バス停付近で町内の顔見知りの人と立ち話。
苗字までは知らないのですが、顔はよくお見掛けします。
その人はバスに乗るのではなく、散歩に行くとのこと。
コースも町内ではなく、他町にあるお地蔵さんまで行くそうです。
ずいぶん昔、私もそのお地蔵さんのある場所に行ったけど、
どう歩いて行ったか道順は忘れてしまいました。
私 「お地蔵さんへ手を合わせて、お願いではなく
感謝を述べるのがいいそうですね」
その人 「いいえ、私はお願いばかりしているわ」
ひとそれぞれ、何を祈願しようが、頼りにしようが、よりどころにしょうが、
個人個人の思いで手を合わせればいいのですが。
私は、なんと余計な一言を言ってしまったのかと、後悔しきりです。
自分だけの思っていることを、口に出してしまって、
ご免なさい!
私は仏像やお地蔵さまには「お願い」ではなく「感謝」を
のべているのです。
実は、今までの私は手を合わせて、お願いばかりしていました。
夫のふるさとのお寺さんに教わったことがありました。
「お願いごとではなく、なにもかもへの感謝を念じてください。」
この言葉に救われ、合点したことがありました。
教わって以来、感謝だけを念じています。
個人的な「こころのうち」のことですので、なにも縛りごとではありません。
こころのままです。
だから、わたしの余計なひとことに後悔しているのです。
一人ひとりのこころのままなのです。
ご免なさい。