中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

年の終わりに

2010-12-31 11:45:51 | 身辺雑記

  今年も終わる。振り返ってみると、いろいろあったようなのだが、とにかく速く過ぎたと思う1年だった。まるで1年間に何度も正月がくるような気がする。

 

 卒業生のI君は「新陳代謝の程度で時間が過ぎる感覚が違うそうですよ」と言った。新陳代謝があまり盛んでなくなると、時間の経過は速く感じられる、だから年寄りには日が過ぎるのは速く思われるのだと言う。蟻は小さいが新陳代謝が激しいから、蟻にとっての時間の経過はゆっくりなのだそうで、では蟻の一生は短いが、長く感じているのだろうかと言ったら、そうなのかも知れませんねとI君は言った。このあたりは蟻に聞いてみないと分からないことだ。私にとってはこの1年は短かったように思うし、年々速く過ぎるように思う。僕もそうですよとI君は言ったが、彼はまだ50代の後半で、私よりもずっと若い。1年が早く過ぎるということは、新陳代謝の程度によることもあるのだろうが、若い人にもそういうことを言うのがあることを思うと、世の中の動きが激しくなり、変化がめぐるましいからかも知れない。

 

 一昨日の朝刊には、この1年の出来事の一覧が載った。それを見ると、改めて短いと思った1年にもいろいろなことがあったものだと思う。読んでみるとどうも明るいニュースが少ない。民主党政権の迷走、名ばかり高齢者続出の問題、特捜検事の証拠改ざん、相撲界の不祥事、北朝鮮の暴走などいろいろあった。今年の漢字が「暑」となったくらいに暑さの厳しい夏でもあって、熱中症による死者も多かった。私もこの夏はこれまでになく積極的に水分を補給した。

 

 とりわけ、私、中国迷爺爺(中国好き爺さん)にとっては、尖閣諸島問題以後の中国の振る舞いにはどうにも腹に据えかねることが多くあり、嫌中感情を持つようになったのは残念なことだった。大国主義的言動は我慢できないものがある。しかし、そうは言っても、中国の友人達への友情は変わらないし、11月に西安を訪れて友人達の息子達に会った時の楽しさは良い思い出になった。貧困農村地区の子ども達への思いも変わらない。このようなささやかな草の根の交流を損なうようなことを国としてはしてほしくないし、中国が真に「大国」にふさわしい品格を持ち、行動することを願っている。

 

 今年は喜寿を迎えることができた。そんなこともあって他人の年齢が気になり、とくに訃報欄には目が行くことが多かった。著名人でも多くの人が鬼籍に入った。特に俳優など芸能界の人が目に付き、藤田まこと(76)、小林桂樹(86)、池内淳子(76)、池部良(92)、谷啓(78)など昔懐かしい名があった。他にも作家の井上ひさし(75)、つかこうへい(62)、囲碁棋士の坂田栄男(90)民俗学者の梅棹忠夫(90)、シャンソン歌手の石井好子(87)元横綱若乃花の花田勝治(82)など各氏の訃報があった。大方は高齢だが、私よりも若い人もいる。私も後どれくらいかと、年末にはいつも思う。

 

 今年の初め頃に我が家のテレビが映らなくなり、そのまま放っておいたので、今年はテレビなしの生活だったが、慣れるとまったく何と言うこともなく、かえって静かになったと思うくらいだ。それでも音声は入っていたから、せめて除夜の鐘の音くらいは聴こうと思ったが、どうしたものか音声も聞こえなくなっていた。負け惜しみではないが、静かに年を越そうと思う。

 

 来年こそは明るい話題の多い年になりますように。

 

 

 

 

 

 


再犯

2010-12-29 11:39:59 | 身辺雑記

 法務省が公表した「平成22年版犯罪白書」によると、殺人、傷害致死など重大事件で服役した人のうち、出所後10年以内に31%が再犯に及んでいたそうだ。

 

 この白書は、殺人、傷害致死、強盗、強姦、放火の5つの罪で服役して、平成12年に出所した計1021人を10年間追跡調査した追跡調査した実態を特集したそうだが、10年以内に再犯に及んだのは322人だった。再犯率は殺人が17.2傷害致死32.9強盗39.1強姦38.5放火26.1%だった。また29人が出所後1カ月未満で次の犯行に手を染めていたという。特に強姦と強盗での再犯率が高い。

 

 暴力団抗争による殺人事件で受刑していた者の再犯率は45.8%に達したいたそうだが、もともと暴力団員は規範意識や加害意識が非常に低いということを読んだことがある。暴力が普通の環境にあり、時には上層部の指令で殺人沙汰を起こすこともあるし、出所後も組織に戻ることが多いようだから、再犯率が高くなるのは当然かも知れない。

 

有名人が再々痴漢行為をして逮捕されるということがあったが、そのようなことが話題になると誰しもが「病気だ」と言う。性犯罪と言うものは女性の尊厳を踏みにじるきわめて悪質な犯罪だと思うが、強姦などを繰り返すのはやはり病的なもので、よほどのことがなければ更正は難しいのではないか。白書でも性犯罪の前科があり、強姦で服役した者の37.5%が出所後にまたも性犯罪に及ぶなど、犯罪者の更生が困難な現状が指摘されている。米国や英国の一部では未成年者や幼児などに対する性犯罪者は出所後も追跡監視すると聞いたことがあるが、それくらいのことは必要なのかも知れない。

 

強盗などは出所後の更正支援環境しだいで再犯も防止できるとは思うが、このような場合は家族や近隣からも疎まれたり白眼視され、仕事に就くのも難しいことがあって、再犯に至ることも少なくないのではないか。白書では「重大事犯者は規範意識が希薄であり、その社会復帰は容易でないが、家族らの理解と支援で更生を遂げる者も少なくない」として、周囲の支援の重要性を指摘しているそうだ。

 

 

 


アンリ4世の首

2010-12-28 12:18:28 | 身辺雑記

 どうも西欧人の感覚の一部には、日本人とは少し違ったところがあるのではないかと思わせたのは最近見た「アンリ4世の頭部のミイラが本人のものと確認された」という記事だ。

 

 アンリ4世はフランスのブルボン朝を開いた人物で、高校時代の世界史の授業でも習った有名な「ナントの勅令」を発布して、40年にわたった新旧キリスト教徒の宗教戦争を収めて国民に信教の自由を与えた。さらに戦争で荒れた国土を農業で再生した名君として、死後400年を経た現在もフランス国民に最も愛されている王の一人だと言う。彼は狂信的なカソリック教徒に暗殺され、他の王と同じようにパリ郊外の墓地に埋葬されたが、フランス革命後に反王党派が墓地を暴き、棺を開けて遺体を庶民用の墓地に放棄したが、何者かが遺体をばらばらにした。

 

 その後19世紀に遺体の首のミイラをドイツの貴族が所有し、20世紀初頭にパリの競売で落札されるなどした。何度か話題になったが本物とは信じられなかった。このほどこの頭部を55年前に収集家から買い取ったという84歳のフランス人の男性の依頼で、法医学の専門家などのチームが鑑定を行ってきた結果、「本物であることが確認された」と発表した。最新のデジタル技術で復元した顔だちがアンリ4世と似ているうえ、暗殺未遂に遭った際に、あご付近に負った刺し傷が骨に残っていたことや頭髪や髭が残り、王が付けていたピアス跡が右耳にあったことなどから本物ということになった。歴史上重要な発見として注目を集めているそうだ。

 

        

 

 最新の技術で古い遺体が調べられること自体はそれほど珍しいことではないし、それが400年も前の歴史上有名な人物のものであることが特定されたのは確かに大きなニュースにはなるだろう。それは分かるのだが、私がいささか違和感を覚えたのは、アンリ4世の頭部が、長らく「コレクター」の間を転々としていたということだ。コレクターというからにはゲテモノであろうと何であろうと、興味のある対象物は収集したくなるのだろうが、有名人だからと言ってその頭部を収集するという感覚はどうも理解できないものがある。古代エジプトの王や貴族のミイラが収集され、博物館に展示されているのと同じ感覚なのだろうか。何やら気味が悪い。

 

 また、そもそもアンリ4世の頭部が残っていたのも、革命後に墓が暴かれ遺体がバラバラにされて放置されたことによるのだが、反王党派勢力の仕業にしても、何とも人間の尊厳を踏みにじる野蛮で陰惨な所業だと思う。


無理が通れば道理が・・・

2010-12-27 10:46:09 | 中国のこと

 今月月18日に韓国中西部の黄海で違法操業していた中国漁船を、韓国海洋警察庁の警備艇が取り締まろうとして漁船に乗り移ろうとしたところ、乗組員が鉄パイプを振り回すなど猛烈に抵抗し、海洋警察官が骨折するなど負傷した。漁船は警備艇に体当たりして転覆し、海に投げ出された10人の乗組員のうち1人が死亡し、1人が行方不明になった

 

 この海域は韓国が排他的経済水域としていて、排他的経済水域というのは1982年の国連海洋法条約で、沿岸から200海里(370キロ)までの海域を沿岸国の経済的主権が及ぶ範囲と定めたものだ。この水域では、沿岸国は海洋や海底下の生物資源、鉱物資源の探査や開発、保管と利用について独占的権利をもつことが認められている。事件があった海域は韓国中西部の於青島(オチョンド)の北西約130キロと言うから、明らかにそこは韓国の排他的経済水域内だろう。これまでにもこの海域で、毎年300隻以上の中国漁船が韓国側に拿捕されているとのことだ。

 

 ところが例によって中国は黙ってはいない。中国外務省の報道官は記者会見で、韓国側に取り締まる権利はなかったとして、真っ向から反論した。その理由については、「中韓の暫定的な水域で起きたもので、両国の漁業協定では、それぞれの当局が自国の漁船を管理し、違法操業に関しては、相手側に通知することになっている」として、そのうえで韓国政府に対して、損害賠償や関係者の処分を求めたことを明らかにした。

 

 韓国の排他的水域内で起こったことは認めようとしないばかりか、韓国の警備艇に体当たりしたり警察官に傷を負わせたりしたにもかかわらず、韓国側に損害賠償や関係者の処分を求めるとは、無理押しも極まったというものではないか。牽強付会と言うか、自分に都合のよい論理を強引に押し通そうとするのは大国主義の露骨な表れに思える。

 

 韓国のあるブロガーによると、中国のネットユーザーらが自国の漁民が死亡したことに対して韓国を非難し、「米国の追従者である韓国がわが国を刺激しようとしている」、「韓国の挑発行為に反撃しよう」、「われわれは北朝鮮が米韓同盟を破壊できるように助けるべき」といった書き込みが多く寄せられたと紹介している。その上で、このブロガーは「まともな思考ができない中国のネットユーザーらのこのような発言からみると、わが国は無視されている。本当に悲しいことだ」と言っている。また別のブロガーは、今回の事件をうけ、「中国人に対する印象が悪くなってしまった」と述べ、「中国人はいつも自分たちが“最高だ”と思っている」とし、こんな大国意識を持っている中国人たちの無謀な行為が、中国全体に恥をかかせていると言っている。

 

 ノーベル平和賞に対してノルウェーに圧力をかけたりしたことなど、とかく最近の中国の言動は何か「そこのけ、そこのけ、中国様のお通りだ」というような思い上がりのようなものを感じる。結局は経済的には大国になったというだけの成金国家のような気もする。国としての有りようがそうだから、国民の一部も偏狭な愛国主義に浮かされ、尖閣諸島の事件で逮捕された漁船の船長(逮捕された時は立っておれないほど泥酔していたとも言われているが)のような輩を英雄扱いするから、国家の庇護を受けているから何をしてもよいと勘違いした品性の低い連中が思い上がって、今回の黄海上の事件のようなことをしでかすのだ。

 

 中国と友好関係にある北朝鮮やミャンマーは別にして、アジアの国々は覇権主義にも見える中国の振る舞いにはおそらく警戒心を深めているのではないか。それは中国にとっても決して良いことではない。おそらく現在の指導層にもそれを心配する向きもあるのだろうが、今は対外強硬派が力を持っているのだろう。もしそれが軍部の力と結んだら、もっと厄介なことになるのではないだろうか。真に大国としての分別と品格を備えた国になってほしいと思う。


クリスマス

2010-12-25 10:43:37 | 身辺雑記

 デパートに行くと食品売り場はすっかりクリスマスムードだ。今年は気のせいか去年ほどの賑わいがない。一昨日のイブの前日の夕方の混雑の中、それぞれの売り場には、いつものようにフライドチキンや照り焼き、から揚げなどが数多く並べられ、女性の店員がここを先途とばかり大声で客引きをしている。その声が何となくうら寂しく聞こえたのは、年寄りの独り者の身だからか。

 

私は以前からクリスマスにはあまり関心がない。幼少の頃は戦争中だから、もちろんクリスマスなどというものはなかった。戦後は米軍が駐留したからクリスマスも持ち込んだだろうが、まったく覚えていない。巷でやたらに喧しくクリスマスを祝う、と言うよりも騒いで過ごすようになったのは、景気が良くなって夜のネオン街で、懐の暖かい男どもが夜の蝶の嬌声に囲まれて騒ぐということからだろう。それが景気が悪くなったせいもあってか、クリスマスは家族と家で過ごそうなどと至極当たり前のことが言われるようになって、巷のアルコールくさい喧騒は下火になった。その頃は家路に向かうパパとおぼしき男性が、クリスマスケーキの箱をぶら下げて電車に乗っているのをよく見かけたものだが、そのような風景も最近はあまり見ることは少なくなったようだ。あのような大きなクリスマスケーキは流行らないのだろうか。

 

家庭でクリスマスと言っても、今は若い男女は街に出て賑やかに過ごす。イブを2人で過ごそうという若いかっプルのための宿泊サービスをするホテルもあって賑わうらしいが、今年は週末にクリスマスが重なって有名ホテルでも満員だそうだ。こうなると聖夜も形無しで、本来は静かで敬虔な雰囲気の中で過ごすクリスマスイブには無縁の異教徒の国らしい猥雑な風景だ。ひと頃よりは喧しくはないが、それでもこの1ヶ月もの間は、街に出ればクリスマスの曲がひっきりなしに流れていて食傷するようだった。行ったことはないが、キリスト教の国々でもこういうものなのだろうか。街のイルミネーションなどは豪華らしいが、やはり音楽も流されているのだろうか。

 

中国でも近頃はだんだんクリスマス(聖誕節)は盛んになっているようで、先月の初めに西安のMETROという大きなスーパーマーケットに行ったら、入口を入るとすぐの広い売り場にクリスマスグッズが所狭しと並べられ、積み上げられていた。中国の家庭でも家でクリスマスを演出するのかと思ったが、李真や謝俊麗の話では、子どものために室内用のツリーを買って飾る程度らしく、団地住まいが多いから、家にイルミネーションを施すこともないし、ご馳走を食べて過ごすこともないようだ。李真はクリスマスには若者が雰囲気を楽しむために街に出て、カラオケやダンスをしたり集まって食事したりすると言った。俊麗は若い人はクリスマスに夢中とも言った。中国でもクリスマスは宗教的行事よりも、若者の娯楽と見られているのだろう。

 

俊麗は1年のうちでクリスマスのセールは一番すごい。なぜ春節よりもセールが盛んなのか不思議だと言った。春節(来年は2月3日)は中国の伝統的な行事、旧暦の元日で、この日は前日の大晦日(除夕)から一家集まって新年を祝う、家々では盛んに爆竹を鳴らし、町では花火が打ち上げられる。遠くへ出稼ぎに出かけている者は、何をさて置いても春節には故郷に帰り、一家眷属集って団欒の時を過ごす。若者は別にして、多くの中国人たちは春節を大切にしているし、俊麗もそのように考えているようだ。それは良いことだと思う。その点、日本では家庭での正月の伝統的な風習がだんだん廃れてきているのは寂しいことだ。

 

昨日の夕方、広州の伍海珠からmsnで「メリークリスマス」と言ってきた。やはり仕事が終わったら食事に行くそうだ。街にはあちこちにツリーがあると言う。今夜はヒトが多いし、値段も高いのでカラオケなどには行かないと言った。

 

明日からは街は正月モードに入る。年賀状の印刷もほぼできた。何かに追われるようにしながら慌しく新年を迎える。

 

 

 

 


碁石茶

2010-12-24 10:40:05 | 身辺雑記

  高知県に碁石茶と言う、日本では珍しい茶がある。これは中国の有名な普洱(プアール)茶と同じで、中国茶の分類では黒茶というものに属している。中国茶は普通、緑茶、白茶、黄茶、黒茶、青茶、紅茶、それに緑茶にジャスミンの香りをつけたジャスミン茶のような花茶の7種に分類されている。

      

  茶は製造過程での発酵の有無、程度によっても分類され、「不発酵茶」「半発酵茶」「発酵茶」がある。不発酵茶は緑茶、半発酵茶は青茶に分類される烏龍(ウーロン)茶などで、製造過程で茶の葉にある酵素によって発酵に似た現象を起こしたのを、途中で加熱して止めたものだ。発酵茶はこれを最後まで進めたもので紅茶がそうだが、この発酵茶には自然の発酵が進んだ後で、麴菌のような糸状菌を繁殖させて、人為的に発酵させる微生物発酵茶というものがあり、これが普洱茶のような黒茶だ。高知県の碁石茶もこの微生物発酵茶である。

       

  碁石茶の産地は高知県の山間部にある大豊町で、製造方法は、まず茶葉を蒸してから筵の中で白くカビ付けして第一次発酵させる。次にその茶葉を桶につめて石を重ねて漬物を漬けるような方法で圧縮し、第二次発酵(本発酵)をさせる。桶に付いている古くからの発酵菌によって自然に発酵するそうだ。本発酵が終わると葉を小さく刻み、再度桶に入れて「後発酵」させてから直射日光で乾燥させると出来上がる。昔は手で団子状に丸めて乾燥していたので碁石茶と呼んだが、今では包丁で四角に切り落として乾燥させ製品にしているから碁石を連想させないが、黒く乾燥して膨らみを持ち、角がとれると黒い碁石のように見えるので、碁石茶と呼ばれていると説明されているそうだ。碁石茶のような微生物による後発酵茶は富山県や岐阜県にもあったそうだが今は絶えたので、この碁石茶が現存する我が国唯一の貴重な微生物発酵茶となっているようだ。

 

              

 

              

 

 少し青臭いような味と酸味があるが、香りは乏しくて芳醇というようなものではない。

 

 昔から需要は地元よりも隣にある香川県塩飽(しわく)諸島で茶粥用として知られていたそうで、塩分を含んだ島の水と、碁石茶の酸味と渋み、発酵茶特有の香りが島民に好まれたのだそうだ。それで私も碁石茶を使って茶粥をつくってみた。つくり方などは特に見当たらなかったので、我流だがまず碁石茶を煮出し、それに少し塩を加えたもので米を煮た。何の変哲もない粥ができたが、熱いうちに食べると、碁石茶のかすかな酸味が塩味と混じり合ってそれなりにうまく感じるが、茶の煮出し方が薄かったのか、もう1つ香りが乏しく、やはり茶粥はほうじ茶か番茶を使うほうがいいのかと思った。

 

               

 

 


メフン(2)

2010-12-22 09:37:59 | 身辺雑記

 前にメフンについて書いたが、少し口にして美味いなと思いながら、これだけではもったいない、やはり酒の肴なのだから酒と一緒に食べるべきではないかと考えた。それで酒の小瓶を買ってきた。

 

 これまでにも書いてきたように私はアルコールには弱い下戸だ。しかし嫌いかというとそうではなく、焼酎やウォッカ、中国の白酒(パイチョウ)のような強いものは別にして、日本酒、ワイン、ビール、ブランデー、ウイスキーなど何でも初めの一口はとても美味いと思う。しかし残念ながら、ビールは時間をかけるとコップ1杯くらいは空けるが、ほかは後が続かない。

 

 酒で食べるメフンは果たしてとても美味いと思った。『発酵食品礼賛』(文芸春秋)の著者である小泉武夫さんは「発酵臭が強いが、食べなれてくるとメフン特有の香りと奥の深いうま味を賞味することができ、食通の間では、塩辛製品の中で最上のものとして位置づけて珍重しているほどである」と書いているが、私は初めから発酵臭は気にならず、美味いと思ったが、こういうところは父に似ているのかも知れない。

 

 小泉さんはまた、「なお、メフンはあまりにも日本酒に合うので、この相性を利用してメフンに少量の日本酒を加えて溶くようにしてから肴にすると、さらに絶妙の風味となる」とも書いているので、私も試してみたが、さすがにそのような微妙な味わいは分からなかった。男性用衣服を扱っている卒業生のI君に話すと、「あの黒い長いものでしょう」と知っていた。板前をしている友人に近頃もらったそうだ.I君は酒飲みだから気に入ったようで、あれは熱燗にいいですねと言ったが、これも私には残念ながら分からない。

 

 これからは私なりにささやかな晩酌ができるようになったなどと言ったら、毎晩晩酌を欠かさない北海道美唄のブログ友の酒豪のSさんなどは大笑いするだろう。

 

 


日本初飛行の日

2010-12-20 11:57:26 | 身辺雑記

 昨日1219日は「日本初飛行の日」とされている。1910(明治43年)のこの日、東京・代々木にあった陸軍の練兵場で、陸軍の徳川好敏大尉がフランス製複葉機アンリ・ファルマンで3000mを飛行し、また日野熊蔵大尉もドイツ製単葉機ハンス・グラーデで700mの飛行に成功したのが、日本で最初の動力飛行機による飛行だった。その日から今年はちょうど100年になる。当時のものは、飛行機と言っても写真を見ると、背景に目を向けなければ、私たちが子どもの頃に作ったも竹ひご、紙貼りの模型飛行機と見まごうようなものだ。

 

 徳川大尉の飛行機 

 

 日野大尉の飛行機

 

 実はそれより前の1214日に日野大尉は飛行距離25m、2回目は60mの飛行に成功しているのだが、これは初飛行とは認められていない。「飛行」とは翼の揚力が機体の重量を定常的に支え、操縦者が意のままに機を操縦できる状態を指すと定義されていて、日野の場合は「飛行」ではなく「ジャンプ」であって、航空力学的にも初飛行とは言えないのだそうだ。 

 

 米国のライト兄弟が世界初の動力飛行に成功したのは1903年で、それから7年後には日本でも初飛行が行われたのだから、僅かの間に世界に広まったものだと思う。明治43年と言えば、私の父が5歳の時、母が生まれる前年で、ずいぶん昔のことのように思えるが、反面、父母の一生を思うとそれほど遠い昔には思えないこともある。しかし、飛行機のこの100年の進歩を思うと、技術というものはいったん端緒につき、それが人間にとって有益なものと認められると急速に進歩するものだと分かる。今世界の空を飛び回っている巨大なジェット旅客機やヘリコプターなどの多種多様な飛行機を見ると、100年の間にこれほど進化したとは思えないくらいだ。日進月歩の進歩とはこういうものなのだろう。

 

 

 

 

飛行機に限らず、今の私達の周囲には、車、テレビ、コンピューターなど短い期間に急速に進歩し、生活に貢献しているものがいろいろある。どれも人類に大きな恩恵を与えているものだが、反面人間の知恵と技術は大は核兵器、小はクラスター爆弾など大量破壊や、残虐な殺傷の武器の発達にも「貢献」している。人間は過去からそうだったが、これからもこのようなことに知恵を絞ることは止められないものなのだろうか。

 

 

 


朝食

2010-12-19 10:37:13 | 身辺雑記

朝はしっかり食べないといけないとはよく言われるし、昼もしっかりとも言われるようだ。人によって違うだろうが、大方は通勤や通学のために朝は早く起きて食事をして出かけなければならず、昼食は12時くらいだから5時間かそれ以上は間がある。もちろんその間は働いたりしているのだから、エネルギーはかなり消費する。だから朝食をきちんと摂った方がいいことは当然だとも言えるし、昼食にしても、それから夕食まではかなり時間があるのが普通だから、やはりしっかり食べたほうがいいと言うのもよく分かる。

 

 私の場合は無職で、朝はかなりいい加減な生活だ。夜更かしが常習であるために朝は遅い。起きてからも午前中は特にすることもなく過ごしているから、朝食にはあまり気を遣わない。普通は、バナナ1本と牛乳180cc、それにチーズ2、3切れとクッキーのようなものを少し、この程度だ。卵も良いのではとも言われるが、以前と違ってゆで卵はあまり好きでなくなったし、目玉焼きにするのは面倒くさいということで食べない。これで昼までは十分にもつのだが、考えてみると侘しいと思うこともある。ブログ友のOjさんは毎朝早くウォーキングをしているから、帰宅してからは奥さん手作りの朝食をたっぷり食べるようで、さぞ美味しいことだろうと羨ましく思う。

 

 夕食はあまり多くないほうが健康にはいいと言われる。食事してから寝るまでの時間が短いから、多く食べると栄養過多になって肥満傾向になるようだ。しかし、どこの家庭でも概して夕食は豪華とはいかないでも、カロリーが高いのではないだろうか。1日中外で働いたりしていれば、十分に栄養のあるものをと考えるのは無理もないことに思う。私の場合は、ほとんど毎日昼からは出るようにしているが、運動量は少ないから、あまり欲求は起こらないので夕食は腹いっぱいということはなく、簡単に済ますことが多い。

 

 毎日どんなものを食べているのですかと聞かれることが時々ある。そんな時には冗談で、エサですと答えたりしているが、食べなくてはいけないから仕方なく食べていることもあり、まさにエサのようなものだと思ったりする。料理上手だった妻がおいしいものをつくってくれていた頃が懐かしい。

 


「誰でもよかった」

2010-12-18 19:48:41 | 身辺雑記

 またしてもこの科白である。茨城県取手市で、朝の通学の中高生の乗ったバスに若い男が乗り込んできて、手当たりしだいに殴ったり包丁で切りつけるなどした事件が起きた。

 

 28歳の無職のこの男は最初のバスでの凶行後に後続のバスにも乗り込み乗客を襲い、取り押さえられた。けが人は中学・高校生が12人、成人女性2人の計14人だが、幸い皆傷は浅く、死者も重傷者も出なかった。調べに対してこの男は、「自分の人生を終わりにしたかった。誰でもよかった」と犯行を認めているが殺意は否定していると言う。

 

 この男は高校卒業後、いろいろな職場を転々としていてたが、数日前から路上生活をしていて、前日の夜は実家のある市の野外で寝て、朝現場まで歩いてきて凶行に及んだようだ。数年前に母親を亡くして父親と暮らしていたとのことだが、高校時代の友人の話では、読書好きだが同級生とは交わらない性格だったたらしく、犯行時にはかなり落ち込んだ、暗い心の状態にあったことがうかがわれる。

 

 これまでの通り魔的な殺傷事件の犯人も、理由はともかくとして何か追い詰められたような精神状態にあって、凶行に及んでいるが、捕まった後の調べに、「自分の人生が嫌になった」「人を殺して死刑になりたかった」「殺すのは誰でもよかった」と言うのがよくあった。

 

 本人の有り様が問題だったにせよ、若者が人生に希望が持てず閉塞感に捉われてしまうことはあるだろうことは分かる。死にたくなる気持ちもおそらくは本当だろう。しかし、だからと言って、そのために何の縁もゆかりもない他人を殺し傷つけようとしたりするのは、やはり非道であって許されることではない。死ぬことなど考えてもいなかった人を襲って「誰でもよかった」などと言うのには、その身勝手さに心底怒りを覚える。

 

今回の事件を起こした若者は「自分の人生を終わりにしたかった」と言った。冷淡だと非難されるのを承知で言えば、それなら自分だけで死ねばいいではないかと言いたい。ビルの屋上から跳び下りるとか、富士山麓の原始林に迷い込むとか、海岸の断崖絶壁から身を投げるとか、死ぬ手段はいくらでもあるではないか。独りでそのような場に臨んだ時に、死ぬということはバカらしくなることもあるかも知れない。それで生きることの大切さに気づき、立ち直れたらそれに越したことはない。それでも死にたいのなら、己の人生を終わりにしたいなら勝手にすればよい。しかし人を道連れにするのは卑劣極まりないことだくらいは知るべきだ。