中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

路傍の春

2007-03-31 09:13:40 | 身辺雑記
 春の花と言うと見た目の鮮やかな庭木や園芸品種の草花に惹かれるが、道端の野草も小さい花をつけて、春の訪れを告げてくれる。やっと暖かさが本格的になったばかりだし、私の家のあたりはほとんど宅地化しているから、あまり野草は見られないが、それでも目に止まるものはいくつかある。

ホトケノザ(仏の座)
  姿を見るとなるほどと思われる名で、葉が仏の蓮華座のようについている。このあたりではどこにでも見られるシソ科の植物である。春の七草の名を並べた歌のようなものに「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ春の七草」と言うのがあるが、この歌にあるホトケノザはタビラコと言う別の植物。

  

ナズナ(薺)
 これは春の七草の1つ。アブラナ科の植物で煮物や和え物にして食用にされたが、今でも七草粥以外で食べている所はあるのだろうか。中国では薺菜(jicai)と言い、「中国美味礼賛」(青土社)で随筆家の車前子は「薺菜はとても美味い。『菜根を咬む』[粗末なものを食べる]という格言があるが、咬むのが薺菜根であれば、わたしの願うところである」と書いている。



 雑草中の雑草のような扱いで、ペンペングサとも言って「塀は傾き、屋根にはぺんぺん草が生え」と言うと家が荒れ果てたさまの形容である。「ペンペン」は三味線の音の擬音語で、この草の果実が三味線の撥のような形をしていることから由来する。十分に乾燥した果実についている花柄(花梗)を下に引っ張って剥がし、途中で止めて下向きに垂れるようにして茎全体を振ると、果実が触れ合って小さくシャラシャラと音がする。そんなことを楽しんだ幼い頃が懐かしい。

タネツケバナ(種漬花)
 我が家のすぐそばにある水田は、今頃は何も植えずに放置されていて、そこに背丈の低い雑草が生えている。その1つがこのタネツケバナで、ナズナと同じアブラナ科である。この花が咲くと、種籾を水に漬けて 田植えの準備を始めたと言うのが名前の由来だそうだ。水を引く前の田一面にこの花が咲いている写真を見たが、なかなかきれいな光景だ。




カラスノエンドウ(烏の豌豆)
 小さなスイートピーのような花をつけるマメ科の植物。近い仲間に白い花をつけるスズメノエンドウと言うのがある。どちらも可愛い命名である。名前のように小さな豌豆のような果実ができる。これを採って両端を切り、中の種を取ってから唇に挟んで笛のように吹く。幼い頃はカラスノエンドウなどと言う名は知らず、「シーピッピ」と呼んでいた。吹いた時の音からの連想だろうか。




 こうやって身近な野草についてまとめてみると、改めて昔のことが思い出され、あの頃は身の回りに野草が多くあり、それらを使っていろいろな遊びをしたことが懐かしい。今の子ども達にはあのような自然に親しむ素朴なときがないことが、何かかわいそうにも思われてくる。




京都東山

2007-03-29 09:40:18 | 身辺雑記
 久しぶりに高校時代のクラブ活動(生物班)の同期生が集まった。昭和24(1949)年から27 (1952)年にかけての在学だから、55年以上も前のことになった。生物班と言っても大した活動もせず、ただ放課後にクラブ室に集まって、何となく生物にかかわりがあるようなことをしていたに過ぎない。先生も自由気ままにさせてくれていた。京都大学の臨湖実験所の研究員で私達の学校に講師として来ておられたK先生は気さくな方で、私達生物班員は夏休みに比良山に連れて行ってもらったりしたのが、皆が仲良くなった大きな要因だった。私自身はこのクラブにいたことが刺激になって、大学は生物学専攻を選んだ。友人達は卒業後それぞれの道に進んで行ったが、卒業後も男子はずっと付き合いを続け、40代になると女子も加わるようになった。近年はいつも京都在住の1人の女性が世話をしてくれて、2、3年に1回くらい思いついたように集まってきた。K先生もよくお招きしたが、昨年亡くなった。

 今年は京都東山の円山(まるやま)公園の中にある「いもぼう」と言う老舗の料亭に8人集まった。「いもぼう」とは変わった名だが、京都名物の海老芋と棒鱈の炊き合わせを売り物にしていることから来ている。



 出された料理はどれも良く、特に名物の「いもぼう」はさすがに旨いものだった。ひとしきり賑やかに話が弾んだが、年のせいか話題が病気、体調のことや生き方、死に方のことになりがちなのが可笑しくて笑い合ったことだった。こういう話題になっても湿っぽくならないのがいい。

 この店を出て公園内をぶらついた。人は多かったが、名物の枝垂桜の巨木はまだ満開ではなかった。


 この樹は満開。

 やはり公園内にある長楽館という店でお茶にした。店と言っても、明治時代のたばこ商人であった村井吉兵衛の別荘の建物で、明治の元勲の1人、伊藤博文も訪れたと言う。内部の作りも重厚、豪華なものだ。ホテルも経営している。


 このような部屋が幾つもある。

 ここを出て東山の散策道路をぶらついた。「東山観光散策道路を守る会」作成のイラストマップによると「この道を通らなければ京都にきた意味がないほどです」とあり、そのせいか平日であるのに外国人も含めた観光客が多かった。道路は石で舗装してあるのも落ち着いた感じがした。

 人力車で観光する若い女性。


 あちこちに舞妓姿の二人連れの女性がいる。観光客が一緒に写真を撮っていたが、どうやら本当の舞妓ではないようで、女子学生あたりのアルバイトかも知れない。







 
庚申堂




 奈良市の奈良町で見た「身代わり猿」(昨年12月3日に紹介)と同じもの。願いを書いて奉納している。こちらの方が色とりどり。


 古い町らしい店が多い。




 八坂塔


 八坂塔下商店街の古い漬物店。ここで日野菜の糠漬けを買った。


春日

2007-03-27 08:39:13 | 身辺雑記
 今年の春はどうも不順だった。3月に入っても暖かく、桜も早く咲くのではないかと言われていたら急に寒さが戻ってきた。春分が過ぎても何となく寒さを感じたが、1日半の雨の後の昨日は、外に出してある寒暖計は午前中で20度を指し、午後は20度を何度も越えた。ポカポカという言葉がぴったりの静かでのどかな春の一日だった。もう寒さが戻ることはないだろうと思う。西安の謝俊麗は西安も24度だと言っていた。古都長安にも本格的な春が訪れたのだろう。

 男物の衣服を扱っている卒業生の店では、冬物と春物を入れ替えていた。冬物はさっぱりだったと言う。暖冬の影響をまともに受けたようだ。私も初めてコートを着ることなく冬を過ごした。もっとも次男が勧めてくれたゴルフ用の下着を着たこともあるが、それにしても暖かい冬だった。春物で頑張らなくてはねと言うと、いえ、すぐに暑くなりますからねと、あまり期待していない様子だった。年々売り上げは低下し、景気回復、好調なんて大企業だけの話ですよと常々言っていた。彼の政治不信はかなり強いが、庶民の正直な気持ちなのだろう。

 帰り道で知人に出会った。私より1歳年上だが脚が弱っていて、杖を突いてゆっくり歩いているのに追いついて、話をしながら同行した。パーキンソン病だと言う。ゆっくり歩きながら、私も最近少し脚が弱ってきているので、こういう暖かい日は脚が悪い者には有難いなどと考えた。家の近くで別れたが、夕方の太陽で物の影が長く伸びているのを見た。影を見るのは久しぶりのことのように思えた。これからだんだん影は短くなっていく。春は束の間である。

      

素菜(sucai)

2007-03-26 09:58:34 | 中国のこと
 素菜は葷菜(huncai)(生臭料理)に対する語で精進料理のこと。素食と書くと精進料理または精進食を意味する。

 日本の精進料理が生臭物を避ける仏教に関係して発生したように、中国でも素食は仏教に関係があり、現に各地の大きな寺院の中には、精進料理を提供する場を持つているのがある。寺院の精進料理を素斎(suzhai)と言うようだ。必ずしも寺院だけでなく、俗世間にも素食を売り物にする料理店はかなりあるようだ。その1つで、上海では名の知れた功徳林(Gongdelin)という素食専門のレストランに行った。功徳と言うのがいかにも仏教的である。

 素菜の材料には本来の植物である筍や豆類、茸類などを使うが、それだけでなく豆腐や豆腐乾、生麩のような二次加工品、乾し湯葉などが使われている。ただ単に植物性の材料を使うと言うだけでなく、中国の素菜は形や食感を肉や魚などに似せているものが多いのが特徴で、外見だけでは真偽が判らないものもあって、かなり手間をかけて調理されているらしく、そこまでしなくてもと可笑しく思うくらいだ。そのあたりが中国人の食に対するこだわりと言うものなのかも知れない。「中国美味礼賛」(青土社)で洪燭という随筆家は「偽物ではあるけれども、本物と異なる滋味がある―美味いので満足するあまり、だまされている感じがまったくしない」と書いている。

 どの皿のものも、すべて素菜である。


 
  向かって左の豚肉料理のようなものも大豆を使ったもの。その上の皿のものは蓮根の穴に甘みのあるもち米を詰めた料理で、これは一般の料理店でも出される。右の器のものはパイナップルを甘いソースで和えたものだったと思う。その他の料理の材料はいちいちい記憶していないが、どれも植物性のもの。

 鶏か家鴨に似せた素鶏または素鴨。表面に鳥肌のような模様までつけている。味は良く、まあまあトリ肉に似ていないこともなかったが、食感はパンのように少しさくさくしていてトリ肉のようではなかった。



 素魚。食感は軟らかい淡水魚に似ていた。魚ですよと強調するかのように、わざわざ魚形の皿を使っている。その上の方の皿のものはイカに似せたもので、この食感はイカそっくりと言ってもよいものだった。やはり大豆蛋白製品のようだ。



 海鼠(ナマコ)を乾燥させた海参(haishen)は、アワビ、フカ鰭とともに高級中国料理の食材で、日本産のものが貴重品とされている。本物の海参料理は高価なものだが、これは素海参である。



 本物の海参料理を食べたことがないから比較しようがないが、歯ごたえが少しあり、多分こんなものなのだろうと思った。これからも本物を食べることはまずないだろう。

 周達生著の「世界の食文化2 中国」(農文協)には次のような記述がある。

 安徽省の「三鮮海参」に用いられていたのは、まず、キクラゲとのりの「紫菜」を刻んで、クズ粉にまぜたものをどろどろにして、ナマコの型に入れ、蒸す。そのあと、型の中身を取りだし、縦に半切りにして、油で揚げる。すると、のりとキクラゲによって、色が黒く、しかもイボイボのような外皮まであるまがい物の「海参」ができるというものだ。

 ずいぶん手の込んだ作り方だ。私達が食べた素海参はどのようにして作られたのかは判らないが、上のようなものとは近いのかもしれない。

 出された料理はどれも味は良かったし、珍しさもあって満足はしたが、やはり私には葷菜の方が性に合うような気がした。


こぶし

2007-03-25 09:29:35 | 身辺雑記
 街路樹のこぶしが純白の花を咲かせて美しい。



  

 こぶしはモクレンと同じ仲間に属している。中国人も愛好する「北国の春」には、「こぶし咲くあの丘 北国の ああ 北国の春」と言う一節があるが、山あいを車で通っている時など、山の中に点在して咲くこぶしの花を見ると春を実感させる。







 こぶしの名は蕾あるいは果実が幼児の拳のように見えることから来ていると言う。



 広辞苑によると「蕾は鎮静・鎮痛剤に、花は香水の原料に、樹皮・枝葉からはこぶし油をとる」とある。こぶし油がどんなものかは分らない。漢名は辛夷(xinyi)だが、これは本来はモクレンの称と、これも広辞苑にある。     



                 


               

西塘(5)

2007-03-24 08:42:06 | 中国のこと
 江南地方の水郷は、これまでに周荘、烏鎮、朱家角などを訪れたが、この西塘が最も印象的だった。これまで行った所もそれぞれ特色はあったが、かなり観光化されている。その点では西塘はあまり観光を意識していないように思われ、ごく普通の庶民生活の様子が見られた。商店も観光客のためと言うよりも地元の人の日常生活に必要なものという印象だった。いつも訪れた土地の地図を買い求めるのだが、今回は見つけることができなかった。

              
 
 しかし、西塘は古鎮と呼ぶのにふさわしい風格を感じさせる。明清時代の橋や建築群が完全な形で随所に残されているようで、その芸術性と研究価値は非常に高いと言われる。国家AAAA級景区、中国歴史文化名鎮とされているのも理解できる。他の水郷古鎮に比べ非常に魅力を感じさせる古鎮であった。また機会があれば、今度は泊まりがけで訪れようと思う。
         
これまで紹介した以外の西塘の風情の落穂を拾う。



 過街楼。路地を跨いで両側の建物を繋いでいる。敷地面積を増やすが交通に影響が出ない工夫と言う。






 商店街
  


 レトロな眼鏡店。
  

 聖堂。明代に建築され、清代の康煕年間に2度修理されてから関帝を祭り、聖堂と呼ばれるようになった。
 
 
  

 聖堂で売っていた蓮華型の蝋燭。何種類かあって少々高い。一番安い孫の健康、幸福を祈願するものを買って供えた。

 
 西塘名物、骨付き豚肉。 
 

 これも西塘名物、塩緑豆。噛むほどに味が出る。
 
 
 イヌ(狗)年とブタ(猪)年を兼務。
 
 
 何ともむさ苦しいが愛嬌がある。 

 
 新街から古鎮への入り口
 




西塘(4)

2007-03-23 08:52:52 | 中国のこと
 船に乗って西塘の風景を楽しんだ。季節外れのためか、平日であったからか他の船は見当たらなかった。少し寒かったが、ゆっくりと両側の風景を楽しんだ。



 図の中央にある橋から左手に延びる運河を遊覧する。点線は経路。


 船着場。右側にあるのは送子来風橋(Songzilaifengqiao)と言う屋根付きの風雨橋。


 廊棚のある商業街。前方は環秀橋。


 穏やかな風景。右手に見えるのは水上レストラン。休業中。


 日常生活の雰囲気が感じられるのも西塘の特徴。

 
 気持ちよさそうに昼寝する老婦人。


 このあたりを少し過ぎてから引き返した。





 
 うだつ(梲)のある民家。


 家鴨


西塘(3)

2007-03-22 08:48:30 | 中国のこと
 弄、橋に次いで西塘の特徴であるものに廊棚(langpeng)がある。これは民家の前の道に作られた幅2~2.5メートルの瓦葺の屋根の付いたアーケードで、雨や陽射しを避けることができるようになっている。総延長2キロと言われる。









 廊棚は商業街に集中している。水に面した廊棚の片側のところどころに長椅子が置かれて休憩できるようになっている。




西塘(2)

2007-03-21 09:17:13 | 中国のこと
 西塘には9つの運河が流れ、鎮は8つに区分されているので橋が多く、これが弄とともに西塘の特徴になっている。

 1998年現在、明代から清代にかけてつくられた橋の数は全鎮で104基数えられ、今でも完全な形をとどめていると言われる。西塘が江南地方でも非常に古い鎮であることが分る。


 五福橋(Wufuqiao)。明代に建造され、清代の光緒年間に改修されたという古橋。石造りの単一アーチ型。長命、富貴、健康、徳行、天寿の5福を意味する。




 環秀橋(Huixiuqiao)

  
 永寧橋(Yongninqiao)


 安境橋(Anjingqiao)からの眺め。遠方に見えるのは万安橋(Wan'anqiao)。写真が小さいので見えにくいが拡大して見ると、単一アーチ型ではないようだ。


 安境橋から反対側を見る。前方に見えるのは胥塘橋(Xutangqiao)。屋根つきの風雨橋のようだ。


 他にも清代の康煕年間に造られた臥竜橋(Wolongqiao)と言う長さ31.46メートルの西塘で最大の橋があるが、今回は行かなかった。

 

西塘(Xitang)

2007-03-20 08:49:16 | 中国のこと
 中国最長の川である長江の下流部(揚子江)の流域は江南地方と言って、水量が多く米などの農作物が豊かな地域である。運河が多く、それに沿って多くの集落(水郷)がある。西塘鎮はその水郷の1つで、浙江省(省都は杭州)が上海と江蘇省(省都は南京)とに接しているあたりにあり、上海市の中心部から2時間くらいのところにある。

         


 西塘に着くと、そこは幅広い道路の両側に長く商店街が続いている町で、水郷があるとは思えない様子である。水郷に入るには入場料が要る。1人60元(約900円)で結構高い。



 そこには入口はなく、少し離れたところに細い路地があり、そこから入ったが、別に検札する係員もいない。それなら無料で入れるのだが、後で分ったのは中にはいくつかの個人宅とか寺とかが10箇所ほどあり、そこで検札していた。もっとも立ち寄ったのは3箇所だけだった。

 表道路から入った家と家との間の道は狭い。これは弄(long)と言って、西塘には非常に多いらしい。それだけ家が多く密集していると言うことだろう。人が1人辛うじて通れる弄や、猫くらいしか通れない野猫弄(野良猫路地)と言うのもあるそうだ。弄は上海方言である。北京では胡同(hutong)と言う。



 弄を抜けると目の前に水郷が開けた。





 新緑の枝を垂れる柳が美しい。