今日は仕事がお昼までに終わったので、これはいいチャンス、と
展覧会へ行ってきました。
観てきたのは、「田渕俊夫展(智積院講堂襖絵完成記念)」
(名古屋駅のJR名古屋タカシマヤにて、2009.3.11~16)。
日本画家の田渕俊夫さんが手がけた、京都の智積院講堂の襖絵
が展示されています。
襖絵は講堂の五つの大広間に奉納されたもので、田渕さんがこの
五つの間の名称からイメージをふくらませ、画題を決めたそうです。
その内容は……。
「不二の間」=朝夕のイメージ、画題:朝日・夕日
「胎蔵の間」=春のイメージ、画題:枝垂桜・柳
「金剛の間」=夏のイメージ、画題:けやき・めだけ
「智慧の間」=秋のイメージ、画題:すすき・柿
「大悲の間」=冬のイメージ、画題:雪山
(写真は「胎蔵の間」の枝垂桜の一部です。)
すべて墨一色で描かれているとは思えないほどの豊かな色彩感。
(桜の「花びらが淡いさくら色に見える」との感想をもらした人もい
たとか。)
そして、信じられないほどの筆力。桜も、柳も、すすきも雪山も、描
かれたのではなくて、おのずから存在しているとしか思えないほど。
(圧倒されて、声には出さずに心でうなってました。)
すると、両手の指先にしびれが……。
私の場合、こんなふうに、特に手を刺激したわけでもないのに指先
がしびれることが時々あるのです。
その理由を自分なりに推理してみると、おそらく……何らかの高い
周波数のエネルギーの影響を受けたときに、しびれるのではない
かと思われます。
今日の場合は、田渕さんの絵の持つエネルギーを指先が感知し
たようです。
何かの病気なのではないかと勘ぐられるかもしれませんが、その
場所を離れると、すぐにしびれは治まるので、病気とは思えませ
ん。
ともあれ、芸術の力ってすごいですね。こういう素晴らしいエネル
ギーを発する芸術にふれることって、とても大切なことなのだ、そ
う改めて感じたひとときでした。
* * * * * * * * * * * *
指先のしびれは、「天使」からのサインかもしれないと感じるときも
あります。
何かの選択に迷ったとき、心の中で「天使」にアドバイスを求めると、
指先がしびれることがあるからです。
しびれる場合は、イエス。なんともない場合は、ノー。
そういう意味だと、解釈しています。今のところ、それが正しいかど
うか確証はありませんが。
いつか、それが確かめられる日が来ますように。
展覧会へ行ってきました。
観てきたのは、「田渕俊夫展(智積院講堂襖絵完成記念)」
(名古屋駅のJR名古屋タカシマヤにて、2009.3.11~16)。
日本画家の田渕俊夫さんが手がけた、京都の智積院講堂の襖絵
が展示されています。
襖絵は講堂の五つの大広間に奉納されたもので、田渕さんがこの
五つの間の名称からイメージをふくらませ、画題を決めたそうです。
その内容は……。
「不二の間」=朝夕のイメージ、画題:朝日・夕日
「胎蔵の間」=春のイメージ、画題:枝垂桜・柳
「金剛の間」=夏のイメージ、画題:けやき・めだけ
「智慧の間」=秋のイメージ、画題:すすき・柿
「大悲の間」=冬のイメージ、画題:雪山
(写真は「胎蔵の間」の枝垂桜の一部です。)
すべて墨一色で描かれているとは思えないほどの豊かな色彩感。
(桜の「花びらが淡いさくら色に見える」との感想をもらした人もい
たとか。)
そして、信じられないほどの筆力。桜も、柳も、すすきも雪山も、描
かれたのではなくて、おのずから存在しているとしか思えないほど。
(圧倒されて、声には出さずに心でうなってました。)
すると、両手の指先にしびれが……。
私の場合、こんなふうに、特に手を刺激したわけでもないのに指先
がしびれることが時々あるのです。
その理由を自分なりに推理してみると、おそらく……何らかの高い
周波数のエネルギーの影響を受けたときに、しびれるのではない
かと思われます。
今日の場合は、田渕さんの絵の持つエネルギーを指先が感知し
たようです。
何かの病気なのではないかと勘ぐられるかもしれませんが、その
場所を離れると、すぐにしびれは治まるので、病気とは思えませ
ん。
ともあれ、芸術の力ってすごいですね。こういう素晴らしいエネル
ギーを発する芸術にふれることって、とても大切なことなのだ、そ
う改めて感じたひとときでした。
* * * * * * * * * * * *
指先のしびれは、「天使」からのサインかもしれないと感じるときも
あります。
何かの選択に迷ったとき、心の中で「天使」にアドバイスを求めると、
指先がしびれることがあるからです。
しびれる場合は、イエス。なんともない場合は、ノー。
そういう意味だと、解釈しています。今のところ、それが正しいかど
うか確証はありませんが。
いつか、それが確かめられる日が来ますように。