田園風景が残る場所を歩きました。
最近の田んぼのあぜ道には、彼岸花が咲いていないです。
お彼岸近くに咲く彼岸花は、郷愁を誘うものがありますが
見かけないですね。
数年前には少しだけここに咲いていたけど、今年は咲いていません。
我が家にも園芸用の彼岸花の球根を植えましたが、
今年はうんともすんとも変化なし状態です。
さびしいな!
彼岸花を見ないと秋を感じられないわ~
代わりに・・・
公園の片隅に咲く日日草?
がまん・がまん
田園風景が残る場所を歩きました。
最近の田んぼのあぜ道には、彼岸花が咲いていないです。
お彼岸近くに咲く彼岸花は、郷愁を誘うものがありますが
見かけないですね。
数年前には少しだけここに咲いていたけど、今年は咲いていません。
我が家にも園芸用の彼岸花の球根を植えましたが、
今年はうんともすんとも変化なし状態です。
さびしいな!
彼岸花を見ないと秋を感じられないわ~
代わりに・・・
公園の片隅に咲く日日草?
がまん・がまん
頼んでいたテキストが送られてきました。
さっそくテキストにカバーをかぶせたくて、セリアに行きました。
色とりどりのきれいな包装紙が並んでいます。
明るい色もいいな~
かわいい水玉もようもいいな~
100円だけど、あれこれ真剣に悩みます。
結局、秋らしく落ち着いた色、
ベージュで目立たない柄を選びました。
知らないことばかりで、そのついでに、
いままで避けていた哲学をほんのさわりだけでも知りたいと思いました。
導入部分ですが、哲学とはなんぞや? ふれてみたいです。
古代ギリシャ・ペロポネソス戦争・ギリシャ悲劇・プラトン・
道徳と家族・市民社会・ドストエフスキー文学と哲学・・・
多方面の角度から探っていくみたいです。
頭も目も老化しているからどこまで理解できるか不安です。
何度も何度も読むしかないなぁ・・・と思っています。
台風の後、空気が澄んで、秋らしい雰囲気が漂います。
空を見上げるゆとりもできました。
青空に白い絵の具の筆ででサァーと撫でたみたい
あさのあつこさんを2冊借りてきました。
表紙のイラストがかわいくて、ワクワク感を誘います。
『草原の椅子』 作:宮本輝
以下抜粋
こどもの時から勉強がよくできて、ずっと勉強ばかりして、
日本で最高と言われる大学を出て、国家権力を後ろ盾に社会人となり、
そのまま歳だけくっていった連中が学ばなかったものは何か。
それは、人情の機微なのだ。
人間は弱くて、失敗をする生き物だということを知らず、
許したり許されたりということを学ばずに来た者たちが、
国を動かしてはいけないのだ。
人間を裁いてはいけないのだ・・・・。
天下国家を論じるほど自分が立派だとは思わないが、
こんな平凡な、たいして特技もない、
社会的には何の力もない自分のような人間でもわかることが、
この国家を動かす者たちにわからないのはなぜなのか。
以上が、作中の憲太郎が思ったことです。
なんて、いいことを言っているのでしょう!
政治家に読ませたいです!
ここ泉州地方は、なんとか無事に台風が通過しました。
おもての道路は葉っぱのゴミが散乱していました。
ご近所さん方も一斉に掃き掃除が始まりましたよ。
丁度、ゴミ回収日ですので都合がいいのです。
庭もついでに掃き掃除をしましたが、やはり動くと暑いです。
タオルを首にまいて、9時までの2時間格闘しました。
これだけで済んで、ヤレヤレの台風事情でした。
今朝は雨が上がって、空が明るくなりました。
ケーブルテレビでは、だんじりの曳行をLIVEで中継しています。
テレビで祭り気分を味わっています。
せっかくの岸和田だんじり祭り、雨があがってよかったです。
泉州地区では「だんじり祭り」が行われています。
きのうの試験引き
きょう・明日の本祭り
3日間とりおこなわれますが、台風の接近に伴ってあいにくの雨です。
せっかくの祭り気分も雨で、気がしぼみますね。
私も本来なら月一の勉強会があるはずだったが、30日に延期です。
台風とは関係なく、これは神出先生のご都合で延期になったのです。
出かける先があって、居場所があって、安心して本を読んで、学べて。
なんて幸せなことでしょう。
学びたくても学校が破壊され、家を壊され、家族を失って、
難民として居場所も確保できない子供たちが世界に多くいます。
救いの手も届かなくて、満足に食料もないのです。
なんだか、雨の日は・・・
家に閉じこもって、いろいろ思いがうつろいでしまいます。
地球全体に安らぎの日々が、一刻も早くきますように!!
バス停付近で町内の顔見知りの人と立ち話。
苗字までは知らないのですが、顔はよくお見掛けします。
その人はバスに乗るのではなく、散歩に行くとのこと。
コースも町内ではなく、他町にあるお地蔵さんまで行くそうです。
ずいぶん昔、私もそのお地蔵さんのある場所に行ったけど、
どう歩いて行ったか道順は忘れてしまいました。
私 「お地蔵さんへ手を合わせて、お願いではなく
感謝を述べるのがいいそうですね」
その人 「いいえ、私はお願いばかりしているわ」
ひとそれぞれ、何を祈願しようが、頼りにしようが、よりどころにしょうが、
個人個人の思いで手を合わせればいいのですが。
私は、なんと余計な一言を言ってしまったのかと、後悔しきりです。
自分だけの思っていることを、口に出してしまって、
ご免なさい!
私は仏像やお地蔵さまには「お願い」ではなく「感謝」を
のべているのです。
実は、今までの私は手を合わせて、お願いばかりしていました。
夫のふるさとのお寺さんに教わったことがありました。
「お願いごとではなく、なにもかもへの感謝を念じてください。」
この言葉に救われ、合点したことがありました。
教わって以来、感謝だけを念じています。
個人的な「こころのうち」のことですので、なにも縛りごとではありません。
こころのままです。
だから、わたしの余計なひとことに後悔しているのです。
一人ひとりのこころのままなのです。
ご免なさい。