中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

大晦日

2008-12-31 23:09:08 | 身辺雑記
 恒例のNHKの紅白歌合戦が始まっている。私はこの「国民的」番組には興味が持てないので長い間観たことがない。と言って民放の方にも観たい番組はないので、静かに、少し手持ち無沙汰に大晦日の夜を過ごすことにした。午前0時前にはテレビをつけ、除夜の鐘を聴こう。これは毎年観ている。寺院によって鐘の音はさまざまだが、どれも心が落ち着く良いものだ。それに全国のあちこちの初詣の様子を観るのも好きだ。

 今年もまた速く過ぎ去ったように思う。ある卒業生が言っていたが、新陳代謝が活発だと時間の経過は遅いと感じ、代謝が緩やかだと速いと感じるのだそうだ、だから年を取るにつれて1年が速く過ぎるように感じるらしい。彼は、蟻は活発に動いているから、寿命は短くても結局は長く生きていると感じているようですとも言ったが、蟻にそんな感覚があるのかなあと笑った。蟻にはゆっくりと時が流れているということなのだろう。新陳代謝と時間の感覚の関係はよく分からないし、近頃は若い人でも日がたつのが速いと感じているようだから、社会の動きが慌しいからかも知れない。昔は万事がゆったりとしていたと聞く。

 今年もいろいろなことがあったが、思い返してみると明るい話は少なかったように思う。何よりも9月の米国の1証券会社の破綻から始まった金融不安に続く実体経済の不況は世界的な広がりを見せ、日本も不況の波に飲み込まれたことは大きく暗い出来事だ。大企業などは派遣労働者や期間労働者などの非正規労働者の雇用契約を打ち切り、中には寮からも退去させることも少なくなく、巷には師走の寒空に放り出された労働者が数多くいる。派遣切りとなり寮も追い出された労働者がコンビで強盗をした事件も起きている。失業率は3.9%、来年3月までに職を失う非正規労働者は8万5000人と言われる。世界トップを誇った自動車メーカーなどは好調時には非正規労働者を数多く雇用しながら、不況になると容赦なく首を切る。実に非情、冷酷で勝手なものだと憤りを覚える。労働者を消耗品のように考え、会社を支える貴重な財産、資本とは考えもしないのだろう。大儲けした時に蓄えたはずの金はどこに行ったのか、その一部でも使って何とかならなかったのかと言うのは素人考えか。

 銀行の貸し渋りで小企業主達が困っている。「天気の良い時に傘を貸し、雨が降れば返せと迫る」と銀行が揶揄される所以だ。大銀行はかつて経営危機に陥った時には、公的資金を注入され立ち直ったことなど忘れたようだ。大銀行も大企業も儲け一点張りで、この未曾有の不況の時には、そのモラルの荒廃ぶりが露呈されたように思える。

 残虐な犯罪も多かった。特に東京・秋葉原などでの無差別殺人の横行はひどかった。若者が「誰でもよかったから、殺したかった」というあまりにも身勝手で歪んだ理由で犯行に及んだことは、日本の社会の病的な面が露呈したようだ。やはり現在の格差社会の歪みだろうか。今、香山リカ著『私は若者が嫌いだ!』(KKベストセラーズ)を読んでいるが、その中に紹介されている若者の姿には暗然とする。若者が希望を持てない社会、若者に希望が持てない社会は暗い。

 毒性の強いメタミドホスの混入した中国製餃子事件に始まり、食の安全が疑われる事例も続発し、毒性のある事故米を食用に転用した悪質な事件もあった。食品の偽装も後を絶たず、とりわけ大阪の有名高級料亭の産地偽装や料理の使い回しには世間は呆れた。廃業に追い込まれたのも当然だろう。食への不信が高まっている今、食に関わる企業のよりいっそうの高いモラルが望まれる。

 自然災害も、宮城・岩手地震や、8万人以上の死者・行方不明者を出した中国四川省大地震、13万人以上の死者・行方不明者を出したミャンマーのサイクロンなど大きな災害などがあった。このようなニュースには本当に心が痛む。

 米国では初のアフリカ系大統領が誕生するということで変化が期待されているが、翻って国内の政局を見ると、まことにお寒い限りだ。9月には前首相が突然政権を投げ出し、党内では圧倒的多数で後継総裁に選ばれた現首相の支持率は急下降しているが、まだ政権を手放さないでいる。党利党略、面子ばかりで、国民の不満、厳しい状況などには目が向かないのか。

 もちろん、日本人4人のノーベル賞受賞、北京オリンピックでの日本人選手の活躍など明るい話題も少なくなかったのだが、あまりにも暗いことが多かったためか、明るい話もかすむようだ。終り良ければすべて良しと言うが、何だかその反対で、終わり悪ければすべて悪るしのように思われてしまうような年の瀬だ。来年は少しでも良くなり、明るい話題が増えてほしいが、景気回復の方はどうも期待できないようだ。

 私自身は今年、例の後期高齢者の仲間入りをしたが、この1年も風邪ひとつ引かずに過ごせたことは有難かった。これまでの運動不足が祟ったのだろう、かなり足腰が弱ってきているが、頑健ではなくても健康で1年を終えることができたことを感謝して、今年を送りたい。


               蝋梅





しばらく会わないと

2008-12-30 09:37:59 | 身辺雑記
 師走の慌しい買い物の途中で、知人の女性を見かけた。お久し振りと声をかけると振り向いて驚いたような表情をした。

 しばらくお見かけしなかったので、どうされたのかと心配していましたと彼女は言い、お元気だったのですかと言った。その様子がちょっとおかしかったので、死んだのかと思われたのですかと冗談めかして尋ねたら、ばつが悪そうに頷いた。まだ殺してもらっては困りますねと言い、でもそんな年ですからねえと笑った。

 良いお年をと言い合って別れたが、その女性とは、道で出会ったら挨拶するくらいだが、半年くらいそんなことがなかった。私がだいぶ年を取っていることは知っているはずだから、半年も見かけなかったら、死んだかと思われるのか、そうか、そんな年になったのだなあと改めて思った。

 私にも同じような覚えはある。近くの道で時々すれ違う程度で、もちろん会釈することもなかったある高齢の男性をさっぱり見かけなくなった時には、ふと亡くなったのではないかと思った。背の高い、身なりのきちんとした人だが、病弱そうで顔色が悪かったので、なおさらそう思ったのだが、しばらくしてやはり亡くなったと耳にした。近所に住んでいた農家の男性だが、いつも元気そうに農作業に出ていたのに、ちょっと姿が見えないと思ったら亡くなっていたこともある。妻の友人だった非常に元気な女性は、それこそもう1年近く見ていない。やはり、あの人も70はだいぶ過ぎているだろうから、もしかしたらと考えてしまう。

 今日出会った女性は、近頃は身近に不幸が多くてと言っていたが、今年も年末年始欠礼挨拶状がかなり来た。80代、90代の母親や祖母を亡くしたというのが多い。とくに80代前半であると、やはり近いなと改めて己の年を思ってしまう。今日は笑い話ですんだが、いつかはそんな時が来ることは間違いない。

 ともあれ、今年も大過なく過ごせたことを喜びたい。明日は明日の風が吹くではないが、来年も何とか時の流れに身を任せて生きていこうとは思う。

             
             無錫の泥人形

江南の旅(6) 錦渓

2008-12-29 10:39:19 | 中国のこと
 甪直観光を済ませた夜は、やはり名の知れた水郷古鎮である周荘(周庄)にあるホテルに泊まり、翌日錦渓(チンシィ)に向いました。周荘も有名な水郷で、7年前に訪れたことがあるのですが、最近はかなり観光化していると聞きましたので、行く予定はありませんでした。錦渓は蘇州の東南35キロ、周荘から約8キロのところにあります。私たちの車のドライバーは、錦渓は良いところだと言っていました。

 錦渓に着くと広い駐車場がありましたが、月曜日の午前中ということもあってか、がらんとしていました。




 駐車場から西のほうに向うと広い池があり、そこにはコンクリートで作られた道がありました。道の北側の池は菱塘湾、南側を古蓮池と言うようです。

 道から見た美しい橋。古蓮橋と言い、手前が古蓮池、橋の向こうは五保湖という湖です。




 道から見た文昌閣という孔子を祭る建物、その向こうには蓮池禅院という寺院があります。明代のものです。


蓮池禅院




 蓮池禅院から入り、文昌閣の中を通り抜けると庭園に出ます。

 文昌閣の前の古い柏の樹。南宋の孝宗の手植えと言われ、樹齢千年以上のようですが、30年前の落雷のため枯れたとあります。


 文昌閣のあるところは島で、五保湖に面しています。湖の中に小さな島があり、陳妃水塚と言います。陳妃は南宋の孝宗の妃で、孝宗は陳妃を伴って錦渓に滞在していましたが、妃が病没したので五保湖に水葬し、蓮池禅院を建立しました。その後800年あまりの間は錦渓は「陳墓」と呼ばれていたそうです。


 文昌閣の近くの菱塘湾にある船着場で遊覧船に乗りました。ここでも漕ぎ手は女性です。船はいったん五保湖に出て陳妃水塚の近くに行き、一周して引き返しました。


 女船頭がよく通る声で歌いました。このあたりの民謡でしょう。


 船は槃亭橋という橋を通って菱塘湾に入り、奥の水路(市河)を遡ります。


 市河にはいくつかの橋がありますが、それぞれ違った趣があります。

 普慶橋


 右岸の屋根つきの通路(廊棚)


 両岸の風景。左岸の建物は上塘街に、右岸は下塘街に面しています。


 衆安橋


 周公橋。屋根があり廊橋といいます。


 小さな船着場。ここが終着点です。30分ほどのゆったりした時間を過ごすことができました。




行列 -その後-

2008-12-28 10:52:49 | 身辺雑記
 あるハンバーガーのチェーン店の大阪・御堂筋の店で新製品を発売したら、多数の客が押しかけたことを書いたが、その後日談があった。

 発売日には開店前から前日からの約20人の徹夜組も含めて約千人が行列を作り、当日は約1万5千人が来店して売り上げは約1千万円、1日の売り上げ記録を更新したということだったが、実は開店前の行列の中の約220人が、徹夜組も含めてアルバイトだったと言うのだ。このハンバーガー会社は、マーケティング会社に「商品の品質やサービス内容を調査したい」と依頼し、そこから大手人材派遣会社と、別の派遣業者が約1千人とアルバイト契約を結んだという。マーケティング会社に支払われた調査費にはバイト代やハンバーガーの購入代金が含まれていたようだ。大手人材派遣会社の募集広告には、「勤務地」は心斎橋近く、「まさかの簡単お仕事」などと言って、時給は千円。

 このハンバーガー会社は「商品の味や店のサービスを調べるのが目的で、行列を作るためや売り上げのためではない。1千人はマーケティング会社が有効なモニター数を得るのに必要と判断した数字で、こちらが頼んだ数字ではない」と言っているそうで、もっともらしいが何となく眉に唾をつけたくなる気もする。この会社は、先月も東京の店でイベント会社を通じて集めたアルバイトを並ばせ、盛況を演出していたようで、「あくまで店を盛り上げるイベント手法の一種で、サクラとの認識はない」と言ったようだが、つべこべ言うものだと思った。

 それにしても大阪の店の新製品発売の日には、テレビ局や新聞社が取材に押しかけ、ヘリコプターで上空から撮影したと言うが、これはいささか異常ではないか。私が読んでいる新聞もそれほど大きな記事ではなかったが、写真も添え、会社名も新製品名も実名で、製品の大きさや値段まで書いてあった。これではまるで広告だ、ハンバーガー会社のお先棒を担いでいると思った。ハンバー会社としてはほくそ笑んだのではなかろうか。以前にも米国産の牛肉の輸入が停止された時、ある大手の牛丼チェーン店が牛丼の発売を休止した日に、テレビ局が「最後の客」を仰々しく取材し、新聞でも報じられたし、再開のときも大きく取り上げられていた。国民の皆が皆ハンバーガーや牛丼をしょっちゅう食べているわけではなく、日常生活に大きな影響があるものでもないから、メディアの企業の宣伝まがいのこの種の騒々しい報道には辟易する。

 多数の派遣労働者たちが契約を打ち切られ、中には寮も追い出されて師走の寒空の中で途方に暮れているというのに、たかがちょっと大きいと言うハンバーガーに押し寄せるとは、何ともピント外れの「平和な」光景ではある。

中国のトイレ

2008-12-27 10:39:37 | 中国のこと
 これは、水郷古鎮の甪直の公衆トイレです。


 造りも凝っているのですが、とても清潔でした。奥の右手が男性用、左手が女性用です。入り口の左上には「洗手間」という表示があります。中国語でトイレは厠所(ススオ)と言い、普通に使われていますが、どちらかというと「便所」、洗手間(シショウチャン)は「お手洗い」という感じで、ホテルや大きなレストランでは洗手間と言ったほうがいいと聞いたことがあります。



 これは西安の、大雁塔のある大慈恩寺の境内にあったトイレです。


 寺院のトイレらしくなかなか豪華なつくりでしたが、「浄心閣」というのもお寺さんらしいと思いました。日本の寺院でこれほど立派なトイレは見たことがありません。

 11月の江南の旅で、公衆トイレを使うことがよくありましたが、どこでも清潔に保たれていました。蘇州の山塘街の公衆トイレも中は暗いのですが、常駐らしい勤務員が絶えず水で濡らしたモップで床を拭っていました。

 中国に行くことを敬遠する人にはこれまでによく出会いましたが、特に女性は「トイレが汚いのでしょう」と言います。観光旅行で行く程度なら、ホテルやレストランはもちろん、高速道路のパーキング・エリアのトイレも日本のものと変わらないと言っても信用されません。たしかに20年ほど前は大きな都市の公衆トイレでもかなりひどいものがあり、その頃北京に行った卒業生のT君は「それは、ものすごいものですよ」と言っていました。まして観光地などのトイレは入るのには勇気が要るようでした。

 今でも地方の、特に農村部のトイレはかなりすごいものです。山西省に行ったとき、目的地まで行く途中でガソリンスタンドにあるトイレを使ったことがありますが、コンクリートの床に長方形の穴があるだけで、仕切りも何もなく、穴から下を見ると足がすくむ思いをしたことがあります。北京から同行した女性ガイドは女性用の方をちょっと覗いただけで、「止めとこう」と呟きました。中国の都会人も地方のトイレは敬遠するようです。しかし、貴州省の旅の途中で立ち寄った小さなガソリンスタンドのトイレは実に清潔で、ガイドは「四星トイレですね」と言っていました。そこには壁に清潔に保つようにという注意書きが貼ってありましたから、管理者の意識しだいなのでしょう。

 旅行社企画の観光ツアーに参加する程度なら、トイレのことは心配することはまずないとは思いますが、個人旅行で地方に行こうとする場合にはある程度の覚悟は必要でしょう。特に女性の場合には仕切りが低く隣が丸見えという、俗に言う「ニイハオトイレ」に出くわすことは覚悟しておいたほうがいいかも知れません。

 中国に行ったことはないのに、中国は汚いと思っている人は少なくないようですが、中国人も私たちとあまり変わらないと思います。都市の道路には大きな箒を持って掃除をしている作業員の姿をよく見かけ非常にきれいにしていました。特に雲南省昆明の道路では、何人もの作業員が清掃していましたが、100メートルごとに受け持ち場所が決まっていて、1年間きれいに保てたら褒賞、不十分だと罰金だと聞きました。江南地方の水郷でも通路や道路にはごみは落ちていませんでした。観光客が多く訪れるので汚れるとは思いますが、絶えず掃除しているのでしょう。貴州のミャオ族の民宿に何度か泊まったことがありますが、部屋は塵ひとつなく清潔で快適でした。

 日本の観光地や駅のトイレも一昔前はかなりひどいもので、私は国鉄の駅のトイレを使うのは嫌でした。最近は清潔なものになりましたが、人によってはそういう感覚で今の中国を見てしまうのかも知れません。その国に行ったことがないと、断片的なあるいは古い話を頭に刷り込んでしまい、その国のイメージを作り上げてしまうことは、一部の欧米人からは日本が未だにフジヤマ、ゲイシャガール、サムライ、ニンジャの国と見られているようなものでしょう。日本の都会や観光地のトイレがだんだんきれいになってきたように、広大な中国のことですから時間はかかるでしょうが、しだいに衛生についての意識も深まり、改善されていくのではないかと思っています。

江南の旅(5) 

2008-12-26 09:30:09 | 中国のこと
 江南の水郷の1つである甪直を訪れました。甪は用の左肩にノが付いている見慣れない文字で、甪直は中国語でルゥチィ、日本語読みはロクチョクです。蘇州の東南18キロ、蘇州市呉中区にある古鎮です。この地には6000年前に栄えた良渚文化があった所です。午前中は無錫から太湖遊覧をし昼食を済ませてから訪れたので、あまり時間がなくゆっくりはできませんでしたが、小雨がぱらつく中でも日曜日であったためか大勢の観光客が見られました。人気があるのでしょう。

 甪直古鎮の入り口の牌坊




 甪直橋から見た古鎮の眺め。


 甪端広場にある甪端という想像上の怪獣の像。甪直のシンボルだそうです。


 街路


 水路


 水路には遊覧船が行き交います。


 遊覧船の漕ぎ手は皆女性です。


 甪直には橋が多く「古橋博物館」とも言われ、宋代から清代の古い橋が40座残っているそうです。




 水路の岸には庇のある通路が続いていて、いろいろな店があります。このような通路は廊棚(ランポン)と言い、この後に訪れた水郷にも特有の建築物です。






 古い民居








行列

2008-12-25 09:00:00 | 身辺雑記
 新聞に、ある大手ハンバーガーのチェーン店が、通常の約2.5倍の厚みのあるハンバーガーの新製品を近畿地域でも売り出すことになり、その第1号店になる大阪・心斎橋の店では発売時間前から長蛇の列ができたという記事があった。

 添えられた写真を見るとなるほど大変な人出で、さすがにほとんどは若者のようだ。


 物珍しさのためか、野次馬気分なのか、群集心理なのか、たかがハンバーガーの新製品が売り出されたくらいで仰々しい、その日限りのものではないのだから後で行けばいいではないかと可笑しく思った。

 私は行列に並ぶのが苦手だ。戦中戦後の物資、食料が乏しかった時代には行列に並ぶことは当たり前のことのようだったが、それは父母達のことで私には覚えがない。近頃はテレビなどで「行列のできる何とか」とかで、何の変哲もないラーメン屋に行列ができているような場面も出てくる。他店に比べてそれほど飛び抜けて旨いものだろうとは思えないのだが、長い間並んでやっとありつけたら旨いなあと思うのかも知れない。

 根がせっかちなのか、飲食店に限らず、遊園地などでも並ぶ気がしない、遊園地や博覧会では、よく1時間待ちとか2時間待ちとかいうのがあり、中には3時間待ちとかそれ以上のものもあって、それでも並んでいる人を見るとその辛抱強さには感心してしまう。私などは何時間どころか、10人並んでいても気後れし、20人30人ともなると欲しいものでも諦めてしまう。

 外国でもこのように行列を作ることはあるのだろうか。もちろん難民などが配給される食料に群れ集まる場面はニュースで見ることはあるが、特殊な場合だろう。中国以外の国にはほとんど行ったことはないから何とも言えないが、中国では上海の豫園商場にある人気の小龍包の店の前でしか見たことがない。それも観光客ばかりらしかった。だいたい中国人は行列を作ることなどするのだろうか。バスでも地下鉄でも並んで待っていることがない、上海駅で南京行きの列車を待合室で待っていたとき、時刻が来て改札口が開くとどっと乗客が押し寄せて、我勝ちに前に行こうとする。押し合いへし合するよりも並んだほうがスムーズに行くのではないかと思うのだが、お国柄というものか。

 行列を作って待つということは日本人の特性なのか。そしてそれは辛抱強いという国民性の表れとも言えるのか、よく分からない。




江南の旅(4) 蘇州④

2008-12-24 22:03:21 | 中国のこと
 山塘街から遊覧船に乗り、約30分で虎丘に着きました。虎丘は高さ36mの低い丘で、春秋時代の呉王夫差が父親の闔閭(こうりょ)を埋葬したと伝えられています。葬儀の3日後に白虎が現れて墓の上にうずくまったという伝説が虎丘の名の由来です。

 遊覧船の船着場からすぐに虎阜禅寺の境内に入ります。


 山門


 山門を通るとなだらかな坂道が続き、両側に伝説に由来する石などがあります。

 剣の切れ味を試したという試剣石


 石桃


 石枕


 真嬢という唐代蘇州の名妓の墓所。


 坂道を登りきると開けた場所に出ます。


 手前の石を千人石と言います。梁時代に千人の人がこの岩に座って高僧の話を聴いたのがその名の由来と言われています。前方左端に剣池があります。剣池は呉王を葬る時に3,000本の剣を副葬したと言われ、後に秦の始皇帝や呉の孫権が剣を掘り出そうとしましたが、見つけることができず、岩を穿った穴が池になったので剣池と呼ばれるようになったと言うことです。

 虎丘の頂上に雲巌寺塔、俗に虎丘塔と言う煉瓦(磚)造りの塔があります。宋代(961年)に建立されたもので八角七層、高さは47mと言うことです。400年前から地盤沈下で傾き始め、今では北西に15度傾斜していて、イタリアのピサの斜塔になぞらえられています。蘇州のシンボルです。


 垂直を示す柱。塔がかすかに傾いているのが分かります。


 虎丘を取り巻く水路




                 


喫煙死

2008-12-23 09:19:04 | 身辺雑記
 厚生労働省の研究班の調査によると、タバコが原因で病気になり、死亡する人は年間20万人近くに上ることが分かったそうだ。これまでにもいろいろな調査結果があったが、この20万人という数字はかなり大きいものだ。

 国内の4つの疫学調査データを解析した結果のようで、80~90年代に40~79歳の男女約29万7千人に喫煙習慣などを尋ね、約10年間追跡した結果、2万5700人が死亡していた。その中の喫煙率は男性54%、女性8%となっていた。また、過去に喫煙歴がある人も含めると、男性のうち27.8%、女性の6.7%が、たばこに関連した病気で死亡していたという。このようなデータを基にして05年の死亡統計にあてはめて計算すると、年間死亡者108万4千人のうち、たばこ関連の死亡者は男性16万3千人、女性3万3千人と推定されるという。

  05年時点の喫煙率は男性39%、女性11%のようで、10~20年前に比べると、男性の喫煙者は減少し、女性は増加しているから、今後はたばこに関連した病気になり死亡する人は男性で減り、女性で増えるという予想だ。実際私の見聞の範囲でも最近は女性、特に若い女性の喫煙はかなり増えていて、喫茶店などではびっくりするようなチェーンスモーカーも見かけるから、まったくの素人考えながら、20年後には肺癌死する女性が増えるぞなどとよく言っていた。
 
 この調査では、喫煙者が病死するリスクを非喫煙者と比較すると、男性では(1)消化性潰瘍(胃潰瘍、十二指腸潰瘍)7.1倍(2)喉頭癌5.5倍(3)肺癌4.8倍(4)くも膜下出血2.3倍。女性では(1)肺癌3.9倍(2)慢性閉塞(へいそく)性肺疾患(COPD)3.6倍(3)心筋梗塞(こうそく)3倍(4)子宮頸(けい)癌2.3倍などだったという。

 あるテレビのニュースで、この結果について街頭で2人の男性にインタビューしていたが、1人は「怖いと思うが止められそうもない」と答え、もう1人も「止められない」と言い、「喫煙しても(病気に)ならないこともあるから自己責任でしょう」と言っていた。自己責任は結構だが、受動喫煙ということが問題になっていることくらいは知ってもらわないと非喫煙者としては困りますと言いたい。2001年にWHOは世界禁煙デーに際して「受動喫煙によって人口100万人当たり年間147~251人の死亡者が発生する」と警告している。この数字を日本にあてはめると2~3万人に相当するらしいが、これは主に分煙の徹底したアメリカのデータを基にしての試算だから、分煙が遅れていて非喫煙者のほぼすべてが受動喫煙者であるような日本では、実際の犠牲者がこれより多くなっても不思議ではないという意見もある。

 私はかつてよく吸っていた。1日に20本は普通で、会議があったり忙しかったりすると30本以上になった。その頃の自分や巷で見る喫煙者の姿から思うことは、どうも喫煙者は概して行儀が悪いと言うか、TPOのけじめがつかないところがあるように思う。特に食事中の喫煙は今の私にとってはとても嫌なことだ。以前吸っていた経験から、たばこの「うまさ」や喫煙の快感はよく分かるのだが、やはり周囲を慮ってほしいと思う。

  たばこを止めて40年以上になり、もう肺もきれいになっているのではないかと思うのだが、その後教育委員会の事務局にいたときに、左右と前の席の同僚がヘビースモーカーでひっきりなしに濃い煙がやってきて、のどを痛め、時には気分が悪くなったこともあった。また最後に勤めた学校の職員会議でも喫煙は野放しだったから、ひょっとすると将来あの受動喫煙が原因の病気になり、死ぬこともあるかも知れないと思うと忌々しくなることもある。

            

江南の旅(3) 蘇州③

2008-12-22 18:17:18 | 中国のこと
山塘河風景
 山塘街の途中で遊覧船に乗り、虎丘に向いました。エンジン付きの船で、手漕ぎ船のようなゆったりした情緒はありませんでしたが、船内には蘇州の楽曲の評弾が流されて楽しむことができました。