体内に埋め込まれた小さなチップで解錠や本人確認ができるようになる。一昔前なら「サイボーグ」と呼ばれたようなテクノロジーがじわりと広がっている。チップの高機能化が進めば、決済に使ったり、場合によっては内臓の状態を常時検査したり、人々の生活を大きく変えるかもしれない。
親指と人さし指の付け根の間に通信用のチップが入っている=Quwak提供
手の表面を触ると、僅かな膨らみで「異物」の存在がわかった。メディホーム(東京・渋谷)の塩沢繁最高経営責任者(CEO)の右手の親指と人さし指の付け根の間には長さ1.2センチメートルの楊枝の先のようなチップが入っている。
チップには交通ICカードや入館カードのような近距離無線通信(NFC)が備わる。自宅のスマートロックに手を近づければカギの開け閉めができる。手に自身のスマホを近づけると、プロフィールや病歴などの情報が表示された。大学病院との共同研究で、万一意識がない搬送時でも、適切な治療を受けるための仕組みを開発した。
2016年、スウェーデンに渡り、チップ製造のバイオハックの社長にチップを入れてもらった。太い注射器で体内に「インストール」した時は「注射よりちょっと痛いくらい」。日本への「伝道師」として、18年から同社のチップを輸入し、医師と協力した施術体制を作っている。
メディホームが扱う小型チップ(右下)を入れるための注射器
欧州や米国を中心に世界で体内にチップを入れているのは1万人程度にとどまる。小型とはいえ体内に「機械」を入れるのに抵抗感がある人が多数派だ。
痛い思いをしても、できることはまだ限られる。「国産のチップでもっと便利な使い方ができるようになれば日本でも広がるはず」とみて、塩沢氏は独自チップの開発に取り組む。
本人確認など重要な情報を扱うほどコピーやハッキングがされない高いセキュリティーが求められる。日常使いしやすいタッチ決済のモジュールを組み込みつつ、体内にいれても気にならないサイズを維持するのに苦心する。
塩沢氏は「50年には誰もが何かしら体内にデバイスを埋め込んでいるはず」と語る。例えば健康管理だ。血液検査のように都度採取して体外で検査するのではなく、体内のデバイスから直接情報を得ることができれば、精度は上がるし頻度も増やせる。電池をどう長期間持たせるか、倫理的に誤った使われ方を防げるかなど課題は多い。
もう1人、「体内チップ」の可能性に賭けた若者がいる。合田瞳CEO(21)は今夏、Quwak(東京・渋谷)を起業し、体内チップで本人確認ができるサービス開発に取り組む。めざすのはマイナンバーカードなどより要件が厳しい公的な身分証代わりに使える状態だ。
サービス構想はこうだ。まず利用者がスマホアプリからマイナカードを読み取る。指定された医師の元で対面の本人確認をした後、チップを埋め込む。チップをスマホで読み取ればマイナカードとチップがひもづいた状態になる。
「確かに私はここにいるのに、なぜ私であることを証明するカードを持ち歩く必要があるのか」。合田さんは疑問を持ち続けていた。病院や自治体窓口でも手のひらをかざす本人確認が技術的にできるはず。健康保険証との一体化などマイナカードの用途が広がる中で「この波に乗るしかない」と思い、起業した。
国の制度上、体内チップを公的な身分証として使うことは認められていない。規制緩和が実現してもセキュリティーやデータ管理体制など高い要件が必要になるだろう。それでも年度内にサービスを始め、海外も含めて1年で利用者100万人、「5年で世界のインフラになる」と青写真を描く。
指紋認証、スマホで普及
パソコンやスマホに触れるたびに顔認証や指紋認証、サービスのログインでパスワードを求められ、手続きに備えて保険証やマイナカードを持ち歩く。私は「間違いなく私です」という証明を1日に何回求められるのだろうか。なりすましを防ぎ、安心して使うために必要と頭でわかっても煩わしさは消えない。
逆に私が証明を求める側にもなりうる。オンライン取材中、合田さんに「私は実在すると思いますか」と問われ、ギクリとした。手掛かりは事前に交わしたメールと画面に映る顔くらい。彼女が存在しない可能性がゼロとはいえない。生成AI(人工知能)の発達で、合成した写真や声で機械を欺く詐欺被害は既に起きている。
もしこれらを体内チップで解決できるなら、体に入れる痛みにメリットが勝る。抵抗感がある人も多いだろう。指紋認証もかつてはネガティブなイメージが強かったが、スマホに搭載されると一気に広まった。スマホや財布を紛失する心配がなくなる点も、忘れ物が多い私には魅力的に響いた。
(伴正春)