中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

白い花

2007-06-29 08:36:25 | 身辺雑記
 近頃は園芸品種の草花の改良品種がたくさん出回っているが、形や色は実に多様だ。今年はアジサイがあちこちで花盛りで、こんなものもあるのかと思うほどさまざまなものがある。








 色とりどりの花は目を楽しませてくれるが、私は草花でも木の花でも白色のものに心を惹かれる。白は清楚でもあり、時には豪華でもある。純白のものが最も美しいと思うが、白に一部色がさしているのもなかなかいいと思う。

 梅雨の前から撮りためていた白い花を改めて見直してみた。

ユキノシタ
  山野に自生したり庭の片隅に植えられていたりするユキノシタ科の植物。高校の生物の実験の時間に、葉の裏の表皮を薄く剥がして顕微鏡の下に置き、濃度の違う蔗糖液を落として原形質分離と言う現象を生徒に観察させた。葉は天婦羅にすると言う。花は小さく愛らしい。




ドクダミ
 どこにでもあるドクダミ科の多年草。薬草として使われる。花弁状の苞の白と葉の濃い緑とのコントラストが美しい。




ナンテン
 庭木としてどこにでも見られる中国原産のメギ科の植物。




ネズミモチ
 モクセイ科の常緑樹。庭木や生垣に使われている。小さい花が枝にたくさん着く。




バイカウツギ
 ユキノシタ科の落葉低木。花は4弁だが梅の花に似る。


ナツツバキ
 ツバキ科の落葉樹。幹の肌はサルスベリに似てつるつるしている。シャラノキと呼ばれてよく寺院に植えられている。


タイサンボク
 北米原産のモクレン科の常緑高木。英名はマグノリア。大きな花には芳香がある。




ササユリ
 葉が笹状のユリ。かつては山野に自生していたが、開発と乱獲のため激減している。花は淡紅色だが、私にとっては想い出のある白い花である。学生時代、私の下宿の近所に住んでいた高校生の少女が父親と一緒に近くの山にこのユリを採りに行き、その1輪を届けてくれた。門口に立って緊張したように大きく目を見開いて手渡してくれた顔を今でも思い出す。それは押し花にして今もある。50年以上も前のことだが、それから何年かたってその少女は私の妻になった。


アジサイ
 ユキノシタ科の観賞用落葉低木。日本原産で、幕末に日本に来たドイツの医学者であり博物学者であったフィリップ・フォン・シーボルトが採取して、ハイドランジア・オタクサという学名をつけた。オタクサはシーボルトの日本人妻であった楠本滝を「おたきさん(おたくさ)」と呼んでいたことに由来する。




クチナシ
 アカネ科の常緑低木。開花すると強い芳香を放つ。熟した果実は紅黄色で古くから染料として使われた。食用色素としても使われ、我が家でも正月のおせちのきんとんの色付けにした。八重咲きのものは結実しない。


ハンゲショウ
 小さい白い穂状花を着けるが目立たないもので、むしろ半分が白くなる葉が目を惹く。半夏生。半化粧。片白草。



四川の旅(2)―平楽古鎮②―

2007-06-28 09:18:22 | 中国のこと
 街のはずれに出ると大きな川があり、石造りの橋がかけられている。橋のたもとには大きな榕樹(ガジュマル)の木が3、4本あり、その下の広い木陰に置かれたテーブルで住民たちが茶を飲んだり、麻雀をしたり、新聞を読んだり、のんびりと過ごしていた。この日は金曜で平日の午後だったが、ゆったりと時を過ごしている様子が羨ましかった。








橋の対岸。緑が多い。


橋から見た川。緑が美しい。


対岸には屋形船のようなものがたくさん舫っている。


川沿いの小道。




木陰では、ここでも麻雀に興ずる人たちがいた。


竹製の屋形船。竹筏と言う。平日のためか利用客は少ないようだった

水深は浅いらしい。この竹筏のために堰を造って水深を調整しているようだった。


街がある側の岸辺。竹製のソファーが並べられている。


大きな水車。ソファーに憩う姿がある。涼しげである。


竹製の建物。このあたりは竹が多いようだ。



四川の旅①(平楽古鎮)

2007-06-27 21:14:00 | 中国のこと
  5月25日から29日まで、中国北西部の四川省を訪れた。四川省と言っても非常に広いから、今回訪れたのは省都の成都を足がかりにして、その近郊の古鎮である平楽(ピンラー)、成都の北東にある明清時代の古い城市の閬中(ランチョン)、成都の北の阿壩(アバ)蔵族羌(チャン)族自治州臥龍にあるパンダ研究所の3箇所だった。 *蔵族はチベット族

 5月25日、西安から西安中国国際旅行社のスルーガイドの李娟さんが同行して成都に入る。成都空港で出迎えてくれたのは現地旅行社の雷鳴君。彼のことは後に紹介するが、好青年ですばらしいガイドだった。
 
成都空港



  成都の西南約80キロの邛崍市平楽古鎮に行く。この古鎮のことは、3月に上海からの帰りの飛行機の中にあった中国民間航空の雑誌で知ったのでメモしておいた。雷鳴君の説明では2千年の歴史がある鎮らしいが、取り立てて見るべき旧跡や遺跡があるわけではない。それでも静かで、ゆったりと時が流れているような雰囲気で、観光客相手の土産物屋などもあるが観光化されていない好ましい感じの町だった。

 街の入り口に門があり、「禹王古街」とある。禹王(う)は中国古代の夏の国の始祖とされる聖王で治水に功績があったと伝えられている。平楽鎮が禹王とどのような関係があったのかは分からないが、いかにも古い鎮と言う感じがする。




街はどこも静かで喧騒さがない。観光ズレしていない庶民の生活の場という感じであった。








土産物屋。多くの商品を並べている。近寄っても誰も出てこない。




この鎮特産の豆腐乳や豆鼓を売る。豆鼓を一瓶買った。


古物商か。


何かの修理屋らしい。


臭豆腐を売る屋台。食べたかったが通り過ぎた。


軽食を売る。


玉蜀黍の粉を練って蒸したもの。


どくだみ(魚腥草)。雲南、貴州、湖南などではよく食べられるが、この地方でも食べるようだ。中国の食材は何でも食べるが、これだけは生臭くてどうにも食べられなかった。西安の李真の父親も、あれはとても食べられないと言っていた。江南地方や北方では食べないようだ。


 川劇(せんげき)の舞台。川劇は浙江省紹興の越劇、広東省の粤(えつ)劇とともに有名な地方劇。成都国際無形文化遺産祭が開かれているらしく、ここも分会場として川劇を上演するようだ。


 ある店の前にいた犬。我が家でも以前2回飼ったことがあるペキニーズ犬。中国原産の犬で、かつては清朝の宮廷でしか知られていなかった。西太后の棺を載せた車を曳いたと言う。阿片戦争の時に北京の紫禁城に侵入した英軍の軍人が、取り残されていた2匹のペキニーズ犬を見つけ、英国に持ち帰ってヴィクトリア女王に献上した。それ以後繁殖されて全世界に広がり、今ではこのような鄙びた中国の街でも見られる。


 


香袋

2007-06-24 18:34:46 | 中国のこと
 上海の唐怡荷から小包が送られてきた。中には杭州の有名な緑茶である龍井(longjing)茶と、良い香りがするきれいな袋、それに手紙が入っていた。

 手紙を読んでみると、端午節(6月19日)の前日に書いていて、「端午節の日になってから夏の虫が出ますので、虫よけの香袋を家にかける。香袋の中身は漢方の薬が入っている。」とある。端午節には粽を食べる習慣があることは知っていたが、虫除けの香袋をかけることは初めて知った。この香袋は童涵春堂という漢方薬の店のもので、上海では有名らしい。



 心が落ち着くようなとても好いやわらかい香りがする。珍しいものをもらった。2つあるので、枕の下に1つ置くことにしよう。

梅雨の合間に(3)

2007-06-23 08:21:23 | 身辺雑記
法隆寺
 久しぶりに訪れた。30年ぶりだろうか。夢殿の救世観音のご開帳のときだったと思うが、その当時のことは覚えていない。門前はきれいに整備されている。少し前にテレビで門前にある老舗の蕎麦屋の立ち退きのことがニュースになっていた。

 法隆寺はよく知られているように世界最古の木造建築で、1400年の時を経ている。1993年には日本初の世界文化遺産として登録された。18万7千平方メートルと言われる広大な境内は塵ひとつ落ちていない清浄さで、就学旅行の中高生が来ていたが静寂だった。

 中門と五重塔(飛鳥時代)。ここは西院伽藍と呼ばれる寺域で、南側にある中門から東西に廻廊が延び、北側の大講堂につながっている。廻廊に囲まれた中には東に金堂、西に五重塔がある。


 五重塔(飛鳥時代)。日本最古の五重塔。釈尊の遺骨を納めるためのストゥーパ(卒塔婆)で、仏教寺院では最も重要な建物。


 金堂(飛鳥時代)。本尊を安置する。聖徳太子のために造られた金堂釈迦三尊像(国宝)は有名。内部壁面の世界的に有名な壁画があったが、昭和24年に失火のために焼損。その時の新聞報道を断片的だがいまだに覚えている。


 大講堂(平安時代)。学問を修めたり法要を営んだりする場。元来は飛鳥時代に建てられたが925年に落雷のために焼失し、990年に再建された。


大講堂から見た金堂、中門、五重塔。


聖霊院(鎌倉時代)。西院伽藍の東側に隣接する。僧侶の住居である僧房だった。


綱封蔵(こうふうぞう。平安時代)。宝物庫。


 綱封蔵のそばを通り抜けてしばらく行くと平成10年に建設された大宝蔵院がある。飛鳥、奈良、平安、鎌倉の各時代の仏像や宝物などが展示されている。有名な玉虫厨子(飛鳥時代)、夢違観音像(白鳳時代)などがあるが、圧巻はわが国の仏教美術を代表する仏像として名高い百済観音像(飛鳥時代)で、そのすらりとした優雅な姿態には惹きこまれてしまう。館内は撮影禁止。

 寺域の東端には739年に建てられた東院伽藍があり、この伽藍の中心が聖徳太子の供養のための夢殿(奈良時代)である。

四脚門と夢殿。


 夢殿。堂内の厨子には秘仏の救世観音(くせかんのん。飛鳥時代)が安置されていて、春秋2回に限って開帳される。


夢殿を取り囲む廻廊。


鐘楼。


 中国の寺や仏像はけばけばしい色彩のものが多い。我が国の寺院も創建当時は色彩豊かで、仏像も金色に輝いていたのだろうが、歳月を経て黒ずんだものになっているのは、なかなか趣があると思う。色彩はともかくとして、創建当時のこの法隆寺の周辺はどのようなものだったのだろうと思った。今では高い建物こそないが、多くの民家があり広い道路も走っている。1400年前にはおそらく寺の周辺には田圃や草原があり、遠くから伽藍が見渡せるものだったのだろう。タイムスリップができればなどと考えた。

 梅雨の合間の1日はなかなか充実したものだった。H君夫妻は近頃はよく食事や遠出に誘ってくれるので無聊が紛れて有難いと思う。




梅雨の合間に(2)

2007-06-22 08:58:24 | 身辺雑記
大和民俗公園(奈良県立民俗博物館) 
 矢田寺の近くにある大和民俗公園に寄った。静かな丘陵地にあるこの公園には奈良県立民俗博物館があり、ここには県内の農林業に使用した道具が多数陳列してあり、農具などは私の少年時代に住んだ滋賀県大津でも身近に見られたものが多く、そういうものを見ていると日本の農業も50年足らずの間に急速に変化したことが分かり興味深かった。

園内には県下の古い民家が移築展示されていた。

旧臼井家住宅。18世紀前期頃の建築という。臼井家は藩の公務に携わる傍ら「伊勢屋」と称し酒や醤油の販売をしたという。入口の軒先には造り酒屋の看板である「杉だま」が吊るしてある。


臼井家の模型(県立民俗博物館)


 園内には菖蒲園があり、あまり広くはないが各種の菖蒲がちょうど見ごろだった。H君の説明では細めのものは江戸系、太目のものは肥後系ということだ。


















菖蒲園の中の水車小屋

梅雨の合間に

2007-06-21 09:32:25 | 身辺雑記
 卒業生のH君夫妻と奈良の矢田寺、大和民俗公園(奈良県立民俗博物館)、法隆寺に車で出かけた。よく晴れた日差しの強い一日だった。

矢田寺
 金魚の産地で有名な大和郡山市の矢田丘陵の矢田山の山腹にある高野山真言宗の古寺。開基は約1300年前で、本尊は延命地蔵菩薩なので「矢田のお地蔵さん」と愛称されて地蔵信仰の中心地として栄えてきた。矢田寺は俗称で正式の寺号は金剛山寺(こんごうせんじ)と言う。

本殿


 境内には約8000本の各種のアジサイが植えられているので「あじさい寺」とも呼ばれている。

 
 













 境内のアジサイは園芸品種も多く、在来種がどれなのかよく判らなかったが、境内の一角にある「あじさい見本園」にはさまざまな在来種も植えられていた。

かしわばあじさい


なでしこがくあじさい


やまあじさい


やまあじさい 紅(くれない)


つるあじさい

 


ペットボトルの茶

2007-06-19 08:20:23 | 中国のこと
 今はお茶を淹れるのではなく、ペットボトル入りのものを買う時代だと言う。ペットボトルから湯飲みに移して電子レンジでチンというのはどうにも味気ない話だが、確かにそう言われるくらいペットボトル入りの茶は緑茶、烏龍茶、ブレンド茶など全盛だ。

 中国人はよく茶を飲む。観光バスの運転手などは専用の筒型のボトルに茶葉を入れて湯を注いで置いていて飲み、休憩の場所では湯を足しに行く。博物館でも出入り口に坐っている女性のそばにも同じような容器がある。この容器はスーパーでも売っていて、安いものからかなり高い凝った外見のものまでいろいろあって、中国人が茶好きであることがよく分かる。中国茶と言うと烏龍茶を想像するが、実際は圧倒的に緑茶が多く、いわゆる銘茶だけでも400種以上の銘柄があるそうで、烏龍茶は福建省や台湾に産するくらいで、中国茶全体から見ればほんの一部でしかない。

 その中国でも近頃ではペットボトル入りの茶が売られるようになってきている。もっとも日本のように2リットル入りというものなどは見たことはなく、500ccくらいの携帯できるものだ。街では若者が持って歩いているのを見かける。中国人は基本的には料理は温かいものを食べて冷えたものは敬遠するが茶も同じで、夏だからと言ってレストランなどで冷たい茶が出されることはない。日本人が好むギンギンに冷えたビールなどは中国人にとってはとんでもないものらしい。そのような中国人がペットボトル入りの茶を飲むようになるとはちょっと思えなかったが、年輩者はともかくとして若者の嗜好はだんだん変ってきているのかも知れない。私も一度ペットボトルの緑茶を買って飲んだことがあるが、甘くしてあるのには閉口した。別の機会に買おうとして甘くないのを探したが無かった。紅茶と同じ感覚なのだろうが、甘い緑茶などどうにも好きになれない。

 ペットボトルと言えば、ホテルの部屋にはたいていペットボトルの水が置いてあり、これはサービスで無料だ。よく知られているように中国では生水を飲むのは禁物で、ホテルでは必ずこのボトルの水か、備え付けの電気ポットで水道水を沸かして飲まなければならない。ある卒業生は、これまで中国で水道の生水を飲んでも腹を壊したことは一度もないそうだが、これは稀な例だから、うっかり真似をするとひどい目に遭うだろう。中国でも水道水を飲むことはしないで、20リットルはあるような大きな容器に入った水を買っている家庭はかなりあるようだ。街では、そのような容器を満載したリヤカーを自転車で引いているのを見かける。かなりの重労働だろう。
 
家庭に備えてある給水器。


西安空港で。業務用らしい。


 そんなことで水から茶へとペットボトル入りのものがだんだん増えてきたのかも知れない。ペットボトルの水はごく普通に売っていて、少し前には「哇哈哈(wahaha)」というブランドが多かったが、近頃はさまざまな銘柄のものがある。それだけ需要が多くなっているのだろう。

薔薇(4)―野生種のバラ―

2007-06-17 09:10:48 | 身辺雑記
ハマナス
「浜梨」が訛ったもの。梨のように食べられる果実をつけることに由来する。漢名は玫瑰(meigui)とされるが、これは類似の別種の漢名の誤用と言われる。中国語でバラを玫瑰と言う。俳優の森繁久弥が作詞、作曲して歌って流行した「知床旅情」の出だしで、「知床の岬に はまなすの咲くころ」と歌われている。






ノイバラ
バラの原種。バラの接木の台木に使われる。名称は枝や葉に刺があることに由来する。別名ノバラ。バラらしい好い香りがする。






グミ

2007-06-16 00:01:24 | 身辺雑記
 やっとパソコンが戻ってきた。結局リカバリーと冷却ファンの取替えという「治療」だったが、ずいぶん長くかかったように思う。返ってはきたが、出す前にあらかじめバックアップしておいたはずのOutlookがうまく復元できないので、近所のパソコン教室に相談に行くことにしているから、メールはまだできない。

 5月24日に出発した中国四川、西安の旅を無事終え、4日の夜に帰国したが、それから10日間はパソコンなしの生活で、初めのうちはやはり何かしら手持ち無沙汰で、パソコン依存症になりかけていたのかなと思いもしたが、そのうちに慣れてきた。

  帰ってみると、出かける前に折々撮っていた身近にあるいくつかの植物の様子がだいぶ変わっていて、自然の営みが着実であることを改めて知った。たとえば出かける前にはまだ少し固い蕾だった紫陽花はどの家でも満開になっていた。



 また、青かった我が家のグミはどれも赤く熟していて美しくなっていた。中国での旅のことについては、これから追々まとめていくことにして、しばらくご無沙汰していたブログにはまず、このグミを取り上げることにする。 
 
 我が家のグミはダイオウグミ(別名ビックリグミ)で、狭い庭にある他の木と同じように、いつごろ植えたものか記憶にない。夏には枝が伸び葉が茂るが格別の風情もなく、時折ほんの数個赤い実をつけるので目を向けるくらいのものだった。それが今年は花が密集するようにしてたくさん咲いたので少し驚き、記録していくことにした。

   4月11日

 花はダチュラ(エンゼルトランペット。キタチョウセンアサガオ)の花のような筒形で同じように下向きに咲く。好い香りがしてミツバチなどが集まっていた。






子房は次第に膨らみ、大きくなっていく。
  4月30日

  5月6日

まだ十分に膨らんでいないのに色づく実は、やがて落果する。
  5月14日

しだいに色づいてくる。
  5月23日

完熟。
  6月6日

 収穫。それほど甘くはなく渋みもあるが懐かしい味でもあった。この何倍か採れたので、近所の奥さん達に分けてあげた。