もうすぐ年の暮れ。長いような短いような1年でした。
桃園さんのプリキュアボイスとも間もなくお別れかと思うと、改めて寂しいです。
「フレッシュ」第2期モバイル版、最終回の日は、近い。
※プリキュアボイス
プリキュアカレンダーについてくる特典。
日替わりでプリキュアさんの一言ボイスを受け取れます。
現在は現役引退した桃園さんが、ひたすらどうでも良い一言を毎日配信中。(花咲さんもスタンバイ)
本日のお当番はブッキーさんでした。
ブッキーさん:
「12月7日」
「風邪をひいたわんちゃんが病院に来たの。みんなも気をつけてね」
犬が風邪をひいた→みんなも気をつけてね。
私らは動物と同レベル扱いか…。
いいんですけどね、別に。殊更におかしい連想ではないとは分かってます。
でもブッキーさんが言うと、「この娘、ヒトと動物の区別がついてないんじゃ…」「そういえばこの間。桃園さんと会話してる時に妖しくキルンを使ってたけど、あれってもしかして…」とか気になって仕方ありません。
プリキュア娘も19人になりましたが、個人的に一番理解不能な生き物はブッキーさん。
「フレッシュ」放送開始前はブッキー支持を表明した者ですが、危険な香りを感じて回避したのが昨日のことのよう。
あの娘には底しれぬ恐怖が…。
彼女の口癖「私、信じてる」は、当初かなり使いづらいと言われたものですが、今となってみると最も汎用性が高いです。
ふと気が付くと、極めてナチュラルに使ってる。知らぬ間にブッキーさんに浸食される恐怖。
この一連の感覚を抱いてるのは、私一人ではないって信じてる。
桃園さんのプリキュアボイスとも間もなくお別れかと思うと、改めて寂しいです。
「フレッシュ」第2期モバイル版、最終回の日は、近い。
※プリキュアボイス
プリキュアカレンダーについてくる特典。
日替わりでプリキュアさんの一言ボイスを受け取れます。
現在は現役引退した桃園さんが、ひたすらどうでも良い一言を毎日配信中。(花咲さんもスタンバイ)
本日のお当番はブッキーさんでした。
ブッキーさん:
「12月7日」
「風邪をひいたわんちゃんが病院に来たの。みんなも気をつけてね」
犬が風邪をひいた→みんなも気をつけてね。
私らは動物と同レベル扱いか…。
いいんですけどね、別に。殊更におかしい連想ではないとは分かってます。
でもブッキーさんが言うと、「この娘、ヒトと動物の区別がついてないんじゃ…」「そういえばこの間。桃園さんと会話してる時に妖しくキルンを使ってたけど、あれってもしかして…」とか気になって仕方ありません。
プリキュア娘も19人になりましたが、個人的に一番理解不能な生き物はブッキーさん。
「フレッシュ」放送開始前はブッキー支持を表明した者ですが、危険な香りを感じて回避したのが昨日のことのよう。
あの娘には底しれぬ恐怖が…。
彼女の口癖「私、信じてる」は、当初かなり使いづらいと言われたものですが、今となってみると最も汎用性が高いです。
ふと気が付くと、極めてナチュラルに使ってる。知らぬ間にブッキーさんに浸食される恐怖。
この一連の感覚を抱いてるのは、私一人ではないって信じてる。
ブッキーさんはどこまでが演技で、どこまでが天然なのか。
「微妙に判断がつかない」というその絶妙さすらも計算のような気がして、とにかく怖いです。
御子柴くんには頑張って欲しいところ。
「信じてる」は非常に便利です。
こういうブログを書いていると、なかなか断言口調で文章を終えられないことも多いのですが、「信じてる」なら波風立たない安心ワード。
気楽に使えるので他ブログ様でも使用頻度も増えてるんだと、私信じてます。
それがブッキーの人間関係構築に著しい不都合を生じさせる原因だったのですが…
ところが、あるとき気が付きました、ヒトとてしょせん動物の一種にすぎないと。
いや、気づかされたンだ、桃園さんに。
つねづね桃園さんのことを、良い子だとは思いつつも、ヒトとして何か欠落していると感じていたブッキー。
ふと、むしょうに、ある実験をしてみたくなった。
ためしに桃園さんをヒトではなくて犬だと思って接してみよう、とな。
実験は、大成功。
桃園さんに、いままでなら口に出して言えなかったことが言え、うまく気持ちが伝えられた。
ここにいたって、ブッキーの目からウロコが落っこちた。
ヒトと接するのなんて本当はカンタン、相手をヒトと思わなければイイんだと。
以来、ブッキーは、動物を調教するような気持ちで、人と接するようになりました。 たぶん。
「私、信じてる」は、魔法の呪文です。
だって、誰が何を信じようが、そんなの、ひとの勝手ですから。
つまり、他者からの批判を受け付けない、ということです。
これは、しかも、日本国憲法の保証付き。(日本国憲法第19条:思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。)
誰かと議論していても「私、信じてる」と言われてしまえば、それでオシマイだと思います。
だって「私、正しい」ではなくて「私、信じてる」なんだもん。
「正しい」と主張するモノを否定することは、客観的事実や理論を積み重ねるコトで、可能かもしれない。
けれども「信じてる」を否定することなど、誰が出来ようが?