろもろから完全に離脱した高みの美しさをたたえている『月光』で包んでいるという時点で、この『インソムニア』の完璧さは約束されているのです。

 でも、このアルバムに収録された作品の中でいちばん古いというふれこみの『 call 』の持っている、「諦めから生まれる魂の平穏」という境地は、ものすごいですよね……作詞は新しいとしても、曲は17歳のときに作ったんですって。う~ん天才。

 デビュー1年にして、こういったとてつもない作品をスポンッと産み落としてしまった鬼束さんであるわけなのですが、名峰『月光』を越え、彼女は果たしてどういった新たな境地を切り拓いていくのでありましょうか。
 意気揚々? 前途多難? 待ち受ける21世紀はいかなるものにや~、あらん!
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