中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

妻のきょうだい

2010-06-30 09:21:13 | 身辺雑記
 散髪していると主人が、2年程前に奥さんを亡くした男性が、郷里の四国に帰るのでと言って最後の散髪に来たと話した。もう60代らしい。その男性は奥さんの一周忌に奥さんのきょうだいに法事の案内を出したら、あんたとはもう関係ないと断られたそうだ。ひどい話だな、そんなものかなと話し合ったことだった。前からきょうだいとはうまくいっていなかったのかも知れないが、故人は自分たちの姉か妹だろう。それを供養する気もないとは、情の薄い寒々とした話だと思った。

 私の妻は4人きょうだいの長姉だったから弟や妹がいるが、私は彼らと仲良くやってきた。とりわけ一番末の妹はもう還暦を過ぎたが、幼い頃から妻に可愛がられたからだろう、今も妻のことを思ってくれていて、住んでいる千葉市から毎年、東京の谷中にある私の家の墓に参りに出て来てくれている。私も幼い頃から可愛がっていたので、時々電話して近況などを話し合う。昨年末には妻の母親の17回忌の法要があり、当然のように私も招かれ、久しぶりに弟妹達と会って歓談できた。たとえ連れ合いが死んでも、これが普通のことではないか。死んだからあんたとはもう関係ないとは、人さまざまではあっても侘し過ぎる。

 ちょっと離れたところにある家では主人が亡くなると、子ども達が後妻を無一文同然で追い出したということが何年も前にあった。後妻にどういう問題があったのかは知らないが、これもひどい話だと思った。結婚というものは当事者の夫婦以外にもトラブルの種が潜在していることがあるのだろう。
  

 

「ドブスを守る会」

2010-06-29 07:33:29 | 身辺雑記
 「卑劣な『ドブスを守る会』」という見出しの記事を見た。この見出しを見た時には「ドブス」の意味が分からなくて、「ド」にアクセントを置いたものだから、そういう名前の人物なのかと思った。記事を開いてみると、この「ド」は関西地方でよく使われる「ど阿呆」などの人を罵り卑しめたり、「ど真ん中」、「ど根性」のように程度が強いことを表したりする接頭語だということが分かった。「ブス」は容貌の醜い女性の蔑称だ。

 首都大学東京のシステムデザイン学部4年の22歳と23歳の男子学生2人が「ドブスを守る会」と称して、街頭で通りすがりの女性に「雑誌の撮影」などと声をかけて写真を撮った後、会の名称を名乗り、それを聞いた女性たちの反応まで収めた動画を公開していたと言う。記事によるとこんな遣り取りだったようだ。

「写真撮らせてもらえますか?」
「…なんか雑誌ですか?」
「ハイ」
「(撮影が終わり)ありがとうございました。タイトルはドブスを守る会です」
「…写真、消してもらっていいですか? 私は自分のことブスとは思ってないし、そんなふうに使う んだったら最初から言うべきだと思います」
「ありがとうございます。やっと、こういった反応が撮れました」

 動画には、彼らの一人らしい青年が道行く女性に「スナップ写真を撮らせてもらえないか」と声をかけ、女性は「急いでいるから」とか「写真を撮られるような容姿ではないから」と断るのだが、青年は「ドブスの写真を撮りたい、あなたはピッタリだ」と食い下がったりしている場面があるようだ。

 まったく失礼極まりない人を食った連中だが、彼らは会をつくった動機について、「ドブスが絶滅の危機に瀕している。わが国から消えゆくドブスの姿を収めた写真集を作り始めた」などと説明したらしい。写真を撮られた女性は分かっているだけで6人で、そのうち少なくとも2人の動画が公開されていたそうだ。公開して非難が殺到してもまったく反省することもなかったらしいが、他人の人格の尊重ということなどを意に介さない呆れた輩だ。彼らはこのほかにも身体障害者の女性と健常者の女性の反応を比較することまで計画していたらしいが、「ドブスの会」の問題が発覚したために実行されなかった。また彼らは、経営難にあえぐ70代の男性洋品店主に対し、インタビューと称して「今日の昼ご飯は?」「趣味は?」など無意味な質問を繰り返したあげく、「ここ絶対つぶれますね」と吐き捨てる動画も撮影していたと言う。若気の至りとは到底言えない実に反社会的で不愉快、傲慢な連中だ。

 彼らは大学側の調査に対して「不道徳なものから生じるおかしみを追求することで、何かしらの表現ができると思った」と話しているという。物は言いようだが、彼らをこのような行動は、彼らが所属するシステムデザイン学部のある教官の考え方にも影響されていたようで、この教官はツイッターなどで「嫌われることをする人を僕は信頼している。嫌われることをするのは芸術家の役割」とか、「倫理性とか道徳性とか世の中一般の尺度と照合してダメとされるもの。ARTはそれを『美なるもの』としてすくい上げる」などと言っているようだ。この教官の考えも門外漢の私にはよく理解できなくて、何か芸術家ぶった独り善がりのようにも思えるが、件の学生達はそれを鵜呑みにして不消化のまま行動に表わしたのだろう。彼らはかつて「ニセ街頭募金」も行っていたようで、その動画を見たその教官は「素晴らしい」と称賛していたと言う。こういうしたり顔の「大人」の有りようが、未熟な学生達を無分別な行動に走らせるのだろう。

 学生達は退学処分になった。「彼らを非難するのは表現の自由を損なう」とする例によって例のごとき擁護論もあるようだが、人の人格を傷つけて、何が「表現の自由」「アート」か。大学4年生にもなって社会人になるのも間近いと言うのに、他人の心を傷つけて芸術家気取りでいるこの愚か者達には、この世の中はそれほど甘くないという薬になったのではないか。




鼠と幼虫

2010-06-28 10:35:28 | 中国のこと
 冷凍庫の中のものを調べていると、隅からこんなものが出てきた。どちらも2001年に中国の南部広西壮(チュワン)族自治区を訪れた時に、ある料理店で出されたものだ。



 左は竹鼠という鼠の前足の指先で、ぶつ切りにした肉を紅焼(ほんしゃお)という、油と砂糖を加えて炒めてから醤油で煮込んだ料理の中にあった。右は何かの蝶か蛾の幼虫のから揚げ。どちらも珍しいと思って持って帰り、冷凍庫に入れておいた。

 中国のあるサイトを拾い読みしてみると、竹鼠は体長は16~23センチで、主に竹類の地下茎を食べるのでこの名がついたようだ。肉は多く、味はよく、栄養豊富だとある。実際食べてみるとなかなか旨かった。

 竹鼠。これは小さい種類のコタケネズミ。ペットとして売られているようだ。
 
 インタネットより

 幼虫のから揚げは取り立てて味のあるものではないが、香ばしくて食感がよく、これも旨いと思ってよく箸が出た。この3月に麗江に行った時にある店先に置いてあったが、買えばよかったと思っている。

 中国にはいろいろな食材がある。日本人からすればゲテモノのようなものもあるが、そこは料理法に長けた中国人のことだ、美味しく食べられるようにしてある。私がこれまで食べたものの中でいちばん旨いと思ったのは、安徽省の黄山の麓の屯渓(黄山市)で食べた蛙のスープだった。小さな器に入ったその蛙の黒い皮はとろりとしていて、肉は柔らかく、まことに美味だった。これは山の中の岩の多い渓流で捕れる石鶏(しぃちぃ)と言う蛙で、あまり多くは捕れないということだった。蛙の肉は鶏のようだ。

糖尿病

2010-06-26 10:46:57 | 身辺雑記
 Hg君の奥さんが入院した。糖尿病と言うことだ。何日か前にかかりつけの医院で血糖値を測ったら340ほどあり驚いたそうだ。疲れるとかの症状はないかと聞かれたらしいが特にない、ただやはり喉の渇きがあって尿も多いようだったとのことだ。入院したほうがいいというアドバイスで尼崎にある県立病院に入院したが、入院してから測った値は500以上だったそうで、血糖値の標準値は空腹時で80~110mg/dl未満、食後2時間で80~140mg/dl未満とされているようだから、これはかなり高い。

 私は40歳で集団検診を職場で受診するようになって以来、血液検査の各項目で引っかかったことはなかった。60を過ぎてからアミラーゼの値が少し高かったこともあったが、それもやがて安定した。だから血糖値も標準値以内で、糖尿病ということには無縁だったし、両親も含めて私の家族、親戚にも糖尿があるということは聞いたことがない。そんなこともあって糖尿病についての知識は皆無に等しいので、改めて調べてみると、なかなか厄介な疾患のようだ。

 私達が日常摂り入れている炭水化物(糖質)は体内でブドウ糖に分解して血液によって細胞に送り込まれてエネルギー源になるが、この血液中のブドウ糖濃度(血糖値)は、膵臓で造られるインシュリンなどのいろいろなホルモンによって調節されて、常に一定の値に保たれているのが正常状態だ。それが何らかの原因で細胞内に糖が取り込まれないようになると血液中に残った糖の量が増える。これが糖尿病だ。

 糖尿病は大きく1型と2型の2つに分けられ、1型は膵臓のインシュリンを作っている細胞が壊れて、インシュリンが枯渇することで起こり、2型はインシュリンはあっても肥満などの原因でインシュリンの働きが悪くなったり、インシュリンの分泌量が減少したりして起こるそうだ。Hg君の奥さんがどちらの型かは知らない。

 先進国では糖尿病は10大疾患とも5大疾患ともされていて、2006年の時点で世界には少なくとも 1億7100万人の糖尿病患者がいて、2030年までにこの数は倍増すると推定されている。しかし、まだまだこの病気についての認識は低いようで、2005年には、米国だけでおよそ 2080万人の糖尿病患者がいたが、全米糖尿病協会によると、620万人の人々がまだ診断を受けておらず、境界型糖尿病(糖尿病予備軍)は4100万人に達するそうだ。

 日本国内の患者数は、この40年間で約3万人から700万人程度にまで膨れ上がってきていて、境界型糖尿病を含めると2000万人に及ぶとも言われるようだ。境界型糖尿病と言うのは血糖値が正常でもない、糖尿病でもないグレーゾーンの範囲にあるもので、日本と違って先進国では、WHO(世界保健機関)をはじめとして「耐糖能障害」という病名を用いているようで、この病名の患者のおおむね1/3は2型糖尿病になり、1/3はこのままで留まり、1/3は正常値に戻るらしい。

 糖尿病で怖いのは合併症だ。「三大合併症」と言われている糖尿病神経障害、糖尿病網膜症、糖尿病腎症で、糖尿病発症時から10~15年でこれらの合併症が出てくると言われる。このうち糖尿病神経障害は手足のしびれ、けがややけどの痛みに気づかないなどで、そのほかにも筋肉の萎縮、筋力の低下や胃腸の不調、立ちくらみ、発汗異常などがあり、合併症の中で最も早く出てくる。糖尿病網膜症は、目の網膜の血管が悪くなり、視力が弱まり、失明する場合もある。白内障になることも多いと言われている。糖尿病腎症は、腎臓の尿を作る機能が悪くなり、日常生活に大きな影響を及ぼす人工透析をする必要が出てくる。

 いずれにしても糖尿病とは厄介な病気だということは分かる。こんなことを調べていると、私自身にその兆候がないかと少し気になってきた。かかりつけの医院で血液検査をしてもらってから少し日がたっているので、また相談してみよう。Hg君の奥さんは自宅に戻れば、自分で指先から血液を採って血糖値を測ったり、インシュリンの注射をしたりしなければならないようだ。自分で注射するなどぞっとする。そんなことにならないためにも、今のところどこと言って不調はないが、用心するに越したことはないだろう。

 国連は、11月14日を「世界糖尿病デー」に指定している。この日はインシュリンの発見者であるバンティング博士の誕生日である。国連がこのような啓発の日を設けたのは、12月1日の「世界エイズデー」に続き「世界糖尿病デー」が2つ目となっている。このようなことからも糖尿病の克服は、世界的な重要な課題であることが分かる。


   (日曜日はブログを休みます)







 

 




テレビがついていないと。

2010-06-25 10:18:47 | 身辺雑記
 行きつけの理髪店に行ったら、先客が散髪を済ませて帰るところだった。代わって私が椅子に着くと、主人が「あの人はもう定年退職して家にいる」と教えてくれた。ということは60過ぎだが、それにしては若く見え、私よりも10歳以上年下なのだなと、改めて鏡の中の自分の顔を見た。

 主人の話ではその人は退職後は再就職せず家にいるとのことで、何をしているんだと聞いたら、朝から夜までずっとテレビを見ていると話していたと言った。外に出ることもほとんどなく、テレビの前に座って過ごしているらしい。我が家のテレビは寿命が来てほとんど映らないし、いい機会だと思って新しいのを買ってもいないから今のところはテレビの無い毎日だが、あってもあまり見ない方だから、毎日一日中見続けているなどという生活は私の想像を超えている。

 これは極端にしても、とくに見ないのにテレビはつけっぱなしという家はよくあるようだ。Hg君の家もそうで、いつ行ってもテレビがついている。奥さんの話では、Hg君は朝起きて2階から降りてくるとすぐにつけるのだそうだが、特に熱心に見ているわけでもないようだ。庭に出たりした時は奥さんが消すらしいが、戻ってくるとまたつけるということだ。私の長男の嫁もいつもつけていますと言った。私などはテレビをつけていると、その音声で何か家の中に他人がいるような気がして落ち着かない気持ちになることもあるのだが、彼女はつけていないと何となく不安でと言った。そんなものかと思うが、Hg君の場合はどうなのだろう。習慣みたいなものになっていて、私とは逆にテレビがついていないと落ち着かないのかも知れない。そういうことでは理髪店で会った男性とは違うが、やはりテレビに依存した生活になっているのではないか。

 テレビ以前にはラジオを一日中つけっぱなしという家庭はよくあった。ラジオは音声だけだから、別の部屋にいても聴くことができるという利点はあった。昔のラジオはあまり電気を消費しなかったが、テレビはつけっぱなしにしていると、結構電気を食うのではないだろうか、不経済ではないかと要らぬ心配もする。


これからが大変よ

2010-06-24 08:51:06 | 身辺雑記
 街に出てちょっと疲れたので、最近JRの駅舎が改造された時にできた駅中スーパーの片隅にある喫茶室で休むことにした。

 席に着こうとしたら後ろから「こんにちは」と声をかけられた。振り向くと知り合いのSさんだった。彼女は学校厚生会という県立や市立の教職員対象の福利厚生の会の、この市の幹事をしている、なかなか活動的な女性だ。彼女は「あなたは脚が悪いようだから、厚生会のほうに文書配布の仕事は免除してあげてと頼んでおいたよ」と言った。

 厚生会は退職教職員も対象にしていて、毎月袋詰めの文書が配布され、退職教員の中から有志の者が自宅近辺の退職者の家にそれを配布する仕事をしている。私も6軒受け持っているが、前に街でSさんに出会ったときに最近坐骨神経痛で歩くと脚が痛むと話したことを覚えていてくれたらしい。配布をやめたいと言ったわけではないが。気を利かせてくれたのだろう。

 礼を言って、近頃は痛みはなくなったからまだ続けるよ、80歳になったら辞めさせてもらうと言うと、今いくつと聞かれた。もうすぐ77だからあと3年だねと答えた。すると彼女の連れの女性、この人も文書配布の仕事をしているので顔は見知っていたが、「これからが大変なのよ」と言った。Sさんは私と同い年、その女性は少し年上のようだが、2人とも元気な様子だ。

 彼女達は先に帰り、席に座ってアイスティーを飲みながら考えた。これからが大変か、そうだろうな、これから先は体力の衰えもこれまで以上に進むだろう、これまでは何とかやってきたがこれからがいろいろあって大変なのだろうな・・・・。そして改めてあと僅かで80代に入ることを思い、80か、生きていたら3年くらいはすぐにたつだろう、思えば遠くに来たもんだとぼんやり思った。




パチンコに復讐

2010-06-23 10:24:01 | 身辺雑記
 大阪市のパチンコ店で5月下旬に客の男性が刺殺された。犯人は35歳の無職の男で、逮捕直後は「生きるのが嫌になり、知らない人を刺した。誰でもよかった」と供述したと報じられ、またもや身勝手ない言い分に腹立たしい思いがした。これまで何度このような言い分を聞いたことだろう。冷淡かもしれないが、生きているのが嫌になったのなら、誰でもいいから殺そうなどとは思わずにさっさと自殺でもすればいいとさえ思う。誰でもよいからと標的にされた被害者は不運としか言いようがない。

 この男はその後の警察での取り調べに対して、「パチンコに負けることが多く、パチンコが許せなくなった。目立つような大きなことをして死刑になりたかった」と、これまた呆れかえるようなことを言っている。事件当日に別のパチンコ店で負け、所持金が数百円になったことに腹を立て、事件のあったパチンコ店に入った直後に、たまたま目の前にいた男性の首を持っていた折りたたみナイフで刺した。死刑になりたかったという言い分はこれまでの凶悪な事件でも犯人の口から出たことだが、私にはどうも本心で言っているのかどうか疑問に思える。

  「自分の人生を狂わせたパチンコに復讐したかった」とも言ったようだが、パチンコで人生を狂わせたのは自分自身の意志薄弱さのせいであって、パチンコに復讐するなどとは見当違いもいいところだし、ましてそれで無関係の客を殺すなどとはまったく無茶苦茶だ。その支離滅裂な言い分は精神に障害があるのではないかと思うほどだが、実際本人が「精神疾患がある」と言ったこともあって、大阪地検は精神鑑定を行う鑑定留置を大阪地裁に請求して認められたようだ。鑑定の結果、もし精神疾患があって責任能力がないとされたら告訴されることもないから、被害者や遺族はまったく気の毒だ。また責任能力があるとされて裁判になっても、またぞろ弁護人が、心身耗弱状態だったとか何とかあれこれ言うのではないか。

 この事件の被害者もパチンコ店の常連客だったようだが、パチンコというものは私には分からないが、人を夢中にさせる魔力のようなものがあるのだろうか。あの騒がしい中で、何時間も居続けて、気分が悪くならないのだろうか。私の知っている卒業生にもマニアがいる。主婦なのだがパチンコに魅入られているようだ。家庭をないがしろにするようなことはないが、話を聞いているとどうやら依存症のようでもある。彼女がパチンコに熱中している姿は、普段の様子からはちょっと想像できない。他人の趣味にあれこれ口を挟むつもりはないが、やはりほどほどにしておいた方がいいのではないかと思う。



サングリア

2010-06-22 10:57:31 | 身辺雑記
 最近近くにできたカフェレストランで、手作りのサングリア(sangria)を売っていた。サングリアは赤ワインを甘いソーダやオレンジジュースなどで割って、一口大に切った果物(レモン、リンゴ、バナナ、オレンジなど)とシナモンを少々加えたスペインの飲み物で、以前スペインのメーカーの瓶詰め製品を飲んだことがある。いわゆるフレーバードワインの一種で、ワインにいろいろなスパイスやハーブなどの蒸留酒や浸出液、果汁などを加えたものを言う。私はアルコール類には弱いが、サングリアなら口当たりがいいから少しは飲めた。

 カフェレストランで買ったものがおいしかったので、インタネットで作り方を調べると簡単そうなので自分で作ってみようと思い、材料を買ってきた。ガラスの密閉容器に、オレンジ、リンゴ、パイナップル、レモン、バナナなどを切って入れ、グラニュー糖やブランデーを少し加え、シナモンスティックを入れ、赤ワインを1本注ぎ入れたらいいだけの、30分もあれば済む簡単なことだった。赤ワインは1000円以下の安価なものでよく、南アフリカ産のものを売っていたので使った。漬け込んでから1時間以上で飲めるが、もっと長く置いたほうが味は良くなる。






 これから毎晩、寝る前に少しずつ飲むことにしよう。

              




嫁・姑

2010-06-21 09:45:45 | 身辺雑記
 近所のOさんが引っ越すことになった。東京の息子のところに行くと言う。Oさんは10年ほど前に連れ合いを亡くした独り住まいの婦人で80半ば近い。最近はデイ・サービスに行ったりしているし、生協の共同購入の時などは物資の前でよくしゃがんだりしていたから、だいぶ体も疲れてきたのだろうと思っていた。それでも毎日のように手押し車を押しながら街に買い物に出てはいたが、さすがに寄る年波には抗しきれなくなったのだろう。

 街からの帰り道に、買い物に出るというOさんに出会った。息子が自宅から15分くらいの所にマンションを見つけてくれたそうで、やれ嬉しやと思ったら、「はい、お金」と言われて、何や、買ってくれるのじゃなかったのかいなと思ったと笑った。親子の関係もそう甘くはないということだろう。「息子さんと一緒に住むのじゃなかったの」と聞いたら、「とんでもない。嫁がいますがな」と言い、「一緒に住んだらケンカせんとあかんでしょ」と付け加えた。喧嘩すると決めているような口ぶりがおかしかったので、「年寄りが辛抱しなくちゃ」と言ったら「あなたは知らないだろうけれど、東京の女は強いんよ」と言う。そう言うOさんも結構強い感じで、これでは同居は無理だなと、嫁と姑の関係はこんなものなのかと改めて思った。

 私の幼い頃、家族は一時期、東京の祖父の家に住んだことがある。祖母はしっかりした明治女で、母はおとなしい性格であったが、2人の間に確執のようなものはなかっと思う。戦争末期のごく短い期間であったから、姑と嫁としてはまずまず平和な関係だったのではないか。私の妻は母と同居したことはなく、どちらもおとなしい性格だったから、ここでもいわゆる嫁姑の問題はなかった。その妻も結婚した息子達とは同居したことはないから、嫁達との関係は良好だった。私が見ても妻はいつも嫁達には穏やかで優しく接していた。だから、世間でよく言われる嫁と姑の厳しい関係は我が家にはなかったのは幸いだった。もし妻と母や嫁達との間に感情の行き違いがあったりしたら、私や息子達は気苦労したかも知れない。

 一緒に住んでいると実の母娘であっても不満や腹を立てることがあるのは当然だが、そこは血の通った者同士で気心が知れているから、あまりバトル状態にはならないで収まると言われる。それが姑と嫁となるとちょっとした行き違いがあっても縺れてしまうようだ。皆が皆そうではないだろうが、やはり我を張り合うのはいけない。辛抱することも必要ではないか。

 見知らぬ土地で何かと苦労は多いだろうし、嫁との関係はどうなるかは分からないが、Oさんの余生が平穏なものであるように願う。

キレル三十男

2010-06-20 10:21:50 | 身辺雑記
 先日、同じ日に2つの事件の記事があった。一つは静岡県富士市で37歳の会社員の男が小学生の男児に対する傷害の疑いで逮捕されたことだ。その日の夕刻、この男は自宅近くの路上で遊んでいた近所の小学5年生と、4年生の男児の顔を素手で殴り、軽傷を負わせた。酔って側を通りかかった時に男の子達にふざけて敬礼されたことに腹を立てたらしい。小学校4、5年生の男の子と言えば腕白盛りだ。だから酔っている男を見てちょっと冗談をしたくなったのだろう。それを殴るとは酒の上でのこととは言え愚かなことだ。「やあ」とでも言って敬礼を返してやればよかったのにと思う。元来子ども好きではなかったのかも知れない。

 もう一つは愛媛県松山市であったことで、36歳の男がコンビニで店長に暴行した容疑で逮捕された。その日の正午過ぎに店の床の上に誤って商品のプリンを落とした。そのまま棚に戻そうとして50代の店長に、買うか弁償するかしてほしいと言われて腹を立ててプリンを投げつけ、店長の服をプリンまみれにした。プリンのような軟らかいものを落としたら壊れるだろうから店長の言い分は当然だろう。言われるまでもなく、自分から申し出て金を払うと言えばよかったのだ。それに対して腹を立ててプリンを投げつけるとは何とも短絡的で子どもじみた行為だ。

 この2つの出来事の容疑者は、どちらも36歳、37歳と同じような年齢だ。30も半ばを過ぎたら年齢的には分別ができ、社会的にもそれなりの目で見られる年だろう。それがこのような思慮浅く、暴力的な行動に出るとは情けない。誰でも腹を立てることはあるが、年相応にそこは抑えて分別ある態度を取ることが普通ではないか。一般化はできないだろうが、今時の30代というのはこのような精神面で未成熟な者が少なくないのだろうか。どちらのケースもおそらく微罪として処理されるのだろう。それにしてもプリンを投げつけて暴行容疑とはと思うが、議論の分かれるところかも知れない。

 このようなことは中国人にはちょっと理解ができないのではないだろうか。中国は死刑の多いことで知られていて、それが反中国の言論人の中国攻撃の種にもなっているのだが、他方では軽度の犯罪行為は問題にならないようだ、王雲海『日本の刑罰は重いか軽いか』(集英社新書)を見ると、著者が犯罪容疑で逮捕された中国人と面接したり、相談を受けたりすると、しばしば彼らは日本の警察は些細なことでも逮捕する。これは中国人差別で、日本人は未だに過去を反省していないと罵るらしい。いささか盗っ人猛々しい感もあるが、彼らの言う軽いこととは、例えば「外国人登録証を持っていなかっただけ」とか「警察の職務質問のときに、警察官とぶつかっただけ」、「たいした金額でもない万引きをしただけ」などだそうだ。王氏が「日本人であっても同じことをしたら、逮捕、起訴されて裁判にかけられることもよくある。かつて3個の石鹸を盗んで有罪が宣告され、30数万円の罰金刑を言い渡されたケースもあった」などと事例を挙げて説明すると一応は納得するが、日本人も小さいことで逮捕、起訴され、裁判にかけられることがあるのには驚くそうだ。

 例えば、中国で窃盗罪になるのは、盗んだ金額が比較的大きい(500~1000人民元ー約7000~14000円ー、ほぼ公務員の月収額)か、数回窃盗を繰り返した場合だけだそうだ。少し物を盗んだからと言って、犯罪として大騒ぎになることがないようだ。日本人からするとずいぶん甘いようだが、何しろ巨大な人口の国だから、キメ細かく網を張りめぐらせることは難しいのだろう。だから現実にはコソ泥、万引き、引ったくりなどが横行するのも当然だ。前に西安の友人の李真は携帯電話で話しながら歩いていたら、後ろから来た男に携帯電話をひったくられたことがある。その場合もどちらかと言うと李真が迂闊だとされたようだ。暴力行為にしてもちょっとくらいでは警察が介入することはないようで、西安の友人の袁毅の夫君は、前にレストランで近くの席の客とトラブルになり、数人に袋叩きされて顔が腫れあがるようなかなりひどい目にあったらしい。店は警察を呼ばなかったのかと尋ねたら袁毅は、呼びもしないし、呼んでも警察は何もしないと言った。重傷を負うか、死にでもしない限り犯罪ではないのだろう。

 子どもをちょっと殴ったり、プリンを投げつけただけで警察沙汰になるような日本は、中国人からすれば住みにくいと思うだろうが、それで治安上ではあちらとは比較にならないほど良好に保たれていることは良いことなのではないか。