ブックレビュー:
『深・古事記 神〔かん〕ながらの道』
(真名〔まな〕著、三楽舎、2013年3月)
先回のレビュー(8/30付)で取り上げた坂本政道氏の著作
(『高次意識トートが語る ベールを脱いだ日本古代史』)、
さらに本書と、この夏は日本古代に関連する本を立て続け
に読みました。
この二書は、対象としている時代が重なっていることに加
え、情報の収集方法もチャネリングを用いているという点
が共通していますが……
その内容というか……スタイルには大きな違いがあります。
(どちらがいい、悪い、という意味ではなく、違いがある、と
いうことです。)
坂本氏の本の場合は、高次意識を持つ生命体「トート」が、
自らの視点で捉えた歴史的事実を伝える形で話が進行して
いき、その中で「卑弥呼」の正体(出自)や邪馬台国の場所
などについての情報が明かされます。
さらに、邪馬台国からヤマト政権へ至る時代の歴史が改ざ
んされ、その時代に生きた多くの人々が今なお封印されて
いるという事実を伝え、その封印を解くという課題が私たち
に残されていると訴えています。
それに対し、『深・古事記』では、そういう歴史的事実の考察
ではなく、もっと象徴的な捉え方をしています。
例えば、坂本氏の本では、「高天原」は「朝鮮半島南部のこ
と」だとしています。(『高次意識トートが語る ベールを脱い
だ日本古代史』139頁)
一方、『深・古事記』ではどうかというと、「高天原」とは、
「【いのち】の根源のところ、宇宙生成の根本理想があると
ころ」をいい、「特定の物理的で地理的な場所のこと」では
ないと言っているのです。(『深・古事記』56頁)
要するに、『深・古事記』における『古事記』は「単なる歴史
書ではなく、お伽話でもなく、それを超えた【預言書】であり、
これからの現実的人生の【指南書】ともいうべき内容を含
有」(同上、6頁)しているというわけです。
その内容は、『深・古事記』というタイトルにふさわしく、深
みがあって実に含蓄に富んだものになっています。
例えば、天照大神が「天の岩屋戸」に隠れたのには、ちゃ
んとしかるべき理由があって、そのためにあえて【みかし
こみ】ということをなさったのだといいます。
(【みかしこみ】とは、「あらゆる物事の責任を、他者や他
の物事になすりつけることなく、自己の問題として素直に
引き受けて、ただひたすら自らの中にこそ全責任ありとし
て、逃げることなく深く見つめること」、同上、174頁)
だから、一般に受け取られているように、スサノオノミコト
の乱暴な行いに腹を立てて隠れてしまったのではないと
いうわけです。
『深・古事記』の全体を貫いている最も重要な要素は何か
といえば、それは、著者、真名氏がこれまでの著作で訴え
てきた「空(くう)」、即ち、「一なる意識」という、私たちの本
質である、そう言っていいと思われます。
この「空」への理解が全くない状態で、『深・古事記』を読
みくだくのが難しいと感じられるならば、まず下記の三部
作から取りかかってみる手もあるでしょう。
『空 舞い降りた神秘の暗号』
『空 天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』
『空 豊穣の狩人』
(いずれもMana著、三楽舎)
『深・古事記 神〔かん〕ながらの道』
(真名〔まな〕著、三楽舎、2013年3月)
先回のレビュー(8/30付)で取り上げた坂本政道氏の著作
(『高次意識トートが語る ベールを脱いだ日本古代史』)、
さらに本書と、この夏は日本古代に関連する本を立て続け
に読みました。
この二書は、対象としている時代が重なっていることに加
え、情報の収集方法もチャネリングを用いているという点
が共通していますが……
その内容というか……スタイルには大きな違いがあります。
(どちらがいい、悪い、という意味ではなく、違いがある、と
いうことです。)
坂本氏の本の場合は、高次意識を持つ生命体「トート」が、
自らの視点で捉えた歴史的事実を伝える形で話が進行して
いき、その中で「卑弥呼」の正体(出自)や邪馬台国の場所
などについての情報が明かされます。
さらに、邪馬台国からヤマト政権へ至る時代の歴史が改ざ
んされ、その時代に生きた多くの人々が今なお封印されて
いるという事実を伝え、その封印を解くという課題が私たち
に残されていると訴えています。
それに対し、『深・古事記』では、そういう歴史的事実の考察
ではなく、もっと象徴的な捉え方をしています。
例えば、坂本氏の本では、「高天原」は「朝鮮半島南部のこ
と」だとしています。(『高次意識トートが語る ベールを脱い
だ日本古代史』139頁)
一方、『深・古事記』ではどうかというと、「高天原」とは、
「【いのち】の根源のところ、宇宙生成の根本理想があると
ころ」をいい、「特定の物理的で地理的な場所のこと」では
ないと言っているのです。(『深・古事記』56頁)
要するに、『深・古事記』における『古事記』は「単なる歴史
書ではなく、お伽話でもなく、それを超えた【預言書】であり、
これからの現実的人生の【指南書】ともいうべき内容を含
有」(同上、6頁)しているというわけです。
その内容は、『深・古事記』というタイトルにふさわしく、深
みがあって実に含蓄に富んだものになっています。
例えば、天照大神が「天の岩屋戸」に隠れたのには、ちゃ
んとしかるべき理由があって、そのためにあえて【みかし
こみ】ということをなさったのだといいます。
(【みかしこみ】とは、「あらゆる物事の責任を、他者や他
の物事になすりつけることなく、自己の問題として素直に
引き受けて、ただひたすら自らの中にこそ全責任ありとし
て、逃げることなく深く見つめること」、同上、174頁)
だから、一般に受け取られているように、スサノオノミコト
の乱暴な行いに腹を立てて隠れてしまったのではないと
いうわけです。
『深・古事記』の全体を貫いている最も重要な要素は何か
といえば、それは、著者、真名氏がこれまでの著作で訴え
てきた「空(くう)」、即ち、「一なる意識」という、私たちの本
質である、そう言っていいと思われます。
この「空」への理解が全くない状態で、『深・古事記』を読
みくだくのが難しいと感じられるならば、まず下記の三部
作から取りかかってみる手もあるでしょう。
『空 舞い降りた神秘の暗号』
『空 天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』
『空 豊穣の狩人』
(いずれもMana著、三楽舎)