盛唐の詩人張継の七言絶句「楓橋夜泊」は夙に有名で、とりわけわが国ではよく知られているのではないかと思う。
月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船
(月落ち烏啼いて霜天に満つ 江楓の漁火愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺 夜半の鐘声客船に到る)
姑蘇は蘇州の古称。寒山寺は旧蘇州城から西の方にある。現在は市内だが、昔は郊外である。
この詩から寒山寺、とりわけその鐘は有名になり、日本からは毎年大晦日になると観光客がたくさん訪れて、除夜の鐘を聴きながら年を越すのだそうだ。NHKの「行く年来る年」でも寒山寺は紹介されたように記憶する。もっとも中国では除夜(除夕)、新年は旧暦だから、本来は旧暦の大晦日に聴くのがいいのではないか。それはともかくとして、大晦日に限らず蘇州に来て寒山寺を訪れない観光客はないだろう。私も今回で3回目であった。
寒山寺のすぐそばを流れる京杭運河に架けられた石造りのアーチ橋があり、江村橋と言う。張継はこの橋の近くに舫った船中で一夜を過して、夜半に寒山寺の鐘声を聴いたのではないかと想像されて、この橋が彼の詩の題である楓橋とよく間違われるそうだが、楓橋は別の所にあると言う。
寒山寺の入り口。大きな山門のようなものはなく、入り口も小さく目立たない。中国の寺の塀や建物は尊い色とされる黄色に塗られていることが多い。
中に入ると意外に奥行きがあり、本殿(大雄宝殿)の前も広い。
大雄宝殿の中に祭られている金色の本尊。
鐘楼。ここに寒山寺の鐘がある。2階に鐘があり参詣客は撞くことが出来るが有料である。
一番奥には回廊に囲まれた塔がある。普明宝塔と言う。
回廊にはたくさんの書が掲げられている。やはり張継の楓橋夜泊が多い。
塔周囲の四隅には獅子のような怪獣の像がある。財産が出来ることを叶えるものと長寿を叶えるものの2つがある。日本人が寄進したものである。
財産
長寿
幼い子が祖父と一緒に写真を撮っていた。財産に恵まれるようにという願いだろう。
回廊入り口前の詩碑。
同行したH君は、張継の詩から寒山寺がもっと鄙びたものと思っていたようで、実際にはかなり大きいのが意外だったと言っていた。今でこそ観光名所として多くの人が訪れるが、張継が「楓橋夜泊」を詠んだ唐代の寒山寺はどのようなものだったのか。あれこれ想像を掻き立てられる。
月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船
(月落ち烏啼いて霜天に満つ 江楓の漁火愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺 夜半の鐘声客船に到る)
姑蘇は蘇州の古称。寒山寺は旧蘇州城から西の方にある。現在は市内だが、昔は郊外である。
この詩から寒山寺、とりわけその鐘は有名になり、日本からは毎年大晦日になると観光客がたくさん訪れて、除夜の鐘を聴きながら年を越すのだそうだ。NHKの「行く年来る年」でも寒山寺は紹介されたように記憶する。もっとも中国では除夜(除夕)、新年は旧暦だから、本来は旧暦の大晦日に聴くのがいいのではないか。それはともかくとして、大晦日に限らず蘇州に来て寒山寺を訪れない観光客はないだろう。私も今回で3回目であった。
寒山寺のすぐそばを流れる京杭運河に架けられた石造りのアーチ橋があり、江村橋と言う。張継はこの橋の近くに舫った船中で一夜を過して、夜半に寒山寺の鐘声を聴いたのではないかと想像されて、この橋が彼の詩の題である楓橋とよく間違われるそうだが、楓橋は別の所にあると言う。
寒山寺の入り口。大きな山門のようなものはなく、入り口も小さく目立たない。中国の寺の塀や建物は尊い色とされる黄色に塗られていることが多い。
中に入ると意外に奥行きがあり、本殿(大雄宝殿)の前も広い。
大雄宝殿の中に祭られている金色の本尊。
鐘楼。ここに寒山寺の鐘がある。2階に鐘があり参詣客は撞くことが出来るが有料である。
一番奥には回廊に囲まれた塔がある。普明宝塔と言う。
回廊にはたくさんの書が掲げられている。やはり張継の楓橋夜泊が多い。
塔周囲の四隅には獅子のような怪獣の像がある。財産が出来ることを叶えるものと長寿を叶えるものの2つがある。日本人が寄進したものである。
財産
長寿
幼い子が祖父と一緒に写真を撮っていた。財産に恵まれるようにという願いだろう。
回廊入り口前の詩碑。
同行したH君は、張継の詩から寒山寺がもっと鄙びたものと思っていたようで、実際にはかなり大きいのが意外だったと言っていた。今でこそ観光名所として多くの人が訪れるが、張継が「楓橋夜泊」を詠んだ唐代の寒山寺はどのようなものだったのか。あれこれ想像を掻き立てられる。
10月に大学時代の同学科の同窓会があった。理学部と教育学部の生物学専攻の者の集まりだ、毎年地元広島の学友達が世話をしてくれる。数年前までは毎年1人ずつ他界して寂しい思いをしたが、幸い最近は訃報はない。今年の懇親会でそれぞれの近況報告になると、ほとんどが健康状態についてで、やはり年だなあと思い知らされた。特に男性では前立腺癌で手術したと言うものが3人もいて「前立腺3兄弟」などと戯言を言っていた。皆他人事ではないと思うのか熱心に質問したり、女性などはメモを取ったりしていた。来年の会まで、それぞれが健康に注意して元気に過ごしたいと願いながら別れた。
卒業生達とは頻繁に会ってきているが、60歳に近づくにつれて話題が年金に関することが多くなり、近頃はやはり健康のことが何かと話題になる。かつての高校生時代の教え子達の姿を想像すると歳月の歩みの速さに驚きもするが、これが現実なのだろう。
年を取ったことをどのようのことで自覚するかは人によってさまざまだろう。私の場合は40歳を過ぎてまず目に来た。いわゆる老眼だが、始まってみるとどんどん進行して老眼鏡が必要になっても、その他は特に何ともなかったから、老いを自覚し嘆くことはなかった。しかし、老眼鏡をかけながら人を見る時に少し顔を下げ、眼鏡の上縁越しに上目遣いのようにするので、年寄りくさいよと言われたことはあった。今でも目のほかは聴覚も嗅覚も正常だし、歯もこれまで2本抜いただけである。40歳からはじめた血液検査の数値もまったく正常だから、まずは健康体と言えるのだろう。
しかし、残念ながら若い頃の鍛錬不足の報いが70歳を過ぎた頃から顕著になってきて、まず、少し歩いただけで脚が痛むようになった。膝も重い。最近では腰から背中にかけてひどくだるさを感じることが多い。日常の起居に疲れを感じることも少なくない。ブログ友の北海道のSさんは毎日朝夕2時間のウォーキングを欠かさず、パークゴルフにも熱心だし、隣の市に住むGさんも早朝ウォーキングですでに1万キロを超えたといい、ゴルフもやっている。継続は力なりと言うが、私には真似のできない健康管理だと、我が身を顧みてつくづく悔やまれる。
街への行き帰りの途中にちょっとした坂がある。100メートル程度のものだが少し急で3段になっている。傾斜も緩やかとは言えず、雪が降った時などは下りて行くのが危なっかしいこともあった。この坂はかつてはその日の体調の良し悪しを判断するバロメーターのような所だった。さっさっと上がって行けたら体調は良く、少し体が重く感じられるようなら不調と分かった。その目安でいけば、今は毎日が不調だ。街から帰ってこの坂まで来て先を見上げると既に気分が重くなり、とぼとぼと歩いて上がっているうちに、時には立ち止まって休み、肩で息をすることもある。
下から見上げて溜息をつく。
傾斜の大きい2番目の坂。
まだある3番目の坂。
100歳になってもヒマラヤやアルプスに行きスキーで滑降するような人もいるのに、こんな坂ぐらいでと情けなくもなる。この坂は嫌でも私に年を取ったことを思い知らせる忌々しい場所だ。
身体のことはいくら嘆いても最早後の祭りだから、せめて精神面では若さを保っていきたい。些細なことに腹を立てたり、いらいらしたりすることのないように気をつけ、坂道をゆっくり上がるように生きていこう。何よりもこれまでどおり好奇心を旺盛にしていこうと思う。
卒業生達とは頻繁に会ってきているが、60歳に近づくにつれて話題が年金に関することが多くなり、近頃はやはり健康のことが何かと話題になる。かつての高校生時代の教え子達の姿を想像すると歳月の歩みの速さに驚きもするが、これが現実なのだろう。
年を取ったことをどのようのことで自覚するかは人によってさまざまだろう。私の場合は40歳を過ぎてまず目に来た。いわゆる老眼だが、始まってみるとどんどん進行して老眼鏡が必要になっても、その他は特に何ともなかったから、老いを自覚し嘆くことはなかった。しかし、老眼鏡をかけながら人を見る時に少し顔を下げ、眼鏡の上縁越しに上目遣いのようにするので、年寄りくさいよと言われたことはあった。今でも目のほかは聴覚も嗅覚も正常だし、歯もこれまで2本抜いただけである。40歳からはじめた血液検査の数値もまったく正常だから、まずは健康体と言えるのだろう。
しかし、残念ながら若い頃の鍛錬不足の報いが70歳を過ぎた頃から顕著になってきて、まず、少し歩いただけで脚が痛むようになった。膝も重い。最近では腰から背中にかけてひどくだるさを感じることが多い。日常の起居に疲れを感じることも少なくない。ブログ友の北海道のSさんは毎日朝夕2時間のウォーキングを欠かさず、パークゴルフにも熱心だし、隣の市に住むGさんも早朝ウォーキングですでに1万キロを超えたといい、ゴルフもやっている。継続は力なりと言うが、私には真似のできない健康管理だと、我が身を顧みてつくづく悔やまれる。
街への行き帰りの途中にちょっとした坂がある。100メートル程度のものだが少し急で3段になっている。傾斜も緩やかとは言えず、雪が降った時などは下りて行くのが危なっかしいこともあった。この坂はかつてはその日の体調の良し悪しを判断するバロメーターのような所だった。さっさっと上がって行けたら体調は良く、少し体が重く感じられるようなら不調と分かった。その目安でいけば、今は毎日が不調だ。街から帰ってこの坂まで来て先を見上げると既に気分が重くなり、とぼとぼと歩いて上がっているうちに、時には立ち止まって休み、肩で息をすることもある。
下から見上げて溜息をつく。
傾斜の大きい2番目の坂。
まだある3番目の坂。
100歳になってもヒマラヤやアルプスに行きスキーで滑降するような人もいるのに、こんな坂ぐらいでと情けなくもなる。この坂は嫌でも私に年を取ったことを思い知らせる忌々しい場所だ。
身体のことはいくら嘆いても最早後の祭りだから、せめて精神面では若さを保っていきたい。些細なことに腹を立てたり、いらいらしたりすることのないように気をつけ、坂道をゆっくり上がるように生きていこう。何よりもこれまでどおり好奇心を旺盛にしていこうと思う。
隣の市に住むブログ友のGさんのブログで、近くにコスモスが群生している場所があることを知った。コメントを入れて場所を尋ねて教えていただいた。その近くに住む卒業生のH君夫妻に尋ねたら、知っています、一緒に行きましょうと言ってくれた。いつもながらH君夫妻は気さくに付き合ってくれる。
私の住んでいる市を通って流れている武庫川は、下流に行くほど幅が広くなり、広い河川敷もつくっていて、そこにはジョギングやウォーキングをする人達の道もある。その一部にコスモスの群生地がある。群生地と言っても自然のものではなく、ボランティアの人達が植えたものだと言う。そこには臨時の駐車場も設けられていて、ちょうどその最終日だったのは幸運だった。
10時半ごろ着いてみると、かなり広い範囲にわたってコスモスが植えられていて、なかなか見事な眺めである。
Gさんのブログによると、1万3000平方メートルの敷地に約550万本が植えられているそうだ。市民ボランティアの人たちの善意、熱意、行動力には頭が下がる思いがした。
コスモスもこうやって改めて見ると、色彩や花弁の形にはいろいろある。
暖かい日差しの中で、ハナアブが花から花へと飛び回っていた。
黄花コスモス。これまで見た記憶がないコスモス。
江戸時代、西に通じる西国街道は武庫川のこのあたりで切れるために、川を越える渡し場があった。街道沿いのある村に髭を生やした老人が営む茶屋があったことから、この渡しは「髭の渡し」と呼び慣わされたという。そのいわれに因んだものか、古い形の鳥居と常夜灯があり、髭の老人の石像が祭られている。常夜灯に刻まれた文字はかなり摩滅していて、いつ頃のものかは判らなかった。
春のような暖かい日で風もなく、花を見るのには絶好の日和だった。近くには国内線専用の大阪空港があり、ちょうど出発する機が多い時刻らしく、次々に飛び立つと上昇してから旋回し、私達の真上を飛んでいった。その爆音ものどかに響き、なおさら春のような気配を深めていた。
川にはユリカモメやサギなどの姿も見られ、これも春のような穏やかな風情である。
大きな松の木の下の、少し土が盛り上がった所に持ってきたシートを広げ、H君夫人手作りのサンドイッチをつまみ、熱いコーヒーを飲んだ。夫妻のお蔭で思いがけないピクニック気分を味わうことができた良い日であった。
私の住んでいる市を通って流れている武庫川は、下流に行くほど幅が広くなり、広い河川敷もつくっていて、そこにはジョギングやウォーキングをする人達の道もある。その一部にコスモスの群生地がある。群生地と言っても自然のものではなく、ボランティアの人達が植えたものだと言う。そこには臨時の駐車場も設けられていて、ちょうどその最終日だったのは幸運だった。
10時半ごろ着いてみると、かなり広い範囲にわたってコスモスが植えられていて、なかなか見事な眺めである。
Gさんのブログによると、1万3000平方メートルの敷地に約550万本が植えられているそうだ。市民ボランティアの人たちの善意、熱意、行動力には頭が下がる思いがした。
コスモスもこうやって改めて見ると、色彩や花弁の形にはいろいろある。
暖かい日差しの中で、ハナアブが花から花へと飛び回っていた。
黄花コスモス。これまで見た記憶がないコスモス。
江戸時代、西に通じる西国街道は武庫川のこのあたりで切れるために、川を越える渡し場があった。街道沿いのある村に髭を生やした老人が営む茶屋があったことから、この渡しは「髭の渡し」と呼び慣わされたという。そのいわれに因んだものか、古い形の鳥居と常夜灯があり、髭の老人の石像が祭られている。常夜灯に刻まれた文字はかなり摩滅していて、いつ頃のものかは判らなかった。
春のような暖かい日で風もなく、花を見るのには絶好の日和だった。近くには国内線専用の大阪空港があり、ちょうど出発する機が多い時刻らしく、次々に飛び立つと上昇してから旋回し、私達の真上を飛んでいった。その爆音ものどかに響き、なおさら春のような気配を深めていた。
川にはユリカモメやサギなどの姿も見られ、これも春のような穏やかな風情である。
大きな松の木の下の、少し土が盛り上がった所に持ってきたシートを広げ、H君夫人手作りのサンドイッチをつまみ、熱いコーヒーを飲んだ。夫妻のお蔭で思いがけないピクニック気分を味わうことができた良い日であった。
74歳の男性が運転する軽乗用車が高速道路を逆走して、避けようとしたワゴン車が横転して7人が重軽傷を負ったという記事を読んだ。男性の車はそのまま逆送を続け、現場から8キロの地点でパトカーに制止されてやっと止まったと言う。
74歳と言えば私と同い年である。高齢者が運転しているのはよく見かけるが、いつも内心では危ないのではないかと思う。もちろん70歳を過ぎても運転の上手な人はいるだろうが、一般的には加齢とともに反射神経も鈍ってくるのが普通ではないか。以前も農作業に出た80代の男性が運転する車が道路わきから転落し、同乗の奥さんともども死亡したという痛ましいニュースを読んだことがある。止むを得ない事情もあるだろうが、やはり高齢になれば運転は控えた方がいいと思う。先日ある会で会った私より5歳年上の知人に車のことを尋ねたら、65歳の時に返上したと言っていた。その市では2人目ですと言われたそうだから、この知人は立派だと思うが、年を取っても免許状を手放さない人は多いのだろう。
この逆走事故で問題なのは運転していた老人が認知症だったことだ。普段は家族が同乗し、その道案内で運転していたそうだが、この日は1人で運転して家を出て、その後行方不明になっていて、家族から捜索願が出されていたという。この男性の認知症がどの程度のものかは不明だが、運転はできるのだからかなり重いということはないのだろう。しかしそれでもこの家族の扱いは疑問に思う。私の高校時代の同窓生の1人は60歳になってからアルツハイマーの症状が出てしだいに進行し、最後はいわゆる植物人間のような状態になったらしいが最近亡くなった。彼も運転はしていたようで、初期の症状の頃に同乗した友人は、信号を無視するなどで怖い思いをしたという。家族は心配して車を処分してしまったそうだ。それが普通の正しい判断だろう。
私は車の運転はできないが、車の事故の恐ろしさは毎日のように新聞で見る。酒酔い運転は論外で悪質だが、正常な場合でも思わぬ判断ミスで事故を引き起こすことはよくあるようだ。高齢者ならば判断ミスの確率も高くなるだろう。まして認知症の場合は危険の度合いが大きいのではないか。
認知症の運転免許保有者は全国で30万人以上と推定されているようだが、それが理由の免許取り消しは昨年6月までに僅か192人だそうだ。免許は個人の権利で、家族が返納したいと言っても本人が了承しない限り難しいのだという。今年6月の道交法の改正で75歳以上の高齢者には認知機能検査が義務付けられ、検査の結果で免許更新の可否を判断することになるようだ。しかし公的に可否を判断される前に、私の学友の家族のように車を処分するくらいのことを家族はした方がいい。たとえそのことで本人とトラブルがあっても、他人を殺傷するようなことになるおそれがあることを考えればできないことはないだろう。
74歳と言えば私と同い年である。高齢者が運転しているのはよく見かけるが、いつも内心では危ないのではないかと思う。もちろん70歳を過ぎても運転の上手な人はいるだろうが、一般的には加齢とともに反射神経も鈍ってくるのが普通ではないか。以前も農作業に出た80代の男性が運転する車が道路わきから転落し、同乗の奥さんともども死亡したという痛ましいニュースを読んだことがある。止むを得ない事情もあるだろうが、やはり高齢になれば運転は控えた方がいいと思う。先日ある会で会った私より5歳年上の知人に車のことを尋ねたら、65歳の時に返上したと言っていた。その市では2人目ですと言われたそうだから、この知人は立派だと思うが、年を取っても免許状を手放さない人は多いのだろう。
この逆走事故で問題なのは運転していた老人が認知症だったことだ。普段は家族が同乗し、その道案内で運転していたそうだが、この日は1人で運転して家を出て、その後行方不明になっていて、家族から捜索願が出されていたという。この男性の認知症がどの程度のものかは不明だが、運転はできるのだからかなり重いということはないのだろう。しかしそれでもこの家族の扱いは疑問に思う。私の高校時代の同窓生の1人は60歳になってからアルツハイマーの症状が出てしだいに進行し、最後はいわゆる植物人間のような状態になったらしいが最近亡くなった。彼も運転はしていたようで、初期の症状の頃に同乗した友人は、信号を無視するなどで怖い思いをしたという。家族は心配して車を処分してしまったそうだ。それが普通の正しい判断だろう。
私は車の運転はできないが、車の事故の恐ろしさは毎日のように新聞で見る。酒酔い運転は論外で悪質だが、正常な場合でも思わぬ判断ミスで事故を引き起こすことはよくあるようだ。高齢者ならば判断ミスの確率も高くなるだろう。まして認知症の場合は危険の度合いが大きいのではないか。
認知症の運転免許保有者は全国で30万人以上と推定されているようだが、それが理由の免許取り消しは昨年6月までに僅か192人だそうだ。免許は個人の権利で、家族が返納したいと言っても本人が了承しない限り難しいのだという。今年6月の道交法の改正で75歳以上の高齢者には認知機能検査が義務付けられ、検査の結果で免許更新の可否を判断することになるようだ。しかし公的に可否を判断される前に、私の学友の家族のように車を処分するくらいのことを家族はした方がいい。たとえそのことで本人とトラブルがあっても、他人を殺傷するようなことになるおそれがあることを考えればできないことはないだろう。
秋も深まり、冬も近い。春に花が咲き誇っていた木々も冬篭りに入ろうとしている。その中でいくつかの木は美しい赤い実をつけている、春から初夏にかけて白い花をつけていたものもある。それをいくつか見てみた。
ピラカンサス
花は密集して咲くので目を引くがそれ以外には特に目立ったものではないが、実も密集して着き見事である。
ハナミズキ
花は大きいが、実は小さく美しい。紅葉した葉も美しく、一枝切って床の間にでも飾ればいいだろうと思う。もっとも我が家には床の間などはない。
コブシ
春先に大きな花を咲かせ、やがて少々奇怪な形の実を着ける。秋になると赤く熟した実が割れて、細い糸をつけた種子が落ちる。カラスが群れて食べていた。
ナンテン
葉も実も赤く美しい。葉は料理のあしらいなどによく使われる。
ネズミモチ
これは花は白いが実は赤ではなく紫がかった黒。
ピラカンサス
花は密集して咲くので目を引くがそれ以外には特に目立ったものではないが、実も密集して着き見事である。
ハナミズキ
花は大きいが、実は小さく美しい。紅葉した葉も美しく、一枝切って床の間にでも飾ればいいだろうと思う。もっとも我が家には床の間などはない。
コブシ
春先に大きな花を咲かせ、やがて少々奇怪な形の実を着ける。秋になると赤く熟した実が割れて、細い糸をつけた種子が落ちる。カラスが群れて食べていた。
ナンテン
葉も実も赤く美しい。葉は料理のあしらいなどによく使われる。
ネズミモチ
これは花は白いが実は赤ではなく紫がかった黒。
汗風味
米国のシアトルに拠点を置く、ある飲料メーカーが汗の風味がする炭酸飲料を発売するという記事を読んだ。地元のプロフットボールチームのファンに向けた限定版だそうで、この他にも土、スポーツクリーム、天然芝、勝利の喜びと言う5種類の風味が用意されていると言うことだ。
それにしても汗の風味とはどんなものなのだろう。少し塩気と酸味があり、かすかに汗臭いのか。どうにも願い下げにしたいような代物だ。かつて日本のある飲料メーカーが「○○○スウェット」と言う名称のスポーツ飲料を売り出して人気が出て今でも見かけるが、当初は米国に輸出しようとしたが、飲料にスウェット(汗)と言う単語がついているのはどうもと敬遠されたと聞いたことがある。もちろんこの飲料は汗の風味がしているわけではない。それがそのものずばりの汗の風味とは、どんな味かは分からないが実際に米国人はこんなものを飲むのだろうか。それとも一部の熱狂的なファンは珍重するのか。スポーツクリーム風味などは想像しただけで胸が悪くなりそうだ。それにしても「勝利の喜び」風味とはなおさらわけが分からない。
前に米国の菓子メーカーの記録をテレビで見たことがあるが、「鼻くそ味」など果してこんなものを買う者がいるのかと呆れ返るほどのさまざまな味のキャンディーかヌガーかを販売している会社があった。米国人一流のジョーク商品で面白がられるのかもしれないが、いくらジョークを解さない国民だという謗りを受けていても、日本人の食に対する繊細な感覚にはまったく合わないように思う
高級せんべい
新潟のある米菓会社が、税抜き1万円のせんべいを1000箱限定で売り出すという記事もあった。取れたての魚沼産コシヒカリを生地にして加工し、職人が一枚一枚炭火で焼き上げたもので、炭は新潟三川村特産の楢の木、味付けの醤油や砂糖も有機栽培のものだそうだ。これが桐箱に30枚入って1万円。1枚あたり333円。安いか妥当な値段か、高いかと思うのは人さまざまだろう。桐箱入りとは、せんべいも出世したものだ。
この米菓会社は「日本一おいしいせんべいをつくりたい」という意気込みでつくったのだそうだ。その意気込みは分からないでもないが、さて、何をもって「日本一おいしい」ことになるのだろうか。巷ではよくこの言葉が使われ、「日本一おいしいラーメン屋」などというのもある。もちろん誰かが日本中のラーメンを食べ比べて、この店が日本一と評価を下したはずはないから、とてもおいしいよと自負している程度なのだろう。このせんべいも確かに材料を吟味し手間をかけてつくったものだそうだから、もちろん味は良いのだろうが、日本一かどうかは食べる人によって感想はさまざまだろう。第一、その食べる者も全国のせんべいを食べつくしたわけではないから、日本一かどうかは分からない。やはり高いだけあって、なかなかの味だと思う程度ではないか。
人の味覚などはさまざまなもので、私が知っているある卒業生は、このところ食品偽装で話題になっている大阪の有名高級料理店の料理を食べる機会があったそうだが、少しも美味くなかったと言った。それで舌が肥えているのかと思っていたら、即席うどんのつゆがうまいので好きだなどと言ったから、結局味が分からないのじゃないかと冷やかしたことがある。
希少焼酎
ひところ鹿児島の酒造メーカーの芋焼酎が話題になり、高価でしかも品薄、幻の焼酎とも言われたようだし、インタネットで10万円の値がついて、贋物も出たそうだ。このメーカーのホームページを見ると、これも桐箱入りで、1.8リットルで税抜き42,800円、確かに高い。私はアルコール類はとんとだめだから、この焼酎がどれほどうまいものかは想像もできないし、実際のこの値段が妥当なものかも分からない。ただ一般的には高いものは良いものだと言う信仰のようなものがあるから、これこそ最高だと思う人もいるだろうが、反面それほどのものではないという人も当然いるだろう。
ウイスキーや日本酒の中にはボトルに高価な焼き物を使った目を剥くような高価なものが発売されることがあるが、こうなると、中身そのものよりも容器を買うようなものだろう。フランスのコニャックでもバカラと言う高級ガラスを使った容器に入れたものはずいぶん高い。コニャックは、コニャック地方で収穫された葡萄から醸造されたブランデー以外にはその名が使えないブランドだが、そこに隣接している農園で作られたブランデーの中にはコニャックの高級品に劣らない良いものがあると聞いたことがある。もちろん値段ははるかに安いらしい。
アルコール類にはほとんど縁がなく食通でもない私が言っても説得力はないだろうが、酒にしても料理にしても、人が笑おうと、軽蔑しようと、自分がおいしいと思えばそれでいいじゃないかと思うことがある。飲んだり食べたりする場合には、その場の雰囲気と言うものがある。雰囲気が良ければささやかな酒肴でも最高だと陶然とすることもあるだろうし、素朴な手料理でも味わい深いと満足することもあるだろう。私はずっと独居生活だから、外食するにしても家で食べるにしても食事の雰囲気はまことにわびしい。一人でも雰囲気を作って食事を楽しむ人もあるようだが、羨ましく思う。
米国のシアトルに拠点を置く、ある飲料メーカーが汗の風味がする炭酸飲料を発売するという記事を読んだ。地元のプロフットボールチームのファンに向けた限定版だそうで、この他にも土、スポーツクリーム、天然芝、勝利の喜びと言う5種類の風味が用意されていると言うことだ。
それにしても汗の風味とはどんなものなのだろう。少し塩気と酸味があり、かすかに汗臭いのか。どうにも願い下げにしたいような代物だ。かつて日本のある飲料メーカーが「○○○スウェット」と言う名称のスポーツ飲料を売り出して人気が出て今でも見かけるが、当初は米国に輸出しようとしたが、飲料にスウェット(汗)と言う単語がついているのはどうもと敬遠されたと聞いたことがある。もちろんこの飲料は汗の風味がしているわけではない。それがそのものずばりの汗の風味とは、どんな味かは分からないが実際に米国人はこんなものを飲むのだろうか。それとも一部の熱狂的なファンは珍重するのか。スポーツクリーム風味などは想像しただけで胸が悪くなりそうだ。それにしても「勝利の喜び」風味とはなおさらわけが分からない。
前に米国の菓子メーカーの記録をテレビで見たことがあるが、「鼻くそ味」など果してこんなものを買う者がいるのかと呆れ返るほどのさまざまな味のキャンディーかヌガーかを販売している会社があった。米国人一流のジョーク商品で面白がられるのかもしれないが、いくらジョークを解さない国民だという謗りを受けていても、日本人の食に対する繊細な感覚にはまったく合わないように思う
高級せんべい
新潟のある米菓会社が、税抜き1万円のせんべいを1000箱限定で売り出すという記事もあった。取れたての魚沼産コシヒカリを生地にして加工し、職人が一枚一枚炭火で焼き上げたもので、炭は新潟三川村特産の楢の木、味付けの醤油や砂糖も有機栽培のものだそうだ。これが桐箱に30枚入って1万円。1枚あたり333円。安いか妥当な値段か、高いかと思うのは人さまざまだろう。桐箱入りとは、せんべいも出世したものだ。
この米菓会社は「日本一おいしいせんべいをつくりたい」という意気込みでつくったのだそうだ。その意気込みは分からないでもないが、さて、何をもって「日本一おいしい」ことになるのだろうか。巷ではよくこの言葉が使われ、「日本一おいしいラーメン屋」などというのもある。もちろん誰かが日本中のラーメンを食べ比べて、この店が日本一と評価を下したはずはないから、とてもおいしいよと自負している程度なのだろう。このせんべいも確かに材料を吟味し手間をかけてつくったものだそうだから、もちろん味は良いのだろうが、日本一かどうかは食べる人によって感想はさまざまだろう。第一、その食べる者も全国のせんべいを食べつくしたわけではないから、日本一かどうかは分からない。やはり高いだけあって、なかなかの味だと思う程度ではないか。
人の味覚などはさまざまなもので、私が知っているある卒業生は、このところ食品偽装で話題になっている大阪の有名高級料理店の料理を食べる機会があったそうだが、少しも美味くなかったと言った。それで舌が肥えているのかと思っていたら、即席うどんのつゆがうまいので好きだなどと言ったから、結局味が分からないのじゃないかと冷やかしたことがある。
希少焼酎
ひところ鹿児島の酒造メーカーの芋焼酎が話題になり、高価でしかも品薄、幻の焼酎とも言われたようだし、インタネットで10万円の値がついて、贋物も出たそうだ。このメーカーのホームページを見ると、これも桐箱入りで、1.8リットルで税抜き42,800円、確かに高い。私はアルコール類はとんとだめだから、この焼酎がどれほどうまいものかは想像もできないし、実際のこの値段が妥当なものかも分からない。ただ一般的には高いものは良いものだと言う信仰のようなものがあるから、これこそ最高だと思う人もいるだろうが、反面それほどのものではないという人も当然いるだろう。
ウイスキーや日本酒の中にはボトルに高価な焼き物を使った目を剥くような高価なものが発売されることがあるが、こうなると、中身そのものよりも容器を買うようなものだろう。フランスのコニャックでもバカラと言う高級ガラスを使った容器に入れたものはずいぶん高い。コニャックは、コニャック地方で収穫された葡萄から醸造されたブランデー以外にはその名が使えないブランドだが、そこに隣接している農園で作られたブランデーの中にはコニャックの高級品に劣らない良いものがあると聞いたことがある。もちろん値段ははるかに安いらしい。
アルコール類にはほとんど縁がなく食通でもない私が言っても説得力はないだろうが、酒にしても料理にしても、人が笑おうと、軽蔑しようと、自分がおいしいと思えばそれでいいじゃないかと思うことがある。飲んだり食べたりする場合には、その場の雰囲気と言うものがある。雰囲気が良ければささやかな酒肴でも最高だと陶然とすることもあるだろうし、素朴な手料理でも味わい深いと満足することもあるだろう。私はずっと独居生活だから、外食するにしても家で食べるにしても食事の雰囲気はまことにわびしい。一人でも雰囲気を作って食事を楽しむ人もあるようだが、羨ましく思う。
西安の謝俊麗(シェ・チュンリ)の友人の娘の果果(グォグォ)が母親に叱られた時に、「みんなの前で叱るから面子がなくなって恥ずかしい。みんなの前で叱らないで」と泣いて言ったそうだ。
面子(ミエンツ)とは、これまた中国人らしい。果果はもうすぐ4歳になる子だが、もう面子などと言うのかとおかしくて笑ってしまった。俊麗は果果はとても賢い子だから、面子という言葉も知っているのだろうと言った。
面子は中国に限ったことではなく、日本人でも「面子に係る」などと言ったりする。面目とか体面の意味だが、おそらく中国語由来のものだろう。面目とか体裁を重んじるということなら中国人や日本人に限らないようだが、中国人の面子は本を読んでみても何か独特のもののようでなかなか解りにくい。
『中国人と日本人 ホンネの対話』(日中出版)という本での林思雲(リン・スユィン)という中国人の発言によると、例えば中国の長距離列車で見知らぬ者同士が乗り合わせても、打ち解けていろいろと話をする。すると一方の乗客が自分の故郷のこと、家のこと、家族のこと、財産のことなどを大げさに自慢することがよくあるようだ。そのような場合たいていはホラ話だそうで、中国語で吹牛(チュイニュウ)と言うようだ。しかし聞かされた方はそれがホラだと分かっていてもそうか、そうかと感心したような振りをして聞くのが相手の面子を立てることなのだと言う。林氏はこのように誇大に表現するのが中国人の面子なのだと言っているが、もう1つ理解しにくかった。
面子を踏みにじられた場合には、時には相手を殺傷することにもなるくらいのものだと言うことも読んだことがある。ある武侠小説には情けをかけられて面子が立った男が、後にその相手に死を賭して恩に報いると言う場面もあるそうだ。司馬遷の史記の任侠列伝などを読むと、おそらくは面子に由来するのだろうと思われる行動がよく出てくる。結局は言葉の問題でなく、文化的歴史的背景のある心理状態なのだろう。
東京にいる友人の施路敏(シ・ルミン)は、「もし私がおじいちゃん(私のこと)と会社の上司のAさんと3人で食事した後でAさんに、おじいちゃんの分は払ってあげてと頼んでも払ってくれなかったとしたら、私の面子がなくなったことになる」と言った。日本流で言うなら恥をかかされたということなのだろうが、中国人の心理としてはもっと深く微妙なものがあるようだ。路敏は、身内の者や私に対しては面子などはないとも言った。これはホラを吹く必要もない、ありのままの、日本流に言うならば裸の付き合いと言うところだろうか。
果果は賢い子で、よく両親の話を聞いているそうだが、おそらく両親の話を聞いているうちに面子という言葉も覚えたのだろう。しかし4歳の子どものことだから深い意味は理解していなくて、恥ずかしいという気持ちを表したのだろうが、おませな感じで何となくおかしく可愛い。
面子(ミエンツ)とは、これまた中国人らしい。果果はもうすぐ4歳になる子だが、もう面子などと言うのかとおかしくて笑ってしまった。俊麗は果果はとても賢い子だから、面子という言葉も知っているのだろうと言った。
面子は中国に限ったことではなく、日本人でも「面子に係る」などと言ったりする。面目とか体面の意味だが、おそらく中国語由来のものだろう。面目とか体裁を重んじるということなら中国人や日本人に限らないようだが、中国人の面子は本を読んでみても何か独特のもののようでなかなか解りにくい。
『中国人と日本人 ホンネの対話』(日中出版)という本での林思雲(リン・スユィン)という中国人の発言によると、例えば中国の長距離列車で見知らぬ者同士が乗り合わせても、打ち解けていろいろと話をする。すると一方の乗客が自分の故郷のこと、家のこと、家族のこと、財産のことなどを大げさに自慢することがよくあるようだ。そのような場合たいていはホラ話だそうで、中国語で吹牛(チュイニュウ)と言うようだ。しかし聞かされた方はそれがホラだと分かっていてもそうか、そうかと感心したような振りをして聞くのが相手の面子を立てることなのだと言う。林氏はこのように誇大に表現するのが中国人の面子なのだと言っているが、もう1つ理解しにくかった。
面子を踏みにじられた場合には、時には相手を殺傷することにもなるくらいのものだと言うことも読んだことがある。ある武侠小説には情けをかけられて面子が立った男が、後にその相手に死を賭して恩に報いると言う場面もあるそうだ。司馬遷の史記の任侠列伝などを読むと、おそらくは面子に由来するのだろうと思われる行動がよく出てくる。結局は言葉の問題でなく、文化的歴史的背景のある心理状態なのだろう。
東京にいる友人の施路敏(シ・ルミン)は、「もし私がおじいちゃん(私のこと)と会社の上司のAさんと3人で食事した後でAさんに、おじいちゃんの分は払ってあげてと頼んでも払ってくれなかったとしたら、私の面子がなくなったことになる」と言った。日本流で言うなら恥をかかされたということなのだろうが、中国人の心理としてはもっと深く微妙なものがあるようだ。路敏は、身内の者や私に対しては面子などはないとも言った。これはホラを吹く必要もない、ありのままの、日本流に言うならば裸の付き合いと言うところだろうか。
果果は賢い子で、よく両親の話を聞いているそうだが、おそらく両親の話を聞いているうちに面子という言葉も覚えたのだろう。しかし4歳の子どものことだから深い意味は理解していなくて、恥ずかしいという気持ちを表したのだろうが、おませな感じで何となくおかしく可愛い。
蘇州は庭園が多いことで知られている。またその庭園は見事なものが多く「江南の庭園は天下第一。蘇州の庭園は江南第一」と言われる。蘇州の庭園は北京の頣和園のような御苑ではなく、高級官僚や地主、豪商などが贅を尽くして造ったものである。そのほかの地でも、江南とりわけ蘇州の庭園を模したものが造られたと言う。
蘇州の数ある庭園の中でも、宋代の滄浪亭、元代の獅子林、明代の拙政園、清代の留園が四代名園とされるようだが、今回は留園を見た。
留園は明の嘉靖年間(1522~1566)の高級官僚の自家庭園として造られ、最初は東園と称していたが、清の光緒年間(1875)に留園と改名された。
留園の入り口は小さく「これが?」と思うような簡素のものだ。観光客がたくさん来ていた。
中に入ると落ち着いた雰囲気で、園内の配置図を彫った石がある。かなり広いようだ。園内は東部、中部、西部、北部に分けられて、それぞれ特色がある。
日本のように建物の間の空間に樹木や石をあしらっていて落ち着いた空間を作っている。
建物の間を結ぶ曲折した廊下、曲廊には一つひとつ異なる透かし彫りが施された窓(花窓)があり、ここから外の庭園を透かしてみるようになっている。これも風情がある。
樹木と石の築山と池と建物で構成された庭園。ここは庭園中部の池を主体にした地域。
この石は太湖石と言い、蘇州の近くにある大きな湖である太湖周辺の丘陵から切り出される奇石である。穴の多い複雑な形のもので、日本人の感覚には少し合わないように思うが、中国では蘇州のほか各地の庭園にはなくてはならないもので、さまざまな動物の形に見立てて鑑賞したり、瞑想したりするために好んで置かれていると言う。
主人の応接間。吹きさらしで冬は寒いと思うが、夏の暑さをしのぐために椅子には大理石の円盤が嵌められている。
女性の応接間。男性のものに比べると天井などの作りも簡単で、全体に小ぶりである。
冠雲峰。高さ6.5m、重さ5tの太湖石で、太湖石の王と言われる。
自然の景観を生かした西部地域。
北部にある「又一村(ヨウイツン)」。多くの盆栽や盆景が並べられている。
2.3ヘクタールあると言う広大な園内を回り、その精緻なつくりや豪華な建物や調度を見ると、この庭園を造った主がいかに巨大な財力を有していたかが分かり、当時の高級官僚の権力の強大さが想像された。
蘇州の数ある庭園の中でも、宋代の滄浪亭、元代の獅子林、明代の拙政園、清代の留園が四代名園とされるようだが、今回は留園を見た。
留園は明の嘉靖年間(1522~1566)の高級官僚の自家庭園として造られ、最初は東園と称していたが、清の光緒年間(1875)に留園と改名された。
留園の入り口は小さく「これが?」と思うような簡素のものだ。観光客がたくさん来ていた。
中に入ると落ち着いた雰囲気で、園内の配置図を彫った石がある。かなり広いようだ。園内は東部、中部、西部、北部に分けられて、それぞれ特色がある。
日本のように建物の間の空間に樹木や石をあしらっていて落ち着いた空間を作っている。
建物の間を結ぶ曲折した廊下、曲廊には一つひとつ異なる透かし彫りが施された窓(花窓)があり、ここから外の庭園を透かしてみるようになっている。これも風情がある。
樹木と石の築山と池と建物で構成された庭園。ここは庭園中部の池を主体にした地域。
この石は太湖石と言い、蘇州の近くにある大きな湖である太湖周辺の丘陵から切り出される奇石である。穴の多い複雑な形のもので、日本人の感覚には少し合わないように思うが、中国では蘇州のほか各地の庭園にはなくてはならないもので、さまざまな動物の形に見立てて鑑賞したり、瞑想したりするために好んで置かれていると言う。
主人の応接間。吹きさらしで冬は寒いと思うが、夏の暑さをしのぐために椅子には大理石の円盤が嵌められている。
女性の応接間。男性のものに比べると天井などの作りも簡単で、全体に小ぶりである。
冠雲峰。高さ6.5m、重さ5tの太湖石で、太湖石の王と言われる。
自然の景観を生かした西部地域。
北部にある「又一村(ヨウイツン)」。多くの盆栽や盆景が並べられている。
2.3ヘクタールあると言う広大な園内を回り、その精緻なつくりや豪華な建物や調度を見ると、この庭園を造った主がいかに巨大な財力を有していたかが分かり、当時の高級官僚の権力の強大さが想像された。
執事喫茶と言うものがあるそうだ。あるインタネットの記事によると、このようなものらしい。
「東京・池袋のアニメショップなどが立ち並ぶ通称『乙女ロード』で、上品な『執事』にかしずかれ、お嬢様気分が味わえる『執事喫茶』が女性の人気を集めている。完全予約制で、1カ月間はすべてキャンセル待ち状態」・・・・。
記事を読むと、この店のつくりは豪華で、出されるケーキや紅茶、料理なども本物にこだわっているとか。「執事」達は事前に本格的な教育を受けたようで、全員が見事な所作を身に着けているという。店内に入ると深々と頭を下げて、「お帰りなさいませ」と挨拶をして出迎え、持ち物を預かる。席まで案内されると膝にナプキンをかけてくれる。その後の規定の70分を過ぎると「お出かけの時間でございます」と声をかけ、「いってらっしゃいませ」と送り出される。・・・と、ここで無粋な私は思わず笑ってしまった。80分で2,600円、まさに手軽に束の間の「セレブ」気分を味わう空間なのだろう。
ひところ話題になった「メイド喫茶」、今でも流行っているのかどうかは知らないが、これは若い男性に人気があったようだ。「執事喫茶」に比べるとオタク的な感じで、男性の方が幼児性が強いのかとも思ってしまうが、いずれにしても「執事喫茶」と言い、「メイド喫茶」と言い、今の若い女性や男性の一部には、「かしずかれたい」という願望があるのだろうか。このような所に通って、ひそかに日常の憂さを忘れようとしているのか、何か物哀しい感じがしないでもない。
「東京・池袋のアニメショップなどが立ち並ぶ通称『乙女ロード』で、上品な『執事』にかしずかれ、お嬢様気分が味わえる『執事喫茶』が女性の人気を集めている。完全予約制で、1カ月間はすべてキャンセル待ち状態」・・・・。
記事を読むと、この店のつくりは豪華で、出されるケーキや紅茶、料理なども本物にこだわっているとか。「執事」達は事前に本格的な教育を受けたようで、全員が見事な所作を身に着けているという。店内に入ると深々と頭を下げて、「お帰りなさいませ」と挨拶をして出迎え、持ち物を預かる。席まで案内されると膝にナプキンをかけてくれる。その後の規定の70分を過ぎると「お出かけの時間でございます」と声をかけ、「いってらっしゃいませ」と送り出される。・・・と、ここで無粋な私は思わず笑ってしまった。80分で2,600円、まさに手軽に束の間の「セレブ」気分を味わう空間なのだろう。
ひところ話題になった「メイド喫茶」、今でも流行っているのかどうかは知らないが、これは若い男性に人気があったようだ。「執事喫茶」に比べるとオタク的な感じで、男性の方が幼児性が強いのかとも思ってしまうが、いずれにしても「執事喫茶」と言い、「メイド喫茶」と言い、今の若い女性や男性の一部には、「かしずかれたい」という願望があるのだろうか。このような所に通って、ひそかに日常の憂さを忘れようとしているのか、何か物哀しい感じがしないでもない。