■波打際のむろみさん #26「来る年のむろみさん」
「リュウグウノツカイが揚げられると天候が崩れる」
そんなマイナー都市伝説が大前提になってる漫画です。
「お魚さんだから寒さは平気」
そんな理不尽な理屈がまかり通る漫画です。
「どんなに毒づいていても、むろみさんは常に『さん』づけ」
そんな人魚さんに優しい漫画です。
何はともあれ扉絵の むろみさんが犯罪級に可愛いです。
もはやサカナなんだかトラなんだかネコなんだか分からない。
とりあえずヒトではないことだけは分かる。
2月発売の単行本ですが、20ページ超えの書き下ろしだそうです。
普段の連載が6ページなので、都合4週間分がついてくる。
これは買うしかないですね、ええ。(さりげなく宣伝)
■恋忍 9「そういう設定の巻」10「驚愕の真実…!!の巻」
話が全く進んでいないのに、設定だけは果てしなく破綻していくこの漫画。
マスコット的何か:
「そもそもあの設定自体が無理あるでござるよ」
「特に『年下のおねえちゃん』って一体なに…?」
ベストジーニスト:
「いやそれは普通にわかるけど…?」
妹的何か:
「わかるでしょ?常識的に考えて」
全くです。「年下の姉」。それは最強のキーワード。誰だって常識的に分かる。
プリキュアさんもそういうアグレッシブな姿勢が必要だと思うんですよ。
気がつけばプリキュアさんも来年度で17人。いい加減キャラも被り始めます。
ここは一つ、チャレンジ精神を如何なく発揮して欲しい。いえ、私がそういう娘さんが好みだとかそんなんではなくて。
…とりあえず巻末コメントに敬意を表してみた。
たった一人、謎の縛りの元で戦う作者さんにエールを送りたい。
来期のプリキュアさんの決め台詞は、コメントには大変使いにくい感じですが、ご武運をお祈りいたします。
■ウィザードリィZEO episode5「誘惑」
村のツインテールの娘にどぎまぎします。
夜の宴では微妙にツイン具合を変えて、そばかすをお化粧で隠してるあたりが特に。
それともあの娘は双子の姉とかなんだろうか。それはそれでどぎまぎ。
■SKET DANCE 第120話「ストップ!ジュバンニ」
この手のネタのたびに書いてる気がしますが、いつもの如く。
スイッチさん:
「クイズです」
「何でもできる全知全能の神様が居たとします」
「さて、その神様は『誰にも持ち上げられない重たい石』を作り出すことができるでしょうか」
全知全能だから作れないはずがない。
でもその石を持ち上げられなかったら全知全能じゃない。
持ち上げることが出来たら、石を作ることが出来ていない。
非常に有名な矛盾の問答です。
「よって神は矛盾している…と考える浅はかな人を笑うための問答」というジャンルで。
キリスト教を知っている人間なら即答できる問答なので、この手の「一見答えのない2択」は小説や魔女裁判でも見かけます。
「赤毛のアン」でも、史実のジャンヌダルクでもこのネタが出てくる。
そんなわけで、もしもキリスト教の勧誘を受けた時は、相手がちゃんとキリスト教を知ってるかどうかの試金石代わりに使うと便利です。
回答は「私にはわからない」。
回答を考えようとするその行為自体がキリスト教的には誤りなので、「分からない」が正解になります。
(または「神は居ながらにして全てを持ち上げ、また持ち上げていない」)
「人は無知である」が大前提にあり、「大体『全知全能』なんてものを理解できるわけがない」というのが根幹にある宗教なので、本質的におおざっぱで適当なんですよ、キリスト教は。堅苦しいイメージを持たれがちですけれど。
余談ですが、仏教におけるこの手の試金石って何なんでしょうか。
「人生は苦しみのはずなのに、生に感謝するのは何故なのか」あたりを使ってるのですが、今ひとつな気がする。
まぁそんな頻繁に勧誘と遭遇するわけでもないので、どちらも数年に一度使うかどうかの豆知識なのですけれど。
それと後先になりましたが、「SKET DANCE」は結構好きです。
最初は何となく毛嫌いしてたけど、読んでる内に好きになった。
ちゃんと一貫したオチをつけるストーリーギャグ漫画って貴重だと思ってみる。
「リュウグウノツカイが揚げられると天候が崩れる」
そんなマイナー都市伝説が大前提になってる漫画です。
「お魚さんだから寒さは平気」
そんな理不尽な理屈がまかり通る漫画です。
「どんなに毒づいていても、むろみさんは常に『さん』づけ」
そんな人魚さんに優しい漫画です。
何はともあれ扉絵の むろみさんが犯罪級に可愛いです。
もはやサカナなんだかトラなんだかネコなんだか分からない。
とりあえずヒトではないことだけは分かる。
2月発売の単行本ですが、20ページ超えの書き下ろしだそうです。
普段の連載が6ページなので、都合4週間分がついてくる。
これは買うしかないですね、ええ。(さりげなく宣伝)
■恋忍 9「そういう設定の巻」10「驚愕の真実…!!の巻」
話が全く進んでいないのに、設定だけは果てしなく破綻していくこの漫画。
マスコット的何か:
「そもそもあの設定自体が無理あるでござるよ」
「特に『年下のおねえちゃん』って一体なに…?」
ベストジーニスト:
「いやそれは普通にわかるけど…?」
妹的何か:
「わかるでしょ?常識的に考えて」
全くです。「年下の姉」。それは最強のキーワード。誰だって常識的に分かる。
プリキュアさんもそういうアグレッシブな姿勢が必要だと思うんですよ。
気がつけばプリキュアさんも来年度で17人。いい加減キャラも被り始めます。
ここは一つ、チャレンジ精神を如何なく発揮して欲しい。いえ、私がそういう娘さんが好みだとかそんなんではなくて。
…とりあえず巻末コメントに敬意を表してみた。
たった一人、謎の縛りの元で戦う作者さんにエールを送りたい。
来期のプリキュアさんの決め台詞は、コメントには大変使いにくい感じですが、ご武運をお祈りいたします。
■ウィザードリィZEO episode5「誘惑」
村のツインテールの娘にどぎまぎします。
夜の宴では微妙にツイン具合を変えて、そばかすをお化粧で隠してるあたりが特に。
それともあの娘は双子の姉とかなんだろうか。それはそれでどぎまぎ。
■SKET DANCE 第120話「ストップ!ジュバンニ」
この手のネタのたびに書いてる気がしますが、いつもの如く。
スイッチさん:
「クイズです」
「何でもできる全知全能の神様が居たとします」
「さて、その神様は『誰にも持ち上げられない重たい石』を作り出すことができるでしょうか」
全知全能だから作れないはずがない。
でもその石を持ち上げられなかったら全知全能じゃない。
持ち上げることが出来たら、石を作ることが出来ていない。
非常に有名な矛盾の問答です。
「よって神は矛盾している…と考える浅はかな人を笑うための問答」というジャンルで。
キリスト教を知っている人間なら即答できる問答なので、この手の「一見答えのない2択」は小説や魔女裁判でも見かけます。
「赤毛のアン」でも、史実のジャンヌダルクでもこのネタが出てくる。
そんなわけで、もしもキリスト教の勧誘を受けた時は、相手がちゃんとキリスト教を知ってるかどうかの試金石代わりに使うと便利です。
回答は「私にはわからない」。
回答を考えようとするその行為自体がキリスト教的には誤りなので、「分からない」が正解になります。
(または「神は居ながらにして全てを持ち上げ、また持ち上げていない」)
「人は無知である」が大前提にあり、「大体『全知全能』なんてものを理解できるわけがない」というのが根幹にある宗教なので、本質的におおざっぱで適当なんですよ、キリスト教は。堅苦しいイメージを持たれがちですけれど。
余談ですが、仏教におけるこの手の試金石って何なんでしょうか。
「人生は苦しみのはずなのに、生に感謝するのは何故なのか」あたりを使ってるのですが、今ひとつな気がする。
まぁそんな頻繁に勧誘と遭遇するわけでもないので、どちらも数年に一度使うかどうかの豆知識なのですけれど。
それと後先になりましたが、「SKET DANCE」は結構好きです。
最初は何となく毛嫌いしてたけど、読んでる内に好きになった。
ちゃんと一貫したオチをつけるストーリーギャグ漫画って貴重だと思ってみる。
初の男性プリキュアとかどうです?
指揮官な女教師プリキュアとかも面白そうですが。
「えっ?なにそれ?背理法ですか?」
「なんでもできる全知全能の神様がいた、と仮定して矛盾を導く。ゆえに、全知全能の神様は存在しないと。」
「ルート2を有理数と仮定して矛盾を導き、その結果としてルート2が無理数であると結論づけるのと同じ論法ですね?」
まちがってるでしょうか?わたしは。
「女子中学生」という縛りを逸脱すれば新しい未来が拓けそうです。
問題は、拓きすぎてプリキュアではなくなってしまうような気がするところ…。
とりあえず既に名前からして被られてしまった日向さんにエールを送りたいです。
上層陣の日向さんへの配慮のなさ具合が泣けます。
ちょっと分かりにくかったと思いますが、その(一見筋が通っていそうな)コメント内容は、何百年前からもFAQ扱いで、キリスト教としては「待ってました」な論法である、という記事でした。
おそらく3つ勘違いされています。
一つは、この話題自体は「神を信じる/信じない」とは無関係だということ。
私も別にキリスト教徒ではないですし、布教の意図もありません。
一種の学問ジョークですね。
二つ目は「全知全能の神が居る」はキリスト教では公理なので、そこに反論しても論破できないということ。
サッカーの話をしているところに、「手に持って走るのが最強じゃないか。手を使ってはいけないなんて非論理的だ」と言うようなものですね。
そのルールに納得できないのなら、議論の土俵にすら立てないんです。
(記事中では漫画からの引用なので「仮定する」とう言い回しになっています)
最後に「矛盾しているように見えるが矛盾していない(あるいは矛盾しているが何ら問題ない)」が本旨ということ。
コメントの論法は、「アキレスと亀」の矛盾を元に、「亀に追いつけないはずなのに追いついており矛盾。よってアキレスなど存在しない」と結論付けるようなものです。
もしも「アキレスと亀」の話をして、「矛盾している。困った」とか「数学(神)を冒涜するな!」と言い出す数学者がいたら、「ああこの人、半人前以下だ」と分かります。
それに類するネタなんです。
この辺の「学問や背景ごとの論法」を意識すると世界が広がりますね。
日常でも「文系VS理系」とか「営業部VS開発部」とかでの理解がしやすくなります。
いわゆる「そんなことない!」ですね
私自身はキリスト教系の高校にいたのでそのへんの話を感覚で理解してしまうので、とてもおもしろいです。