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(第9話)ひろがるスカイ!プリキュア「勇気の翼、飛べキュアウィング!!」感想

2023年04月02日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第9話)ひろがるスカイ!プリキュア「勇気の翼、飛べキュアウィング!!」感想


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第9話より)

前回の感想で「自力飛行に拘って頑張ってきたのに、プリキュアに変身したから飛べました、で満足できるのか?」と疑問を書きましたが、そこはやっぱり安心のプリキュアさん。ちゃんとケアされてた。

ツバサくんはエルちゃんを助けるために頑張った。残念ながら非力で、格好よくカバトンを倒すことはできなかったけれど、その身を犠牲にして奮闘なされた。
だけれど、赤ちゃんにはそういうの分かりません。ナイトの犠牲を許さない。ツバサくんの犠牲を看過できず、結果的に彼の奮闘をも無駄にしてしまう。

傍目にはイライラする行動ですが、赤ちゃんにはそういうの分からないんです。犠牲を受け入れろというのも、ある意味で大人扱いというか、子供のキャパを超えています。仮にここでツバサくんが死んでエルちゃんを救ったとしても、彼女の心に深い傷を残しそうです。ここで捕まったらそんなこと言ってられないんですけど、そういう計算は赤ちゃんには通じない。

「ヒーローは子供を見捨てない」。言い換えると「子供を見捨てることは許されない」し、そこには自己犠牲も含まれます。「命を賭して守る」は勝利条件を満たさない。生きてきっちり勝たねば。

そんな背景を抱えてのプリキュアへの変身です。
赤ちゃんがピンチなのに、自力飛行だの何だの言ってる場合か。ソラさんだって、本心では鍛え上げた生身の自分で格好よく救いたかったんでしょう。だけどそんなこと言ってる場合じゃないんです。使えるものは使え。目的のためには、表面的な夢など妥協しよう。
現実世界でいうなら、働いて働いて働いて、稼いだ末に死んで保険金もでてそれで子供を守ったと言えるのか。

「妥協」と書きましたけど、正確に言うなら「本質をとらえなおした」とかだと思う。
ツバサくんが目指していたことは、「自力で空を飛ぶ」だけでなく「子を救う親」の姿だったはず。
ならば今回のは紛れもなく夢を実現しています。飛ぶべき時に飛べた。手段は些細な話なはず。

まぁそういう意味では携帯飛行器具を開発したりするのが適切な道だったのかもしれませんが、「必要な時には飛んで子供を救える自分になる」のが夢であれば、道具を使うのは確かに何か違うかなという気はします。現実世界でいえば、子供を守るために体を鍛えようは分かるが、銃を買おうは(平和ボケの日本だからこそとは言えますが)何か違うかも。

先日発売されたOP曲、とてもとても20周年らしさを感じていたのですけど、多分「プリキュア」が強く推されていないからだと思う。
振り返ってみれば、スタプリ以降は「プリキュア」の地位が低下したというか、ただの手段になっています。
「プリキュア」になることは目的ではないし、特効薬でもない。たまたま結果的にプリキュアになった。とりあえず目先の課題解決に使えるんだから使え。ローラの変身経緯の精神です。

ひろプリに感じる心地よい違和感の正体は、「プリキュア」が日常化してその先の物語だからなのかもしれない。
ソラさん達は、現実世界でいえばハピネス世代です。10周年のハピネスチャージで「私たちは無力だけどずっと傍にいるよ。だから愛と勇気を忘れないで」と見守ってもらった子たちが、プリキュア世代になった。
今やプリキュアは当然であり、街中にもあふれている。ほんの15年前(ソラさん達が生まれた頃)の5周年のときとは別世界です。
世界の大きな変化と、その上での20周年作ですから、プリキュアを前向きに否定する展開すらありえそうな気がしてます。

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