ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

ナガラ別當

2007年06月26日 | 随想・日記

  つづき

  「あづまぎく」は、サラバナとして南部地方の一般的な呼び名。

 

   ザンギリカブのカブは頭の意味で、膝頭の方言はヒザカブである。嬰兒に頭を横にふらせるときの囃し言葉は、「頭カブカブカブ」である。盛岡では翁草をツボッケと呼ぶ由。これには小さな坊やといふ意味が籠つているのであろう。<19頁>

 

 さて、「町の民俗」のなかでの圧巻のひとつは、「動植物と方言」の所だろう。「岩手の民俗」<これについては後にふれる>の著者ならではの内容である。此処で以下少し引用しよう。

 

 ザンギリカブやサラバナコはその形態から着想された俗称でであるが、母がグラジオラスを「ナガラ別當」と呼んだのは一個人の瓢軽な思いつきだつたのであらう。花茎が長くステッキのように延びるからである。ミトラの神のかぶっているフリギア帽のやうな形をしている紫の花を指して、これは「安部保名狐狩」といふ名前のものだと少年の私に教へてくれた人があつたが、それは庭に移植された秋の野草のトリカブトであった。花の形が神楽に出る保名の烏帽子に似ているので、その人が勝手にそんな名前を案出したのであろう。

 ハルシャギクをオイランソウと呼ぶのは郷里では一般的であった。その草振りが嫋々として、黄に褐色の輪をめぐらした天鵞絨細工のやうな花はあでやかな中にも可憐で、いかにも花魁草の名にふさはしい。東京では草夾竹桃を指してオイランソウと呼ぶのを聞いたことがある。

 花鬘草を巾着牡丹、女郎花を粟花コ、猫柳の花をポンポコ、細かな黄花の群がり咲く景天科のマンンネングサの類をコンペントグサ(金平糖草)と呼ぶのは、各々その花の形態からである。<77頁~>

 

 森口多里のミンッァは伊達藩である。宮澤賢治の生まれたところは花巻で南部藩であるが、どちらもジェンゴ町である。

 昭和の初めころまでは、相去りを堺に両者の制度にいくらかの違いがあった。現今、方言にも残されいる微妙な違いについて、土地の古老にいかほど解るのであろうか。「町の民俗」はその点から見ても貴重な本である。

  つづく


水沢(ミンッァ)

2007年06月26日 | 随想・日記

 

    森口多里著「町の民俗」から  Ⅲ

 

  水澤ーー訛ってミンッァーーの町の話が語られている。

 此処では方言の話を採りあげよう。

 水澤と花巻の方言を比較した場合、さほど変わらないかも。

 オレァ(お雷)さんや、クゾー(葛)の<葉>、ノッコ(柔らかい草地)は変わらない。

カラゲァーズ(行々子)は花巻ではゲァゲァズか。 <此処で少し引用する>

 

 北上河の岸に接した草地は日南に足を投げ出した坐るにいゝノッコ、花後は淡緑の散切頭になるザンギリカブ(翁草)と雛菊の花を空色にしたやうなサラバナコ(あづまぎく)との群生地である。少年の時代を回想して最もなつかしく思い出される野草は、この二つである。現に私はこの二種を故郷地方から送って貰つて庭に植えている。ザンギリカブの方は牛蒡根だけあって強く、春毎に外側が柔らかな銀毛に蔽われた赤紫色の花を傾けて開くが、一旦雨が降ると、天然の草地でないためか、泥がはね上がってずぶ濡れの尨犬のように汚く濡れしほれてしまふ。花後のふさふさした散切りの毛は陽を受けて銀いろの絹糸のやうに光る。

 つづく