中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

たばこ値上げ

2010-09-30 09:22:17 | 身辺雑記
 10月1日からたばこが大幅人値上げになる。日本たばこ産業(JT)によると、取り扱っている103銘柄が対象で、主要商品ではマイルドセブンが現在の300円から410円へ、セブンスターが300円から440円へ、キャスターが290円から410円へ、それぞれ値上げされるそうで、かなりの値上げ幅だ。もっともたばこは吸わない私にとって、マイルドセブンやセブンスター、キャスターという名前は知っているが、どのような包装なのかはまったく分からない。思い出せるのは古くからあるピース(今はショートピースと言うらしい)くらいのものだ。

 この値上げはタバコ飲みにとっては大問題らしく、これを機会に禁煙しようかと悩む向きも多いようで、決心して薬を使った禁煙治療を行う医療機関の禁煙外来を訪れる人が増えているとのことだ。禁煙外来ではニコチンへの依存症を薬を使って治療するもので、保険を使った禁煙治療では、たばこをおいしいと感じにくくする飲み薬や、ニコチンを皮膚から吸収させるはり薬が使われ、およそ3か月の間に5回、受診する必要があるようだ。東京・中央区にある診療所の禁煙外来では、今月は、値上げが決まる前の1.5倍の150人程度の患者が訪れる予定だという。これを機会に喫煙習慣から抜け出せれば結構なことだ。自身だけでなく他人にも有害なたばこを止めるに越したことはない。

 ところが他方では、まったく禁煙する意志のない喫煙者もいて、駆け込み購入者も増えているようだ。東京・大田区のあるたばこ店では、今月の売り上げが例年の3倍ほどに上っているということで、客の中には、100カートン・30万円分を一度に購入した者もいたようだ。たばこを買った男性は「禁煙はできそうもないので、値上げ以降は趣味にかけるお金を減らしてやりくりするしかない」と言っているそうだ。100カートンというと1000箱だが、1日に2、3箱吸っても1年はある。カートンと言っても長く置いたら変質することはないのだろうか。冷蔵庫に保存するということも聞いたことがあるが、そうまでしてねえ。趣味を犠牲にしても禁煙も節煙もできないというのは何か哀れを催す。よく喫煙本数が少ないからたいしたことでないように言う向きもあるが、それなら止めればいいので、本数の多少に関わらず止められないというのは、意志が弱いか、依存症、中毒だ。

 駆け込み購入で今月のタバコの売り上げ額は跳ね上がったようだが、買い溜めと言っても誰しもが何十万円も買い込むことはできないだろうから、すぐにストックは底をつくだろう。そうするとやはり売り上げがかなり落ちるだろうと小売店では今から悲観的だそうだ。卒業生のI君はタバコの自販機を持っているが、例の成人識別ICカード(Taspo)の導入が実施されて以来売り上げはがくんと落ちていたところへ、今度の大幅値上げで、もうダメですと言っている。彼自身は1日2箱は吸うヘビースモーカーだが止める気はまったくなく、もう自販機の売り上げは自分のたばこ代だけですよと言っていた。

 私もかつてはよく吸っていたが、次男が生まれた45年前に体調もよくなかったせいもあって思い切って止めた。今になって止めたことは本当に良かったと思っている。私自身のありようを振り返ってみると、食事時であろうと何であろうと場所をわきまえないだらしのなさ、マナーの悪さ、非喫煙者に対する思いやりのなさ、無視、どれを思い出しても我ながら不愉快になってくる。このようなことは多くの喫煙者に共通するように思う。

小さな島をめぐる争い(その後)

2010-09-29 09:11:54 | 中国のこと
 沖縄県の尖閣諸島の日本の領海内で中国の漁船と海上保安庁の巡視船が衝突した事件で逮捕された中国人の船長が釈放され、帰国した。これでこじれた状態も少しは緩和されるかと思ったら、中国政府はこれまで以上に居丈高になって、日本は船長を違法に逮捕、拘留したとして、謝罪と賠償を求めてきた。

 中国政府の言い分は、尖閣諸島は中国の固有の領土で、日本がいかなる司法手続きを取ることも違法で無効だと言うことだ。ずいぶん乱暴な論理で、そもそも尖閣諸島は古くから日本の領土として認められてきた。中国が領有権を主張しだしたのは、このあたりに膨大な石油があるらしいことが分かった1970年以降のことで、それ以前は中国発行の地図にもその記載はなかったと言う。菅首相は「尖閣列島は、わが国固有の領土であり、謝罪や賠償は考えられず、まったく応じるつもりはない」と述べたが当然のことだ

 中国は尖閣諸島以外にも南シナ海の西沙諸島の領有権を主張してベトナムと軋轢を生じているし、さらに南の南沙諸島の領有権まで主張してフィリッピンとトラブルを起こしている。いずれも地下資源が豊富とされているところで、中国の意図はあからさまだ。今回の事件に関しても韓国の主要マスメディアも中国の態度に懸念を表明して、「中国は国際社会で大国としての責任と役割には関心がなく、自国の利益だけに執着し影響力拡大にのみこだわっている。こうした中国にもまれて生きなければならない未来を切実に考えるべき時だ」とか、「大国主義と中華思想が強い中国が経済力と外交力を背景に国際舞台で発言力を強めつつある現実は、われわれにもっと緊張しろという信号を送っている。国家間に力のない正義が通用することはほとんどない」と述べているようだ。このような自国の実利的利害関係にのみ基づいて他国に対する対応を決定し、周辺国の懸念や反発には考慮しようとしない中国の態度は、中国政府は否定するが、大国主義、領土拡張主義、覇権主義と捉えられても仕方がないのではないか。
 
 中国政府としては、日本に対する強硬な姿勢をアピールすることで、国内世論の支持を得たいねらいがあるものとみられているが、あるニュースによると、北京中心部のオフィス街で聞いたところ、20代の女性は「日本は謝るだけではだめだ。中国はもう少し日本を懲らしめなければならない」と述べたと言う。「懲らしめる」。日中戦争当時に「懲支」、支那(中国)を懲らしめると言う言葉があったことを思い出した。このような若者までが大国主義に染まっていることは中国が将来世界にとって厄介な存在になることを予感させるものだ。

 逮捕、釈放された中国漁船の船長は故郷では「英雄」扱いされているようで、また(尖閣諸島の海域に)出漁すると言っているらしい。この男に限らず、今回のことで、自分達は国家に守られていると考えて出漁して来る中国漁船は増えるのではないか。

 「大国」の中国にしたら、私などはその歯牙の、それもそのかけらにかけるほどの値打ちもない卑小な存在だろう。しかし、これまでは中国に対しては、特異な独裁国家である北朝鮮や、ミャンマー軍事政権を支援したり、国内の言論を抑え込んだりすることにはかなりの違和感を覚えながらも、総じて親近の情を抱き、粗雑な反中、嫌中論には不快感を示してきた私も、今回の一連の中国の言動にはほとほと嫌気が差してしまった。もちろんそれは国家としての中国や政府、それに一部の中国人に対するもので、これまで親しんできた友人や知人に対する感情はいささかの揺るぎもない。それだけに心底残念に思っている。

 

落ち鮎

2010-09-28 09:39:36 | 身辺雑記
 近所に良い鮮魚店がある。良心的で、活きの良い魚を扱っているのでなかなか評判が良く、贔屓の常連客は多いようで、夕方に行くとほとんど売り切れている。私も時々買うがいつも満足する。前に書いた鱧の落としもこの店で買った。今は落ち鮎の季節で、煮つけを折々売っている。この煮つけを買ってHg君のところに持ち込み、Hr君も来て一緒に食べた。Hg君の奥さんがいつものようにいろいろと菜をつくってくれた。

 鮎の腹は大きく膨らんでいて、身をめくると膨れ上がった卵巣が見える。軟らかく上手に炊けていて、味付けもなかなかよく、2日かけて十分に煮込んであるから骨まで軟らかく、私は頭まで残さず食べた。

     

     

 落ち鮎は秋に成魚が産卵のために川の上流から下流域に降るものを言う。若いときには灰緑色だった体色が、秋に性成熟すると橙と黒の独特の婚姻色へ変わり「さびあゆ」と呼ばれるようになる。

 鮎にはスイカやキュウリに似た独特の香りがあるようだが、私は生の鮎を扱ったことがないので嗅いだことがない。

 中国では「香魚」と言い、「鮎」の字は「鯰ナマズ」を意味する。中国人は魚卵を敬遠するようだから、日本のように卵をたくさん持つ落ち鮎を賞味することはないのではないか。



彼岸花

2010-09-27 10:27:14 | 身辺雑記
 猛暑の日々から一転して秋らしくなった。雲ひとつない抜けるような青空、少し肌寒い空気が心地よい。

       

 秋分の日(秋の彼岸の中日)も過ぎ、稲刈りは終わった。

     

 いつもなら彼岸花が美しく咲く時期なのだが、今年はどうも遅い。それでもぼつぼつ咲き始めたが例年とは違いとても貧弱だ。やはり暑さの影響があったのだろうか。これから少しは増えるのか。

     

     

 2006年9月23日に撮った同じ場所の彼岸花。豪華だった。

     

     


海藻

2010-09-25 09:10:04 | 身辺雑記
 歌人の塚本邦雄氏(故人)の『ほろにが菜時記』(ウェッジ)は、四季折々の54種の食材について幅広い教養を駆使した随筆集でなかなか面白い。その中の春の部の「若布」の項に次のような一節がある。

 「某日、TVで、異国人数人に、納豆、塩辛、焼海苔、蒟蒻、豆腐の五種を試みさせ、もっとも苦手、二度と御免蒙りたいものを挙げさせる番組があった。異口同音に指すのが、何と、もっとも抵抗の少なそうな焼海苔で、その固有の〝におい〟が我慢できないのだそうな」

 同じ番組かどうかは分からないが、私も見たことがある。白人の青年が焼海苔を口にして、何とも言えない表情で、「うえぇ、まずい!」と言っていた。「磯の香り」という言葉があり、私達には好ましいものとされている。焼海苔にもそれがあって、それが日本人の嗜好に合うのだろうが、欧米人には異臭と感じられるのかも知れない。今時の言い方をするとDNAの違いなのか。

 日本人で焼海苔が苦手という人は稀だろう。外で宿泊した時の和朝食には必ず焼海苔がついている。私は朝食はあまりたくさん食べないほうだが、それでも焼海苔のあの香りには食欲がそそられる。手元に味付け海苔の缶があると、ついつい蓋を開けて海苔を引っ張り出し、食べたりする。

 日本では海藻は、海苔は言うまでもなく昆布なども出汁をとる必需品で、常備している家庭は多いだろう。ワカメ、ヒジキ、モズク、アラメなどもよく食べられるし、おいしい。テングサなどは寒天や心太の原料だ。

 スーパーの海藻製品。さまざまな海藻製品があり、よく好まれていることが分かる。







 海藻のサラダなどもあって、いろいろな褐藻や紅藻、緑藻などを取り合わせている。



 乾燥した海藻は軽くて扱いやすく、水に戻すと大きく膨らみ経済的だし安価だ。

 欧米人には海藻を食する習慣はないそうだ。なぜか分からないが食習慣と言うのはそういうものなのだろう。もっともスコットランドやアイルランドでは海藻食文化があって伝統的に多種類の海藻を食するらしいが、どのような食べ方をするのかは知らない。海藻は英語では種子植物の海草と一緒にしてSeaweed(海の雑草)と呼ばれるが、最近ではヘルシー志向が高まって、海藻を食材にすることも増えているようで、Sea Vegetable(海の野菜)と呼ばれることも多いそうだ。そのうちに焼海苔がおいしいと言う欧米人が出てくるかも知れない。

 海藻にはヨードが含まれ、これを習慣的に食べると髪が黒くなると言われている。「緑なす黒髪」と言って、昔は女性の美しさの一つだったが、今は艶のある黒髪は滅多に見られない。それどころかほとんどが栗色か茶色に染めているから、黒髪そのものが少ない。私は黒い髪が好きだから残念に思う。男物の衣服の店をやっている卒業生のI君は60に近いが、髪が黒々している。子どもの頃からずっと若布などの海藻を切らすことがなかったそうだ。

(日曜日はブログを休みます)

 

高齢者とインターネット

2010-09-24 09:07:28 | 身辺雑記
 最近はインターネットを使う高齢者が増えているようで、中には80歳代になっても巧みに使いこなす人の話を聞くことがある。敬老の日を前にして大手広告代理店の電通と東京大学大学院の教授とが、東京都内の60代の男女を対象に、インターネットをふだんから利用している人と、まったく利用していない人、それぞれ200人に、生活や消費行動に関する考え方など72項目について聞いた。その結果、インターネットをふだんから使っている60歳以上のシニア層は、使わない人に比べて外食や旅行などの関心が高く、生活の満足度も高いということが分かったそうだ。

 1か月の外食に使うお金が1万円を超える人の割合は、インターネットを使わない人が25.5%だったのに対し、使う人は35.5%に上るなど、インターネット利用者は、外食や旅行などへの関心が高く、活動的だったという。また、インターネット利用者のうち15%余りが、メールなどを通じて家族との交流や話題が増えたと感じるなど暮らしの中の満足度も高くなっているということだ。

 一方、インターネットを使わない人は、その理由について、37%余りが「使い方がわからない」としているが、このうち56%が「今後使ってみたい」と考えていることが分かった。

 東京都民対象の調査だから、これで全国的な傾向を推定することはできないだろうが、インターネットがシニア層にも浸透していることは考えられる。この調査結果の「インターネット利用者は、外食や旅行などへの関心が高く、活動的」ということは、ネットで外食や旅行の情報を積極的に利用しているということだろう。私とよく旅行したり、ドライブに連れて行ってくれるHg君は、旅行やドライブの前にはネットで調べた資料を提供してくれるので大いに参考になる。11月には彼ら夫婦とHr君とで上海に行こうと計画しているが、彼はすぐにネットで格安のツアーを調べてくれた。

 調査結果の「メールなどを通じて家族との交流や話題が増えたと感じる」については私は家族とはほとんどメールしないで電話することにしているが、メールそのものは知人や友人達とよく利用している。いろいろな連絡に便利だ。とりわけ中国人の友人達とは、msn messengerを利用してよくチャットしているので、遠く離れていてもいつも会っているような気がする。

 私の場合には何と言ってもブログやその原稿を作る場合の参考資料としてよくインターネットを利用している。ブログそのものもブログ友ができたりしてよいものだ。ブログ友には高齢者が多いが、中にはいろいろと技術を駆使して見応えのあるブログをつくっている人もある。

 私がパソコンを使い始めてから10年くらいしかたっていない。妻がいなくなってから長男が寂しいだろうからメールでもしたらと勧めてくれたのがきっかけだ。そのことで生活が活動的になったのかどうかは分からないが、もし使っていなかったら今の生活はかなり退屈なものになっているとは思う。

中秋名月

2010-09-23 09:40:20 | 身辺雑記
 昨日9月22日は旧暦8月15日、中秋名月の日だった。月の出はこのあたりで17時5分頃だ。あいにく雲が多かったので雲に隠されていることが多かったが時折顔を出した。

     

     

 8月15日の名月は、「芋名月」という呼び名もある。秋は収穫の時期でもあったのでその年の収穫物を月に供える風習が各地に残っていて、「芋名月」などの呼び名はここから生まれたものだと考えられている。現在、月見団子を供えるのも、里芋を供えた風習の変形だということだ。

 月見団子は月見の様子のイラストなどでは、丸い団子を三方にピラミッド状に盛り上げているように描かれているが、関西では細長い団子に餡を巻いたもので、これは里芋の子の小芋を皮付きのまま蒸した「衣被(きぬかつぎ)」を模したものだそうだ。私の母も関西人だったから、月見団子は細長い形だった。



 「名月」にはもう一つ旧暦9月13日(十三夜)の月があり、「豆名月」とか「栗名月」と呼ばれている。8月15日の月見は中国から伝わった風習だが、十三夜の月(後の月)を祝うのは日本独自の風習。昔は祝ったのだろうが今では廃れているようだ。今でも農村部には残っているのか。

 旧暦8月15日は中国では中秋節と言い、中国の大きな祝日の一つで、今年は9月22日から24日までの3日間は休みとなる。続いて10月1日から7日までは国慶節の休みがあるから、もしこの間(9月25日から30日までの間に年休をとった場合、休みは最長16日間にもなるのだそうだ。

 中秋節と言えば思い浮かべられるのは「月餅」で、この日の前後には人々は月餅を贈り合い、食べる習慣がある。西安の旅行社に勤めている李真は、この日にはあちこちから月餅が届けられるので食傷気味になるようだ。今年も西安の謝俊麗からはたくさん送られてきた。月餅の中の餡にはさまざまなものがあり、どれも美味しいものだ。






 

猫の気持ち

2010-09-22 09:04:09 | 身辺雑記
 最近我が家の猫のミーシャは、よく私の側に来る。パソコンを使っているといつの間にか足元に来てうずくまっているし、夜ベッドに横になって本を読んでいるとぴょんと跳び上がってきて私の側に横になる。特に愛情らしいものは示さないのだが、そうやってよく側に来るとやはり可愛いと思う。

 『ねこのきもち』という月刊誌があるようで、新聞に広告が出ている。実物は見たことがないが愛猫家向けのものらしい。飼っている猫の様子から猫の「気持ち」を知ろうという企画もあって、それでこのような題がつけられたのだろう。猫の気持ちとは言っても、ミーシャが来てもう10年以上になるが、いまだにどんな気持ちでいるのかよく分からない。室内犬を飼っていたときには、犬には何かしら表情があるような気がしたし、例えば尻尾を振るような振る舞いからどんな気分でいるのか察することができたが、ミーシャの場合にはほとんど分からない。何しろ犬と違って猫は無表情で、どこか「我関せず焉」というところがある。ブログ友の北海道のSさんの家のゴローもマイペースらしい。

 それでも外に出すと可愛がってくれる近所の奥さんの足元に近寄って、尻尾を立てて体をすり寄せる。親愛の情を示しているように見えるが、その時はミーシャの中でどのような心の動きのようなものがあるのだろうかと考えることがある。

 夜、私の近くにやって来てニャオン、ニャオンと鳴く。その顔を見て「何だよ」と言うと、私の顔をじっと見つめながら、またニャオンと鳴く。その鳴き声と顔つきは特別で、立ち上がっていくと振り向きながら前を行き、餌を入れる容器まで来ると私の顔を見上げて、また違った「口調」でニャーと鳴く。餌はなくなっていることが多い。餌がないよと訴えに来たのだ。だからこのときも、内面にどのような感情があるのかと考えてしまう。私達が何かするときにはしばしば心の中で言葉を使っているからこのような場合には、「餌がない。言いに行こう」とでも考えて行動するのだが、猫には言葉がないだろうから、どういう感情の動きで 私に訴えに来ようとするのだろう。

 ミーシャが来てから10年以上になる。今のミーシャの尻尾よりも短い大きさだった。少し大きくなるとパソコンに向かっている私の膝に乗り、パソコンの前に前足を掛けて画面をじっと見つめている後ろ姿が可愛かった。あのような時にもいったい何を考えていたのかと思ったものだ。それからも成長するにつれてずっといろいろな行動があったが、やはり「猫の気持ち」などというものがよく分からないいままに今まで来た。それでも今では何となく気心が知れるような存在になっているが、ミーシャはどうなのだろう。やはり私に親愛の情を抱き、私の側にいると気持ちが落ち着くのだろうか。


           思案中?         

小さな島をめぐる争い

2010-09-21 08:44:12 | 中国のこと
 沖縄県石垣島に属するとしている尖閣諸島をめぐって、日本と中国との関係が険悪になっている。発端はこのあたりの領海で中国漁船が操業し、海上保安庁の巡視船が警告すると漁船が体当たりしてきたので船長を逮捕したということにある。

 中国はかねてから尖閣諸島は中国領と主張し、中国名を釣魚島と呼んでいる。無人の5つの小島と3つの小さな岩礁からなり、最大の魚釣島でも東西約3.5 km、南北約2 kmの島で面積は3.82 km²しかない。このちっぽけな島をめぐってどうして領有権が争われているかと言うと、結局はこのあたりにはイラクの埋蔵量に匹敵する石油があると推定されていることにある。そのことが分かってから中国は強く領有権を主張するようになったし、日本も日清戦争終結時から領有権があったと譲らない。日本海の竹島にしても北方領土問題にしても、たとえ対象が小さな島であっても国家の利害が絡むとなかなか問題の解決が困難だ。根気よく解決の道を探っていくしかない。

 尖閣諸島問題では中国政府は問題が発生すると直ちに、深夜にも日本大使を何度も呼びつけて抗議をしたし、予定されていた要人の来日も取り消したり、閣僚級の交流も停止するとして、「(船長を)すぐ釈放しなければ強烈な対抗措置をとる」と言っているという。「強烈な」というような言い方は北朝鮮などもよく使うが、何か大国の脅しのようにも聞こえる。広州の伍海珠によれば、中国政府は、「これは1972年(日中国交正常化)以来の外交上一番大きい事件」と言っているようだ。

 中国最大のハッカー組織と言われる「中国紅客連盟」はこの問題に抗議するため、日本政府機関のウェブサイトを攻撃する方針を明らかにした。実際、防衛省と警察庁のホームページが30分から数時間、閲覧しにくい状態になったことが起こっており、このハッカー組織との関連を調べているようだ。このようないわば不法集団の「愛国的行動」や、それが黙認されていることには嫌な感じがする。

 また社員約1万人の日本への団体旅行を計画していた中国のある企業が旅行を中止した。その理由をこの企業は尖閣問題への「抗議」であり、「尊厳ある中国人であるための決定」だとしているようだ。「尊厳ある中国人であるため」なら、例えば、世界の顰蹙を買いながらどうにも無くならない中国人の知的財産権無視、侵害の事実にも反省を込めて毅然とした態度を表明したらいいと思う。このような言い方は、かつての日中戦争当時の中国人に対する日本人の態度や、ナチスドイツの「世界に冠たるドイツ国」の熱狂を思い出してしまう。普通の国民が愛国心を持つのはもちろん好ましいことだが、過剰で偏狭なな大国意識を持つのは怖い。

 18日に北京で行われた反日デモでは、「小日本(シャオ・ルーペン 日本人に対する蔑称)は釣魚島から出て行け」という呼びかけから始まったようだ。厳戒態勢を敷いていた警官隊ともみ合いも起こり、警官隊は「政府は味方だ」「中国はもうすぐ空母を持つ強大な国になる」と説得したそうだ。私は「小日本」という蔑称を聞くと、日中戦争の頃によく使われた「チャンコロ(中国人に対する蔑称)と重ねて不愉快になる。攻撃的な存在である空母を持つことを大国の証しとして中国人の優越感をくすぐるのも不愉快なことだ。

 私はこれまで中国の貧困農村地区の子ども達への教育支援の会に入ったり、このブログでも何度か書いたが、個人的にもごく普通の中国人と接してきて親しい友人もいて、中国への親しみの感情が培われてきた。だから中国、中国人ともに大国主義的な言動をすることだけは御免蒙りたいと思っている。



敬老の日

2010-09-20 11:05:19 | 身辺雑記
 9月の第3月曜日は「敬老の日」。国民の祝日に関する法律(祝日法)によれば「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことが趣旨である。

 この日ができた当初は、毎年9月15日を敬老の日としていたが、2001年の祝日法改正いわゆるハッピーマンデー制度の適用で、2004年からは9月第3月曜日となった。しかし、これについて高齢者団体から反発が相次いだので、2001年に老人福祉法を改正して9月15日を「老人の日」、この日から1週間を「老人週間」とした経緯がある。この老人の日や老人週間については私はまったく知らないで来て、神戸のUさんの数日前のブログで初めて知った。取り立てて新聞などで書くこともないから、私だけでなく知らない人は少なくないのではないか。

 敬老の日にしてもただ休日が増えたというくらいの認識しかなく、高齢者施設以外に特に行事をすることもないようだ。この近辺の家庭が入っている自治会でも、何の行事もない。私の周囲には老人が多いし、広い自治会内ではかなりの数になるだろうから、少しくらいは考えても良いだろうにとは思う。各家庭でも、老人を囲んで祝うことは核家族化が進んだ昨今は少ないのではないか。まして老人の日や老人週間などには無関心なのではないだろうか。

 だからと言ってすべての老人が放っておかれているということでもないのだろうが、昨今は独居老人の増加やその孤独死、家族による虐待など、老人に関する事件や事故が多い。最近では戸籍上の超高齢者の問題もあった。一般的に高齢者の置かれている立場は厳しいものがあるのではないか。

 最近、敬老の日に合わせて電通総研が20歳から69歳までの男女700人余りを対象に行った「敬老の日にお年寄りがしてもらいたいこと」に関する調査によると、60歳以上の人が子や孫からしてほしいことは「電話」が約22%で最も多く、次いで「家を訪れる」が20%だったようで、老人の孤独さが伺い知れる。その一方で「花や植物を贈られる」がおよそ9%、「食品・お菓子を贈られる」が6%と少なかった。「贈り物」よりも「会話」や「ふれあい」が老人たちが望んでいることのようだ。

 これに対して、20代から40代の人に祖父母や親に「してあげたいこと」を聞くと、「食品・お菓子を贈る」が13%と高い割合だった一方で、老人が最も求めていた「電話」は9%程度にとどまり、祖父母世代と子や孫世代との間で意識に違いがあることが分かったと言う。調査をした電通総研では「今のお年寄りは、欲しいものは自分で買う傾向にあり、子や孫には物をもらうよりも何よりも、コミュニケーションを求めているようだ」と話しているそうだが、よく分かる。年をとると物質的なものよりも心の触れ合い、精神的な安らぎを家族に求めるものだろう。

 私は誕生日や父の日に子ども達からプレゼントされるからそれで十分で、殊更に敬老の日に何かをしてほしいとは思わない。それに子や孫から「敬老」扱いされるのも何となく据わりの悪い気分になる。

 普段子ども達は私がまずまず元気にしているので安心しているのか、電話もあまりしてこないし、私もあまりしなかったが、卒業生達とはよく会うし、中国の友人達と毎日のようにチャットや電話をするから別に寂しいと思ったことはない。便りがないのは元気な証しくらいに思ってくれればいいという気持ちだった。しかし私も齢70歳半ばを過ぎ、いつ何があるか分からない。それで週に一度くらいは「元気コール」をすることにした。私も子どもや孫達の様子が聞けるのは楽しみだ。