話を続ける前に、一つお詫びしなければならないこと
があります。
この記事の(3)と(4)で、地元の病院での検査入院
の期間を「一週間」と書いたのですが、当時の手帳
を見てみたところ、正しくは「二週間」でした。
(記事の記述は、すでに訂正させていただきました。)
てっきり一週間だと思い込んでいて、つい確かめる
のを怠ってしまったのですが、それほど、あっという
間に過ぎた印象が強かったのでしょう。
ともあれ、間違ったことをお伝えしてしまい、申し訳
ありませんでした。
なにぶん、15年も前のこと。細かいことはもう忘れ
てしまって、再現できないことも中にはありますが、
できる限り、起きたこと、感じたことをそのままお伝
えするように努めます。
さて、検査の結果、大腸ガン(部位は直腸)である
ことがわかった私は、外科手術でガンを切除する
ことになりました。
その手術をしたのは、実はまた別の病院でした。
自分なりに大腸ガン手術について調べたり、知人
から教えてもらったりした情報から、ガン治療の分
野で、より実績のある県外の病院のお世話になる
ことにしたのです。(場所は、たまたま大学の近く
でした。)
つまり、検査・治療で、三ヶ所の病院をハシゴした
ことになりますね。
わかりやすくまとめると、
A病院:バリウム注腸検査を受けた病院。アパートの近く。
リラさんが骨髄移植を受けた病院でもある。
B病院:検査で入院した病院。実家の近く。(ここでリラさん、
レオさんと知り合う。)
C病院:手術を受けた病院。大学の近く。
ということになります。
B病院を退院後、ひと月弱、自宅待機をしてから
C病院に入院、二週間ほどの準備期間を経て手
術の日を迎えました。
そして……
手術は無事、成功。
ガンはまだ初期の段階で、直腸を切除することに
なりましたが、幸い人工肛門の必要はありません
でした。
それに、転移も認められなかったので、抗がん剤
治療もせずにすみました。
手術後はきっちり二週間、口からの飲食は一切禁
止でした。水も飲めず、点滴のみで栄養補給。でも、
喉も渇かず、お腹もすきませんでした。(点滴で補っ
ているので当たり前ですが、不思議な気がしました
ね。)
外科手術を受けるのは初めてだったので、いろいろ
と物珍しいことが多く、ありがたいこととは言い難い
けれど、毎日興味深く感じることでいっぱいでした。
例えば、常時点滴を行うためのカテーテルを鎖骨下
の静脈に埋め込んだ時は、自分がまるでサイボーグ
になったような気分で、ちょっと愉快でした。
回復の途中では、排尿の管がなかなか外せず膀胱炎
になったりしましたが、全体的にみれば順調な経過を
たどり、術後27日で退院することができました。
開腹手術だったので、お腹にはかなり大きな跡が残り
ましたが、今は全く気になりません。
思い切って手術を受けて、本当によかったと思います。
これも、腕が確かで優しい主治医の先生や、優秀な看
護師さんたちのおかげだと、今も感謝しています。もち
ろん、検査をしてくださった病院の方々にも。
一方、リラさんも、骨髄移植を受けるため、B病院から
A病院へ転院したのですが……
またまた「偶然」なことに、移植の前に抗がん剤の投
与を開始した日付が、私がC病院に入院した日と同じ
でした。
やっぱり私たちは、何か深い縁があるようです。
こうして、リラさんと私、それにレオさんは、しばらくは
別々の場所で、それぞれの相手(病気)と向き合う時
間を過ごすことになりました。
退院後、一週間ほど実家で静養した私は、アパートに
戻ってから、骨髄移植を終えたリラさんの顔を見に、
A病院へ通いました。
毎日とはいきませんでしたが、実家から遠い病院で、
あまり訪ねて来る人がいない状況だったので、リラさ
んにとしては、知り合って間もない私とほんの短い間
話をするだけでも、心がなごんだかもしれません。
骨髄移植は簡単な治療ではないということだけは、
専門知識のない私にもわかりますが、リラさんの移
植に際しては、実際にこんなことがあったといいます。
担当の医師から、移植の成功率は40%と説明され、
死を覚悟したこと。
移植をするにあたり、抗がん剤で髪が抜けるので、
あえて坊主頭で挑んだこと。
そんな大変な移植を、リラさんは粘り強くやり抜きま
した。
そして、A病院に入院してから約5ヶ月、リラさんはめ
でたく退院したのです。
さらに、レオさんも、6ヶ月にわたる抗がん剤の治療
を終え、B病院を退院することができました。
レオさんの感想を聞いたところ、抗がん剤治療をし
ている間は、自分の体が薬漬けになっていると感じ
たし、空を飛べるかも?と感じたこともあったそうで
す。
ある意味で、極限を超えた身体感覚の経験とも言え
るかもしれませんね。
こうして私たち三人は、辛いけれどかけがえのない
経験を胸に、元の生活に戻っていったのでした。
おめでとう、私たち!(自分で言っちゃいました!)
私の大腸ガン治療の経緯は、以上の通りですが、
ここまでの内容は、できるだけ当時の私の視点で
書くようにしました。
その時の驚きや感動、とまどいや悲しみ……そう
いう諸々の感情を、当時の感覚でどんなふうに味
わったのか、まずはそれをできるだけ「生」のまま
でお伝えしたかったからです。
でも、もちろん誰のどんな体験も、その出来事が終
わってすぐに完結してしまうわけではありません。
私のガン体験も例外ではなく、今の私が出来上がる
うえで、大きな影響を及ぼしたと思います。
逆の言い方をすれば、今の私の視点からは、当時ま
だ見えていなかったものが見える、とも言えるので
す。
このシリーズを終える前に、そのことを書いてみたい
と思います。
(あと少しだけ、続きます。)
があります。
この記事の(3)と(4)で、地元の病院での検査入院
の期間を「一週間」と書いたのですが、当時の手帳
を見てみたところ、正しくは「二週間」でした。
(記事の記述は、すでに訂正させていただきました。)
てっきり一週間だと思い込んでいて、つい確かめる
のを怠ってしまったのですが、それほど、あっという
間に過ぎた印象が強かったのでしょう。
ともあれ、間違ったことをお伝えしてしまい、申し訳
ありませんでした。
なにぶん、15年も前のこと。細かいことはもう忘れ
てしまって、再現できないことも中にはありますが、
できる限り、起きたこと、感じたことをそのままお伝
えするように努めます。
さて、検査の結果、大腸ガン(部位は直腸)である
ことがわかった私は、外科手術でガンを切除する
ことになりました。
その手術をしたのは、実はまた別の病院でした。
自分なりに大腸ガン手術について調べたり、知人
から教えてもらったりした情報から、ガン治療の分
野で、より実績のある県外の病院のお世話になる
ことにしたのです。(場所は、たまたま大学の近く
でした。)
つまり、検査・治療で、三ヶ所の病院をハシゴした
ことになりますね。
わかりやすくまとめると、
A病院:バリウム注腸検査を受けた病院。アパートの近く。
リラさんが骨髄移植を受けた病院でもある。
B病院:検査で入院した病院。実家の近く。(ここでリラさん、
レオさんと知り合う。)
C病院:手術を受けた病院。大学の近く。
ということになります。
B病院を退院後、ひと月弱、自宅待機をしてから
C病院に入院、二週間ほどの準備期間を経て手
術の日を迎えました。
そして……
手術は無事、成功。
ガンはまだ初期の段階で、直腸を切除することに
なりましたが、幸い人工肛門の必要はありません
でした。
それに、転移も認められなかったので、抗がん剤
治療もせずにすみました。
手術後はきっちり二週間、口からの飲食は一切禁
止でした。水も飲めず、点滴のみで栄養補給。でも、
喉も渇かず、お腹もすきませんでした。(点滴で補っ
ているので当たり前ですが、不思議な気がしました
ね。)
外科手術を受けるのは初めてだったので、いろいろ
と物珍しいことが多く、ありがたいこととは言い難い
けれど、毎日興味深く感じることでいっぱいでした。
例えば、常時点滴を行うためのカテーテルを鎖骨下
の静脈に埋め込んだ時は、自分がまるでサイボーグ
になったような気分で、ちょっと愉快でした。
回復の途中では、排尿の管がなかなか外せず膀胱炎
になったりしましたが、全体的にみれば順調な経過を
たどり、術後27日で退院することができました。
開腹手術だったので、お腹にはかなり大きな跡が残り
ましたが、今は全く気になりません。
思い切って手術を受けて、本当によかったと思います。
これも、腕が確かで優しい主治医の先生や、優秀な看
護師さんたちのおかげだと、今も感謝しています。もち
ろん、検査をしてくださった病院の方々にも。
一方、リラさんも、骨髄移植を受けるため、B病院から
A病院へ転院したのですが……
またまた「偶然」なことに、移植の前に抗がん剤の投
与を開始した日付が、私がC病院に入院した日と同じ
でした。
やっぱり私たちは、何か深い縁があるようです。
こうして、リラさんと私、それにレオさんは、しばらくは
別々の場所で、それぞれの相手(病気)と向き合う時
間を過ごすことになりました。
退院後、一週間ほど実家で静養した私は、アパートに
戻ってから、骨髄移植を終えたリラさんの顔を見に、
A病院へ通いました。
毎日とはいきませんでしたが、実家から遠い病院で、
あまり訪ねて来る人がいない状況だったので、リラさ
んにとしては、知り合って間もない私とほんの短い間
話をするだけでも、心がなごんだかもしれません。
骨髄移植は簡単な治療ではないということだけは、
専門知識のない私にもわかりますが、リラさんの移
植に際しては、実際にこんなことがあったといいます。
担当の医師から、移植の成功率は40%と説明され、
死を覚悟したこと。
移植をするにあたり、抗がん剤で髪が抜けるので、
あえて坊主頭で挑んだこと。
そんな大変な移植を、リラさんは粘り強くやり抜きま
した。
そして、A病院に入院してから約5ヶ月、リラさんはめ
でたく退院したのです。
さらに、レオさんも、6ヶ月にわたる抗がん剤の治療
を終え、B病院を退院することができました。
レオさんの感想を聞いたところ、抗がん剤治療をし
ている間は、自分の体が薬漬けになっていると感じ
たし、空を飛べるかも?と感じたこともあったそうで
す。
ある意味で、極限を超えた身体感覚の経験とも言え
るかもしれませんね。
こうして私たち三人は、辛いけれどかけがえのない
経験を胸に、元の生活に戻っていったのでした。
おめでとう、私たち!(自分で言っちゃいました!)
私の大腸ガン治療の経緯は、以上の通りですが、
ここまでの内容は、できるだけ当時の私の視点で
書くようにしました。
その時の驚きや感動、とまどいや悲しみ……そう
いう諸々の感情を、当時の感覚でどんなふうに味
わったのか、まずはそれをできるだけ「生」のまま
でお伝えしたかったからです。
でも、もちろん誰のどんな体験も、その出来事が終
わってすぐに完結してしまうわけではありません。
私のガン体験も例外ではなく、今の私が出来上がる
うえで、大きな影響を及ぼしたと思います。
逆の言い方をすれば、今の私の視点からは、当時ま
だ見えていなかったものが見える、とも言えるので
す。
このシリーズを終える前に、そのことを書いてみたい
と思います。
(あと少しだけ、続きます。)
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