ブックレビュー:
『神との対話
宇宙をみつける 自分をみつける』
(ニール・ドナルド・ウォルシュ著、吉田利子訳、サンマーク文庫)
この本、つい先日、職場の近くの本屋さんで見つけたのですが、まず
タイトルを見てびっくり。
「神との対話」ですって。
でもこれ、スピリチュアル関連、とくにチャネリングに関心のある人の
間では、かなり有名のようですね。著者のウォルシュ氏は、「引き寄
せの法則」を紹介した映画「ザ・シークレット」にも出演しているそうで
す。(「引き寄せの法則」に関しては、当ブログ4月5日付をご覧くださ
い。)
さて、このウォルシュ氏にある日、神が話しかけたというのです。それ
は1992年の春、復活祭のころでした。
そのころのウォルシュ氏は、私生活でも仕事の面でも苦境にあり、自
分の人生が失敗であると感じていました。そこで、そんな苦しい状況
に自分を、ひいては人間すべてを追い込んでいる根源的な存在、すな
わち神に向かって、自分の心情を吐露し、怒りをこめた問いの数々を
並べた手紙を書いたのです。
「こんなに、もがきつづけていなければならないなんて、わたしがいっ
たい何をしたというのか。」(同書、17頁。)
ウォルシュ氏がこの問いで手紙を締めくくったとき、手にしたペンが
勝手に動き出して……
「あなたはほんとうに、すべての質問の答えを知りたいのか、それと
も八つ当たりをしてみただけなのか?」(同書、17頁。)
こうして、ウォルシュ氏と神との長い対話が始まったのでした。
人生に行き詰まっていたウォルシュ氏は、まず神に向かって、自分
が人生の中で抱えているさまざまな問題に関わる疑問を、次々とぶ
つけていきます。
人生を向上させるにはどうすればいい?
人間関係を円滑にするには?
お金に困らない暮らしがなぜできない?
健康上の問題を解決するには?
輪廻転生は本当にあるのか?
などなど……
神はこれらの質問に、ていねいに、わかりやすくと心をくだきながら
(ときにはユーモアも交えて)一つ一つ答えていくのですが、この神
の答えを通して私たちは、神によってこの人生を送る機会を与えら
れている究極の理由を知ることになるのです。
あまりここで詳しく書いてしまうことは、これから神のメッセージを読
もうとする人の楽しみを奪うことになるので、避けたいと思いますが、
一つだけ、私がこの本を読んで、自分のやり方を意識的に変えたこ
とをご紹介しますね。
それは、毎日の「祈り」の表現をすべて「感謝」の形にしたことです。
もちろん、今までも「感謝」は「祈り」の最初に置いて、一番大切な
ものと考えていました。そして、その後で何か「お願い」したいこと
を表明していたのです。(「祈り」に関しては、当ブログ3月6日・8日
のところをご覧くださいね。)
ところが、神はこう言うのです。
どんな祈りでもかなえられる。祈りとは、これが現実ですと認める
ことだから。そして、どんな祈りも、どんな考えや思い、感情も、創
造につながる。
祈りがかなえられないというときは、じつは、最も強く信じている思
考や言葉、感情が作用している。あなたが知っておかなければな
らない大切な秘密は、思考の陰にはつねにもうひとつの思考、「思
考を支える思考」とでも言うべきものがあって、それが、思考をコント
ロールしているということだ。
つまり、何かを求めたり、願ったりしたら、望んだことがかなう可能
性は非常に小さい。なぜなら、「欲求を陰で支えている思考」という
のは、「望みはかなっていない」という思いだから。そちらの方が現
実になるのだ。
支えとなる思考のなかで、「望みがかなっていない」という思いより
ももっと力強いのは、「神は必ず求めるものを与えてくれる」という信
念、それだけだ。その信念を持っているひともいるが、非常に少ない。
神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしいが、そもそ
も求める必要はないのだと直感的にわかっていれば、祈ることはず
っとやさしくなる。そのとき、祈りは感謝の祈りになる。求めるのでは
なく、望みがかなっていることをすなおに感謝するようになる。
(同書、34~35頁。)
神は求めるものをすべて与えてくれると、直感的に信じられるかとい
えば、今の私はそうではないかもしれません。けれども、あえて「祈り」
を「感謝」の形にすることで、神への信頼を宣言しよう、そう思ったの
です。
それで、直感的に信じられる境地に至れるかどうかは、わかりません。
ただ、神を信じたいという気持ちが自分のなかにあって、それを表現し
たいと思う自分が、確かにここにいるのです。だから、その思いを封じ
こめることなく、表してみたい。
ただ、それを「祈り」の形で表現するときは、本当に心を込めて感謝す
ること、そして、その結果には決して執着しないこと、これだけはいつ
も心に銘じていたい、そう思っています。
* * * * * * * * * * *
ウォルシュ氏と神との対話の内容は、現在までに3冊の本として出版
されています。その内訳は
① 一冊めはおもに個人的なことがら、ひとりひとりの人生における、
課題と機会について。
② 二冊めはもっと世界的なことがら、地球上の地政学的、形而上学
的な生活について、世界が直面している課題について。
③ 三冊めはさらに高い秩序、宇宙の真実について、そして魂の課題
と機会について。
(出版社はすべてサンマーク出版。ただし3冊ともそれぞれ単行本、
普及版、文庫本が出ています。)
なお、今回紹介した一冊めの文庫本の巻末には、作家の田口ランディ
ー氏によるウォルシュ氏へのインタヴューが収録されています。その
中で田口氏はウォルシュ氏に、これは本当に神との対話なのか、ウォ
ルシュ氏が自分で書いたのではないか、という疑問をぶつけています。
それに対するウォルシュ氏の答えを、ここに引用しておくことにしましょ
う。
私はその質問をしてくる人に対していつも、その質問はあまり意味
がないというふうに答えています。問題は私がほんとうに神と会話し
たかどうかではなく、この本に書かれてあることのどれか一つでも、
あなたが価値あるものと思ってくれたかどうかだと思うのです。
もしそれがあなたにとって価値のないものだと感じるなら、その源
がなんであろうとそんなものは捨ててしまいなさいと言いたいのです。
もし、意味があれば、その源を自分の側に置きなさい。アイデアがど
こからやってきたか、ではなく、アイデアそのものの価値について語
り合おうではありませんか、私はそう思います
(同書、366頁。)
『神との対話
宇宙をみつける 自分をみつける』
(ニール・ドナルド・ウォルシュ著、吉田利子訳、サンマーク文庫)
この本、つい先日、職場の近くの本屋さんで見つけたのですが、まず
タイトルを見てびっくり。
「神との対話」ですって。
でもこれ、スピリチュアル関連、とくにチャネリングに関心のある人の
間では、かなり有名のようですね。著者のウォルシュ氏は、「引き寄
せの法則」を紹介した映画「ザ・シークレット」にも出演しているそうで
す。(「引き寄せの法則」に関しては、当ブログ4月5日付をご覧くださ
い。)
さて、このウォルシュ氏にある日、神が話しかけたというのです。それ
は1992年の春、復活祭のころでした。
そのころのウォルシュ氏は、私生活でも仕事の面でも苦境にあり、自
分の人生が失敗であると感じていました。そこで、そんな苦しい状況
に自分を、ひいては人間すべてを追い込んでいる根源的な存在、すな
わち神に向かって、自分の心情を吐露し、怒りをこめた問いの数々を
並べた手紙を書いたのです。
「こんなに、もがきつづけていなければならないなんて、わたしがいっ
たい何をしたというのか。」(同書、17頁。)
ウォルシュ氏がこの問いで手紙を締めくくったとき、手にしたペンが
勝手に動き出して……
「あなたはほんとうに、すべての質問の答えを知りたいのか、それと
も八つ当たりをしてみただけなのか?」(同書、17頁。)
こうして、ウォルシュ氏と神との長い対話が始まったのでした。
人生に行き詰まっていたウォルシュ氏は、まず神に向かって、自分
が人生の中で抱えているさまざまな問題に関わる疑問を、次々とぶ
つけていきます。
人生を向上させるにはどうすればいい?
人間関係を円滑にするには?
お金に困らない暮らしがなぜできない?
健康上の問題を解決するには?
輪廻転生は本当にあるのか?
などなど……
神はこれらの質問に、ていねいに、わかりやすくと心をくだきながら
(ときにはユーモアも交えて)一つ一つ答えていくのですが、この神
の答えを通して私たちは、神によってこの人生を送る機会を与えら
れている究極の理由を知ることになるのです。
あまりここで詳しく書いてしまうことは、これから神のメッセージを読
もうとする人の楽しみを奪うことになるので、避けたいと思いますが、
一つだけ、私がこの本を読んで、自分のやり方を意識的に変えたこ
とをご紹介しますね。
それは、毎日の「祈り」の表現をすべて「感謝」の形にしたことです。
もちろん、今までも「感謝」は「祈り」の最初に置いて、一番大切な
ものと考えていました。そして、その後で何か「お願い」したいこと
を表明していたのです。(「祈り」に関しては、当ブログ3月6日・8日
のところをご覧くださいね。)
ところが、神はこう言うのです。
どんな祈りでもかなえられる。祈りとは、これが現実ですと認める
ことだから。そして、どんな祈りも、どんな考えや思い、感情も、創
造につながる。
祈りがかなえられないというときは、じつは、最も強く信じている思
考や言葉、感情が作用している。あなたが知っておかなければな
らない大切な秘密は、思考の陰にはつねにもうひとつの思考、「思
考を支える思考」とでも言うべきものがあって、それが、思考をコント
ロールしているということだ。
つまり、何かを求めたり、願ったりしたら、望んだことがかなう可能
性は非常に小さい。なぜなら、「欲求を陰で支えている思考」という
のは、「望みはかなっていない」という思いだから。そちらの方が現
実になるのだ。
支えとなる思考のなかで、「望みがかなっていない」という思いより
ももっと力強いのは、「神は必ず求めるものを与えてくれる」という信
念、それだけだ。その信念を持っているひともいるが、非常に少ない。
神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしいが、そもそ
も求める必要はないのだと直感的にわかっていれば、祈ることはず
っとやさしくなる。そのとき、祈りは感謝の祈りになる。求めるのでは
なく、望みがかなっていることをすなおに感謝するようになる。
(同書、34~35頁。)
神は求めるものをすべて与えてくれると、直感的に信じられるかとい
えば、今の私はそうではないかもしれません。けれども、あえて「祈り」
を「感謝」の形にすることで、神への信頼を宣言しよう、そう思ったの
です。
それで、直感的に信じられる境地に至れるかどうかは、わかりません。
ただ、神を信じたいという気持ちが自分のなかにあって、それを表現し
たいと思う自分が、確かにここにいるのです。だから、その思いを封じ
こめることなく、表してみたい。
ただ、それを「祈り」の形で表現するときは、本当に心を込めて感謝す
ること、そして、その結果には決して執着しないこと、これだけはいつ
も心に銘じていたい、そう思っています。
* * * * * * * * * * *
ウォルシュ氏と神との対話の内容は、現在までに3冊の本として出版
されています。その内訳は
① 一冊めはおもに個人的なことがら、ひとりひとりの人生における、
課題と機会について。
② 二冊めはもっと世界的なことがら、地球上の地政学的、形而上学
的な生活について、世界が直面している課題について。
③ 三冊めはさらに高い秩序、宇宙の真実について、そして魂の課題
と機会について。
(出版社はすべてサンマーク出版。ただし3冊ともそれぞれ単行本、
普及版、文庫本が出ています。)
なお、今回紹介した一冊めの文庫本の巻末には、作家の田口ランディ
ー氏によるウォルシュ氏へのインタヴューが収録されています。その
中で田口氏はウォルシュ氏に、これは本当に神との対話なのか、ウォ
ルシュ氏が自分で書いたのではないか、という疑問をぶつけています。
それに対するウォルシュ氏の答えを、ここに引用しておくことにしましょ
う。
私はその質問をしてくる人に対していつも、その質問はあまり意味
がないというふうに答えています。問題は私がほんとうに神と会話し
たかどうかではなく、この本に書かれてあることのどれか一つでも、
あなたが価値あるものと思ってくれたかどうかだと思うのです。
もしそれがあなたにとって価値のないものだと感じるなら、その源
がなんであろうとそんなものは捨ててしまいなさいと言いたいのです。
もし、意味があれば、その源を自分の側に置きなさい。アイデアがど
こからやってきたか、ではなく、アイデアそのものの価値について語
り合おうではありませんか、私はそう思います
(同書、366頁。)