雑用に振り回された今週であった。明日は父の日、人生の友?のビールが届いたので前祝いにイッパイやった。こんな日記だ。眉唾でご覧あれ。
テレビを見ていたら、宮崎県の百十一歳の長壽記録者についての、お祝いの報告ニュースがチラッと出ていた。明日の新聞で確認したい幾つかのことがある。宮澤賢治が生まれた年でも有るからだ。
今回の長寿者の方の,今から百十一年前の生年月日が、戸籍上にどの程度の正確さで記録が為されていたのかが知りたいのだ。
気になるのは宮澤賢治年譜に、賢治の生年月日は戸籍上では八月一日であるが、「諸般の事情を勘案した結果、八月二十七日」とされてあるからだ。(現在は八月二十七日でとうされている)
二十七日誕生説に深く関わったのは小倉豊文氏である。小倉氏が言われている「当時の事情だけの事」であって、賢治の出生の事実確認の証拠は何も無い。推定のみである。「出生日確定のための考察」を書いた奥田氏の推定も曖昧だ。つまり賢治の生まれた日は八月二十七日に生まれたと言う確たる証拠は何も無いのである。
確実に残されているのは、戸籍上の八月一日と、賢治自身の「農学校に提出した履歴書」だ。本人は八月一日と記している。
何時の日か賢治誕生日が、資料ともども明らかになる日が望まれる。