中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

息子の片づけ

2013-08-26 07:27:29 | 身辺雑記

 夏休みを利用して次男が家の片づけに来てくれました。妻が逝ってから14年、初めのうちはまだ家の中は整理されていたのですが、だんだん乱れてきて、この数年は自分でも手が付けられない状態になってきていました。見かねた次男は嫁にせかされて片づけに来てくれました。

 特にダイニングキチンの乱れよう、汚れようがひどかったのですが、息子は2日間自宅から通って、実にエネルギッシュに片づけてくれ、朝から夜まで8時間から10時間、嫁が作ってくれた弁当をとる短い時間以外は働きどうしでした。隅から隅まで細かく手を入れて、見違えるくらいにすっきりしました。

 とにかく捨てることだと、私にはほとんど相談もしないで、どんどん捨てていきました。かねがね言うところの「断・捨・離」をしなければと思ってはいたのですが、いざとなると捨て切れませんでした。それが息子の手にかかるとあれこれ口を挟むまでもなくどんどん「不要物」になっていき気持ちがいいくらいでした。

 まだまだ来なければならないなと言って帰っていきましたが、礼を言うと「子どもはこんな時に必要なんだ」とさらりと言っていました。まったく持つべきものはとつくづく思ったことでした。

 

 

 

 

 

 


孤独な高齢者

2013-08-23 07:28:43 | 身辺雑記

 1人暮らしの高齢の男性のうち、2週間、人と会話することが全くないか1度しかない人が6人に1人に上ることが、国の研究暑の調査で分かり、1人暮らしの高齢男性が社会から孤立しがちな実態が明らかになったというニュースを見ました。

 国立社会保障・人口問題研究所は、去年7月、東日本大震災で大きな被害を受けた福島県を除く、全国の1人暮らしをする65歳以上の男女およそ900人を対象に、生活の実態や地域とのつながりなどについてアンケート調査を行いましたが、この中で、ふだん電話も含めてどの程度人と会話しているか聞いたところ、男性の場合、「毎日」が50%、「2,3日に1回」が18%、「4日から7日に1回」が15%、「2週間に1回以下」が17%だったそうです。一方、女性の場合、「2週間に1回以下」と答えた人は4%で、男性は4倍以上に上っており、1人暮らしの高齢男性が社会から孤立しがちな実態が明らかになりました。

 この結果について国立社会保障・人口問題研究所では 「男性が定年後に孤立気味なのは想像していたが、数字の大きさに驚いた。病院などの施設から在宅へという流れが進み、認知症については早期発見が重要だとされるなかで、ほとんど話さない人がいるのは深刻な問題だ」と言っています。

 私の場合は、現役時代に比べてもちろん会話は減っていますし、特に妻がいなくなってからはその傾向は強くなりました。しかし今でも毎日のように誰かと会話しています。このところ木曜日を除いて毎日整骨院に行って治療していて、そこでは院のスタッフを含めて治療に来ている人たちとよく話をします。整骨院の休みの木曜日は生協の共同購入の日で、近所の人たちと話をします。それでも時々寂しくなって家族や中国の友人に電話します。そんなことですから、2週間に1回以下しか人と話をしないなどとは信じられないほどです。

 整骨院にはもちろん治療のために行くのですが社交のためとも言えます。人と話すことは高齢者には必要ですし、一日中黙っていることなど苦痛以外の何ものでもありません。

 

 


イスラエル高官の侮辱的な発言

2013-08-21 07:40:31 | 海外あれこれ

  このほどイスラエル政府の高官が自分のフェイスブックに、広島、長崎への原爆投下について「日本の侵略の当然の結果だ。(平和祈念式典は)独り善がりで、うんざりしている」などと書き込んでいたことがわかりました。現地大使館はイスラエル外務省に抗議していますが、この高官は停職処分を受けています。この高官は「日本が追悼すべきなのは、中国や韓国の侵略犠牲者だ」とも書き込んだようです。

 言うまでもなくイスラエル国家を形成しているユダヤ民族はナチスドイツによる民族絶滅の大虐殺(ホロコースト)の犠牲になり戦後米英の支援を受けて現在の地に国家を作りました。イスラエル国家建設以前からこの地に居住していたパレスチナ人を強制的に追い出し、その後も様々な攻撃を加えてきました。ナチスドイツによる甚だしい受難は忘れてはならないものですが、その民族がパレスチナの民に加えた暴力的な行為はまた許されないものです。その国の高官の今回の発言には怒りを覚えます。おそらく彼は戦後世代で日本をナチスドイツと同盟した侵略国家と認識し、その国が世界で唯一の核兵器の被爆国家であることなどは念頭にないのでしょう。公表はしていませんが、イスラエルは一般に原爆保有国家とされています。広島や長崎への原爆投下は百万の米国兵士を救ったという「神話」がこれまで流布されてきましたが、ナチスのユダヤ人に対して行ったと同じホロコーストです。

 イスラエル首相府は「(書き込みの内容は)受け入れがたいものであり、政府の立場を表したものではない」としているようですが、その場限りの取り繕いでないことを望みます。日本政府も毅然とした姿勢で臨むべきです。


上海の猛暑

2013-08-19 18:32:28 | 中国のこと

 上海の邵利明(明明)に電話しましたら、このところ上海も非常に暑いそうです。40度だと言っていました。雨は降らないようです。こんな記事がありました。

 「記録的な暑さが続く上海で、地元のテレビ局がある実験を行った。連日四〇度前後まで気温が上がる中、コンクリートの地面で豚ばら肉を焼くことはできるのか。リポーターが厚切りのばら肉を置くと、十分ほどで肉はピンクから白に色を変え、実験は成功した。

 インターネットの簡易ブログでも「玄関先で目玉焼きが焼けた」「うちの庭ではベーコンエッグだ」と書き込みが相次いでいる。江蘇省では、鮮魚を載せたトラックが横転したところ、地面に散乱した魚が焼き魚になったとのうわさまで広がった。それほど今年の夏、中国東部は暑い」

 少し大げさな、「白髪三千丈」という感じがしますが、それほど暑いということでしょう。実際40度と言っても公式なものですから、都市部ではもっと暑いでしょう。所によっては60度近くなるのではないかと思います。上海は海に面していますから湿度も高いだろうと思います。

 上海に隣接する浙江省や江蘇省では人工降雨がさかんだそうです。水蒸気を結晶化させる物質をロケットで打ち上げる手法ですが、本来は砂漠化や農作物の夏枯れを防ぐ目的で使用されていたものなのですが、今年は気温を下げるために乱用されているとのことです。現代的雨乞いのようなものですが、効果はあるようで、ロケットを打ち上げるとすぐ数時間の雷雨に見舞われ、気温が5~10度は下がるのだそうです。隣接省で人工降雨をするようになってから上海では夕立が例年より少ないとし言いますが因果関係は不明だそうです。

 日本ではやたらにロケットを打ち上げるわけにはいきませんし、悪くすると豪雨になることもあるでしょうから、自然というものはあまりいじりまわさないのが良いのでしょう。それにしてもこの暑さ、何とかならないものか。

 

 

 

 


蛾の擬態

2013-08-17 09:30:39 | 身辺雑記

  これまでにも何回か紹介してきた、野外観察をしている弟が最近撮ったシロシタバという蛾の擬態の写真です。コメントにこうあります。

    

 「樹の幹に頭を下にしてとまっているのはシロシタバです。幹の木肌にとけ込んで、しかも動いていないのでその存在が判り難いです。実際には写真以上に判り難いのです。特に翅の灰緑色の斑紋が周りの樹皮に付く地衣類と色がそっくりなのには驚かされます。見えている翅は前翅で後翅は下に隠れて見えないのですが、前翅を開くと白地に2本の黒斑の鮮やかな後翅が現れます。開張=95~105mm」

 擬態というのは、動物が、攻撃や自衛などのために、からだの色や形などを、周囲の物や植物・動物に似せることですが、この蛾の場合は羽の斑紋が色といい、形といい、止まっている樹皮に着いている地衣類とそっくりです。どうしてこのようなことになったのか、長い進化の歴史の結果なのでしょうが、自然の造化の妙には驚かされます。もっともこの蛾がほかの木に止まっている場合はかえって目立つこともあるでしょうが、そうなるとこの擬態にはどういう意味があるのかと思ってしまいます。

 

 


九夜月

2013-08-15 21:58:37 | 身辺雑記

  今日(15日)の夕方、暗くなって西のほうを見ると西瓜を切ったような月が見えました。調べてみますと今日は旧暦の7月9日で、月の月齢は8.6で九夜月というようです。昼間はとても暑いのですが、澄み切った空に浮かぶ西瓜のような月は何か涼しさを感じさせました。

       インタネットより

         


お盆

2013-08-13 20:55:55 | 身辺雑記

  今週はお盆休みにしている店や企業が多いようです。盆は盂蘭盆の略ですが、本来は陰暦の7月13日から15日を中心に行われるものです。この時には墓参りをしたり先祖の霊を供養したりしますから、実家に帰る人たちも多いようですが、連休になるので旅行する家族もあります。

 私の家の宗教は仏教ではなく神道ですからお盆には関係がありません。勤めていた頃は、周囲の人達は盆休みをとり職場はがらんとしていたのですが、私は出勤していました。祖父の代までは仏教だったのですが祖父が神道に鞍替えしました。ですから幼い頃から仏教の行事には一切無縁で、特にお盆の時期は精霊の迎えや送りなどもなく、供花、お供えの類もなく、僧侶が経を上げに来ることもありませんでした。そういうことではさばさばしていたのですが、考えようによっては日本の昔からの行事がないことは情緒がなく、味気ないとも言えます。かと言って俄か神道の徒ですから、神道の行事も葬儀やそのあとのこと以外は取り立ててすることはなく、無宗教に近い状態です。

 毎年この時期になると私は何となく手持無沙汰になるのですが、今年は毎日のように午前中は整骨院に出かけて治療していて、その整骨院が14日から18日までお盆休みなので、この猛暑の中を外出するのも億劫で、どうやって過ごそうかと思案しています。

 


猛暑

2013-08-12 07:23:41 | 身辺雑記

  暑い日が続いています。今日(11日)の新聞記事によると、10日は日本列島は朝から猛暑に襲われ、甲府市と高知県四万十市では昼過ぎに40.7度を記録したそうです。

 全国927観測地点のうち約32%の295地点で35度以上の猛暑日になり、史上最多だということです。また30度以上の真夏日になったのは約75%の693地点だったそうです。しかしこの記録は気象庁の無人観測システムであるアメダスが記録したもので、実際には各所でもっと暑くなり40度を超す所も多かったと思います。都会では50度近くになることもあるのではないでしょうか。

 私は毎日朝8時ごろに家を出ますが、その頃にはもう空気はムッとするようで、上からの日照りと地面からの照り返しでまるでオーブンの中のようです。湿度もかなり高いようで、近くの山がけぶって見えます。昼過ぎには戻ってきますが駅から家までの10分くらいの僅かな距離を歩くだけで、途中にちょっときつい坂があることもあって汗が吹き出します。帰ってからすぐ顔を洗い汗を流すのですが、しばらくは止まりません。

 若い時には夏は苦にならず、どっと汗をかくとむしろ爽快でもありましたが、今はひどく疲れてしまいます。この暑さはしばらく続き10月ごろまで暑いとか言われていますが、今年は秋がないのだろうかと思ったりもします。

 毎日のように「熱中症」が話題になっています。日射病と違って屋内でも起こるもので、寝ている間に死ぬこともあります。私は昨年屋外で軽い熱中症になったらしく、倒れて救急車の世話になりましたから、今年は注意しています。夜もエアコンを「ドライ(除湿)」にし、あまり低い温度にしないようにして寝ます。夏の夜は寝苦しいものと決まっているようなものですが、今では熱中症のこともあって寝苦しいだけではすみません。夜の冷えた空気と違ってエアコンの冷えは何となく肌に馴染まないものがありますが仕方がありません。ずっと以前は熱中症ということは耳にしないで、もっぱら日射病とか言っていましたが、熱中症は日射病や熱射病などの総称とされ、日射病(熱失神)、熱けいれん、熱疲労、熱射病の4つに分類されるとのことです。


禁錮1000年

2013-08-10 20:11:20 | 海外あれこれ

  米国オハイオ州クリーブランドで53歳の男が2002年から04年にかけて、14歳と16歳、20歳だった女性3人を拉致して10年以上自宅に監禁していたという非道なものですが、この男の不在時に1人の女性が脱出して事件が発覚しました。今月になって裁判所は被告に対して仮釈放がない終身刑に加えて禁錮1000年とする有罪判決を言い渡しました。

 禁錮1000年とは現実離れした刑ですが、米国では起訴した罪状の1つ1つに刑を当てはめるのでこういうことになるようです。犯した罪の重さを示しているのでしょう。この男の罪状は937件あり被告は死刑を回避するために検察と司法取引をしていました。この司法取引というのも日本にはない制度ですが、「被告人と検察官が取引をし、被告人が罪状を認めるか、あるいは共犯者を法廷で告発する、あるいは捜査に協力することで、求刑の軽減、またはいくつかの罪状の取り下げを行うこと」です(Wikipedia)。

 司法取引はともかくとしても、罪状ごとに量刑を科すことはいいのではないかと思います。仮釈放なしの終身刑に禁固1000年と言うのは、それだけ被告の罪の重さを表しています。日本でも、例えば婦女暴行などは、1件づつに量刑してその累積で刑期を決めれば。場合によっては何十年と言う刑になるでしょう。それでいいと思います。

 また「仮釈放なしの終身刑」というのも考えるべきです。私は死刑制度存続論ですが、もし死刑を廃止するならばぜひもうけてほしいものです。

 


卒業生の古希の祝い

2013-08-09 07:20:47 | 身辺雑記

  高校1年から3年まで3年間担任をしたY君の古希の祝いに招かれました。10年前にも還暦の祝いに招れていて、ずいぶん速く日が経ったような気がします。

 彼はまだ現役で、会社を経営しているのですが順調のようで、会には主に取引先の人たちが80人以上招かれていて盛会でした。私にとって何よりも嬉しかったのはY君の同期生でいずれも私が担任したN君、O君、M君の3名も出席していたことでした。3人も長く会っていなかったようで懐かしがって話が弾んでいました。

 Y君はいわゆる「ワル」でしたが、校内の生徒指導や校外の補導にかかったりするようなことはなく、校内で喧嘩する程度でした。それでもかなり悪童として名が知られていまして、どういうわけか私が3年間担任しました。Y君によると1年生の終わりの時に彼に「他の先生には任せられないから、俺がずっと担任する」と言ったそうなのですが覚えはありません。N、O、Mの3君もそれぞれ何やら彼やらちょっとした問題を起こして、親を呼び出したりしましたが、大したことはありませんでした。

 私の妻はY君を可愛く思っていたようで、彼が一度仲間と一緒に私の家に遊びに来た時、夕方になって門限があるとあわてて帰ったのですが、学生帽を押さえながら駅に向かって走って行った姿が忘れられないと言っていました。卒業後何年かして3年の時のクラス会があり、妻も出席しましたが、その時妻が彼に向って「Y君、あなたはゴンタだったねえ」と言ったので、皆が大笑いし彼は頭をかいていました。そんなことがあってか、妻の通夜の時には来てくれて、私に挨拶した時は目に涙をいっぱい溜め、後で聞いたのですが、出口でひどく泣いて、一緒に来ていた奥さんがびっくりしたそうです。

 彼は確かにゴンタでしたが、帰宅の門限を守っていたことでもわかるように、限度をわきまえていました。そのあたりが今時のワルの生徒と違うところだと思っています。

 会の最初に私が乾杯の音頭をとったのですが、先日80歳の傘壽になり、担任した生徒の古希を祝うことができたのは本当に幸せなことでした。