テレビが見られなくなって、やがて3ヶ月近くになる。当分新しいテレビは買わないことにしたが、初めのうちは観たくなるのではないかと思っていた。しかし、案外テレビなし生活に慣れてしまって、特に観たいとも思わなくなった。テレビ欄でも見れば観たくなることもあるのかも知れないが、それも見ないから関心はなくなってしまった。もともと観ないのにテレビを点けっぱなしにすることはしなかったが、テレビを点けないと何となく家の中が静かになったようにも思う。
テレビから遠ざかってしまったせいもあるのか、この2ヶ月間は比較的本をよく読むようになった。これまでも特に家で読書時間を作っていたわけでなく、外出先と寝る前のベッドで読むことが多かったのだが、テレビを観なくなると気分的に読書欲が高まったようにも思える。私は小説をあまり読まないから、この2ヶ月間にも一冊も読んでいない。そのほかのものは興味を惹かれるままにあれこれ手当たりしだい読んだが、なかなか良いものにも多く出会った。読んでいるうちにある興奮のようなものを覚える読後感の良い本に出会うと何か心地よい。いくつかを順不同で簡単に紹介してみよう。
①カート・ヴォネガット著 金原瑞人訳『国のない男』(NHK出版)
著者は20世紀後半のアメリカを代表する作家と言うことだが、不勉強にして私はこれまで知らなかった。この本は今年の4月に84歳で死去した彼の遺作。彼は自分を「人間主義者」と称している。徹底した無神論者でもあったようだ。彼は強烈に現代のアメリカ、とりわけ支配者達を批判し、現代文明を批判する。しかしその批判はどぎついものでなく、知的なユーモアが溢れていて、思わず笑わせられながら同感してしまった。「ナパーム弾を開発したのはハーヴァードだ。ウソじゃない! うちの大統領はクリスチャンだって? アドルフ・ヒトラーもそうだった。 いまの若い人たちが気の毒で、かける言葉もない。精神的におかしな連中、つまり良心もなく、恥も情けも知らない連中が、政府や企業の金庫にあったかねをすべて盗んで、自分たちのものにしている、それがいまの世の中だ」
②丸谷才一『袖のボタン』(朝日新聞社)
朝日新聞に連載された随筆集。「思いがけない清新なものの見方 いちいち納得のいく論旨の展開 言葉と思考の芸の離れ業による現代日本文明への鋭い批評」(同書の帯より)。 多方面にわたって気負うことなく淡々と、それでいて鋭い批評眼を感じさせる筆致が快い。論旨の展開は厳密で緻密だ。前首相に関して、「実は今度、新著『美しい国へ』(文芸新書)を読んで、小首をかしげたくなった。本の書き方が不器用なのは咎めないとしても、事柄が頭にすっきりはいらないのは困る。挿話をたくさん入れて筋を運ぶ手法はいいけれど、話の端々にいろいろ気がかりなことが多くて、論旨がきれいに展開しない。議論が常に失速する」と書いている。心しなければならないと自戒した。なお、丸谷氏は旧仮名遣いを使うので、懐かしく読んだ。
③林えり子『生きている江戸ことば』(集英社新書)
江戸川柳から江戸ことばを取り出して解説している。江戸ことばの中のかなりのものは東京ことばにも引き継がれ、今も生きて使われている。近年では東京以外にも広がっているようだから、これはと思い当たるものもかなりある。たとえば「女房のうざうざぬかす土用干」の「うざうざ」は東京ことばの「うじゃうじゃ」となり、小さい声でくどくど言うことや、小さいものが群れ集まっている様子を言う。最近の若者ことばに「うざい」(鬱陶しい、面倒だ)というのがあるが、これも調べてみると、「うざうざ」に由来する「うざっこい」という江戸ことばが東京の多摩地区の方言となった「うざったい」が使われて広がったようだ。著者は江戸ことばの名残りのある環境で育った作家。近頃使われることばの貧困さや、よい年をした大人のぎすぎすした振る舞いを嘆き、ことば豊かに自分達の生活を詠った江戸っ子のゆとりを汲み取ってほしいという願いがあるようだ。
④半藤一利『昭和史』(平凡社)
著者は『週間文春』や『文藝春秋』の編集長を経た作家で、保守派論客だが護憲派として知られる。妻女は夏目漱石の孫。若い女性の編集者に説得されて、4人の「聴講生」を相手に講じた「寺子屋」の記録である。そのせいもあって時には講談調で軽妙、飽かせない。約500ページあるが実に面白く、3日で読み終わった。著者の歴史を見通す目は極めて鋭い。「むすびの章」で昭和史の教訓として次のようにまとめている。第1に、国民的熱狂を作ってはいけない。第2に、危機におよんで日本人は抽象的な観念論を好み、具体的、理性的な方法論を検討しない。第3に、日本型タコツボ社会における小集団主義の弊害。第4に、問題が起こったときに対症療法的で、すぐに成果を求める短兵急な発想をする。第5に、国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握しない。このような昭和史が残した教訓を学び、今の日本のあり方を考えることの重要さを説いていることは傾聴すべきだろう。
テレビから遠ざかってしまったせいもあるのか、この2ヶ月間は比較的本をよく読むようになった。これまでも特に家で読書時間を作っていたわけでなく、外出先と寝る前のベッドで読むことが多かったのだが、テレビを観なくなると気分的に読書欲が高まったようにも思える。私は小説をあまり読まないから、この2ヶ月間にも一冊も読んでいない。そのほかのものは興味を惹かれるままにあれこれ手当たりしだい読んだが、なかなか良いものにも多く出会った。読んでいるうちにある興奮のようなものを覚える読後感の良い本に出会うと何か心地よい。いくつかを順不同で簡単に紹介してみよう。
①カート・ヴォネガット著 金原瑞人訳『国のない男』(NHK出版)
著者は20世紀後半のアメリカを代表する作家と言うことだが、不勉強にして私はこれまで知らなかった。この本は今年の4月に84歳で死去した彼の遺作。彼は自分を「人間主義者」と称している。徹底した無神論者でもあったようだ。彼は強烈に現代のアメリカ、とりわけ支配者達を批判し、現代文明を批判する。しかしその批判はどぎついものでなく、知的なユーモアが溢れていて、思わず笑わせられながら同感してしまった。「ナパーム弾を開発したのはハーヴァードだ。ウソじゃない! うちの大統領はクリスチャンだって? アドルフ・ヒトラーもそうだった。 いまの若い人たちが気の毒で、かける言葉もない。精神的におかしな連中、つまり良心もなく、恥も情けも知らない連中が、政府や企業の金庫にあったかねをすべて盗んで、自分たちのものにしている、それがいまの世の中だ」
②丸谷才一『袖のボタン』(朝日新聞社)
朝日新聞に連載された随筆集。「思いがけない清新なものの見方 いちいち納得のいく論旨の展開 言葉と思考の芸の離れ業による現代日本文明への鋭い批評」(同書の帯より)。 多方面にわたって気負うことなく淡々と、それでいて鋭い批評眼を感じさせる筆致が快い。論旨の展開は厳密で緻密だ。前首相に関して、「実は今度、新著『美しい国へ』(文芸新書)を読んで、小首をかしげたくなった。本の書き方が不器用なのは咎めないとしても、事柄が頭にすっきりはいらないのは困る。挿話をたくさん入れて筋を運ぶ手法はいいけれど、話の端々にいろいろ気がかりなことが多くて、論旨がきれいに展開しない。議論が常に失速する」と書いている。心しなければならないと自戒した。なお、丸谷氏は旧仮名遣いを使うので、懐かしく読んだ。
③林えり子『生きている江戸ことば』(集英社新書)
江戸川柳から江戸ことばを取り出して解説している。江戸ことばの中のかなりのものは東京ことばにも引き継がれ、今も生きて使われている。近年では東京以外にも広がっているようだから、これはと思い当たるものもかなりある。たとえば「女房のうざうざぬかす土用干」の「うざうざ」は東京ことばの「うじゃうじゃ」となり、小さい声でくどくど言うことや、小さいものが群れ集まっている様子を言う。最近の若者ことばに「うざい」(鬱陶しい、面倒だ)というのがあるが、これも調べてみると、「うざうざ」に由来する「うざっこい」という江戸ことばが東京の多摩地区の方言となった「うざったい」が使われて広がったようだ。著者は江戸ことばの名残りのある環境で育った作家。近頃使われることばの貧困さや、よい年をした大人のぎすぎすした振る舞いを嘆き、ことば豊かに自分達の生活を詠った江戸っ子のゆとりを汲み取ってほしいという願いがあるようだ。
④半藤一利『昭和史』(平凡社)
著者は『週間文春』や『文藝春秋』の編集長を経た作家で、保守派論客だが護憲派として知られる。妻女は夏目漱石の孫。若い女性の編集者に説得されて、4人の「聴講生」を相手に講じた「寺子屋」の記録である。そのせいもあって時には講談調で軽妙、飽かせない。約500ページあるが実に面白く、3日で読み終わった。著者の歴史を見通す目は極めて鋭い。「むすびの章」で昭和史の教訓として次のようにまとめている。第1に、国民的熱狂を作ってはいけない。第2に、危機におよんで日本人は抽象的な観念論を好み、具体的、理性的な方法論を検討しない。第3に、日本型タコツボ社会における小集団主義の弊害。第4に、問題が起こったときに対症療法的で、すぐに成果を求める短兵急な発想をする。第5に、国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握しない。このような昭和史が残した教訓を学び、今の日本のあり方を考えることの重要さを説いていることは傾聴すべきだろう。