案の定、各種デマが流れているようで。
●東北地方太平洋沖地震、ネット上でのデマまとめ
地震兵器(HAARPや核兵器)は、やっぱり出てたかという感じ。
馬鹿らしくて調べてませんが、アメリカ・中国あたりに加え、時期的に与党も「陰謀の黒幕」として上がっていそう。(支持率低下や野党追及を誤魔化すためとか何とかで)
過去に他国で起こった大地震でも話題にされた手垢のついた定番ネタなので、まともに取り合わず無視していいです。
●東北地方太平洋沖地震
[引用]
また当ブログやASIOSのサイトでは、昨日からジュセリーノの予言のことで検索してくる方々が多くいます。しかし彼は東北地方太平洋沖地震のことをまったく予言していません。ジュセリーノの予言など参考にせず、現実に地震対策をして震災に備えたほうがずっと有益です。
[引用終]
すがりたくなる気持ちは分かる。でも現実を見ないと、本気で大変なことになります。
おそらくこの先、「地震を予知夢で見た」とか「お守り(やそれに類するもの)を持っていたので助かった」といったネタも出てくると思うけど、そんなものに惑わされないようにしないと。
「予知夢」に関しては、「前日の夜に地震の夢を見た」人は、確実にいると思います。
ですが、そんなものはただの偶然で済ませられる。
例えば、人が一生の内に、地震の夢を一度だけみるとします。
100年生きるとして、あるタイミング(2011年3月10日夜)に地震の夢を見る確率は、(365日×100年=)3万6千分の一。
これだけだと、かなり低い確率に見える。
でも、今回の地震を受けた人は、ざっと考えても全国の1/3。3600万人はいます。
よって単純計算で、2011年3月10日夜に地震の夢を見た人は、約1,000人。相当数が「予知夢」を見ている。
実際には、「一生に一度しか地震の夢を見ない」なんてのはかなり厳しい条件だし(地震や「何か怖い」ものが出てくる夢なんて、珍しいものでも何でもない)、
3月10日夜に限らず、9日や8日に見ていても「あれは予兆だったんだ」と認識されるはず。
つまり「予知夢」なんて珍しくもなんともないんです。
地震雲や「直前に動物が異常な行動をしていた」も同じ。
何の異変もないときでも、犬が急に吠えだしたり、カラスが群れをなしてたりする。
今回のような広域災害なら、どこかで偶然、「犬が異常に吠えた後に、地震が来た」場所もあるに決まってる。
でもそんなただの偶然で、余計な不安を増大させる必要はない。
「お守り」の類も、これだけ大勢いるのだから、助かった人の中には、お守りを握りしめてた人も当然いるでしょう。
逆に、お守り持っていても不幸にあった人もいる。持ってなくても助かった人もいる。
「助かった人の中に、お守りを持っていた人がいた」ことだけからは、「お守りのおかげで助かった」かどうかなんて全く分からない。
もちろん、お守りを握りしめることで、不安を鎮めることができるという意味では十分に効果があるし、そこは否定しない。有益だとも思う。
でもお守りを手に入れるために強迫観念にとらわれたり、本当に必要なものを後回しにし始めたら本末転倒。
やるせないことに、既にテレビ報道はエンターテイメント化しつつある。
取り立てて必要性もないのに、悲しむ被災者の様子を繰り返し写したりとか、「放射能は危険でとんでもない被害が出ている」と演出したがってたりとか。
(私見ですが、今は視聴率無視してでも淡々と給水や救援情報を流したりとか、「最悪を回避している日本は凄い」「誇りを持って節度ある行動を続けよう」といった報道の方が、長い目で見れば商業的にも評価されると思うのだけど)
多分今後は、Twitter上のやり取りをまとめて、お涙ちょうだいで紹介する番組や本なんかも出てくるんじゃないかな。
ちゃんとした形でやる分にはいいんでしょうけれど(実際に活躍してるのだから)、興味本位の娯楽としてやられると気持ちが悪い。
個人的には、そういった番組が作られたときに、「私らもあの時は協力して頑張ったんだよな!」とか「拡散したけど、助からなかったんだね…」みたいな、災害を楽しむかのような感情を得ないようにしたいです。
冒頭のデマの話にも戻るけれど、「何かできることをしなきゃ」と思うあまり、善意が迷惑をかけてしまう面もあると思う。
デマとか、素人ボランティアとか、使えない救援物資を送ったりとか。
出来ることなんて大してないことを潔く自覚し、募金や節電といった出来ることをした後は、無理して「もっともっと」と探す必要はないはず。
そこで物足りなさを感じたり、自分を卑下することなく、悪い意味でお祭り気分にならないことが大事だと思う。
…で、これを書いている間に、会社から連絡が。
月曜からの計画停電を受け、私もやることが出てきた。
不謹慎ですが、社会人として協力できる機会を得られたことはありがたい。
ほとんど居てもいなくても変わらない程度の役割だけど、出来ることをやろうと思う。
●東北地方太平洋沖地震、ネット上でのデマまとめ
地震兵器(HAARPや核兵器)は、やっぱり出てたかという感じ。
馬鹿らしくて調べてませんが、アメリカ・中国あたりに加え、時期的に与党も「陰謀の黒幕」として上がっていそう。(支持率低下や野党追及を誤魔化すためとか何とかで)
過去に他国で起こった大地震でも話題にされた手垢のついた定番ネタなので、まともに取り合わず無視していいです。
●東北地方太平洋沖地震
[引用]
また当ブログやASIOSのサイトでは、昨日からジュセリーノの予言のことで検索してくる方々が多くいます。しかし彼は東北地方太平洋沖地震のことをまったく予言していません。ジュセリーノの予言など参考にせず、現実に地震対策をして震災に備えたほうがずっと有益です。
[引用終]
すがりたくなる気持ちは分かる。でも現実を見ないと、本気で大変なことになります。
おそらくこの先、「地震を予知夢で見た」とか「お守り(やそれに類するもの)を持っていたので助かった」といったネタも出てくると思うけど、そんなものに惑わされないようにしないと。
「予知夢」に関しては、「前日の夜に地震の夢を見た」人は、確実にいると思います。
ですが、そんなものはただの偶然で済ませられる。
例えば、人が一生の内に、地震の夢を一度だけみるとします。
100年生きるとして、あるタイミング(2011年3月10日夜)に地震の夢を見る確率は、(365日×100年=)3万6千分の一。
これだけだと、かなり低い確率に見える。
でも、今回の地震を受けた人は、ざっと考えても全国の1/3。3600万人はいます。
よって単純計算で、2011年3月10日夜に地震の夢を見た人は、約1,000人。相当数が「予知夢」を見ている。
実際には、「一生に一度しか地震の夢を見ない」なんてのはかなり厳しい条件だし(地震や「何か怖い」ものが出てくる夢なんて、珍しいものでも何でもない)、
3月10日夜に限らず、9日や8日に見ていても「あれは予兆だったんだ」と認識されるはず。
つまり「予知夢」なんて珍しくもなんともないんです。
地震雲や「直前に動物が異常な行動をしていた」も同じ。
何の異変もないときでも、犬が急に吠えだしたり、カラスが群れをなしてたりする。
今回のような広域災害なら、どこかで偶然、「犬が異常に吠えた後に、地震が来た」場所もあるに決まってる。
でもそんなただの偶然で、余計な不安を増大させる必要はない。
「お守り」の類も、これだけ大勢いるのだから、助かった人の中には、お守りを握りしめてた人も当然いるでしょう。
逆に、お守り持っていても不幸にあった人もいる。持ってなくても助かった人もいる。
「助かった人の中に、お守りを持っていた人がいた」ことだけからは、「お守りのおかげで助かった」かどうかなんて全く分からない。
もちろん、お守りを握りしめることで、不安を鎮めることができるという意味では十分に効果があるし、そこは否定しない。有益だとも思う。
でもお守りを手に入れるために強迫観念にとらわれたり、本当に必要なものを後回しにし始めたら本末転倒。
やるせないことに、既にテレビ報道はエンターテイメント化しつつある。
取り立てて必要性もないのに、悲しむ被災者の様子を繰り返し写したりとか、「放射能は危険でとんでもない被害が出ている」と演出したがってたりとか。
(私見ですが、今は視聴率無視してでも淡々と給水や救援情報を流したりとか、「最悪を回避している日本は凄い」「誇りを持って節度ある行動を続けよう」といった報道の方が、長い目で見れば商業的にも評価されると思うのだけど)
多分今後は、Twitter上のやり取りをまとめて、お涙ちょうだいで紹介する番組や本なんかも出てくるんじゃないかな。
ちゃんとした形でやる分にはいいんでしょうけれど(実際に活躍してるのだから)、興味本位の娯楽としてやられると気持ちが悪い。
個人的には、そういった番組が作られたときに、「私らもあの時は協力して頑張ったんだよな!」とか「拡散したけど、助からなかったんだね…」みたいな、災害を楽しむかのような感情を得ないようにしたいです。
冒頭のデマの話にも戻るけれど、「何かできることをしなきゃ」と思うあまり、善意が迷惑をかけてしまう面もあると思う。
デマとか、素人ボランティアとか、使えない救援物資を送ったりとか。
出来ることなんて大してないことを潔く自覚し、募金や節電といった出来ることをした後は、無理して「もっともっと」と探す必要はないはず。
そこで物足りなさを感じたり、自分を卑下することなく、悪い意味でお祭り気分にならないことが大事だと思う。
…で、これを書いている間に、会社から連絡が。
月曜からの計画停電を受け、私もやることが出てきた。
不謹慎ですが、社会人として協力できる機会を得られたことはありがたい。
ほとんど居てもいなくても変わらない程度の役割だけど、出来ることをやろうと思う。