・・・・と言っても思想傾向のことではない。エスカレーターに立つ位置のことだ。
先日次男と東京に行った時、駅やデパートでエスカレーターに乗ると無意識に右側に立ち、前の人を見て、ああそうだったと左側に移ったことは毎回あった。関西では右側、関東では左側に立つということは知っていても、実際の場面ではもう習慣になっていて体は自然に右側に寄る。こちらでたまに左側に立っている人を見ると東京人かなと思ったりする。
地域によって違うらしいので、その他ではどうなっているかと調べてみると、関東、東海、長野、北海道、岡山、福岡では左側に立ち、近畿や仙台では右側に立つようだ。これで見ると左立ち右空けが多いようだ。何となく近畿から東に行くにしたがって左立ちが多くなるのではないかと思っていたが、どうやらそうらしい。また、左右のどちらかを空けるという習慣そのものがなく、前に居る人に合わせるなどという地方も結構多いそうだ。これでは、後から来た者は通り抜けできないだろうと思うが、本来エスカレーターは立ち止まって乗るものだとも言われる。日本エレベーター協会では、エスカレーターでは歩行しないことをマナーとして呼びかけているそうだ。実際エスカレーター上で歩くとその振動によって安全装置が働き、緊急停止することがあったり、片側に寄ることは荷重バランスを崩して、不具合を起こす可能性もありうるのだそうだ。だが現実に左右のどちら側かに寄ることが習慣として定着している都市では歩行禁止の実現は難しいだろう。それにしても、エスカレーターに乗っている時にせかせかと追い抜いていく人を見ると、せめてゆっくりしたらよいのにと思うことはよくある。
それでは、なぜ都市によって立つ位置が違うのかと言うと、1970年に開催された大阪万博の際、主に右立ちが多かった欧米諸国にならって左側を空けるようにして以来、近畿圏ではそれが定着したようだ。その後首都圏に次々にエスカレーターが設置されるようになったが、ここでは従来からあった道路上での「追い越しは右側」という習慣から右側を空けるようになったと言う。
別にどちら側に立ってもよさそうなものだが、習慣になると皆が整然と同じ側に立つようになるのは、何か目に見えない力にコントロールされているような面白い現象でもある。そしていったんどちら側に立つかの習慣ができてしまうと、そうでないところでは違和感と言うのか、非常に落ち着かない気分になる。東京ではその気分をたびたび味わった。
ところでエスカレーターと言えば、前にも書いたことがあるが、駅で1基だけしか設置されていない場合には、例外なく上り専用である。前には特に何とも思わなかったが、数年前から脚の具合が少し悪くなってからは、階段を下りるのに難渋するようになった。上る時には少し体を前傾させるから目は階段の面からあまり離れていないが、降りる時には足元よりもずっと先まで見えるから警戒心が強くなり緊張する。杖を突いた腰の曲がった老人が難儀そうに階段を降りていくのを見ると、エスカレーターが1基の場合には下り専用の方がいいのではないかと思う。登り道の方が辛いからと考えるのは元気な者の発想ではないだろうか。
先日次男と東京に行った時、駅やデパートでエスカレーターに乗ると無意識に右側に立ち、前の人を見て、ああそうだったと左側に移ったことは毎回あった。関西では右側、関東では左側に立つということは知っていても、実際の場面ではもう習慣になっていて体は自然に右側に寄る。こちらでたまに左側に立っている人を見ると東京人かなと思ったりする。
地域によって違うらしいので、その他ではどうなっているかと調べてみると、関東、東海、長野、北海道、岡山、福岡では左側に立ち、近畿や仙台では右側に立つようだ。これで見ると左立ち右空けが多いようだ。何となく近畿から東に行くにしたがって左立ちが多くなるのではないかと思っていたが、どうやらそうらしい。また、左右のどちらかを空けるという習慣そのものがなく、前に居る人に合わせるなどという地方も結構多いそうだ。これでは、後から来た者は通り抜けできないだろうと思うが、本来エスカレーターは立ち止まって乗るものだとも言われる。日本エレベーター協会では、エスカレーターでは歩行しないことをマナーとして呼びかけているそうだ。実際エスカレーター上で歩くとその振動によって安全装置が働き、緊急停止することがあったり、片側に寄ることは荷重バランスを崩して、不具合を起こす可能性もありうるのだそうだ。だが現実に左右のどちら側かに寄ることが習慣として定着している都市では歩行禁止の実現は難しいだろう。それにしても、エスカレーターに乗っている時にせかせかと追い抜いていく人を見ると、せめてゆっくりしたらよいのにと思うことはよくある。
それでは、なぜ都市によって立つ位置が違うのかと言うと、1970年に開催された大阪万博の際、主に右立ちが多かった欧米諸国にならって左側を空けるようにして以来、近畿圏ではそれが定着したようだ。その後首都圏に次々にエスカレーターが設置されるようになったが、ここでは従来からあった道路上での「追い越しは右側」という習慣から右側を空けるようになったと言う。
別にどちら側に立ってもよさそうなものだが、習慣になると皆が整然と同じ側に立つようになるのは、何か目に見えない力にコントロールされているような面白い現象でもある。そしていったんどちら側に立つかの習慣ができてしまうと、そうでないところでは違和感と言うのか、非常に落ち着かない気分になる。東京ではその気分をたびたび味わった。
ところでエスカレーターと言えば、前にも書いたことがあるが、駅で1基だけしか設置されていない場合には、例外なく上り専用である。前には特に何とも思わなかったが、数年前から脚の具合が少し悪くなってからは、階段を下りるのに難渋するようになった。上る時には少し体を前傾させるから目は階段の面からあまり離れていないが、降りる時には足元よりもずっと先まで見えるから警戒心が強くなり緊張する。杖を突いた腰の曲がった老人が難儀そうに階段を降りていくのを見ると、エスカレーターが1基の場合には下り専用の方がいいのではないかと思う。登り道の方が辛いからと考えるのは元気な者の発想ではないだろうか。