中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

あくち

2010-07-31 10:18:19 | 身辺雑記
 珍しく唇の左端の付け根に口角炎ができた。口を開くと傷が切れて痛い。朝起きると傷口はふさがっているようだが、歯を磨こうとして口をあけるとまた傷が開いた。

 関西の方言で口角炎を「あくち」と言う。古い言葉らしく広辞苑を見ると、「①雛鳥のくちばしの根元辺りの黄色の部分。 ②幼児の口のあたりにできる湿疹。ごきずり」とあり、漢字は「緊唇・口頭瘡蓋」となっている。②が口角炎で、できるのは幼児には限らないが、やはり幼児に多いようだ。「ごきずり」を引いて見てみたが載っていなかったから、言葉の由来は分からない。①は「まだくちばしが黄色い奴が・・・」などと若者を嘲ることに転用される。同じく年少者を嘲る言葉に「あくちも切れぬ(小倅共)」がある。

 少し大きくなっているのであくちは白い。

 親に口答えするとあくちが切れると言うのだそうだ。「そないなことばっかし言うとったらあくちが切れるぞ」というような言い方をする。あくちは痛いものだから、子どもを脅す時に使うのだろう。

 あくちの原因は、疲れやストレスなどで体内でビタミンが欠乏するとできると聞いたが、かかりつけの医師ははっきりした原因はないようなことを言い、軟膏を出してくれた。抗生物質や副腎皮質ホルモンの配合剤だが、寝る前に塗っておいたらすぐに治った。結局、これといった原因らしいものは思い当たらなかった。

天下り

2010-07-30 18:39:47 | 身辺雑記
 民主党政権に対するマスコミの風当たりは強い。とりわけB級週刊誌などは目次をざっと見るだけでも言いたい放題の感じだし、一部の新聞もけなすことが多いようで、まるで善いことは何もしていないと言いたいような感じだ。私は特に民主党には期待は持っていたわけではなかったし、政権発足以来の「迷走」ぶりにはいささかうんざりしたが、かと言ってまったくの失政と言ってしまうのはどうかとも思う。

 例えば話題になった「事業仕分け」などはそれなりに予算の無駄遣いの少なくないことを国民に知らせたことは意味があったと思う。おそらくそれ以前の政権でははっきりさせることはできなかっただろう。中でも各省所管の法人の多さやその運営のずさんさ、そこに天下った官僚が多額の報酬を得ていることなどを、一部にせよさらけ出したことは良かったのではないか。

 官僚の天下りは庶民にとっては不愉快なものだ。最近も新聞に出た記事によると、経済産業省所管の財団法人「石油開発情報センター」が、非常勤の会長について無報酬と公表しながら「謝金」として年間約1300万円を支払っていたということだ。この法人の歴代の会長ポストには旧通商産業省のOBが天下っていた。

 会長の職務はセンターの総理や外国の要人への対応などで勤務は週3日とのことで、それで年間1300万円の謝金とは、いくら何でも野放図だと思う。この法人は会合に招いた専門家などには1回につき1万~2万の謝金を支払うことが明文化しているが、会長の謝金については明文化された規定はないとのことだ。この謝金の額についてこの法人は「役務の正当な対価を謝金として払っている」と言っているそうだし、監督する経済産業省の資源エネルギー庁石油・ガス課は、「役員報酬ではなく謝金なので不適切とは考えていない」と言っているようだ。答えているのももちろん官僚か元官僚だろうから、我々庶民の感覚とはかけ離れたことを臆面もなく口にするのだろう。ある専門家は「謝金にしては多額過ぎ、裏報酬に等しい。公金を回して天下り官僚を生活させるシステムは根本から見直すべきで、監督官庁の責任も思い」と指摘しているようだが、天下り官僚と現役官僚のもたれあいで税金を我が物顔に恣意的に扱っていることは、ちょっとやそっとでは改まらないのではないか。まさに「百年河清を俟つ」という感じがする。

 彼ら天下り官僚には自分が報酬なり謝金として受け取っている金が貧しい庶民も含めて納めている税金、公金だという意識は希薄どころか皆無に等しいのではないか。感覚が麻痺しているとしか思えない。外国の役人の収賄などがよく話題になり、そういうことではその国の後進性を嗤う傾向もあるが、私にはこのような天下り官僚も同じ穴の狢という気がしてならない。

手伝い

2010-07-29 09:44:32 | 身辺雑記
 前に次男に電話して近況を聞いたことがある。その中でこの春に大学に入った孫息子のことを尋ねると、まあ大学にはちゃんと行っているけれど、今日は言いつけた用事をしてなかったので叱ったと言った。洗濯物をたたんでおくように言いつけたのにしておらず、結局は自分がしたようだが、あいつの分はたたんでやらなかったと笑っていた。叱ったら神妙にしていたかと聞くと、何やら偉そうなことを言っていたとまた笑った。それでも家のことをさせるのはいいことだと言ったら、だいたい教師になりたいと思っているのだから、集団に奉仕することを知っておくべきだと言う。孫は小学校の教師志望で教育学部に行っている。家族も社会集団の最小の単位だからもっともだと思った。

 小学校の教師をしている次男は結婚当初から共働きで、家事は分担していた。分担と言っても何曜日はどちらがするというような機械的なものではなく、どちらかが出張や会合などで遅くなる時は一方が夕食の支度をする、子どもがむずかったら手が空いている方がオムツを換えてやる、洗濯物の始末をするというような臨機応変のやり方でうまくチームワークをしていた。共働きの場合は夫が家事で妻を助けるということではなく、一緒にやることだというのが持論だったし、職場でもお茶を入れるのは女性という考え方を嫌っていた。教師には共働きが少なくないが、職場では「民主的」なことを言っていても、家では家事一切を妻に任せている、と言うよりも押し付けているのはおかしいとかねがね言っていた。その点では息子を子どもの頃から殊更にしつけたわけではないが、よくやっていると評価している。

 教師をしているから、集団に奉仕するということが大切だと日頃感じているのだろうが、息子にそれを実践で教えようとしていることは良いことだと思う。

バナナあれこれ

2010-07-28 09:36:48 | 身辺雑記
 朝遅く起きるせいか朝食はあまり食べない。牛乳にクッキー数枚、それにバナナ1本くらいで済ます。

 バナナはずいぶん安いものだし、1年中ある。デパートやスーパーでは非常に安く売っている。いろいろな品種があるが、食べ比べたことはないから、とくに気に入っているものはない。値段もいろいろだが、そのときの気分で適当に買うが、高めのものは敬遠する。しょせんバナナだという気がするのだ。

      

 料理用のバナナもあるが、使ったことはないし、食べたこともない。

      

 よく知られているように、バナナは生産地で未熟の房を収穫し、輸入してから熟成させる。害虫の侵入を防ぐために植物防疫法の定めで熟したものは輸入できないからだ。輸入されたバナナは、加工業者がエチレンガスと温度、湿度を調整して熟成させる。Hr君は青い未熟のものを口にしたことがあり、とても渋かったと言っていた。

 買ってきたバナナは傷みやすい。その途中で皮の表面に黒褐色の斑点が出てくるが、これは「スウィートスポット(Sweet spot)」とか「シュガースポット(Sugar spot)」と言って、簡単な熟成のバロメータとなるものだ。卒業生のI君の娘は誰に吹き込まれたのか知らないが、このスポットの出たバナナは腐っていると言って頑固に口にしようとしないらしい。

      


 生産国は多いが、日本ではフィリッピン産のものを多く輸入しているそうだ、時折近くのスーパーで沖縄のものを売っていることがあるが、かなり高くて、たかがバナナという気持ちになるから買う気は起こらない。

 戦後間もない頃、父が街でバナナを見つけて買ってきたことがあった。子ども達が喜ぶだろうと思ったのだろう。戦争中はバナナなどは贅沢品のようなもので輸入されなかったから、久しぶりにバナナを見て、私やすぐ下の妹は歓声を上げた。ところがまだ幼かった2人の妹は、気味悪そうな顔をしてじっと見ているだけで、父はいささかがっかりしたようだった。妹達にとっては何か得体の知れないものに思えたのだろう。もっとも皮を剥いて口にすると、とても喜んで食べた。

 私の息子達が幼かった頃、「とんでったバナナ」という童謡が人気があった。4歳くらいだった次男も好きで、妻に入れてもらった風呂の中でかすれたような声で「バナナン バナナン バナアナ」と歌っていたのを思い出す。40代なら今でもこの歌を覚えている人は多いだろう。

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/ton_banana.html

 バナナの皮はよく漫画の題材になっていて、悪戯で道路にバナナの皮を置いて、それを踏んだ者が滑ってひっくり返る場面がよくあった。誰が思いついたのかは知らないが、実際にあのように滑って転ぶものだろうか。

 バナナは安価でおいしい庶民的な果物だ。生食だけでなくケーキに使われたりするから、あの香りと食感がこれからも好まれるだろう。


      

                                                      京都府立植物園で


富裕層

2010-07-27 07:19:39 | 身辺雑記
 世界には金持ちもいれば貧乏人もいる。金持ちには富裕層と呼ばれる人もいるが,貧乏人には極貧層に属する人たちもいる。いずれにしても金持ちよりも圧倒的に貧乏人が多い。

 身近なところでは中国がそうだ。沿岸部の都市にはごく少数の富裕層がいるが、内陸の農村部には多数の貧困農民が存在する。そこを見ないで、最近の中国は経済が発展して豊かになったからと、中国人と言えば大方は裕福だと思っている日本人がいる。私が入っている貧困農村部の子ども達に教育援助をしている会の会員の中にも、時折そのように錯覚して、もう援助は必要ではないのでないかという人もいるが、貧困農村部の実態はとてもそんなものではないし、沿岸都市部にも多くの貧しい人たちがいる.

 世界に目を遣ってみると、米国のあるコンサルト会社によると、100万ドル(約9000万円)の金融資産を持つ世帯を「富裕層」とすると、2009年は全世界で1120万世帯、その資産総額は111兆5千億ドル(約1京200兆円)となると言う。米国は470万世帯でトップ、日本は第2位、続いて中国、英国、ドイツとなっている。富裕層は世界の全世帯の1%に満たなかったが、世界の富の約38%を保有し、寡占率が前年より2ポイント高くなり、「富の集中」が一層進んだと言う。いかに富が不均衡に存在しているかが分かる。

 日本の富裕層人口は約165万人で、中国の約47万人を大きく引き離している。私の身内や周辺にはそこそこの金持ちはいるが、富裕層とされるのは多分いない。私の父は一介のサラリーマンで、とくに晩年は貧しかったし、私自身も金融資産などはまったくと言っていいくらいの無いに等しいものだから、いわゆるお金持ちの生活というものを知らない。まして富裕層などと言われる人たちがどのような生活をしているのか想像もできない。違った世界なのだろうと思う。

 前の首相は政治家としてはトップクラスの資産家で、同じく政治家の弟と、毎月母親から1500万円をもらっていたことが話題になったが、本人は知らなかったと言っていた。そのような言い訳を口にするところはまさに金持ちのぼんぼんで、知らぬはずはないとだいぶ攻められたが、ひょっとすると本当に知らなかったのかも知れないと思ったりする。前首相は「宇宙人」などと言われたが、まったくそのような気がしてくる。

 Hr君やHg君と話をしていると、Hr君に「月に1500万もらったら何に使います?」と聞かれた。急に改まってそのように聞かれると、貧乏性が身についた悲しさ、答えられなかった。少しはましな家を建て、こんなことに使い、あんなものを買い、かねがね思っている寄付もしてなどと言っても、「毎月ですよ」と念を押されるとそれ以上は思いつかない。そもそも金があると何かを買ってという考えそのものが、普段まとまった金に縁がない者の発想なのかも知れない。資産は増やすものと考えるべきなのだろうが、そうするとまた増やしてどうなるのだろうと考え、死んだらそれまでじゃないかと思ってしまう。それは貧乏人の負け惜しみだと言われればそうかも知れない。






猛暑

2010-07-26 10:35:35 | 身辺雑記
 各地で洪水をもたらした暴れ梅雨が終わったかと思うと猛烈な暑さの毎日、23日の大暑もその名にふさわしく猛暑日で、外に出る気はしなかった。

 二十四節季の大暑は立秋までの期間も言い、これから当分猛暑が続く。小暑(今年は7月7日)から大暑は暑中で、暑中見舞いを出す時期だった。

 この暑さに2日間、冬籠りならぬ夏籠りを決め込んでいたが、今日(25日)は買い物もあるし4時頃街に出た。相変わらずのぼせ上がるような熱気で、門のそばの木に掛けてある温度計は40度を指していた。

      

 空には大きな入道雲があり、眺めているだけで暑苦しかった。若い頃には入道雲を見ると爽快な気分になり元気が出たものだが、やはり年のせいだろう。

      

 街では書店に行ったり買い物をしたりして、帰ろうかと思ったが強い日差しに恐れをなして、帰る途中にあるカフェレストランに寄り、しばらくアイスティーを飲みながら本を読んで過ごした。6時頃に店を出るともう日は落ちていたので照り返しはなかったが、それでも道路から発散する熱はむっとするもので、日差しがないだけ何とか辛抱できるものだった。

 西の空には雲が広がり、一雨来てほしかった。

      

 若い頃は暑いのも寒いのも苦にならなかった。真夏にひどく汗をかいても、かえって気持ちよく思ったものだ。それが今では夏も冬も苦手になり、とりわけ暑いのが耐えられなくなった。

 この猛暑で、各地では熱中症患者が続出し、死者も出ていて、その多くは高齢者だ。予報では35度と言っても、実際には日の当たる所では40度を超える。だからしきりに水分のこまめな補給をと言われている。年寄りは体内の渇の信号が出にくくなるから、意識して水分を補給する必要があると言う。これまであまり気にしなかったが、今年は年でもあるし、この暑さだから、水分の補給は怠らないようにしている。寝る前の水1杯も必要なのだそうだ。



腐乳

2010-07-24 12:38:35 | 中国のこと
 中国の豆腐を発酵させた腐乳はユニークな食品で、私は好きなので前にもブログに書いた。

http://blog.goo.ne.jp/ryoyokota200608/s/%BE%AE%C0%F4%C9%F0%C9%D7

 久しぶりに小泉武夫さんの「くさいはうまい」を引っ張り出して読んだ。何回読んでも面白い本だが、世界には何とまあ臭い食品が多いものだと人間の嗜好の多様さには呆れるし、臭いものでも食べるほうの私でも読んだだけで敬遠したくなるものもある。

 その中の腐乳について読むと、しばらく食べていなかったので急に食べたくなった。これまでに中国の友人たちからもらったものや、自分で買ったものなどを置いてあったので、その中から適当な瓶を取り上げて開封した。今回あけたものは白腐乳というもので、腐乳としては標準的なものか。



 小泉さんは「味はマイルドでコクがあり、まさにカマンベールチーズととクリームチーズが一体化したしたようなクリーミーな味となります」と書いているが、今回食べたものは味は塩気が強く酸味もあってかなり刺激が強く、マイルドとは言えるものではなかった。また、「においはかなりきつく、鼻を突くその臭みに慣れるまでは少々の時間を要するかもしれません」とも書かれているが、私が食べたものは無臭に近い。腐乳にもいろいろあるのだろう。

 「オリエンタルのチーズ」という名もあるそうなので、ふと思いついてクラッカーに塗って食べてみた。ミスマッチかと思っていたのだが、食べてみると結構マッチしているように思った。ただチーズに比べると塩分が強すぎるし、香りが乏しいので少し物足りなかった。それに見た目が泥を置いたようであまりよくない。やはり粥と一緒に食べるのがよいようだ。



 たんぱく質などの栄養源に富むものだと言うから、たくさん食べられるものではないが、これからはせいぜい食べることにしよう。

 中国の発酵豆腐には臭豆腐というのもあるが、これは本当に臭い。街角で揚げていると、物凄い臭気がして鼻を覆いたくなるほどだ。そのためか広州では売ることを禁止しているそうだ。ところが揚げたてのものを食べると臭気はほとんどなく、実に美味しい。このところしきりに食べたいと思っている。

  (日曜日はブログを休みます)

妻の料理

2010-07-23 09:25:30 | 身辺雑記
 私の妻は料理が上手なほうだった。オリジナルレシピで料理を作ることなどはできなかったが、丁寧に作って、味もなかなか良かった。前にも書いたが、ハモやカキのフライ、コロッケなどの揚げ物は得手だった。最後の入院をする少し前に、広島産の小粒のカキのフライを作ってくれたが、非常に良くできた。ちょうど居合わせた息子達も喜んで食べたが、これが妻の最後の揚げ物料理になった。料理ではないが、良い指導者にめぐり合ったこともあってパンには情熱を注いでいて、さまざまなパンを焼いたが、最終的には非常においしい食パンを3日に一度くらい焼いてくれた。パンを焼く時は狭い家中に芳香が立ちこめて、今もその香りを鼻腔の奥に思い出す。しかし今ではすべてが遠い過去の思い出になってしまった。

 そんな妻も結婚当初から料理上手だったわけではない。もう50年以上も前のことだからクッキングスクールに通ったこともなく、昔のたいていの娘がそうだったように母親の手伝いをしながら見よう見真似で覚えたようだったが、結婚当初はどちらかと言うと料理の腕前は覚束ない感じだった。包丁を持つ様子も何かぎこちなく、とりわけ魚をさばくのが苦手で、あるときなどはアジをさばいていて、悲鳴を上げたのでとんでいくと、真っ赤な鰓が出てきて怯えたのだった。怖い怖いと子どものように泣いたのがおかしかった。思えば頼りないことだった。

 味付けもあまり上手くなく、とくに実家は6人家族だったので、2人前の塩加減がなかなかつかめなかったようだ。ある日の夕食に煮物が出されたが、口に入れると非常に塩辛くとても食べられたものでなかったので、思わず「こんなもの食べられるか」と不機嫌に吐き捨てるように言った。妻は言い返しもせずに悲しそうに黙っていた。その顔を見てすぐに後悔したが、新婚早々で見知らぬ土地に来て、しかも勤めにも出ていたのに一生懸命やっていた妻に何とひどいことを言ったのかと、その私の横暴さと妻の悲しそうな顔を思い出すと今も胸が痛み、心の中で詫びている。

 そんな妻も子どもができ、勤めを辞めて専業主婦になってからはしだいに料理の腕は上がっていき、料理上手だった母も認めるようになった。だいぶたった頃、両親の家に行った時に、まだ出始めた頃のピザをトマトソースも台も作って焼いて、新しい食べものの好きな父を大いに喜ばせた。おとなしそうに見えて根はがむしゃらなところがあったようだ。

 妻が逝って久しい。今の私の食生活は貧相なものだ。自分で作ることはあまりしないし、そそくさと食べてしまって味気ない。そばに妻がいてくれたら、いろいろ話しながら食べるのにといつも思う。そうであれば、どれほど食事が心休まる楽しいことか。まして、妻の手料理をもう一度食べたいが、叶わぬことになってしまった。


心温まる詩

2010-07-22 07:40:43 | 身辺雑記
 「NHKニュース7」というサイトがあって、そこにこの番組の出演者(キャスター、気象予報士、ニュースリーダー)のブログがある。その中で、私のお気に入りの気象予報士の半井小絵(なからい・さえ)さんが、最近「『NHKハート展』をご存じですか?』と題した一文を書いている。

 「NHKハート展」というのは、NHKが毎年開催しているもので、障害のある人たちが綴った一編の詩に対して、各界で活躍する著名人やアーティストが「ハート」をモチーフにした様々なアートを添えた展覧会ということで、半井さんも3年前に絵を描いたそうだ。そのときのパートナーは、新保いずみさんという群馬県にある障害福祉サービス事業所でビーズアクセサリー作りなどの仕事をしている女性で、ブログにはその折のいずみさんの入選作品の写真が添えられている。このような詩だ。

 
      スープ
 あたし
 おひめさまのように
 食べてるの。
 こうやって
 こぼさないで食べるんだ
 ゆっくり食べるんだよね。 
 お母さんじゃましないでね。

     
         半井さんの絵 。これもいい。



 ほのぼのとするような心温まる詩だ。「おひめさまのように 食べてるの」という表現が何とも可愛い。最後の「お母さんじゃましないでね」もいい。思わず微笑んでしまった。いずみさんが何歳かは知らないが、純真な心の持ち主なのだろう。半井さんによると彼女は3年連続でハート展に入選し、それを記念して『いずみの詩(うた)』という詩集を自費出版でまとめたそうだ。この詩集の表紙にはこんな詩があるそうだ。

 ふわりふわりと
 空をとぶと
 いい気分です。
 でもちょっとひとやすみ

 読んでみたいと思う。

 このハート展、大阪では今年は8月18日から24日までの間、NHK大阪放送局で開かれるようだから、ぜひ行ってみよう。




夫婦別姓

2010-07-21 10:11:26 | 中国のこと
 2008年の10月に西安の李真の家に行った時、彼女夫婦の部屋で前の年の彼女達の結婚式のDVDを見せてもらった。ところがどうも具合が悪くて映らない。李真はしばらくプレーヤーをいじっていたが、急に大きな声で「チェンウエイ!」と叫ぶように言った。一瞬何かと思ったが、すぐに彼女の夫君を呼んだことが分かった。彼の姓名は陳偉(チェン・ウエイ)と言う。中国では夫婦別姓だから夫婦で姓が違うのは不思議ではないが、ただその時は夫をフルネームで呼んだのが面白いと思った。日本なら妻が夫を「山田太郎!」と呼ぶようなものだ。そう言えば李真の父親も彼女をフルネームで呼ぶということは聞いたことがあった。それが普通なのか、それとも偉(ウエイ)や真(チェン)のように1音の名前は呼びにくいので姓をつけるのか、そのあたりのこと確かめていないので分からない。

 夫婦別姓(夫婦別氏)については日本でも議論の対象になっているが、なかなか結論は出ないようだ。2001年に内閣府が発表した「選択的夫婦別氏制度に関する世論調査」で、選択的夫婦別姓(希望により、夫婦同姓か、夫婦別姓か、好きな方を選択できる制度)の賛成派が、初めて反対派を上回った。特に、20代、30代では、男女とも、選択的夫婦別姓賛成派が、旧姓使用容認も含めると、80%を超えているという。30代の女性では、9割以上が法改正を望んでいた。しかし時事通信社が今年3月に実施した世論調査の結果は、選択的夫婦別姓制度に賛成が35.5%に対し、反対は55.8%あったという。国会でも法改正の動きはあるが、保守的な考えの議員が多いので、なかなか実現しないそうだ。ある新聞は「左翼政権的政策」と書いていた。

 夫婦別姓の国は、近い中国や韓国の他にも、フランス、ベルギー、スペイン、イラン、クウェート、サウジアラビア、シンガポールなどがある。中国では夫婦別姓でも、子どもは父親の姓を名乗るのが普通のようだ。しかし、父親の姓にするか、母親の姓にするかは選択できるようだ。西安の謝俊麗の話では、子どもができた時に夫婦どちらの姓にするかと夫の劉君に尋ねたら、僕の子どもだからと劉姓にすることを強く主張したそうだ。劉君の子どもでもあると同時に腹を痛めて産んだ俊麗の子どもでもあるのだが、やはりまだ男性中心の考えがあるのか。また俊麗が、友人の李真に子どもはどちらの姓にするかと尋ねたら、当然夫の姓の陳(チェン)にすると言ったそうだ。陳の方が李よりも子どもの名をつけるのに良いからだそうだが、耳にしたときの音がいいのか、このあたりは中国人でないと感覚が分からない。

 俊麗は夫婦の姓を合わせることもあるとも言った。例えば俊麗の息子は劉謝とする。中国人の姓は1字が多いからこういうことも考えるのだろうが、俊麗は劉謝ではあまりよくないこともあるようだから止めたと言った。このあたりもよく分からない。日本なら森姓と林姓の夫婦の子の姓に森林とつけるようなもので、通称ならともかく、法的にはだめだろう。中国でも時々2字姓、例えば諸葛とか司馬などがあるが、この場合には2つ合わせて諸葛司馬という姓にすることはあるのか。

 父親とも母親とも違う姓をつけることも稀にはあるようで、例えば毛沢東と3番目の妻の賀子珍との間にできた娘は李敏と言う。これは当時、国民党の追及を逃れるためにしたことで、特殊な事情だろうが、今でもあるのだろうか。

 現在の中国の男女別姓の根底には男女平等の思想があるが、かつては韓国などと同じように儒教の思想によって、女性は嫁いだ後も一族の者として認められなかったことによるようだ。

 日本では婚姻の届けをする時に夫婦がどちらの姓にするかを決めなければいけない夫婦同姓が法的に決められているが、謝俊麗は妻が夫の姓を名乗ることは日本の習慣と思っていて、ある日本のドラマを見て、法律で決まっていることを知って驚いたと言った。

 姓は元来は出自の氏を名乗っていることだから、日本では家族制度のこともあって夫婦別姓には賛否両論があるし、これからも続くだろうが、将来的には選択的夫婦別姓が認められるような気がする。