今年も終わる。振り返ってみると、いろいろあったようなのだが、とにかく速く過ぎたと思う1年だった。まるで1年間に何度も正月がくるような気がする。
卒業生のI君は「新陳代謝の程度で時間が過ぎる感覚が違うそうですよ」と言った。新陳代謝があまり盛んでなくなると、時間の経過は速く感じられる、だから年寄りには日が過ぎるのは速く思われるのだと言う。蟻は小さいが新陳代謝が激しいから、蟻にとっての時間の経過はゆっくりなのだそうで、では蟻の一生は短いが、長く感じているのだろうかと言ったら、そうなのかも知れませんねとI君は言った。このあたりは蟻に聞いてみないと分からないことだ。私にとってはこの1年は短かったように思うし、年々速く過ぎるように思う。僕もそうですよとI君は言ったが、彼はまだ50代の後半で、私よりもずっと若い。1年が早く過ぎるということは、新陳代謝の程度によることもあるのだろうが、若い人にもそういうことを言うのがあることを思うと、世の中の動きが激しくなり、変化がめぐるましいからかも知れない。
一昨日の朝刊には、この1年の出来事の一覧が載った。それを見ると、改めて短いと思った1年にもいろいろなことがあったものだと思う。読んでみるとどうも明るいニュースが少ない。民主党政権の迷走、名ばかり高齢者続出の問題、特捜検事の証拠改ざん、相撲界の不祥事、北朝鮮の暴走などいろいろあった。今年の漢字が「暑」となったくらいに暑さの厳しい夏でもあって、熱中症による死者も多かった。私もこの夏はこれまでになく積極的に水分を補給した。
とりわけ、私、中国迷爺爺(中国好き爺さん)にとっては、尖閣諸島問題以後の中国の振る舞いにはどうにも腹に据えかねることが多くあり、嫌中感情を持つようになったのは残念なことだった。大国主義的言動は我慢できないものがある。しかし、そうは言っても、中国の友人達への友情は変わらないし、11月に西安を訪れて友人達の息子達に会った時の楽しさは良い思い出になった。貧困農村地区の子ども達への思いも変わらない。このようなささやかな草の根の交流を損なうようなことを国としてはしてほしくないし、中国が真に「大国」にふさわしい品格を持ち、行動することを願っている。
今年は喜寿を迎えることができた。そんなこともあって他人の年齢が気になり、とくに訃報欄には目が行くことが多かった。著名人でも多くの人が鬼籍に入った。特に俳優など芸能界の人が目に付き、藤田まこと(76)、小林桂樹(86)、池内淳子(76)、池部良(92)、谷啓(78)など昔懐かしい名があった。他にも作家の井上ひさし(75)、つかこうへい(62)、囲碁棋士の坂田栄男(90)民俗学者の梅棹忠夫(90)、シャンソン歌手の石井好子(87)元横綱若乃花の花田勝治(82)など各氏の訃報があった。大方は高齢だが、私よりも若い人もいる。私も後どれくらいかと、年末にはいつも思う。
今年の初め頃に我が家のテレビが映らなくなり、そのまま放っておいたので、今年はテレビなしの生活だったが、慣れるとまったく何と言うこともなく、かえって静かになったと思うくらいだ。それでも音声は入っていたから、せめて除夜の鐘の音くらいは聴こうと思ったが、どうしたものか音声も聞こえなくなっていた。負け惜しみではないが、静かに年を越そうと思う。
来年こそは明るい話題の多い年になりますように。