たすきづなの柳原直人代表=新関雅士撮影
富士フイルムは、24年1月に創立90周年を迎えた。
2000年代、写真がアナログからデジタルに置き換わり、創業以来の柱だったフィルムカメラ向け写真フィルム事業は急速に縮小した。
しかし、それまでに培った技術を生かして再生医療や化粧品など多岐にわたる事業を立ち上げ、売上高を拡大して「第二の創業」に成功した。
現在、同社は次のフェーズに入っている。同社で常務執行役員だった、たすきづな(東京・世田谷)代表の柳原直人氏に、先の見通せない時代に日本企業が生き残るために必要なことを聞いた。
ゆでガエルだったら成功しなかった
――「第二の創業」が成功した一番の理由は何ですか。
「2000年に社長に就任し、第二の創業を指揮した古森重隆氏のリーダーシップ、行動力、パッション、言葉の力、切り開く力があったのと、それに共感し、支えた周りの役員や社員の実行力です。この両方がそろったから成功できたのでしょう」
「加えて、写真フィルム事業がディスラプション(創造的破壊)されるという危機感が会社全体にあったことが大きく作用しました。少しずつ業績が悪化するようなゆでガエル状態だったら、こうはいかなかったのではないでしょうか」
――自社の技術を生かす新しい分野を決めるポイントは何でしたか。
「成長分野かどうか、自社が勝てるのか、その後も勝ち続けられるのか。こうした点を見極めて選定しました」
「写真フィルム事業が急激に縮小するわけですから、技術を生かす新規事業が飛び地になるのは仕方ありません。しかし、飛び地で自社単独で短期間に事業が急拡大することは期待できません。
そこで戦略的M&A(合併・買収)によって大きくすることを富士フイルムは考えました。戦略的M&Aとは、新規事業で成し遂げたいことを想定して、シナジーが見込める企業を探し、一緒になることで事業を大きくするものです。あくまで軸は自社の新規事業にあります。掘り出し物の企業を探して、育ててリターンを狙うM&Aとは違います」
――戦略的M&Aのノウハウは社内に最初からありましたか。
「最初からノウハウがあったわけではありません。銀塩のフィルム事業が縮小する中で、なんとかそれを補う規模の新しい事業を育てなければいけないと必死になり、M&Aにも取り組んだことで少しずつノウハウを蓄積していきました」
「特に医療分野は新しいものが次々に出てくるので、M&Aで吸収していくしかありませんでした。それによって品質管理のノウハウや最先端の情報など得るものが多くありました。難しい局面に何度も遭遇しましたが、それを乗り越えながら進んだのです」
「化粧品事業はM&Aをせずに成功しているので、必ずしもM&Aをしなければいけないというわけではないでしょう。それでも事業を拡大するためには戦略的M&Aが効果的です。ただ、M&Aはやり方次第で薬にも毒にもなるので、PMI(買収後の組織統合)を怠らないことが大事になります」
――新規事業の目指す売り上げ規模はどのように決めましたか。
「新規事業はなぜ実施するのか、その定義をすることが重要です。その上で、何年間でどれくらいの規模を目指すかを検討します。古森氏はよく『既存事業が何年後にはこうなるから、それまでに新規事業をこれくらいにしないといけないという算段を立てよ』と言っていました。
必ずしも計画通りにはいかないものですが、こうしたことを考えることに意味があるのです」
時代の流れを読む目利き力
――新規事業の担当者に求められる素養は何ですか。
「新規事業では、M&Aと同じくらい社内の力が重要になります。社員がアントレプレナーシップ(起業家精神)を持ち、トライアンドエラーで多産多死を繰り返し学んでいくことが中長期で見ると新規事業の成功に不可欠です。経営者はその芽を摘まないことです」
「それを踏まえて新規事業の担当者に大切なことは目利き力です。技術や事業の目利き力だけでなく、運をつかむための時代の流れを読む力も含まれます」
「この目利き力を身に付ける特効薬は、残念ながらありません。様々な人脈をつくり、多様な経験を積み、自分の中にできるだけたくさんの引き出しを持つことでなんとかこなすしかありません。周りに手本となる目利き力のある人がいるのも大事です」
――新規事業を創出する体制はどうしていましたか。
「新規事業を創出するために戦略的M&Aに加えて研究開発(R&D)とS&D(Search and Development)、オープンイノベーションの機能が必要です。
この4つをケース・バイ・ケースで使いこなし、新規事業をつくり、育てていくのです。R&D、S&D、オープンイノベーション、M&Aの機能を一つの部署、例えば事業ユニットで持つこともありますし、複数の部署が別々に持つこともあります。
時代によって社内のどの部署がどの機能を担うのか、臨機応変に変わるでしょう。大事なことは、会社としてこの4つの視点を常に頭に置いておくことです」
「例えば、R&Dで社内の技術開発力を磨き、それと並行して社外の技術やスタートアップをS&Dで探します。こうして最先端の技術が社内外のどこで生まれるかを注視しておきます」
「M&Aは、前述したように先行している企業のノウハウや知見を狙って獲得する手法です。一方、オープンイノベーションは、『ワイガヤ』から始まる意見交換から意図せず何かを発見する手法です。この両方をうまく使い分けます」
――先の見通せない時代に企業はどうすべきでしょうか。
「不確定な時代の処方箋はありません。自社の課題の本質は何か問い続けるしかありません。それは経営陣の仕事です。常に考えていることで、どのような変化に対しても手を打てるように選択肢を用意することができます」
「特に今の時代は、技術がどのように社会を発展させるのか、筋のいい技術はどれなのか、判断する目が必要です。そういう意味では技術の分かる人材をいかに活用するかが、企業の生き残りを左右します」
「80年代、富士フイルムでは40代の中堅技術者が集まり、技術の将来について語り、あらゆる事業の可能性を追究していたことがあります。それは、その後の事業の芽となりました」
「それを参考に私も異分野の学会に参加したり、地方の大学の教授に会いに行ったりして、技術の可能性の引き出しを増やしていきました」
「富士フイルムでは、その後も形を変えて技術者の意見交換の場を設けていました。当時は技術がどのような未来をつくるのか議論していたのですが、今後は、自社の事業をどうするかだけではなく、視座を高めてどういう産業をつくり出すかを考えてほしいと思っています。未来を担う若者に考えさせるのも一つの方法です」
答えは会社の中にある
――日本企業の競争力の源泉はどこにありますか。
「世の中、人工知能(AI)が当たり前になりましたが、日本企業はAI技術の開発と応用だけでは勝負できません。モノにAIを絡ませて、どのような意味的な価値を生み出すか。モノづくりが得意な日本の製造業にとって勝機になります」
「モノの価値向上には、サプライチェーン全体で強みを発揮する必要があります。大企業だけでなく、中小企業も巻き込まなければいけません。そのためにも自社の強みの棚卸しをして、強みを理解し、その強みにフォーカスして戦略を練り直すことです」
――日本企業に伝えたいことがあればお願いします。
「答えは自社の中にあると言いたい。組織の中、社員一人ひとりにえたいのしれないDNAが潜んでいます。外からは分かりません。ただし、我田引水ではなく、外の人と話をすることで気が付くことが多くあります。自社の力を信じて頑張ってほしい」
「私も富士フイルムで培った人脈を使ってディスカッションの場を設け、人口減少やエネルギーなどの社会課題に対して日本企業がどう取り組むべきかの活動を開始しました。信頼のおける人同士をつないでイノベーションを起こしたい。その時には富士フイルムで学んだ問題解決の手法が生きてくると確信しています」
(聞き手は日経BP総合研究所 菊池珠夫)