中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

湖東三山

2011-11-30 08:20:12 | 身辺雑記

 滋賀県の琵琶湖の東の東近江市に湖東三山と呼ばれる3つの古刹(百済寺、金剛輪寺、西明寺)がある。Hg君夫妻、Hr君のいつものメンバーで、Hg君の車で出かけた。

 

   

 

1.釈迦山 百済寺

 東近江市に古い卒業生のBさん(女性)がいる。インタネットで百済寺という寺が東近江市にあるのを知って電話し、「クダラジというのはどんな寺?」と尋ねてみたが、「クダラジ?知りませんねえ」と言う。「古い朝鮮の百済と言う国のクラダだが」と言うと「ああ、ヒャクサイジよ」と言ったので、そう呼ぶのかと知った。

 

 百済寺は、推古天皇の時代に百済人のために創建されたという。当時、このあたり、愛知(えち)には百済系の渡来人の集落が多かったようだ。平安末期から鎌倉室町までは大寺院だったが、自火や戦乱により古建築物の多くは消失した。その後信長の兵火により一山すべて焼亡した。現在の建物は江戸時代のものである。

 

 駐車場で

 

 

 

 

 

 

 参道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道の両側に三椏(みつまた)が植えてある。三椏は和紙の原料。

 

 

 

 

 本堂

 

 

 菩提樹。直径約1.6メートル、周囲約5メートル。天正元年4月7日、信長の焼き打ちのため焼損下が、熱が根まで及ばなかったので、幹の周囲から再生した。中央の直径約80センチの空洞部は、焼き打ち当時の幹の直径に相当する。

 

 

 鐘楼。参拝者が列を作って鐘を撞いていた。余韻が長く美しい。

 

 

 喜見院の庭園。池泉回遊式、鑑賞式。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 


西安の子ども達

2011-11-28 10:18:08 | 中国のこと

 西安の李真から子ども達の写真が送信されてきた。李真の息子の宸宸(チェンチェン)、謝俊麗の息子の撓撓(ナオナオ)、王暁玲の息子の瀟瀟(シャオシャオ)だ。3人の家族は仲がよくて、時々3家族そろって遊びに行ったりする。この写真も西安郊外の山に遊びに行った時のものだそうだ。

 

   

            瀟瀟       撓撓               宸宸

 

 子ども達は3人とも赤ん坊の時から知っているので、大きくなったものだと思う。撓撓が一番生まれ月が早く、次が宸宸で、2人ともこの9月から幼稚園に行っている。瀟瀟は来年3月からの予定とのこと。

 

 ヒマゴと言うには少し大きいが、気持ちの上ではヒマゴで、血はつながっていなくても、可愛くて仕方がない。他にも小さい頃からの写真がだいぶ溜まっていて、毎日のように見ている。

 

 一昨年まで続けていた中国旅行は、足腰が弱ってきたので今年は止めた。子ども達に会えないのは寂しいが、来年は李真と謝俊麗の家族がこちらに来ることになっているので楽しみだ。


幼い大学生

2011-11-26 12:00:02 | 身辺雑記

東京大学の本郷キャンパスで、駐輪場に止めていた学生や教職員らの自転車11台のサドルが外され、代わりにブロッコリーやバナナが差し込まれているのを職員が見つけた。サドルは自転車の前かごに入れられていた。職員が調べていると、近くにいた3人の20代の男子学生が悪戯したことを認め、「自転車の所有者の驚いた顔を見るのが楽しみだった」と話したという。警察署は、サドルのほかに壊したり部品を盗んだりした形跡がなかったため、刑事事件としての立件は見送った。大学側がこの学生たちをどのように処置したのかは分からない。

 

 若い学生の稚気から出た行為だと笑って過ごすこともできるだろうが、20代にもなってと、何か情けない気がするし、天下の東大生もこの程度かと嗤いたくもなる。東大に入るくらいだから頭はそれなりに良いのだろうが、やることは幼稚だ。ユーモアのあるジョークだと寛大に考える向きもあるだろうが、もし彼らの1人が私の孫であれば、「馬鹿者!」ときつく叱るだろう。若者のジョークが理解できない頑迷なジジイと思われても構わない。旧制高校の学生も稚気のある言動をしていたが、それでも大学生になれば、それなりのわきまえと分別を持つようになった。

 

 こんな学生もいる。8月下旬のある日の夕刻、滋賀県大津市のJR湖西線近江舞子駅で、ホームにいた男性客が「貨物列車に男3人が飛び乗った」と駅員に通報した。通報を受けて約7キロ離れた所を走行中の貨物列車(21両編成)を停車させ、運転士が13両目の貨車に3人の男がいるのを発見した。近くを走行中の富山発大阪行き特急「サンダーバード34号」を止め、3人を近江舞子駅に連れ戻した。警察の調べの結果、3人は京都大2年、新潟大2年、東京外国語大1年の男子大学生で、愛媛県内にある中学、高校時代の同級生だったという。たまたま貨物列車が信号待ちで近江舞子駅に停車しているのに飛び乗った。「滋賀県高島市にある名水を見たかった。」と話したという。彼らはこの貨物列車を各駅停車だと思ったらしいが、次の停車駅は福井県敦賀市の敦賀駅だった。この騒ぎで湖西線は上下線とも約1時間運転を見合わせ、約3200人に影響した。

 

 貨物列車は、土台車両にコンテナが搭載されているもので、3人が乗った車両のコンテナは1個だったが、コンテナと土台車両のうち人間が入れる空間は幅約60センチ、長さ約2.5メートルしかない。3人はここに並んで手すりにつかまり、しゃがみ込んで乗車していた。列車の時速は95キロくらいで、かなり怖い思いをしたらしい。無謀で浅はかな行為だが、やはりこれが有名大学の学生かと思うとその分別のなさに呆れる。

 

 近頃は何かと言うと偏差値とやらで、大学進学もそれを目安にして競争する。高校時代と言うと10代後半の心身ともに若々しく充実した青春の時期だが、受験競争に明け暮れる生活を送っていると、バランスの取れた人間形成に必要な何かが欠落してしまうのではないか。だから大学生になると単純に開放感を味わって、その年相応の分別が付かないままになり、悪くするとそのまま社会に出ることになる。

 

「今時の若い者は」というありきたりの老人語を発するつもりはないが、一部にせよこのような大学生たちの行動を知ると何か割り切れない気持ちにとらわれる。

 

 

 


汽車土瓶

2011-11-25 11:12:21 | 身辺雑記

 現在の大阪府の吹田市と攝津市にまたがってあった旧国鉄吹田操車場跡地から、昔の駅で温かい茶を入れて販売されていた小型陶器製の「汽車土瓶」が大量に発見されたという記事を見た。大阪府文化財センターの調査で分かったもので、数万点あるとみられるそうだ。

 

 

 

 土瓶は摂津市の跡地内にある石炭を捨てた穴で見つかったが、この操車場では昭和初期に、大阪駅終点の客車の清掃作業が行われていたそうだ。その頃の土瓶の捨て場だったのだろう。見つかったのは、192833年の製品で高さ約7~10センチ、容量は約220ミリリットルと320ミリリの2種類で、1933年は昭和8年で私の生まれた年だから、80年ほど前のものだ。「五銭」「七銭」と販売価格のほか「空壜はこしかけの下江お置を願います」などと車窓から投げ捨てないよう注意書きがあるものもあり、少なくとも24種類の図柄や形状を確認したそうだ。付属の湯飲みや蓋もともに見つかった。貴重な文化財というほどのものではないが、鉄道マニアには「お宝」物で、欲しいという希望者が殺到するのではないか。

 

 駅内での茶の販売は、明治22年静岡駅の駅弁屋が信楽焼の土瓶に静岡茶を入れて売ったのが始まりと言われているそうで歴史は古いが、この土瓶は昭和32年頃からプラスチック製容器が登場し、約10年程でこれに取って代わられたので姿を消した。現在では山梨県の小淵沢駅で販売されているそうだ。今では駅売りの茶はペットボトル入りや缶入りのものになってしまっているから、ラスチック製容器もなくなっているのか。

 

  http://www.umakato.jp/archive/coll/03_01.html

 

  汽車土瓶は懐かしい。父に連れられて汽車で旅行した時には駅弁と一緒に必ず土瓶入りの茶を買ってもらった。触ると温かい感触や、容器と蓋が擦れ合うカリカリというかすかな音を思い出す。土瓶は窓の側に置いた。年寄りの感傷かも知れないが、駅弁と汽車土瓶を買って、ああいうのんびり、ゆったりした汽車の旅をしてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


おかしな看板

2011-11-24 08:17:13 | 身辺雑記

 卒業生の I 君の店(男性物衣類)の裏隣は鞄や旅行用のキャリーケ-スなどを売っている店で、今「改装閉店バーゲンセール」をやっている。このことで I 君はもうヶ月近くセールをしているが、いつまでやるつもりですかねと笑って言った。バーゲンセールならせいぜい10日か長くても半月くらいだろうが事情があるのだろう。

 

 話のついでに I 君は、以前面白いテレビを見たと言った。街で見かけた面白い看板を特集したものらしいが、その中に大阪のある靴屋の看板に「もうあきまへん。閉店します」とあったそうだ。「もうあきまへん」というのがいかにも大阪らしくて可笑しいのだが、その看板は20年も前から掲げてあって、今では2代目が後を継いでいるとのことだからなお可笑しい。20年以上も「あきまへん」の状態が続いていたのか、何とか持ち直したが看板のほうは忘れてしまったのか、意図的に残しているのか、とぼけた話で、聞いて笑ってしまった。この看板を見る人はもう慣れっこになってしまって、「あほかいな」と笑っているのかも知れない。事情を知らない人は、今が「もうあきまへん」の状態で、閉店バーゲンセールでもするのかと期待するかも知れない。そのあたりを狙った店のしたたかな計算があるのかとも勘ぐってしまう。

 

 大阪人というものは一筋縄ではいかないしぶとさがあると聞いたことがあるし、何でも笑いのめしてしまう面もあるようだ。少々軽薄なところもあるとも言われる。この看板などはさしづめそのような大阪人の気質を表わしているのかも知れない。

 

 

 


クレーマー(2)

2011-11-23 09:23:16 | 身辺雑記

  中国ツアーの客からのクレームのことを書いたが、クレームは何もツアー客だけのことではない。最近はあちこちでクレームが増えていると聞くのは、世相の一端なのだろうか。もっともクレーマーは昔からいて、私の友人はある百貨店のクレームを扱う係りでだいぶ苦労したようだったし、私のクラスの生徒だったO君は卒業後ある百貨店の玩具売り場を担当していた時に明らかにやくざと思われる親にクレームをつけられて土下座して謝罪したという。私も近くの百貨店で30代の妻子連れの男が、ある売り場の店員にクレームを付けた挙句に激昂して、そこにあった物を床に投げつけたのを見たことがある。同じ百貨店では身なりの悪くない60代の男が、売り場でグタグタと文句を言っているのを再三目にしたことがあるが、これなどは常習的なクレーマーだったのだろう。どうも百貨店というのは、クレーマーが横行するところなのかと思ってしまう。

 

 百貨店はクレームを付けやすいのかも知れないが、近頃は学校、企業、公的機関、商店などでクレーマーが増え、中には暴力行為や殺人などに至るケースも発生しているてクレームが違法行為に発展するかの見極めは難しく、マニュアル的に対応できないのが現実のようだ。

 

 大阪市天王寺区にある市交通局のバス操車場で、事故処理担当の男性職員が20歳の男に刺殺された。男は市バスとの事故トラブルを抱えていた。また、同市中央区の府赤十字血液センターの献血施設で、窓口対応にクレームをつけていた41歳の男が男性所長を刺し、大けがを負わせた事件も起きている。ふつうのクレームであれば事業者側に問題があることは少なくないようだが、それが突発的に暴力行為、犯罪を引き起こすことになっては、事業者のほうでは対策に頭を悩ませることになるだろう。 

 

 ある旅行業社の男性社員は、客から呼び出しを受けて複数人から「旅行がプラン通りでない部分があった。海外旅行に招待しろ」と言われた。こうなるとクレームというよりも、脅迫、ゆすりの類で、どうせかなり悪質な連中だったのだろう。社員はパンフレットに誤りはないと思ったが、認識の相違があったとして一部返金に応じたそうだ。してやったりとほくそ笑むクレーマーの顔が想像でき、悪い奴が得をする嫌な話だと思う。

 

 鉄道の乗客による駅員らへの暴行なども深刻化している。「ホームの端を歩いていた客に注意したら腹を殴られた」「指定席券を持たずに乗車しようとしたので購入を求めたら殴られた」など、これはクレーマーなどではなく、単なる犯罪者だ。

 

 学校に対するクレームも増加し、大阪などでは「モンスターペアレント」がかなりいるようだ。このことは前にも書いたが、親の中には教師よりも自分のほうが学歴が上で「偉い」と思っているのが少なからずいるようで始末に悪い。

 

 日本人が皆そうだなどとは言えないが、サービス業に従事する者(教師もそうだが)に対しては一段と見下したような態度をとる者が少なくないように思う。商店などの店員に対して、横柄なことばと態度で接しているのをよく見かける。相手が弱い立場だと見ると横柄な態度になるのは、しょせんその人間の卑小さの表れだろう。

 

 扱いに問題があれば遠慮なく苦情を言えばいい。その場合も相手の立場を尊重して、折り目正しい冷静な態度であるべきだ。すぐに激したり怒鳴ったりするのは、品位の低さを見せ付けるもので醜い。


クレーマー

2011-11-21 12:09:20 | 中国のこと

 

  西安の旅行社に勤める李真にチャットしたら、先日手配したツアーの客のクレームの対応をしていた。このツアーは西安を観光してから北京に向かったが、料理がまずかったというクレームだそうだ。西安では徳発長という餃子の老舗、北京では北京ダックで有名な、これも老舗の全聚徳、どちらにもまずかったとクレームが出たそうだ。

 

 私もかつて徳発長にも全聚徳にも行ったことがあるが、まずいなどとは思わなかった。徳発長の餃子はさまざまな形のものが出される餃子宴が有名だが、クレームをつけた者は日本で普通の焼き餃子と比較したのか。中国には焼き餃子はほとんどなく、茹で餃子か蒸し餃子が普通だ。全聚徳の北京ダックはさすがと思わせる旨いものだったが、クレームをつけた者は鳥嫌いだったのか、あれがまずいとはどうも分からない。期待したほどには美味しいとは思わなかったということか。

 

 人によって食べ物の好き嫌いはあるし、料理には口に合うものも合わないものもある。私は好き嫌いがないから何でも食べる方だが、それでも特に旨いとは思えないものもある。私の周辺にもいたが、口に合わないと「まずい」と言うのだが、それを聞くと嫌な感じがする。グルメでもあるまいし、口に合わなかったら黙っていればいいのに、それをクレームにするというのはどうかと思う。ある知人は、店で食べたうどんの汁が不味いと従業員にクレームをつけたらしいが、私にはインスタントうどんのほうが美味しいと言ったから、これは味が分からないということだろう。

 

 このツアー団体は、謝俊麗が西安でガイドしたようだが、聞いてみると15人の団体で、その内11人が女性で、俊麗に言わせると威張っているのが多かったようだ。料理以外でも、トイレにはウオッシュレットがないのはどうしてか、日本には全部付いていると言ったようだ。知ったかぶりのいい加減なことを言うものだ。日本でも全部がウオッシュレットとなっているわけではない。現に私が住む市の公共施設にでもウオッシュレット式になっているのは多くない。まして日本全体では普及していないほうが多いだろう。この団体は近畿地方のある県の小都市から来たようだが、多分中国人の謝俊麗に「やっぱり中国は遅れている」、「日本は進んでいるのだよ」と言いたかったのだろうが、何か「井の中の蛙」という感じもする。俊麗はあまり良い印象を持たなかったようだ。

 

 李真はクレームに対して返金することになるだろう、利益はあまりないと言った。私はそんなことは必要ないだろうと言ったが、旅行社は弱い立場なのだそうだ。こういうクレームがあると、ツアーを募集した日本の旅行社は嵩にかかったように対処することを要求してくることが多いようだ。どうせ格安のツアーで、それでなくても現地の旅行社は受け容れに四苦八苦するのに、わがままとも思えるクレームに対処しなければならないとは気の毒に思う。返金などしたら中国ではクレームを付けたらいいという、悪い思い込みをする者が出てくるのではないか。

 

 

 


クマゼミの害

2011-11-19 23:01:33 | 身辺雑記

セミの季節は過ぎ去ったが、気のせいか今年はクマゼミの鳴き声をあまりあまり聞かなかったように思う。幼い頃、神戸の須磨にいたが、夏になると庭の青桐の木に止まって、まず一声シャアッと鳴き、そのあとシャッシャッシャと大きな声で鳴く。最高潮になるとセンセンセンセン・・・とも聞こえる。クマゼミは幼い私には憧れのセミで、ベランダから近寄って捕虫網で捕らえようとするのだが、すばしこくていつもシャッと言って飛び去ってしまうから、一度も成功したことがない。その後東京に移ったが東京にはクマゼミはいなかった。最近では分布地は北上して、東京など関東でも見られるそうだ。

 

 クマゼミは日本特産の大型のセミで体長は60~70ミリある、ヤエヤマクマゼミに次いで大きいという。頭が大きく黒くいかつい体つきで、子どもには魅力のあるセミだった。近頃この辺りで見るクマゼミは子どもの頃見たよりも少し小さくなっているような気がする。このクマゼミ、思いがけないことで害虫としてその扱いに悩まされていた。

 

    インタネットより

 

 クマゼミのメスは月から月にかけて直径約ミリの先端が鋭い産卵管を木の枝に突き刺して卵を産み付ける。ところが、NTT西日本(大阪市)の光ファイバー通信の家庭用ケーブルにも産卵し断線させる被害が平成17年ごろから多発していたという。光ファイバー通信の幹線から枝分かれした家庭用ケーブルを、枯れ枝と勘違いして産卵するから、ケーブル内の心線を傷つけ、通信を遮断する。光ケーブルの通信線がそのようにデリケートなものだとは知らなかったが、この被害は平成11年に初めて確認された。そのニュースは聞いたことがある。ピーク時の20年には約2千件の被害があったというから馬鹿にならない。

 

 

                                           NTT西日本提供

 

 それではケーブルの皮膜を厚く硬くすればいいではないかと言うと、そんなに簡単なことではないようで、太く硬くなりすぎると施設工事の障害になるらしいから微妙なものだ。

 

NTT西日本では16年と18年に、クマゼミ対策で改良したケーブルを導入して被害を減らすことに成功したが、さらに3代目のケーブルの開発に着手し、21年に開発した最新型のケーブルでは、3年連続で被害がゼロになった。そのためには研究員達はクマゼミの生態を分析するために、大阪市内で毎日約60匹を捕獲して、実際にケーブルに産卵する様子を観察したという。自然の産卵環境を維持するために、研究員達は酷暑の中、冷房もつけずに実験を続けてきたそうで、顕微鏡で0.1ミリメートル単位の刺し傷の深さを分析するという根気の要る作業を続けた。その結果、ケーブルを覆うプラスチック系被膜を、産卵管でも傷つきにくい硬さに改良したうえ、被膜の最薄部の厚さを約0.ミリに保つことで、産卵管がケーブルの心線に達しない最新型のケーブルを完成させた。

 

 私たちが気が付かないところで、このような緻密な努力が続けられたことには頭が下がる思いがする。これがプロの仕事と言うものだろう。

 

 

 


断末魔

2011-11-19 14:52:49 | 身辺雑記

 この年になると、いったいどのような最後を迎えるのかと時折思う。何で死ぬにせよ静かな終焉を迎えたいとは思うのだが、なかなかそうはいくまいとも思う。

 

 死ぬ間際の苦しみを断末魔(断末摩)と言う。「末魔」は梵語のmarmanの音訳で、死節、死穴と訳されるそうだ。体内に特殊な末摩と呼ばれる極小の部分があって、命の終わるときにはこれが分解して苦痛を生じて死に至るとのことだ。

 

 私の父は膵臓癌で死んだが、滋賀県の大学病院に入院していたので、私と弟は車で駆けつけたが臨終には間に合わなかった。母に聞くと父は急に苦しみ出し、大声を上げてもだえたそうだ。駆けつけた医師が押さえつけても暴れるほどだったと言う。それまでは病気が進行しても苦しむことはなかったが、最後のひどい苦しみは、それが断末魔のものだったのかと思った。

 

 妻はスキルス性胃癌で死んだ。これは胃壁の内部にできる癌で、やがて癌細胞が胃壁を破って腹腔内に散らばって転移する。肝臓などに転移すると強い痛みに襲われて横になっていることもできなくなることもあるそうだが、妻はそういうことはなかった。日々瘦せていったが、穏やかに過ごしていた。しかし看護師からもう後わずかと聞かされて2,3日たった夜、急に苦しみ出した。激しくもだえながら「おかあちゃん、おかあちゃん」と叫んだ。幼い頃の母親の幻を見て助けを求めているかのようだった。付き添っていた次男は泣きながら、枕元に置いてあった祖母の写真を見せ「おばあちゃんはここにいるからな」と声をかけていた。あまり苦しむので耐えられなくなった私は、医師に鎮静剤を打つように頼み、そうするともう意識が戻ることはないと聞かされたが承諾した。それから後は穏やかに昏睡したまま、翌日の午後に息を引き取った。臨終は穏やかだったが、やはりその前に断末魔の苦しみを味わったのかと思うと哀れだった。

 

 父方の祖母は90歳半ば、母は80歳半ばで老衰で死んだが、どちらも穏やかに逝った。とりわけ祖母は、これが眠るような大往生と言うものだろうと思うくらいの静寂な死で、厳かな感じさえした。母の最期も看取ったが、これも静かな死だった。病室に持ち込まれた心電計の波形を見ているとしだいに平たくなったので、これで最後だろうと思って私は母の耳元に口を近づけて「母さん、さよなら」とささやいた。すると心電計の波が急に元に戻り、付き添いの年輩の女性から、「静かに逝かしておあげなさい」と叱られたが、私の声は、幽冥に入ろうとしている母に届いたように思った。

 

 このような経験から私は、何か体内に異常なもの、例えば癌のようなものができると、断末魔の苦しみがきて、老衰のようないわば自然死だと、穏やかに逝けるのかと何となく思っているのだが、どんなものだろうか。願わくば祖母のような安らかな死を迎えたいものだ。

 

 

 

 


電車の中で火をつける

2011-11-17 09:44:34 | 身辺雑記

 先日、東京のJR中央線を走行中の電車内で午前0時半頃、乗客の衣服に火をつけたとして、36歳の自称派遣社員の男が建造物等以外放火の現行犯で逮捕された。

 

 この男、自分が座っていた座席のすぐ横に立っていた20歳の大学生のダウンジャケットに背後からライターで火をつけ一部を損傷させた。別の男性客が気づき、駅で降ろしたが、逃走しようとしたため男子学生が取り押さえた。

 

 警察の調べによると、「席に座っていたが、すぐ横に立っていた乗客の服が邪魔で腹が立った。火をつければ離れると思った」と供述しているとのことだ。仕事帰りで酒に酔っていたらしい。

 

 酔っていたとは言え、何とも呆れ返った行為だ。このようなことをして、しかも逃げようとしたのだから泥酔していたのではあるまい。生酔い状態ではなかったかと思うが、正常な判断力が鈍っていたのだろう。だからと言って、公共の場でのこのような常軌を逸した行為は許されるものではない。

 

 痴漢行為など反社会行為をして捕まった容疑者が、酒に酔っていて覚えていないと言うことがよくあるが、私はアルコールに弱く、口にすることがほとんどないからよく分からないのだが、本当にそんなものなのだろうか。泥酔してもちゃんと家に帰ることがあるから不思議に思うのだが、断片的にその時々は覚えているが、酔いが覚めると忘れると言う。犯罪的な行為の場合にもそういうこともあるのだろうが、ほとんどは生酔い状態のときに起こしてしまい。罪や非難を免れるための口実にしているようにも思う。

 

 それにしても電車の中で衣服に火をつけられては堪らないし、ましてや、時折あることだが、ホームから突き落とされては命にかかわる。酔っていたからと言って甘くしてはならない。件の男、どのように処分されるか分からないが、きつく灸を据えられるべきだろう。